会いたいリミット

 

 

 

「火村先生やないですかぁ」

 どやどやと入ってきた一団の先頭の青年が私の連れに目をとめて近付いてきた。男女取り混ぜて6、7人程の彼らは年齢と火村を先生と呼ぶことからして多分私の後輩にも当る学生達なのだろう。

 特に女の子達は火村のファンのようで、目の色が変わっている。

「偶然にしてもラッキーやわぁ」

「先生こんなところで飲まはるんですねぇ」

 等々、彼女達は口々に無邪気な感想を述べた。

 狭い通路で火村を囲んではしゃぐ女性陣を苦笑交じりに見ながらリーダー格らしい青年――一番最初に我々を見付けた彼だ――が声を掛ける。

「もしよろしかったら一緒にどうです? 幸い火村先生のファンばかりですし、ここのカウンター狭いでしょう?」

 団体客御用達の安いチェーンの居酒屋は座敷の大きなテーブル重視の作りで、自ずから小人数の客の詰め込まれることになるカウンターは確かに狭かった。

「どうする先生? 彼等はなかなか面白いレポートを書き上げてくる前途有望な学生ばっかりだぜ」

 珍しく女性混じりの会合の誘いを断らない助教授の態度に興味を覚えたことと、更に2人連れの客が暖簾をくぐったのを目の端で捕らえたことで、私は火村の問いに肯定の意を返した。

 

「そういえば」

 皆がそれぞれ注文を伝え、伝票を持った店員が遠ざかるのを見送って火村が口を開く。

「見たところ学部も学年も違うようだが何の集まりだい?」

「サークル…あ、俺ら推理小説研究会なんですけど、の定例の飲み会です」

 それを聞いて火村はチラリと私に視線を投げニヤリと笑った。どうせ「お前のご同類だぜ」とでも言いたいのだろう。

「道理で講義のほうも熱心な面々が揃うはずだ。教養課程でもないのに理学部だの工学部だの畑違いの学生が何を好き好んでと常々疑問に思っていたんだが謎が解けた」

「趣味と単位取得と一石二鳥です」

 ショートカットで目の大きななかなかの美女が言うとすかさず野次が飛ぶ。

「火村先生の顔拝むのとで三鳥の間違いやろ」

 その台詞に一同は笑いさざめいた。そして何秒か後に、ふと笑いがとぎれ沈黙が訪れる。しばらくはそれぞれが隣同士でヒソヒソと話をしながらグラスや先付の小鉢に口を付けていたが、会話を探るように隣に座った一番若く見える色白の女子学生が私に聞く。

「火村先生が『先生』って呼んではりましたけどどこかの大学で教えてらっしゃるんですか?」

 その言葉にそれまでぼんやりと傍観者の立場に立っていたはずの私が注目を浴びることになった。

「いや、残念ながら君らの先生は同業者やないよ」

「でも先生なんでしょう。高校かなんかですか」

 私はそれにも首を横に振る。

「こいつは教師でも医者でもないのに先生という不届きな奴だ」

「別に俺がそう名乗ってるわけやないぞ。それじゃあ自分でそう呼んでくれと言って歩いてるみたいやないか」

 世間一般では先生と呼ばれてもおかしくないらしい文筆業に携わって、数年になるが、その呼称で呼ばれるのは――火村あたりが戯れに使う場合などはともかく――いまだにおもはゆい。

