オストミー(人工肛門保有者)の生活日記



2001.08.17〜24日・・・・信州キャンプ旅行
≪2001.08.17≫
さあ今日から8日間、猛暑酷暑の奈良を逃げ出して、妻と二人涼しい信州の高原へ納涼キャンプに出発だ〜い。
早朝4時起床で洗腸。私にはなんたってこれが最重要の準備。
このキャンプ旅行、ちょっと心配もある。というのは最近の飲食生活は、ストーマちゃんとの関係をほとんど無視して食べ、飲んでいる。ほんとうなら旅行などの前にはビールを控えたりとかいろいろ気を使うのだが、今回は妻同行といういくらかの安心感があって、かなりいい加減になっていた。
洗腸3日サイクルの行方やいかに。

とにかく何事もないよう、運(ウンちゃん)を天に任せて出かけることによう。
ストーマちゃん、気を使わなくて悪かったけど、道中よろしくネ。

順調に洗腸をすませて、午前6時妻同乗でマイカーをスタートさせる。
この日は当然ウンコなし。
老母の顔を見たりしてから、信州の実兄宅に泊まる。


≪2001.08.18≫
菅平高原に連泊キャンプの予定だったが、その方面は雲が多い。それも雨雲だ。 予定を変更して北へ向かい、快晴の野尻湖畔キャンプ場にテントを設営。妙高高原かんぽの宿の温泉へ。パットを貼って入浴。
パットを貼ったままでキャンプ場へ戻り、夕食の準備などしていると、なにやらストーマちゃんが気にかかる。ご機嫌が悪いみたい。
パットを剥がしてのぞいて見ると、まあ・・・なんと早々にコロコロが出ているヨ。洗腸からまだ1日半、こりゃあ前途暗雲どうなることやら。

すぐに本格的に出て来ることはないと思うが早くも気分はブルーに変色。
ティッシュ4つ折りで一晩はしのぐことにした。

≪2001.08.19≫

湖畔での目覚め。水面をワタル風が小さなさざなみを誘う。半袖が肌寒い。
ストーマちゃんおはよう、ウンコちゃんの様子はどう?
ラッキー、ティッシュの下はカラッぽ。ヤレヤレ助かった。

ティッシュをストーマにあてがい、テープでとめて軽いハイキング出発。
登る山は野尻湖畔に貴婦人のような品格でたたずむ斑尾山(まだらおさん)、小さいながら日本300名山に入っている信州の名峰。妻と二人で往復3時間の山歩きを楽しむ。

下山後妙高関温泉で入浴。
湖畔より高原の方が爽やかだしキャンプムードもあって好き、と言うことで戸隠高原のキャンプ場へ移動。
林間のキャンプ場は標高1200メートルの高原。広々としていて雰囲気も満点、このまま住みついてしまいたい。

昨夕はコロコロウンコが少し出た。ストーマちゃんへの心使いも足りなかったし、丸3日はまず待ってくれそうもない。そんな予感がする。
そこで2日経過したこの日の夕方、しかたなくテントで洗腸することにした。

携帯コンロで湯を沸かし、テントの天井に温湯パックを吊り下げてから注入を開始。
排泄物がドレーンにある程度溜まったところでトイレへ行って捨てる。
このキャンプ場のトイレが良かった。水洗式で身体障害者用の広いトイレもある。 最近のキャンプ場は水洗式が増えてきてはいるが障害者用のトイレは始めて。感激!。バリアフリーは確実に進んでいる。おかげで快適な洗腸となった。
ドレーンなどの用具は便器の水できれいに洗うことも出来て、あとで川を見つけて洗う手間も省けた。
洗腸をする日のキャンプ場は、なるべくトイレに近い場所を選ぶことにしている。

温湯パックに湯を入れる作業一つにしても妻がいてくれると助かる。何もかも一人でやるのとは雲泥の違いだ。

≪2001.08.20≫
今日は洗腸の翌日だからストーマを忘れてルンルンで過ごせる・・・・筈だった。
戸隠高原を散策したり、温泉へ入ったり、草の上にシートを敷いて昼寝をしたり。たえず心地よい涼風が吹きぬけて、ここには暑さなんていうのは別世界のこと。のんびりとした時間が過ぎて行く。めったに手に入らない優雅で至福の時間だ。ここで最低3泊の予定にしていた。
そこまではよかった。

夕方、あろうことかウンコちゃんが・・・・・。コロコロではなくて、少し水気の多いウンコ、こりゃあ下痢の予兆、参ったなあ。
とにかくティッシュのままで様子を見ることにした。

