ほんきぃとんくほわいとでぃ
あたし、小川真琴。 秀和学院高等部二年一組。この世に価値あるものは、何よりも美しいもの、と信じてる十七歳。 愛読書は『風と木の詩』に『トーマの心臓』 定期購読誌はjuneにラキッシュに、花音とイマージュと花丸…と、後なんだっけ? とにかくその手の雑誌は手当たりしだい。 うちは普通の共学高校だけど、それでも鑑賞に耐えうる男子生徒はそれなりにいる。 なんたって、一番は、我がクラスのクールビューティー火村英生くん。 それはもう、中等部の頃からずっと注目の人ではあったんだけど―。 彼ってば、あんまりにもクールすぎて、つまんなかった。 はっきり言って、誰にも興味ないみたいなところが。 やっぱり、美しい男には、相応の恋人がいて、それでこそ鑑賞する楽しみも倍増するってもんじゃん。 もちろん、恋人ってのは男だよ。オトコ。 そこへいくと相応、というのにはちと役者不足かも知れないな、というのがあたしの主観だけど、今年の春に転校してきた男の子が、何故だか火村くんととっても仲良しで超激らぶっ。 もうこれは、彼等からは目がはなせないぞ! っつー感じ。 学校来る楽しみの大半は彼等を眺めてることだもんね。 その転校生の名前は、有栖川有栖。 超可愛らしい名前だけど、これがちゃんと男の子で。 彼がまた、転入早々火村くんに見とれてくれちゃってさ。 「ライバルは多いと思うけど、フリーには違いないわよ。どう、アリス頑張ってみる?」 って、訊いてあげたら、耳まで真っ赤になっちゃって、ありゃー絶対脈ありと見た。 あたしはもちろん、彼等が幸せになってくれるなら、いくらでも協力してあげちゃおうって考えてるんだけど、それじゃあ困るって奴もいるんだよね。あたしに言わせりゃ、なんて無粋な奴、ってもんだけど。 けど、それが幼稚園からの腐れ縁で、端から見たらどうやらあたしの親友に見えるらしい野坂藍だったりするもんだから、話はややこしい。 昼休みの教室で、同じクラスの野坂藍があたしの席まですごい形相でやってきた時には、何が起きたかなんてだいたい予想がついたね。 「何も、連れションに誘わなくても、ここで話そうよ」 という提案を無視して、藍はずんずんとトイレまであたしを連行した。 せっかく教室で食後の談笑をかわす火村くんとアリスを見て楽しんでたのに、邪魔しないで欲しかったわ。 けど、藍にとってはそれどころじゃなかったらしい。 「もう、聞いてよ。アリスったらな」 よりにもよって、彼等の幸せを喜んであげられない藍の事情というのは、アリスに片思いしているということだった。 考えようによっちゃ、火村くんと同じ趣味ってわけだからさ、悪趣味とは言わない。だけど、どうして火村くんじゃなくてアリスのほうなのか? あたしにはよく解んないよ。 「私にくれたん、これなんよ」 藍の喋りはここ二年ほど、ずっとエセ関西弁だ。某関西系ジャニーズの二人組(のどっちだか、私には解らないし、興味もないけど)に惚れたおかげで、どういうわけかスジガネ入りの関西オタク。 関西人が聞いたら怒るんじゃないかと思うような変な喋り方なんだけど、あたしはそれをわざわざ指摘してあげるつもりはない。 まぁ、本人がそれで満足ならいいじゃん。 でも、そんなんだからこの子がアリスを好きな理由の半分以上は、彼が関西出身で、関西弁を話すからだとふんでいる。 なんてことはさておき、藍が差し出したてのひらにはキャラメルが一つのっていた。 あたしは、ぷっ、と吹き出してしまった。 「アリスらしいじゃん。そりゃあ、もらえるだけマシってもんよ。良かったね」 だが、藍はちっとも喜んでいないようだ。 「私はアリスのために、わざわざ自由が丘まで行って、行列に並んでようやく手に入れたもの凄く美味しい生チョコをあげたんよ。そら、金額がはればええっちゅうもんやないけど、気持ちの問題やないの。それだけごっつう気持ちこもってたってことなの。なのに、そのお返しがこれなんて、あんまりやと思わへん?」 つまり、今日は三月十四日なんだった。 ホワイトデーがなんの日か、それをアリスが知ってたってだけでも、あたしなら上出来だと思うんだけど、藍はそうは思えないみたいだ。 「仕方ないじゃん。アリスって、一人暮らしなんでしょう? キャラメル一つでも、大変だったかも知れないよ」 今時、そんな奴いねーだろう、と思いつつも言ってみた。 藍は案の定、いやーな目でこっちを睨む。 「キャラメル一つ、やなくって、キャラメル一粒なんよ! それもな、あたしの見てる前で、他の何人にも配ってたのっ!」 藍がヒソウ感漂わせて言えば言うほど、あたしはおかしくって笑ってしまう。 「それこそアリスらしいよ。その他の子たちからもチョコレートもらったんでしょ。いいじゃん。あんたの分だけなかったんなら怒るのも仕方ないけど、藍だってもらえたんだからさ」 「ほんまに、真琴ってば友達甲斐がないわ。もう少し親身になって聞いてくれたってええやんか!」 口をとがらせて藍が言う。どうも、怒りの矛先がアリスからあたしのほうに移ってきちゃったみたい。かんべんしろよなー。 「だって、アリスには火村くんがいるんだから、どう逆立ちしたって、藍の出る幕なんかあるわけないじゃん。そんな報われない横恋慕、応援のしようがないもーん」 「あんな。その病気どうにかならんのん? 前々から言わなとは思ってたんやけどね。