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2017年08月
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2018.08.31(日) 季節は移ろう
二十四節気・七十二候カレンダーを見ると、今が「処暑・天地始粛」 ◆今日は8月晦日。どの月も「月末を晦日=みそか」というようです。8月だけは特別に1日を「八朔=はっさく」と呼びます。「朔」は<ついたち>という意味。他の月には特別な呼び名はないようです。
平爺の生まれ育った故郷近くに「弥彦神社」があり、その境内に一茶の句碑があります。
詩人まど・みちおさんと言えば、たいていの方がご存知だと思います。2015年、104才で亡くなっています。 ◆何日か前、書棚に「いわずに おれない」という文庫本サイズの本が眠っているのに気づきました。断捨離の際に惜しくて残したようです。普通の文庫本より装丁がしっかりした本です。自分で買った記憶もないし、誰かからいただいたのかな? ◆どの詩も、体からよけいな力が抜けて、思わず頬が緩んできます。 カ ある ひとが
そんなに かすかな ところで まどさんはご自分の最期を見すえていたのかもしれません。まどさんらしい。平爺もそんな心境になれたらどんなにかよいのに・・・。
26日宵、ガラス戸越しに外が朱に染まっている。久しぶりのみごとな夕焼け、そこに三日月も浮いていました。 ◆一般家庭に電話などなかったころ、急を要する連絡手段は、電報が唯一の手段。 郵便局の窓口で用紙に電報文を書いて依頼すると、係員は相手局を呼び出し、電話の送話口に向って「朝日のア、雀のス、為替のカ、英語のエ、留守居のル、段落、煙草のタ、ローマのロ、上野のウ」と先方局へ電話で通信します。・・・これで「アスカエル タロウ(明日帰る 太郎)」となる。 電報を利用する緊急事情と言えば「チチシススグカエレ(父死すすぐ帰れ)」とか「ソフタオレたニユウインス(祖父たおれた入院す)」などというもの。 ◆電文の読み方でとんでもないことになったりして・・・ ケータイも公衆電話もインターネットもない時代。張り出された大学入試合格発表を見て親元への報せは スマホでラインやSMSやメールなどを自在に操る今の若者には、遠いおとぎの国のような話でしょうね。ところで祝電・弔電のほかに、今でも電報は取り扱われているのでしようか?
◆平爺も一応ケータイは持っていますが昔のガラケイ。登山などのおり、心配性の妻と交信して無事を知らせるためで、それ以外で使うことはめったにありません。登山から離れている今は未使用状態。自分のケータイ番号も暗記していません。
ケータイはおろか、一般家庭には電話もなかった時代、昭和は遠くなりにけり。
コウロギの鳴く音が、昨朝あたりから急に賑やかになってきた気がします。秋の気配をしっかりと感じとったのでしょうか。 ◆2、3日前、ウォーキングの途中で女郎花(オミナエシ)の花に出あいました。花も秋が始まってるんですね~・・・。ところで秋の七草は何だったか?
◆新たに覚えることもさることながら、最近の物忘れはひどい、自分でも感心するほど。たとえば隣組の名前が、1軒だけどうしても思い出せないとか、「東北地方にある日本百名山はどの山か?」これも一つか二つはどうしても思い出せない。また、あの山へ登った時に越えた有名な峠は・・・?。下山してから入った名湯温泉の名前は・・・? ◆本物の認知症ではないかもしれませんが、軽度認知機能低下の可能性あり? ◆ウォーキングの途中、これはよもやま日記のネタにと思って単語だけメモしておく。午後か翌日にメモを見て書こうとしたが、何のことか思い出せない。 ところで秋の七草の覚え方は「お好きな服は」。 たたじ「お好きな服は」を忘れたらおしまい(笑)
2017.08.25(金) 戦争孤児
世界中の人々が「戦争」というもののむごさを、イヤというほど分かっているはずなのに、地球のどこかで殺し合いが絶えたためしがありません。 ◆空襲で保護者を失い、住むところもなく路上生活を余儀なくされた子供たちを「戦争孤児」と言っていました。餓えや寒さで死んだ孤児が123,500人というデータもあるようです。 ♪ 赤い夕日が ガードを染めて ビルの向こうに 沈んだら どんな理屈をつけても戦争だけは絶対悪、巻き込まれてはならない。平爺はいつも平和を願っています。 “731部隊”と聞いても、若者たちには知らない方がほとんどだと思います。平爺は20年か30年前「悪魔の飽食―森本誠一著」を読んで知りました。
