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2017年06月
前月へ 翌月へ 『がん・人工肛門からの出発』トップヘ 『山岳巡礼』のトップへ 2017.06.30(金) 将棋とAI(人口知能)
遠来のA子さんと再会、病気のことを始め、積もる思いを延々6時間。普段は無口の平爺としては、1カ月分をしゃべった気がします。良い日でした。 ◆人工知能=AIとは『artificial intelligence』の略で、技術を指す・・・ということのようです。人間の脳が行っている知的な作業をコンピュータで模倣したソフトウェアやシステム・・・と言われてもその意味を平爺が理解するには難しすぎます。「具体的には、人間の使う自然言語を理解したり、論理的な推論を行ったり、経験から学習したりするコンピュータプログラムなどのこと」と言われてもやっぱりチンブンカンブン(笑) ◆将棋の指し手は、一局指すのに『計算上80の115乗≒10の220乗』の手数がある・・・簡単に言ってしまえば無限大。そのように書かれているWebもありました。棋士たちは何手も先の複雑怪奇な読みをつづけながら持てる知能を駆使して闘っているのでしょう。手数で言えば、囲碁のほうがもっとすごい数になるらしい。藤井少年もCPを使って腕を磨いているとの話もありました。
本日は遠来のお客さんをお迎えします。ガンと闘っているA子さん。平爺のHPを縁にお付き合いが始まり、お会いするのはこれで4回目です。最初にお会いしたときはガンとは無関係、ごく普通の気の良い女性でした。最近ガンが見つかってつらい抗がん治療を受けています。体調も十分とは言えない中、遠路会いに来てくださるお気持ちをこの上なく嬉しく、再会を心待ちにしています。昼ころには来宅の予定です。
思えばこれまでにガンを通してお知り合いになった方は何人もいらっしゃいます。お元気になった方、残念ながら帰らぬ人となったかた。いなくなった方々のこともしっかりと心に刻みこまれています。
医学の進歩で「ガン=死」という概念は薄くなってきましたが、日本の死亡原因は1位・「ガン」2位・「心疾患」、3位・「肺炎」、4位・「脳血管疾患」、5位・「老衰」となっていて、まだまだガンに対する死のイメージはぬぐい切れません。
ただ、1位のガンにしても生存率は良くなってきて、必ずしも死の病ではなくなりつつあります。先日、小林麻央さんがガンで亡くなったことが、特番扱いのニュースで流れました。確かにニュースバリューはあると思いますが、あまり見せつけられると「ガン=死」が強烈にインプットされてしまいます。ガンを克服したニュースもどんどん流してくれたら、患者の励みになると思うのですが。
3回もガンを体験した平爺。最初の直腸がんのときは余命1年・・・。あれから30年以上過ぎてもピンピンしています。来宅するA子さんといろいろな話をしたいと思っています。
沖縄戦惨敗により日本は陸海空すべての戦闘能力を喪失。にもかかわらず戦争状況はつづき、降伏の機を逸し、さらなる多くの命を失いながら広島・長崎の原爆へと進み、ようやく無条件降伏となりました。 ◆終戦後、連合国による極東裁判において戦争犯罪が裁かれましたが、これは相手国との関係における裁判であって、実は日本国内における、日本人による検証と裁判はなされないまま現在に至っています。 ◆子孫が戦争の惨禍を二度と繰り返さないためにも、この「慰霊の日」または2カ月後無条件降伏を受託した8月15日を「平和の日」としてほしかった。根拠のない神話にもとづく建国の日=2月11日より、平和を祈り、誓い、新生日本が出直した日として国民が再認識する休日にした方が、はるかに意義深いものがあると思います。 ◆時あたかも安倍総理の憲法改正発言の報道を見て、平和への大きな危惧を感じ、書かずにはいられませんでした。