真琴のその妄想癖はヤバイって。そら、あの二人が仲良しなんは認めるけど、それは別に、あんたが思うてるようなんやなくて、普通の男同士の友情やろ。変な本ばっか読んどるから、世の中歪んで見えてきてしまうんやで」 「妄想なんかじゃないっつーの。あいつらは、本当のホンモノだよん。あたしの観察眼に狂いはないよ」 拳をかためて力説するあたしに、藍は嫌そうな視線をくれる。 「そやけど、火村くんはキャラメルなんかやなくて、ちゃんとしたキャンディーを隣のクラスの七海にあげたって噂やない」 ウソッ。 あまりのショックに思考停止して口をパクパクさせていると、藍はさらにたたみかける。 「七海って、美人やもんねー。うちのクラスで火村くん狙ってた子たちがショック受けながらも、あの子ならしゃーないかって話しとったよ。美男美女のカップルやて」 ジョーダンじゃないわっ! あたしは認めないわよ。 隣のクラスの町屋七海は、確かに美人だし、なかなか頭もいいらしい。直接話をしたことはないけど、試験の順位発表では上位でよく名前を見かける。 だけど。 いっくら美人で、才女でも。 火村くんの相手が女だなんて、ぜーったいに許せないっ。 そんなの、美しくないじゃないっ! あたしの美意識は、そんなこと、断固拒否するわよ!! 「きっと、何かの間違いよ! 火村くんがアリス以外の誰かを好きになるはずないもん。七海がウソついてんじゃないの?」 あたしは断言しちゃった。 その時、ものすごくタイミング良く、隣のクラスの町屋七海がトイレに入ってきた。 あたしたちは、トイレの手を洗うスペースで二人、こそこそ話してたんだけど、当然耳に口を寄せて内緒話してたってわけじゃなかった。だから、今のあたしの台詞は、ばっちり当事者に聞かれてしまってた。 「小川さんって、いったかしら?」 七海はハスキーな声で威嚇するようにあたしに聞いた。隣のクラスの子の名前なんて、全部覚えてやしないけど、七海はあきらかに、知っていて、嫌味ったらしく確認したのだ。 「そうだけど」 あたしも、開き直って睨み返した。 立って並ぶと、七海はあたしよりも8cmくらい背が高い。長身の火村くんの隣でも見劣りしないプロポーション。 モデル体型ってやつですか? それが、なおさらむかつくんだよね。近くにいると、カンペキに見下ろされてるってのが、超むかつく。 「私が、なんでそんな嘘をつく必要があるのかしら?」 「だって、火村くんライバル多いでしょ。だけど、彼は女の子になんか興味ないみたいだし。多分今日だってホワイトデーなんか無視してるよ。だったら、先に言ったもん勝ちじゃん? 特に、町屋さんみたいに、自分に自信あるタイプなら、既成事実があるかのような噂流しちゃえば、それだけで、ライバルを蹴散らせるとでも思ったんじゃないの?」 はっきり言って、町屋七海に恨みはない。 全然ない。 なのに、どうしても思ったことがストレートに口から出ちゃう。 「真琴。それ言い過ぎやないの? 根拠はあんたのあの妙な妄想だけなんやし」 やばいぜ、言い過ぎた気がする。って、あたしの気持ちを読んだかのように、藍が割って入ってくれた。 「ごめんね、町屋さん。ちょっとこの子ヘンなんよ。かんにんしてやって」 七海は優雅に微笑んで、同情するみたいな目であたしを見下ろしてくれた。 「いいのよ。小川さんも火村くんが好きなのね。ショックなのは解るけど、彼が私にキャンディーをくれたのは、事実なの」 そして七海は、おもむろにブラシを取り出して鏡に向かい、ちっとも乱れていない長い髪をとかして颯爽とトイレを出て行った。 もしかしたら、用足ししたかったのに、会話の流れが流れだったし、恰好つけて微笑んだあとでは、個室に入りにくくなってしまったのかも知れない。 「なーんか、悪いことしちゃったかなー」 「そうやわ。ほんまに、ああいう妄想は慣れてる私くらいなら、笑って聞いてもあげれるけど、知らない人にまで披露するもんちゃうやろ」 「そうじゃなくて。町屋さん。おしっこしたかったんじゃない?」 「あ、そら、そうかも」 今更のようにここがトイレだったと気づいた藍が頷いた。 どうやら今の一件で、藍の怒りも冷めてくれたらしい。単に、気分が萎えただけとも言うかも、だけど。 「まぁ、考えてみたら、アリスの場合は誰彼かまわず平等にキャラメル一粒ずつやったわけやし。まだ、私にもチャンスあるかも知れへんってことやん」 なんだか知らないが、藍は勝手に納得している。 「それに比べて、あんたの妄想は一巻の終わりやね。これに懲りて、男の子たちを妙な目で見るのはやめて、あんたも普通に恋愛したらええやん」 どうやら、あたしと自分の身の上を引き比べて優越感に浸りこんでくれたらしい。 いいけど。 それでも、やっぱり火村くんにはアリスが似合うとあたしは思うのよ。 しかも、よ。男女間の恋愛が『普通だ』って言い方は、つまり同性だと『異常だ』って言ったようなもんで、そりゃあ、差別ってもんじゃないの! それが、世間様の一般論ってもんかも知れないけどね。だからって、そんなもんに騙されて、公正さを欠くなんて情けないわ。 なんてことは、今は言わないでおく。やっと怒りをおさめてくれたとこだから、これ以上やっかいなことにはしたくないもん。 それでも、言うことだけは忘れない。 「まだ、わかんないじゃん。きっと町屋さんは何か勘違いしてんのよ」 藍は処置無し、というように首を振って、トイレを出ていった。 自分で誘ったくせに失礼な奴だぜ。くそっ。
