2019年 12月

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お 礼
八十路の坂をとぼとぼヨタヨタ歩いているうちに2019年も閉幕です

つたないホームページにお立ち寄りくださいました皆様には、厚くお礼申し上げます。
PC故障による中断もありましたが、何とか今日まで続けてこられましたのも、
皆様のアクセスにお力をいただけたからこそと
改めてお礼申し上げますとともに
来年もよろしくお願い申し上げます。

 ムラサキシキブ  花ことぱ=聡明

2019.12.31(火)大晦日-おおみそか

大晦日は12月31日、小晦日は12月30日、 晦日は毎月の最後の日・・・誰でも知っていますよね。
1年間ありがとうございました。老いの坂道を転がり落ちそうなあぶなっかしい足取りで何とか歩き切った一年も、過ぎてみれば早いもの。あれよあれよという間の大晦日です。

【思いつくままにこの1年を振り返ってみました】

   硬膜下血腫(1月)・・・命に係わるほどの重症でなかったのが幸いでしたが、脳も体も老化が加速。それを一層認識させられた一年でもありました。
(前年は胸骨圧迫骨折、前々年は足底筋膜炎症)

   ウォーキング365日無休・・・合計796時間(一日平均2時間10分)
仮に1㎞を11分で歩くとすると、歩いた距離は延600㎞ほどで、新幹線の東京~姫路間に相当。7年前に36日かけて歩いた四国遍路は1200(1日平均約33km)とは比べものになりませんが。

   パソコンダウン、復旧まで2ケ月・・・一時はHPからの撤退も考えました

   週2回の認知症介護施設ボランティァは10年経過、よく続いたと自画自賛

   PC故障時以外は、「よもやま日記」無休。時には反感を呼び、軽蔑され・・・少しだけ頷いて下さったこともあったかもしれません。

   30年余り、とりつかれたように取り組んできた登山も、実質的には卒業の年になりました。そのショックは計りしれません。

(あの世へ半歩足を踏み入れた老いぼれ爺のたわごと「よもやま日記」も、皆様のアクセスを力に来年もつづけていきたいと思っています)

2019.12.30
(月) 火の用心
 

朝霧

気象ことば・・・「朝霧は好転のしるし」
昨朝、夜明け前のいっとき、視界の利かない濃霧に覆われました。案の定太陽が昇るころには雲のかけらも見えない紺碧のに。

◆日ごとに寒さが厳しくなる時期、火が恋しくなると同時に空気も乾燥。火災の発生が増えるとのこと。我が家も3月下旬まで石油ストーブ3台、ガスストーブ1台。ほかに小型の電気ストーブがトイレ・寝室・脱衣所・納戸に各1台づつ。全部がいっぺんに稼働することはありませんが、それぞれの管理に気を抜ないよう気を付けています。

火を使わずにすめば安心ですが、寒地ではそうはいきませんし、冬季の光熱費もばかになりません。昨朝は-5℃、夜明け前の寒気を押してウォーキングに出るのも勇気が。

面白い標語を目にしました。

  『焼き芋焼いても 家焼くな』   

ふざけているようですが、なかなかの上出来。
火事を出すと、自分の家だけではなく近隣にも迷惑をかけるし、補償問題でもあったらあの世へ逃げるしかありません。火の用心・・・火の用心・・・焼き芋焼いても 家焼くな・・・

2019.12.29(日) 第九コンサートでの雑感(続)

寒い朝-3℃(昨日) 飯縄山(1917m)

日記に書くのは取りやめようと思ったのですが、ありのままをアップさせていただくことにしました・・・とお断りするほどの話ではありませんが、先日の第九演奏会で観客のマナーで気になったことがあります。こんなにひどいことははじめて。

◆山国育ちで井の中の蛙の平爺、若いころ上京して初めてクラシック音楽会へ連れていってもらったときに先輩から教わった心得があります。

今どきの若者たちは、アイドルなどのコンサートでステージと一体になって大騒ぎするのは普通。ところが時代は移ろってもクラシック音楽にはそれなりのマナーが。お高く留まっているわけではありません。じっくりと演奏に浸り、味わうために必要なこと。演奏中に出入りしない、席を立たない、ひそひそ話をしない・・・など。先日の第九を聴きに行ったとき大変気になり不愉快な思いをしました。

●平爺の右斜め前の席に座っていた小学3~4年生くらいの男の子。退屈したのしょう。演奏中に椅子を立ったり座ったり横になっりと動きっぱなし、後ろに座る父親(平爺の右隣の椅子)に話しかける、父親はそれにこたえる。気が散って演奏に集中できませでした。

●平爺のすぐ後ろの席では、たぶん熟年(初老)らしい女性、紙袋らしきものをいじってカサカサ・・・ゴソゴソ・・・一度や二度ではなく何回も・・・何か食べていたのかもしれないが、飲食もご法度です。

多分クラシック演奏会のマナーなど知らないご仁なのか? 騒々しい若者向きコンサートと勘違いしていたのかもしれません。たかがクラシック演奏会くらいでガタガタ言うなと反発されそうですが・・・誰かに聞いてもらいたくて敢えて書いてしまいました<m(__)m>

