猫の妙術

 

 江戸の頃、勝軒と言う剣術の師範がいました。

 そしてある時、その勝軒先生の家に大ネズミが現れたそうです。

 異様に大きいネズミに家族の人達も肝を冷やすので

 勝軒先生は木刀を振りかざしてネズミを追い回しましたが

 そのネズミの素早いこと素早いこと、まさに電光石火

 剣術家の勝軒先生の手にも負えませんでした。

 しかし、ネズミをそのままにしておけないのも事実。

 ・・・そこで、近所でも名の通った大猫達が借り集められて来ました。

 するとネズミは覚悟を決めて部屋の隅に陣取って

 近寄る猫に飛びかかって食らいつきました。

 これにはさしもの猫共も尻込みしてしまって

 終いには散々追いまくられる始末。

 そこで今度は七八町も先に無類の逸物の古猫ありと聞き

 勝軒先生はこれを借りてきました。

 見るとこの猫は形は鈍物の如くハキハキせず

 一見眠っているようにさえ見えたほどです。

 しかし、いざこの古猫を入れると、さしものネズミも縮み上がって

 雑作も無く引っ捕らえられて一件落着の仕儀と相成りました。

 

 

 

 その夜、猫共は勝軒の家に集まって

 古猫を座長として各々の心境を語った。

  「我らは今まで如何なるネズミも取り損じた事はないが

   先ほどの大ネズミには打つ手とて無かった。

   願わくは御教示を授け賜え。」 

 

 すると古猫先生は答えて言った

  「お話し致すほどの事もなけれど

   諸士は正直の手筋を知らざるために

   達者に働いても思いの外の事に逢うて不覚を取ったのであろう。

   まず諸士の修行の度合をお聞かせ頂きたい。」

 

 そこで、素早しっこそうな黒猫が進み出て言った。

  「拙者は前々から早業を以って名を取り

   桁や枠を走るネズミも捕り損じた事は無いが

   先ほどのネズミには通じなかった。」

 正確で素早い技がこの黒猫の持ち味だったわけです。

 

 古猫は少し厳しい口調で答えました。

  「汝の修行は所作を教える道筋であるが

   所作のみに専念してしまって技巧を弄する物であり

   才覚と技巧に溺れてしまったが故に

   それらの及ばぬ時には打つ手が無くなるのだ。」

 形だけの技では限界があるとのお叱りです。

 

 次に、今度は堂々とした風体の虎毛の猫が罷り出ました。

  「武は気勢を貴ぶと聞き

   自分は気を練る事を久しくした。

   今やその利闊達至極にして天地に充ちる様で

   所作も自ずから涌き出るようであるが

   それでも先ほどのネズミには打つ手が無かった。」

 相手を威圧する気迫が虎猫の得意とする所でした。

 

 これを聞いて古猫は答えた。

  「汝の修練は気の勢に乗って働くもので

   気の善なるものではない。

   こちら破ろうとすれば、敵もまた破ってくる。

   敵が自分より強ければ敗北するしかない。

   先ほどのネズミは死に迫って怯む所が無く

   生を忘れ、欲を忘れ、勝負を心とせず

   その強固な意思は金鉄のようであり

   気勢ばかりで服せるものではない。」

 気迫だけでは相手がそれを上回れば、それまでです。

 

 今度は灰色の猫が静かに進み出ました。

  「仰せの如く、気は旺であっても象があります。

   愚老は心を練る事を久しくして勢を成さず

   物と争わず、相和して戻らず

   愚老の術は己の心を以って相手の心を縛るような物で

   かつて如何なるネズミと言えど愚老の意のままと成った。

   されど、先ほどのネズミには全く通用しなかった。」

 自分の心で相手の心を縛る。

 これは幾つかの流派で「心法」と言われている高度な術です。

 

 しかし、この心法さえ古猫を満足させませんでした。

  「御身の和は自然の和では無く

   意識して和をなすものである。

   意識して和をなす時は自然の感が塞がってしまって

   臨機の妙用がない。

   自然の感に随って働く時には象などあり得ない。

   我は無心にして自然に応ずるのみである。」

 無心の境地。

 これを言われるとさしもの灰色猫も頭を下げるだけでした。

 

 そして、もう進み出る猫がいなくなり

 古猫は自分から話し出しました。

  「かつて我が近郷に老猫が居たが

   終日眠り、あたかも猫の木像のようであったが

   未だかつてネズミを捕りたる事を聞かず。

   然るに彼の居る近傍幾里には一匹のネズミとて居なかったので

   我は彼の老猫の許に赴いてその故を問えるも

   彼は答えなかった。

   否、答えないのでは無い。

   答える所を知らなかったのである。

   これ即ち己を忘れ、物を忘れ、物無きに帰したのであろう。

   実に我もまた彼には到底及ばなかった。」

 さらに澄み渡った無の境地。

 剣術で言うと無刀の境地なのでしょう。

 言葉も、気迫も、拳も、全て刀になり得ます。

 しかし、そうした物を必要としなくなり

 術の必要さえなくなるのが無刀の境地なのだと自分は思います。

 

 ・・・さて、勝軒先生は猫共の話を夢の如く聞いていましたが

  「我、剣術を修する事久し。

   されど未だその道を極めず

   今宵、所説を聞いて悟道を得たり。

   願わくはなおその奥義を示し賜え。」

 と教えを乞うと

 

 古猫は答えて言った。

  「否、吾は黙なり、ネズミは吾が食なり

   何ぞ人の事を知らんや。

   されど剣術は単に人に勝つ事を務むべからず

   大変に臨みて生死を明らかにする術なり。

   士たる者はそれによって心を養うべきである。

   第一に士の理を徹してその心に偏曲なく

   不疑不惑なれば心気自ら平和にして物なく

   飄然として常ならば変に応ずること自在なるべし。」

 動揺する事も執着する事も無い、臨機応変の平常心。

 言葉で言い表すと当たり前の事のようですが

 いざ実行するとなると、ほとんど不可能にさえ思える難事であります。

 しかし、不可能を可能にするのも武道家の仕事。

 この古猫の教訓に勝軒先生は割然として大悟を得たと伝えられています。

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