「いわずにおれない」というまどみちおの心温まる詩集がありますが、今日は平爺の「書かずにおれない」です。また同じことを・・・と叱られそうですが。
◆昭和20(1945)年6月23日は、太平洋戦争沖縄戦の終わった日、沖縄ではこの6月23日を「沖縄慰霊の日」としてとても大切にしているとのことです。先日沖縄の平和公園で行われた慰霊式典では、翁長知事と安倍総理はほとんど視線を合わせなかったとメディアは伝えていました。基地問題も含めて、平和に対する理念が二人はまったく異なるからでしょうか。沖縄の民意を重く受け止め、真剣に耳を傾けようとしない総理の姿勢に愛想をつかせているのかもしれません。 ◆軍とは無関係の子女など非戦闘員10万人近くの県民が、無駄に命を失って沖縄戦は終結。一般住民が地上戦にさらされたのは全国で沖縄県のみ。まさに言語を絶する悲劇となったわけです。避けようとすれば避けられた悲劇―それは降伏ですが国も軍もその判断をしなかった罪は重いものがあります。 ◆千鳥ケ淵戦没者墓苑、広島平和記念公園、長崎平和公園の慰霊参拝はしましたが、沖縄平和公園はまだ不訪で残されたまま、何とか元気なうちにとの思いは捨てていません。 ********************************* ◆1941年12月。日本海軍は真珠湾を急襲、超大国アメリカに襲い掛かりましたが、6カ月後の1942年6月、早くもミッドウェイ海戦で大敗、戦争の主導権はアメリカの手に渡ってしまいました。このあとは米国をはじめとする連合軍を相手に泥沼の戦いを続けて日本の軍人230万人、一般人80万人という膨大な犠牲者を出す結果となりました。 ◆米軍の沖縄本土上陸によって日本の戦闘能力は壊滅、組織的戦争は実質的に終わったと言います。ここで降伏していたらどれだけの人がムダ死にせずにすんだことか。しかしながらその後も
死者の数を積み上げるだけの戦争は続く。無能な政治指導者や狂気とも言える軍部によって・・・・(このつづきはまた明日) 巨大与党自民党政治はいつまで・・。政治に緊張感は戻るのか?
◆巨大与党の一翼を担う「公明党」とはどのような存在なのだろうか?ふと考えてしまいました。 ◆1955年(昭和30年)、自由党と日本民主党の「保守合同」で自民党結成。以来38年間続いた自民党政権だが、一党政治に飽いた国民は、(1993年)新しい風を求めて細川政権が誕生し自民は下野。新政権は1年ほどで崩壊し、1994年再び政権は自民党に戻り自民・社会連立の村山政権が誕生。その後自民党政権が2009年9月麻生内閣退陣までつづく。 ◆ふたたび新しい政治を求める機運が高まり、2009年(平成21年)9月民主党政権が誕生、鳩山・菅・野田内閣と続くも、内部崩壊によって、2012年2月、元の自民党政権に戻ってしまった。 *************************************************** ●戦後長年続いた自民党政権だが、その中身は今とはだいぶちがったものであったという。党内には右から中庸まで、幾つもの派閥があり、力のある親分がにらみを利かし、それぞれが党内の行き過ぎをけん制し、バランスを保っていたと言います。つまり内部牽制が機能を有していたということです。 小選挙区制への変更など、原因はいろいろですが、バランス感覚を担っていた派閥が機能しなくなり、自民党総裁に権力が集中、総裁=総理の意のままに動く党・政治に変わってしまったと言われます。 ◆話は戻って、現下の衆議院勢力 ◆テレビだったか新聞だったか・・・何日も前のことで詳しいことは忘れましたが、よもやま日記用のメモに「自分のためにいちばん大切なもの」と走り書きしてありました。
