2019年 12月
前月(11月)へ 『がん・人口肛門からの出発』トップヘ 山岳巡礼のトップへ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2019.12.31(火)大晦日-おおみそか 大晦日は12月31日、小晦日は12月30日、 晦日は毎月の最後の日・・・誰でも知っていますよね。 【思いつくままにこの1年を振り返ってみました】 ①
硬膜下血腫(1月)・・・命に係わるほどの重症でなかったのが幸いでしたが、脳も体も老化が加速。それを一層認識させられた一年でもありました。 ②
ウォーキング365日無休・・・合計796時間(一日平均2時間10分) ③ パソコンダウン、復旧まで2ケ月・・・一時はHPからの撤退も考えました ④
週2回の認知症介護施設ボランティァは10年経過、よく続いたと自画自賛 ⑤
PC故障時以外は、「よもやま日記」無休。時には反感を呼び、軽蔑され・・・少しだけ頷いて下さったこともあったかもしれません。 ⑥ 30年余り、とりつかれたように取り組んできた登山も、実質的には卒業の年になりました。そのショックは計りしれません。 (あの世へ半歩足を踏み入れた老いぼれ爺のたわごと「よもやま日記」も、皆様のアクセスを力に来年もつづけていきたいと思っています)
気象ことば・・・「朝霧は好転のしるし」 火を使わずにすめば安心ですが、寒地ではそうはいきませんし、冬季の光熱費もばかになりません。昨朝は-5℃、夜明け前の寒気を押してウォーキングに出るのも勇気が。 面白い標語を目にしました。 『焼き芋焼いても 家焼くな』 ふざけているようですが、なかなかの上出来。
日記に書くのは取りやめようと思ったのですが、ありのままをアップさせていただくことにしました・・・とお断りするほどの話ではありませんが、先日の第九演奏会で観客のマナーで気になったことがあります。こんなにひどいことははじめて。 ◆山国育ちで井の中の蛙の平爺、若いころ上京して初めてクラシック音楽会へ連れていってもらったときに先輩から教わった心得があります。 今どきの若者たちは、アイドルなどのコンサートでステージと一体になって大騒ぎするのは普通。ところが時代は移ろってもクラシック音楽にはそれなりのマナーが。お高く留まっているわけではありません。じっくりと演奏に浸り、味わうために必要なこと。演奏中に出入りしない、席を立たない、ひそひそ話をしない・・・など。先日の第九を聴きに行ったとき大変気になり不愉快な思いをしました。 ●平爺の右斜め前の席に座っていた小学3~4年生くらいの男の子。退屈したのしょう。演奏中に椅子を立ったり座ったり横になっりと動きっぱなし、後ろに座る父親(平爺の右隣の椅子)に話しかける、父親はそれにこたえる。気が散って演奏に集中できませでした。 ●平爺のすぐ後ろの席では、たぶん熟年(初老)らしい女性、紙袋らしきものをいじってカサカサ・・・ゴソゴソ・・・一度や二度ではなく何回も・・・何か食べていたのかもしれないが、飲食もご法度です。 多分クラシック演奏会のマナーなど知らないご仁なのか? 騒々しい若者向きコンサートと勘違いしていたのかもしれません。
残念ながら雲に覆われ、日食を見ることはできませんでした。写真は去る20日の三ケ月です。 平爺が社会人となった数十年前、大晦日は年間でいちばん忙しい日。深夜まで仕事、ときには元旦の始電が動くのを待って帰ることも。そして正月3ケ日だけ休んで4日からは通常の勤務。年末年始の帰省もままらず、ゆっくり休めるサラリーマンがうらやましく妬ましく感じたのを思いだします。 ところで「御用納め」とか「仕事納め」その違いは? 調べてみると ◆御用納め」は「官庁御用納め」とも。「御用」は役所や官公庁などの行政機関での公務で、「納める」は「片づける」に通じ、「御用納め」はその年のなすべき業務すべてを片づける日「仕事の最終日」という意味で、12月28日にあたるとのこと。 ◆「仕事納め」は一般的には民間企業などで使われるが、画一的なものはなく、企業それぞれが事情を考慮して決めている。