2019.12.28
(土) 御用納め・仕事納め
    

日食?
いいえ去る20日の三日月です

残念ながら雲に覆われ、日食を見ることはできませんでした。写真は去る20日の三ケ月です。

平爺が社会人となった数十年前、大晦日は年間でいちばん忙しい日。深夜まで仕事、ときには元旦の始電が動くのを待って帰ることも。そして正月3ケ日だけ休んで4日からは通常の勤務。年末年始の帰省もままらず、ゆっくり休めるサラリーマンがうらやましく妬ましく感じたのを思いだします。

ところで「御用納め」とか「仕事納め」その違いは? 調べてみると

◆御用納め」は「官庁御用納め」とも。「御用」は役所や官公庁などの行政機関での公務で、「納める」は「片づける」に通じ、「御用納め」はその年のなすべき業務すべてを片づける日「仕事の最終日」という意味で、1228日にあたるとのこと。

◆「仕事納め」は一般的には民間企業などで使われるが、画一的なものはなく、企業それぞれが事情を考慮して決めている。

 この年末年始、官公庁などの仕事納めは28日、仕事初めは1月4日とのことで6連休。これは昔も今も変わりませんが、民間の中には11連休というのもあるらしい。隔世の感があります・・・が、うらやましいことはありません。今の平爺は365日休日ですよ~(笑)。


2019.12.27(木) 運転マナー(横断歩道の一時停止率)

   ♪かきねの かきねの まがりかど   たきびだ たきびだ おちばたき
   ♪あたろうか あたろうよ   きたかぜ ピープー ふいている
寒い朝、ウォーキングの途次にサザンカの花が目につきます。寒い時期を選んで咲く姿がけなげです。

サザンカ

高齢になると運転マナーより技能の方が問題かもしれません。
が、JAF(日本自動車連盟)発刊の2020年1月号に次のような記事が。

信号機のない横断歩道での一時停止率は17.1%。前年比2倍に改善されても、まだ8割り以上が止まらないという結果に』

記載されている県別の停止率(%)は以下のとおり。ベスト5位。
ワースト5位は下記)

   上位5県・・・長野66.1   静岡52.8  兵庫43.2   島根41.2 新潟36.2 %
   下位5県・・・栃木 0.9     三重 1.4   和歌山 1.4  青森2.1  岐阜2.2 %

前回の調査でも長野県はトップ。これは大いに誇りたいと思います。どんなに急いでいても、平爺は、待っている横断者が目に入れば必ず停止します。 

停止率5%未満の県をwebで調べてみると15県ありました。一時停止に慣れている県の方は、一時停止率の低い県へお出かけの際にはご用心ください。歩道で立っていても止まってくれないと思った方がよさそう。止まってくれることに慣れている長野県などの人たちは、車が途切れるまでは忍の一字、無理をせず辛抱強く待ちましょう。

参照https://jaf.or.jp/common/safety-drive/library/survey-report/2018-crosswalk

2019.12.26(水) 仕事納め?

昨朝 凍った水たまり 寒暖計は-4℃ 
◆昨日は平爺の仕事納め・・・と言っても趣味の延長線上にあるような認知症介護施設のボランティアのこと。施設利用者さんたちにはクリスマスも年末も正月も普段と変わらない毎日です。
歌を唄ったり、言葉作り (いろは50文字を3cm四方の紙に一字づつ書いたカードをテーブルの上にランダムに置き、そのカードで言葉を作る) をしたりして1時間ほど遊び、最後に蛍の光を唄って今年の仕事納めとしました。
今年は、年明け早々に硬膜下血腫という珍事に遭ったものの、毎週火・水曜日はほとんど欠かさず訪問することができました。ただしマイカーとちがい、電車(約10分)と徒歩(約40分)の通勤?は楽ではありりません。これから積雪のときは厳しいな~。
◆「続ける」が平爺の座右の銘とは言え、年ごとに気力も体力も衰えを感じる昨今、最後の一線で頑張っているという気がします。このボラも10年過ぎましたが、もう少し頑張ってみるつもりです。

2019.12.25(水) 年賀状投函-元日配達は本日中に 
今日はクリスマス

昨日の介護施設ボラで、「仏教の開祖」は誰かを尋ねてみました。誰も「お釈迦さま」と答えられませんでした。急な質問で答えられなかったのかもしれません。

◆年賀状は今日のうちに投函すれば元旦に配達されるらしい。急ぎの用事でもないし、一日、二日遅れても問題は生じませんが・できたら元旦に届いた方がいいですよね。

◆この歳になると、八十路の坂をトボトボと・・・と思っていたが、過ぎてみれば転がり落ちるようなスピードで、あっという間の一年。
年の暮れと言っても、ことさらにやるべきこともなく大晦日を迎えます。

◆そういえば、年賀状の減少が止まらないらしい。1949年に年賀はがきが発売されてから196410億枚、197320億枚を、2003年には445千万枚。
その後減少傾向に歯止めがかからず、今はピークの半分まで落ち込んでいるとのこと。あと10年もすると「へ~年賀状なんていうものがあったんだ~」ということになるかも?

