SCENE 2


「さて、と。すっかり長居をしてしまったようだな」
 時計が午後5時を回ったところで、はっとしたように征士が呟いた。
「そういえば、お前、仕事が残っていたのではなかったのか?」
「いや、お前とトーマが話してる間に片付けた。たまには泊まってけよ」
「いや、しかし、いきなりでは……」
「いい日本酒があるぞ」
 躊躇する征士が何か言い掛けるのを、トーマが止める。
「近いからって、お前いつも生真面目に帰るんだから、たまにはいいだろう?」
 追い討ちを掛けるように当麻も続けた。
 征士のマンションは、当麻のマンションから車で15分程のところにある。そのため、生真面目な征士は、夜遅くなっても泊まらず帰ることも多かったのだった。
「…………」
「降参?」
 困って黙り込んでしまった征士に、当麻が揶揄うように声を掛ける。
「当麻の誕生日に免じて泊まってけよ」
「……泊まるつもりではなかったのだが、そうまで云うのならば仕方ない」
 トーマの一言で、征士は不本意そうにしながらも承諾した。
「よし、じゃあ、夕飯はどうする?」
「いつもは、トーマが作っているのか?」
 無言で頷いたトーマに、征士は微かに笑いながら当麻へと視線を向けた。
「やはりお前より、トーマの方が生活適応能力があるようだな」
「オレもそう思う」
 当麻は、一瞬詰まってから、気を取り直したように反論した。
「……だけどなー、基本的に俺にない能力はコイツにもないんだぞ」
「能力を使うかどうかは別としてか」
「…………」
 今度こそ黙り込んだ当麻に、トーマと征士が笑い出す。
「ま、本当に当麻にない能力は、オレにもないんだけどな」
「何故だ? 補えないのか?」
 不思議そうに問い掛ける征士に、当麻はちょっとの間をおいて淡々と答えた。
「……あんまりいじるとただのアンドロイドになっちゃうんだよ。俺が作りたかったのは、ロボットじゃない」
「トーマは、あくまでお前のクローンということか」
「そう。基本的には、俺とまったく同じ遺伝形質を持つ人間。ただ、それだと進歩がないから、俺の持つ能力を最大限に引き出し、なおかつ人の持つ意志や感情を備えたクローンを作ったんだ。これが、思ったより手間取ったんだが」 
 クローン人間とは、一般に単一の個体から無性生殖的に作り出されるとされる人間のことである。人間にそっくりであっても、人間ではないアンドロイドとは違う。
「なるほどな、」
 苦笑しながら当麻は、感心したように頷く征士に向けて続ける。
「まぁ、時間掛けただけの成果は得られたと思ってるけどな。誰が、初めにクローンを見破るか楽しみにしてたんだが、やはり征士は鋭いな。まさか、背からバレるとは思ってもいなかったが」
 当麻が口を噤んだところで、それまで黙って聞いていたトーマが尋ねた。
「話の途中に悪いけど、飯どうする? 二人でどこか食べに行くか、オレが作ったものでいいなら作るし、何か取るならそれでもいいが」
「ああ、そうだった。征士、どうする?」
「私は、何でもよい。お前達にまかせる」
「トーマ、じゃ適当に頼むよ。何か取ってもいいし」
「判ったよ」
 仕方ないな、と苦笑して、トーマはキッチンに向かった。
 そして、1時間後、当麻と征士がクローン談義に熱中している間に、トーマは夕飯を作り終えた。
「出来たぞ」
 トーマの作った食事は、当麻と征士二人それぞれの好物ばかりで、テーブル一面に並べられていた。
「私の好きな物まで、すまんな」
 驚きながらも、すまなそうに征士は礼を云った。
「礼は、そんなことまでしっかり覚えてる当麻に言ってくれ」
 ふっと笑いながら、トーマは二人に冷めないうちに食べるよう告げた。
 和やかな笑いに包まれながら、三人はおいしい食事を堪能した。



