信陽舎(6/8)

  普段の寮生活でもそうであったが、素直にかつ謙虚に本物を語れる風潮は この寮の最高の伝統であった。そこには最初から、恥ずかしさなどを同居させる余地など 持ち合わせていなかった。

  私は極端な恥ずかしがり屋だったので、最初のうちはなかなか馴れないで居たが、 そのうち寮のここのところが一番好きになって行った。

  中学や高校時代の友人達に言わせれば、この部分の私が寮生活を通して、 一番大きく成長したところのようである。

  その若者達の歌声は、澄み切った青空の端まで届かんばかりであった。 若者の合唱がしばらく続いた。すると周りの見知らぬ人たちがつられて仲間に入ってきた。 参加者が多くなっった事で益々拍車がかかって調子付いていった。 まるで静まるところを知らないかの様であった。

  俗に、「秋の陽は、釣瓶お落とし」のようだというが、全く秋の日は暮れるのが速い。

  皆別れを惜しむような顔つきで、登って来た道とは別の道を、 赤い夕日に向かって駆け下りる様な速さで降りていった。

  いかにも青春と呼ぶにはぴったりの光景であった。

  こんなに楽しい遠足が過去にあっただろうか。

  どうしてもその自然を共有してみたかったのであろう。 その数年後私は、高尾山で妻やよいとデートをしたことがあった。

(1996年2月)

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