オストミー(人工肛門保有者)の生活日記



2001.07.18〜8/3(北海道18日間の山旅)
≪2001.07.18≫・・・フェリー
17日間の北海道一人山旅へ出発、少し緊張するのは仕方ないよね。

正午12時、ほぼ3日振りの洗腸をすませた。この3日間も途中のウンコちゃんは出なかった。イイゾイイゾ。
さあこれからも3日サイクルでうまく行きますように。平の大いなる挑戦・・・・

午後3時に自宅出発、乗船は午後7時。
下痢でもしない限り、船中での二晩は心配していない。

船室は2等B寝台、パウチもなしでティッシュだけ。今夜はゆっくりと寝るゾー。
名古屋港を後にして、船は太平洋の海原へと出て行く・・・ブラボーHOKKAIDO!!


●船内で万一の下痢便でも発生したら困るという不安がないわけではないが、
そこは勇気、勇気・・・・。ケセラセラのティッシュ一つで行っちゃへ。

≪2001.07.19≫・・・フェリー
4つ折りティッシュと防臭布だけで終日過ごす。
ストーマちゃんは泣いて喜びたいほど良い子にしていた。
ガス発生源のビールはなるべく控えようと思いつつ、それではこの船旅があまりにも味気ないではないか。350mlをひとつやっちゃった。
ケセラセラのつもりではいるが、このあとの野天での洗腸場所とか雨だったらとか、ついつい考えてしまう。本音は気になってしかたないのだ。
つくづく思う。ウンコのことで、これだけ神経を注ぎ、ひたむきに向き合う人間は他にはいないだろうと。まったくイヤになっちゃうよ。
小さなオナラちゃんが一つ、そこで暇にまかせて変なことを考えた。それは「屁」のたとえ。
・屁の役にも立たない
・屁のカッパ
・イタチの最後っ屁
・屁のように軽いヤツ
なんとまあひどいマイナスイメージ。そう言えば私の名前も「へ」がつく。ああ、ヤダヤダ・・・
船内の風呂はパットなしのスッポンポンで入っちゃった。

≪2001.07.20≫
ガラス管の中を空気が移動するように、大腸の中をガスが動いているのが見えるようだ。お腹がモヤモヤする。異常の前兆ではないか、気になる。
朝起きると小さいコロコロウンコが2個、何でこんなに早々と・・・パウチは貼りたくない。その後もティッシュのまま。
きっと緊張のせいだろうね。

39時間の船旅を終え、苫小牧港から長駆400キロ、釧路の
次男宅へ泊まった。
洗腸から丸2日で少し早いが、次男宅で洗腸。我が家のように要領良くはできない。トイレの換気も不充分だし、いろいろと気も使う。
しかしつつがなく洗腸完了。旅先での洗腸は大仕事だ。終るとホントウにほっとする。

≪2001.07.21≫
標津岳登山。ストーマにはティッシュをテープで押さえてあるだけ。
今朝はお腹のモヤモヤもなくなっている。ストーマちゃんも我が家ではないことを分かってくれて、よそ行きの良い子になってくたれようだ。
登山後温泉へ。ビールを煽りたかったが、ガスが怖いから350mlでガマン。マイカーに寝る。

≪2001.07.22≫
知床半島付け根の武佐岳、それに摩周湖畔の西別岳と二つ登る。
もう汗だくだく。
温泉に入ってから釧路市の次男宅へ。丸2日で洗腸。順調に終る。
缶ビール350ml×2本、飲み過ぎかなあ、と飲んだ後で心配してももう戻せない。ストーマちゃんが文句言おうが、飲んだが勝ち、ざまあみろ・・・

≪2001.07.23≫
釧路の次男宅を早朝に出る。雨降り。
糠平湖近くの西クマネシリ山へ登る。ウンコちゃんはぜんぜん心配ない。
下山後パットなしで温泉入浴。勇気を持って?ビール500mlをやっちゃった。
マイカーの中に寝る。

≪2001.07.24≫
糠平湖近くのウペペサンケ山へ登る。
洗腸後2日目になるが不安は感じない。何かしら自信のようなものを感じる。むしろ明日の洗腸が気になる。良い場所が見つかるだろうか。
下山後然別湖畔の温泉へパッドもつけずに入浴。

翌日登る予定の芽室町郊外にある伏見岳登山口へ。
登山口に無人の山荘があったが寝るのはマイカーの中。この夜は山荘に泊まる人はいなかった。
明日の朝は洗腸、でかい仕事が待っている。何と言っても登山者の来ない早朝がいい。4時開始でいこう。

≪2001.07.25≫
北海道の夜明けは早い。
3時半、もう明るい。何と雨が降っている。野天の洗腸を予定していたが雨に濡れてやるわけにもいかない。山荘の中を借りることにした。ありがたい。山荘様々だ。
引水もあるし、小さな流れもある。きれいではないがトイレもある。

