2019年 11月

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2019.11.30(土)『昭和は遠くなりにけり』

初雪・・・11/29日

 昨朝は平年より11日遅い初雪、自動車のフロントに薄く積り、気温は-2℃。11/22~12/6は二十四節気の[小雪」。
雪は少な目に、そして気温もほどほどの冬になりますように。

◆明日から師走、振り返れば超特急に乗ってきたような気がします。
俳人・中村草田男の「降る雪や 明治は遠く なりにけり」はよく知られた句。昭和6年に詠んだ句らしい。この句は明治という元号が大正、そして昭和へと変わりゆく年月に思いをこめて「明治は遠くなりにけり」と詠んだ句で、明治が終わってから約20年後の作。

◆平爺は昭和12年(1937年)生まれ。昭和という激動の時代が終わってから29年が経ちます・・・草田男の時代よりスピードを上げて変遷していく昨今、昭和は遥かな時代へと忘れ去られていくような気がします。「降る雪や 昭和は遠く なりにけり」

ふと、「昭和は何年まであったかな~」とっさに思い出せず戸惑うことがあります。西暦表記でいいものはすべて西暦で通してきた平爺には、和暦は煩わしく苦手です。

明日から師走。本年1月下旬に硬膜下血腫というアクシデントがあったりして、2019年はあっという間に幕を下ろすことになりそうです。

2019.11.29
(金) 晩秋の青空に柿ひとつ

ウォーキングの途中 

晩秋、平爺の頭には「柿ひとつ とり残してや 秋の暮れ」が浮かんできます。この句は平爺の自作でないことは確か(笑)
だれかの句が頭にこびりついているのか・・・晩秋を迎えるころに目に浮かぶ定番の風景です。
子供のころ、徒歩1時間弱の母の実家へ行くと大きな甘柿の木がありました。終戦後のひどい食糧難時代、その柿が食べたくて母についてよく行ったものです。

「柿は木がもろいで気をつけろよ」と注意を受けて木に上ったのを思い出します。しっかりした枝に見えても、不用意に体重をかけるとポキッと折れてしまうことがよくあります。

◆取りつくしても、てっぺん近くには一つだけ残しておけと言われます。来年もしっかりと実をつけてほしいという願いと、鳥へのおすそ分けの意味もあったようです。残らず取りきった木のてっぺん付近に、橙(だいだい)色の柿が一つだけ残された風景は、秋の高い青空にも映えて、子供ごころにも印象に残る風景でした。
今年も、いただきものの柿と、買ってきた柿、合わせて70個ほどを吊るし柿にしました。

⦿一つだけ取り残す柿を「木守柿」というそうです。

2019.11.28
(木) ローマ法王・・・長崎・広島でのスピーチ

来日したローマ法王は、原爆被災都市の長崎・広島を訪問されたとのこと。
長崎では「核兵器や大量破壊兵器を所有することは、平和と安定の望みへの最良の答えではない」と世界に向けて核兵器廃絶を求めるメッセージを発信。
広島でも「戦争のために原子力を使用することは犯罪だ」と訴えたとのことです。

待たれる日本の曙光

片や日本の総理は、長崎・広島の原爆の日の式典に顔を出し?「核兵器や大量破壊兵器を所有することは、平和と安定の望みへの最良の答えではない」と世界に向けて核兵器廃絶を求めるメッセージを発信。広島でも「戦争のために原子力を使用することは犯罪だ」と訴え、さらに「核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます」と演説をぶちあげました。

ところが現実に目を向けると、唯一の被爆国である我が日本は核不拡散条約に、いまだ調印しないのは矛盾としか映りません。原爆を実際に使用した米国への気兼ねでしょうか。

このような総理をいただく国民は幸せか?残念ながら世界非核化の先頭に立つべく気概はまったく伝わって来ないのが残念です。

2019.11.27(
) 水害と一茶句碑

水害復興支援で駆けつけた自衛隊。我が家にほど近い大きな駐車場に数十台のトラックなどが駐車していましたが、少しづつ車両数がへってきて、3日ほど前にはすべてなくなりました。命をかけるような戦いではありませんが、1ケ月半に及ぶ駐留()は大変だったことと思います。ご苦労様。 

流木などに埋まるリンゴ畑

◆妻が被災の現場を見ておきたいとのことで、数日前に一緒にいってきました。直線距離で我が家から3~4kmほどです。被災現場へは車が入れないため、離れたところへ駐車、徒歩での視察?です。当日は土曜日ということもあって、地元の高校生らしい若者や遠来と思われるボラの人たちがスコップや、手押し車を使って奮闘していました。被災廃棄物などの山は以前よりかなり片付いていましたが、住める状況でないことはひと目でわかります。
日が短くなり厳しい冬は目前。時間を惜しんで片付けに追われている姿に胸が痛みました。
いつの日か、被災住民の方々はここへ戻り、以前の生活を取り戻せるのでしょうか?無人となったこの集落が復元できればいいのですが。