◆近年、祖父母・子供夫婦・孫という3世代世帯は減少の一途をたどっていると言います。命に代えても守ってあげたい子や孫は遠く離れた別世帯。その裏にはさまざまな事情がありますからやむを得ません。我が家も同じです。ふと古き良き時代の家族が懐かしく思えることがあります。
◆いや~、テレビを見てその凶暴さにはたまげた。やくざか暴力団か、イヤその体験があるのかしらん。秘書への罵詈雑言・暴力のし放題。その人の名は自民党安倍チルドレンの豊田真由子議員。女優が台本をもらって練習しても、あそこまでの悪役ぶりは到底無理、ドラマの演技なら文句なしの悪役迫真賞。 だけどすごいよね~。離党届を出したらしいが普通なら除籍・議員辞職勧告。「離党」という甘さは安倍チルドレン故か。矜持もへったくれもないあんな代議士は国家の恥、投票した選挙民は怒り狂っていることだろう。このあとどの面下げて国会に顔を出すつもりなのか。生涯「ヒステリ―暴力議員」として悪女のレッテルが付きまとい、伝説となるにちがいない。東大やハーバードなどという看板は、この女には紙屑ほどの意味もない。 ◆昨朝のラジオ深夜便【明日へのことば・“生かされた命”で語り継ぐ】はひめゆり平和祈念資料館館長 島袋淑子さんの話。98才とか。 『戦争は人がひき起こす』 地震や台風とちがって、人がやらなければ戦争は起こらない。あたりまえのことですが、その当たり前を実はみんな忘れている。あるいは知っているのに忘れた振りをしている・・・重く胸に突き刺さる言葉でした。
72年前の1945年、太平洋戦争無条件降伏。地上戦で完膚なきまでにやられた沖縄では県民の4人に一人が犠牲に(計12万人)。戦後27年間アメリカの統治下におかれたあと、ようやく日本に返還されました。これを「沖縄本土復帰」と言い、沖縄県民もあげて歓喜したと言います。沖縄にそんな歴史のあることを知らない若者もいるかもしれません。 ◆少し前のことですが、ラジオを聞いていると、沖縄出身の方が語っていました。「沖縄県全土の1割は米軍基地、日本にある米軍専用地の4分の3は沖縄に集中している。さらにその基地は「沖縄のためにあるのではなく、本土の防衛のため。なぜ沖縄県民だけが辛抱しなくてはいけないのか。本土の人々はそのことを考えてみたことがあるのだろうか」と。 ◆言えた立場ではありませんが、ふと原発が脳裏をよぎりました。
今年の梅雨入りは6月7日だったと思います。その後雨らしい雨が降りませんでしたが昨日から梅雨らしくなってきました。これからしばらくは傘・ゴム長靴姿のウォーキングになりそう。 太宰治の富嶽百景の一節「富士には月見草がよく似合う」は有名ですが、「雨に似合う花」と言えば何かんな~・・・考えながら歩く。やはり「紫陽花―アジサイ」だよな~。 ホタルをつかまえてホタルグサと一緒に小さなカゴに入れ、霧吹きで水をかけてしばらく家の中へ置いておいたことを思い出します。それとは別にホタルブクロという花もあります。これは野でも民家の庭先などでも目にできます。今が花の時期です。
◆歴史を振り返り、国民の声に耳を傾け、真の民意を汲みあげ、私利私欲を捨てて20年、30年、50年先の天下国家の進むべ道を探る。国のリーダーたる者の必須条件だと思います。ところが、今まさにそれとは逆方向を向いた政治が行われているように見えます。
◆実態はどうか。日本の政治は、数の力を良いことに、既往かつてない異常さに満ち満ちているように見えます。終盤国会においてそれが如実に表れました。共謀罪法案の委員会審議をぶっ飛ばしていきなり参議院へ送って可決。そのそ魂胆はこれ以上森友・加計学園疑惑で追い込まれることを恐れた内閣・与党が、一日でも早く国会を閉じて追及の矛先をやり過ごす策略。多くのメディアがそのように分析していました。政治の私物化と言われても仕方のない暴挙です。 ◆これまでも、国論を二分した特定秘密保護法の強行採決や、憲法違反を問われながら海外派兵を可能にする安保法制の抜打強行採決。政治の質はここまで落ちたのか。このことはしっかりと記憶に留めておくつもりです。