 食事後、三人は酒を酌み交わし、結局、夜中の2時過ぎまで、延々と飲んでいたのだった。当麻も征士も酒にはえらく強い。そのため、二人が飲み出すとついつい長くなり、かなりな量の酒を飲んでしまう。それは承知のうえのことだった。そして、この日はそこにトーマが加わった。トーマもやはり当麻と同じく、酒には強く、いくら飲んでも表情一つ変わらず、言動も全く変わらなかった。
 酒豪三人が、漸く飲み止めた頃までには、多数の酒瓶が空になっていたのだった。
「少し、飲みすぎたようだな」
 征士が多数の空瓶を、苦笑しながら見つめる。
「三人分だからな」
「たまにはいいんじゃないか」
 当麻がそう笑いながら、ソファーから立ち上がった。
「征士、俺はソファーでいいから、お前、俺のベッド使え」
「当麻、オレはどうせ寝なくていいんだし、当麻がちゃんと寝ろよ」
 昨夜も徹夜だったんだし、と続けたトーマに征士が問い掛けた。
「トーマは眠れるのか?」
「ああ」
 微かに笑ったトーマに、征士は納得したように当麻に向けて笑った。
「なるほど、お前らしいな」
「何が?」
「いや、これほど人と変わらないのだから、トーマが眠るのも当然であろうと思っただけだ」
 ふわりと微笑して、クローントーマの髪に触れると、その蒼い髪は、さらりと滑り落ちる。その感触にも、違和感などはない。
「嬉しいなぁ。征士、オレと一緒のベッドで眠ろーぜ。セミダブルだし」
 クローンである自分を、征士も人として見てくれていることが嬉しくて、トーマは征士に抱きついた。
「ずるいぞ、トーマ。独り占めなんて。大体今日は俺の誕生日だぞ。お前がいい思いしてどーするんだ」
「当麻はゆっくり眠れるだろう?」
 くすりと笑って、トーマは征士から腕を放す。
「いきなり泊まる私が悪いのだから、私がソファーでいいが」
「駄目だ!」
 困ったような征士に、当麻二人が同時に叫んだ。
「お前をソファーで寝かすぐらいなら、おれは床でも構わん」
 同じ声が二つ重なる。この辺りがやはり同じ思考回路を持つ人間であるということか、と征士が妙なことに納得していた。
 当麻とトーマが顔を見合わせて、またもや同時に征士に向けて声を発した。
「三人一緒に眠ろうか」
 同時に自分の方へ顔を向けた当麻二人の様に、たまらず征士が吹き出した。
「……何だ?」
「まぁ、いいや。征士、それでいいか?」
「勿論、征士真ん中だな」
 決めた途端に、二人揃って畳み掛けるように征士に声を掛ける。
「全くお前達は……」
 呆れ顔の征士を余所に、当麻二人は軽い足取りで寝室に向かった。
 がたがたと物を動かす音に、征士が寝室を覗くと、二つのベッドがぴったりとくっつけられていた。
 軽い頭痛を感じながら征士が中に入ると、当麻とトーマはその気配に同時に振り返った。
「そうだ、征士のパジャマ」
 トーマが箪笥を漁って、モスグリーンのパジャマを征士に差し出した。
「風呂、沸いてるぜ。入ってこいよ」
「お前達は?」
「俺は、近頃は朝入ってるからいいんだ」
 軽く頷いたトーマを見て、征士は自分のためだけに風呂を沸かしてくれたことを悟った。
「そうか、すまんな。先に休んでくれていいぞ」
 征士が風呂に入っている間に、当麻二人はベッドを整えて、バイトの仕事であるプログラムの出来を軽く最終チェックした。
「よし、これで明日届ければいいな。トーマ、頼んでいい?」
 当麻が、後ろからコンピュータの画面を覗き込んでいたトーマに声を掛けた。
「11時だったな、判った。確かに、当麻が起きれるわけないな」
「サンキュ」
 あっさり承諾を得て、当麻はコンピュータをクローズすると、立ち上がった。
「じゃ、そろそろ寝ようか」
「ああ」
 二人が寝室に入ると、ほぼ同時に征士も姿を現した。
「起きていたのか」
「プログラムの最終チェックをね」
「そうか、すっかり遅くさせてしまったな」
 時計は既に3時半を廻っている。今日が平日であることを考慮しての少々すまなそうな征士の言葉を、トーマがあっさり否定した。
「オレ達のことはいいよ。オレは本来睡眠がいらないんだし。それより、征士の方が困るんじゃないか?」
 朝早くないのか? と心配気に尋ねたトーマに、征士もまた首を振った。
「いや、明日の講義は午後からでな。私の心配はいらんぞ」
「そっか。ならいいけど」
「まぁ、そろそろ寝ようぜ」
 約二日眠っていない当麻が、さすがに眠そうに欠伸を噛み殺して云った。
「ああ」
 それに征士とトーマが頷いて、三人が二つのベッドに入った。もとがセミダブルなので、それ程、狭さは感じない。
「征士、真ん中な」
 ベッドとベッドの間には、居心地が悪くないように、布団が引かれている。当麻二人に腕を引かれて、結局征士が真ん中に眠ることとなった。
「征士と同衾なんて、幸せだなぁ」
「征士の髪、石鹸の匂いがする」
 戯れる当麻とトーマに呆れつつも、征士は怒らずにいた。
「なんか、優しいなぁ、お前」
 征士の金髪を指に絡めて、幸せそうに呟く当麻に、征士は微かに笑った。
「今日は、な」
「うーむ、一生、誕生日だといいのになぁ」
「馬鹿を云っていろ」
 呆れながらも、征士自身も何故だか、気分は良かった。ふと、日頃滅多に見せないような当麻の表情を、半日程で随分たくさん見たことに気が付いた。それは、トーマと当麻、二人分だったからかもしれない。けれど、どちらにしても、自分の行動に喜んでくれる当麻を見るのは、悪い気分ではなかった。
 三人がそれぞれ良い心地のまま、だんだんと眠りに落ちてゆく。
 二人の当麻の気配に包まれた部屋は、不思議な蒼い風の香りがする、と征士は薄れゆく意識の中で、ぼんやりとそう思った。