メールやSNSという手っ取り早い方法があれば、面倒な年賀状はすたれても仕方ない運命?平爺も縮小してわずかばかりになった年賀状を、先日投函してきました。さまざまな事情・思いもあり、また相手方も楽になるだろうとの思いもこめての縮小。年賀状から手を引いた記念の年?になりました。

2019.12.24
(火)「第九」に寄せて

 去る21日の第九演奏会に寄せて。

指揮はNHK交響楽団、東京フィルなど多くのオーケストラの指揮にあたってきた実力指揮者、6人の歌唱ソリストも実力者ということです。合唱団は趣味として地元でコーラス活動などを楽しんでいる会員たちで、平爺の妻もそうした仲間の一人。かなりの年配者もいます。

合唱団の構成は

⦿ソプラノ93名 ⦿アルト93名  ⦿テノール54名  ⦿バス58  計298

妻のパートはアルト、歌が好きで高校生のころからコーラスにかかわり、年季だけは一人前です。第九の合唱に初めて参加したときは、歌詞を原語で覚えるのに苦労。台所で料理をしながら毎日発音練習をしていたものです。
最初はソプラノ、年とともに声が出なくなり今はアルト。1年ほど前までは、家の中で暇さえあれば一人練習で歌っていましたが、今は家ではほとんど歌わなくなりました。
あと何年続けるつもりか、いや続けられるか・・・尋ねたことはありませなんが、そう長くはできないと思います。 

◆演奏会のフィナーレオケ以外の出演者全員が手に濃紺色のベンライトを。楽団が「きよしこの夜」の演奏をはじめると満員2000人の観客も一緒になっての大合唱、演奏が蛍の光に変わると、会場は厳粛にもいっそう重厚な雰囲気に変わり、音痴の平爺も体全体で声をだすつもりで一緒に歌わせてもらいました。舞台も観客も一体となり、盛り上がり、楽しかったコンサートの幕が下りました。

◆蛍の光合唱のとき、「妻も平爺も元気でなければもう聞くことはできない・・・もしかするとこれが最後になることも・・・ふと脳裏にかすめると自然に涙があふれて止まりませんでした。妻が合唱の一員として参加してきた何回もの第九コンサートで、今回がいちばん印象に残るアットホームな良い第九演奏会でした。

2019.12.23
(月) 冬至・リンゴ風呂

webで「12月23日・今日は何の日」をチェックすると

柚の代わり・リンゴ湯

ふみの日・歩民(府民)の日・天麩羅の日・乳酸菌の日・国産小ねぎ消費拡大の日・踏切の日 (昨22日は『夫婦の日・禁煙の日』でした)

◆昨日は二十四節気の冬至、一年で昼が最も短い日。ゆず湯でひと風呂浴びて「さて熱燗・・・」といきたいところですが、寒い北信濃は柑橘類の栽培には適しません。我が家は柚=ユズの代わりにリンゴ湯。リンゴは知り合いや妻の友人が差し入れてくれます。商品として不適なキズリンゴなどを惜しげもなく湯船に浮かべて・・・食べませんよ()。 リンゴの香りを楽しむ湯もまた良し。なんだか長生きできそうな気分() 

◆ゆず湯は血行が良くなり身体が温まるため、風邪予防の効果があり、皮膚を強くするとか。合わせてかぼちゃを食べると霊験あらたかというが?  

今年も残すは一週間あまり。今年は明けて早々、ウォーキング中の転倒で硬膜下血腫という変なケガを負ってのスタートでした。何とか永らえて?年が越せそうです。けっこうしぶといジジイ・・・です。

2019.12.22(日)今年もまた「ベートーヴェン交響曲第9番」演奏会でしめくくり
 

「第九」とはベートーヴェン作曲交響曲第九番の略。有名な「運命は」は第五番。
年末放映されるNHKテレビのほか、各地で第九演奏会が催されます。東京・関東エリアだけで80公演もあるとか・・・昨日はここ長野市でも。自称音痴の平爺ですが、年の暮れにこの名曲を聴くのが楽しみです。 

◆幸いにというのか、長年にわたり妻が女性コーラスと縁があって、これまでにも第九演奏会の合唱メンバーとして毎年のように歌ってきました。中でも佐渡裕指揮・大阪城ホールⅠ万人の第九公演がいちばん記憶に焼き付いているようです。

 ◆昨日は、長野市内でいちばん大きいほくと文化ホールで、妻も参加した第九を聴いてきましたが、「今年も終わりだな~」という感慨にとらわれました。
もっと聞いていたいという思いが残り、中でも最後の合唱「歓喜の歌」はいつもながら震えるような感動でした。

 ◆なぜ12月に第九公演が集中するのか・・・webに次のような説明がありました。
日本では第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が、12月に3日連続の「第九コンサート」を行って絶賛され、年末に「第九」を演奏する習慣へと受け継がれています。 

追記・・・「第九」を作曲したときは、ベートーヴェンの耳はほとんど聞こえていなかったとのことです。
(このつづきはまた後日)

2019.12.21(土) 標語     「もう一度 わが子へくばろう 愛の目を」  

表題は先日のウォーキングの折に目について標語です。神社鳥居の脇に立っていました。
「虐待」とか「育児放棄」とか、近頃のニュースでは当たり前のように報道される子供被害。一方では愛情不足が根底にあるのか、子供自身によるおぞましいイジメや不良行為の報道も珍しくありません。 