高齢になると運転マナーより技能の方が問題かもしれません。 『信号機のない横断歩道での一時停止率は17.1%。前年比2倍に改善されても、まだ8割り以上が止まらないという結果に』 記載されている県別の停止率(%)は以下のとおり。ベスト5位。 上位5県・・・長野66.1 静岡52.8 兵庫43.2 島根41.2 新潟36.2 前回の調査でも長野県はトップ。これは大いに誇りたいと思います。どんなに急いでいても、平爺は、待っている横断者が目に入れば必ず停止します。 停止率5%未満の県をwebで調べてみると15県ありました。一時停止に慣れている県の方は、一時停止率の低い県へお出かけの際にはご用心ください。 参照https://jaf.or.jp/common/safety-drive/library/survey-report/2018-crosswalk
歌を唄ったり、言葉作り (いろは50文字を3cm四方の紙に一字づつ書いたカードをテーブルの上にランダムに置き、そのカードで言葉を作る) をしたりして1時間ほど遊び、最後に蛍の光を唄って今年の仕事納めとしました。 今年は、年明け早々に硬膜下血腫という珍事に遭ったものの、毎週火・水曜日はほとんど欠かさず訪問することができました。ただしマイカーとちがい、電車(約10分)と徒歩(約40分)の通勤?は楽ではありりません。これから積雪のときは厳しいな~。 ◆「続ける」が平爺の座右の銘とは言え、年ごとに気力も体力も衰えを感じる昨今、最後の一線で頑張っているという気がします。このボラも10年過ぎましたが、もう少し頑張ってみるつもりです。 2019.12.25(水) 年賀状投函-元日配達は本日中に
昨日の介護施設ボラで、「仏教の開祖」は誰かを尋ねてみました。誰も「お釈迦さま」と答えられませんでした。急な質問で答えられなかったのかもしれません。 ◆この歳になると、八十路の坂をトボトボと・・・と思っていたが、過ぎてみれば転がり落ちるようなスピードで、あっという間の一年。 ◆そういえば、年賀状の減少が止まらないらしい。1949年に年賀はがきが発売されてから1964年10億枚、1973年20億枚を、2003年には44億5千万枚。 メールやSNSという手っ取り早い方法があれば、面倒な年賀状はすたれても仕方ない運命?平爺も縮小してわずかばかりになった年賀状を、先日投函してきました。さまざまな事情・思いもあり、また相手方も楽になるだろうとの思いもこめての縮小。年賀状から手を引いた記念の年?になりました。 指揮はNHK交響楽団、東京フィルなど多くのオーケストラの指揮にあたってきた実力指揮者、6人の歌唱ソリストも実力者ということです。 ⦿ソプラノ93名 ⦿アルト93名 ⦿テノール54名 ⦿バス58名 妻のパートはアルト、歌が好きで高校生のころからコーラスにかかわり、年季だけは一人前です。第九の合唱に初めて参加したときは、歌詞を原語で覚えるのに苦労。台所で料理をしながら毎日発音練習をしていたものです。 ◆演奏会のフィナーレ⇒オケ以外の出演者全員が手に濃紺色のベンライトを。楽団が「きよしこの夜」の演奏をはじめると満員2000人の観客も一緒になっての大合唱、演奏が蛍の光に変わると、会場は厳粛にもいっそう重厚な雰囲気に変わり、音痴の平爺も体全体で声をだすつもりで一緒に歌わせてもらいました。舞台も観客も一体となり、盛り上がり、楽しかったコンサートの幕が下りました。 ◆蛍の光合唱のとき、「妻も平爺も元気でなければもう聞くことはできない・・・もしかするとこれが最後になることも・・・ふと脳裏にかすめると自然に涙があふれて止まりませんでした。妻が合唱の一員として参加してきた何回もの第九コンサートで、今回がいちばん印象に残るアットホームな良い第九演奏会でした。 webで「12月23日・今日は何の日」をチェックすると
