登山のコーナー (42)白馬岳が見える |
病棟の窓から 病室を出て長い廊下を西側の突き当たりまで行くと、天気の良い日には真っ白に粧った山巓を臨むことができた。前山の背後に頂稜部が眩しく輝いている。 今日も運動のために廊下を行ったり来たりしていた。 突き当たりの窓から眺める銀嶺は、 紺青の空と対比して冷徹な厳しさで聳えている。冬の大気は澄んでいるためか、意外なほどの近さで見えた。長野市内からこのように見える高い山は、いったい何という山だろうか。看護婦にたずねると白馬連峰だと教えてくれた。 半年ほど前、それは昨年の夏のこと、次男と槍、穂高を縦走したときのことがよみがえった。あのとき次男が撮った槍ヶ岳のモノクロ写真が、ベッドの枕元に貼ってある。 写真にメモを添えて届けてくれたものだ。『早くよくなって、また一緒に山へ登ろう。月光に照らされた槍ケ岳を見に行こう』と記されていた。 白馬岳の追想 こんな体になって、もう私に出来ることはない。 それを自覚したとき、今まで何気なく登ってきたいくつかの山が、急に懐かしく思い出された。 窓から見える白馬岳もその一つだった。それはもう20数年も昔のことである。 激しい風雨の中を知人の後ろにくっつき大雪渓を登って行った。楽しかったという記憶はどこにも残っていない。風の唸る山頂に立ったとき、喜びとは程遠い不安に駆られて一刻も早く風のないところへ逃げたかった。 登山と言えるのかどうか、初めて山登りをしたのは中学生のときの蓼科山で、学校の集団登山だった。 片田舎で薪や山菜を採る場所として裏山の経験しか知らない私には、巨岩が累々と重なりあう2530メートルという高山は、恐ろしいような異様な光景として目に映った。 山国に生まれ育ちながら、登山というものにほとんど関心を寄せることもなく過ごしてきた。関心がなかったはずなのに振り返ってみると燕岳、越後駒ケ岳、尾瀬ケ原、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、美ケ原、高妻山、妙高山、黒姫山、戸隠山などそれらしい山にいくつか登っていた。近年は槍ケ岳、常念岳、穂高岳などにも登っている。 白銀に輝く白馬岳を眺めていると、すでに忘れかけていたそれらの登山が、なぜか急に楽しいそして懐かしい記憶として呼び覚まされてきた。 どんなに楽しくても懐かしくても、もう2度とそんな山へ登ることはできない。追想することしか許されない。 尾瀬ケ原では乾いた場所を探して何時間も青空を見ながら横になっていた(1960年ころはそんなことが出来ました)。越後駒ケ岳のときは夏だというのに山頂付近には大きな雪田があってびっくりした。記憶をたぐればいろいろな光景が浮かんできた。 「無い物ねだり」というか、出来なくなってはじめてそれをやってみたくなる。そんな心理がいっそう懐かしさをかきたてた。 天気のよい日には廊下の突き当たりから見える白馬岳を見に行くのが習慣となった。 もどる つづく |
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