掲記のような標語があるということは、それを必要としている背景があってのこと。この地区PTAの誰かが考えた標語か、あるいは一般化しているのかと思いweb検索してみましたが同じ標語はヒットしません。全国に広がってほしい標語です。味わい深さを感じるとともに、昔のように隣近所で子供を育てるという風土がなくなった結果、このような標語が生まれたのかもしれません。 

平爺の子供のころ、学校から帰ると隣近所のチビガキが暗くなるまで外で遊びまくっていたのを思い出します。今はほとんど目にしなくなった光景です。
掲題の標語は、子供たちへの言葉ではなく、親たちへぐさりとささることば。全国津々浦々に普及してもらいたいものです。

2019.12.20
(金) その後
 

ウォーキングを兼ねて、10何日かぶりで水害被災の現地を訪れてみました。

被災者交流所? 被災ゴミ・冷蔵庫、テレビなど

空き地という空き地に、山のように積み重なっていた被災ゴミは、おおかた片付いいましたが、灯火の見える家は皆無に近い状態。つまり無人の集落。

そんな中で灯りのある建物が・・・近づいてみると「地区交流所」の看板。一時的な避難所も閉鎖され、散りぢりになった住民たちの交流・情報交換・憩い場のとして建てられたものと推測。

人の気配のない死んだような集落に、いつか被災住民が戻る日がくるのでしょうか。

 ◆膨大な被災ゴミの一時的置き場となっていた千曲川堰堤。10日ほど前には畳・家電製品などが残っていましたが、昨日目についたのはテレビと冷蔵庫のみ。その数も少なくなり、ようやく元の堤防の姿に近づいているのを見てほっとしました。 (テレビ、冷蔵庫、水を含んだ畳などは処分しにくいのでしょうか?)

堤防から河川敷のリンゴ畑を見下ろすと、落果したリンゴが地面を覆うように赤く染めています。リンゴ農家の切なさ、悲しみがひしひしと伝わってきます。


2019.12.19(木) 寒くても・・・

すがすがしい夜明け
日課のウォーキング、日の長い時期には4時に家を出ても、すでに外は明るくなっているのに、今は6時を過ぎてもまだ夜中と変わらず真っ暗。ウォーカーと出会うのもまれです。暗い上に寒いということもあります・・・が寒さの本番はこれから。
平爺も目下冬時間?ウォーキングに出るめどは5時30分~6時・・・歳をとったな~(笑)
6時過ぎてもまだ真っ暗、つまずいて転ばないように神経を使って足を進めます。また硬膜下血腫なんていうことになれば笑いものですからネ・・・・。

◆2時間近く歩き、明るくなってくると登校する中学生たちに出会います。部活の朝練かもしれません。最近、何人かの中学生が先に「おはようございます」といってくれます。平爺が「おはよう」の声かけをしているうちに、学生が平爺の顔を覚え、進んで声をかけてくれるようになったのかもしれません。すがすがしく気持ちも和み、こんな日は何か良いことがありそうな気がしてきます(^^♪)


2019.12.18
(水) 『侶』

テレビを見ていて、どっちでもいい疑問が。


『僧侶』・・・誰しも「そうりょ」と読めますね。考えてみると『侶』をよく『りょ』読めるな~という気がします。広辞苑で引くと『りょ』のところに『呂』が載っていますが、『侶』は見当たりません。

『呂』の意味は

   『低い音域』 ②呂旋法の略(?) ③十二律のうち偶数番目に当たる12の音(????)


webで『侶』の意味を調べてみると

 いっしょに連れ立つ仲間。「住侶・僧侶・伴侶」

◆ついでに『僧』とは・・・
仏教の出家修行者に対する総称。とくに男性を僧とよぶのに対し,女性は尼(あま)と呼ぶ。

時間つぶしにしかならないことを・・・ごめんなさいm(__)m

2019.12.17(火) 信濃名物

昨朝5時の気温は-5℃・・・冬本番を感じさせる寒さでした。!!白い息を吐きながら日課のウォーキングに出るのは勇気?がいります。

またお月様さまの話ですみません。
夜明けの遅いこの時期、歩いていても野の花や、民家の庭に咲く花や、遠くの山巓の眺めなど、目を惹きつけたり気を紛らわせたりするものは少ない。晴れていれば星や月を見あげるのがせめてもの楽しみです。

月を友として歩いていると 「信濃では と おらがそば」 と言う句を思い出しました。調べてみましたが作者は不詳。

 

●月・・・姨捨(おばすて)の河岸段丘の田んぼに映る風景

●仏・・・善光寺  言わずとしれた無宗派の古刹。以前は観光旅行コースプランに善光寺を入れると必ず募集人員をオーバーしたと言われる人気寺院。日本最大の木造建築は法隆寺ですが、二番目は善光寺とか。

●そば・・更科蕎麦、食通なら知る人ぞ知るブランド。戸隠蕎麦というのもあります。山村のソバ畑で、ソバの花が北アルプスを背景に咲き競う清楚な眺めはみごと。そば通はぜひともご覧あれ。ソバが一層好きになると思います。 

写真は姨捨棚田に映る月・・・(写真は下記HPからの拝借)。棚田の風景を写生に行ったのを思い出しますが、絵は廃棄してしまい残っていません。

棚田の写真⇒信州千曲観光局 https://chikuma-kanko.com/2018-05-17/post-5046/

2019.12.16(日) 月齢  

月齢18.5(昨朝夜明け)

