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 2019年5月

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2019.05.31(金)キツネとタバコ

民家の庭先で目に・・・愛嬌がありますね

平爺日課のウォーキングは、おおざっぱに言うと数コースあります。その日の気分や天気で選んでいます。この季節は千曲川の河川敷に広がる果樹園のコースが多いかな~。花期は過ぎましたが、リンゴ、桃、アンズの咲いていたころは特にお気に入り。

先日も河川敷の畑の中を歩いていると、何とキツネを10匹ほど目にしました。2頭のカップルが多いですネ。小型犬くらいですが実に敏捷です。野生動物の敏感さで、こっちが気づくずっと前から感知していて、出会いがしらに遭遇することはありません。たいてい40~50メートル以上の距離で目にします。平爺と視線が合うと同時に素早く草むらの中へ隠れてしまいます。

◆敏捷なキツネと違って、枯れた葦の中からはカッコー・・・カッコーというのんびりした鳴き声。よく耳にしますが姿を見たことはありません。カッコーと呼び合う声は、朝の清涼感そのもの。
野の花、キツネ、鳥の鳴き声、果樹園の花や果実・・知らぬ間にストレス解消に役立っている気がします。

◆今日で5月も終わり、明日からは6月・水無月です。
5月31日は世界禁煙デー。2018年日本の喫煙率は  男・28% 女・9

半世紀前、男性はタバコを吸うのが当たり前でした、平爺は禁煙してから40年以上になります。禁煙のきっかけはマラソンを始めたことでした。

2019.05.30
(木) 田中の小道をウォーキング

お日様が昇りはしめたころ、いつも通りのウォーキングへ

この季節、空気の美味しさが感じられる田中の道を歩くのは贅沢な気分です。田起こしが始まりました。次の作業が代掻き(しろかき)、そして半年休んでいた田に水が張られると、待っていたカルガモたちが飛来・・・・。

◆耕運機で田起こし作業をする後を、たくさんの小鳥がついていきます。
土の下で冬眠していた虫たちが耕運機で目をさまして顔を出します。小鳥たちには待ちに待ったチャンス、たくさんの小鳥が集まって我先に虫取りの大賑わい。田起こしの終わった田には水が引かれます。すると今度は冬眠から目を覚ましたカエルたちの出番。ゲ ゲ ゲ・・・うるさいほどの大合唱の始まり。ただし、人の足音がすると指揮者でもいるようにピタリと鳴きやみます。静かに歩いているつもりでも、きっと地面の振動が伝わるのでしょうね。


◆昔の田植え時期は、親戚も駆けつけてお祭り騒ぎの大賑わい・・・ところが今はすべて機械。昔の情緒はありませんが、小鳥や蛙は昔のままです。

≪朧月夜・・・高野辰之作詞≫

  ♪菜の花畑に 入日薄れ 見渡す山の端 霞み深し
    ♪蛙の鳴く音も 虫の声も さながら霞める おぼろ月夜

◆認知症介護施設のボラでよく歌うのは、長野市近郊出身の高野辰之作詞の歌。
  ・
おぼろ月夜 ・春の小川 ・故郷 ・春が来た ・紅葉 など

2019.05.29
(水)-その2- むごすぎて言葉もありません・・・

 児童をターゲットにした無差別殺傷事件は、私たちを慄然とさせました。
どうしてこんなことが起きるのか・・・市井の片隅でつつましく暮らしている一般庶民には想像もつきませんし、言葉もありません。

国民が銃を持てるという米国、少年による乱射殺人がニュースで伝わるのを耳にすると、世界のトップを走る文化国家アメリカで「なんと野蛮な・・・」と思って聞いていましたが、その銃が刃物に変わっただけ。私たちの住む日本も、他国を「野蛮」というのがおこがましい凶悪な事件です。

想像もできないこうした事件が起きると、「社会の闇」とか「病んでいる」などと言ったりしますが、平和に日々を送っている私たちには、明日あのような事件が起きるとは微塵も想像しません・・・が、無いとは言い切れない「闇」を思わずにはいられません。

災難に遭われた方々には、胸の中で手を合わせることしかできません。

2019.05.29
(水)-その1- 運転自粛中です

秋をしのばすような雲

去る4月25日、新しい運転免許証に変わりましたが、このところほとんどハンドルは握っていません。認知症施設へのボラ往復に使う程度。片道20分~25分ほどのところです。それも走行ルートはまったく同じ。
北海道から九州まで、一人で走り回っていた気概はまったくありません。高齢者事故のニュースがことさらにお大きく報道される昨今、運転に対する気持ちが萎縮する一方です。
それと1月以降、体の思わぬ変調が大きく影響しています。以前は考えもしなかった「万一運転中に意識変調が生じたら・・・」という不安が消せません。

◆先日の免許更新認知症検査は不安でした。不安なんて始めてです。よくパスしたな~と言う気がしています。今年末に免許証返納を実行するとすれば、あと半年余り。運転しつづけた60年近い年月、土壇場で気が変わらないようにしなくては。
何もネットで公表しなくてもよいことですが、自分の気持ちを縛りつけておかないと不安なんです()


2019.05.28
(火) 昼の月

つい先日、2時間ほどのウォーキングを終えて帰宅したのが6時半頃。ストレッチ運動をしながらふと空を見ると雲かと見まがう半月が浮かんでいる。白い紙風船が空に漂っているよう。今日この時刻の月の位置はあのあたり・・・と見当をつけて見ないと雲と見間違えてしまう。急いでカメラのレンズを向けて月を捉える・・・何回かシャッターを切り、曲がりなにも写すことができました。月を透かしてその裏側の青空が見えるような月でした。