そして支持率急落と20日夕刻の安倍総理反省記者会見(あんなのは反省でも何でもないと思いますが)。自信過剰と言うのか、余りにも驕りが過ぎた国会運営でした。 《次の言葉を安倍総理に贈ります》・・・平家物語の冒頭 おこがましくて山歩きとは言えませんが。
◆昨年12月16日、伊豆半島天城高原の山で滑って転倒、胸椎圧迫骨折のケガを負ってから半年が経過。先日医師から「山歩きはまだ少し早い、まずは平地で1時間、2時間とウォーキングの時間を少しづつ増やし、3時間程度歩いても何もなければ軽い山から始めてもいいでしよう・・・・」との話。
6月11日~15日は七十二候の《腐草為蛍―くされたるくさほたるとなる》、蛍が幻想的な光を放つころということのようです(注釈・湿度が高く物が腐りやすい時期に蛍が光る) ◆Webで ❛全国ホタル鑑賞11名所❜のキーワード検索してください。平爺の生まれ故郷信州辰野町のホタルが次のように紹介されています。 子供のころ、どこの川辺にもいたし、何匹かとってきて蚊帳の中へ放っておくと、黄緑色の光がピカッピカッと光っていたのを思い出します。
◆当時、地元高校にホタル研究に熱心な教師がいました。農薬の影響でホタルのエサとなるカワニナ(貝の一種)が絶滅状態、ホタルも消滅一歩手前の危機。その教師や地元民の努力の甲斐あって今の状態まで復元したとのことです。 昨日、辰野の蛍を久々に見に行ってきました。地元の人たちでも「これほどの数の蛍は記憶にないほど」というほどの数。川沿いの草むらで、あるいは宙を乱舞しなが、まさに圧巻です。平爺も何回か訪れているが、これほどの数は記憶にない。 ◆残念ながら普通のカメラでは蛍を撮れません。なぜかと言えば光度が足りない。20匹ほどでようやくロウソク1本程度の明るさしかないらしい。20匹以上が塊り、呼吸を合わせて一斉に光れば・・・・それはできない相談です。目に焼き付けるしかないのです。
◆バブル経済―若い人にはなじみの薄い言葉かもしれません。30年ほど前、日本国中が好景気に湧き、浮かれていたころ、経済が実力以上に泡(バブル)のようにふくらんだ状態を言ったことばです。 「こんなに上げてもらっていいの?」と思うほどの昇給、土地の値段は一夜明けるごとに高騰し、株価は下がることを忘れて連日右肩上がり、ゴルフ会員権、書画骨董など投機対象となって天井知らずに上がる一方。それが永久に続くと錯覚していました。1990年、泡ははじけて不動産も株も何もかもが大暴落、もちろん昇給もストップ・・・。
◆政治tはつまでたっても、昔のレベルにとどまりつづけ「政治が良くなってきたな~」言われることなく今に至っています。 ◆政治家の資質を問う前に、国民の政治意識・関心こそが問題、とりわけ若者の政治離れの深刻さが懸念されます。
◆「出所もわからない怪文書」と木で鼻をくくったような決めつけと、「地位に恋々とした元官僚のいうことなど信じるに足らない・・・」と見下げた侮蔑的発言で前川氏を貶め、調査に値しないかのように言い切った菅官房長官。
◆森友・加計学園にからんで総理は「行政を捻じ曲げたり特別扱いしたという事実があれは総理も議員も辞める」と公言してきました。言葉の重みを大切と考えるならば、身の処し方を早急に国民の前に表明してほしいものだ。
これほどわけのわからない政権は、戦後あったでしょうか。与党の一角公明党はそれでもまだ手をつないでいくつもりなのか、そんな次元の低い政党だったのか。自民党内にも「おかしい」と考える良識派議員は何人もいると思う。今はその声を上げるべきチャンスだと思うのですが。
