電車で約6時間 1998年9月2日のこと。地元では土古(どんこ)競馬場と言われているらしい、名古屋競馬場を目指して18切符を手に、朝6:35の東海道線で藤沢を発った。友人の平野光流に付き合ってもらった。春以来の名古屋行である。
行きの東海道線は意外と客が多くて沼津では沢山の高校生が降りていった。つい女子高生に目が行ってしまう悲しい性、この辺の高校は、紺色のシンプルな制服は少なくてやたらと緑や茶系のタータンチェックのスカートが目についた。しかし似合っていなかったし、場違いな気がした。何でも東京の真似ばかりしないでもいいだろうに、と思う。
18切符の旅は忍耐だ。ひたすら各駅に停車していく。時間が一緒について来る。ああ金があれば…、といつも思う。新幹線に朝から何台抜かれたことか。でもそんなダラダラした旅が結構気に入っている。
ういろう買ったぜ 朝から心配していた空模様だが、名古屋が近づくと俺らを歓迎するかのように晴れ間が広がってきた。周りを気にして中日ドラゴンズの話などしてみたり。ついに12:18に名古屋駅に到着。外に出ると真夏の陽射し、暑い。近くの名鉄バスセンター(ビルの中)から無料バスで名古屋競馬場へ。20分おきくらい、結構頻繁にバスが出ているようで意外だった。終バスは1時だったかな。乗客は俺らを含め12〜3人。おばちゃんが二人いて、あとはくたびれた親父たちだった。バスで20分程で競馬場についた。港の傍を走ってきたので倉庫と工場ばかりが目についたが、景気が良いようには全く見えなかった。
入場料100円。場内は狭いだろうと思っていたのだが、船橋くらいの広さがあった。いや船橋も狭いけどね。まずインフォメセンターで写真撮影について聞くと「馬にフラッシュたいたり、無許可で人を撮ったりしなければOK」とのこと。船橋みたいな許可ステッカーが欲しかったのだけどな。とりあえず、コースへ行く。5Rが始まっていた。右回りで小じんまりしている。4〜5頭が混戦でゴール板を駆け抜けて行ったのが見えた。
串カツ丼は安い、美味い 腹が減ってたので、名物串カツ丼を食う。細長い味噌カツが丼にのっていて、味付けは濃いがかなり美味い。カロリーが気になるが俺はアレを2杯食えるね。480円という値段も奇跡だった。実際、他の競馬場の食い物は高すぎるよ。店内ではおっちゃん達が昼間からビールを飲んでいた。いいねえ。店内のテレビで6R。名古屋リーディングの吉田稔騎乗の馬が、単勝1倍台の圧倒的な人気。レースは吉田稔の馬が4角を回って悠々先頭に立つと、突き放して楽勝。買わなかったが、2着には予想していた馬が来て、馬複で9倍ほどついていた。
7Rは、吉田は出ていなかったが彼のライバルである人気若手(といっても、もう30歳)ジョッキーの安部幸夫が出ていてやはり一番人気、1倍台だった。素直に流したら的中。レースを見てきて何となく解ったのは、直線が短いので3角から4角の出方が勝負。まあ何処の地方競馬場もそうだろうが。で、4角回って先頭またはスムーズに番手というのが理想のようだ。最内よりも少し外が伸びるような気がしたが、小回りで外に振られるせいだろう。8Rは、軸になりそうな馬、騎手が出ていなかったので買わなかった。パドックで見ていてもいまいち決め手が無かった。
そしてメイン9R。中京スポーツ賞・第八回スプリンターズ争覇(SPV)1400m。この土古競馬場は800から2500mまで出来るらしいがこの日は9レース中6レースが1400m戦だった。さてパドック。9頭の中にオグリワンという馬。あのオグリワンだった。芦毛の7歳で、かなり白っぽくなっていた。だが親父の面影はあまり見られず、疲れているのか元気も無いように映った。よく見えたのは、吉田の乗る4番のトライバルスピードの他3頭。流すかー!と買いに行きオッズを見ると馬複で1−4というのが2.2倍と思いっきりかぶっていた。1番も特によく見えたので、「この一点しかないじゃん!」と思いきって買う。あとオグリワンの単勝も記念に買ってみた。