●昼間の月で思い浮かぶのは、美空ひばりの「越後獅子のうた」

  ♪今日も今日とて親方さんに
  ♪芸がまずいと叱られて
  ♪撥でぶたれて空みあげれば
  ♪泣いているよな昼の月  
 
 
    【信濃では 月と仏と おらがそば】

     一茶の句とも言われるようですが、諸説あって
    はっきりしないらしい。

     ・月は姨捨「棚田の月」
       ・仏は「善光寺」 ・そばは「更科」


2019.05.27(月) あやめ駅

菖蒲(あやめ)

駅名が「あやめ駅」・・・優雅ですよね。長野電鉄湯田中線の駅名で、我が家から徒歩4分、電車の音も聞こえます。JR長野駅からだと17分ほど。改名して「あやめ駅」の名前は残っていません。 昔、当地は水害が繰り返され、水との縁が深かっために、菖蒲にとっては好環境だったのでしょう。

一本しかないない小さいプラットホームの中ほどには、菖蒲-あやめ-の花壇があり、今が花季です。そして我が家から駅へ通じる線路沿いの路傍は、近所の方々が菖蒲を育て、管理しています。
今がアヤメの花の季節、濃い紫色の花が目を楽しませてくれます。写真愛好家がアヤメと電車を構図にしてレンズを向けている姿もよく目にします。

webでアヤメの花言葉を調べて見ると「愛」「あなたを大切にします」「天の使い」「信じるものは救われる」等、他にも沢山あるらしい。ちなみに当地周辺を散策すると、アヤメの花をよく目にします。「アヤメを育てる会」というのもあるそうです。駅の近くには「あやめ薬局」、何かとアヤメに縁の深い地。拙宅の庭にもアヤメが咲いています。

【追記】
アヤメもショウブも漢字は同じですが
  ◆「花菖蒲」、「あやめ」、「かきつばた」はアヤメ科アヤメ属でそれぞれ近い関係
  ◆ショウブ湯の菖蒲はサトイモ科で別物、花も咲くが蒲(がま)の穂のような黄色い花


2019.05.
26(日) 腹立たしさ

土手一面に咲く花・・・名前は?

◆国会議員として品格を問われている丸山穂高参議院議員。そのような人間がどうして公認され、当選したのか?不思議。有権者も投票に際しては、人間性を識別すす努力がもっともっと必要・・・つくづくそう思います。

目下顰蹙の嵐、かばう人は一人としていないと思います。頭は良いのかもしれませんが、人格は最低? 到底国民の負託に応える意思も力もない俗物、見抜けなかった選挙民は責任の一端を背負わなくてはならないかもしれません。

◆「戦争しないとどうしようもなくないか
この どうしようもなくないか という表現耳慣れない平爺には正確な意味がつかめません。頭が悪いせいかな~。普通に訳せばどのような文になるのか?「どうしようもないのではないか・・・」と訳せばいいのかな~。関西弁、それとも丸山弁? 平爺は通算10年近く大阪勤務の経験がありますが、当時この言葉を耳にした記憶が残っていません。

◆それにしてもひどい人物が代議士になったものですネ。名前が「穂高」、穂高と聞けば「穂高岳」、日本の背骨北アルプスの主峰。好きで何回も登った穂高岳を汚された気分で腹立たしい限りです。
不適当な発言はそれだけではないとか。本人は即刻議員の職を辞すは当然として、同氏を公認した大坂維新の会も責任をとらないわけにはいかないでしょう。
党員資格はく奪だけではネー。

2019.05.25
(土) 松本走り? 車は走る凶器

滔々と流れる 千曲川

87才、地位も名もあった高齢男性が引き起こした悲惨な自動車事故。何日か前、退院して事情聴取のために警察を訪れた様子をテレビが映していました。両の手の杖に支えられ、ようやく足が一歩、また一歩という痛ましい姿。事故によるケガという事情もあるのでしょうが、その様子は運転とはまことに不釣り合いな姿で、何日も過ぎた今も目に焼き付いたままです。
あんなことがなかったら、地位も名誉も満たされて、悠々自適の生涯を送ったであろうに。

◆ひところ自動車を「走る凶器-狂気」などと言われた時期もありました。平爺も、目的地を見落とさないことに気をとられ、あるいは考え事をしながら運転したことも。事故にならなかったのは運がよかっただけという気がします。

「松本走り」と称し、長野県松本市でまかり通っている危険運転。同じ長野県民としてはまことに不名誉な話。信号機のない横断歩道で待つ人が目に入れば一時停止する運転マナー良さが全国一と評される長野県において、松本走りはあるまじき行為・・・その名が泣きます。
松本走りとは、交差点で前方から直進車が向かってきても、平気でその直前を右折して行くという際どい危険運転。何とも驚きの特攻運転です。

エアバッグや障害物の認識、急発進制御など、車に乗っている人には優しくなっても、歩行者への配慮は2歩も3歩も遅れている・・・それが実態のような気もします。車が走る凶器から脱け出る日はくるのでしょうか。

2019.05.24(金) 社会-地理の問題-答え

5/23 日の出
5/23 暁光に映える残雪の妙高山

①名瀑-那智の滝        ②三名城-松本城(長野)
③三名園-後楽園(岡山)     ④三名泉-有馬温(群馬)
⑤三古泉-白浜温泉(和歌山)   ⑥三大祭-天神祭(大阪)
⑦三大奇祭-なまはげ竿灯(秋田) ⑧三紅葉—嵐山(京都)
⑨三秘境-祖谷(徳島)
        ➉三長河-石狩川
⑪三大ダム御母衣(岐阜)  
   ⑫桜三大樹-神代桜(山梨)

