プロローグ・悪魔の右手 神の左手
by Nina(1999.3.3)
「新月の間」と呼ばれる広間は、名前と違って、この地で一番採光がいいところだった。しかし、儀式だけの為の部屋だったから、おそらく、星光以外の光に照らしたことはない。透明水晶の天井は集光する作用もある。並外れの高さも相俟って、夜のここは、外で星空を眺めるよりも更に星見に適しているに違いない。
白い大理石を基調にするこの広間に、真ん中の「月の池」と呼ばれる泉を囲んだ黒水晶の池があった。その中に、淡く発光する小さい星石が点在している。広間の一番奥には、やはり白い大理石で作った高台の上に、小さい水鏡がある。
「ええ〜、どれ、どれ〜?」
池の上に、飛んでいる蛍が、その体の大きさからして想像できないほど大きいな声で喋っている。いや、蛍ではない、よくよく見れば、小さい発光体は人の形をしていた。背中に、透明の蝶々のような形の羽根まで付いている。
「こんなのがいい???」
甲高い声は妙に愛嬌がある。
「慌てるな」
高台の上から声が伝わった。水鏡の側に立っている一つの人影がいる。淡い金の月を連想させる髪に、白皙な肌。蛍のように発光する光の精霊達と違って、物理な光をもたないが、その美貌こそ、この新月の間のなかに一番耀いていると見える。ただし、その口からでた言葉は、繊細な顔と似合わないほど素気ないものだった。
光の精霊達は聞えなかったのか、それ以上に慌てていたのか、しかし、まったく落ち着いてくれなかった。
セイジは溜息をした。この儀式に立ち会ったのは、数えないほどだったが、今度のは、代変りした光の精霊が生まれたばかりだったことも有って、いつもの倍の時間は、すでに経った。
そうでなくても、ずっと気を高めていて疲れているのに。
騒々しい精霊達は、熾烈とも言える星石の選抜戦を楽しんでいるように見えるが、待っているセイジは、たまったものではない。しかし、どう考えても、そういう口達者な光の精霊達の争いに介入する才能は自分にはない。
せめてほかの人に押し付けたらよかった。とセイジは思った。自分こそ押し付けられた被害者という実態にはまったく気づいていない。
指令だけだして、優雅に過ごしている彼女とか、生まれたからずっと一緒だったにも関わらず、およそ働いた時を見たことがなかったかものの彼とか。何時の間にか、こういう儀式やら、祭儀やらの面倒な事情は、自分一人の責任になっている。
「セイジ様〜、これでいい〜???」
やっと品評会が終わったのか、光の精霊から尋ねてきた。本当は、星石なら、どれでも構わないはずだったが、初めてこういう儀式に参加する彼女たちは、必要以上にはしゃいでいる。挙句何時の間にか、一番綺麗な石でなければならないことになっていた。こういうのは、時間の無駄にしかならない、とセイジが気づいた時は、すでに反論する機会を逃して、手を付けられなくなった。
「ああ、持ってこい。」
儀式が終わるまで、日の出の時間を延ばしているのだから、この以上時間がかかったら本気ではた迷惑になりかねない。
「は〜いー」
妙に延びたテンボで返事した光の精霊から、およそ疲れた徴兆を感じていない。宝石やアクセサリーを選びるのに、丸一日を使ったおしゃれ好きな女性並みだった。
二人ずつ、自分の体よりも大きいな星石を池の中から運んできた。水鏡のなかは、二つの小さい穴がある。
「えっ?どこ〜、どこに置いてくなの?」
精霊たちは、戸惑っていて、そのまま水鏡の上に静止している。
「どれでも良い。この段階は、また分けておらん。さっさと...」
セイジは言葉を中断した。
「ギャー〜〜〜」
パサーと、水の音がした。静止してることに慣れてない一人の精霊が、そのまま石とともに水鏡の中に落ちた。
「あぶない!」
咄嗟のことで、右手で光の精霊と星石を受けるようにしたセイジだったが、星石は想像以外に重いことを忘れて、そのまま、水鏡の底に押され落ちた。手で触れる星石の形の穴の感触に、やっと重大なことを思い出した。
新月?星石?水鏡?三つもそろえて、加えてこの穴は....