◆先だって、NHKテレビ番組「73Ⅰ部隊の真実」が放送されました(NHKオンデマンド―下記URLから見ることができます) 戦時中、日本が旧満州で秘密裏に行われた細菌、凍傷などの人体実験、つまり生身の人間を実験台にした研究部隊です。そこで行われたのは身の毛もよだつような、到底人間としできるような内容のものではありません。生きた人間をモルモットのようにして細菌感染実験、凍傷実験、手術の実験台・・・など。使われたのは旧満州や中国の人々たち。研究に携わったのは東大・京大などの教授やエリート医学生ということです。もちろん立案は軍上層部でしょう。 実験台として使われ、体が元に戻った人間は、また別の実験台として使用される。この世のできごととは到底思えません。まさに身の毛のよだつ悪魔です。 ◆731部隊については「悪魔の飽食―森本誠一著」に詳しく、読み進めるのがためらわれるような残忍さが描かれています。この書を世に出したことで、森本氏は右翼団体からひどい迫害を受けたとも言われます。 ◆池辺晋一郎氏がこの作品をテーマにして混声合唱組曲「悪魔の飽食」を作曲。「悪魔の飽食を歌う合唱団」のコンサートと森本氏の講演を聴きに行ったことを思い出します。 ◆「悪魔の飽食」のほかにも、残酷な軍隊の実態を暴いた著としてに記憶に残っているのは、以下の書です。 戦争とは悲しいものです。どのような理屈をつけても人を幸せにはしない。
先だって、当地長野県のローカルニュースで初めて知りました。 何の関係もない家族までをも道連れにした行為の評価は別として、若き教え子を特攻作戦で無駄死にさせた教官としての責任を取る方法が他になかったのかもしれません。戦争とはさまざまに形で人の不幸を招くものです。 地元のある方は、こう語っていたそうです。
「美談」とは思いませんが、戦争のもたらす一つの断面として語り継いでいくことは大切なことだと思います。日本人だけで軍人230万人、民間人80万人という死者を数えたあの戦争責任を、今も裁かれることなく、また、狂気としか言いようのない特攻作戦を立案、実行指示しながら、敗戦後は責任をとることなくうまく逃げ延びたた戦争指導者たちが、この話を聞いたらどう思うでしょうか。かの准尉は、拒否することのできない上部からの絶対命令に従って任務を果たしたにすぎないのに・・・・。戦争とはむごいものです。 もう一度言わせてもらいます――「どんな理由をつけても戦争は人を幸せにはしない」
一昨日の日の出直前、きれいなうろこ雲が見えました。うろこ雲というのは、高い空にできる『高積雲』の一種で、空気が澄んでいるときに見られるようです。 調べてみると「大阪」と書く以前は「大坂」と書いていた。「大阪」と書くようになったのは江戸時代からで、明治になると「阪」の方が多く使われるようになったといことです。 その理由は というようなことで「坂」の字を避けたという説もあるらしい。
60才で年退職、いつの間にか20年が過ぎました。退職後の日常生活で変わったことを二つ。 ◆毎朝欠かさなかった男のたしなみ?それは髭剃り。どちらかというと髭の濃い平爺です。特別なことが無い限り、退職後も身だしなみの点から髭剃りを欠かしたことはありませんでした。床屋では『固いヒゲですネ』なんてイヤみも。とにかく朝起きたらまず髭そり。蒸しタオルで蒸してから剃るのが日課でした。いつごろからか、外出したり人と会うような時以外は2日か3日に一度。うす汚いジジイになっています。 ◆退職後は一度も床屋へ行ってません。散髪は自分ではできせんから妻の役割です。決して床屋代が惜しいからではありません。「待つことが大嫌い」な平爺。場合によっては1時間も待つなんていうことも・・・それは平爺には難行苦行のストレス。 ◆後期高齢者(75才以上)の運転免許更新には、「高齢者講習」が義務付けられています。そ内容は安全運転講習、教習所内のコースで実技運転、そして認知症検査など。 まず最初に受付で名前や日付などを書かされます。実は認知症の人は、今日が何月何日かをとっさに思い出せないことがしばしばあります。勤めもなく、日にちや曜日と無縁の毎日。わからなくても何の支障もないからカレンダーを見る必要もありません。とっさに聞かれてわからなくて当たり前だし、何の不自由もありません。