あたしはそんなことで、火村くんは町屋七海とくっついた、なんて信じなかった。 仮に、火村くんが七海にキャンディーをあげたってのが事実だったとしても、それは別にホワイトデーだから、ではないに違いない。 だいたい、そうじゃなけりゃ、アリスが可哀想じゃないの。 あたしは放課後を待って、帰ろうとするアリスを呼び止めた。 「あれ、俺、小川さんからもチョコレートもらってたかな? キャラメル、残ってたの自分で食べてしもうたんやけど」 激しく勘違いした台詞に、脱力する。 「あげてない。あげてない」 手を振って否定したあたしに、アリスは安心したようすで、人なつこい笑みを見せる。 「そしたら、何?」 「火村くんのことなんだけど」 当の火村くんは、今日は生徒会に召集かけられててここにはいない。本人は嫌がったんだけど、満場一致でクラス委員長になったせいで、中等部の頃のように生徒会役員をやっているわけじゃないんだけどね。 教室にはまだ数人の生徒が居残ってお喋りしたりしてるけど、あたしたちの会話を聞いていそうな子はいない。 いや、藍だけは別みたいだ。 わざとらしく何かを確認するように教科書なんか広げながら、席にいる。 あれは絶対に、あたしたちの会話に聞き耳たててるに違いない。 あーあ。そんなにアリスを気にしても無駄だっつーの。 「今日ね、火村くんが隣のクラスの町屋さんにキャンディーあげたって学園中の噂になってるの」 「ひょー」 アリスの反応は、よく解らない。 喜んでいるようには見えないけど、あたしの言葉に動揺している風でもない。 「ちょっと、アリス。それでいいの?」 「いいの? って、何が?」 「ぐずぐずしてたら、火村くん、町屋さんにとられちゃうかも知れないじゃないの!」 あたしの語気はどんどん荒くなる。 だけど、アリスはのほほんとしたままで、いまいち反応が鈍い。 「とられちゃうって、そんな別に火村は俺のっちゅうわけでもないし……」 「何言ってんのよ。誰が見ても、どう見ても、あんたのじゃないの!」 「けども、ほら。キャンディーの話はあれやないかな。駅前で配ってる試食用みたいなんをたまたま近くにおった町屋さんにあげた、とかそんなとこちゃう?」 アリスの口調はまるで、あたしを慰めようとするかのようだった。 なんだかなー。アリスまで町屋さんと同じ誤解をしてんのか。 「あのねー。あたしは別に火村くんが好きで言ってるわけじゃないんだよ」 「そうそう。それに、火村くんが町屋さんにあげたキャンディーはちゃんとした包装紙にもくるまってたし。駅前でただでもらったやつなんかやないわよ」 黙っていられなくなったらしい藍がいきなり口をはさんできた。 いったいいつその包装紙を見たのやら。隣のクラスまで行って確認してきたのだとしたら、こいつもそうとうの暇人だ。 口では否定しながらも、藍もアリスと火村くんの仲を疑ってるんだ。 だから、藍にしてみれば、火村くんには町屋さんがいるってことで、アリスには自分のほうを見てもらいたいってのが本音なんだろう。 けど、そうはいかないもんね。 「ああ、野坂さん、ごめんな。そうか。来年はキャラメルちゃんと包装紙にくるむようにするから、勘弁して」 あたしはとっさに、キャラメルを一粒ずつ包装しているアリスの姿を想像して笑いそうになちゃった。 それにしても、アリスの感性はズレまくってるような気がする。 火村くんにとっては、このズレ具合さえまた可愛いと思えるのかも知れないけど。 「そ、そんなん言うてんのとちゃうわ。私はアリスからもらったんなら包装紙なんかなくても嬉しいし」 頬を染めて、藍が答える。 こらこら。そんなところで、何を赤くなってんだよ。さっきと、言ってること違うじゃないか! いや、そんなのはどうでもいいんだ。 とにかく、このまま火村くんが七海なんかとくっついちゃったら、あたしのガッコ来る楽しみがなくなっちゃうじゃないの。 「それよりアリス。火村くんは、今日がどういう日だか知らないんじゃないかな?」 「火村が、ホワイトデーを?」 虚を突かれたような表情で、アリスが聞き返してくる。 そうそう。ちゃんとあたしの話聞いてくれなきゃね。 「そうよ。だってね。考えてもみてよ。火村くんは先月、やまほどチョコレートもらってんのよ。なのに、なんで七海にだけお返しするわけ? アリス、あれだけいつもそばにいて、火村くんが七海を好きだなんて話聞いたことある?」 アリスは、首を傾げる。 そんな話を聞いた覚えはないようだ。 「でしょ。だからね。これはきっと何かの間違いなの。なのに、七海はそれを相思相愛の意志表示だなんて受け取って、舞い上がってんのよ」 根拠なんか、ない。 でも、あたしは言ってるうちに、それこそが唯一正しい真実だという気がしてきて、勢いづいた。 「期待させておいて、がっかりさせるのなんて、可哀想だと思わない?」 「そら、ほんまに勘違いなんやったら、可哀想やけど…」 アリスはまだ半信半疑というようすだ。 ここは、もう一押し。 「勘違いに決まってるわよ! あの、火村くんがホワイトデーに女の子にお返しするなんて、天地がひっくり返ってもありっこないじゃん」 「たしかにな。火村はそういう年間行事みたいなんは、何につけても似合わへん奴やとは思う」 「だったら、可哀想な七海のためにも、誤解は早くといてあげるべきでしょ? で、火村くんと一番親しいのはアリスだもん。