ふみの日・歩民(府民)の日・天麩羅の日・乳酸菌の日・国産小ねぎ消費拡大の日・踏切の日 (昨22日は『夫婦の日・禁煙の日』でした) ◆昨日は二十四節気の冬至、一年で昼が最も短い日。ゆず湯でひと風呂浴びて「さて熱燗・・・」といきたいところですが、寒い北信濃は柑橘類の栽培には適しません。我が家は柚=ユズの代わりにリンゴ湯。リンゴは知り合いや妻の友人が差し入れてくれます。商品として不適なキズリンゴなどを惜しげもなく湯船に浮かべて・・・食べませんよ(笑)。 リンゴの香りを楽しむ湯もまた良し。なんだか長生きできそうな気分(笑) ◆ゆず湯は血行が良くなり身体が温まるため、風邪予防の効果があり、皮膚を強くするとか。合わせてかぼちゃを食べると霊験あらたかというが?
今年も残すは一週間あまり。今年は明けて早々、ウォーキング中の転倒で硬膜下血腫という変なケガを負ってのスタートでした。何とか永らえて?年が越せそうです。けっこうしぶといジジイ・・・です。 「第九」とはベートーヴェン作曲交響曲第九番の略。有名な「運命は」は第五番。 ◆幸いにというのか、長年にわたり妻が女性コーラスと縁があって、これまでにも第九演奏会の合唱メンバーとして毎年のように歌ってきました。中でも佐渡裕指揮・大阪城ホールⅠ万人の第九公演がいちばん記憶に焼き付いているようです。
追記・・・「第九」を作曲したときは、ベートーヴェンの耳はほとんど聞こえていなかったとのことです。 表題は先日のウォーキングの折に目について標語です。神社鳥居の脇に立っていました。 掲記のような標語があるということは、それを必要としている背景があってのこと。この地区PTAの誰かが考えた標語か、あるいは一般化しているのかと思いweb検索してみましたが同じ標語はヒットしません。全国に広がってほしい標語です。 平爺の子供のころ、学校から帰ると隣近所のチビガキが暗くなるまで外で遊びまくっていたのを思い出します。今はほとんど目にしなくなった光景です。 ウォーキングを兼ねて、10何日かぶりで水害被災の現地を訪れてみました。
空き地という空き地に、山のように積み重なっていた被災ゴミは、おおかた片付いいましたが、灯火の見える家は皆無に近い状態。つまり無人の集落。
平爺も目下冬時間?ウォーキングに出るめどは5時30分~6時・・・歳をとったな~(笑) 6時過ぎてもまだ真っ暗、つまずいて転ばないように神経を使って足を進めます。また硬膜下血腫なんていうことになれば笑いものですからネ・・・・。 ◆2時間近く歩き、明るくなってくると登校する中学生たちに出会います。部活の朝練かもしれません。最近、何人かの中学生が先に「おはようございます」といってくれます。平爺が「おはよう」の声かけをしているうちに、学生が平爺の顔を覚え、進んで声をかけてくれるようになったのかもしれません。すがすがしく気持ちも和み、こんな日は何か良いことがありそうな気がしてきます(^^♪) 2019.12.18(水) 『侶』 テレビを見ていて、どっちでもいい疑問が。
時間つぶしにしかならないことを・・・ごめんなさいm(__)m