◆町内のゴミ出し日は週に3回、火曜日―可燃ゴミとブスチックゴミ、金曜日―可燃ゴミと枝・葉類、土曜日―紙・缶・ビン・不燃ゴミ・ペットポトルが順ぐり。 あ、そうそう。この日記をほとんど毎日毎日欠かさず書いているのも役にたっているというか、認知症予防のために書いているようなものかもしれないな~(笑)
◆いちばん歩くことの多いウォーキングコースは千曲川畔。河川敷一帯には果樹園が広がっています。桃の収穫が終わり次はリンゴの収穫、種類によって8月末から11月まで。すでに赤く色づいて秋をしのばせるものもあります。 ◆リンゴの木の下には、摘果したリンゴが足の踏み場もないほど転がっています。 ◆考えて見れば人間社会にもよく似ていますね。厳しい選別と幸運から零れ落ちた者は、はじかれ、情け容赦なくふるい落とされていくように。摘果された実を見ると、わが身が重なっていとおしおしく感じます。 ◆ウォーキングの途中、たびたび覗いたツバメの巣。4日前には4羽のヒナが親鳥の帰りを待って行儀よく並んでいる姿を見せてくれたのに、昨日は1羽だけ、そして今朝は空っぽになっていました。どうやら全員無事に巣立ったらしい。これからエサのとり方などを身に着け、秋には立派な若鳥に成長して南の空へ羽ばたいて行くのでしょう。 ◆ツバメで、戦後歌謡曲の「ああモンテンルパの夜は更けて」を思い出しました。
≪参考≫https://matome.naver.jp/odai/2142332705624625701
「つづけるは」は平爺の座右の銘。とは言ってもこれがなかなか難しいものです。 ◆登山やスキーに出かける日は別として、2014年12月21日以降は、雨が降っても雪が積もってもウォーキングを欠かすことは一日もなく、数えてみたら間もなく1000日になることがわかりました。 昨年末の椎間板(胸骨)圧迫骨折のときは、雪の積もった日に15分しか歩けなかったこともありました。1000日休まず続けようとの意識はありませんでしたが、ふと気が付いて調べみたら1000日が近いことがわかっただけの話です。 ◆目下のところ登山もならず、健康づくりはウォーキングとストレッチ、リハビリ体操のみ。ウォーキングも無理してやっているわけではなく、朝の空気を胸いっぱいに吸いこみながら、野の花を見たり、空の雲を見たり、朝焼けに見とれたり・・楽しく歩いています。 登山も出来ない今は、毎朝4時過ぎから1時間半~2時間のウォーキング。今朝は1時間55分、12000歩、約10㎞。このまま休まなければ、連続千日目は9月15日の予定です。
◆孫との時間はあっという間でした。幼かったころとはちがい、上は大学1年生、下は中学2年生。一緒にからみあい、じゃれあって遊んだころが懐かしく思い出されます。 それでも孫は孫、滞在中は陽気な孫たちにつられて、笑い笑い笑いの連続。いもつは妻の小言以外は火の消えたような静かな我が家も、大賑わいでした。 13日夕暮に来宅、道路渋滞を避けて15日早朝に帰っていきました。時間にすればわずか30数時間でした。 孫の赤ん坊のころのDVDを一緒に見て笑いあったり、入学した大学の様子を聞かせてもらったりと、孫中心の話題ばかり。おかげでエネルギーをもらいました。 楽しかったひとときを反芻しながら、また今日から頑張るか・・・・と言っても何を頑張ったらいいのやら。わずかな時間でしたが、心地よいひとときを過ごすことができました。孫の威力は計り知れません。 ◆思えは平爺が就職・上京した昭和30年当時、郷里へは夜行列車で数時間。家族は待ちわびていてくれたと思いますが、2年近くも帰省せず、今になれば親兄弟の気持ちもわからず淋しい思いをさせました。親不孝者でした。 今日は何の日・・・お盆? それしか答えられない若者も多いかもしれません。