 ◆昨年一茶の句碑めぐりをしたのは虫の知らせか、ほとんどが今回の水害に遭ったところです。

   「春風や 犬の寝そべる わたし舟」――妙笑寺の句碑は見つかりませんでした
   「首たけの 水にもそよぐ 穂麦かな」――洪水を読んだ句

昨年訪ねた句碑はいずれも被災地のど真ん中、まさか1年後にこのようなことになろうとは思いもしませんでした。
虫の知らせだったのかもしれません。

2016.11.26(
) 落葉の季節

 
10年前の水彩画 「秋」 P8号

色どり賑やかに着飾り、目を楽しませてくれた善光寺平を囲繞する山々、冬を間近にして落葉を急ぎ、色も褪せてきました。

紅葉に染まった山々を眺めていてふと思い出しました。「湖畔の乙女」という流行歌。西条八十作詞、歌手は菊池章子。平爺が高校生のころかな~。なぜかかすかに脳裏に残されています。webで歌詞を探してみました。

♪ 落ち葉散る散る山あいの 青い静かな湖恋し
    星かすみれか真珠の玉か 乙女心の夢の色 夢の色

♪ 清い乙女の故郷は 星の彼方か野花の果てよ
    水の瀬音が小鳥の歌が 忘れられない夢を呼ぶ 夢を呼ぶ

   ♪ 濡れたまつげを閉じるとき  見えるふるさと湖水の村よ
     馴れたあの路小馬に揺られ 越えて帰るはいつの日ぞ  いつの日ぞ

十和田湖か奥入瀬渓谷の紅葉をイメージしているとか。いかにも若き乙女の心をつかむような歌詞・・・今ごろの女の子はそれほど純真無垢ではないか() 今でも何とか歌えそうな気もしますが・・・。

2019.11.25(
) 歯茎-はぐき-の日

 黎明白銀のアルプス遠望-千曲川堰堤より
 


毎月25日は「歯茎」の日だそうです。Webで偶然目にしました。毎日休むことなく頑張っている歯を元気に保つためにお手入れを・・・という趣旨で佐藤製薬によって制定されたとか???

身体の健康維持のために歯の役割が大きいことは承知していますが、ほとんうに毎日丁寧に手入れしているかというと?自信のない方も多いのかもしれません。特に若くて元気なうちは。

◆「8020(ハチマルニイマル)運動」・・・ご存知の方が多いと思います。1989年、厚生省と日本歯科医師会が「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という趣旨でスタートした運動。20本以上元気な歯があれば、満足する食生活が営めるということらしいです。

いつのころからか、毎年正月明けを目途にして歯医者で点検してもらい、歯垢をとってもらったりしていましたが、今年は年明け早々硬膜下血腫というアクシデントに遭遇、歯医者をさぼってしまいましたが、この1年も歯に悩まされることなく過ごすことができました。

年が明ければ83歳、元気な歯は余裕十分で20本以上をキープしています。年が明けたら歯医者へ行くつもりです。


2019.11.24(
) 目の敵(かたき)の高齢者運転

11/23 AM5;50ころ

今月も残り1週間、師走は目の前。どうしても頭に浮かぶのは自動車運転免許証返納のこと。もう後がありません。自分で自分を縛るために宣言した免許証返納の期限は12月末、あと1か月です。
硬く決心したつもりでも・・・その日が近づくにつれて気持ちが揺らぐことがないというのはやせ我慢。正直なところ寂しさはつのります。

硬膜下血腫というアクシデントもあって登山は卒業、それに伴って車のハンドルを握るのは認知症介護施設へのボラくらい。片道30分ほどです。
マイカー別離の心構えを翻すことはありませんが・・・・でもこの決意はちょっぴり後悔あり?

年明けからは、自動車がどうしても必要なときは妻に乗せてもらうことにしています。年内に電動自転車を購入する予定ですが、気にかかるのはボランティアの足・・・電車-バス-徒歩合わせドア・ツー・ドアて約1時間。続けられるかどうか目下試案中です。

2019.11.23(土
) 叱られて

童謡唱歌の「叱られて」・・・子供のころ、歌ったり聞いたりした記憶がないという人はいないと思います。

夕焼け

作詞:清水かつら

♪叱られて 叱られて あの子は町まで お使いに
   この子は坊やを ねんねしな 夕べさみしい 村はずれ
   こんと きつねが なきゃせぬか

♪叱られて 叱られて 口には出さねど 眼になみだ
   二人のお里は あの山を 越えて彼方の 花の村
   ほんに花見は いつのこと

82才になっても「叱られて」から卒業できなずにいる平爺()・・・脱げば脱ぎっぱなし、使えば使いっぱなし、もう~片付けのできない人なんだからっ。  一日に何回叱られていることか。
一日分をメモったら大変な数になると思います。左の耳から右の耳へ通り抜け、明日もまた同じことを繰り返す。どっちが辛抱強いかという生き残り競争。まさに終わりなき戦いです。