月を友として歩いていると 「信濃では 月と仏と おらがそば」 と言う句を思い出しました。調べてみましたが作者は不詳。 ●月・・・姨捨(おばすて)の河岸段丘の田んぼに映る風景 ●仏・・・善光寺 言わずとしれた無宗派の古刹。以前は観光旅行コースプランに善光寺を入れると必ず募集人員をオーバーしたと言われる人気寺院。日本最大の木造建築は法隆寺ですが、二番目は善光寺とか。 ●そば・・更科蕎麦、食通なら知る人ぞ知るブランド。戸隠蕎麦というのもあります。山村のソバ畑で、ソバの花が北アルプスを背景に咲き競う清楚な眺めはみごと。そば通はぜひともご覧あれ。ソバが一層好きになると思います。 写真は姨捨棚田に映る月・・・(写真は下記HPからの拝借)。棚田の風景を写生に行ったのを思い出しますが、絵は廃棄してしまい残っていません。 棚田の写真⇒信州千曲観光局
昨朝のウォーキングは5時半から2時間。前半は少し欠け始めた月を、西の空に眺めながら、勝手知った道を軽い足取りで・・・。月には「月齢」というのがあるのを思い出す。だけど「月齢」の意味は知らない。「齢」ということは年齢を表すのかな・・・。まさか月が生まれてからの歳ではないよネー。人間の赤ん坊を月齢というのは知っていますが・・・。 ちなみに昨日の月齢は18.5、12月12日満月の月齢は「15.5」とのこと。
「いよいよ・・・」 残すはあと半月・・・ということではありません。 カミさんの口から「おとうさんもイヨイヨだわね・・・」のセリフが、一日に一回も出ない日はめったありません。「イヨイヨ」の意味を訳すと「自分では変わらないと思っていても、押しも押されもしない認知症の領域に入ってしまった」ということ。 カミさんが出がけに「お昼は冷蔵庫に用意してあるからそれを食べてネ」と言って出かける。ところがそれを忘れてカップ麺で済ませてしまう。「アラ・・・ちゃんと冷蔵庫に入れておくからと言ったでしょう!!」 平爺が自分から免許証返納を言い出したのも、重い認知症と認識したわけではありません。確かに脳年齢が退化していることは自覚しています。でも認知症と言われるほどひどくは??? ◆5年後には、高齢者の5人に一人は認知症とも言われます。平爺が認知症になっても驚くにはあたりません。人並と思えば気も楽? 物忘れ、置き忘れ、同じことをまた聞く・・・この程度は若くてもよくあること、気にしない気にしない・・・日々の暮らしに問題になることもなく普通に暮らせていますし、2時間のウォーキングでいつもと違うルートを歩いても、迷うことなく帰宅できています。自分では「手のかからない立派な年寄り」と自負しているのだがな~・・・やっぱり変かな~。 認知症、認知症・・・と言われつづけると、本当に重篤な認知症になってしまいそう(笑)
夜明けがいちばん遅い時期、ウォーキングに出る時間は朝というより夜の続きです。明かりが兆すまで、なるべく街灯のある道を選んで歩きます。今年1月、暗い道で転倒、硬膜下血腫というケガを負ってからは特に注意しています。
朝食前に2時間歩くこともあれば、午前・午後2回合わせて計2 ここ2、3日は満月に近い真ん丸お月様、しばし脚を止めて見上げたり、カメラに収めたりと、凍りついた冬の月を楽しんでいます。 12月は、月日がことさらに駆け足で進んでいる気がします。10年、20年前は、これほど早いとは感じなかったのに・・・・。
12月も半ば、例年なら年賀状に手のかかる時期ですが、さまざまな思いや、欠かせない事情のある先を残して、思い切って本年度(2019年)正月を最後に、翌年(2020年)の年賀状を控えさせていただくことにしました。これも残された家族の負担を考えた上での平爺の断捨離・決断でした。 断捨離といえば、写真の大整理も実施。本当に残したいものだけを選別、残った写真を別のアルバムに貼る作業がまだ終わっていませんが、残すことにした写真は大雑把に十分の一ほどです。切り捨てるのはつらい作業、一枚一枚に思いが詰まっていて、決断力を強いられる作業でした。
運転免許証返納の期限が目の前に近づいてきました。
比較すると①しかないような気がしますが、年齢のことを考慮すると冬の降雪時にはかなり厳しいと思います。
