この戦いに、正義はない。
結局、これに尽きるのでしょうね、龍騎という作品は。正義なき戦い。でも、戦っているライダーたちにはそれぞれに「信じるもの」があって。
切ないです。1年間とても楽しませてもらいました。けど、これで終ってしまったんだと思うと、淋しくてなりません。
前半の悲劇と、ラストシーンのほのぼのした展開と。解釈は、ひとそれぞれだと思います。制作者側に意図するところは明確にあるのでしょうが、その通りに受け取られなくても、それがテレビドラマだし、全部説明されても解らないものは解らないし、解る必要も特にないかな、と思ったりします。
ライダーたちに、それぞれの「信じるもの」があり、彼らなりの「正義」があったとしたら、視聴者には視聴者一人ひとりの受け取り方があって、当然なんですよね。
というわけで、見終わった今、私には「こうならいいのに」という願望混じりの解釈と、「でも多分こういうことだったんだろうな」という二通りの解釈が頭の中にあります。
でも願望混じりの解釈に関しては、既に小説にしてしまいました。蓮が勝ち残り蓮の望みがかなって、再び戦いのない世界で、真司と出会う、というようなものですね。いや、小説に書いたものは、当然ですが微妙にニュアンスが違いますけどね。
実際の最終回は、蓮の望みは結局最後まで恵里の命だったようです。新しい命を前にした蓮のフラッシュバックで、優衣と真司の最期の姿が映ったときには、ちょっと期待するものもあったんですけど、結果的には恵里の病室に行ってしまいましたし。恵里に新しい命と指輪を渡して、力尽きて逝ってしまった蓮。
でも、そんな姿は結局、龍騎の……というか、真司に殉死したようにしか思えなかったんですけど。
恵里が、傍らで寝ているだけだと思った蓮が実はもう、死んでいるのだと気がついたら、どういう気持ちだったんでしょう? 助けてくれてありがとうなんて、やっぱり思えないですよね。本当に蓮のことが好きだったなら、先に死なれるほうが、自分が死ぬより辛いから。終始寝たきりだったうえに、最悪の結末。なのに、少しも同情する気持ちになれないのは、やはり彼女のあの状況が、自業自得にしか見えないせいなんですが。くどいようですが、二十歳を過ぎた大人が自己判断で、危険と解っている研究室で実験に参加したわけですから。蓮に負い目をおわせたままで、一瞬目が醒めたときにも、それをクリアにする努力をしなかった報いを受けたとしか思えないわけです。ずっと寝たきりだったのに、なんで眉墨だのマスカラだの、あれだけきっちり化粧しているのか、気持ち悪いぞ、って思いもあったり。
吾郎ちゃんがゾルダに変身していたことには、驚きました。後から考えてみれば、戦っている最中にいつもみたいなゾルダの声が全然入っていなかったのだから、そこで気がついても良さそうなもんだったのに。全然解りませんでした。後から、見返して、すごいなーと感心してしまいました。
けど、事情が解らない浅倉は、可哀想でした。あんなに待ち焦がれた相手と戦っているつもりだったのに、本人じゃなくて。
「何故だ」って繰り返していた彼が、なんだか痛々しくさえ感じてしまいました。あんな凶悪なキャラクターなのに、不思議です。
それにしても、警察の所業は現実なら非難されそうですよね。抵抗したら射殺もやむなし、とか言っておいて、ただ鉄パイプ振り回して走ってきただけの相手を蜂の巣ですから。そこまで、残酷な描写はなかったんですけどね。浅倉の今までの罪状や、行動から考えれば殺されておしまいというのは、納得いくんですけどね。ただ、あまりにも一方的過ぎたかな、と思ってしまいました。浅倉は、漠然とでも、吾郎がゾルダになったということは、もう北岡がこの世にはいないと察して、結局彼もまた北岡に殉死するみたいに、覚悟のうえで警察が銃を構える中に突っ込んでってしまったように見えました。
最終回で解ったことは、オーディンが沢山いたらしいというのと、それに人間体はなく、士郎の代わりの人形みたいなもんだってこと、優衣を助けるために、士郎は同じようなことを繰り返してきたらしいということ。
そして、優衣が今度こそそれを拒み、生き返らずともそばにいるからと士郎を止めたこと。
消えかける前に口にした通り、みんなが笑顔でいる絵を描いて、モンスターは描かずに、その通りの世界を実体化させた。
で、ラストシーンに繋がっていったということ。全部がなかったことになったということじゃなくて、真司や蓮に会って、どうしてももうこんなことを繰り返しちゃいけないと優衣も思ったし、それを士郎に納得させることが出来た。だからこそ、みんなが笑顔でいるけど、二人は子供の頃のままのポートレートを花鶏に残し、彼らだけが存在しない世界が、ラストに出てきた、という話だと思ったんですが。多分、違う解釈もありなんでしょう。
