遍路道中記―5 (21日目〜25日目)

・・・・距離は概算です・・・
21日目

行動時間 6時30分〜15時55分  52900歩?(9時間25分 40km) 天候=晴・初夏 の陽気


宇和島駅から昨日最終地点の務田駅まで電車。

≪41番竜光寺≫

天気は良し、早朝一番乗りの納経は気持ちいい。


≪42番仏木寺≫

竜光寺の墓地から山道を下ると仏木寺まではすぐ。

≪高森山635m一等三角点≫・・・・四国百名山

一等三角点 高森山

登山愛好家にとって、遍路で外せない一等三角点の一つ『高森山』を目指す。歯長トンネル入口で左の林道(四国の道)へ入る。林道歩きがかなり長い。“高森山園地”の標識がときどき目につくのが心強い。ようやく稜線に乗って一等三角点標石のある高森山園地に着く。

このあと稜線伝いに法華津園地まで進む。車で園地の桜を見に来たという地元男性と少し話をした。満開の桜、そして眼下宇和島湾の眺めがすばらしい。明石寺までは1時間ほどだと教えられる。

法華津園地から宇和島湾を俯瞰

ところが下る道をまちがえてしまった。危うげな急峻の道を下って行くと行き止まり。途中にあった国道へ下りる標識を見落としていた。もう一度登り返して標識を見つけ、降り立ったところは国道トンネルの出入り口。しかしこの場所はガイド地図からはみ出していて現在地の照合ができない。いったいここはどこだ。パニック状態、焦る。通りかかった車を止めて西予市への方向を教えてもらう。ここは法華津トンネルの宇和島市側の出入り口、つまり目的地とは逆の方角へ歩いてきたということだ。

2キロ近いトンネルを抜けて西予市へ。ところがガイド地図を見ても依然現在地の確認ができない。車は通るが人を見かけない。あてもなくただ歩いて、ようやく教えてもらうことができた。

教えられたように歩き、急な坂道を上ってたどり着いた先は明石寺ではなくて、高台にある歴史文化博物館。また下ってから坂を上りようやく明石寺に到着。いったいどれだけのムダ歩きをしたことか。 足が急に重くなった気分、つぶれたマメにも可哀想。


≪43番明石寺≫
 

明石寺

早々に明石寺の参拝をすませて大洲市の宿へ。ここでまた大洲方面への遍路道を外してしまい、とんだ遠回りをしてしまった。焦るとこうなるという見本だ。まさに最悪の一日。疲労感はさらに増す。『無理は禁物』の自戒で上宇和駅まで歩いたところで電車に乗ることにした。(電車約15キロ)

今日はほんとうに疲れた。

高森山登頂、道を間違えて余分に歩いたことなど考慮すると、電車15Kの大半は歩いたことにしてもいいだろう。

22日目

行動時間 5時35分〜15時50分  52478歩 (12時間15分 39km) 天候=晴・暑い

≪別格霊場十夜ケ橋≫

神南山の朝陽

大洲市のホテルを出発して十夜ケ橋ヘ向っていると、富士山に似た端麗な山の端から朝陽が上がってきた。地元のおじんに「きれですね」と声をかけると、大洲市には3つの山があって、この山は神南山だと教えてくれた。登りたい誘惑に駆られるが、所詮時間がない。このほかにもそんな誘惑を覚えた山は数多くあった。
十夜ケ橋の霊場は拝礼だけで通過。


≪内子座≫

内子座

少し寄り道になるが、内子町に入って内子座や保存町並みを見学。

突合のT旅館到着12時40分。時間が早いから上畦々まで行くように勧められる。電話をくれたら車で迎えに行ってやるとのこと。

同宿の男性と二人、だらだらした勾配の車道を約10キロ。畦々あたりの山里風景はえも言われぬ美しさ。こころ安らぐ花の道だ。梅やスイセン、菜の花など、良き山里の佇まいが昔のまま残されている。

時計の止まったような畦々の山里

上畦々まで2時間。車の迎えで宿へ戻る。

T旅館は最悪、タオル、石鹸、ユカタ、シャワー・・・無い無いづくし。汚れ放題のトイレ、仕切り戸のない風呂、転げ落ちそうな狭くて急な階段、部屋の隅に積み重ねた湿っぽい布団、『旅館』とは到底言い難い。ひどすぎる。

23日目

行動時間 8時00分〜15時25分 42984歩 (7時間25分 34km) 天候=終日雨

突合のT旅館前から上畦々行きの学童バスに便乗。子供は素直だ。「おはよう」というとコダマのように元気に返ってくる。

昨日の続き上畦々から歩く。雨は終日降りやまない。上坂場峠・鴇田峠経由のルート。ショートカットの遍路道を見落としてかなり遠回りしてしまった。雨のため顔を伏せ気味に歩いていた結果だ。久万町へ入るころ、私よりずっと後ろを歩いていたはずの人が、私の前を歩いているではないか。びっくり。どこでどうなったのか・・・・?