「しまったー!」
セイジの絶叫とともに、体は吸い取られて、そのまま水鏡のなかに消えた。
あまりなできことに、一瞬、沈黙に落ちた残された光の精霊達は、やっと金縛りから醒めた。
「キャ〜セイジ様が〜」
「光の子が〜〜」
「どうしよう〜〜???どうしましょ???」
「キャ〜キャ〜大変だ〜」
「えっ?どっち??「星の通り道」のどっちに??」
.........どの精霊が一番先だったのだろう。
「....右?」
「え?え??右〜??右って〜〜〜〜??!!!!でぇええええええ〜〜〜セイジ様が?????????たっ大変だ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」
儀式のためにだけ使われる新月の間は、未曾有の大混乱に落ちたのだった。
「キャ〜」
「トウマ様〜〜」
騒々しい声が聞えた。
広い部屋の中には、ベットと本棚しかないという殺風景な配置にも関わらず、どうやったらこういう風になれるのかと呆れるほどに、床の上には、敷いているはずの青い絨毯の一角さえ見えない。あやしい置物やら、みかけたことない石とか、生き物の骨やら、所狭く雑乱に置いているのに、不思議にも調合している。
人だったら、足の置き場に困っていて、この部屋にはあまり寄って来ないが、光の精霊達は幸いそういう心配をしなくて済む。締めてないドアの隙から、素早い動きで部屋に入って、一番奥にいるベットの横まで一気に飛んでいた。
「〜トウマ様〜〜起きて〜〜」
「キャ〜どうしよう〜〜」
「大変です〜」
「〜〜起きてくれなきゃいや〜」
「トウマ様〜〜」
いくら名が呼ばれても、周りが騒いでも、この部屋の主は、まだベットの中で深い睡眠を手放さない。これも一種の才能なんだ、と、昔豪語しただけのものはある。
「いやん〜これくらいで起きるはずないのね〜」
いかに生まればかりで経験ない光の精霊達でも、トウマの睡眠の深さはただならぬことがある、ということだけは分かってしまった。
「どうしよう〜」
泣きそうになって、光の精霊達はキャキャしながら、お互いに相談する。
「仕方ないね〜〜」
「〜〜いいの〜〜本当に〜〜」
「起きて〜起きたほうがいいよ〜...きっとっ」
「トウマ様〜」
「やりましょう〜」
なにかを決めたのか、すべての精霊はなぜか皆すまなさそうな顔をしている。
「いきましょうね〜みんな〜」
カーテンがかかっている薄暗いベットの中に入って、いや、正確をいうと、トウマの顔の最上方に、全ての精霊が集合する。
「行くわね〜いち、に〜、さ〜〜ん〜〜〜〜」
一瞬、光が輝いた。....小さい閃光弾くらいの威力はある。目が開いていれば失明の心配もあるが、たとえ閉じても相当なダメージを受けているはず。
「誰だ!人の睡眠を邪魔する奴は!」
案の定、ベットの中の住人は目覚めた。不機嫌そうに見えるのは無理矢理に起されたからであって、別にダメージをうける節は見られなかったが。
「大変だ〜トウマ様〜」
目覚めたなりに全ての光の精霊達が一緒に喋ったのだから、寝起きの耳にはもちろん優しくない。
自他とも認める遊び人であっても、女は嫌いだ!と思うのは、こんな時である。まったく、なにかについで騒がしい。トウマは手で耳を押さえて見せた。
顔が整っただけに不機嫌そうに見えるトウマの気は並じゃなく鋭い。普通なら遠くへ逃げたいのだが、今現在の状態は、一応、普通ではない。光の精霊達は、まったく離れる素振りをみせなかった。
「トウマ様〜〜どうしよう〜〜」
「キャ〜」
「どうしましょう〜〜〜」
いかにカーテンでこの騒々しい上に、光ってるはた迷惑な奴等を丸ごと捕まって遠くところに捨てていきたいと思っても、こうなると、寝ぼけていてるはずのトウマにも何かただならぬ事態が起こっただろうと悟った。
「なんだ。うるさいな。お前ら!」
一喝していても思った通りの効果は出ない。泣いていた精霊達はさらに大きく騒いだ。
「昨夜は新月の儀式だろう。この時間じゃもう終わったか。セイジは?」
儀式がはじまる前から終わった後まで寝ていたはずなのに、トウマは時間を寸分間違いなく把握している。彼の名高き、優れた性能を誇る頭脳は、寝ている時もきちんと作動しているらしい。
「キャ〜」
いきなり話の中心に突っ込まれて、また泣き出す光の精霊達。流石のトウマもあきらめるしかない。今度はセイジに言って目上への礼儀を厳しく教育してもらおう、と心の中に誓いながら。
「...どうでもいいから、さっさと言えってんの」
「光の子はね〜〜」
「セイジ様はね〜〜」
「〜〜〜〜ぇぇ〜〜〜」
光の精霊達は何故か皆、声が小さくなった。全ての精霊の目光が一人の精霊に集まる。最後にセイジに助けてもらった精霊である。
周りの仲間に見放された精霊は仕方なく言った。
「セイジ様はね〜〜ぶつぶつ〜〜〜ぉぉぅ〜〜」
「セイジがなんだって?聞えないぞ。お前。」
