ハワイ空中攻撃隊総指揮官
渕田美津雄海軍中佐


真珠湾を望む敷地内にある渕田中佐を紹介する案内板



渕田美津雄海軍中佐

 真珠湾攻撃の主役となったハワイ空中攻撃隊の総指揮官渕田美津雄中佐、彼は真珠湾上空で攻撃隊を指揮しまた、自ら水平爆撃攻撃も行いました。渕田海軍中佐は真珠湾攻撃後、インド洋作戦、ミッドウェー開戦と戦い、ミッドウェーでは沈没した空母赤城から重傷で奇跡的に帰還し、終戦まで戦い続けました。戦後は郷里の奈良に帰り畑仕事をしながら生計をたてていたそうです。
Top写真の掲示板には彼に対する文章があります。ここの文章の最後に彼はクリスチャンになったと記してありました。私は彼に興味を持ち調べて見ました。

攻撃隊長から伝道師へ

  終戦後、渕田氏は捕虜になった旧日本軍人にある話しを聞かされたそうです。その話しとは捕虜収容所に現れた1人のアメリカ人看護婦の話しで、重症の日本人に献身的に尽くす姿に彼は「なぜそんなにそんなに親切にしてくれるのか?」と尋ねると、彼女の両親はフィリピンで日本軍に捕らえれれスパイと疑われ斬殺されたそうです。その斬殺される30分前、宣教師である両親は聖書を読んでから処刑されたそうです。その話を聞いた娘さんは死ぬ前の30分間の祈りは何であったかを思いたった時、「憎悪は人類愛に変わった」という話を聞かされたそうです。その話を聞いた渕田氏は聖書に興味を持ち傾倒していったそうです。
その後、渕田氏は戦後7年目に爆弾の代わりに聖書をに携えてアメリカに渡りキリスト教の伝道師となりアメリカ国内を廻りキリスト教の布教活動を続けたそうです。時には真珠湾攻撃のリーダーという事で嫌な思いもしたようですが圧倒的に彼を励ますアメリカ国民の方が多かったようです。



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