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2017年06月

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2017.06.30(金) 将棋とAI(人口知能)

千変万化する雲を眺めるもまた楽し

遠来のA子さんと再会、病気のことを始め、積もる思いを延々6時間。普段は無口の平爺としては、1カ月分をしゃべった気がします。良い日でした。

◆将棋の藤井少年、今や時代の寵児。まさに藤井フィバー現象の感あり。テレビのニュースショーなどでも、連日かなりの時間を割いて、微に入り細に入っての取り扱い。まさに怪童です。

駒の動かしかたが分かる程度の平爺ですが、連勝記録更新の日までそわそわ。14才の少年の頭に中には密かにAI(人口知能)が埋め込まれているのでは・・・?

◆人工知能=AIとは『artificial intelligence』の略で、技術を指す・・・ということのようです。人間の脳が行っている知的な作業をコンピュータで模倣したソフトウェアやシステム・・・と言われてもその意味を平爺が理解するには難しすぎます。「具体的には、人間の使う自然言語を理解したり、論理的な推論を行ったり、経験から学習したりするコンピュータプログラムなどのこと」と言われてもやっぱりチンブンカンブン(笑)

◆将棋の指し手は、一局指すのに『計算上80115乗≒10220乗』の手数がある・・・簡単に言ってしまえば無限大。そのように書かれているWebもありました。棋士たちは何手も先の複雑怪奇な読みをつづけながら持てる知能を駆使して闘っているのでしょう。手数で言えば、囲碁のほうがもっとすごい数になるらしい。藤井少年もCPを使って腕を磨いているとの話もありました。
◆今や、将棋も囲碁も人を超えるのはそう遠くはないらしい。現に一流棋士がAIに敗れています。文明の進化は人間の考える楽しささえ奪い、やがて人はAIの奴隷に・・・・まさか。


古き良き時代・・・♪吹けば 飛ぶよな 将棋の駒に 賭けた命を 笑わば笑え・・・・

2017.06.29(
) 癌

夕焼け 6/26日 午後7時15分

本日は遠来のお客さんをお迎えします。ガンと闘っているA子さん。平爺のHPを縁にお付き合いが始まり、お会いするのはこれで4回目です。最初にお会いしたときはガンとは無関係、ごく普通の気の良い女性でした。最近ガンが見つかってつらい抗がん治療を受けています。体調も十分とは言えない中、遠路会いに来てくださるお気持ちをこの上なく嬉しく、再会を心待ちにしています。昼ころには来宅の予定です。

思えばこれまでにガンを通してお知り合いになった方は何人もいらっしゃいます。お元気になった方、残念ながら帰らぬ人となったかた。いなくなった方々のこともしっかりと心に刻みこまれています。

医学の進歩で「ガン=死」という概念は薄くなってきましたが、日本の死亡原因は1位・「ガン」2位・「心疾患」、3位・「肺炎」、4位・「脳血管疾患」、5位・「老衰」となっていて、まだまだガンに対する死のイメージはぬぐい切れません。

ただ、1位のガンにしても生存率は良くなってきて、必ずしも死の病ではなくなりつつあります。先日、小林麻央さんがガンで亡くなったことが、特番扱いのニュースで流れました。確かにニュースバリューはあると思いますが、あまり見せつけられると「ガン=死」が強烈にインプットされてしまいます。ガンを克服したニュースもどんどん流してくれたら、患者の励みになると思うのですが。

3回もガンを体験した平爺。最初の直腸がんのときは余命1年・・・。あれから30年以上過ぎてもピンピンしています。来宅するA子さんといろいろな話をしたいと思っています。

2017.06.27(
) 書かずにおれない―(前日のつづき)

 郷里・辰野町の公園

沖縄戦惨敗により日本は陸海空すべての戦闘能力を喪失。にもかかわらず戦争状況はつづき、降伏の機を逸し、さらなる多くの命を失いながら広島・長崎の原爆へと進み、ようやく無条件降伏となりました。

◆終戦後、連合国による極東裁判において戦争犯罪が裁かれましたが、これは相手国との関係における裁判であって、実は日本国内における、日本人による検証と裁判はなされないまま現在に至っています。

沖縄戦をもって戦争終結をしていたら、どれほどの無駄死にを防げたことか。
沖縄戦での20万人を越す日本人犠牲者のうち、約半数に近い、94000人余りが一般の県民や子供だったということに、ひときわそのむごさを思います。

◆この沖縄戦で、司令官牛島中将と参謀長が摩文仁で自決した日が昭和20623日の未明。この日を日本軍の組織的戦闘が終結した節目として沖縄慰霊の日が制定されたが、本土の日本国民はほとんど関心を示していないようです。

◆子孫が戦争の惨禍を二度と繰り返さないためにも、この「慰霊の日」または2カ月後無条件降伏を受託した8月15日を「平和の日」としてほしかった。根拠のない神話にもとづく建国の日=2月11日より、平和を祈り、誓い、新生日本が出直した日として国民が再認識する休日にした方が、はるかに意義深いものがあると思います。

◆時あたかも安倍総理の憲法改正発言の報道を見て、平和への大きな危惧を感じ、書かずにはいられませんでした。


2017.06.27(
) 書かずにおれない

「いわずにおれない」というまどみちおの心温まる詩集がありますが、今日は平爺の「書かずにおれない」です。また同じことを・・・と叱られそうですが。

◆昭和20(1945)年6月23日は、太平洋戦争沖縄戦の終わった日、沖縄ではこの6月23日を「沖縄慰霊の日」としてとても大切にしているとのことです。先日沖縄の平和公園で行われた慰霊式典では、翁長知事と安倍総理はほとんど視線を合わせなかったとメディアは伝えていました。基地問題も含めて、平和に対する理念が二人はまったく異なるからでしょうか。沖縄の民意を重く受け止め、真剣に耳を傾けようとしない総理の姿勢に愛想をつかせているのかもしれません。

