昨夜のアリバイ

 〜誰が犯人かは作者も知らない〜

***11***

 

 蛙の子は蛙。ということわざがある。鳶が鷹を生む。ということわざもある。二度あることは三度ある。と言ってみたり、三度目の正直。というのと同じことだ。ことわざや格言などというものは、たいてい正反対の意味を持つものが存在している。言葉は所詮、ひとが作ったひとのための道具であるから、その時々で、TPOに合ったほうを選択すればいい。

 目のまえで静かに座っている野脇耕一郎の姿を見ながら、アリスは考えていた。

 それでは、この親子の場合は、どちらを選択すべきだろう? と。

 そんなアリスの思惑とはまったく関係なく、船長は改めて火村とアリスを野脇に紹介し、今回の事件について簡単に説明したあとで、協力をもとめた。

「非常に礼儀正しい青年でしたのに、残念なことになってしまいました」

 暗い表情で呟かれた野脇の言葉を、火村もアリスも意外な気持ちで聞いた。野脇父のほうに、宇藤隆と面識があるだろうとは、思ってもみなかったからだ。

「宇藤さんをご存知でしたか?」

「はい。五年ほどまえ、宇藤地所の創業三十周年記念パーティの司会を申しつかりまして。それ以来、社長の講演会などでもよんでいただくようになりました。今回、この船にお招きいただくことになったのも、そのおつき合いがあったからです。もっとも、この船ではお会いしないうちにこんなことになってしまいましたが」

 アリスは首を傾げる。火村も、同じことを疑問に思ったらしく、アリスのほうを見た。

 それから野脇に向き直り、スターデッキで会ったあとの話をする。

「実は、あのあとわたしたちは、宇藤さんと婚約者の古藤田さんが揉めているようなようすを見かけたのですが?」

 火村とアリスが気がついたのは、勝美が甲高い声で騒いだせいだ。けれど、話をしていたのはもう少しまえからだっただろう。だとしたら、二人より一足早くしたに降りたはずの野脇が行き会っていた可能性は高い。

 火村がそれを説明すると、野脇はちょっと困ったような表情で頭に手をやった。

「ええ、実はあのとき、すれ違ってはいるんです。けど、とてもご挨拶できるような状況ではありませんでしたでしょう? わたしとしては、見て見ぬふりで通り過ぎるしかありませんでしたから」

 婚約者と揉めているところに、知り合いに挨拶などされたくないだろう。野脇としては気を遣ったということらしい。けれど、その野脇の台詞には、軽い後悔が入り混じっているようだ。それが最後のチャンスだと知っていたなら、割り込んででも話しかけてしまえばよかった。そんな感傷にとらわれているのかも知れない。

「それで、この船に乗る以前には、親しくお話をされる機会もありましたか?」

 婚約者当人でもなく、その会社の関係者でもなく。野脇耕一郎は、たまに宇藤地所の仕事をしていたとはいえ、社員であったわけではない。第三者としての話が聞けるかも知れない。火村はそう考えたらしい。心持ち身を乗り出した。

「いつも物静かで、人当たりはいいのですが、口数の多いかたではございませんでしたので。年齢差もありますし、わたしなどでは、お話相手にもなりませんでしょう。とても親しくしていた、とは言えません・・・・・・ただ」

 野脇は、なにか思い出したことがあるようだが、それを言おうかどうしようかと迷うようすを見せた。

 火村もほかの誰も、野脇をせかそうとはしなかった。ただ、黙ったままで次の言葉を待っている。

「関係ない話かも知れないんですが」

「どうぞ。なにが関係してくるか解りませんから、おっしゃってください」

 野脇は、遠い昔を懐かしむような目をして言った。

「いつだったか隆さんに、プロ野球の実況中継とは、間近で野球が見られて羨ましい仕事ですね、とそんなことを言われたことがありました。最初は社交辞令だろうとお礼だけ言って聞き流そうとしたのですが、プロ野球の話をお聞きになりたいごようすで、彼にしてはめずらしく、目を輝かせてました。身長も体力も運動神経もなにもかもスポーツに不向きだけど、観戦するのは大好きなのだとおっしゃって、出来れば裏方でも野球に関わる職業を選びたかったのだとか、本気か冗談かよく解らないような口調でしたが、そんなことをお話した記憶がございます」