物足りなさが残るのは、やっぱり主人公としての真司が最後にあまり活躍していないように見えてしまったことでしょうか。尺の関係もあったのでしょうが、そして、先生や浅倉FANを敵に回したいわけじゃないんですけども、敢えていうなら、ゾルダVS王蛇の戦いを49話で全部見せてでも、真司がモンスターに背中を刺されながらも戦って、思いを蓮に告げて死ぬって場面が最終話に入っていたら、完璧だったと思いました。
そのほうが、士郎が蓮に最後のライダーとしてオーディンと戦えって言った言葉も、嘘じゃなくなる感じだし。だって、あの時点で王蛇とゾルダが生きてる状態は、どうしても不自然に見えてしまったし。
なのに、こういう構成にされてしまったのは、予想外に王蛇やゾルダに人気が出てしまったせいで、二人を最終回前に殺すのは忍びないってことになってしまったのかなぁ、なんて想像してます。どうか、解らないですけどね。
あれが、優衣たちの願っただけの想像の世界だったとしても、優衣たちがモンスターを描かなかったために選ばれた新しい現実だったとしても、100%ハッピーエンドではないですよね。なんて言っても、その優衣がもう、この世に存在しないことになってしまっているので。
なんだか、それがすごく残念というか、それだけはどうこじつけても、無理だったのだなぁという感慨があります。優衣は、底抜けに明るいとか、元気がいいとか、そういうキャラではなかったけど、不器用なりにやさしくて強くて、魅力的な女の子だったんじゃないかと思うので。
ラストシーンで、初めて出会った蓮と真司は、知らない同士のはずなのにお互いが気になる様子で、何度も睨みあって、というか、見詰め合っていて。いい場面でしたね。蓮がどうして花鶏にいたのか、どうして真司が花鶏に行ったのか、何の説明もなされてはいませんでしたが。呼び合うものがあったのだろうな、と思うと、それが救いのように思えます。
ちょっと気になってることを少しだけ。
大量発生したモンスターは、どうなったのか? それと、最初の設定では、優衣はモンスターが見えると言ったせいで、近所の子供たちにいじめられて、士郎がそれをかばっていた場面があったんですよね。でも、後から二人でモンスターの絵を描いたのは、親によって監禁されてしまったせいという話になっていて。なんか、辻褄合ってないんですけど、どうなんでしょう? モンスターやミラーワールドは、二人が描いた絵のせいで出現したわけじゃなくて、優衣には最初からその存在が見えてた。見えたから絵に描いた。でも、描いたせいで見えるだけじゃなくてそこに実体を与えてしまった。だから、見えても描かずに、笑顔でいるみんなの絵を描けば、ミラーワールドも優衣にだけ見える架空の存在でおさまるってこと?
無理矢理説明してみましたが、どうだか解りません。それぐらいしか、解釈のしようがないなーということで。
所詮子供向け番組だと投げてしまえば、それまでです。でも、せっかくだから、真面目に考えて遊びたいんです。遊びだから、気合い入ってるんです。バカバカしいと投げないで、一緒に遊んでくれる方だけ、読んでくださればと思ってます。
優衣の悲劇を無駄にしないためにも、真司や蓮の記憶は、すっかりなくなってしまっているとは思いたくないですね。あれは、新しい別の世界ではなく、修正された世界。だから、少しだけ二人には記憶の欠片くらいは残されていて。優衣がいない寂しさもあって、二人はあの店に惹きつけられる。だから、出会ったし、だからこそ気になる。そんな新しい世界がラストシーンだったと、勝手に思っています。
道端で真司を占っていた海之や、自転車でぶつかってきた東條、やっぱりイライラしてた浅倉。そして、相変わらずスーパー弁護士ぶりを発揮しているらしい北岡と、しっかり彼と一緒にいた吾郎ちゃん。
彼らの新しい世界を色々と想像して、まだまだ沢山遊べそうです。
そういった意味を含めましても、仮面ライダー龍騎は私にとって、最高傑作と呼べる作品です。本当に、面白かった。
一年間、感想を読みに来てくださった皆さん、ありがとうございました。
↓同人誌のCM
というわけで、色々と妄想をかきたてられまくっております。既刊もありますし、これから発行の予定もあります。もうしばらく、三咲とりかにおつき合いください。よろしくお願いします。色々捏造するのに、こんなに素敵なラストは他に考えつかないほどですね。優衣がいないことだけ、残念でなりませんが。同人誌ならなんでもアリってことで。優衣がいる世界を書いてしまうかも知れません。