◆軍とは無関係の子女など非戦闘員10万人近くの県民が、無駄に命を失って沖縄戦は終結。一般住民が地上戦にさらされたのは全国で沖縄県のみ。まさに言語を絶する悲劇となったわけです。避けようとすれば避けられた悲劇―それは降伏ですが国も軍もその判断をしなかった罪は重いものがあります。

◆千鳥ケ淵戦没者墓苑、広島平和記念公園、長崎平和公園の慰霊参拝はしましたが、沖縄平和公園はまだ不訪で残されたまま、何とか元気なうちにとの思いは捨てていません。

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194112月。日本海軍は真珠湾を急襲、超大国アメリカに襲い掛かりましたが、6カ月後の19426月、早くもミッドウェイ海戦で大敗、戦争の主導権はアメリカの手に渡ってしまいました。このあとは米国をはじめとする連合軍を相手に泥沼の戦いを続けて日本の軍人230万人、一般人80万人という膨大な犠牲者を出す結果となりました。

◆米軍の沖縄本土上陸によって日本の戦闘能力は壊滅、組織的戦争は実質的に終わったと言います。ここで降伏していたらどれだけの人がムダ死にせずにすんだことか。しかしながらその後も 死者の数を積み上げるだけの戦争は続く。無能な政治指導者や狂気とも言える軍部によって・・・・(このつづきはまた明日)

2017.6.26(
) たるみきった政治

巨大与党自民党政治はいつまで・・。政治に緊張感は戻るのか?

◆巨大与党の一翼を担う「公明党」とはどのような存在なのだろうか?ふと考えてしまいました。
自民党連立の一翼とは言え、国民目線では自民の一派閥、自民の言いなりにしか見えない。いや実際にそうなっている。以前は「平和の党」を高く掲げていた気がする。気付いたら単なる自民党の補完勢力?そんな印象。協力のご褒美は国交大臣の椅子と〇〇給付金のようなバラマキ。こんなんでいいのかな~

1955年(昭和30年)、自由党と日本民主党の「保守合同」で自民党結成。以来38年間続いた自民党政権だが、一党政治に飽いた国民は、(1993)新しい風を求めて細川政権が誕生し自民は下野。新政権は1年ほどで崩壊し、1994年再び政権は自民党に戻り自民・社会連立の村山政権が誕生。その後自民党政権が2009年9月麻生内閣退陣までつづく。

◆ふたたび新しい政治を求める機運が高まり、2009年(平成21年)9月民主党政権が誕生、鳩山・菅・野田内閣と続くも、内部崩壊によって、2012年2月、元の自民党政権に戻ってしまった。

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●戦後長年続いた自民党政権だが、その中身は今とはだいぶちがったものであったという。党内には右から中庸まで、幾つもの派閥があり、力のある親分がにらみを利かし、それぞれが党内の行き過ぎをけん制し、バランスを保っていたと言います。つまり内部牽制が機能を有していたということです。

小選挙区制への変更など、原因はいろいろですが、バランス感覚を担っていた派閥が機能しなくなり、自民党総裁に権力が集中、総裁=総理の意のままに動く党・政治に変わってしまったと言われます。

◆話は戻って、現下の衆議院勢力
  自民党 292 62% (公明35を合わせるとと69)  まさに巨大与党。政治に緊張感を持たせ、国民に顔を向けた政治に戻すにはどうしたらよいか、答えは自ずから見えています。
(今日は長くなってすみません。釈迦に説法ですがいわずにおれない平爺から)

2017.06.25(
) いちばん大切なもの

◆テレビだったか新聞だったか・・・何日も前のことで詳しいことは忘れましたが、よもやま日記用のメモに「自分のためにいちばん大切なもの」と走り書きしてありました。


電通へ入社した娘が過酷な長時間勤務が原因で自殺、そのお母さんの言葉だったような気がします。
お母さんは「家族の会」を立ち上げ、二度と同じこととが繰り返されないために運動をしているという話の中で出たのが「いちばん大切なものは“子供”です」だったと思います。
母親に限らず父親とても同じです。子供のためならどんな犠牲もいとわない、それが親というもの、無償の愛とうものでしょう。

◆近年、祖父母・子供夫婦・孫という3世代世帯は減少の一途をたどっていると言います。命に代えても守ってあげたい子や孫は遠く離れた別世帯。その裏にはさまざまな事情がありますからやむを得ません。我が家も同じです。ふと古き良き時代の家族が懐かしく思えることがあります。

今年は、庭のサツキがこれまでにないほどきれいに咲いてくれましたが、そろそろ終わりです。

2016.06.24(土)  岩木山


今日は美空ひばりの命日。1989年=平成1年6月24日。日本百名山「岩木山=津軽富士」へ登った前夜、麓の温泉宿の女将さんが亡くなったことを教えてくれました。
翌日は平成1年6月25日→1625は岩木山の高さとぴったり同じで、この日は記念登山大会になっていました。毎年6月24日が来るとそのことを思い出します。
  登山記録 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub1036.htm

2017.06.24(
) このハゲッ――お前はバカか・・・

22日am4:48 日の出直前

◆いや~、テレビを見てその凶暴さにはたまげた。やくざか暴力団か、イヤその体験があるのかしらん。秘書への罵詈雑言・暴力のし放題。その人の名は自民党安倍チルドレンの豊田真由子議員。女優が台本をもらって練習しても、あそこまでの悪役ぶりは到底無理、ドラマの演技なら文句なしの悪役迫真賞。