都府県面積 狭い順に 香川 大坂 東京
         広い順に 岩手 福島 長野(北海道は除く)

(◆太字は、平爺が訪れたことのあるとろです)


昨朝のウォーキングは2時間34分。久々に「歩いた」という気分。でも無理はしません。明日からはまたのんびりと歩きます。



2019.05.23(
金)社会-地理の問題にチャレンジ

自己満足とは言え、肩の凝るようなことばかり考えていると疲れます。今日は話のネタを思いつきません。お暇の方にクイズを。残り一つは?順位は関係なし。

三名瀑  華厳の滝(栃木) 袋田の滝(茨城)  三名城  姫路城(兵庫) 熊本城(熊本)
三名園  偕楽園(茨城) 兼六園(石川)    三名泉  草津温泉(群馬)下呂温泉(岐阜)
三古泉  有馬温泉・兵庫 道後温泉・愛媛    ⑥三大祭  祇園祭(京都) 神田祭(東京)
三奇祭  諏訪御柱祭(長野)吉田火祭り(山梨) ⑧三紅葉  日光(栃木) 耶馬渓(大分)
三秘境  白川郷(岐阜) 椎葉村(宮崎)      ⑩三長河  信濃川 利根川
三大ダム  黒部(富山)奥只見(福島・新潟)   ⑫桜三大樹 滝桜(福島) 淡墨桜(岐阜)

都府県面積 ⑬下位3都府県は、狭い順に香川 東京 (  )
      ⑭上位3都府県は、広い順に岩手 (  ) 長野  除く北海道

2019.05.22
(水) 高齢者運転免許証をどうする?

高齢者運転事故が繰り返されて、世間の目は厳しさを増しているようです。

今年も咲いた庭のスズラン

「高齢者」とは何歳から? それは個々の法律などで異なるらしい。公的年金の支給は「65歳」だが、道交法の高齢運転者は「70歳以上」。医療面では、前期高齢者が「65歳から」で後期高齢者「75歳以上」?

ひがみと言われるのを承知で言えば、高齢者は社会のお荷物?そんな後ろめたさも感じますが、高齢化社会はまだ序の口、さまざまな課題が本格的に顕在化してくるのはこれからだとも・・・。
有識者会議が示した大綱素案には「認知症の発症を10年間で1歳遅らせることができる」と明記されるらしいが、平爺にはその意味がイマイチよくわかりません。

◆素人考えだが、医療の進歩、栄養や生活の改善などで長生きできるようになった反動で、認知症患者が急増という副産物がついてきてしまった・・・と言えないだろうか。まさにあちら立てれればこちらが立たず、四方八方ま~るくおさめるのはほとんど不可能。人は何を求め、何を諦めたらいいのだろうか・・・。

◆厚労省推計――高齢者のうち認知症は2015年約520万人、団塊世代全員が後期高齢者となる2025年には約700万人と予測。高齢者7人に1人が認知症・・・支える若者のたちの負担は増すばかり。

 ● 過日の朝日新聞「声欄」(読者投稿欄)

 82才の祖父にお年玉いらないから(免許証)返納して・・・投稿者 孫
 免許返納 長い闘いに終止符・・・投稿者 82才の妻の勧めで免許返納
 明日は我が身でなかったか・・・82才男性本人 孫の勧めで返納
 違反に気づかぬ自分が恐ろしくて・・・交通違反などを機に74才で返納

平爺は、本年12月から来年2月の83才誕生日の間に免許証返納を決意?しています。

2019.05.21
(火) 高齢者運転免許条件に変化はあるのか・・・

20日 夜明け間近の満月

「高齢者」とは何歳から? それは個々の法律などで異なるらしい。公的年金の支給は「65歳」だが、道交法の高齢運転者は「70歳以上」。医療面では前期高齢者「65歳から74歳」、後期高齢者「75歳以上」。

このところ注目を集めたのが高齢者による自動車事故です。ひがみで言えば高齢者は社会のお荷物?そんな後ろめたさも・・・
高齢化社会はまだ序の口、さまざまな課題が本格的に顕在化してくるのはこれからなんでしょうね。
政府の有識者会議が示した大綱素案には「70代での発症を10年間で1歳遅らせる」と明記されとのこと。平爺にはその意味がイマイチよく理解できない。

素人考えだが、医療の進歩、栄養や生活の改善などで長生きできるようになった反動で、認知症患者が急増という副産物がついてきてしまったとは言えないだろうか。まさにあちらを立てれればこちらが立たず、四方八方ま~るくおさめるのはほとんど不可能。人は何を求め、何を諦めたらいいのだろうか・・・。

 ◆厚労省推計――高齢者のうち認知症は2015年約520万人、団塊世代全員が後期高齢者となる2025年には約700万人と予測。高齢者7人に1人が認知症・・・支える若者のたちの負担は増すばかり。

2019.05.20
(月) 老境を自覚

剪定を終わったいイチイ

3時半を過ぎると薄明が兆してきます。夜明けが早くなりました。今日の日の出は4時36分、日の入は6時52分。薄明が兆すのは日の出より30分は早いかな~ 4時ころということになります。

暗がりのウォーキングはやめましたが、習慣で3時を過ぎると自然に目が覚めます。夏場、昨年までは3時過ぎにはウォーキングに出かけていました。長年の習慣が身についてしまったのか、体内時計が3時には目覚めさせます。今年1月末、アクシデントに遭ってからは、新聞にざっと目を通し、夜が明けきったのを確認。ウォーキングのスタートはたいてい5時過ぎになりました。あとひと月で夏至、今年も半ば近く・・・時の過ぎるのは早いな~。

◆先日、イチイの木を選定。これまでは一人だけの作業でしたが、今年はカミさんにも手伝ってもらいました。けっこう高さがあるので、ひとつ間違えてバランスを崩したら一大事。神経を使いしまた。
1月のアクシデント以降、眩暈(めまい)や平衡感覚の不安定さが完全には回復していません。梯子や脚立を使っての作業はもう限界かな~。

もう一つ、高さ7~8mのアカマツ、これも10数年、平爺一人で剪定してきました。これももう無理。カミさんの許可が絶対におりませんし、今年は植木屋を頼もうかと思っています。1月のアクシデントは思わぬところに影響を及ぼしています。

2019.05.19
(日) 日本沈没?