昨朝のウォーキングは5時半から2時間。前半は少し欠け始めた月を、西の空に眺めながら、勝手知った道を軽い足取りで・・・。月には「月齢」というのがあるのを思い出す。だけど「月齢」の意味は知らない。「齢」ということは年齢を表すのかな・・・。まさか月が生まれてからの歳ではないよネー。人間の赤ん坊を月齢というのは知っていますが・・・。

webで「月齢」を検索するとたくさんヒット。一つ二つ読んでみたが、犬が月(星)をみるようなもので全然理解できない。
 ヒットした中で、なんとなくやさしく書かれているのを読んでも平爺の頭ではダメ。
『新月の時刻から数えて,ある日の正午までの時間を日数を単位にして表したものをいう。1朔望(さくぼう)月(約29.5日)で循環,月の位相の目安になるが,旧暦の日付とは必ずしも一致しない。大体月齢29.5/47.4日が上弦,29.5/214.8日が満月,29.5×3/4)=22.1日が下弦』・・・(まるでチンプンカンプン)

ちなみに昨日の月齢は18.5、12月12日満月の月齢は「15.5」とのこと。日々の暮らしに月齢はまったく関係ありませんから深く考えるのはやめます()

2019.12.15(日) いよいよ・・・  

霜 柱

「いよいよ・・・」 残すはあと半月・・・ということではありません。

カミさんの口から「おとうさんもイヨイヨだわね・・・」のセリフが、一日に一回も出ない日はめったありません。「イヨイヨ」の意味を訳すと「自分では変わらないと思っていても、押しも押されもしない認知症の領域に入ってしまった」ということ。

カミさんが出がけに「お昼は冷蔵庫に用意してあるからそれを食べてネ」と言って出かける。ところがそれを忘れてカップ麺で済ませてしまう。「アラ・・・ちゃんと冷蔵庫に入れておくからと言ったでしょう!!」誰でもそんなことあるよネ~。  えっ!一度もない・・・?

平爺が自分から免許証返納を言い出したのも、重い認知症と認識したわけではありません。確かに脳年齢が退化していることは自覚しています。でも認知症と言われるほどひどくは???

◆5年後には、高齢者の5人に一人は認知症とも言われます。平爺が認知症になっても驚くにはあたりません。人並と思えば気も楽?

物忘れ、置き忘れ、同じことをまた聞く・・・この程度は若くてもよくあること、気にしない気にしない・・・日々の暮らしに問題になることもなく普通に暮らせていますし、2時間のウォーキングでいつもと違うルートを歩いても、迷うことなく帰宅できています。自分では「手のかからない立派な年寄り」と自負しているのだがな~・・・やっぱり変かな~。

認知症、認知症・・・と言われつづけると、本当に重篤な認知症になってしまいそう(笑)

2019.12.14
(土) 満月
 

飯縄山の左方に沈む満月

夜明けがいちばん遅い時期、ウォーキングに出る時間は朝というより夜の続きです。明かりが兆すまで、なるべく街灯のある道を選んで歩きます。今年1月、暗い道で転倒、硬膜下血腫というケガを負ってからは特に注意しています。
 (明るくなるのを待って出発すればいいのに、貧乏人根性がしみついているせいか、目が覚めるとじっとしていられません-笑-)

 暁光の白馬岳?

朝食前に2時間歩くこともあれば、午前・午後2回合わせて計2時間ということもありますが、一日2時間の目途は、よほどのことがない限りクリアしています。これからは積雪であったり、氷点下5℃~10℃という厳しい寒さも珍しくありません。でも気力?で続けたいければと思います。 

ここ2、3日は満月に近い真ん丸お月様、しばし脚を止めて見上げたり、カメラに収めたりと、凍りついた冬の月を楽しんでいます。昨朝の夜明けは、西の空、飯縄山の肩に落ちていく月を、足を止めてしばし見入りました。飯縄山の左後方に見える三角錐の銀嶺は白馬方面の山だろうか。茜色に染まるひとかけらの雲とのコラボが絶妙の早朝ウォーキングでした。

2019.12.13
(金) 「挽歌」
 

12月は、月日がことさらに駆け足で進んでいる気がします。10年、20年前は、これほど早いとは感じなかったのに・・・・。

12/12 満月

12月も半ば、例年なら年賀状に手のかかる時期ですが、さまざまな思いや、欠かせない事情のある先を残して、思い切って本年度(2019年)正月を最後に、翌年(2020年)の年賀状を控えさせていただくことにしました。これも残された家族の負担を考えた上での平爺の断捨離・決断でした。 

断捨離といえば、写真の大整理も実施。本当に残したいものだけを選別、残った写真を別のアルバムに貼る作業がまだ終わっていませんが、残すことにした写真は大雑把に十分の一ほどです。切り捨てるのはつらい作業、一枚一枚に思いが詰まっていて、決断力を強いられる作業でした。年が明けたら新しいアルバムに整理する仕事が残っています。
ふと『挽歌』ということばが頭に浮かびました。コトバンクを牽くと「人の死を悲しみ悼む歌・・・」というような意味があるようです。