だけどすごいよね~。離党届を出したらしいが普通なら除籍・議員辞職勧告。「離党」という甘さは安倍チルドレン故か。矜持もへったくれもないあんな代議士は国家の恥、投票した選挙民は怒り狂っていることだろう。このあとどの面下げて国会に顔を出すつもりなのか。生涯「ヒステリ―暴力議員」として悪女のレッテルが付きまとい、伝説となるにちがいない。東大やハーバードなどという看板は、この女には紙屑ほどの意味もない。

◆昨朝のラジオ深夜便【明日へのことば・“生かされた命”で語り継ぐ】はひめゆり平和祈念資料館館長 島袋淑子さんの話。98才とか。語りの中で頭に刻み込まれたことば

  『戦争は人がひき起こす』

地震や台風とちがって、人がやらなければ戦争は起こらない。あたりまえのことですが、その当たり前を実はみんな忘れている。あるいは知っているのに忘れた振りをしている・・・重く胸に突き刺さる言葉でした。

2017.06.
23(金)   誰のための・・・・ 沖縄慰霊の日

72年前の1945年、太平洋戦争無条件降伏。地上戦で完膚なきまでにやられた沖縄では県民の4人に一人が犠牲に(計12万人)。戦後27年間アメリカの統治下におかれたあと、ようやく日本に返還されました。これを「沖縄本土復帰」と言い、沖縄県民もあげて歓喜したと言います。沖縄にそんな歴史のあることを知らない若者もいるかもしれません。

◆少し前のことですが、ラジオを聞いていると、沖縄出身の方が語っていました。「沖縄県全土の1割は米軍基地、日本にある米軍専用地の4分の3は沖縄に集中している。さらにその基地は「沖縄のためにあるのではなく、本土の防衛のため。なぜ沖縄県民だけが辛抱しなくてはいけないのか。本土の人々はそのことを考えてみたことがあるのだろうか」と。
反論の余地はなく、説得力のある話でした。この方は出自が沖縄ということを隠して生きてきたとも言っていました。その背景には本土の人の目からは、「差別・偏向」いう蔑視が潜んでいたと。

◆言えた立場ではありませんが、ふと原発が脳裏をよぎりました。
電力の大消費地は東京湾沿いの東京圏。福島原発事故以来、不安を抱く原発立地地区の住民の身になれば、原発が必要と言うなら「自分たちの居住圏に原発を作れば・・・そうしたら気持ちがわかってもらえるだろう・・・東京圏の人々が、原発は対岸の火事くらいの認識しか持っていないとしたら不公平過ぎる」それには反論の余地はないように思われます。解決の道は原発廃止を展望することしかありません。


2017.06.22(
) 雨が似合う花

 ホタルブクロ

今年の梅雨入りは6月7日だったと思います。その後雨らしい雨が降りませんでしたが昨日から梅雨らしくなってきました。これからしばらくは傘・ゴム長靴姿のウォーキングになりそう。

太宰治の富嶽百景の一節「富士には月見草がよく似合う」は有名ですが、「雨に似合う花」と言えば何かんな~・・・考えながら歩く。やはり「紫陽花―アジサイ」だよな~。
梅雨どきに咲く花はたんさんあるのにアジサイが浮かぶ。確かに花期は梅雨のころ、我が家の庭にも青系と赤系が咲いています。

もう一つは「ホタルグサ」、これは学名ではないかもしれませんが、ホタルの飛ぶころ、小さな川辺で密やかに咲いていたのを思いだします。ホタルの季節に咲くのでその土地ではホタルグサと呼んだのかもしれません。

ホタルをつかまえてホタルグサと一緒に小さなカゴに入れ、霧吹きで水をかけてしばらく家の中へ置いておいたことを思い出します。それとは別にホタルブクロという花もあります。これは野でも民家の庭先などでも目にできます。今が花の時期です。
(ホタルグサの画像がなくてすみません。Googleで検索して見てください)

2017.06.21() こころにもない反省?・・支持率急落

日本に政治の曙光の射す日はいつ?

◆歴史を振り返り、国民の声に耳を傾け、真の民意を汲みあげ、私利私欲を捨てて20年、30年、50年先の天下国家の進むべ道を探る。国のリーダーたる者の必須条件だと思います。ところが、今まさにそれとは逆方向を向いた政治が行われているように見えます。
もちろん一人一人異なった思想・信条・価値観があるのは仕方ない。だからどこかで妥協も必要です。そのために時間をかけて討議を重ね、折り合いを見つける努力を惜しまない。それが民主主義と言うもの。

◆実態はどうか。日本の政治は、数の力を良いことに、既往かつてない異常さに満ち満ちているように見えます。終盤国会においてそれが如実に表れました。共謀罪法案の委員会審議をぶっ飛ばしていきなり参議院へ送って可決。そのそ魂胆はこれ以上森友・加計学園疑惑で追い込まれることを恐れた内閣・与党が、一日でも早く国会を閉じて追及の矛先をやり過ごす策略。多くのメディアがそのように分析していました。政治の私物化と言われても仕方のない暴挙です。

◆これまでも、国論を二分した特定秘密保護法の強行採決や、憲法違反を問われながら海外派兵を可能にする安保法制の抜打強行採決。政治の質はここまで落ちたのか。このことはしっかりと記憶に留めておくつもりです。
思うに、日本の政治を振り返った時、国論を2分するほどの問題に関し、これほどの傍若無人なやりかたをたび重ね、当たり前にやってしまった指導者は、安倍内閣の他にあったでしょうか。

そして支持率急落と20日夕刻の安倍総理反省記者会見(あんなのは反省でも何でもないと思いますが)。自信過剰と言うのか、余りにも驕りが過ぎた国会運営でした。

《次の言葉を安倍総理に贈ります》・・・平家物語の冒頭
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、
(この日記の下書きをしたのは19日です)


2017.06.20(
) 半年ぶりの山歩き?