素朴な石地蔵さん 

半世紀以上も前のこと。小松左京のサイエンス・フィクション「日本沈没」を夢中で読んだ記憶があります。細かいことは忘れましたが、まさに日本列島が海の底に沈没するという奇想天外なストーリー。

◆今日の日記はSFではありません。2~3日前のラジオで、富士山大噴火について話していました。以前から言われている富士山の大噴火は必ずという話。大噴火があれば富士山麓では降灰10cm、東京でも3cm~5cm。この程度たいしたことない・・・どころではないらしい。社会秩序は乱れて何が起こるかわからない。まず交通の大混乱と物流ストップ、命にかかわる電気・水道・ガスなどのライフラインの甚大な被害。
これは脅しでも何でもなく、大噴火は必ず起きると言われたら誰しもぞっとします。噴火の日時が予測できないのが困りものです。自己主義者と言われようが、平爺の生きている間は何とか平穏でありますように・・・・。
通りすがりの石仏に「どうか災害が起きませんように」と手を合わせて来ました。

◆web検索すると次のような記事が。

300年あまり前の12月、富士山大噴火。それまで平均して100年に1度噴火してきたが、その後は300年以上も休眠がつづいている。それだけ「大噴火は近づいている」ということになります。
日本の心臓「東京圏」が機能不全に陥れば、まさにこれは「日本沈没」さながらの事態が想像できます。

2019.05.18
(土)可哀想で可哀想でことばもありません

雀のエサ台とツツジ

庭の花が順繰りに咲いて賑やかです。スズメのエサ台も朝夕二回の給餌は欠かしません。最近は子雀が母スズメと一緒に来訪、可愛い声だエサをねだっていいるのが可愛いくて、つい見入ってしまいします。

◆幼な児を虐待といじめで死に至らしめた「心愛ちゃん」事件。どうしようもない切なさが消えません。

16日行われた裁判での母親の発言が、テレビや新聞報道で大きく伝えられました。それを見たり読んだりして、また怒りと切なさが高じて耐えられません。
両親相互の力関係で、仮に母親は父親に抗せなかったという事情があったせよ、あまりにも残酷非道極まりないその実態は、鬼畜にも劣る残忍さ。「苦しむのを見て楽しむゲーム感覚」でいじめ抜いていたのではないか。

◆今の世では許されないと知りつつ、書かずにはいられない。
父親への刑罰として、心愛ちゃんの味わったのと同じ苦しみを、味わわせてやりたい・・・・罪を憎んで人を恨まずなどというきれいごとは言う気になれません。
◆さらに付け加えれば、その気になれば救うことができたはずの児童福祉関係者にも自身の罪の重さを我がこととして反省してもらいたいものです。

2019.05.17(金) 心電図

ウォーキングコースの野仏

心電図・・・それ何?という方もいるかもしれせん。ましてや体験した方となるとなおさら。計測器を体につけて24時間、入浴できないたけで、普段とまったく同じ生活でした。

◆去る1月下旬、夜明け前、暗闇の道でのこと・・・・いつも通りのウォーキング中。突然意識を失って転倒。脳外科、耳鼻咽喉科などにお世話になりました。それ以来、ウォーキングは時間をずらせて夜が明けてからに変更、しばらくは軽いウォーキング、今はほぼ以前と同程度の負荷で毎日歩いています。結局ウォーキングは一日も休みませんでした

◆あのとき、いったい何が起き、どうなったのかさっぱりわかりません。今も目まいなどの自覚症状が少し気にはなりますが、普段とまったく同じ生活です。かかりつけ医に「不整脈」が気になることなどを相談、総合病院循環器科を紹介してもらいました。

早速訪れた循環器科で「心電図をとりましょう」ということになりました。平爺には初めての体験。計測器具をつけて24時間。その結果は6月上旬に聞くことになっています。
具体的には電極を胸に4か所取り付け、記録機に計測データを記録するもので痛くも痒くもありません。

健康だけは人に負けない…そんな自負も、振り返ってみると直腸がん全摘手術・前立腺ガン全摘手術・ボーエン病(皮膚がんの初期)など、ガンだけでも3回の手術を受けました。人生終焉に近い今頃になって、自慢できるほどの体ではなかったことを自覚しています。あと残っている大きな病と言えば「認知症」というところかな~その兆候も少しづつ顕在化しつつあるようです。

健康が取り柄の平爺、意外にもろかったようです。あと20年も30年も生きるわけではないから、まあいいか・・・(自嘲)

2019.05.16
(水) 「だいじょうぶ」

「大丈夫」という言葉が大丈夫ではないらしい。
だいじょうぶを「ノー」の意味に使う若者が増えているとのことです。何だ、また乱れる若者言葉の話か・・・確かに見過ごせないほど大仰な話ではありませんが気になります。

千曲川夜明け

◆一杯飲み屋へ常連客か独りで来店。「今日はお一人ですか?」と店主。「若い部下を誘ったが返事は大丈夫・・・」このダイジヨウブは断り言葉を意味するらしい。
「大丈夫」の語源は「立派な男」。似た言葉に「偉丈夫」というのもありますね。大丈夫がなぜ断り言葉になるのか不思議で不思議で、考えてもわからない。