ここはアリスが火村くんのためにひと肌脱いであげなきゃね」 ははは。自分で言っておいて、なんだか問題発言だぜ、なんて、ヤバイ想像しちゃった。 けど、当然のごとく、アリスにはその言葉は言葉通りの比喩だとしか思われてない。 「いらんおせっかいやって、言われそうな気もするけどな」 アリスはあまり気乗りしないようすだ。 でも、そんなアリスを、あたしは上目遣いでじっと見た。 「そしたら、どういうつもりでその子にキャンディあげたんかってことだけでも、聞いてみることにするわ」 「ありがとう。やっぱりアリスは優しいね」 あたしは、両手でアリスの手を握りしめて喜んだ。 藍の視線が背中に突き刺さる。 けど、そんなの気にしちゃいらんない。 「善は急げ! ね。アリス。火村くんの気持ち、しっかり確かめてね」 気合いを入れて言ったあたしに、アリスはあいまいな笑みを返した。 きっと、あたしがこんなに一生懸命なのが何故だか、彼には理解できないから。 でもいいの。あたしの気持ちなんか解ってくれなくても、アリスは火村くんの気持ちだけ、ちゃんと解ってあげてくれたらそれでいいから。
アリスは素直にあたしの言った通りに、火村くんに真相を質すべく、彼が生徒会から解放されるのを待っていてくれた。 あたしは、ひとまず帰ったフリをして、校門の陰で二人を待ち伏せすることにした。 おとなしく家に帰って、明日アリスから首尾を聞くだけにとどめる、なんてことはあたしははなっから、考えてもいなかった。 せっかくのチャンスだもんね。 これを機に、彼等はお互いの気持ちを自覚して、今のちょっと親しい友人ってだけの関係を、一歩前進させてくれるかも知れないんだし。 そういうおいしい場面には、ちゃんと居合わせなきゃね。 というわけで、待つこと四十五分。 ようやくお役御免となったらしい火村くんとアリスが連れだって校門をくぐった。 あたしは、二人に気づかれないように、細心の注意をはらいつつ、そっと後を追った。 つかず離れず。だけど、二人の会話はしっかり聞き取れる距離をキープしながら。 あたしって、もしかして探偵に向いてんじゃないかしら? な〜んて、バカなことまで考えつつ。 「わざわざ待ってたのは、コンビニ弁当に飽きたからか?」 火村くんの楽しげな声。 まったく、このようす一つから推してみても、火村くんがアリスを特別扱いしてるのは、明らかだ。 他の誰が話しかけても、こんなに機嫌のいい声なんか聞かせてくれない人なんだから。 「そうやないよ。ちょっと、頼まれたことがあったから」 「なんだ。明日の数学か? 宿題くらい自分でやれって、言っとけよ。どうせ、中島あたりから頼まれたんだろ?」 「ちゃうって。宿題やったら、自分でなんとかするわ」 火村くんは首を傾げた。 どうやら、自分への用など、食事か勉強のことくらいしかないものと思っているらしい。 この人、変なところで自信ないのか。 それとも、ただ一緒にいたいから、なんて気持ちは理解できないってのか? いや、今日のアリスはあたしのせいで、火村くんを待っていたわけで、別にただ一緒にいたいってわけじゃないんだろうけど。 だけど、そうじゃない時でも、わざわざ口実の教科書や参考書を持って訪ねていかなきゃならないとしたら、それってかなりめんどくさい奴。 な〜んて、あたしの物思いとは無関係に彼等の会話は進行していた。 「火村、今日はどういう日なんか、知っとるんか?」 火村くんは、やっと本題に入りかけたアリスの顔を、とても不審そうに見た。 「なんなんだ、おまえ。俺にホワイトチョコでも買ってほしいってのか?」 そりゃー買ってくれたら嬉しいわよ、私。 だけど、アリスはがっくりと肩をおとす。 「つまんない冗談言うなや。いや、ほんまに意味解ってなかったらどうないしよ、て思ってたからええけど」 「意味って?」 「いや。隣のクラスの町屋さんに、おまえがキャンディあげたって話きいたんや。彼女はえらい喜んどるらしいんやけど、火村のほうにそういう意味がなかった場合、可哀想やと思ってな」 ぴたり。 と、火村くんはそこで立ち止まった。 「アリス」 なんだか、地を這うような低い声。 「念のため、聞いておきたいんだが」 突然変わった火村くんのようすに、動じることなく、アリスは「ええよ」と答えた。 「ホワイトデーってのは、男がバレンタインデーにチョコレートをもらったお返しに、女にホワイトチョコやクッキーをやるっていう、お菓子メーカーの陰謀で作られた馬鹿々々しいイベントのことだろ?」 「火村、もしかして……」 アリスは言葉をにごして、硬直したまま動かない火村くんの顔をのぞきこんだ。 「キャンディもお返しのうちやって知らんかったんか?」 「どうして、バレンタインデーはチョコレート一種類なのに、ホワイトデーはそんなに色々あるんだよ?」 火村くんは、まるでそれを決めたのがアリスだというかのように聞いた。 すっかり怒ってるみたいだ。 「知るか。それより、町屋さんのこと、どないするんや?」 「あれは、今日の生徒会からの呼び出しを知らせに来てくれた町屋さんが、風邪気味らしくて、苦しそうに咳き込んでて」 火村くんは髪をかきあげつつ言う。 「どういうわけか、手許にキャンディがあったんだよ。