(ジョギングのコーナー) (57)再びのジョギング |
懐かしいジョギングシューズを履いて 年が明けて1月6日。 手術から1年が過ぎた。 曲がりなりにも1年という高いハードルを越えることができた。 私にとっても妻にとっても、それは越えられそうもない高い高いハードルに見えていた。 あれほどのめりこんでいたジョギングだったが、走れなくなって既に1年余。 1月中旬のある日 長野市にいたころは毎朝氷点下数度〜10度の寒さをつき、雪を踏んで走っていた。 今日の東京の空は蒼く晴れ渡り、春を思わせる暖かい穏やかな日和であった。 手術の後、長野市から東京へ引っ越す時、練習用、大会用など何足も持っていたジョギングシューズは、2度と履いて走る日が来るなど思いもよらず、思い切って処分してきた。 それでも一時期の「私そのもの」となって、喜び・苦しみ・汗・・・あらゆる思いの染み込んだシューズのすべてを捨て切れずに、何足かを段ボール箱にしのばせ保管してあった。 1年以上放置され、押しつぶされ変形はしていたが、懐かしいシューズを手にして自宅を出た。 妻と長男3人で連れ立って大田区内の平和島公園へ向かった。 1年ぶりの爽やかな汗と喜び ジョギングシューズは足に吸い付くように思えた。 妻と長男が後ろから自動車で伴走して走り出した。 あたかも春のような陽気の中、ゆっくりゆっくりと走った。 すぐに汗ばんできた。 ジョギングシューズで路面を蹴るこの感触、私の足はしっかりと記憶していた。 ふわふわと飛び立つように体が動いた。 「ほんとうに1年前に大きな手術をしたのだろうか」 夢を見ているような爽やかな気分に包まれた。 走る姿を見ながら思う妻 走る姿を見詰める妻の脳裏には、待ちに待ったこの日の感慨が溢れていた。よくこの日が迎えられた。 この1年、何と長かったことか。 悩み、苦しみ、ときに挫折しそうになりながら今日まで頑張ってきた甲斐があった。 嬉しそうに走る姿を目にしていると、辛かった月日がまるで夢でも見ていたような気がする。 勿論戦いはこれで終わったわけではない。まだまだ先がある。 しか一山越えたと言う安堵感は、じわっと胸の中に広がっていた。 「いつかまたフルマラソンを」の約束 平和島公園の中、1周2キロほどを走り終わると、顔から背中から汗が流れる。 1年1ヵ月ぶり、自ら体を動かしてかいた汗だった。 遠い日の記憶が、そして爽快感が息を吹き返すように蘇っていた。 生きていることを実感し、喜びの中に素直に浸りながら、人間の命のしたたかさ、そして生の鼓動が体の隅々にまで響き渡るのを感じ取っていた。 毎日のジョギングは無理かもしれないが、週に1、2回はこのような汗をかく日が持てたら・・・・・ それに私にはやらなくてはならないことがある。入院中にマラソン仲間と交わした約束である。 「いつかもう一度フルマラソンを完走します」 この約束も果たさなくてはならない。 フルマラソンを思えば今日の2キロは余りにも小さい。しかしこれが約束への第一歩となるかも知れないではないか。 私にとって手術以来はじめて生きていることを実感し、この上なく充実した1日となったのである。 こうして私のジョギングは再びはじめられた。 燃焼をはじため命 週に2、3回、せいぜい2キロから3キロの距離を早朝や夕方の楽しみとして、細々ではあるが途切れず続けられるようになり、ときには5キロほどの距離を走れることもあった。 凝り性の私は当然のように、かつてと同様ジョギング記録をつけることを考えた。 が、それはできなかった。それをやると再び以前のようにとことん自分を追い込んで行ってしまうかもしれない。のめりこんでしまうかも知れない。もうそれは許されなかった。 何日かに1回でも走れればいいのだ。考えてみれば、2度とジョギングシューズを履くことなんかあり得ないと思っていたではないか。 奥深いところで、燃える日を待ちつづけていたエネルギーが少しづつ燃焼を始めていた。 ほんとうの命が蘇りかけていた。 もどる つづく |
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