平爺の体験・・・コンビニで小さな買い物をして代金を支払い。釣銭とレシートが出されたました。釣銭だけとってレシートをそのままにして帰ろうとすると「レシートは大丈夫ですか?」と声をかけられました。しばしキョトン・・・・。何が「大丈夫」なのかわかりませんでした。
やっぱり平爺は化石人間のようです。

2019.05.15(水) 運転免許証返納を考える

わがもの顔に 庭に咲く牡丹

悲惨な運転事故が後をたちません。特に厳しい視線が注がれるのが高齢者による事故。いろいろ考えましたが、平爺は決心しました。

◆早いもので、マイカー買い替え後の1年点検です。
以前の車は、概ね年間10万㎞以上の走行、新しい車は1年でたった3千㎞。あと3年乗ろうと思っての買い替えでした。あと2年乗ったとしても1万㎞にもなりません。
高齢者運転への風当たりが強くなるばかりの昨今。先だっての免許更新は何とかパスしたものの・・・。

たった1年、それも3千㎞走っただけで手放すのは余りに惜しいが、熟慮の結果、あと1年だけ乗って免許証を返納することに決めました。つまり満83才でマイカーは処分です。

思えば20歳台の半ばからマイカーを持ち、登山を始めてからは北海道から九州まで、登山の足として走りまくってきましたが、大きな事故を起こす前の決断です。来年の今ごろはちょっとした用足しは自転車でオッチラオッチラ・・・だと思います。

なぜ今からこんなことを書くかと言えば「もうあとに引けないように退路を断とう」というためです。意思の弱い平爺らしいやり方ですー ()

2019.05.14
(火) 1日十人と会話・・・認知症予防

ボケ防止・・・ハイカラに言えば認知症予防。その予防として簡便なのが「一日十人と会話をする」と「歩くこと」と言われます。今日は一日10人について。

会社人間を長くやってきた男性は、趣味の仲間やグループとの交流が退職後も頻繁に続いていればいいのですが、10人と毎日交流・会話を交わすなど到底無理・むり・ムリ・・・・。
うちのカミさん、3日にあげず?どこかへ出かけて交流し、しゃべりまくっているようです。家に帰れば着電の長電話。平爺の20倍は世間とつながっています。感服、ただ敬服?でも時々はあらぬトンチンカン発言もあるよな~。

◆それはさておいて、数日前の同じ日の朝、日課の早朝ウォーキングで出会った3人と、ちょっとした立ち話。それでも平爺には貴重な会話です。

おじさん以外にはガラクタにしか見えない?

どこから集めてきたのかガラクタに手を加えて家の前に山ほど並べている奇特?なおじさん。「よく集めましたね・・・」 「不用品をもらって手を加えているんだ・・・」から始まり、若いときはJRに勤めていた云々。切り上げるタイミングがつかめずご高説にばしお付き合い。

1日も休まず毎朝ランニングを日課としていた10年ほど前、毎朝同じ時刻に出会った夫婦。ビニール袋とゴミばさみを持ち、路上のゴミ拾いを兼ねたウォーキング。平爺がランニングからウォーキングに転向後、時間がずれて会わなくなって数年以上経過、その夫婦に久しぶりの出会い。「お久しぶりですね・・・」から始まってⅠ、2分の立話。ゴミ拾いは今も続いていました。

パパ・幼稚園くらいの男の子・少し年上の女の子の3人+犬。2日に一度は会っていたのに、歩く時間帯を変えて以降会わなくなってしまいました。ところが何年ぶりかでぱったり・・・、懐かしくて声をかけました。子供は中学生と小学生に成長していました。この3人連れも平爺を覚えていてくれました。何だかとても気持ちの良い朝のウォーキングでした。

◆認知症予防は別として、ウォーキングで出あった人には必ず声掛け(挨拶)を励行。会話はなくても無言ですれ違うよりいいと思っています。こちらから声をかけないと、向こうからは決して声はかからないことを認識しました。

20119.05.13
(月) クマガイソイウ

クマガイソウ―熊谷草

クマガイソウ・・・花を目にしたことのない方も多いかと思います。今では山野に自生しているものを見ることは難しいようです。

拙宅のクマガイソウは、千葉県の友から株分けしてもらったもので、10年以上元気に育ち、今年も珍しい形状の花を咲かせています。最初は3輪ほどだったのが、毎年1輪ほどづつ増えて、今年は何と15輪。育て方が良いのか、気候や環境が良かったのか・・・花期が比較的長いので、鑑賞もじっくりと楽しめます。
手入れとしては、秋の山から落ち葉をかき集め、布団代わりにたっぷりかけておくだけ。植え替えも、施肥もせず自然任せです。
千葉県の親元の方は、今年開花したのは2輪だけとのこと。長野との気候の違いかもしれません。

◆ウイキペディアを見ると以下のような解説が
  熊谷草-ラン科アツモリソウ属
  名前の由来ー膨らんだ形の唇弁を昔の武士が背中に背負った母衣に見立て、源平合戦の
  熊谷直実と一ノ谷の戦いで彼に討たれた平敦盛(たいら の あつもり)にあてたものである。


2019.05.12
(日) 姨捨伝説

待ったなしの「超高齢化」問題。老により(65才以上)お一人様となる人は、現在の12%から倍近い28%になるという予測。そのような社会、想像もつきませんが、前後左右お年寄りばかり。それが目前に迫っているというから恐ろしい。かく言う平爺もその仲間。試算では、2040年(今から20年後)には独居老人が900万。
「寝たきり老人」が「寝かせきり老人」へ・・・老人が多すぎて介護の担い手がない。「寝かせておいて死ぬのを待つ・・・?」、何とも悲しくも切ないことばではないですか。