2019.12.12
(木) 迷い

 去る9日十観山ハイク
  冬木立の落ち葉を踏んで・・・М氏撮影

運転免許証返納の期限が目の前に近づいてきました。
さしあたって考えなくてはいけないことは、認知症介護施設のボランティアの足をどうするか・・・マイカーで片道30分ほどでしたが、自宅から歩くのは無理、その上直通の交通機関もなし。 いくつかのルートを試しています。

   自宅から徒歩5分の最寄り私鉄駅から12分でK駅下車、それから徒歩30数分(ダイヤは通勤時間帯以外は1時間2本程度)。
   最寄り私鉄駅から長野駅へ。バスに乗り換えて30分~40分、バス停から徒歩数分。合計1時間30分ほど。

比較すると①しかないような気がしますが、年齢のことを考慮すると冬の降雪時にはかなり厳しいと思います。
年初硬膜下血腫で運転が危ぶまれたとき、K駅から送迎するからボラを続けてほしいとの話もいただきました。期待を裏切ることにも忸怩たる思いもあり、何とか続けてきたましたが、できたらあと2~3年は・・・という思いもあります。
難しい決断をしなくてはならないときが日一日と近づいています。

追記-平爺ごときの爺さんでも、施設のお年寄りたちが仲間のように訪問を待っていてくれているのが分かっているだけに、迷いもまた大きなものがあります。
中には、今日は火曜日だからおじさんが来る日だと思って待っていた・・・と言ってくれる方もいます。


2019.12.11(水) 枯野

霜が降りた枯野

平爺の住まいの地名には「柳」がつきます。
柳は、じめじめとした湿気の多いところを好むらしい。地名に「柳が」がつくということは、古くから当地が水に縁の深い多湿地帯だった証でもあります。

湿地を好むヨシ、アシ、マコモ・・・などが、耕作放置されたあとに侵入、群生しています。平爺のウォーキングコースでもよく目につきます。高さ2メートルを越すヨシやアシなどの密生した広い枯れ野を見ながら歩いていると、ふと芭蕉辞世の句と言われる一句が頭に浮かびました。

「旅に病て 夢ハ枯野を かけ廻る」

辞世の句かどうかについては諸説あるとのことです。

2019.12.10(火) 忘年ハイク

昨朝は-5度、厳しい冷え込みでした。

十観山山頂から。北ア鹿島槍ケ岳

昼間は雲一つない快晴、日差しも柔らかく春を思わすような陽気、12月「大雪」とは思えないおだやかな一日でした。恒例となっているМさんとの忘年登山に行ってきました。登ったのは上田市近郊の「十観山-1284m」。
歩行時間は往復2時間あまり、毎日のウォーキングと同じくらいの所要時間でした。
下山後、ソバをすすりながらのひととき、М氏とのひとときは、毎度のことながら癒されます。

思えば年初に硬膜下血腫というアクシデントもあって、今年は登山らしい登山がほとんどできませんでした。小さな山でも登山靴を履いて山道を歩けただけでも何よりと思います。
来年は月に一回程度は登山をしたいものです。  できればいいな~・・・・

2019.12.09
(月) 寺院門前の今月のことば
 

 

この日記に毎月拝借している寺院門前の今月のことば  

「悲しみは 悲しみを知る
      悲しみに救われ 涙は涙にそそがれる
                   涙にたすけらる」

この寺院は千曲川堤防決壊により大きな被害を受けた穂保地区から3㎞ほどしか離れていません。寺院は千曲川に隣接していますが、少し水がついた程度で被害を免れたようです(我が家から寺院までは直線距離にして約1㎞ほど)

今月のことばは、親鸞の歎異抄から発しているということで、歎異抄(高森顕徹著)の御序(あとがき)を読んでみたのですが、平爺の力では理解が及ばず、それらしい説明もできません。関心がおありでしたら下記URLが参考になるかと思います。http://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq0000000lk3.html

2019.12.08
(日) 今日は何の日

 1941(昭和16)年、今から77年前の今日、日本海軍がハワイ・オアフ島真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲爆撃、無謀極まりない太平洋戦争へと突入していった日です。奇襲は成功したかに見え、「日本勝った勝った」と糠喜びに浮かれたのはほんのいっとき。 世界を敵に回しての「世界大戦」、日本が勝てるはずはなく、日本は未曾有の泥沼へと入っていきました。
36ケ月に及ぶ戦争犠牲者は軍民合わせて5千万人とも8千万人とも・・・・。

◆12月8日が何の日か知っている人はどれだけいるでしょうか?世代は代わり、記憶は次第に遠のき薄くなっていくばかり。
12月8日は遠くなりにけり・・・ではいけないと思います。あの戦争がどれほどひどいものであったか8月15日の日本降伏の日と合わせて、私たちは振り返り、決して忘れてはいけない、後世に伝え残していかなくてはいけない・・・そのことを胸に刻んでいます。

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◆開戦のとき、平爺は4才、そして終戦は8才でした。完膚なきまでに打ちのめされた日本は、国民の多くが住む家を失い、飢えと栄養失調に苛まされて戦後を生き抜いてきました。今や国民の大多数は戦争のむごさを知らない世代に変わっています。