◆web参照 http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/shikararete.htm
「叱られて」の作詞者清水かつらは事情があって継母(ままはは)のもとで成長。少年・少女向け雑誌の編集に携わるようになって童謡の作詞を手掛け、『幼い頃に母と生き別れた悲しみを重ね合わせたのだろうか・・・
「雀の学校」や「靴が鳴る」などの作品もある。


2019.11.22(
) シッコウ

路面凍結-昨朝-3℃  冬のスタートです

おしっこの話ではありません-()
ウォーキングの途中で携帯ラジオのスイッチをON。イヤホーンから聞こえてきたのは「しっこう」ということぱ・・・頭に浮かんだのは「執行」と「失効」。
何のニュースだろう?聞くともなく聞いていると、韓国との間でもめているGSOMIA=情報保護協定失効の公算大となってきているというニュース。23日で有効期限が切れるが協定は効力を失うことに・・・

北方四島の領土をめぐるロシアとの関係、そして古来もっとも関係の深かった韓国(朝鮮半島)との竹島問題の軋轢。近くだからこそ相手の一挙手一投足が気になるし、大切でもある。もう少し仲良くやっていけないものかと思います。

『しっこう』を広辞苑とコトバンクで牽くと『執行 失効 漆工 膝行』
・膝行は、貴人の前などでひざまずき、ひざがしらをついて進退すること
・失行は道に外れた行い。医療用語では運動機能に障害はないのに、大脳に障害があるためある動作をしようとしても行えない状態=失行症。

・膝工はうるし細工うるし塗り職人

2019.11.21(
) いよいよ冬

木々が落葉を急いでいます。風に吹かれてカサコソと舞う様子も風情がありますが、真冬の寒さを思うと呑気なことは言っていられません。。
昨朝6時過ぎの寒暖計は3℃、
強めの北西の風を考慮すると体感温度はマイナスだったと思います。季節は晩秋から冬へと急ぎ足のようです。
登山においては風速1メートルで体感温度は1℃下がると言われ、標高が100mごとに気温は0.6℃下がると言います。

ここ何日かストーブが出番を迎えましした。歳を重ね、体感温度を低く感じようになっているような気もします。40歳代、日課の早朝ランニングを欠かさなかったころ、真冬-10℃の中を走っていたころと比べたら、「早朝ウォーキングなど何ほどのことはにい」と思うのですが。
もう少し頑張れば、今年も日課のウォーキングを一日も休まずに終われそうです。

 妻からは、夜明け前のウォーキングはやめて・・・と口を酸っぱくして云われています。早朝ウォーキングは平爺にとって麻薬のようなもの、よほどのことかないとやめられそうにありません。棺桶にはウォーキングシューズを入れてくれるように書き残さなくては?

2019.11.20(
) トンボ―蜻蛉


昨日の認知症介護施設のボラでは秋の歌をいくつか歌ってきました。
  ●赤とんぼ ●♪紅葉 ●里の秋 ●りんごの歌 ●村祭り

    
 夕焼小焼のあかとんぼ 負われて見たのはいつの日か

        山の畑の桑の実を 小籠(こかご)に、つんだはまぼろしか

         十五で姐(ねえ)やは嫁にゆき お里のたよりもたえはてた

          夕やけ、小やけの赤とんぼ とまっているよ竿

右の写真は、晩秋が色濃くなった10日ほど前、日向ボッコをしているように南向きの石垣にとまっていたトンボです。

◆トンボという字は、「トンボ」とカタカナで書くことが多いような気がしますが漢字では「蜻蛉」。
Webで語源を調べると、「トン」が「飛ぶ」、「バウ」が「棒」の意味で、「飛ぶ棒」が変化したという説が多い・・・何だか説得力が弱いよネ-。たかがトンボの漢字、どっちでも良い話をすみません。

追記――トンボとカゲロウどちらも漢字は「蜻蛉」。カゲロウの方は『蜉蝣』とも書くようです。

◆石垣のトンボを見たあと、トンボの姿は一度も目にしていません。無事子孫を残してみんな昇天したのでしょう。


2019.11.19(
) 灯台下暗し

日課のウォーキング、いつもと少しルートを変えてみました。すると(かん)(ざん)師生誕の地」 という大きな石碑が目に。次のように記されていました(抜粋)


およそ800年前、木曽義仲は信濃の軍勢をひきいて京に攻め上がりました。信濃出身者が天下に向けて号令したのは後にも先にもこの1回限りとのこと。
後世、千曲川からほど近いところに、木曽義仲軍の中にいた名僧「関山国師」の碑をたてた。