姨捨山山麓の棚田風景 スケッチ
2007年6月

◆ふと子供の頃に母から聞いた「姨捨-おばすて」の民話が脳裏をかすめます。

「老いて働けなくなった年寄りを山へ捨てる」話です。

昔、老いた年寄りを山へ捨てるというきまりがあった。老母をかごに入れて背負い、山へ捨てに行く。背中の老母は木の枝を折っては捨てていく。息子が何しているのかと尋ねると「お前が帰り道を間違わない目印だ・・」と。
隣国から難題を突き付けられて困っていた名主(殿様?)は住民に良い知恵はないかとのおふれ。息子の知恵で難題が解決し、褒美に何がほしいかと尋ねられると「母を捨てるのを勘弁してほしい」との願いが聞き入れられ、元のように一緒に暮らせるようになり、この悪習も取りやめになったという話です。

●長野市と松本市の中間に「姨捨=おばすて」というJRの駅があります。姨捨伝説の発生の地とか。その姨捨駅から見下ろす車窓風景は「JR車窓絶景ベスト3の駅」の一つとして知られています。百聞は一見に如かず。まだの方はぜひ一度お訪ねください。そして姨捨民話を思い出して見てください。年寄りを見る目が変わるかもしれません。 ◍姨捨駅の南方に「冠着山(別称 姨捨山)1262m」という山があります。

2019.05.11
(土)  一茶 句碑めぐり終結・・・(11

首丈の 水にもそよぐ 麦穂かな・・・長野市北部長沼公園

昨夏から始めた「一茶の句碑めぐり」、ウォーキングのついで?を名目にして先日最後の一基を尋ねて終了しました。対象はわが家から歩いて行けるエリア(長野市北部)の10基です。この句からは千曲川の氾濫を連想させます。

◆自宅から徒歩圏内とは言え、この句碑は一番遠くて片道約1時間、探すのに苦労しました。
訪れた順に振り返ると以下のとおり。ひと仕事終えた気分です。(日付はよもやま日記に載せた日です)
 

首たけの 水にもそよぐ 麦穂哉

 ①2018.07.25 綿散るや 小藪小社 小溝まで
 ②2018.08.20 すもとりが 立って呉れけり 秋の風
            雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る
 ③2018.09.22 牛馬も 元日顔の 山家哉
 ④2018.11.29 てもさても 福相の ぼたんかな
 ⑤2019.01.26 門に立つ 菊や下戸なら 通さじと  
 2019.02.22 春風や 犬の寝そべる わたし舟
 ⑦2019.03.17 啼きながら 虫の流るる 浮き木哉
 ⑧2019.04.13 半分は 汗の玉かよ 稲の露

 2019.05.11 首たけの 水にもそよぐ 麦穂哉  

◆去る8日、墓参を兼ねて生家へ。その際立寄った生家からほど近い一茶の句碑
  『八朔や 犬の膳にも 小豆めし』 石に刻まれた文字は判読が困難なほどに風化していました。

◆長沼・赤沼・村山地区にある上記9基の句碑のうち、最後となった「首たけの 水にもそよぐ 麦穂哉」は、家からは一番遠く徒歩1時間強。日課のウォーキングでも行ったことのない地籍で、すぐ先は長野県北端の信濃町、そのまま北へ向かうと一茶生誕と終の棲家となった柏原です。

これで一茶句碑めぐりの第一弾は終了。次は善光寺など長野市中心部の句碑を訪ねてみようかと思いますが、果たして・・・・

2019.05.10
(金) 今日は何の日?

♪春の小川はさらさら行くよ
     ♪岸のスミレやレンゲの花に・・・

去る1月、体調に少々問題が発生。蹴っても叩いても壊れないはずの平爺が、何と病院のお世話に・・・鬼の霍乱?

一昨日は、ご無沙汰している生家へ1年ぶりの訪問。兄弟でだべったり墓参りをしたりしてきましたが、日記のネタを思いつかない。

◆今日は510日・・・あれ、何かあった日だぞ・・・・何だったかな~。年号が変わって10日目の記念日ではさまにならないし・・・。そうだ実弟の誕生日・・・ウーン ほかにもっと大切なものがあった気がする。そうそう平爺夫婦の結結婚記念日なのだ。50年以上もたてば今さらと言う気になったとしても仕方ありませんよね。所帯を持ったのが平爺28才、妻24才。ここまで一緒に歩いて来られたのは、二人とも辛抱強かったということでしょうか。まずは目出度し目出度し。近いうちにに美味いもので食べに行こうかな。

2019.05.09
(木) 八十八夜

今月の2日は八十八夜だったのですね。ラジオで知りました。節分から数えて88日目。

八十八夜と言えば「茶摘み」、認知症介護施設のボラで、唱歌の“茶摘み”をお年寄りたちと2回も歌ってきました。テンポがよくて明るい歌ですね。

水彩 8号 

♪夏も近づく八十八夜  野にも山にも若葉が茂る
 ♪あれに見えるは  茶摘じゃないか
 ♪茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠

♪日和つづきの今日此の頃を  心のどかに摘みつつ歌ふ
 ♪摘めよ 摘め摘め  摘まねばならぬ
 ♪摘まにゃ日本の茶にならぬ

◆茶摘みと言えば、14年ほど前のことですが、愛知県の日本ケ塚山(1107m)へ登った折に、かつて日本一小さかった『旧富山村』(長野・愛知県境人口200人)で車内泊。時間つぶしに茶畑のある風景を描いたのを思い出しました。寒い北信濃て茶は育ちません。茶畑を手の届く近さで見たのは初めてでした。絵は廃棄して写真だけが残っています。