おこがましくて山歩きとは言えませんが。

レンゲツツジ(=鬼躑躅)

◆昨年12月16日、伊豆半島天城高原の山で滑って転倒、胸椎圧迫骨折のケガを負ってから半年が経過。先日医師から「山歩きはまだ少し早い、まずは平地で1時間、2時間とウォーキングの時間を少しづつ増やし、3時間程度歩いても何もなければ軽い山から始めてもいいでしよう・・・・」との話。

ケガの発生以降、最低10分ほどという時もありましたが、一日も途切れずにウォーキングだけは継続してきました。現在は1日1時間以上、多いときは1時間半ほど歩いています。

◆昨日(ホタル観賞の翌日)霧ケ峰高原のレンゲツツジを見たくて立ち寄りました。なだらかなスロープを歩いて久しぶりに山歩きの感触を味わう・・・やっぱり山はいいな~。
わずか30分程度でしたが、これを山歩き復帰の日とします。ところで目的のレンゲツツツジの方は鹿による食害で全滅に近い状態、全山赤く染めるように咲き競った昔の風景はありません。残念です。残った数少ない株が点々と見えるだけ、絢爛豪華な以前日は戻るのだろうか。


2017.06.19(
)  ホタル狩り

6月11日~15日は七十二候の《腐草為蛍―くされたるくさほたるとなる》、蛍が幻想的な光を放つころということのようです(注釈・湿度が高く物が腐りやすい時期に蛍が光る)

Webで ❛全国ホタル鑑賞11名所❜のキーワード検索してください。平爺の生まれ故郷信州辰野町のホタルが次のように紹介されています。
「日本随一のホタルの名所、多い日は1万匹以上のゲンジボタルが飛び交い、まるで宇宙にいるような感動的な景色に出会うことが出来る」

子供のころ、どこの川辺にもいたし、何匹かとってきて蚊帳の中へ放っておくと、黄緑色の光がピカッピカッと光っていたのを思い出します。

 写真は辰野町のHPから拝借

◆当時、地元高校にホタル研究に熱心な教師がいました。農薬の影響でホタルのエサとなるカワニナ(貝の一種)が絶滅状態、ホタルも消滅一歩手前の危機。その教師や地元民の努力の甲斐あって今の状態まで復元したとのことです。
亡くなったお袋が「母ちゃんが子供のころは、大きい毬(まり)のようにかたまって、数えきれないほど光っていたもんさ」と話してくれたのを思い出します。

昨日、辰野の蛍を久々に見に行ってきました。地元の人たちでも「これほどの数の蛍は記憶にないほど」というほどの数。川沿いの草むらで、あるいは宙を乱舞しなが、まさに圧巻です。平爺も何回か訪れているが、これほどの数は記憶にない。

◆残念ながら普通のカメラでは蛍を撮れません。なぜかと言えば光度が足りない。20匹ほどでようやくロウソク1本程度の明るさしかないらしい。20匹以上が塊り、呼吸を合わせて一斉に光れば・・・・それはできない相談です。目に焼き付けるしかないのです。
(追記―カワニナは、流れのあるきれいな用水路などの川に生息するとのことです)

2017.06.1
() 三流政治

ツツジ

◆バブル経済―若い人にはなじみの薄い言葉かもしれません。30年ほど前、日本国中が好景気に湧き、浮かれていたころ、経済が実力以上に泡(バブル)のようにふくらんだ状態を言ったことばです。

「こんなに上げてもらっていいの?」と思うほどの昇給、土地の値段は一夜明けるごとに高騰し、株価は下がることを忘れて連日右肩上がり、ゴルフ会員権、書画骨董など投機対象となって天井知らずに上がる一方。それが永久に続くと錯覚していました。1990年、泡ははじけて不動産も株も何もかもが大暴落、もちろん昇給もストップ・・・。
その浮かれた絶頂期に流行ったことばが「日本の経済は一流・政治は三流」という揶揄でした。 

◆政治tはつまでたっても、昔のレベルにとどまりつづけ「政治が良くなってきたな~」言われることなく今に至っています。
保守主流の55年体制と言うマンネリ化した政治が続く中、何かがおかしい、何とかしなくてはこの国は良くならない、気づいた国民が政治改革を求め、声を上げ始めました。
そして2009年細川が立ち上げた日本新党により、はじめて政権交代が実現しました。しかしそれも1年という短命。ふたたび自民党へ。それから15年、政治改革への機運がふたたび高まった20099月に鳩山率いる民主党を軸にした内閣が誕生、ようやく緊張感のある政治が・・・と期待されながら、3年後には政権の座は再び自民党へと戻ってしまい、元の木阿弥。その後右傾顕著な安倍政権が今に続いています。そして相変わらず政治に進歩はなく、緊張感のない「三流政治」のままの状況がつづきます。

政治家の資質を問う前に、国民の政治意識・関心こそが問題、とりわけ若者の政治離れの深刻さが懸念されます。
一党独裁体制、党内おいても「異は認めない」という金縛り政治。緊張感のないマンネリ三流政治から抜け出せる日はくるのでしょか。すべは国民次第です。

2017.06.17(
)  どの面下げて  ―「怪文書はありました・・・!!」―

◆「出所もわからない怪文書」と木で鼻をくくったような決めつけと、「地位に恋々とした元官僚のいうことなど信じるに足らない・・・」と見下げた侮蔑的発言で前川氏を貶め、調査に値しないかのように言い切った菅官房長官。
その「怪文書」が見つかった。納得的な釈明できるのか。不可能だろう。釈明をすればするほど自らの不明を露見することになるだろう。
あの侮蔑言葉は前川氏にあてたものであると同時に、真っ黒けの疑惑解明を望む国民への侮蔑以外の何ものもなかったのです。この一事が現政権の傲慢と驕りを示す何よりの証、内閣総辞職、万死に相当する不祥事です。