◆今日は日本国民懺悔の日でもありますが、アメリカ国民とってはリメンバーパールハーバー-真珠湾を忘れるな」ということです。
日本人はあの戦争を知らない人が圧倒的多数。それは喜ばしいことと同時に、日本人としても「リメンバー パール ハーバー」でなくてはならないと思うのです。

◆そして今や核兵器による大量殺りくが可能な時代、もし世界大戦のようなものが起きたら、敵も味方も・・・いや、人類は滅亡してしまうかもしれない。核兵器の恐ろしさを知る唯一の核被爆国日本が、核兵器拡散防止条約に署名しない現状をどう見たらよいのでしょうか。歴史の教訓を生かせない日本・・・・。世界に誇る日本の平和憲法をどのように変えるというのでしょうか。

(今日の日記は、昨年と同じような内容です)

2019.12.07(土) 二十四節季-「大雪」

古代中国で考案されたという季節を表す方式に「二十四節季・七十二候」という暦がありますが、日常生活にはあまり関係がないように思います。しかし、昔はこれが農耕の大切な目途になっていたということです。
今日までの15日間が小雪-しょうせつ(11/2212/6)」、明日7日から大雪-だいせつ(12/712/21)となります。

里山も雪化粧

◆「大雪」とは、いよいよ本格的な冬の始まりということらしい。
気になるのは降雪量です。以前はそれほど苦にならなかったのに、加齢にともない腰痛が出てきて雪かきの負担感が大きくなってきました。

向こう三軒両隣がきれいに雪かきをしていると、我が家の前だけ積もったままというのも気が引けます。雨は勝手に側溝へ流れてくれますが、雪はそうはいきません。雪かき前に自動車が通って圧雪すると、あとの始末が大変になりますから、早いうちにかたづけなければ・・・雪は厄介ものです。

◆20年ほど前に当地へ引っ越してきた時は「スノーバスター」というボラ会員に加入して、年寄り世帯の雪かきをしていました。歳をとり、いつの間にか我が家だけで精一杯、ボランティアどころではありません。歳をとったな~
春よ来い、早く来い・・冬本番はこれからだと言うのに、なんと気の早いことを・・・

2019.12.06(金) 予防接種


昨日は、インフルエンザの予防接種をしてきました。

黎明 12/05 am7:03
この時期、毎年のことながら「俺はインフルエンザにかかったことがない・・・予防接種はやらない・・・」 「もう歳なんだから絶対にやらなきゃタメよ・・・」そんなバトルのあと、しぶしぶ町医者へ引っ張っていかれました。

◆「阿保は風邪を引かないと言います」…平爺はこれが当たっているのだと思っています。風邪を引いて熱を出したという記憶がないのです。ちょっとおかしいな~と思っても、ひと晩寝るともう何ともない。風邪の方が逃げていってしまうらしい。

ウイキペディアで次のような解説をみつけました。
「馬鹿な者は鈍感なために、冬に風邪を引いても気づくことはなく、夏になってからやっと気づく」または「風邪を引いても気づかないほど愚鈍」とのこと???
風邪を引かなくても、嘘でもいいからたまには「引いた」と言ったほうが良いのかな・・・と馬鹿な爺は思ったりしています。


2019.12.05(木)第二の脳と第二の心臓

ただ歩くことしか能がないかのように、ひたすらウォーキングに精出す平爺。
「歩くことは認知症予防」と信じているからこそです。ほんとうに効果があるの・・・。単調・簡便な歩くことで認知症予防にもなり、健康にも良い・・・と聞けば、技術も、お金も、道具も不要。思いたったその日からやることができる軽便さが魅力。

◆「アンチエイジング」を気にしている平爺のみならず、若い方々にとっても大切とのこと。歩くことを避けて車ばかり使っている人は、20代から脚筋力が低下をはじめ、偏平足や外反母指の要因にもなり、やがては全身の健康に影響を及ぼすほか、認知症リスクも高くなると言われます。逆に言えば「よく歩く人は認知症になりにくい」ということです。 

◆何年か前、2年間の「認知症予防トレーニング師養成初級講座」を受講して資格をいただきました、その講座で頭に焼き付ているのが、脚は「第二の脳」と「第二の心臓」ということばです。

「第二の脳」・・・科学的、医学的な説明は難しくて説明できませんが、歩くことで足の裏から神経を通して、脳に大量の情報が伝達され、脳の活性化に効果があるということです。 

◆「第二の心臓」・・・脚筋肉の収縮が活発化すると、血液が脚から心臓に戻りやすくなる。つまり脚が心臓と同じような循環の働きをし、本来の心臓負担が軽くなる。心臓が二つあるようなもの。 

◆平爺は、今月もしっかり歩いています。下記は歩いた時間です。
      12 1日-2:55  2日-3:00 3日-3:05 4日-2:50  5日-1:50

歩くために生きているような気がすることもあります()

2019.12.04
(水) つづける

鳩--苅田でえさ探し

脚は「第二の脳」、「第二の心臓」と言います
『認知症予防脳トレ士養成講座』を受講し
たときにも【足は「第二の脳」、「第二の心臓」】ということを教えてもらいました。