師は南北朝時代の初めに花園上皇に召されて美濃井深の隠棲地を出て、京都花園にて「妙心寺」を開き、質朴な禅として室町時代には地方諸侯の信仰を得、妙心寺派として全国に4000寺を超える大宗派となった。

口伝の部分も多く史実に照らして正確さには疑問があるかもしれませんが、近くにそのような歴史が残されているというのもまんざらでもありません。灯台下暗しでした。住まいの地域で、少しその気になって探れば、意外な歴史に行きあたるかもしれませんね。

参照-http://www.suzakamap.com/tanken/page.php?_id=180

2019.11.18(月
) 冬本番に向かってスタート  

霧の千曲川

昨朝、日課のウォーキング5時スタート、1時間55分歩いて帰宅。今冬いちばんの寒さ?帰宅して寒暖計を見ると0℃、氷の張ってもおかしくない寒さ。
千曲川河川敷は濃い霧に覆われていました。水温より大気温の方が低くなるとあらわれる現象。中空のお月様も寒々として凍っているかのように見えました。いよいよ冬に向かってダッシュです。

 年初に硬膜下血腫というケガを負いましたが、その後も日課のウォーキングは一日もサボることになく続けてきました。あと1か月余り頑張って皆勤賞をもらうつもり・・・平爺が平爺に差し上げるという八百長賞、それもまた良し()

目を楽しませてくれたケヤキの街路樹や、民家の庭木の紅葉もこの寒さで一気に散って寒々とした冬の装いへと変わっていきます。平爺の願いは、どうか雪の少ない年でありますように・・・。

2019.11.17(
) 見たくないものが目に・・・

ウォーキングをしていると、ときには思わぬものを目にすることがあります。

ヘビの死骸?

ひと月ほど前のこと、足もとにボロ紐のようなものが・・・そのまま通り過ぎようとしたが、何か気になって立ち止りよく見ると、紐ではなさそう・・・だが何かわからない。近づき目を見開くとヘビのようにも見えるがまさか・・・長さは数十cm、寒くなってきたこの時期、ボロ切れのようにグニャンと横たわっている様子は気味悪い。血に染まってパックリ開いているのは口? さらに眼を広げて見るがやはりヘビとしか思えない。赤く見えるのは血?蛇も血がでるのかな~

自動車にでも轢かれたのか、何とも無惨な姿。手に持って土手の草むらへでも・・・と思ったが、気持ち悪くて触る勇気がない。それにても可哀そうな死にざまです。

ヘビが好きな人はめったにいない。平爺も触るにはかなりの勇気がいる。棒切れでもあればそれを使って何とかしてやれるが道具になりそうなものは見当たらない。

「一寸の虫にも五分の魂」という俚諺がありますが、結局何もしてあげられず、見捨てて通り過ぎてしまいました。

2019.11.16(
) 素朴な感想

◆目的は何でしょう?総理主催の花見の会、経費は全額国費、つまり税金。総理大臣が自分の懐には手を付けずにいいカッコウをして見せる無駄な行事。その運営もわけがわからない。何でチャラチャラした芸人などが招待されるのか?中には「花見の会に招待された」と誇らしげに喧伝する程度の低いヤツもきっといるにちがいない-ヤキモチではありません。

マスコミの厳しいツッコミに耐えられずに「来年は中止」と発表。それがかえって批判の火勢を大きくし国民の疑念はさらに深まったような気がします。幼稚だな~

◆大嘗祭・・・これは皇室行事の一つとのこと。だとすればそれにかかる経費を国費=税金(25億円? 27億円?)で賄うのはちょっと・・・ そういえば、昨秋篠宮さまが記者会見で「宗教色が強いもので、国費で賄うことが適当かどうか」と疑問符を投げかけたのを思いだす。まことにまっとうなご見識だと思うのですが。
東日本各地の大水害、先の見通しもたたず打ちのめされている人々がたくさんいる中、大嘗祭を大幅延期することはできなかったのだろうか。被災地近隣に住む者にとって違和感は否めません

傾き無人となった被災集落11/15

戦前の神格天皇は、新憲法により「人間天皇」に変わりました。

●憲法第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

●憲法第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う。

●憲法第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。以下略


2019.11.15(
) 世の中 広いな~

ひまつぶしにネットサーフィンをしていると「苗字」に関するサイトが目にとまりました。日本には29万の苗字があり、そのうち7000の苗字で96%の人口を占めるとか。http://j.people.com.cn/94475/8270109.html より引用。 

 野良じまい

◆珍名十傑

①雲母(きらら)     ②回り道(まわりみち)
③凸守(でこもり)
 ④栄倉(えいくら)
蓼丸(たでまる)  ⑥小浮気(おぶき)

⑦東京(とうきょう)⑧辺銀(ぺんぎん)
⑨蟋蟀(こおろぎ)
 ⑩猫屋敷(ねこやしき)