◆森友・加計学園にからんで総理は「行政を捻じ曲げたり特別扱いしたという事実があれは総理も議員も辞める」と公言してきました。言葉の重みを大切と考えるならば、身の処し方を早急に国民の前に表明してほしいものだ。このままでは、前川氏に投げかけた「地位に恋々と・・・・」を、そっくりそのままお返しするよりほかはなかろう。

これほどわけのわからない政権は、戦後あったでしょうか。与党の一角公明党はそれでもまだ手をつないでいくつもりなのか、そんな次元の低い政党だったのか。自民党内にも「おかしい」と考える良識派議員は何人もいると思う。今はその声を上げるべきチャンスだと思うのですが。

2017.06.16(
) やるせない

曙光の射す日はいつ・・・・

国のありよう、つまり憲法改正にも等しい「組織的犯罪処罰法=共謀罪改正法案」が、何が何だか分からいないうちに強行突破・成立。同じことを何回繰り返したら気が済むのか。まさに横暴内閣、政治を私物化する与党各党の暴挙。

法の適用については一般人は対象外?と言われてもその保証がどこにあるのかわからない。

このよもやま日記は、政府の思いなど忖度せず、感じたことを思いのままに書いています。ひょっとすると反政府分子、危険分子として目を付けられ、監視対象になってしまうかもしれない。反対集会に顔をだすことが憚られるようになるかもしれない。

◆成立を急ぐわけは、森友・加計学園疑惑で集中砲火を浴びるのを恐れ、早いとこ国会を閉じてしまおう・・・そんな姑息な魂胆を指摘する向きが大勢のようです。安倍夫人の証人喚問も実現しないし、前川前事務次官自らが証人招致に応ずると言っているのに政権側は拒否。つまり喚問したら具合が悪いから・・・そう推測するのがあたりまえ。

◆法案強行採決のやりかたは、民主主義の危機であるとの危惧を表明する専門家も多いようです。戦前の日本をわずかでも知る私には、来た道を引き返しているように見えてしかたありません。
若き学生たちが主導した1960年の安保反対闘争、安倍総理の祖父岸信介が総理の時に「日米安全保障条約」反対運動がありました。平爺が20才台前半のころです。岸は採決を強行、条約は締結したものの内閣総辞職に追い込まれたと記憶しています。この反対闘争デモに参加していた東大学生樺美智子さんが鎮圧機動隊により死亡せしめられたそれは、奇しくも1960年の6月15日でした。

今、若き人々は黙して語らず、何を思っているのでしょうか。私の脳裏に浮かぶのは「治安維持法」と「特別高等警察・監視」、それと歯止めのかからいな警察権力の行方。警察組織の中に、必ずや監視を目的とした部署が出来、存在感を増していくに違いない。平爺はあと何十年も生きられません。しかし後世の人々には平和・平穏な日本を残していってあげたいと思うのです。


2017.06.15()  人は変わる

いい感じの雲  6月13日am5:22

◆この2,3日、新聞などで目にする「義家?」の名前、記憶があるな~。検索して思い出しました。
ここ長野県の出身、荒れた某高校在学中、数々の問題を起こす不良学生で退学処分?小樽市へ転校。ここでもいろいろあったらしい。その後余市高校の教師などを歴任。ヤンキー先生としてマスコミなどに取り上げられ、名前が知れるようになった。そんな記憶です。
まっすぐに不良生徒と向き合ったり、面倒をみたり、他の教師では真似できない指導、弱者を見捨てずに手を指しのべる正義の人、人格者という印象を持っていました。

◆ところが新聞やテレビで見聞きする今の姿は、抱いていたイメージと結びつかない。人は変わる者なのか、見る側の目が無いのか。安倍総理の覚えもめでたく、今や文科省副大臣。
報道によれば、加計疑惑の件で権力に寄り添うがごとく「内部告発者の処分を示唆」、「「私が確認していないものは行政文書じゃない」、「非公知の行政運営上のプロセスを上司の許可なく外部に流出させることは国家公務員法違反になる可能性がある」等のおどし発言。正義の味方ヤンキー先生のイメージは今やなし。人は変わるもの、変われるもの。

2017.06.14(
)  御用達(ごようたし)

ニリニソウ

ずーっと以前、一時期読売新聞を購読していたことがあります。記事の内容がイマイチしっくりしないことが何回もあって、朝日新聞に変えました。
マスメディアは社会の監視役であり、チェック機能も担っていると思っています。良くも悪くも一般市民の目に届かないもの、気付かないことをふと気づかせてくれる。知る権利を国民に代わって満たしてくれる、それがメディアの使命だと思います。

◆話題の森友学園や加計学園の疑惑を、読売紙面でどのように伝えているかは知りません。テレビのニュースステーションで池上彰さんが「驚くべきこと」と解説したのは、前川前事務次官が記者会見において「参考人招致があれば出席します」と答えたのに対して、読売の記者は「在職中に仕入れたものを明かすというのは守秘義務違反に当たらないかという指摘があると思いますが?」と糺しました。
この読売記者の発言を、池上さんは見当違いも甚だしいとあきれ、怒っていました。世界最大の発行部数とも言われる大メディアが、そこまで落ちたか。やはり政府・右政党の御用達と言われる所以がここにも露見していると感じますし、権力にたてつくことは許さない、そんな姿勢が見えるようです。

◆安倍総理の憲法改正発言について野党の質問を受けての答弁
「読売新聞に書いてある、ぜひ熟読していただきたい」発言。これはメディアの私物化であり、御用達であることを如実に物語てっていると思います。


網の目のような情報網を持つマスメディアが、もし政府の意を汲んで国民の行動監視に一役買うようなことがあったら・・・共謀罪と関連して恐怖を感じるのは杞憂だとは思いますが、息苦しい世になるのではないか、まったく不安がないと言ったら嘘になります。