2019.05.08(水) 今月のことは

例によってウォーキングコース途中の寺院門前に掲げられる今月のことば。

  《今を逃げる人には 未来も過去もない》

平爺流に解釈すれば、今が苦しく耐えられず、正面から取り組めずに逃げることしか考えない人には、より良き未来もないし、生きる支えとなるような思い出もない・・・とうことでしょうか。中身は空っぽの人生? このことば、あまり哲学的に考えずに、さらりと受け止めた方が良さそうな気もします。

ノー天気で、ものごとを余り深刻に考えないたちの平爺、正直なところこの言葉を身をもって感じることは無理かもしれません。薄ぼんやりと想像するだけです。

妻によく言われることば 「お父さんは良いわね 何があっても呑気でいられるから・・・」 別に強がっているわけではありません。考えても悩んでもどうにもならないことは、「まあいいか・・・」とか「なるようにしかならないよ」と思うことで気が楽になるからです。(もしかすると人の見ていないところで泣いているかもしれませんよ・・・・)ノー天気とは少し違うと思っています。

2019.05.07
(火) 昭和は遠くなりにけり と 月日は百代の過客にして

中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句があります。

奧の細道300年記念のチラシ

元号が「令和」に変わったとたんに、「昭和」が遠くなった気がします。
1901年(明治34年)生まれの草田男が、この句を詠んだのは昭和6年(1931年)30才のときで、明治が終わってからまだ20年ほどですが「明治は遠く・・・」という感慨があったのですね。

草田男流に見ると、昭和に生まれ人は、年号が平成に変わり、20年経過すると「昭和は遠くなりにけり」ということですね。どう逆立ちしても平爺が20年先の「平成は遠くなりにけり」の感慨は味わえません。

◆なぜか高校の国語の授業で暗記させられた芭蕉奥の細道。その冒頭を思い出しました。月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり 舟の上に生涯を浮かべ  馬の口とらへて老いを迎ふる者は・・・ 

さらに思い出すのは芭蕉が訪れた最北の地、秋田県象潟の名勝。
1989年、残雪の鳥海山へ登った折、下山してから象潟蚶満寺の句碑を訪れました。この年は、芭蕉が奥の細道の旅に出て300年にあたるということで、さまざまなイベントが行われていた年でした。
訪れた象潟蚶満寺で目にした句碑が 《象潟や 雨に西施が ねぶの花》
でした。

雨の象潟に合歓(ねむ)の花が咲いている・・・雨に打たれる合歓の花を中国の美女西施にたとえた句。今でも頭の奥にしっかりと張り付いています。  鳥海山登山記録はこちらです 


2019.05.06
(月) 令和がスタート 待っているのは超高齢化

日本の少子高齢化が問題視されるようになって久しいが、6日付朝日新聞からの抜粋。
 ・平成の30年間で、15才未満の子供は787万人の減。
 ・97年以降、65才以上の高齢人口が15歳未満の子供の数より多い。

以下は内閣府のホームページより抜粋

シバザクラ 長野電鉄線路脇

◆我が国の総人口は、減少過程に入っており、10年後(2029年)に人口12,000万人を下回った後も減少を続け、2053年には1億人を割りこんで9,924万人、2065年には8,800万人と推計。
2.6人に1人が65歳以上、3.9人に1人が75歳以上

恐ろしいような数字です。本当ですか?と言いたい。4人に一人が75才以上。右を見ても左を見ても爺さん、婆さんばかり。それってどんな社会なんだろうか・・・想像もつきません。

まだ30年以上も先の話でしょう・・・杞憂かもしれない。いいえ、30年なんてアッいう間です。自分の過去の30年と重ねて見たら、あっという間の速さです。平成天皇の在位期間とほぼ同じです。誰が高齢者を支えるのでしょう。

2019.05.05(日) 祝日-子供の日

今日は国民の祝日「子供の日」。国民の祝日は内閣府の管轄のようです。内閣府のホームページには次のように記述されていました。

〖こどもの日・・・・こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する〛

残念ながら「父に感謝」には寸分も触れていません。男性軍としては少しは触れてもらってもいいように思いますがネ。父がなくても子は育つと言わんばかり。ちょっぴり寂しい気分。
具体的には、子供の日は何をする日でしょうか。以前は『端午の節句』で鯉のぼりと菖蒲湯?そのくらいしか浮かびません。
昨年来、すさまじい児童虐待事件が次々と明るみに出ました。
いっそのこと「子供への虐待に抗議する日」とでもしたら関心があつまるかもしれません。

昨日のNHKラジオ深夜便(未明4時過ぎ)、「虐待を生き抜いて今できること」というテーマで、子供の頃に虐待を実体験をした女性(児童虐待防止機構理事長)の凄惨な話でした。似たような環境に、じっと耐えている子供はたくさんいると想像します。言葉が躍るだけではなく国をあげて「本気で子供を守る子供の日」にしてもらいたいものです。

2019.05.04
(土) れんげ草

以前にも同じことを書いたような気がします。目にする機会がほとんどなくなったレンゲソウの花、この時期はピンクの絨毯のようです。 平爺はレンゲとよびますが、ゲンゲともいうようです。

 レンゲソウの花

昨年と同じ田んぼに、ピンク色のレンゲの花が咲いていました。懐かしさが募ります。子供の頃は田んぼという田んぼはレンゲのピンク色一色。子供が寝ころぶと隠れてしまうほどでした。かくれんぼまがいに、レンゲの咲き乱れる田んぼで遊んだことを思い出します。