国のありよう、つまり憲法改正にも等しい「組織的犯罪処罰法=共謀罪改正法案」が、何が何だか分からいないうちに強行突破・成立。同じことを何回繰り返したら気が済むのか。まさに横暴内閣、政治を私物化する与党各党の暴挙。 このよもやま日記は、政府の思いなど忖度せず、感じたことを思いのままに書いています。ひょっとすると反政府分子、危険分子として目を付けられ、監視対象になってしまうかもしれない。反対集会に顔をだすことが憚られるようになるかもしれない。 ◆成立を急ぐわけは、森友・加計学園疑惑で集中砲火を浴びるのを恐れ、早いとこ国会を閉じてしまおう・・・そんな姑息な魂胆を指摘する向きが大勢のようです。安倍夫人の証人喚問も実現しないし、前川前事務次官自らが証人招致に応ずると言っているのに政権側は拒否。つまり喚問したら具合が悪いから・・・そう推測するのがあたりまえ。 ◆法案強行採決のやりかたは、民主主義の危機であるとの危惧を表明する専門家も多いようです。戦前の日本をわずかでも知る私には、来た道を引き返しているように見えてしかたありません。 今、若き人々は黙して語らず、何を思っているのでしょうか。私の脳裏に浮かぶのは「治安維持法」と「特別高等警察・監視」、それと歯止めのかからいな警察権力の行方。警察組織の中に、必ずや監視を目的とした部署が出来、存在感を増していくに違いない。平爺はあと何十年も生きられません。しかし後世の人々には平和・平穏な日本を残していってあげたいと思うのです。
◆この2,3日、新聞などで目にする「義家?」の名前、記憶があるな~。検索して思い出しました。 ◆ところが新聞やテレビで見聞きする今の姿は、抱いていたイメージと結びつかない。人は変わる者なのか、見る側の目が無いのか。安倍総理の覚えもめでたく、今や文科省副大臣。
ずーっと以前、一時期読売新聞を購読していたことがあります。記事の内容がイマイチしっくりしないことが何回もあって、朝日新聞に変えました。 ◆話題の森友学園や加計学園の疑惑を、読売紙面でどのように伝えているかは知りません。テレビのニュースステーションで池上彰さんが「驚くべきこと」と解説したのは、前川前事務次官が記者会見において「参考人招致があれば出席します」と答えたのに対して、読売の記者は「在職中に仕入れたものを明かすというのは守秘義務違反に当たらないかという指摘があると思いますが?」と糺しました。
◆安倍総理の憲法改正発言について野党の質問を受けての答弁
厚労省資料。日本の昨年度出生数100万人の大台を割り込み97万人台に。 出生率は1.44、人口維持に必要な2.07には遠く、人口減に歯止めがかからないらしい。ちなみに第一次ベビーブームと言われる70年前は約270万人、その子供が親となった24年ほど後の第二次ベビーブームの年は約209万人。衣食住すべてが不足している中でよくも産み育てたもの。ところが物が溢れ、衣食住足る世になったと言うのに不思議、このギャップには驚くばかりです。 特殊出生率(1人の女性が生涯に産むと見込まれる子どもの数)は、過去最低だった2005年の1.26を底に13年までは緩やかな回復傾向にあったが、その後一進一退。日本の没落を象徴するものでなければいいのですが。 ◆我が家は過疎地ではありませんが、隣組9世帯のうち高校生以下の子供はゼロ、つまり年寄りだけ。子供の遊ぶ声はありません。隣接の隣組も似たり寄ったり。今は死語となった「産児制限」、数十年前は爆発的な人口増を抑えるための政策で、不妊手術、避妊具使用、人工中絶などを指導。まさか人口減が問題となる時代が来ようとは想像もしなかったことでしょう。 ◆一方世界人口は現在73億人。2050年―97億、2100年―112億との予測。水・食料・資源・環境など、これだけの人間が生きていけるのか、それも大きな問題とか。
日の出のころには、ツバメが田んぼの上や、民家の根屋スレスレに飛び回っています。ツバメの飛ぶ姿は実にスマートで美しく、スピード感にもあふれていて気持ちいい。