2017.06.13()  出生数、初の100万人割れ

(数日前の写真)

厚労省資料。日本の昨年度出生数100万人の大台を割り込み97万人台に。

出生率は1.44、人口維持に必要な2.07には遠く、人口減に歯止めがかからないらしい。ちなみに第一次ベビーブームと言われる70年前は約270万人、その子供が親となった24年ほど後の第二次ベビーブームの年は約209万人。衣食住すべてが不足している中でよくも産み育てたもの。ところが物が溢れ、衣食住足る世になったと言うのに不思議、このギャップには驚くばかりです。

特殊出生率(1人の女性が生涯に産むと見込まれる子どもの数)は、過去最低だった2005年の1.26を底に13年までは緩やかな回復傾向にあったが、その後一進一退。日本の没落を象徴するものでなければいいのですが。

◆我が家は過疎地ではありませんが、隣組9世帯のうち高校生以下の子供はゼロ、つまり年寄りだけ。子供の遊ぶ声はありません。隣接の隣組も似たり寄ったり。今は死語となった「産児制限」、数十年前は爆発的な人口増を抑えるための政策で、不妊手術、避妊具使用、人工中絶などを指導。まさか人口が問題となる時代が来ようとは想像もしなかったことでしょう。

◆一方世界人口は現在73億人。2050年―97億、2100年―112億との予測。水・食料・資源・環境など、これだけの人間が生きていけるのか、それも大きな問題とか。


2017.0612(
)  ツパメ

日の出のころには、ツバメが田んぼの上や、民家の根屋スレスレに飛び回っています。ツバメの飛ぶ姿は実にスマートで美しく、スピード感にもあふれていて気持ちいい。

◆とある民家、長く突き出した軒の下にツバメの糞らしい跡。天井を覗いてみるとツバメの巣の痕跡も見えるが、肝心のツバメの姿はない。今頃は数羽のヒナがエサを待ちかねている様子が見られるはず。きっと糞で汚されるのを嫌って巣を撤去したのでしょう。よくあることです。

◆千曲川堰堤の遊歩道を歩いているとツバメの死がいが。汚れていないのをみるとまだ間がないようです。どうしてこんなところに落ちているのか・・・想像もつきません。電線にでもぶっつかったのか?そのままにしておくことが忍びなく、草むらの中へ隠すようにそっと移しておきました。
そうとも知らないヒナが、お腹を空かせて親の帰りを待っているのかもしれない。親を失ってきヒナたちも生きてはいけないでしょう。可哀想ですがこれが自然の掟。


2017.06.11() ウサギ

◆ウォーキングコースの帰途、途中で摘んできたアカツメクサやシロツメクサ(クローバー)数本、道路際の兎ゲージに立ち寄り。そこは会社の事務所らしいが閑散として空き家のよう。
底辺50㎝四方、高さ30㎝ほどの小さな手作りゲージ。中には水鉢と固形フーズがあり、ちゃんと面倒は見ているようだ。

兎を飼っていた子供のころが浮かんでくる。もちろんペットではなく自家食用目的、エサの草取りは子供の役割。

◆アカツメクサを網の隙間から入れると、大ご馳走にありついたように夢中で食べてくれる。指で頭をなでてもいやがることもなく気持ちよさそう。癒されます。ウサギとの面会が日課となった今日この頃。

2017.06.10(
) 虫がいてこそ人間にも良き環境

拙宅の庭―ツツジが見ごろ

昨日の日記は、虫などの「なく」という漢字のことでした。今日は虫そのものについて。
「同じことをまた書いて」と言われそう。

世の中、虫嫌いという人はかなりいます。うちのカミさんもです。大都会育ちには虫とは縁がなく、異質のものでしょうね。
ゴキブリの一匹でもいたら大騒動、幼子を公園へ連れていった新米ママさん「□□ちゃん、そんなところへ座ったら虫がいるわよ・・・」と、とてつもない仇がそこにいるかのような声。

昔、子供の遊び場は原っぱや空き地、虫も遊び相手・遊び道具。ときにはトンボの羽を切ったりして・・・でもそれは「命」というものを知る学習に通じているとも言われます。昨今は自然となじむ機会が少なくなり、虫はきたない、気持ち悪いもの・・・そんな固定観念から虫嫌いが多くなっているような気がします。

ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。蝶やコガネ虫やミミズやカタツムリや・・・そんな生き物がいる環境こそ汚染されていないきれいな自然の証ということを。そう考えたら。むしろさまざまな虫のいる場所こそ安心して幼子を遊ばせることのできるというもの、人が住むのに適した場所と言えます。発想を変えたら虫を好きになれないまでも、見る目がかなり違ってくると思います。

市販の学習ノートの表紙が虫の写真というのは気持ち悪い。そんなクレームの方が平爺にはおかしいと思うのです。もちろん感染症やケガに結び付くような虫は別の話ですが。

2017.06.09(
) 泣く・啼く・鳴く・哭く

当地では目下田植えの真っ最中・・・と言っても自動田植機でどかんどん作業んでしまい、昔の賑やかな田植風景が今は懐かしくもあります。

早苗田

◍中山晋平作詞 「田植」
 ♪そろた 出そろた 早苗がそろた
 ♪植えよう 植えましょ み国のために

 ♪米はたからだ たからの草を
 ♪植えりゃ こがねの花が咲く

田んぼの脇を歩いていると、蛙の合唱がうるさいほど。

◆ところで蛙は「鳴く?」それとも「啼く?」、泣く哭くではないですよね。
唱歌―朧月夜では「蛙(かわず)なくねも かねの音も」です。

Webで検索してみたが、これという胸に落ちる説明は見つかりませんでした。
   鳴く→虫、動物など人間でないものに対して使う。
    啼く→人よりも鳥や虫に使うことが多く、絶えず鳴きわめく様子
この説明では区分の要領を得ません。
        ****************************

