ふたりのひみつ

 

 どんなに大切なものでも、いつかは手放さなければならなくなる時が来る。どんなに、愛していても、別れの時は必ず訪れる。
 そんな当たり前のことを、自分は失念していたのか。それとも、忘れたフリをしていたのだろうか?
 石岡は深くふかく、思い悩んでいた。
 傍らのソファには、何も知らない同居人が長く寝そべって昼寝を楽しんでいる。
 いや、御手洗は何も知らないわけではない。
 本当はずっと前から気がついていたのに、知らん顔をしてくれていただけなのだ。
 最初は、良かった。ただ、ちょっとだけグラスを動かすだけ、スプーンを曲げられるだけ、それっぽっちの微弱な能力だったのだから。
 だが、もういけない。能力は日増しに強くなっているのだ。このままでは、際限もなくパワーアップしていってしまいそうな自分が怖い。
 どんどん、御手洗と同じ人間とは呼べない存在になってゆく自分を止めることも出来ないなんて。
 石岡は御手洗の寝顔を見下ろして、切なく溜め息をつく。目を閉じていると、皮肉に眉をつり上げることも、意地の悪い口調で日本人論をぶつこともなく、ただ端正で、優しい顔立ちばかりが目につく。
 こんなに天才じゃなくても、優れた探偵なんかじゃなくたって、自分はこんなにも御手洗に惹かれているというのに。
「ごめん、御手洗。僕らはもう一緒には暮らせないよ」
 寝顔にそっと囁いた。その声を、御手洗は寝ていてもしっかりと聞き取ったのだろうか?
 いきなり彼はパチリと目を開いた。
 そして、半身を起こすと、真っ直ぐに石岡の瞳をのぞきこんだ。
「石岡君。君の憂鬱の原因を知っていながら、気がつかないフリをしていたことは、本当にすまなかったと思うよ。だけど、君があんまり面白かったからつい・・・...」
 石岡は耳を疑った。
「ひどいよ御手洗。僕がこんなに真剣に悩んでいるのに、君はそれを笑うのかい?」
 御手洗は、心底困った、という顔をした。
 それから、しばらく考えこんでから、何かを思いついたらしく、パチリと指を鳴らした。
 すると、唐突にステレオのスイッチが入り、石岡の大好きなビートルズが流れ出した。
 驚愕に凍り付いている石岡に、御手洗は極上の笑顔を見せる。
 そして、もう一度パチリと指を鳴らす。
 すると、テーブルには、ティーセットとスコーンののった皿が二組現れた。
 とたんに部屋はアールグレイのやわらかな芳香で満たされた。
「御手洗、これはいったい?」
「石岡君。世の中は常に進歩しているのさ。人間だって同じ事だ。君も、僕も、少しずつだけれど、脳の中で未使用だった部分を使用出来るようになってきているんだ」
「僕だけじゃなかったんだね、御手洗」
 石岡はしばらくぶりに心からの笑顔を見せて、思い切り御手洗に抱きついた。
「石岡君が元気になってくれて嬉しいけれどね、取りあえずは冷めないうちに、このお茶を飲まないか」
「そうだね、御手洗。いただこう」
 石岡は幸福に酔いしれながら、紅茶を口に運んだ。一口飲んで、その味のすさまじさに絶句した。
 これは御手洗の能力で、用意されたものなのだった。どんなに人間が進歩して、今まで使われていなかった能力を自在に操ることが出来るようになったとしても、それで御手洗の味音痴が完治するわけではなかった。
 石岡はそれでも幸せだと思った。
「どんなに能力が進歩しても、君には僕が必要だってことが、とてもよく解ったよ御手洗」
 
 

water01d.gif 『ふたりだけのひみつ』へつづく
water01d.gif ショートショートのもくじへ戻る