メインレースなのに、少しも盛り上がらずにスタート。俺はゴール板前に陣取った。ゴール前には俺と同じように一眼レフを構えた若い女性と、あとは俺くらいの若い男が数人いただけ。一周目、人気の片方、1番ワカサアイネスが逃げる。これがちょいカカリ気味で向う正面で4〜5馬身差をつけた。鞍上の宮下君(24歳、妹の瞳は第2回卑弥呼杯4位)も頑張って抑えていたが、かなり無理しちゃってるみたいで、その2番手をトライバルスピードが楽に追走。この時点で「そのまま!」と言うところだが、あの逃げが持つようには思えず、隣の光流に「こりゃダメだよ」と言いながらカメラを合わせた。3角から4角で後続が徐々に迫ってきて、直線。アイネスは一応、先頭で4角を抜けたが、予定通り!という感じで外からトライバルスピードがあっさりと交わし、そのまま差を広げ危なげなくゴール。とにかく完勝だった。取りあえず連写した。
そして2着には何とワカサアイネスが逃げ粘って入ってくれた。3着、オグリワンが猛追してきたのを凌いでくれたらしい。何とか的中。馬複は240円だった。一点だから良しとすべきか。それにしても、吉田という騎手は本当に上手いな、と改めて感じた。冷静なレース運びで仕掛けどころを外さないし、騎乗フォームも綺麗だった。まあ彼が目立ち過ぎてしまうほど他のレベルが低いというのもあるのだろうが。
寂しい…。でも稔ちゃんと握手さて表彰式。一応、重賞なのに寂しいもので観客は10人いなかった。それも4人が俺のようなカメラ小僧。拍手も少なかった。傾いた西日が寂しさを強調しているようで嫌だった。プロ?のカメラマンが表彰台の吉田稔に向かって「ミノルちゃん!ミノルちゃん!こんなポーズとってよ」なんて慣れた口調で呼びかけ撮りまくっていた。表彰台の上の吉田稔をよく見ると、29歳ということだがそれより若く見えて、なかなか良い男だった。7Rの安部にしても吉田稔にしても、もし中央にいたのなら(馬鹿な)追っかけ女が付くくらい人気になりそうなものなのに、とはかないことを考えた。毎度、地方と中央のあらゆる面での格差を思い知る。中央の華やかな舞台に立ってみたいと考える地方のジョッキーも多いだろう。
表彰式が終わって、稔ちゃんはトライバルスピードが使ってたメンコを少ない観客に投げたが、俺の反対側だった。こっちに投げてくれれば確実に取れたのに…。その後、戻ろうとする吉田に一人のファンがサインをもらっていたので、俺もその後で握手してもらった。ダートの砂が手についていて、熱いザラッとした感触があった。「初めて名古屋に来たんですけど…、上手いですね、感動しました」と愚にもつかないことを早口で喋ったら、稔ちゃんはちょっと戸惑ったような笑みを浮かべた。
駅のきしめんは普通のうどんだった帰りは市バスで200円だった。17:48に名古屋を発ち、23:02に藤沢に到着。車中では、菓子など食べながら光流と、コミケのことやSPEEDのことやマルチのことなどだべっていた。あと嫌いな声優をけなしたり。今のアニメ界はバブル、勘違い、商業主義の嵐だから話すネタには事欠かない。でもそれは悲しいことなのだ、本当は。
追記 9月5日の新潟12Rに稔ちゃんが出ていて大外から強引に追い込み中央初勝利!嬉しいね。1998.9.23
1999.2.17改稿
初勝利を飾った稔ちゃんとダイユウカイソクだが900万も勝ち、愛知杯に出走。直線、51キロの軽ハンデを生かし、怒涛の追いこみを見せ4着。一瞬「差せるかも?」と期待してしまう脚だったのだ。もちろん俺は「稔ちゃん、行けー!!」と叫んでました。
春になったら、また行きたいものだ、名古屋と笠松は。
土古にて レースの覇者の 微笑みと 手に付いた砂と 味噌カツの辛さ