洗腸で注入に使う水は自宅から持参の水道水である。
北海道ではキタキツネが媒介する「エキノコックス」という寄生虫病が怖い。生水はゼッタイに使いたくない。さりとて煮沸して冷まして使うような余裕はない。
前回洗腸から2日と11時間経過で洗腸開始。ほどよい高さのところに温湯バックを吊り下げるためのS字フックをかける場所もあった。
注入後、ストッパーを外してからはドレーンを折って大きなクリップで挟んで洩れないようにしておく。自動車の中かを整理したりこまごまと動きながら排出を待つ。ドレーンにある程度溜まったらトイレへ流して、また同じように排出を待つ。
排出は自宅より順調だ。トイレでじっとして新聞や本を読んだりしているのと違って、動くのがいいようだ。
ドレーンから汚物を便器に流しこむときはこぼさないように注意する。ここは肝心なところだ。
ドレーンからトイレへ2回流したところでほぼ終ったようだ。念のためにパウチを貼り、後片付け。持参のバケツで用具を洗い、汚水はトイレへ。そのあと沢の流れですすいで完了。
パウチを貼ったまま伏見岳登山に出発。下山後パウチを剥がす。結局ウンコは出ていなかった。

下山後日高へ移動。キャンプ場へ入る。パットを貼って温泉入浴。夕方ひどい雨。

今朝の洗腸から8時間ほどのところで、突然軟便が出てきた。このときティッシュ4つ折りと防臭布のみ。量は手のひら半分ほどだったが、防臭布が汚れただけで、衣服は汚さずににすんだ。
この軟便、下痢が続いたら・・・と思うと不安が胸を刺す。ただちにパウチを貼る。しかしその後3、4時間様子を見るがウンコの出る気配はない。どうやらストーマちゃんがキゲンを損ねてのいっときのアクシデントだったらしい。
パウチを外したが、何ともブルーな気分が抜けなかった。

≪2001.07.26≫
前夜の軟便のこともあって、はればれとした気分にはなれなかったが、佐幌岳登山に出発。
天気は雨模様。
お腹の様子が気になる。いやにガスが多い。
案じたが幸いウンコちゃんゼロでこの日は終った。
林道途中に車を止めて寝る。

≪2001.07.27≫
大雨により、一夜にして林道が崩壊。予定のチロロ岳、ペンケーヌーシ岳登山は不可能となる。計画を変更して富良野方面へ向かう。
上ホロメカトック山〜富良野岳を登頂。
下山後十勝岳温泉へ入浴、パットなし。最高の温泉だった。
大き目のオナラちゃんは何発かあるがウンコの気配はない。

洗腸を丸3日の明朝にするか、あるいは3日半の明日夕方にするか、そしてどこでやるか気がもめる。
明日夕方までもつだろうか。頭に中は「洗腸、洗腸・・・」でいっぱい。
気にしてもしょうがないと思いつつ、やはり頭を離れない。ケセラセラなんてそう簡単なものではない。

明日登頂予定の支笏湖畔恵庭岳登山口で寝る。

≪2001.07.28≫
この朝で前回洗腸から丸3日経過、きわめて危険な水域に入っているがウンコちゃんは出ていない。
早朝の洗腸はやめてまず恵庭岳を登ってくることにした。

下山して洗腸場所を物色しながらマイカーを走らせる。オコタンペ湖のさらに奥へ。自動車の通りも非常に少ない。急カーブの曲がり地点に自動車1台分のスペースがある。マイカーの陰でやれば通りかかった車からは一瞬しか目に入らないし、何をやっているかもわからいな。おまけに沢が流れている。またとない場所だ。
先ず持参のスコップで穴を掘る。径、深さとも30センチほど。これは汚物を捨てる場所である。流れから最低10メートルは離れていることを確認、これは川を汚さない配慮。

温湯バックを吊り下げるのに、ある程度の高さがないと水圧がかからないので注入はできない。このために用意してきた2メートル余のアルミ柱を自動車の窓枠に括り付けて、S状フックを取りつければ用意万端整う。
折りたたみの小さなイスに座る。9時45分、前回洗腸から3日と5時間。
温湯を作り、注入開始。「何してるの?」といわんばかりに徐行して行く車があったりするが、始めてしまえば何があったって途中で止めることはできない。
いつまでもドレーンを着けていることも出来ないので、おおかた出終ったと思えるころ外して、代わりに水に溶けるパウチを貼る。

排出した汚物、それとパウチに出た汚物もパウチごと穴に捨て、最後は土をしっかりかけて、用具も最後のすすぎを川でやればすべて終了。
見た目には洗腸をやった痕跡など微塵も残っていない。
注入温湯以外は川水でも問題ないので、近くに川があると絶好である。
炊事用、洗腸用合わせて、持参した水道水は約25リットルである。
炊事用は沸騰して使う分は何でもかまわないが、生で食べるトマトやキュウリを洗ったり、登山の水筒用などにはどうしても必要になる。