◆以下のようなお苗字もあるそうです。
  鬼 砂糖  無敵  素麺(そうめん) 降魔(こうま)
 見ル野  無量塔 呂比須(ロペス)
 四月一日「わたぬき」
八月一日「ほずみ・はっさく・やぶみ」

◆平爺の姓は約1700人ほどで順位5890位ほどとか・・・人間も変わり者だが、名前も変わり者? 
ちなみに苗字の一位から十位は下記。隣り近所・知り合いに一軒や二軒はきっとあるでしょう。

佐藤 鈴木 高橋 田中 伊藤 山本 渡辺 中村 小林 加藤

2019.11.14(
) 十五夜お月さま

今月の満月は12日でした。肉眼では1113日の3日間、見た目は満月と同じでした。煌々と照る月を仰ぎ見ていると世俗の憂いや腹立たしさもいっとき消えていくような気がします。

すがすがしい月に比して、政治の何と薄汚いことか。資格が疑わしい大臣、不透明な御苑花見の会の・・・次々と問題が暴露されますせっかくの名月ですが、鬱々とした気持ちは晴れません。

何も知らぬげに、名月は煌々と浮かんでいました。

昨日(13日)早暁、山の端に沈む月を眺め、その1時間後には東方の稜線から昇る朝陽に見入り、ました。早朝ウォーキングのこの上ない余禄。

沈む直前の満月am6:10 山の端に沈む月am6;17 日の出am6;59

■月を眺めていると、懐かしい歌が頭に浮かんできました。  

  ♪十五夜お月さまひとりぼち さくら吹雪の花かげに
   花嫁姿のお姉さま 車にゆられてゆきました

  ♪十五夜お月様見てたでしょう 桜ふぶきの花かげに
   花嫁姿のお姉さま お別れ惜しんで泣きました

  ♪十五夜お月さまひとりぼち さくら吹雪の花かげに
   遠いお里のお姉さま わたしはひとりになりました

2019.11.13(
)  祝賀御列の儀
 

苅田でエサをあさるカラ

新天皇即位にもとなう「祝賀御列の儀」は滞りなく行われたとのこと。テレビのニュースでちょこっと見ただけですが、パレードの沿道に集まった人の群れ、見ただけで尻込みしてしまいそう。

パレードの御列には安倍首相も・・・なんと車の窓を開け、沿道の人びとに手を振るしぐさをしていたとか。主役気どり? このおじさん、やはり普通の人とは頭の構造が違うようです。
新天皇夫妻はオープンカーですが、総理以外に窓を開けている車はなかったということです。


2019.11.12(
) 秋の夜長のなぐさめは-かんざけ
(燗酒)

 例年のことながら、秋の深まりにつれて頭に浮かぶのは、放浪の酒豪 若山牧水の歌

    ■白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の
               酒はしづかに 飲むべかりけり

   
  ■それほどに うまきかと人の とひたらば
              なんと答へむ この酒の味

いい歌ですネ-。平爺、酒豪と言うにはほど遠いですが、ちびりちびりとたしなむ晩酌は欠かしたことがありません、つまり休肝日なし。日本酒なら1合、焼酎なら0.7合ほど。夏は日本酒の代わりに缶ビール(中)にウイスキーを少しまぜて一本。つつましくも、百薬の長を信じて秋を楽しむ平爺であります。

次のwebhttp://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3704.htmlによれば

「牧水は四六時中飲み明かすタイプで一日の定量は日本酒約一升、しかしこれはあくまで定量で一升でおさまるはずがなく、一か月に四斗樽一本で足りないことがしばしばであった」完全に中毒? 足元にも及ばない平爺など可愛いものですよね(笑) 

★晩酌が美味いのは健康の証し、深け行く秋の夜のちびりちびりをもう少し楽しませてもらいたいと思っています。

酒の歌以外にも良い歌がたくさんありますが、誰しもご存知の
    白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ
    幾山河越えさりゆかば寂しさのはたなむ国ぞ今日も旅ゆく

2019.11.11()  東日本と西日本の境界線は?  

ひまつぶしの話。 天気予報などで「東日本」とか「西日本」という言葉がよく使われますが、その境界は? 細長い日本列島の地図を頭に描き、「平爺の住んでいる長野県あたりが境い目かな~?」と想像するが、地図に境界線を引けといわれても迷っちゃいます。くだらない疑問と言われるのを覚悟で調べてみました。 

地質学的に見ると、「糸魚川・静岡構造線」-ホッサマグマとは違うようです-と呼ばれる大断層が通る新潟県糸魚川市~長野県諏訪湖~静岡県駿河湾が「東と西の境界」とする説があるらしい。これだと愛知・長野を中心に新潟・山梨・静岡が東西の境界になる。