Epilogue


 翌朝、トーマは9時頃に目覚めた。ふと、隣をみると、征士は丁度起きたところらしく、軽く上体をおこしていた。その隣の当麻は、見るまでもなく、幸せそうにぐっすりと眠っている。
「もう、起きたのか?」
 征士がふと視線を落として、目覚めたトーマに、僅かに驚きを滲ませた声で問い掛けた。
「ああ、」
 トーマはくすりと笑って、自分も身をおこしつつ、続けた。
「オレと当麻のもう一つの相違点。寝起きの良さ」
「なるほど」
 妙に感心する征士を眺めながら、トーマは大きく一つ伸びをした。
「さーて、オレはそろそろ起きなきゃな」
「仕事か?」
「そ。当麻のプログラムを届けにね」
「御苦労なことだ」
「まぁ、もう暫く当麻は寝かせといてやんなきゃな」
「徹夜明けでは、こやつは起きまい」
 当麻の寝起きの悪さを、良く知る征士が苦笑する。
「だな。征士はオレとコーヒーでも飲んで、先に朝食にしよう」
「ああ、そうさせてもらおう。私もあまりもたもたしては、いられんからな」 
 トーマと征士は静かにベッドを抜け出して、朝日の当たるリビングに来た。
「じゃあ、おいしいコーヒー淹れるな」
「ああ、いただこう」
 ふわりと、朝日の中で征士が微笑む。きらりと光る金糸と、柔らかな紫水晶。
 それにつられてトーマも笑って、呟いた。
「役得、かな」
(これは、オレだけの特別だな)
 ふっと笑いを残して、トーマはキッチンへ向かった。
「今日は、天気が良さそうだな」
 明るい陽射しに眩し気に瞳を細めて、征士が呟く。
「ああ、今日は快晴だ。オレも当麻も上機嫌なんだから、青空が曇る筈はない」
 軽くウィンクして見せたトーマに、征士も笑って頷いた。


 トーマの忙しい一日が、また始まろうとしている。

         ENDE            

1995.10.10発行「BE BLUE」より

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