超快調に洗腸が終った。あと1回洗腸をやればいいい。支笏湖畔の丸駒温泉に入浴。気分は爽快。
夕方糊状の便がガスと一緒にちょっと出たが、それだけであとは何もなかった。
空沼岳登山口へ移動してここで夜を過ごす。

≪2001.07.29≫
ウンコちゃんはまったく問題ない。
空沼岳と風不死岳の二つを登る。
支笏湖畔の駐車場で寝る。寝がけにストーマのご機嫌うかがいにのぞいて見ると、あてがっていたティッシュが血で赤くなっていた。登山でこすれたのだろう。よくあることで心配はしない。
缶ビール500×1 350×1、今日は二つも登ったのだから、ストーマちゃんも大目に見てくれるだろう。

≪2001.07.30≫
前日のビールのせいで、かなりのボリュウムのオナラちゃんが何発か出た。
午前中で前回洗腸から丸2日過ぎたがウンコちゃんはだいじょうぶらしい。
ニセコのチセヌプリ山を登り、温泉に入ってから洞爺湖近くの昆布岳登山口へ移動する。登山者用に大きな駐車場がある。
最後の洗腸を明日の朝にするか、それても夕方がいいか。朝すると帰宅まで3日と10時間近くになる。

明日が雨だったらどこかのビジネスホテルにでも飛び込もう。

≪2001.07.31≫
最後の洗腸は早朝に行った。
昆布岳登山口の駐車場にはトイレがある。立派な県道に面しているが、通る車はめったにない。道路の反対側には民家らしい家があるが人の気配はない。
川や水がないのが惜しいが、洗腸にはもってこいの場所だった。

朝4時洗腸準備。この種のトイレにしてはきれいに手入れされている。トイレの扉にS字フックをかけ、蚊取り線香を三つもつけて洗腸開始。
この洗腸も快調に終った。
ドレーンから汚物をトイレに捨てるときに、回りにこぼさないように細心の注意を払う。以前山陰の蒜山キャンプ場で手が滑って周囲を汚してしまい、バケツとタオル一つ、素手で汚物の片付けをした経験がある。この時結果的には便器も床もピカピカにキレイにしてしまった。

用心のためにパウチをつけて昆布岳へ登頂。
さらにこの日二つ目のオロフレ山にも登頂して、下山後洞爺湖温泉へ入浴。

帰宅までの丸3日と10時間を持ってくれれ御の字だが、丸3日持てば後はパウチで過ごす10時間程度はどうというとはない。
大きな開放感にワインで乾杯、洞爺湖キャンプ場で北海道最後の夜を過ごした。
この夜が一番よく寝られた。やはり緊張感から解き放たれたということだろうか。

≪2001.08.01≫
最後の山、徳舜瞥山〜ホロホロ山を登頂してすべての日程が終った。
安堵感が広がった。
1時間もかけてゆったりと温泉に入り、ビールの味も最高だった。
あとはストーマちゃんがフェリーの中で良い子にしていてくれることを願うのみ。

もう洗腸の用はないのに、自動車を走らせていると、洗腸適地が目に付いてしかたない。それが習慣にのようになってしまったらしい。

夕刻5時、苫小牧港でフェリーに乗りこむ。
4つ折りティッシュだけで早々に就寝。畳大部屋の2等客室。ガスで多少臭っても知るもんか。誰だかわかりっこない。

≪2001.08.02≫フェリー
洗腸から丸2日が過ぎた。
危険水域に入ってきた。ビールはガマンガマン、もっぱら焼酎のウーロン割。
ビールガマンのせいか、オナラちゃんもほとんどない。ごく小ぶりのやつがときたまあるだけ。夕方までは大丈夫だろう。

午後7時、すでに洗腸から2日と14時間経過。コロコロ一つ出てないが用心に越したことはない。ここでパウチを貼って寝ることにした。

≪2001.08.03≫フェリー
朝目覚めて丸3日、衣服の上からパウチをそっと触ってみる。ウンコチャンはないようだ。
なんて良いこのストーマちゃんだろう。
4時間後にはマイカーの中、そうしたら何が起ころうとへっちゃら。

ささやかだが、人工肛門の私には大きな大きな冒険旅行でもありました。
妻が同行したときはまだ安心感もありましたが今回はたった一人、洗腸だって手伝いがあればどれだけ楽か知れません。でもすべて一人でした。

旅の道中、いつもストーマのこと、洗腸のことが頭を占めてしました。とてもケセラセラなんて笑っていられるものではなかったことを告白します。重い重いプレッシャーが旅の道連れでした。
それだけに生涯忘れられない山旅となるでしょう。

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