Webにはこんな記述も
  ・鳴くの用例―小鳥の鳴く声が  鈴虫が鳴く

   ・啼くの用例―鳥・獣・虫などが声を出すこと。
「蛙」は虫ではないが虫偏、虫扱いとすると「鳴く」も「啼く」もあり?結局分からずじまい。平爺としては、どっちも正しい気がします。(くだらないことを書きました―(笑)―)

2017.06.08(木)  寺院門前の掲示板「今月のことば」  

『居場所を奪われる そういう世界を 地獄という』  竹中智秀  

イマイチ理解困難。そこでWEB検索―下記URL
  (http://www.icho.gr.jp/yomu/kotoba/kotoba-1312)

◆人間は他と関わりをもたず生きることはできません。関わりの中で喜びや悲しみ、苦しみ悩みを共にし、そのかけがえのなさを自覚する。そこで、生きる実感や喜び、力も湧きあがって来るのです。そここそが私たちの大切な拠り所であり居場所なのです。そこを離れて人間といえる私はないのです。
ところが今、私たちは様々な価値基準で人を評価し選別しています。時に存在を無視したり否定して、排除すらしています。かけがえない居場所であるにもかかわらず、自ら人間を見失い苦しんでいるのです。まさにそれは地獄というほかないのでしょう。

この解説を正しく理解するには、平爺の素養が足らなさ過ぎます。宗教・哲学の区分もよくわからない平爺です、肩肘張らず、難しく考え過ぎず、「他人様からみればくだらない生き方に見えてもマイペースで人生最終コーナーを進むしかないか」今さら簡単には舵はきれないものネ。

●  一昨日の写真――栗の花です。当地は栗の木がけっこう多いです。 

2007.06.07(
) ウォーキング

 
千曲川堰堤の キツネ  キジバト 

一昨日(6/5)の夜明け、季節が逆戻りしたような冷え込み、気温8℃以下、手袋がほしいほどでした。

主たるウォーキングコースを、従来の田畑や人家のある道から、千曲川堤防に変えました。ゆったりとした雰囲気が精神衛生上も良いような気がします。堰堤上からは遠く北アルプスの連嶺、そして北信(北信濃)五岳のうちの4座、斑尾山(1382m)・妙高山(2454m)・黒姫山(2053m)・飯縄山(1917m)のほかに、志賀高原から菅平の山々や根子岳、大気が澄んでいると北アルプスも望めます。そしてこの日はキツネとキジバトにも出会い、川岸の木立から水面を渡って聞こえてこくる爽やかなカッコウの啼く音もいい。

千曲川の川面から湯気が濛々(もうもう)と立ち上っていました。気温より水温の方が高いためです。川が巨大な温泉と見まがうよう。

◆ケガの翌日から、無理のない範囲でウォーキングを続けてきました。実は、圧迫骨折後まったく歩かなかったのは一日もありません。最低は10分前後でしたが、20~30分を目安にして、徐々に時間を長くし、最近になってようやく1時間を超えるほどになりました。冬は積雪と路面凍結、転ばないように注意してゆっくりペースでしたが、4月末にコルセットを外してからは、ようやく以前とほぼ同じ速さに戻りました。

2017.06.06(
) 半年ぶりに・・・と思ったのに

???

★今日は七十二候の蟷螂性=カマキリ生ずとのこと。あと2週間もすれば二十四節気の夏至です。

昨年12月、胸椎圧迫骨折による想定外のケガ、以来山歩きから遠ざかったまま・・・と言うか、遠らざかざるを得ない半年間でした。
13年前、前立腺ガンの開腹手術のときでさえ、1カ月も登山を空けたことはありません。
目下登山禁断状態?4月末にコルセットを外し、その後1カ月様子をみてきました。一昨日法事のために故郷へ行った帰りに、山というより公園のような低山へ立ち寄ってみるつもりでしたが。

片道2時間近い車の運転と法要での固い椅子に1時間近く、そしておときの会食でまた固い椅子に1時間。腰が痺(しび)れてきて山を歩く気力を失くしてしまいました。
登山復帰にはもう少し時間が必要なようです。
「たかが胸椎圧迫骨折」と侮れないことを身に染みています。

◆今日の写真は  葉・ 花 ・ 実  のどちら。そしてこの植物の名前は?

2017.06.05() 気になる世相

日の出直前の気温は8℃、手袋が欲しいほどでした。
庭の6株のサツキが、そろそろ満開です。昔、サツキ盆栽を100鉢以上育てていたのを思い出します。

◆ひと月以上前でしたか、登校途中の少女が誘拐・殺害遺棄された事件がありました。登校児童見守りの男が逮捕されたというショッキングな事件。

平爺もウォーキング中に登下校の児童と出会うことがしばしばあります。一人のときもあるし、友だち連れのときもあります。すれちがうときには気軽に『おはよう』とか『元気で行ってらっしゃい』とか声をかけていました。子供たちも気持ちよく挨拶を返してくれます。ところがあの事件以来、何となく声かけがためらわれます。学校では「知らいな人に声をかけられても無視して通りすぎなさい」と指導されているかもしれないし。

声かけは慎もう、子供が見えたら、道路の反対側の端を歩いてすれ違うようにしよう・・・なんて気を使うイヤな世の中になってしまいました。

◆最近電車内で乗客同士のトラブルが頻発、時には電車が1時間以上も遅れる事態も発生とか・・・。原因はごくささいなこと。手荷物が触ったとか、うっかりして足をふんでしまったとか、空いた座席の取り合い・・・低次元もいいところ・・・(これはテレビでの放映)
そういえば、最近「美徳」とか「美談」という言葉をあまり耳にしなくなった気がするが死後?
世の中の価値観が大きく変化しているのかな~。