昨日のウォーキングは朝食前に1時間50分、昼寝のあとに1時間10分 。計3時間。

技術は関係なく、ただ歩くだけで脳トレになると聞けば、誰しも“それじゃあやってみるか・・・という気になると思いますが・・・しかし『続ける』ということがけっこう難題。
平爺は40歳ころからジョギング開始、そしてランニングへと向かいました。70歳に手が届くころからは負担の軽いウォーキングに転向、今日までほとんど休日はなく続けてきました。

今年は年初に硬膜下出血という重大な?アクシデントに遭遇しましたが、ウォーキングは一日も休まず続けています。あと少しで今年もウォーキング皆勤です。認知症予防をかねて、歩けるうちはもう少し頑張るつもり。「つづける」は平爺の座右の銘ですから。

足は「第二の脳」、「第二の心臓」のことはまた後日。

2019.12.03
(火) 今日は何の日-島原キリシタン籠城の乱
 

1/3~12/10日の日没は、年間でいちばん早い431分。日の出がいちばん遅いのは12日の700分。夜が明けたら思ったら、あれあれ・・・と思う間にもう夕暮れ。そんな気がします--少しオーバーかな?。
ウォーキングのスタートを遅くして5時半過ぎにしていますが、それでもまだ夜明け前。
時間は1時間半から2時間ほどです。
 

大千軒岳中腹
キリシタン殉教のモニュメント

1637の今日は、幕府による島原キリシタン弾圧に抗して信徒が立ち向かい籠城した日とのこと。天草四郎をリーダーとして貧しい農民たちは弾圧に抵抗、そして老若男女を問わず全員が拷問などにより処刑されということです。まさに悲劇の歴史です。

◆島原とは関係ありませんが、北海道渡島半島に大千軒岳(標高1,072m だいせんげんだけ)という山があります。北海道で最初に一等三角点が設置された山で、日本300名山の一座として19958月に登頂しました。この山には、松前藩による隠れキリシタン106人が処刑-殉教-という悲しい歴史があります。5合目の金山番所跡にそのモニュメントのあったのを思い出しました。

★大千軒岳登頂の記録 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub1193.htm

2012.12.02(月) 似たものXX

何十年も連れ添うと、夫婦は顔まで似てくると言われます。

◆霞が関ホールを盛り上げ、苦笑を誘った芸人コンビは晋三・昭恵ご両人。
夫の疑惑問題が取りざたされると、決まって陰のように相方の昭恵夫人の名前が登場して会場を沸かせる。夫唱婦随のお手本、何と仲睦まじい息のあったご両人。総理の椅子をいつ降りても、お笑いタレントとして十分やっていけそう() 森友、加計、そして花見のお誘い・・・この絶妙のタックルはまさに夫婦の鑑。

   冬本番 -4℃ 水たまり凍結
          季節も政治もお寒い冬

◆辟易しながらも目をこらして報道・解説などを見ていると「何だこりゃ~」 亭主が能なしだから妻のつっこみが欠かせないのか? もしかすると司令塔は妻昭恵夫人の方?そんな錯覚に陥りそうです。目をこすってもう一度見直すと、日本丸の陰の船長は夫人だった・・・なんちゃって??? こういうの「糟糠の妻」というのかな~。それとも二人合わせて一人前・・・よく言えば「夫唱婦随」いや「婦唱夫随」()

◆これだけ疑惑とスキャンダルにまみれながら、なお政権の座に居座り、とどまっていられるのは、限りなく寛容な国民があってこそ・・・・情けない。
イギリスの格言
 『国民は自分のレベル以上の政治家を選ぶことが出来ない』
手の施しようのない国政の現状。「政治は国民を写す鏡」 国民が試されている。

【追記】何とか乗り切ってきた安倍丸も、賞味期限が限界に達したように見えます。この期に及んで、もう小手先の器用さは通じないと思うのですがネー。一日も早い退陣は日本のためには大変良いこと、そうした意味で足を引っ張る妻(昭恵夫人)の存在は貴重?賞状授与に値する功績? 以上は報道などに感化された平爺の感想です。

2019.12.01(日) 師走
北アルプス黎明・11/30am 6;50

昨朝のウォーキングは、北アルプスの銀嶺が眩しく輝いて見えました-早起きは三文の得。

◆今年ももう師走。月日の経つのが何と早いことよ。
「師走」の「師」は僧侶を指していて、年の暮れは僧侶が忙しく走り回るというところから「師走」と言うようになったらしい。師走のほかに「晩冬(ばんとう)・春待月(はるまちづき)・苦寒(くかん)・三冬月(みふゆづき)・歳極月(としはすづき)」などさまざまな呼び名があるようです。
(参照 https://boxil.jp/beyond/a5395/

♪秋の夕日に 照る山紅葉・・・錦秋の風景も終わって、山は半年近い冬眠に入りました。残念ながら今年は紅葉狩りの機会がありませんでした。この歳になると「来年に・・・」とか「来年こそは・・・」の意味がうつろになった来ます。やりたいこと、やっておかなくていならないことは、即実行しかありません。
それが下り坂をとぼとぼと歩く老いというもの。焦らない焦らない。焦ったって良いことはない。
わかっているのに「来年は・・・」という未練がましい思いが捨てきれないのが、凡人の凡人たる所以でしょう。

◆本年も11月まで日課のウォーキング皆勤、あと1ケ月で年間皆勤賞~だれかくれるのかな?

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