オナラちゃんも次から次へと出てくる。高性能のガス製造機に交換したみたいだ。それにこの臭さ、異様な臭い。慣れ親しんだ馴染みのオナラちゃんとは言うものの、ちょっとひどいヨ。腸に異変が起きている証拠。人工肛門でなくても下痢なんかのときはガスも便もやたらに臭くなりますよね。
広いキャンプ場の中だから、たちまち空気中に雲散霧消してくれるからいいようなものの、そうでなかったらどうしようもない。

ラジオは台風接近の情報を伝えている。まともに来たらキャンプどころじゃない。
明日、明後日の避難宿の手配、うまいこと鹿教湯温泉の国民宿舎が取れた。明日はそちらへ移動となる。

ウンコちゃんばかりを気にしながら寝る。夜半台風とは関係ないような見事な星空が広がっていた。

≪2001.08.21≫
朝、さてさて気になるウンコちゃん。下痢の出た様子は・・・・・
ティッシュの中に少しだけべチャッとしたのが出ていた。おおごとにはならずにすんでくれるといいが。
何しろ私は下痢をめったにしない体質、胃腸はいたって頑丈に出来ている(なのにどうして直腸ガンなんかになったのだろう。ここが理解できないところ)。
晴れ間も見えるし台風接近の兆しはない。戸隠村にある信州百名山「荒倉山」へ朝の運動がてら登りに出かける(念のためにパウチを貼った)。

長野市内で所用をすませてから鹿教湯温泉へ。
パウチは朝の登山からつけたまま。あまり長く貼っていたくないが突如の下痢への用心である。
夕刻、パウチには液状のウンコちゃんが少しだけ出ていた。
不透明の小型パウチ(ミニパウチ)に貼りかえて温泉へ入る。

肌のためには貼替えも控えた方がいいので温泉へ入ったときのミニパウチのままで寝た。

≪2001.08.22≫
心配したが、昨夜はウンコちゃんはひとかけらも出ていなかった。
よしよし、イイゾ。これ以上悪い状況にはならないでくれよ。
ミニパウチをパットに貼り変えて朝湯へ。

今日は台風避難、一日中予定はない。外は雨が降り続いている。湯に浸かったり本を読んだりして過ごそう。
朝湯のあと洗腸、部屋で温湯注入。排出開始からドレーンにある程度溜まった所でトイレへ行って捨てる。
使い捨てコップで便器の水をすくい、ドレーンの中に流し込む作業を何回か繰り返して仮洗いをして部屋へ戻る。
また溜まったところでトイレへ、そしてコップで仮洗い。
これを2回繰り返して終了した。所用約1時間。
ドレーンは合計で1時間半ほどつけていたが、その後の排便はなかった。

部屋にはどうしても臭いが洩れるので、消臭剤(トイレその後に)をふんだんに噴射。もちろん窓は全開放。

出来たら帰宅するまでの残り3日間、無事にもってくれますように。
この日の入湯は何と6回!!

≪2001.08.23≫
台風はたいしたことがなかった。
朝食後岐阜県新穂高温泉へ向かう。
パットは昨日から貼ったままで取り替えていない。
一昨日からパウチかパットを貼った状態が長くつづいてる。ストーマ周辺のカブレが気にかかる。

新穂高温泉からロープウエイに乗車、1時間15分ほどの歩きで西穂高山荘へ到着。
夕食までの時間つぶしに 山上を少し散策する。

今日一日、
ウンコちゃんは出なかったが、やはりオナラちゃんが活発だ。臭いもいつものやつとは違ってきついイヤ〜な臭いだ。わが身から出たヤツだと思って贔屓目に見ても、到底妥協できない臭さ、腸の具合は相変わらず本調子ではないみたい。。
パットをつけたまま就寝。
消臭シートで覆ってはいるが、完璧とはいえない。山小屋の部屋は閉め切った空間、気にはなるがどうしようもない。ここは“なるようになれ”っていう開き直りで行くしかない。

≪2001.08.24≫
4時半時起床。
5時に山小屋を出発して西穂高岳へ向かう。妻は脚力を案じて中間の独標までとして、私だけ西穂高岳を往復する。

幸い今朝もウンコちゃんは出ていない。
しかしオナラは連発状態、臭さといったらない。腸の方は依然復調していないらしい。この調子だといつウンコちゃんが出てきてもおかしくない。秒読み状態に入っている。
他の登山者とすれちがったときなんかに発射したら、相手もその臭いにたまげるかもしれない。もしその瞬間発射したらそ知らぬ顔で「おはよう」とか行って通り過ぎるよりしょうがない。