2017.0.04(
) 叔父・叔母  伯父・伯母

洋風な家にバラが似合っていました

これから法事に出かけます。一日がかりです。平爺の母親の弟夫婦の三十三周忌と二十七回忌です。いとこを始め、10年、20年以上顔を合わせたことのない人たちが多いと思います。

あの人誰だっけ・・・「A子さんが嫁に行った先のお姑さんの弟の総領だよ」とか「〇〇町の田中さんの分家の孫の、・・・」というような話になると、図でも書いてもらわないと頭の悪い平爺はチンプンカンプン、イメージが描けません。最近はとくにその傾向が顕著。面倒になって適当に「あ、そう・・・」などと相槌を打っている始末。


伯父と叔父のちがいは?・・・広辞苑を引く。

◍伯父・叔父―父・母の兄弟。またおばの夫。父・母の兄には「伯父」、弟には「叔父」の字を用いる。
◍伯母・叔母―父・母の姉妹。またおじの妻。父・母の姉には「伯母」、妹には「叔母」の字を用いる。
さて今日の法事、おじさん、おばさんはどの字?。おじさんは母親の弟だから「叔父」、そしておばさんは「叔母?」それとも「伯母?」・・・ダメだ~。

回忌、周忌はどう違うの?。受け取った法要案内は使い分けています。最初誤字かと思いました。webで調べると次の通りですが、すぐに忘れてしまいそう。。
  ・周忌を使うのは、基本的には、「命日から満1年の同月同日」を指す。
  ・回忌は亡くなったそのときを「一回忌」として、満1年(つまり一周忌)が二回忌。


2017.06.03(
土)珍名植物

マムシグサ―新潟・八石山 カラスノエンドウ

けったいな名前だなあ?と感じる植物をいくつか知っています。
 カラスノエンドウ―鳥の豌豆
 マムシグサ―蝮草
 ユウレイダケ―ギンリョウソウ(銀竜草)
 オオイヌノフグリ
大犬のふぐ

◍「カラスノエンドウ」青紫の花で、野菜の豌豆によく似た実がつきます。なぜララスなのかはわかりません。
◍「マムシグサ」は直立するように筒状の花が咲きます。子供のころ、筒の中にはマムシが住んでいる・・・と言って驚かされた記憶が今も残っていて、登山の折などに目にしても触れません。
◍「ユウレイダケ」は色素の抜けた蝋(ろう)細工のよう。山歩きの折、陰湿な日陰で見かける姿はまさに幽霊。
◍「オオイヌフグリ」のイヌフグリを直訳すると犬の陰嚢(俗にいう「金玉」がおさまっているところ)平爺の眼には似ても似つかぬ感じですがネ―。


2017.06.02(
) 麦秋

あっという間に今年も半分近くが過ぎ、間もなくうっとうしい梅雨の季節。

二十四節気72候の「麦秋至=むぎのときいたる」が531日~64)です。
麦秋(ばくしゅう)で思い出すのはJR上越線の車窓から見た、関東平野北部の麦畑。一面黄金色に光輝く眺めには、思わず目を吸い寄せられました。同地に住む知人から「今も同じ風景が見られますよ」と教えていただきました。

もう一つは60数年前の映画「麦秋」。監督は小津安二郎で、主演は永遠の処女とも言われ、不思議な魅力を醸す女優原節子、相手役は味のある笠智衆。共演は淡島恵子・杉村春子などでした。どこにでもありそうな一家、静かに流れる時間と温もりを淡々と描いた作品。いくつかのシーンや俳優が目に浮かびます。

当時、戦争で疲弊、荒廃しきった焦土を知る人たちも、死に物狂いで働いた世代も、大半はこの世を去っています。残っている80歳台以上の者にとっては、二度とあの惨禍を繰り返さないよう、新しい世代へ伝え引き継いでいかなくてはいけない。映画「麦秋」と関連してそんなことを考えました。

麦秋や 樗(おうち)咲きたる 門搆   (子規)

◆樗は栴檀(せんだん)=白檀のこと。 『栴檀は双葉より芳し』というように芳香を放つ樹木。大成する者は、幼いときから人並み外れてすぐれていることのたとえ(webより)

2017.06.01(
) 病院検査の結果

朝日に映える北ア銀嶺の遠望 (5月29日)

先日の日記で病院検査のことに触れました。平爺もイヨイヨ・・・か?たくましい想像を,された方もいたかも。大丈夫、もうしばらくひつっこく生きそうです。

つっこい」と「つっこい」、どっちが正しいか
webで調べると「しつっこい」が一般的というが、子供のころから「つっこい」と言いなじんできました。
このケース以外に「ひ」と「し」を混同することはありませんが、東京の知人で「ひ」の発音がすべて「し」になってしまい、火の用心は「しのようじん」でした。

◆話がそれました。前立腺ガン(ステージ2)のために前立腺全摘手術を受けたのは13年前。オペの1カ月半前に担当医の許可を得てフルマラソン完走(タイム4時間35分)、ガン告知・オペ日程もきまっているとき、よくもまあフルを走ったもの・・・67才でした。まさにマラソン気ちがい。妻には「これを最後のフルマラソンにするから・・・」と固い約束を強いられての参加でした。

去る3月、ドックで前立腺ガン腫瘍マーカー(PSA)が少しづつ上がってきているとの説明。遠隔転移(主として骨や肺)の疑いもある。医師から精密検査の指示あり。
2日に分けてCTと骨シンチ検査。結果は明確な転移は認められないが数値が上がってきているのは確か。それに13年前の細胞診では、「低分化型」という悪性度が高く、転移しやすいガン細胞も見つかっていたので、これからも継続的に様子を診ていくということです。
この程度で済んでメデタシメデタシ。もうしばらくよもやま日記でお目にかかれそうです、よろしくお願い致します<m(__)m>

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