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ISA's BOX!!が無謀にも

高伸さんにオフラインインタビュー

1996.6

110SHOW
の公演に通いはじめて6年以上
知りたかったこと、言ってみたかったことなどなど
郵政省メールという手段で高伸さんにインタビューを試みました
そしてありがたいことにお返事をいただきました!!
ここにご紹介します。


まずは無難に... 劇団の名前の由来、命名者は?
気になってたのよ... NHKの番組に「一等賞」とあったのは?
アリスみたい... 近年は公演毎に作や演出の担当が変わりますね。
練習?それともリラックス?... 公演のある一日の過ごし方は?
新境地開拓!... 前作で歌った「風になりたい」には何か思い入れが?
ズバリ... 「木梨憲武」に似ていますね。
月並みな質問ですが、110SHOWの名前の由来、命名者は?

命名者は・・・

    その前にどういう経緯で決まったのかをお話なければなりません。
    最初は85年の1月に劇団110SHOWの第一回会議の席上。
    名前をつけなければナニも始まらないということが話し合われました。
    その案の中のいくつかをご紹介しますと・・・。

    劇団演劇向上委員会・・・演劇の質を向上しよう!と言う意
    劇団イサドテール・・・トカゲの尻尾の意。トカゲの尻尾が一人で動き出した!
    劇団ローカル野郎!・・・インパクトのみ!実は「110SHOW」に決まるま
    えは、これになりそうだった・・・

    その後もなかなか「これ」という名前を決めかねて、劇団名のないままの状態が
    3か月近く続きました。
    紆余曲折を経て「劇団110SHOW」を提案したのは『高田伸一』でした。

名前の由来・・・

    音の響き・・・
    『いっとうしょう』というと「ポジティブ」「強い」「覚えやすい」「そんなに
    長くない」「イメージがいい」

    意味・・・
    できるだけ平等な創作集団になりたいという考えがありました。

    これは、よくできた「バンド」のような感じと言ったらわかっていただけるでし
    ょうか・・・エマーソン、レイク&パーマーが誰一人かけてもEL&P音になら
    ないように、レッドツェッペリンがそうであるように、ビートルズがそうである
    ように・・・運命共同体的な集団でなおかつその表現が唯一無二、その集団でし
    か出せないものになる。

    さらに我々の公演にきていただいたお客様全員に芝居がよく理解されその真意が
    波及し劇場そのものがハッピーな空気に包まれるようなすばらしい劇団になりた
    い・・・
    まさに「いっとう−いい−ショウを打つ−劇団」ですね。
    表記は、できるだけ記号的というか意味を覆い隠して、なおかつ活字にしたとき
    におもしろいものの方がいいだろうと言うことでアラビア数字の「110」に
    「いっとう」をあて、「しょう」は「SHOW」をあてました。

    これはわざと発音不明のものとし、言葉を越えて心にひっかかってくれないかな
    というのが狙いもあります。

私は発音の「いっとうしょう」の方を先に知ったのですが、初めて「110SHOW」
と書くのを知った時の「おっ」っていう新鮮な気持ちは今でも覚えています。

風邪をひいて休んで家でテレビを見ていたとき、NHKの教育テレビの小学生向け
歴史番組に、「一等賞」という名前が出演者欄に出てきたのですが、110SHOWの
ことですか?

    たぶん「YES」。
    そんなバイトもしているんです。でも正確には「アーニング」というタレント事
    務所(代表東修氏)を経由してのバイトです。基本的には個人がやるもので、
    劇団とは関係ありません。
作や演出する方がけっこう毎回変わるんですが、どのように決めているんでしょう?

    以前は既成の作品を自分たちなりにアレンジして上演することに命がかかってい
    たところがあったのですが、そういいながら、金沢とか北陸独自の表現をものに
    したい、できれば中央の表現に拮抗したものを創りたいと思っていたのです。

    その一つの転換点となったのが「MIDNIGHT−UPLIGHT」を国民文
    化祭で上演したときでした。このときは一般公募で応募してきた方々を含め30
    数  人規模の出演者で固めた今までの劇団110SHOWからは考えられない大
    舞台だったのです。それはみなさんのがんばりで大成功で終わりました。