で、彼女が物欲しそうに、見るから、つい、軽い気持ちでさ」 「そらまた、なんでキャンディがよりにもよって今日、タイミング良く、手許にあったりするんや?」 「そんなことは、俺が聞きたい」 そう言った火村くんが、途方に暮れたような表情で、ふと振り返った。 あたしは慌てて、電信柱の陰に身を隠した。 これじゃ、探偵の尾行ってよりも、張り込み中の刑事みたいだわ。なんて言ってる場合じゃなくなった。 なんだか火村くんに、見られてしまったような気がする。 やばいぜ。 この先には、あたしの予想では。 「バカだなアリス。俺が町屋さんを好きで、ホワイトデーのイベントに参加するなんてこと、本当にあると思ってたのか?」 「そない言うても、噂が広まってたしな」 「そっか、アリスは、そんな噂信じたんだ」 「そういうわけでも、ないんやけど」 「つまんない噂だぜ。俺が好きなのは、アリスだけだからな」 「火村。俺、おまえがそう言ってくれるのを待っとったんや」 ひしっ。 な〜んて、展開になるはずだったのにな。 これ以上の尾行は危険だわ。 もっと、彼等の会話を聞いていたかったけど、あたしは仕方なく、その場は退散することにした。 だけど、もう遅かったんだ。 火村くんには、しっかりあたしの姿が見えてたらしい。 そして、この騒ぎの原因がどこにあるのかも、彼の頭脳をもってすれば、簡単に解ってしまうことなんだった。 つまらない小細工なんか、火村くんに通用するはずがなかったんだよね。 なのに、あたしはその日、彼等があの後どうしたのかという幸せな想像で頭がいっぱいでなかなか寝付かれなかった。 バックにバラの花と、たっぷりの点描を背負ってる二人の姿を思い浮かべる。 『本当は、今日アリスが待っててくれてすっげー嬉しかった』 『俺も、火村の噂が勘違いで嬉しい』 『当たり前だろ。俺にはアリスだけなんだからな』 『俺も、火村。ここに転校してきてからずっと、おまえのことばっか気になってたんや』 そして二人は、手に手を取って、世間の常識なんか、ひとっ飛びよ! などと、不埒な妄想で、頭は飽和状態。 誰か止めて〜っ。 などと、心の声をもし聞く者があれば、それは悲鳴なんかじゃなくって、嬌声ってやつだって冷ややかに指摘されたかも知れない。 あたしは、脳裏に次々と浮かんでくる極彩色の妄想の世界の中で、このまま眠れやしないと自覚した。 しかたなく、いったんは入ったベッドからごそごそと起き出して、ワープロの電源を入れた。 これは、藍にも内緒のあたしの趣味。 この便利な機械にたよれば、あたしの頭でも、楽々と難しい言葉が打ち出せる。辞書をいちいち引かなくても、思い通りの漢字が出てくるんだから、ナイスだ。 美しい妄想は妄想のままに。あたしの頭の中だけにそっとしまっておくなんてことが、出来なくなってしまった結果ってわけ。 深夜、ひとりの部屋で、あたしの妄想の翼は大きくはばたいた。 今夜のお題は、おとなになった二人の話。 アリスは、本人の希望通りの推理作家。 となれば、火村くんはさしずめ、名探偵ってところよね。 中等部の事件の時だって、犯人に最初に気がついたの、火村くんだって聞いたもの。彼の頭脳をもってすれば、当然だわって、思ったけどね。
***
アリスは、それを一目見るなり硬直した。 悪い夢としか思えない。 とても、信じられない。 こんなのは嘘だ。たちの悪い冗談やろう? 彼の前には簡素なベッドが置かれている。 そして、その上には長身で端正な顔立ちの男が横たわっていた。 アリスに見せるために取り外された白い布。その白さとは、対照的とさえいえる土毛色の肌。 生前の顔色は失せ、微動だにしない。既に心臓は停止して、閉じた瞼が再び開かれることは決してないと解る。 アリスは唇を噛みしめた。 眉根を寄せ、無意識のうちに息を止める。 嘘だ。こんなはずはない。 と、頭で何度否定してみても、目の前の死体は自分の最も親しい友人のものとしか見えない。 死んでしまうと、生前の姿とはかなり面変わりするものだという話を聞いたことがあるが、目の前の『彼であったもの』は、辛くなるほどに、アリスの記憶のままであった。 アリスは、それに取りすがってしまえば、それが本当に友人の死を認めることになると思えて立ちすくんでいた。 無意識のうちに膝が震える。立っていられずに膝をつくと、目をきつく閉じて小さく呟いた。 「誰か、嘘やと言ってくれ・・・・・」 「大袈裟な奴だなぁ。悲劇のヒーローにでもなったつもりか?」 唐突に聞き慣れた声が後ろからして、アリスは振り返り、またしても信じがたいものを見たというようにかたまってしまった。 「そんなに驚くことでもねぇだろ? ほら、幽霊なんかじゃない。足もある」 アリスは、急いで立ち上がってその友人に駆け寄ると、その若白髪の目立つ髪を引っ張った。 「痛ってーな、何すんだよ」 「ああほんまや。火村、生きてて良かった」 と、安堵の声をあげてから、急いで背にしたベッドを振り返った。 「あれ? じゃあ、あれは誰や?」 「いやぁ、えらい驚かせてしもて申し訳ありませんなぁ」 そう恐縮した様子で火村の後ろから現れて、アリスにぺこりと頭を下げてみせたのは、京都府警の薮内警部だった。 「お久しぶりです。やっぱりその男、火村さんにそっくりでしょう?」 得意げにそう言って笑ったのは、薮内の部下である山浦刑事だった。何故かこの刑事は、火村にはライバル意識でも抱いている様子で、やたらとアリスになついている。 