  ★NTTは「東日本」と「西日本」があり、東日本は新潟・長野・
   山梨・神奈川が東日本の境界、西日本は富山、岐阜、愛知、
   静岡が西の境界。

  ★電気の周波数で分ける方法があり、新潟県糸魚川あたりと静岡県
   富士川あたりを境にして、東側は50ヘルツ、西側は60ヘルツ、

  ◆気象庁の境界線は、福井、岐阜、愛知、三重から東が東日本。
   京都、滋賀、奈良、和歌山から西が西日本。


  西日本 ・人口=6081万人  ・都道府県数=29

  東日本 ・人口=6629万人  ・都道府県数=18
せっかく調べても一晩寝ると忘れてしまいます(笑)

2019.11.10(
) 唱歌
「叱られて」

去る8日は「立冬」、webを見ると「はじめて冬の気配があらわれてくる頃」、昨朝は氷点下を予想して防寒身支度でウォーキングに出るも、思ったほどのことはなく1℃。

◆夜明け前の2時ころ、目が覚めて寝床でラジオをつけると唱歌の「♪叱られて」が聞こえてきた。何十年ぶりかで聞いた郷愁感。 

 朝焼け

 ♪ 叱られて 叱られて あの子は町までお使いに
   この子は坊やを ねんねしな
    夕べさみしい 村はずれ
   こんと きつねが なきゃせぬか

 ♪ 叱られて 叱られて 口には出さねど
   眼になみだ
 二人のお里は あの山を 
   越えてあなた(彼方)の 花の村
 
    ほんに花見は いつのこと 


作者の清水かつらは、幼いころに母が心の病にかかり離縁、そのあと継母の下で育ったころを思い出して作詞したとのこと。ウォーキングしながら、つぶやくような小さな声で歌ってみると、しみしじみとした切なさが湧いてきます。


追記・・・だれか今の政治を叱ってやって・・・叱るのはごく普通の国民しかいないか。

2019.11.09(
) 早暁の名山観望

ウォーキング無しでは一日が始まらない平爺。一昨日はあまり歩かないルートで気分転換。 所要時間は約2時間。

黎明の戸隠山(上) 飯綱山(下) 11/7 

日ごとに寒さが加わる季節の変わり目、ふだんより下着を1枚重ねて黎明の5時半出発。15分ほどで千曲川に架かる1kmほどの橋を渡って須坂市へ。日の出にはもう少し時間があるが天気晴朗、既に足元は明るい。

6時ころにはモノトーンの世界が色彩を帯びてくる。天気が良い分、寒さは少しきつい。今日は四囲の山々が望見できるかもしれない。東の空が赤く焼けはじめ、志賀高原の山々など、シルエットがクリアに見えてくる。歩くのは須坂市のリンゴ・ナシ・ブドウなどの農園が広がる丘陵地。視界を遮る背の高い構造物や林もなく見通しがきく。

北信(=北信濃)五岳も明瞭に見えてきた。北信五岳とは善光寺平の北辺を区切るように並んだ山々。平地でこの5座を一か所から眺めることができる場所は少ないと思う。まさに早起きは三文の得。さらにおまけが・・・朝陽に輝く白銀の北アルプスの連嶺も目にすることができました。下記が北信五岳、何回も登った山です。

妙高山-2454m
  斑尾山-1381m 黒姫山-2053m 戸隠山-1904m 飯綱山-1917m

黒姫山 11/7 妙高山 11/7 斑尾山 11/7

 
2019.11.08() 木枯らし() 

冷たい北風に、落ち葉が乾いた音色で舞い飛ぶ季節。
「木枯らし(こがらし)とは、太平洋側地域において晩秋から初冬の間に吹く風速8m以上の北寄りの風」とwebには載っていました。冬型の気圧配置になったことを示す気象現象。ここ北信濃は太平洋側地域には当たらないから木枯らしとは言わないのかな~

静かな早朝、歩道縁石に吹き溜まった街路樹の落ち葉が、かそこそと風に鳴る音になぜか郷愁に似た懐かしさを感じます。浮かぶのはヴェルレーヌの枯葉。 

秋の日の ヴィオロンの ためいきの
   身にしみて ひたぶるに うら悲し。

  鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ
      過ぎし日の おもひでや。

げにわれは うらぶれて ここかしこ
   さだめなく とび散らふ 落葉かな。  (上田敏訳)



2019.11.07() 「やばい」
11/05 半月

 日常語となっていてる「ヤバイ」という言葉、そもそも「やばい」とはどんな意味?広辞苑を牽くと・・・
「形容詞 ①不都合である・危険である②のめりこみそうである」
との記載、漢字表記はなし。

平爺の場合、「しくじった」 「こころにもなく不快感をあたえてしまった」 「反感を買いそうな言い方をしてしまった」 というようなときに使っているかな~ 

調べてみると、以前は「そりゃまずいよ」など否定表現だったのが今は「すごい・魅力あるネ」という意味で使われることが多いとか。「あの特売はやばい」というと、「安いけど気をつけろ~!」という場合と、「すごくお得だよ」と正反対のことも・・・わけがわかりません。