◆とある民家、長く突き出した軒の下にツバメの糞らしい跡。天井を覗いてみるとツバメの巣の痕跡も見えるが、肝心のツバメの姿はない。今頃は数羽のヒナがエサを待ちかねている様子が見られるはず。きっと糞で汚されるのを嫌って巣を撤去したのでしょう。よくあることです。 ◆千曲川堰堤の遊歩道を歩いているとツバメの死がいが。汚れていないのをみるとまだ間がないようです。どうしてこんなところに落ちているのか・・・想像もつきません。電線にでもぶっつかったのか?そのままにしておくことが忍びなく、草むらの中へ隠すようにそっと移しておきました。
◆ウォーキングコースの帰途、途中で摘んできたアカツメクサやシロツメクサ(クローバー)数本、道路際の兎ゲージに立ち寄り。そこは会社の事務所らしいが閑散として空き家のよう。 ◆アカツメクサを網の隙間から入れると、大ご馳走にありついたように夢中で食べてくれる。指で頭をなでてもいやがることもなく気持ちよさそう。癒されます。ウサギとの面会が日課となった今日この頃。
昨日の日記は、虫などの「なく」という漢字のことでした。今日は虫そのものについて。 世の中、虫嫌いという人はかなりいます。うちのカミさんもです。大都会育ちには虫とは縁がなく、異質のものでしょうね。 昔、子供の遊び場は原っぱや空き地、虫も遊び相手・遊び道具。ときにはトンボの羽を切ったりして・・・でもそれは「命」というものを知る学習に通じているとも言われます。昨今は自然となじむ機会が少なくなり、虫はきたない、気持ち悪いもの・・・そんな固定観念から虫嫌いが多くなっているような気がします。 ◆ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。蝶やコガネ虫やミミズやカタツムリや・・・そんな生き物がいる環境こそ汚染されていないきれいな自然の証ということを。そう考えたら。むしろさまざまな虫のいる場所こそ安心して幼子を遊ばせることのできるというもの、人が住むのに適した場所と言えます。発想を変えたら虫を好きになれないまでも、見る目がかなり違ってくると思います。 市販の学習ノートの表紙が虫の写真というのは気持ち悪い。そんなクレームの方が平爺にはおかしいと思うのです。もちろん感染症やケガに結び付くような虫は別の話ですが。 当地では目下田植えの真っ最中・・・と言っても自動田植機でどかんどん作業んでしまい、昔の賑やかな田植風景が今は懐かしくもあります。
◍中山晋平作詞 「田植」 ◆ところで蛙は「鳴く?」それとも「啼く?」、泣くや哭くではないですよね。 Webで検索してみたが、これという胸に落ちる説明は見つかりませんでした。 Webにはこんな記述も
『居場所を奪われる そういう世界を 地獄という』 竹中智秀 イマイチ理解困難。そこでWEB検索―下記URL ◆人間は他と関わりをもたず生きることはできません。関わりの中で喜びや悲しみ、苦しみ悩みを共にし、そのかけがえのなさを自覚する。そこで、生きる実感や喜び、力も湧きあがって来るのです。そここそが私たちの大切な拠り所であり居場所なのです。そこを離れて人間といえる私はないのです。 この解説を正しく理解するには、平爺の素養が足らなさ過ぎます。宗教・哲学の区分もよくわからない平爺です、肩肘張らず、難しく考え過ぎず、「他人様からみればくだらない生き方に見えてもマイペースで人生最終コーナーを進むしかないか」今さら簡単には舵はきれないものネ。