そこは警察病院の霊安室だった。山浦刑事から至急来て欲しいという連絡を受け、わけもわからず通された部屋で、火村そっくりの死体と対面させられたアリスだった。 「これはいったいどういうわけです?」 何度見ても友人に瓜二つである死体を気味悪く思い、それでも目が離せない様子であるアリスは、誰に質問していいのか解らぬ体で不安そうに言った。 「この男、結婚詐欺師なんですよ。被害届が出ているだけでも三十件以上の詐欺行為をはたらいている指名手配犯で、とうとう三十一人目の相手を騙し損ねて殺害されたらしいんですが・・・・・」 山浦が説明する後を引き取って、薮内が沈痛な面もちで続ける。 「自首してきたのが、こいつの詐欺にあった女性の弟でしてね。まだ十二歳なんですよ」 「どう考えても、まだ小柄で非力な少年に、大男とは言えないまでもこれだけの身長のある大人を殺せるとは思えない。多分、彼は自分がまだ刑法の殺人罪を免れる年齢であることを承知の上で、姉を庇っているものと思われる。だけど、その姉にしたって、今は殺人を犯した恐怖にすくみあがって歳の離れた弟に縋ってしまったとしても、時間が経って冷静さを取り戻せば弟に殺人の罪を着せてしまったりしたことを後悔するだろう?」 火村に聞かれ素直に頷いたアリスは、しかし、それとこの状況がどう繋がるのかが理解出来ない。 「だから、俺が呼ばれたわけ。今回は謎解きも何もなくて不本意ではあるけどな。おまえが間違えたくらいなんだから、小学生を騙すくらいはなんてことないだろう」
取調室のドアが開き、長身の男がうっそりと姿を現した。 それまで、ふてぶてしいまでに落ち着き払っていた少年は、驚愕に腰を浮かせて大きな瞳を見開いた。 男は胸に包帯をぐるぐる巻きにしており、立っているのも辛い様子だったが、少年を真っ直ぐにみつめて唇に苦い笑みを浮かべた。 「健気なもんやな。けど、俺を刺したのはボウズやない。そんな恐ろしげな顔せんでもええやろ、俺はちゃんと生きとる。俺も観念したわ。これからここで全部本当のこと話すから、ボウズも嘘はつかんほうがええよ。ぎょうさん嘘をついたから、おじさんはこんなに痛い目ぇみたんやからな」 少年は、愕然として声もない。 男は、言うだけ言うと、またのっそりと身を翻して、部屋を出て行った。 山浦刑事が、少年の肩に手を置いて優しく言った。 「あの男は、なんとか一命をとりとめたようだ。君は何も心配しなくていい。本当はあいつを刺したのは君の姉さんなんだね?」 「あいつが悪いんだ。姉さんが、あいつに全財産を貢いだうえに家の金まで持ち出したのだって、結婚出来ると信じたからだったのに・・・・・・」 少年は嗚咽した。山浦は根気よく彼の気持ちが落ち着くのを待って、事件の真相を聴取する事に成功した。
「でも、本当の結婚詐欺師はやっぱりあの子の姉に殺されてたんやないか。おまえ、子供を騙して後味悪くないか?」 警察からの帰り道、アリスは火村に尋ねた。 「あのまま無実の人間が、いくら刑事責任は問われないとはいえ、殺人犯になってしまう方がよほど後味が悪いだろうよ」 「しかし・・・・」 アリスは、陰で聞いていた火村の台詞を思い出して、クスクスと笑った。 「何がおかしい?」 「おまえの関西弁のお粗末なこと」 「いつも聞き慣れている有栖川先生のを参考にさせていただいたんですがね」 「俺はあんな妙なアクセントで喋ってへんよ」 「ふん。結婚詐欺師の役なんか完璧にこなせてたまるかよ。それでもあの子は騙せたんだから、立派な名優ぶりだったと褒めてもらってもいいくらいだ」 「純粋に、ただ演技力だけの勝利やったと思ってるのか?」 アリスは、友人にそっくりだったあの男の顔を思い浮かべながら聞く。 「そんなに似てたとは思えねぇよ」 「いいや、そっくりやった。もう、あんな心臓に悪いことは二度とごめんや!」 火村は、その必死な口調に微笑んで、アリスの髪をくしゃくしゃとなでた。 アリスは火村の手にそっと自分の手をかさね、そのぬくもりに安堵の吐息をもらした。 いつかは誰だって死ぬ。 本当に火村が逝くとき、自分がまだ生きているのかどうかは、解らない。 だけど、どうか、どちらかが最期をむかえるそのぎりぎりの瞬間まで、傍らに在ることが当然のお互いでいられたら―。 アリスのそんな思いは、言葉にされることはなかったが、彼等にとってはきっと、共通の祈り。変わらぬ願いであっただろう。
***
ひねりも、なんもない話だけど、制作時間三時間弱にしては、あたしにしちゃあ上出来、と思うことにしとこう。 だけど、せっかくなら、もっとバリバリやおい入ってるやつが書きたかったな。 今のあたしには、このくらいが精一杯だけど、火村くんとアリスがもっと仲良くしてくれたら、この次はもっとイケイケなやつを書けるかも知れないな。 な〜んて、にんまりしながら『名優』ってタイトルで保存して、やっとワープロの電源を落としたのは、明け方近くになってからだった。 で、翌日は見事に寝坊しちゃったよ。 母にがみがみ怒られながら、トーストを少しかじっただけで、家を飛び出した。 ガッコに着いて、すべり込みセーフで教室に入ってみたら、なんだかみんなの視線があたしを追っている。 それも、決して好意的なものではない。 かと言って、敵意をむきだしにしてくるってんでもないんだけど。 