「やばい」という言葉が使われるようになったのは、江戸時代とも。
その由来はもとは犯罪者同士の隠語で、江戸時代牢屋につながれた犯罪者たちは牢番や看守のことを「厄場-やくば」と言っておそれた。厄場とトラブを起こし、きつい仕置きを受けそうになることを仲間内で「やば」と言っていたとか。牢内で「やば、やば」と伝えあい、看守への用心を伝えた隠語というが真偽のほどは?
 どっちでもいい話をすみません<m(__)m>

2019.11.06(水) 冬


昨早朝、日課のウォーキングで外へ出ると寒さでブルブル・・・そして路傍の草には白く初霜も降りていました。7時半帰宅、寒暖計を見ると1℃、ウォーキングの服装も冬の装い、手袋なしでは歩けません。今日は立冬、こよみ通り冬の気配は日に日に増していきます。寒いのは我慢、願いは雪が少ないこと。加齢と腰痛で雪かき作業はいっそうつらくなっています。

3日ほど前、被災廃棄物の置き場と化した千曲川堤防の道を、決壊現場まで歩いてみました。平爺のウォーキングコースでもあります。
鉄板を打ち込み、土砂を盛った仮堰堤工事が終わっていました。これはあくまで「仮」の工事、

仮設堤防
本格的な工事はこれかららしい。打ち込んだ鉄板は長さ16メートルもあるが、地上に見えているのは数メートルだけ。昼夜を問わない突貫工事、その照明で明るく見える空が我が家の近くからも見えました。  

◆仮堤防近くに初老の地元男性がリンゴ畑の広がる千曲川河川敷をじっと見つめていました。「大変でしたね~」と声をかけると、胸に詰まった思いを吐き出すように語ってくれました。家業はリンゴ栽培、1個の収穫もないまま今年は全滅、泥をかぶった木は根っこが腐ってしまい、再出発はもう無理、これからどこへ住めばいいのか。リンゴ栽培しか知らず、この歳で働く先を探すのも無理・・・途方に暮れている様子が伝わってきて、かける言葉もありませんでした。 

◆水害の核心部にも初めて足を踏み入れてみました。早朝の時間帯ということもありますが、まるで『死の集落』、生き物の気配はなくただ静まりかえっていました。水害に遭った小学校、中学校の児童たちは、平爺の家の近くの学校を間借り、バスでの送迎とのことです。

◆災害支援の自衛隊車両大小数十台が、我が家から徒歩数分の長野市施設の広い駐車場に止まっていましたが、昨日はジープタイプの車が10数台、大型車両は2台だけになっていました。一区切りついたということでしょうか。(この駐車場は、平爺のウォーキングコースの終点、ここでストレッチ運動をしたりしてから帰宅することにしています)

2019.11.05(
) 二人暮らし
 

写真は、水害の泥濘が乾燥してできたヒビ割れ模様
     美しく見えるが故にこの美しさが許せない
    

新聞だったか、雑誌だったか・・・「二人暮らし」という言葉を目にしました。そういえば平爺老夫婦も二人暮らしです

が、二人暮らしを特別な思いをもって意識したことはありません。それが当然という認識が身についているからでしょうか。 

平爺夫婦の二人暮らしはいつから始まったのかふり返ってみました。
息子が大学進学で親元を離れたのは平爺が50歳台に乗る少し前だったかな~・・・ということは、30数年の夫婦二人暮らしということになります。ただしその間の何年かは高齢の義母と同居したことはあります。 

今は子供が大学生になると、地元大学でない限り下宿。そして長男であろうと、次男であろうと、長女であろうと結婚すれば別世帯が当たり前。家を継ぐ、継がせるという認識はなく、子供の養育が終わると親子は別々に暮らすのが普通、二人暮らしは特別でもなく当たり前の時代になっていることを再認識しました。「老夫婦の二人暮らし」は老いた夫婦には気楽でもあり、そしてちょっぴり寂しくもあります。「姑の嫁いびり」なんていう言葉も死語になったというメリットもありますが。

◆経済的に問題がなければ老いて夫婦だけの二人暮らしもまた良し。何とか自力で生活できている我が老夫婦の二人暮らし・・・・人生こんなもんか?

