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劇団110SHOWインターネット公演

ONE DAY

〜春日幸子の場合〜


劇団110SHOW

登場人物
春日 空(ソラ)
春日 幸子(ソラの母)

子供1


「ほな、かあちゃん。行ってくるわ。」

「行ってらっしゃい。気ぃつけてね。」

一人息子のソラが元気に家を飛び出す。春日家の大黒柱は単身赴任中なので、息子を送
りだした後は、ゆっくりとテレビを見て過ごすのが春日幸子の日課だった。もっとも、
最近は週に三日程パートたるものに出かけるようになった為、その日課も半分に減って
しまった。

「お店のほう、人足りてるかしら…。」

本来なら出勤日なのだが、今日は無理を言ってお休みをもらっていた。といっても、体
調が悪いわけでもなく、ソラの授業参観日だというわけでも無い。今日はどうしても休
まなければならない理由があった。今日、彼女は家を出る。それは、夫にも息子にも言
えない理由で…。

「さてと…。」

朝食の後片づけを済ませ、部屋の掃除に取り掛かる。散らかった新聞を集め、掃除機を
かける。チラリと時計を見ると8時半を少し過ぎていた。簡単に身なりを整え、戸締ま
りの確認をする。

「戸締まりOK。えぇっと…ガスの元栓は…と。」ガスコンロの上の鍋には、昨夜作っ
ておいたカレーが入っている。

「これで、今日の夕食も大丈夫ね。」

カレーライスの大好きなソラのことだから二日続けてカレーでも文句は言うまい。「カ
レーは一晩ねかせた方がおいしい」ともいうし…。さて、そのカレーだが、春日家のカ
レーはバーモンドカレーである。最近は「こくまろ」というルーも出ているが、近所の
スーパーには「こくまろ」の甘口が売っていない為(元々、甘口が無いのか、近所のス
ーパーではたまたま売っていないだけなのかは判らないが)リンゴと蜂蜜がトローリ溶
けているバーモンドの甘口を使っている。

「元栓もOK。後は…。」

居間へと戻り、紙とペンを手に取る。

  ソラへ

一行書いて手が止まる。
どう書けば良いのかわからない。が、何も書かずに家を出る訳にはいかない。家に帰っ
てきて母親が居なかったらソラはびっくりするだろう。それとも、今日はパートの日だ
から少し遅いのかと思うくらいだろうか?でも、夕飯になっても帰ってこなかったら…。
ちゃんと自分でご飯を食べてくれるだろうか?もう6年生だから大丈夫だろうけど…
でも、まだ小学生なのよね…。父親は仕事で県外にいるし、一人でいるのは寂しいはず…。
ソラのことを思うと胸が痛む。

「ごめんね、ソラ。悪いお母さんを許してね。」

思い切ってペンを動かす。

   ごめんなさい。お母さんはいないけど、夕食は昨日のカレーがあるので食べてね。
   おやつは台所のテーブルの上にあります。
   ソラ、宿題ちゃんとやるのよ。
   それからゲームは一時間以上しちゃダメだからね。
   お母さんの帰りは…

一度深呼吸をして紙に向かう。

「お母さんの帰りは、いつになるかわかりません。」

ペンを置いて溜息をつく。書くにつれて家を出る決心が鈍る。もう一度時計を見ると9
時10分前に差し掛かっていた。

「早く行かなくっちゃ…。」

首を何度も横に振って、決心を促す。

   ソラ、10時にはちゃんと寝るように。
   お母さんがいないからって夜更かししちゃだめよ。。
   そうそう、福神漬けは冷蔵庫の中の丸いタッパに入っているからね。
   後のことはおねがいね。

居間のテーブルの中央に目立つように置いて立ち上がり、確認するように部屋を見渡す。
「よし!」

ショルダーバックを肩にかけ玄関に向かう。決心が揺るがないようにすばやく鍵をかけ、
家を後にする。その後は決して家を振り返ることない後ろ姿が、どんどんと小さくなっ
ていくだけだった…。
ページをめくるソラ