追記-平爺ごときの爺さんでも、施設のお年寄りたちが仲間のように訪問を待っていてくれているのが分かっているだけに、迷いもまた大きなものがあります。
平爺の住まいの地名には「柳」がつきます。 湿地を好むヨシ、アシ、マコモ・・・などが、耕作放置されたあとに侵入、群生しています。平爺のウォーキングコースでもよく目につきます。高さ2メートルを越すヨシやアシなどの密生した広い枯れ野を見ながら歩いていると、ふと芭蕉辞世の句と言われる一句が頭に浮かびました。 「旅に病て 夢ハ枯野を かけ廻る」 辞世の句かどうかについては諸説あるとのことです。
昨朝は-5度、厳しい冷え込みでした。
昼間は雲一つない快晴、日差しも柔らかく春を思わすような陽気、12月「大雪」とは思えないおだやかな一日でした。恒例となっているМさんとの忘年登山に行ってきました。登ったのは上田市近郊の「十観山-1284m」。
◆思えば年初に硬膜下血腫というアクシデントもあって、今年は登山らしい登山がほとんどできませんでした。小さな山でも登山靴を履いて山道を歩けただけでも何よりと思います。 この日記に毎月拝借している寺院門前の今月のことば 「悲しみは 悲しみを知る
この寺院は千曲川堤防決壊により大きな被害を受けた穂保地区から3㎞ほどしか離れていません。寺院は千曲川に隣接していますが、少し水がついた程度で被害を免れたようです(我が家から寺院までは直線距離にして約1㎞ほど)
◆12月8日が何の日か知っている人はどれだけいるでしょうか?世代は代わり、記憶は次第に遠のき薄くなっていくばかり。 *********************************************** ◆開戦のとき、平爺は4才、そして終戦は8才でした。完膚なきまでに打ちのめされた日本は、国民の多くが住む家を失い、飢えと栄養失調に苛まされて戦後を生き抜いてきました。今や国民の大多数は戦争のむごさを知らない世代に変わっています。
◆今日は日本国民懺悔の日でもありますが、アメリカ国民にとっては「リメンバーパールハーバー-真珠湾を忘れるな」ということです。 ◆そして今や核兵器による大量殺りくが可能な時代、もし世界大戦のようなものが起きたら、敵も味方も・・・いや、人類は滅亡してしまうかもしれない。核兵器の恐ろしさを知る唯一の核被爆国日本が、核兵器拡散防止条約に署名しない現状をどう見たらよいのでしょうか。歴史の教訓を生かせない日本・・・・。世界に誇る日本の平和憲法をどのように変えるというのでしょうか。 (今日の日記は、昨年と同じような内容です) 古代中国で考案されたという季節を表す方式に「二十四節季・七十二候」という暦がありますが、日常生活にはあまり関係がないように思います。しかし、昔はこれが農耕の大切な目途になっていたということです。
◆「大雪」とは、いよいよ本格的な冬の始まりということらしい。 向こう三軒両隣がきれいに雪かきをしていると、我が家の前だけ積もったままというのも気が引けます。雨は勝手に側溝へ流れてくれますが、雪はそうはいきません。雪かき前に自動車が通って圧雪すると、あとの始末が大変になりますから、早いうちにかたづけなければ・・・雪は厄介ものです。 ◆20年ほど前に当地へ引っ越してきた時は「スノーバスター」というボラ会員に加入して、年寄り世帯の雪かきをしていました。歳をとり、いつの間にか我が家だけで精一杯、ボランティアどころではありません。歳をとったな~