44番大宝寺≫

大宝寺

寺まではかなり急な坂道を上る。標高560mの堂宇は鬱蒼とした木立に囲まれた静寂境。


≪峠御堂山753m 四等三角点≫

大宝寺からは山越え。途中にある峠御堂山ピークを見落とさないよう国地院地図を手に注意していたが、ピークを断定できずに直下をかすめて通過。

大宝寺先の民宿K苑に荷物を預けて岩屋寺へ向かう。K苑は昨夜とは打って変わって施設も対応も最良の民宿。

昨日上畦々まで距離を稼いでおいたおかげで、この日のうちに岩屋寺へ向かうことができた。後の行程を考えるとかなり有利だ。

≪45番岩屋寺≫ 標高670m

岩屋寺への往路は八丁坂経由の山道を選んだ。アップダウンがきつく、雨にぬかるんだ道は歩きにくく靴も泥だらけ。

山道のピークから下って行くと標高670mの寺へ裏側から入ることになる。奥ノ院岩窟の仏像が迎えてくれる。この日は弘法大師生誕日で、舞台がしつらえられ、中国風の笛太鼓の騒がしい行事が行われていて、読経も気が散ってままならない。民宿への復路は県道。長い長い石段を下るが、昇ってくるお遍路さんたちは息を切らしている。

足のマメはすでにつぶれているので、肉が盛ってくれば痛みもなくなるだろう。治ったと思うことにする。

24日目

行動時間 5時45分〜13時00分  43173歩 (7時間45分 33km) 天候=快晴

久万町民宿K苑5時45分スタート

46番浄瑠璃寺

久万町から三坂峠へは、だらだら上りの長い国道、峠からは山道の長い下りに入る。浄瑠璃寺の前には長珍屋という民宿がある。これが民宿?と思うほどの規模に驚く。

47番八坂寺

別格文殊院 

文殊様は知恵の仏。孫のために納経してご朱印をいただく

48番西林寺


≪49番浄土寺≫

浄瑠璃寺からは札所がかたまっていて納経もどんどん進む。

浄土寺着は午後1時。これで本日打ち止めにするのは時間的に勿体ないが、明朝7時に次の札所『繁多寺』でメル友のA子さんと会う約束がある。

境内の桜の花の下で、アイスクリーム売りのおじさんと1時間ほどおしゃべりをしたあと、浄土寺近くの伊予鉄久米駅から松山市駅へ。

松山市路面電車

松山市駅付近のビジネスホテル泊。松山城公園などを散策。路面電車が市民の足として現役で働いているのを見て、古き良き時代を想う。

体が一日30キロ以上歩くことに順応、足のマメ痕も固まってきてもう痛みは感じない。

25日目

行動時間 6時00分〜16時25分 53605歩 (10時間25分 39km) 天候=曇・小雨

伊予鉄松山市駅から久米駅へ。今日も行く先々で桜が満開。

昨日参拝済みの浄土寺で2度目の参拝をしてから繁多寺へ向かう。

≪50番繁多寺≫

繁多寺

繁多寺近くの遍路道沿いにお住いのメル友A子さんと小一のお嬢さんが出迎えてくれる。美しく若いママさんぶりに一瞬たじろぐ。初対面だが打ち解け、歩きながら会話がはずむ。一六たるとなど、四国銘菓取り合わせの袋をお接待でいただく。わずかの時間だったが、この遍路の記憶に残る良い時間だった。

≪51番石手寺≫ 

参道が仲見世のよう。観光寺院という感じ。

石手寺を出た早々に道を間違える。道後温泉の路面電車を目にして自分が歩いているこの道は、地図の遍路道と合致しないことに気付く。2キロほどの損。

≪52番太山寺≫

参道が仲見世のよう。観光寺院という感じ。

石手寺を出た早々に道を間違える。道後温泉の路面電車を目にして自分が歩いているこの道は、地図の遍路道と合致しないことに気付く。2キロほどの損。

≪53番円明寺≫

円明寺

このあたりからまた海が見えてきた。これまでの太平洋ではなく瀬戸内の海、はるばると歩いてきたものだ。

北条のビジネス旅館着15時05分。脚は軽く絶好調、距離を稼ぐために宿にザックを置いて浅海駅まで数キロをかせぐ。電車で宿に戻る。

  
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