なんだか、ヘン。 あたしって、自分で言うのもナンですけど、決して地味で控えめな性格じゃあない。 だけど、だからって、すごく目立ったりもしないフツーのコーコーセーなのよ。 なのに、今日の周囲の視線は、いつもと違い過ぎる。 それは、簡単に言ってしまえば『好奇の目』ってやつだ。 あたしには、こんな視線にさらされるような身に覚えはまったくないぞ! 寝坊はしたけど、そのせいで髪が逆立ってるわけじゃないし、セーラー服を後ろ前に着てきたわけでもない。 なんだよ、みんな。何を見てんだよ? けど、そういう質問というのは、この場合、誰にぶつけていいいやらよく解らないもんだ。 だって、遅刻ぎりぎりに教室にすべりこんでからこっち、クラスのみんなは、ずっと珍獣を眺めるような目で、ちらちらとこちらに視線をおくってくるんだもん。 こんな風に、わけもわからず、いたずらに注目浴びてしまうってのは、思いのほか神経に触るもんだってことを、あたしは初めて知った。 一限目は数学だった。 あたしは昨日火村くんが話題にしていた宿題を、すっかり忘れてきていることに、授業が始まってから気がついた。 駅から学校まで全力疾走してきたせいで、息が荒かったのを先生にみつかって、よりによってやってない宿題のところをあてられてしまった。 あたしは、焦って考えた。 ここは謝ってしまうしかないか。前に出ていって、黒板のところで少しだけ考えるフリでもしようかな。このセンセ、かなり熱血はいってて、いきなりわかりませんって言うとものすごく怒るからさ。考えてもやっぱりどうしてもわかんないんだって、演技力が要求されるわけよ。 なんてことを考えてたら、斜め後ろからあたしをつっつく奴がいた。 なによってな勢いで振り返ると、なんとそれは火村くんだった。 彼は、しっかり完全正答の書いてあるノートを差し出してくれていた。 火村くんが、アリス以外の人間に頼まれもしないのにここまでしてくれることってのは、ものすごくめずらしいことなんだ。 だから、あたしはせめてこの時点で、このクラス中の異変の原因が彼にあるということに気がつくべきだったんだろう。 だけど、あたしは火村くんのノートがただ単純に嬉しかった。 それで、にこにこしながらそのノートを片手に黒板にむかって見事に正解を書きつけた。 センセは、あたしのカンニングに気がついていたのかも知れないけど、特に文句も言わなかった。 それですっかり気を良くしちゃったあたしは、教室に入ったばかりの時に感じていた違和感なんて、すっかり頭のすみに追いやっちゃったんだった。 そんなこんなで、数学の時間が終わった。休み時間になるのを待ちかねたようすで、藍があたしの手を引っぱった。 「今日は、トイレなんかで話せるようなことじゃないから、屋上行こう、屋上」 三月の半ばとはいえ、高いところは風が強くて寒いと相場が決まってんだよ。 なにが哀しくて、こんな時期に屋上なんぞに行かなきゃなんないんだろう? しかも、二限目の授業までは、たったの十分しかないってのに。 だが、藍の勢いに勝てたためしなんか、なかったのだった。 藍があたしの手を引っぱって教室を出ようとしている時、またしてもクラスの奴等が何か興味津々といった視線をおくってきているのを感じたけれど、それがどういった興味なのかは、確かめる間もなかった。 屋上は、思った以上に寒かった。 風もやはり強くて、あたしたちの制服のスカートのすそをさらってまきあげる。あたしは、それを両手でおさえながら、訊く。 「ちょっと藍。なんで、そんなに怒ってんのよ?」 昨日のアリスのことを、まだ根に持ってんじゃないかって予想してのことだ。 だけど、藍はあたしの顔を黙ってみつめたままだ。 幼い頃から気心はめっちゃ知れてる間柄なのだ。 なのに、藍は、そのあたしを相手に、言葉がなかなか出てこない、などという不気味な状態でいる。 こんなことは、初めてなんじゃないの? あたしは、そんな藍のようすに不安を感じずにはいられない。 いったい、何があったんだろう? 言葉を発することに、重大な決心や勇気を要するようなオオゴトなんだろうか? 藍の両親が離婚するとか、何かヤバイ病気になったとか。 あたしは、ともすれば寒さのためにちぢこまってしまいそうになる背筋を伸ばした。 何を聞かされるにしても、こんな時、あたしだけは冷静でいなきゃいけないんだ。 あたしたちは、どちらか片方が熱くなってる時には、残る片方が冷めた目で観察している。それで、場合によっちゃ、フォローもいれる。そうやって、長い時間をともに過ごしてきたのだから。 「ごめんね、真琴。私、鈍くて」 あれれ。 いきなり謝られて、あたしは気勢をそがれたかっこうになる。 どうしたってのよ? だいたい、なんでこの子、急にあのいんちきくさい関西弁使うのやめちゃったのかな? あたしは、こんな場面に一番どうでもいいようなことが気になってしまった。 「あんまり近くにいたから、かえって気がつかなかったのよ」 「何のこと?」 はっきり言って、あたしには藍がなんの話をしているのか、さっぱり解らなかった。解ったのは、どうやら離婚も病気も関係なさそうだなって、ことくらい。 だけど、逆に藍は、あたしの言葉の意味がはなから理解できていないようだ。 「もう解ったから、照れなくたっていいじゃないの。