(ジョギングのコーナー)
(34)同じ苦しさ

フルマラソンの苦しさ

手術後の痛みに耐えていたとき、マラソンクラブ会長からの「今の苦しさは マラソンの苦しさと同じ」というメモはそのとおりである。
私の脳裏には、フルマラソン初参加のとき、30キロ過ぎで味わったあの苦しかった光景が断片的に映し出されていた。(以下はフルマラソン感想文からの抜粋)



ジョギングを始めてから2年半ほど過ぎた3月のこと、愛知県で行なわれたアマチュア手作りのフルマラソン大会に参加。制限時間5時間。
私の目標は3時間40分。当日は強風注意報が出ていて条件は最悪。完走が精いっぱいかもしれない。
2週間前には青梅マラソン30キロに参加、1週間前は戸隠スキークロスカントリー大会10キロを走り、その疲労も抜けきっていない。足が重かった。

27キロ過ぎから足が前に出なくなる。ピッチは落ちるしストライドは延びない。1キロ6〜7分ペースにがた落ち。4時間も無理かもしれない。完走への不安がかすめる。歩いている人を見ると自分も歩きたい誘惑に駆られる。初マラソンを何とか完走してみたい。いったん歩いてしまったら2度と走りだせないだろう。歩きたい、走れ、葛藤がつづく。青梅30キロだって歩きたい誘惑にかられながら、がんばって完走したではないか。

35キロ給水地点。飛びつくようにして水を飲む。42キロが私にはとてつもない長い距離に思えて来る。私の力では無理だったのだ。もう完走なんかできっこない。ここでやめよう、いやがんばるのだ。足が重いだけで痛い訳ではない。走れないはずはない。強風で息が詰まることもある。
どうせだめならあと1キロか2キロだけでも、走れるだけカッコウ良く走ってやろう。力尽きたら歩いても止めてもいい。そう開き直ると何だか気が楽になった。
腿を上げ、ストライドを伸ばして・・・ピッチも良し、腰の位置もいいし腕も振れている。300メートル、500メートル・・・・。おかしいどうしてこんなに足が軽いんだ。登り坂も苦もなく駆け抜ける。1キロ、2キロ、ペースは落ちない、まだつづく。完全にリズムに乗っていた。
沿道から「ほら、あのおじさんいいフォームしているね」という声が耳に入る。私のことだ。

体育館の丸屋根が見えてきた。あと2キロだ。もう葛藤も不安もなく、ゴールすることだけが頭にあった。最後の数百メートル、さすがに鉛のように重くなった足を、最後の力を振り絞るようにしてゴールを目指した。もうこの苦しみは終わる。もう走らなくていい。
いくつかの拍手が万雷の拍手に聞こえた。
フィニッシュラインを越え、大地に寝転ぶと空の青さが目にしみた。体の芯のほうからじわじわと脈打つように広がって来るものを感じた。それはやがて手足の先まで広がって、底知れない充実感となって全身を包んで行った。

途中幾度となく襲ってきた挫折感や葛藤と戦い完走できたのはただ気力だけだった。この条件での初マラソン3時間38分に何の不満もなかった。



私は苦しさを乗り越える術を知っているのだ。
手術の痛みくらいでへこたれてはいられない。これまでいくつものマラソン大会に参加してきた。ときには叫びだしたいほど苦しいこともあったが、それでも最後まで頑張って完走してきた。
苦しかった記憶が、今弱音を吐きそうになっている私を支える役割を果たしてくれていたのでした。

痛みをこらえながら、一方『人工肛門のことはどうなったのだろう』
そのことに触れる勇気は依然としてなかった。周囲も口にしなかった。

もどる
つづく 
進行ボタン
modoru前の話「33」へ戻る 次の話「35」へ進む tuzuku