ウォーキングの途中で目にするのは、丈の低いやや貧弱な姿。昔のようなピンクの絨毯には遠く及ばず、景観は月とスッポン、それでも懐かしさは呼び覚まされます。

なぜレンゲソウが田んぼに・・・今では知らない人が多いと思いますが、田んぼにすきこんで肥料にするため。化学肥料に頼る今の稲作には必要なし。田植えの準備の代かきも、田植えも、除草も、刈り取りもすべて機械や化学薬品頼み。田んぼに人影を見ないうちに、田起こしから刈り取りまで終わってしまう稲作です。

◆亡き母の生家は稲作と養蚕農家。田植えや稲刈りの繁忙期には、学校が1週間ほど「農繁休暇」となり、小・中学校の頃は泊りがけでお手伝いに行ったものです。子供だった平爺の主な仕事は、朝から晩まで泥田の中で牛を引っ張り回す“代掻き”でした。泥田の中は思いのほか疲れましたが、今は懐かしい思い出です。

 2019.05.03(金) 山笑う

「山笑う」、これは俳句の季語で読みは「やまわらう」。
春が来て里山の落葉樹が新しい芽を吹く季節、樹種によって芽吹の色や、こんもりとした形がそれぞれ違うために、大きな模様をなしているように見えます。その様が、あたかも穏やかに笑っているように見えるときがあります。ああ、これなんだ・・・・と気付いたのは20年か30年前だったと思います。

今の時期、車で田舎の道を走ると「山笑う」様が目に飛び込んできます。よくも「山笑う」と名付けたもの。柔らかくて暖かくて、気持ちをほっこりさせさる風景です。新緑と言っても木の種類ごとに色合いはさまざま、この風景に気づかなかった方は、是非とも意識して眺めてみてください。多分、新しい発見を感じられると思います。

故郷や どちらを見ても 山笑ふ  子規

2019.05.03(金) 憲法記念日

今日は憲法記念日、改憲に前のめりの安倍内閣、その危うさに危惧を抱く方も多いかと思います。憲法を変えなくてはならないような事態が差し迫っているのでしょうか。
過去の反省をもとに、恒久の平和主義を誓った日本。その思いだけは何があってもゆるがせにしてはならない。平爺の悲願です。それとは別に憲法第一条の条文。《天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く》

「象徴天皇」という言葉はどう理解したらいいのか、実は平爺にはよくわかりません。中学か高校の社会科で習ったかしれませんが、記憶していません。わかりやすく言えば、権威のシンポルではないということでよいのでしょうか
「象徴」を広辞苑で牽くと(一部抜粋) ①ある別のものを、指示する目印・記号 ②本来かかわりのない二つのもの(具体的なものと抽象的なもの)を何らかの類似性をもとに関連づける作用。たとえば白色が純潔を、黒色が悲しみを表現するなど。

2019.05.02
(木) 五木寛之氏の講演会へ

 アオシダレ  庭の一隅も初夏の風情
灯篭は地震で傾いたまま放置

立春から起算して今日は八十ハ日目。八十八夜です。二十四節気とは違います。
  ♪夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る・・・

◆世間は10連休真っただ中。マスコミの調査によれば、この期間に「旅行などの予定は特にない」との答えが意外に多かったらしい。我が家もその口、ほっと胸をなでおろしました()

4日ほど前、地元テレビ局主催の「五木寛之氏講演会」を聴きに行ってきました。予約チケット1000円、連休中の唯一の出費?何といじましいことか()

聴きに行く気になった動機? 古い話ですが氏の著書「大河の一滴」を読んでいたく感動。これまで書籍はかなり買ってきましたが、辞書など特別なもの以外の小説、ハウツーもの、時の話題などはほとんど読み捨て・・・今は孫が来ると文庫本などは持っていくので助かりますが、それまでは転勤転居などを機に、どれだけ処分したことか・・・これは余談。

◆前記の「大河の一滴」は、共鳴・感動するところが多く、愛着があって捨てがたく、未だすすけて書棚の隅に残ったまま。発刊を見ると平成11年、ビラがべたべた貼ったままになっています。目次を見ると
  ・なぜかふと心が萎えるとき  ・人生は苦しみと絶望の連続である
  ・大河の一滴として自分を見つめて  ・科学は常に両刃の剣である
  ・もし親鸞が生きていたとしたら  ・・・・・ 

◆講演の方は、87才とは思えないユニークな発想が笑いを誘って約2時間、聴衆の気持ちを引き付ける話術はさすが。。
◆四国遍路と言えば親鸞。平爺75才の時、遍路結願のあと、五木氏著「親鸞」も購読させてもらいました。

2019.05.01
(水) 「令和」スタート

ウォーキング途中での北アルプス・・右端が槍ヶ岳 4/29
新年号の発表から1ヶ月が経過。異常と言いたいほどのあのフィーバーも収まり、今日からfは「令和」、慣れるまで少し時間がかかるかも・・・。

◆前月末に更新した運転免許証の交付日も有効期限も平成です。今月からは「令和」になるのでしょうね。
◆これから数年後、歳を聞かれて「昭和12年生まれです」と言っても、とっさに年齢計算するのは骨が折れるでしょう。パッバッと計算できる人は少ないと思います。時間をかけ、指折り数えても難しい。
◆順調にいけば?いや、いかなくても「令和」の年号のうちにあの世に行く運命(さだめ)。令和との付き合いは長くないと思いますが、「令和」と仲良くしていくことにします。

●無理はききませんが、控えめにしていた日課のウォーキング、前月はトータル55時間。ようやく以前のレベルに戻ってきました。ただし内容はまだまだ・・・歩く速さは以前の7割程度、慎重に歩いています。
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