「一体何の先生なんですか?」

 当然の問いが学生の間からあがる。

「当ててみるといい。もし当たったらここの勘定は俺が持とう」

 妙に機嫌のいい火村が言い、学生達ががぜん色めき立つ。酔狂にも推理研なんかにいる連中だ、こういうゲームは好きなのだろう。

「質問はしてもええんですよね」

「勿論。ただし俺がストップを掛けたらその質問については打切りだ。こいつは口滑らせるのが得意だからな」

 失礼なことを言いつつ当事者を後目に学生達と火村は真剣にルールを取り決める。

 タイムリミットは一時間。

「じゃあ質問します。ええと…」

 私に向き直ったリーダー格――実際に会長だそうだ――の青年が少し戸惑ったように口ごもる。

「お名前伺ってませんでしたね。それから聞いてええですか?」

 そう言えば済し崩しに雪崩れ込んでしまってろくな自己紹介もしていなかったことに気付く。

「そうやなあ、言うたら判るかもしれんから言わん方がええな」

 確認するように火村を見ると軽く頷かれる。

「うーん、秘密ですか。それじゃあ、ややこしいですけど先生って呼ばしてもらいます」

 私は首を縦に振る。この場合仕方がない。――まさかミスターXと名乗るわけにもいくまい。

『頭を使う仕事ですか? 身体を使う仕事ですか?』

 とか

『火村先生とはどんなお知り合いですか?』

 とかいう質問に――火村にコントロールされつつも――私は無難に答えていった。

「あと十分だ」

 火村は時計にチラリと目をやり熱心なディスカッションを眺めている。

「ううん、ええと保父さん」

「はずれ」

「弁護士!」

「代議士!」

「家庭教師!!」

「……下手な鉄砲も数打ちゃ当たるって作戦か? あと五分」

 余裕綽々で笑っている火村に学生達にも諦めムードが広がる。

 だが、そこへとんでもない最終兵器が飛び込んできた。

「ごめん遅れて、後の子が遅刻してなぁ〜」

 賑やかに言い訳しながら入ってきたその子に一瞬でみんなそちらを注視する。

「? どないしたん?」

 奇妙な雰囲気に気付いて不思議そうにぐるりと『仲間達』を見渡した彼女は必然的にその隣にいた火村を見つけ目を見開いた。

「火村先生やないですかぁ」

「なんだ牧田もお仲間か」

「うわ。こんなマニアなコンパに参加してるなんてセンセ悪い物でも食べはったんちゃいます?」

「こら、マキ。友達つかまえてこんなとはなんや。こんなとは」

 一番入り口側にいた一人に野次られ話題がそれかけたのを見かねたように部長が割って入る。

「文句の前にマキも参加させろ。ミス研で唯一、火村ゼミにおる貴重な戦力なんやからな」

「は? なんの話です」

 学生の一人が私のほうを指で指し示した。

「その『先生』の仕事当てたらここの勘定火村先生持ちや」

「え、ほんまですか?」

「あと一分」

「ただしあと一分以内に。俺らもうネタ切れやねん。気張れやマキ」

「えーそんなんいうたかて……」

 言いながら私を見た彼女は大きく目を見張り――どうやら驚いたときの彼女の癖らしい――きゃぁっと『歓喜』にしか聞こえない悲鳴を上げた。

「いやぁ、嘘ぉ。先生、地元でしてくれへんからこの間の東京のサイン会行きました。やぁ、嬉しいわぁ。めちゃくちゃファンなんです握手してください。『有栖川有栖』先生(*^_^*)」

 すらりと出てきた台詞に今まで悠然と構えていた火村が溜め息を付く。

 これで、チェックメイト。だ。

 差し出された手を握り返した私を見て学生達が火村に言った。

「ごちそうさまです」

 

 

「ったく。ひでぇめにあったな」

 自主的にはまりにいった火村の台詞に私は吹き出した。

「いい年して学生とはしゃいでたせいや」

 火村は苦々しげに眉をしかめた。

「こっちにも色々都合ってもんがあるんだよ。少しは危機感を植え付けてもらわねえとな」

「なに?」

 じっと見つめられて内心ドキドキしながら私は訊いた。

「何ケ月会ってなかったと思ってるんだよ?」

 ここ二ケ月ほど私達は全く顔を合わせられない日々が続いていた。そしてそれは主に私側の理由で。

「お前が『会ってない時に何やってるか心配だ』と思うように」

「え? そうやったん?」

 全く気付かなかった。

「そうだろうと思ってたけどな。少しは妬いてくれ。俺は妬いたぞ」

 火村は私を抱き締め、拗ねたような声で囁いた。――あの後、趣味の話に突入して結局火村の方が疎外感を覚えるような結果になってしまっていた。

「別に妬かないわけやないけど……火村の好みはよう知ってるからな。火村の好みは頭が良くて格好の良い推理小説作家やもん」

 いたずらっぽく言うと火村もニヤリと笑う。

「おしいな俺の好みはおっちょこちょいでぼけっと可愛い推理小説作家だぜ」

 その台詞に私は火村の脇腹を思いっきりつねった。

 

 

《終》

 

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