ひみつ

 
 石岡は苦悩していた。こんなことは、決して同居人であり誰より彼にとって尊敬とあこがれの対象でもある彼にも、相談することは出来ない。彼ならば現実を正しく受け止め、どう対処すべきかも、これからどうすればよいかということも、簡単に結論を出してくれるのかも知れない。
 解っているのだ。そんなことは百も承知だ。
 だからこそ。だからこそ、言えないのだ。と、石岡は思う。
 思えば昨夜は台風がきていて、外では雷の音がけたたましく、稲光は幻想的で、なんだかとてもロマンチックだった。
 それで石岡は、アパートの窓辺に立ち、ピンク色のプラズマに見とれていた。
 中でもひときわ強い光を直視してしまった時、それは起こった。何が起きたのか、咄嗟には判断出来なかった彼だが、自分の身体の中に、何か未知の力が漲るのを、確かに感じたのだ。
 石岡は、台風が行き過ぎて昨夜の暴風雨が嘘にように晴れ渡った空を見上げて、溜め息をついた。
「どうしたんだい、石岡君。今日は、もう七二回目の溜め息だよ」
「え? そんなについてないだろう?」
 御手洗の当てずっぽうに決まっている指摘に、ついつい真面目に答えてしまって、石岡は苦笑した。
 この頭のいい男なら、現実を把握して、うろたえることなどないだろう。こんな自分のことを知ったとしても、気味悪がるなんてこともありはしない。
 それでも、と、石岡は思う。
 自分の能力のことを知ったせいで、この心地よい二人の関係が崩れてしまうのではないだろうか? 御手洗は、 自分を今まで通りに扱うことが出来なくなってしまいはしないだろうか?
「今日の君はずっとなんだか憂鬱そうじゃないか。何か悩みがあるのなら、話してみないかい? まずは、冷たい麦茶でも飲んで落ち着いて」
 石岡はめずらしく御手洗がついできた麦茶のグラスを受け取って、微笑んだ。頼りなく、儚い、なんだかとても無理して作ったような表情だった。
「ありがとう、だけど、別にたいしたことじゃないんだ」
 石岡はそう言ってグラスの麦茶を一口飲むと、テーブルにそっと置いた。
 その汗をかいていたグラスが、テーブルの上を滑った。
 石岡は目をぎゅっとつぶって『落ちるな!』と、念じた。
 すると、グラスはテーブルの端、ぎりぎりのところでピタリと制止した。
 石岡は青ざめた。
 隠そうと思っていたのに。御手洗だけには決して知られるまいと思ったのに、どうしてこんなに簡単に、自分はこんな能力を発揮してしまったんだろう?
「セーフだね、石岡君」
 だが、御手洗は何事もなかったように屈託なく笑ってそう言った。
 石岡は、感動していた。御手洗には今のことで自分の能力がバレてしまったはずなのに。それでも気がつかないフリをしてくれているのだ。偶然で済ませてくれようと言うのだ。
 御手洗の深くて広い愛を感じ、石岡は幸せな気分でいっぱいになった。
 幸福に浸りきっている石岡には、その後の御手洗の呟きなど、耳に入るはずもなかった。
「やっぱりこのテーブルちょっと傾斜かかってるんだな。端っこに滑り止めつけといて良かった。それにしても石岡君、さっきの憂鬱そうな顔が嘘みたいに、今は随分と機嫌がいいな。良かった。躁鬱なんて僕の専売特許だからね。石岡君にはいつも笑っていてもらわなきゃ、安心して鬱にもなれやしない」
 

anib11.gif『二人のひみつ』へつづく
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