 アリスはその話を聞いて、難しい表情になりながら手帳に『プロ野球ファン?』と書き取った。

 あまり事件と関わりがあるとも思えなかったが、宇藤隆の人物像があまりにも漠然としているので、少しでも足しになるかと考えたすえのことだった。

「これは、皆さんにお伺いしているんですが」

 火村は、めずらしく断りをさきに口にしてから訊いた。

「昨夜の午後8時から今日の午前0時10分までの間、どちらにいらっしゃいましたか?」

「ずっと、ひとりで部屋にいましたよ」

 野脇は即答した。考えるまでもない、というようすだった。

「どなたか訪ねていったり、ルームサービスを頼んだということはありませんか?」

「7時からのパーティに30分だけ顔を出したのですよ。そこで、急いで食事をすませてしまいましたので、ルームサービスも頼みませんし、どなたかが訪ねてこられたということもないです」

「30分でって、お加減でも悪かったのですか?」

「いいえ。ただ、息子が女性の取り巻きをたくさん連れてる場所に、いつまでもいると邪魔だろうと思ったものですから」

 その言葉に火村は戸惑ったようすで、アリスを見る。アリスのほうも、困惑を隠せない。仲が悪いというようでもないが、父親が息子にそういった気の遣いかたをすることが、どういうことかはかりかねている。

「不思議に思われるかも知れませんね。でも、愚息はこれからってところなので、邪魔になりたくないんですよ。中途半端に名を知られている父親が、地味にどんより同じ場所にいるというのは、どうにも具合の悪い状況に思えたものですから」

 野脇は確かにその息子のような華やかさは持っていない。けれど、誠実そうで人当たりもよく、社交的でもありそうに見える。そもそも、パーティで遠慮するくらいなら、この船自体に乗った理由が解らない。

「立ち入ったことを伺いますが、どうしてこの船に乗ろうと思われたんでしょう?」

 疑問をストレートに口にした火村に、野脇は穏やかに微笑んだ。

「ただ単純に、乗ってみたかったんですよ。豪華客船というのがどんなものか。そこから見る海が、どんな風なのか。それが知りたかっただけなんです。パーティにもそこに集まる財界人、著名人にもまったく興味はありませんでした。もう引退しようという身ですから、これから顔を売ろうなんて野心もさらさらありませんからね」

「そうでしたか」

 乗客の人数分だけの、事情や背景というものがある。

 宇藤隆を殺した人間の事情はなんだったのか? その動機はなんだったのか?

 周辺の人々に話を聴いても、まるで見えてこない。時間はもう、あまり残っていないのに、話を聴きたいひとはまだたくさんいる。

 そんな焦りを心に隠して、火村は深く頭を下げた。

「ご協力ありがとうございました」

「大変なことになってしまいましたが、わたしにお手伝いできることがあったら、なんなりとおっしゃってください」

 声のトーンが、明らかに、疲れたようすの火村とアリスを労わっている。

「はい、またなにかあったら、お話を聴かせていただけますか?」

 野脇はいつでもどうぞ、と頷いてから、部屋を出ていった。

「似てへん親子やなぁ」

 アリスが、複雑な表情で野脇の出ていったドアを見ながら呟いた。

「まったくな」

「次は、どうしましょうか?」

 船長は、また二人の世界を作られてはたまらないとでも思ったのか、すかさず声をかけてきた。

「それじゃあ、勝也さんのお取り巻きのひとりでも。あの、宇藤さんのことを勝也くんに教えたという女性をよんでください」

 名前を確認していなかったので、勝也経由で呼び出すことになった。

 部屋に現れたのは、昨日野脇に勝也のことで話しかけてきた派手な三人組のなかのひとりだった。

 

 

12へつづく(2000.8.5)

 

 

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