2019.11.
04() 素朴な疑問・・・「じ」と「ぢ」
 

夜明け前の3時ころ目がさめてしまうことが週2回ほどあります。真偽のほどはわかりませんが、歳をとると目覚めが早くなると聞いたような気がします。眠りが浅いのかな~。そんなときはたいていNHKラジオ深夜便を聞きながら夜明けを待ちます。3時~4時の1時間はナツメロや唱歌など懐かしい歌が多いような気がします。

柿が赤くなると
    医者が青くなる

先日は北原白秋作詞の歌-砂山・城ヶ島の雨、ちゃっきり節・・・など10曲以上のなじみの歌を布団の中で聞いていました。

「砂山」の中に次のような歌詞があります。

   ♪ 暮れりゃ砂山 汐鳴りばかり
   ♪ すずめちりぢり また風荒れる
   ♪ みんなちりぢり もう誰も見えぬ 

「ちりじり」は漢字にすると「散り散り」だろうか。フリガナは「ちりり」、 それとも「ちりり」。どちらが正解?早朝ウォーキングが終わってから「じ」と「ぢ」の違いをweb検索してみましたがよくわかりませんでした。

何ごとも大雑把な平爺・・・どっちでも意味が通じればいいじゃない(笑)。

2019.11.03()  頭の体操――答え  

  ①  隔靴掻痒・カッカソウヨウ ②巫女・ミコ ③強ち・アナガち ④幟が翻る・ノボリがヒルガエる ⑤懼れ・オソレ ⑥竦める・スクめる ⑦件・クダン ⑧枕頭・チントウ
⑨燻す・イブす ⑩怯える・オビえる ⑪相応しい・フサワしい ⑫項垂れる・ウナダれる⑬鼾・イビキ ⑭僻む・ヒガむ ⑮傍目・ハタメ
 

下記の超難関5問以上正解の方は『でき過ぎ』です()

   設える:しつらえる ②目眩く:めくるめく ③穿る:ほじる   ④強ち:あながち
⑤霰:あられ ⑥蓮根:おくら ⑦啄木鳥:きつつき ⑧案山子:かかし ⑨栄螺:サザエ
⑩屯す:たむろす ⑪美人局:つつもたせ


  秋の月

10/31 夕焼け空の三ケ月

俳句の季語で「月-お月さま」は秋。先月末の月は、糸のように痩せたお月さまでしたがご覧になりましたか。満月もいいが三日月もそれに劣らず詩情を感じます。残念ながら平爺は詩ごころはありませんが・・・。
月にはさまざまな呼び名がつけられているようです。半分欠けた半月-偃月(えんげつ)ともいうようです。三日月は弦月(げんげつ)、弓張月(ゆみはりづき)など。
新月・望月・満月・下弦の月・上弦の月。有明の月・十六夜の月・亥中の月(いなかのつき)etc.

太陽とちがい、どちらかというと月は身近に感じます。風情でしょうか。とりわけその存在を感じるのは秋、なぜ他の季節より存在を強く感じるのでしょうか?
月というと一茶の句が浮かびます。 「名月を とってくれろと 泣く子かな」

2019.11.02(
)  頭の体操 

今日は日記のネタが思いつかない・・・もしお暇でしたらちょっぴり頭の体操を

 水の引いたあと 
  無惨 河川敷のリンゴ畑

下記の漢字の読み方は? 読書などで気になってメモしておいた漢字です。

   ①   隔靴掻痒 ②巫女 ③強ち  ④幟が翻る
 ⑤懼れ ⑥竦める ⑦件 ⑧枕頭 ⑨燻す
 ⑩怯える ⑪相応しい ⑫項垂れる ⑬鼾
 ⑭僻む ⑮傍目



超難関-webから拝借しました。読めなくて当たり前?

     ①設える  ②目眩く ③穿る ④強ち  ⑤霰 ⑥陸蓮根
     ⑦啄木鳥  ⑧案山子 ⑨栄螺 ⑩屯す  ⑪美人局
 


2011.11.01(金) 役立たず

壁に水没した跡が・・・

昨朝は水害核心部・長野市穂保地区の水害現場がどうなっているのかと思って行ってみました。普段のウォーキングなら2時間ほどのコースですが、3時間ほどかかりました。泥濘のところがあったりして、軽快な?ウォーキングとはいきません。

千曲川の堤防が決壊したあたりまでは行けませんでしたが、無残な集落は目を覆うばかり。2、3週間前には、赤く実ったリンゴ畑とごく普通の民家が並んでいたのに、今は無人となって物音ひとつなし。不気味なほど静かでした。建物の壁に残された水の跡は平爺の背丈以上、戸という戸はほとんどなく、家は開けっ放し、中はがらんとして生活臭もろとも流されてしまったようです。素人にはわかりませんが、少し手を入れたくらいでは到底住めそうに思えません。廃墟のように静まり返った集落には、犬一匹の気配さえない。 

道路ぎわにはごみと化した家電、生活用品、家具、布団、農機具・・・所せましと積み重なっています。生活をどのように立てなおしていくのか、被災した多くの方々にはかける言葉もありません。
泥で覆われたリンゴ畑の中、さまよっているような黒猫が一匹。飼い主を探しているのでしょか。風景が変わり、人の気配もなく、生活臭も洗い流さて、家もわからなくなってしまったのかもしれません。

◆近くにいながらボランティアにも行けないのが無念。硬膜下出血、胸椎骨折、そして慢性化した腰痛・・・今や役に立たないボロ雑巾同様の身です。

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