一昨日(6/5)の夜明け、季節が逆戻りしたような冷え込み、気温8℃以下、手袋がほしいほどでした。 主たるウォーキングコースを、従来の田畑や人家のある道から、千曲川堤防に変えました。ゆったりとした雰囲気が精神衛生上も良いような気がします。堰堤上からは遠く北アルプスの連嶺、そして北信(北信濃)五岳のうちの4座、斑尾山(1382m)・妙高山(2454m)・黒姫山(2053m)・飯縄山(1917m)のほかに、志賀高原から菅平の山々や根子岳、大気が澄んでいると北アルプスも望めます。そしてこの日はキツネとキジバトにも出会い、川岸の木立から水面を渡って聞こえてこくる爽やかなカッコウの啼く音もいい。 千曲川の川面から湯気が濛々(もうもう)と立ち上っていました。気温より水温の方が高いためです。川が巨大な温泉と見まがうよう。 ◆ケガの翌日から、無理のない範囲でウォーキングを続けてきました。実は、圧迫骨折後まったく歩かなかったのは一日もありません。最低は10分前後でしたが、20~30分を目安にして、徐々に時間を長くし、最近になってようやく1時間を超えるほどになりました。冬は積雪と路面凍結、転ばないように注意してゆっくりペースでしたが、4月末にコルセットを外してからは、ようやく以前とほぼ同じ速さに戻りました。
★今日は七十二候の蟷螂性=カマキリ生ずとのこと。あと2週間もすれば二十四節気の夏至です。 片道2時間近い車の運転と法要での固い椅子に1時間近く、そしておときの会食でまた固い椅子に1時間。腰が痺(しび)れてきて山を歩く気力を失くしてしまいました。 2017.06.05(月) 気になる世相
◆ひと月以上前でしたか、登校途中の少女が誘拐・殺害遺棄された事件がありました。登校児童見守りの男が逮捕されたというショッキングな事件。 平爺もウォーキング中に登下校の児童と出会うことがしばしばあります。一人のときもあるし、友だち連れのときもあります。すれちがうときには気軽に『おはよう』とか『元気で行ってらっしゃい』とか声をかけていました。子供たちも気持ちよく挨拶を返してくれます。ところがあの事件以来、何となく声かけがためらわれます。学校では「知らいな人に声をかけられても無視して通りすぎなさい」と指導されているかもしれないし。 声かけは慎もう、子供が見えたら、道路の反対側の端を歩いてすれ違うようにしよう・・・なんて気を使うイヤな世の中になってしまいました。 ◆最近電車内で乗客同士のトラブルが頻発、時には電車が1時間以上も遅れる事態も発生とか・・・。原因はごくささいなこと。手荷物が触ったとか、うっかりして足をふんでしまったとか、空いた座席の取り合い・・・低次元もいいところ・・・(これはテレビでの放映)
これから法事に出かけます。一日がかりです。平爺の母親の弟夫婦の三十三周忌と二十七回忌です。いとこを始め、10年、20年以上顔を合わせたことのない人たちが多いと思います。 あの人誰だっけ・・・「A子さんが嫁に行った先のお姑さんの弟の総領だよ」とか「〇〇町の田中さんの分家の孫の、・・・」というような話になると、図でも書いてもらわないと頭の悪い平爺はチンプンカンプン、イメージが描けません。最近はとくにその傾向が顕著。面倒になって適当に「あ、そう・・・」などと相槌を打っている始末。
けったいな名前だなあ?と感じる植物をいくつか知っています。 あっという間に今年も半分近くが過ぎ、間もなくうっとうしい梅雨の季節。
二十四節気72候の「麦秋至=むぎのときいたる」が5月31日~6月4日)です。 麦秋や 樗(おうち)咲きたる 門搆 (子規) ◆樗は栴檀(せんだん)=白檀のこと。
先日の日記で病院検査のことに触れました。平爺もイヨイヨ・・・か?たくましい想像を,された方もいたかも。大丈夫、もうしばらくひつっこく生きそうです。 ◆話がそれました。前立腺ガン(ステージ2)のために前立腺全摘手術を受けたのは13年前。オペの1カ月半前に担当医の許可を得てフルマラソン完走(タイム4時間35分)、ガン告知・オペ日程もきまっているとき、よくもまあフルを走ったもの・・・67才でした。まさにマラソン気ちがい。妻には「これを最後のフルマラソンにするから・・・」と固い約束を強いられての参加でした。 |
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