すると、その精霊がすでに涙で濡れる目を両手で覆して、すっと息を吸って、絶叫した。
「〜〜〜星の通り道に落ちたのよ〜〜」
「...まじ?」
聞かなくてもそうだろうとわかりながら、トウマは聞かずにいられなかった。
「新月の儀式の夜、星の通り道に落ちたって事は、どっか人間界に転生したんだろう。」
浄化された魂達だけが通る星の通り道。
「なんで面倒なことをしてくれた。まったく、俺の仕事を増やすじゃない!」
仕事なんてしたこと有るのか、と思わず突っ込みをいれた精霊達に、それでも悪びれないトウマは尊大に言った。
「だからこそ、だろう。まったく。」
いかに小さい数でも、零と比べれば無限大と...その見本である。
「って言っても、今、そっちに行っても仕方ないだな〜」
時差は一日と一年だから、今はまだ赤ん坊でしかない。言うだけ言って、トウマはまだ布団のなかに潜る。
「俺は寝直すぜ。お前らはさっさと出てなー」
入る時から喋ることを止まったことないのに、光の精霊達はなぜかこの時だけ、沈黙に落ちた。
「あのね、」
自分の責任と認めたのか、ようやく口を開いたのは、例の精霊だった。
「トウマ様」
「なんだ、まだ何か?」
「..あの...セイジ様が通ったのは...右...だったんだよ?」
........インプットした情報が意外すぎて、精密な頭脳が過熱している、とそんな感じだった。珍しく、トウマの反応がでるまでまた数分間の沈黙が要った。
「ええええええええ!!!!!」
流石のトウマも絶叫した。
「まったく、困ったことになったわね」
「......」
光の精霊から例の件を聞いて、間もなく、彼女がトウマの部屋の真ん中に現れた。地面から半メートルの何でもない所に漂ってきた彼女には、部屋の中の障害物が役に立たなかった。
隠す気などない彼女の派手な気配に、心置きなく寝ることを無理矢理放棄させたトウマの機嫌はすごぶる悪い。が、とりあえず沈黙で通している。
さらさらの茶緋色の髪に翠の瞳。細い腰に長い手足。理知的な顔立ちは穏やかな雰囲気を漂っている。しかし、それの全ては、実は彼女にとっては格好の偽装であることをトウマは身に持って思い知った。
如何見ても20代くらいしか見えないが、トウマとセイジよりず〜っと上というのは確かだった。彼女の実年齢を知る人はすでにこの世に存在していないという所を取ってみても、五百年や千年の差があっても全然おかしくないのである。
自分の記憶の一番最初から、既に大権を握っている彼女に、逆らったらどうなるだろうと。トウマは見てみたい気もしなくはないが、その当の被験者になる気はさらさらなかった。
「新月の儀式は失敗に終わったし。どうしましょ?」
言いながら、自分の方へ目光を漂った彼女に、トウマは嫌な予感がした。
「...俺にどうにかしろってのか」
「よくわかったわね。」
にっこり微笑んだ彼女の笑顔は綺麗だけど。女はみんな魔女だ!と遊び人のはずのトウマが思うのがこういう時だった。
とてもじゃないが、トウマは、彼女と延々不毛な押し問答をする気力はない。光の精霊でさえ彼女の売り受けをもらっただけだという噂は、何時の間にかすでにこの界の事実として定着している。
「人間界に行って、セイジを目覚めさせろってんのだろう。」
面倒でこの上もない仕事だが、彼女が片づけてくれると期待するより、自分から買って出たほうがまだ良い。少なくても「ありがとう」位は言ってもらえるのである。ここで駄々をこねても見苦しいだけ。どうせ最後はなんだかんだ言って自分の責任になるだろうし。
「そう。ついでにセイジが戻るまで、すべてを任せても良いわよね。」
問うように聞いてくれたが、いっそのこと命令句にした方がじっくり来るんだと、トウマが思ったのはこれで何度目なんだろう。ついでに全てっていうのは、儀式も然りながら、その計画やら、後片付けやらともやれという意味だった。
「ついでに新月の儀式のやり直しもしてね〜」
「.....」
トウマは一気に疲れた気がした。その儀式は新月の時でやるこそ、新月の儀式と呼ばれるのだ。別の時でやれというのは、その時に相応しい光の計算などだけではなくて、特別な手続きやら、何とやら、さらに新月でやるより何倍も勝る力が必要だった。
何故俺はこんな面倒なことをしなければならないんだ、と嘆いているトウマは、できるだけ早くセイジを迎えに行こうと心に決めた。
生きている限り、どうせ彼女と対峙しなければならなかったら、二人でいる方がまた彼女の注意を分散できる。
だが、トウマの考えはまだ甘かった。
「そういえば、セイジが通ったのって右だそうだわね。」
「ま、まてっ」
トウマの心に警鐘が鳴った。
「手を出したら、ちゃんと責任は取ってよね♪」
面白そうに彼女は言った。
「ナスティ!!!」
──────止めであった。
プロローグ 了
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