◆「阿保は風邪を引かないと言います」…平爺はこれが当たっているのだと思っています。風邪を引いて熱を出したという記憶がないのです。ちょっとおかしいな~と思っても、ひと晩寝るともう何ともない。風邪の方が逃げていってしまうらしい。 ウイキペディアで次のような解説をみつけました。 「馬鹿な者は鈍感なために、冬に風邪を引いても気づくことはなく、夏になってからやっと気づく」または「風邪を引いても気づかないほど愚鈍」とのこと??? 風邪を引かなくても、嘘でもいいからたまには「引いた」と言ったほうが良いのかな・・・と馬鹿な爺は思ったりしています。 2019.12.05(木)第二の脳と第二の心臓 ただ歩くことしか能がないかのように、ひたすらウォーキングに精出す平爺。 ◆「アンチエイジング」を気にしている平爺のみならず、若い方々にとっても大切とのこと。歩くことを避けて車ばかり使っている人は、20代から脚筋力が低下をはじめ、偏平足や外反母指の要因にもなり、やがては全身の健康に影響を及ぼすほか、認知症リスクも高くなると言われます。逆に言えば「よく歩く人は認知症になりにくい」ということです。 ◆何年か前、2年間の「認知症予防トレーニング師養成初級講座」を受講して資格をいただきました、その講座で頭に焼き付ているのが、脚は「第二の脳」と「第二の心臓」ということばです。 「第二の脳」・・・科学的、医学的な説明は難しくて説明できませんが、歩くことで足の裏から神経を通して、脳に大量の情報が伝達され、脳の活性化に効果があるということです。 ◆「第二の心臓」・・・脚筋肉の収縮が活発化すると、血液が脚から心臓に戻りやすくなる。つまり脚が心臓と同じような循環の働きをし、本来の心臓負担が軽くなる。心臓が二つあるようなもの。 ◆平爺は、今月もしっかり歩いています。下記は歩いた時間です。 歩くために生きているような気がすることもあります(笑)
脚は「第二の脳」、「第二の心臓」と言います。 昨日のウォーキングは朝食前に1時間50分、昼寝のあとに1時間10分 技術は関係なく、ただ歩くだけで脳トレになると聞けば、誰しも“それじゃあやってみるか・・・という気になると思いますが・・・しかし『続ける』ということがけっこう難題。
12/3~12/10日の日没は、年間でいちばん早い4時31分。日の出がいちばん遅いのは1月2日の7時00分。夜が明けたら思ったら、あれあれ・・・と思う間にもう夕暮れ。そんな気がします--少しオーバーかな?。
◆1637年の今日は、幕府による島原キリシタン弾圧に抗して信徒が立ち向かい籠城した日とのこと。天草四郎をリーダーとして貧しい農民たちは弾圧に抵抗、そして老若男女を問わず全員が拷問などにより処刑されということです。まさに悲劇の歴史です。 ◆島原とは関係ありませんが、北海道渡島半島に大千軒岳(標高1,072m だいせんげんだけ)という山があります。北海道で最初に一等三角点が設置された山で、日本300名山の一座として1995年8月に登頂しました。この山には、松前藩による隠れキリシタン106人が処刑-殉教-という悲しい歴史があります。5合目の金山番所跡にそのモニュメントのあったのを思い出しました。 ★大千軒岳登頂の記録 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub1193.htm 何十年も連れ添うと、夫婦は顔まで似てくると言われます。 ◆霞が関ホールを盛り上げ、苦笑を誘った芸人コンビは晋三・昭恵ご両人。
◆辟易しながらも目をこらして報道・解説などを見ていると「何だこりゃ~」 ◆これだけ疑惑とスキャンダルにまみれながら、なお政権の座に居座り、とどまっていられるのは、限りなく寛容な国民があってこそ・・・・情けない。 2019.12.01(日) 師走
昨朝のウォーキングは、北アルプスの銀嶺が眩しく輝いて見えました-早起きは三文の得。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前月(11月)へ 『がん・人口肛門からの出発』トップヘ 山岳巡礼のトップへ |