私、こんなことで真琴を差別したりしないから安心して」 つい昨日までは、あたしの趣味を差別しまくってたってのに、何を差別しないって? 「私は私なりにちゃんと考えて、あなたの気持ちにも、ちゃんとした答えを出すつもりでいるから」 あたしの気持ちって、何? だけど、そんな質問を差し挟む余地もないままに、話は妙な方向に転がっていってしまうのだった。 「あたしたち、まだ高校生だもん。真琴の想いは、一時の気の迷いかも知れないんだしね。だから、長い目でみようね。ちゃんと男の子にだって目を向けるのよ。もっと歳をとって、それでも真琴の気持ちが今のまま変わらないようだったら、そん時は私も覚悟を決める」 「あのーもしもし?」 「何よ。なんとか言いなさいよ」 言いたくても、口をはさめないほどの勢いで喋ってくれたのは藍なんだよ。ったく。 「なんか誤解してない?」 「誤解してたのは今までの私よ。それが今日、火村くんに言われて目が醒めたのよ」 「ちょっと待って。どうしてそこに火村くんが出てくるのよ?」 「だって、火村くんが教えてくれたんだもん。真琴が火村くんとアリスをくっつけようとするのは、私がアリスのことを好きだからだって。アリスに嫉妬してる真琴の気持ちに、いい加減気がついてやれって、言われたんだよ」 ウソだろー! なんで、あたしがアリスに嫉妬しなきゃなんないの? いや、たしかに、恋人が火村くんなら、うらやましいとは思うわよ。そうじゃなくっても、あの火村くんと特別親しいってだけで、アリスに嫉妬してる子はたくさんいるよ。 でもそれ、意味が違うじゃない。 誰が、藍のために嫉妬するかい? 「昨日火村くんの席に、こっそりキャンディの包みを置いておいたのって真琴だったんでしょ?」 「バレたか。あれは、どうせホワイトデーなんか知らないだろうし、意識もしてないだろう火村くんがアリスにプレゼントしてくれないかなーって期待して置いてみたのよ。まさかそれを、七海なんかにくれてやるとは思いもしなくてさー」 「火村くんが、それに気がついてさ。私に訊いたのよ。『どうして小川は、こんな面倒くさいことまでして俺たちに構うんだと思う?』って。私、ヘンな趣味のせいじゃないかとも言えなくて黙ってたの。そしたら火村くんが『野坂がアリスのこと好きだからに決まってるじゃないか』って」 どうして私が火村くんとアリスの仲をあやしむのはヘンな趣味だとか言われたのに、火村くんの主張はあっさり信じてこの態度なの? 「ちょっと、そりゃないでしょ。なんで、火村くんが言うことはそんなにあっさり信じちゃうわけ?」 「人徳の違いじゃない」 藍は情け容赦なく切って捨ててくれた。 「だいたい、真琴は常日頃から同性愛をバリバリ肯定してんじゃないのよ。それって、自分が実はそうだからなんだって聞けば、たいていの人は、そうだったのかって思うじゃない」 たいていの人って、誰よ? 「もしかして、その藍と火村くんの会話。クラスのみんなも聞いてたの?」 「うん。火村くんは教室で普通の声で喋ってたしね」 「で、でも、ね。藍は、アリスが好きなのよね? あの関西弁がたまらないって言ってたわよね。ね、ね。」 ところが藍は、にっこりと笑って言う。 「確かにアリスは好きだけど、だけど私にはもっとずーっと長いつきあいの真琴のほうが大事だもん。心配しなくていいよ」 よしよし、というようにあたしの髪をなでた。 ぞわ〜っ。とたんに、あたしの全身は鳥肌状態。 た、頼む。誰か、どうやったらこの誤解を解けるのか教えてっ! それこそが火村くんの曲解であり、あたしは別に藍に恋愛感情(なんて、怖い言葉だ)を抱いているわけじゃないって、言葉をつくして説明しても、藍は解ってくれなかった。照れなくてもいいだとか、もう隠すことはないんだ。恥ずかしいことじゃないだとか―。こっちが恥ずかしいってのよ、もうっ。
そして放課後。あたしは一言文句を言ってやらなければ気が済まないという思いで、火村くんを待った。 一人で校門を出てきた火村くんを呼び止める。 「何か用か? 数学のノートの礼とか?」 そんなこともあったっけ。でも、あれって絶対この展開への前フリだったんじゃない? 「どうして藍にあんなよけいなこと言ったのよ?」 「よけい? そうだったのか。俺はてっきり小川は野坂が好きだから、それで俺たちにいらぬおせっかいを焼くのかと思ったもんだから」 まるで信じてもいないだろうに、火村くんはさらりと言ってくれた。 「いらぬおせっかいで悪かったわね!」 あたしは自分の所行はすっかり棚に上げて、怒っていた。 「俺は、今のままのアリスが好きなんだよ。だから、もうこれ以上アリスによけいなことは言うなよ」 へ? 今、あたしはなんかすごくイイコト聞いたような気がする。 「じゃあな」 火村くんは、呆気にとられて立ち尽くすあたしをその場に置き去りにして帰って行った。 ああ、なんて恰好いいんだろう。 あたしは、さっきまでの怒りもどこへやら。なんだかとても得した気分に浸っている。 ちょっとした小細工で、なんとか彼等の関係を友達から一歩進展させてやろう! なんて意気込んでみたけれど。すっかり火村くんに返り討ちにされちゃったみたい。 でも、この爽快感は何かしら? 火村くんに何を言われようが、藍の勘違いに悩まされることになろうが、あたしはやっぱりこの世の美を追求し続けるわ! あたしは、火村くんの後ろ姿にむかって、拳をかため、かたく心に誓ったのだった。 《了》 |