再びロープウエイで下山。
大きな露天風呂で汗を流したあと、しばらくするとこらえきれなくなったウンコちゃんが出始めた。まだ丸2日しかたっていない。予定外でもあり、予想どおりとも言えるウンコだ。
仕方なくパットを剥がしてパウチを貼る。
洗腸間隔を3日にするには、日頃の飲食の摂生が大切なことを改めて認識。

●国民宿舎で朝昼晩と何回も温泉へ入るのに、都度パットを貼ったり、剥がしたりすべきかどうか迷うところです。
長く貼っていれば、接着剤の刺激に長時間あたっていることになります。
一方、貼ったり剥がしたりは、その都度やはり皮膚表面が引っ張られて強い刺激を受け、皮膚をいためます。
このへんの兼ね合いがむずかしいところです。
22日から4日間、パットかパウチを貼った状態がつづいていたために、ストーマ周囲の皮膚が赤く変色しています。痒みもでてきました。さらに進むとカブレからタダレへと進んでしまいます。

                  
《 あ と が き 》
臭い臭いウンコちゃんの話しはこれでおしまいにします。
臭さをガマンしてお付き合いくださった方々にお礼申し上げます。
人工肛門となって、はじめてウンコなるものに真剣に対峙することとなった方には、あるいは少しはご参考になったかも知れないと勝手に思っています。
人間にとって排便という生理作用が、これほど大切で気を使うことかと言うことを、私も人工肛門になって始めて知りました。

この日記に書いたような日常は死ぬまでつづきます。

以前、書店に並んでいるレッキとした書物に「ガンになっても直腸ガンだけにはなりたくない。ガンがなおっても一生お腹に便を溜める袋をぶら下げて生きなくてはならない」云々。

さて私の日記を読まれたみなさん、どんなご感想をお持ちでしょうか。それほどの悲劇に感じましたでしょうか。
確かにこの私も、面白おかしく書いているほどストーマちゃんとの付き合いを楽しんでいるわけではありません。ケセラセラなんて言って何にも気にしていないわけでもありません。
重たい重たいプレッシャーをいつも背負いつづけているのも確かです。

でも人生、考えようでどうにでもなるという側面もあるのです。
不幸にも人工肛門となってしまったみなさん、くじけずに元気で生きて行きましょう。

なおこの日記のご感想などをメールでお寄せ頂ければ幸いです。
≪2001.08.28≫
昨日のこと、洗腸から丸2日でいとしのウンコちゃんが我が物顔に出てきちゃった。これじゃあ洗腸3日サイクルは当分夢物語だ。
ウンコちゃんは出てきてしまったが、なぜか今日はどうしても洗腸をする気になれない。別に洗腸でなくてもこういうことって日常おこりますよね。やらなくてはいけないことはわかっているが、どうしても気が乗らないなんていうこと、経験あるでしょう。それですヨ。

パウチを貼って、その気になる明日までしのぐことに決めた。
パウチの中へはたっぷりとオリーブ油を入れ、臭い消しの薬剤も数滴たらして明日までの万全の備えを完了した(つもりでいた)。
ぐにゅぐにゅしたヤツが断続的に出て、夕方にはそこそこの量になったがそのままにして寝ることにした。

翌朝、もう気分なんて贅沢は言ってられない、さあ洗腸だ!と士気を鼓舞して布団から起きあがった。
アリャ、パジャマのパウチにあたる部分が、上着もズボンも薄い黄金色に染まっている。絵の具であらわすのは難しいようなキレイな黄色。
ヨヨッ・・・・まあなんとシーツまでも。
パウチが剥がれたり隙間ができた様子もない。どうしたことか。ホントウにウンコのせい?これは14年間で始めての事件。平探偵の推理がはじまる。結果が出た。
どうもオリーブ油が多すぎたかもしれない。寝ている間にパウチを下にして体重がかぶさり、ガス抜きの微小な孔からウンコちゃんとまじりあったオリーブ油が滲み出したものと結論付けた。
実際何が起きるかわからない。
洗腸後、風呂場で洗濯したがなかなか黄色がとれない。ホント悲しくなっちゃう。
そう言えばパンツを汚したりしたとき、家内に内緒でゴミと一緒に捨てちゃったことも何回もあったなあ・・・・・

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