    が、そのとき知り合った一般公募の人たちは劇団にはほとんど残りませんでした。

    このままだとオリジナルメンバーばかりが、がんばっている図式が崩れない。こ
    のメンバーががんばり続けていられればいいが、いつまでも若くはない。人生の
    転換点(結婚や出産、転勤、昇進による社会的責任の増大)がくればメンバーは
    第一線から退くことになります。このままいくと組織内が硬直化してしまうので
    はないか?「若手にすべて任せて芝居を創る」ということをしないと、団員の新
    陳代謝が激しいこの劇団の中で今後金沢の演劇を引っ張っていけるだけの人材が
    育たないのではないか?という危機感が残りました。

    そんな中、若手にすべてを任せて公演として「バビルV世」に向かうことになっ
    たのです。

    これは産みの苦しみがありました。椿君も大変だったことと思います。
    頼みにしていた林美智江さんを突然の結婚で欠き脚本の改訂を何度も強いられ、
    ほかの若い役者に対しても演技指導もままならず、あげくはその上演2週間前の
    通し稽古の段階で高田伸一に作品の出来の部分でお客様にお見せできる代物では
    ないとダメをだされ、結局泣く泣く上演日を一ヶ月繰り延べ劇場もフォルテの小
    劇場から教育会館へ変更せざるを得なかったのです。
    しかしその後のテコ入れ作業の甲斐あって「バビルV世」はすばらしい出来に仕
    上がり、その後の椿君の作品づくりのための基本づくりになったようです。

    その作品以降、中心になる人間をローテーションしていけば「劇団としての創作
    力」はそのままに「劇団の情報」は一年中出続ける。
    その方がアマチュアとしては無理がないやり方ではないだろうか?
    ということから・・・

演劇素人の私が軽々しくコメントするのはおそれ多いほどの、内部では悩みや試み
があるのですね。ひとつだけ言わせていただくと、「みんなが”あいてんがわりに”
中心となり創作していく」というのは、名前の由来とも合致していて、しっかりした
方向性を感じ、共感できます。
公演の日は、どのような一日なんでしょうか?(私は昔野球、テニスをやってい
て、スポーツの場合には大会の日の過ごし方がだいたいイメージできるのですが、演劇
の場合、イメージしにくいもので・・・)

    ケースバイケース

    公演日は平日のソワレー(夜公演)の場合ですと、昼は基本的にはテクリハ(役
    者はなしで音響や照明などのリハ)が主です。
    土日の公演の場合マチネー(昼公演)がない場合は昼に一回くらいの通し稽古を
    やることがあります。

    しかし、それも、初日を迎えるまでで、初日があくと特別通し稽古は行いません。
    それよりもイメージを大切にして、舞台上でいかにして自由に振る舞えるのか、
    その心の準備に腐心します。
    食事なんかは、各自自分のペースでとります。がっちり食わないとどうもなんて
    いう田向君のような人から、フルーツとかサラダしか喉を通らなくなる、多くの
    女性まで様々です。

「ソワレー」「テクリハ」「マチネー」...ちょっと演劇通になった気分です。
前回公演「ラス・パラブラス・デ・アモール」の時に歌った曲「風になりたい」は
自然体でさわやかな曲ですが、何か思い入れのある曲なのでしょうか?

    特に思い入れはないのです。

    ただ、最初この歌をテレビのビデオクリップで見かけて、そのときの印象が、心
    のどこかに引っかかっていたのだと思います。この台本を書き進むにつれ、あの
    フレーズがわき上がってきて、書き上げる段階では「もうこれしかない」と確信
    するようになっていました。実はそれまではBOOMも「島唄」くらいしかしら
    ないという有様だったのですが、今でもBOOMは「島唄」と「風になりたい」
    しか知りません。

前回公演以後、この曲を耳にするたびに、あの「合唱コンクール」の舞台を思い出
します。赤ちゃん元気に育っているかなあ。
前回公演の開始前にインフォメーションされている高田さんをほぼ下から見上げて
いて、とんねるずの木梨憲武に似ていると思いましたが、言われたことはありません
(よね。失礼しました。)

    あります。

    今田こーじ(漢字忘れました)にも似ているといわれました。
takasin-san
高伸さん、公演の準備などでお忙しい中、本当にありがとうございました。
ミニ「110SHOW史」とでも呼べるほどの内容に高伸さんの劇団に対する熱い
思いがひしひしと伝わってきました。
今度は「高伸さんに似ている」と言われる立場になるほど活躍されることを期待し
ています。


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