洗脳され、狂気としか思えないあの太平洋戦争が終わった日。ようやく空からの爆弾を気にしなくてもよいようになりました。あの悲惨さを記憶に留め、決して忘れないためにも、そして日本が生まれかわった日としても、この日を日本建国記念日にしてもらいたかった。 ◆実は無条件降伏を受諾したこの時から、新たな困苦をなめることになった人たちがいました。それは「新天地」と騙され、海を渡った満蒙(現在の中国東北部)開拓団30万人余の日本人の想像を絶する逃避行の始まりです。裸同然の開拓団を守るべき関東軍は、開拓団の子女たちを見捨てて逃亡、移民団の人々はロシア軍や中国の目を避けながら、食料もなく、乳飲み子をかかえ、幼子の手を引き、年寄りを助け・・・自力での逃避行が始まったのです。多くの男性はロシア兵に捕らえられ、シベリアへ送られたと言います。その逃避行の困難さは、新田次郎の妻藤原ていの著書「流れる星は生きている」に詳しく描かれています。 ◆先日の朝日新聞記事にもありましたが、太平洋戦争末期、「神風特攻」というひどいことが行われました。学徒動員された若い兵隊が飛行機や魚雷、べニアで作った船に爆弾を積んでわが身もろとも敵機・敵艦に体当たりするというもの。作戦とは言い難い気ちがい戦術。この特攻で亡くなった若者は数千人とも言われます。 戦後72年、決して忘れてはならない戦争の記憶が、年ごとに風化され、消えていくのが怖い。せめて今日はテレビでもっと取り扱って欲しかった。 【追記】満蒙開拓団の県別人数データ 長野県が一番多いのは、山国で農耕地が少なく、村々への移民割り当て人数が厳しかったからだったようです。 ●中国残留孤児と言われる人々は、逃亡中に親とはぐれ、あるいは死に別れ、あるいは子供だけでも生かしたいとの思いで現地人に預けた子供たちだと言われます。 2017.08.14(月) NHKテレビ『原爆の絵は語る』
8月3日放送のNHKテレビ『原爆の絵は語る~ヒロシマ 被爆直後の3日間』をご覧になった方も多いかと思います。私は当日見られなかったので録画、再生で見ました。 訴える力はカメラの何倍も強く、かつリアリティを感じました。絵とともに添えられた作者のコメントは胸を深くえぐり、揺さぶられ、あふれる涙をこらえられませんでした。 十把一からげにして「何人犠牲になった」という数字は何も語ってくれませんが、絵による訴求力は圧倒的で、原爆の悲惨さと非人道性・むごさをあらためて認識しました。 以前聞いたことがあります。「世界で初めて原爆を実戦に用いたアメリカは、原爆の悲惨さを写した写真展を申し出ても決して許可してくれない」と。 NHKのこの番組を、世界のテレビ局が取り上げ、放映してくれたら、いかに人道に反したひどい殺人兵器であるかということを、まっすぐに受け止めることと思います。 被爆地長崎の市長は、原爆被害者慰霊式典で被爆国日本が先の原発使用禁止条約に参加しなかったことを強く非難していました。国政を預かる政治家たちにあのテレビをぜひ見てもらいたい。 先日は、「外国人がびっくりする日本」のことを書きました。今日は日本人としてのビックリです。 中国とインドの人口をご存知ですか。約13億人、日本の10倍。 ◆人口上位5か国(単位億人) ◆世界人口推移
西暦元年から1500年かけて5倍の5億人となり、それから450年でその15倍の25億人へと増加。そして25億人から73億人になるまでわずか66年しかかかっていません。いつ地球号が沈没するか、考えると眠れなくなる―これは笑ってはいられません― ●地球号がどのくらいの人口を支えられるのか?これには食料・資源・土地などあらゆる要素を検討しなくては答えは出ないと思いますが、あるwebには100億人と書かれていしまた。バーチャルな話ではないのかもしれません―また眠られなくなりそう(笑) ◆少子化・人口減が問題となっている日本。世界的視野で見れば、むしろ日本は優等生か?
二十四節気・七十二候だと、今は立秋・涼風至(りょうふうたいる)。それにしては暑い。蛇足ながら二十四節気とは1年を24等分したもので立春から始まって大寒まで。七十二候は1節季を三等分(初候・次候・末候)したもの。七十二候を知ったのは、ラジオ深夜便の最後に今日の二十四節気と七十二候を言うようになってからです。
◆二十四節気・七十二候と関係ありませんが、なぜ東京と地方ではお盆が1ケ月ずれているのでしようか。Web検索すると以下の通り。 ◆さてお盆休み突入。山の日も加わってのlong vacation、鉄道も道路も空も人・人・人で難行苦行のスタートのようです。
昨日(10日)国会閉会中審査が行われたが、報道によると、稲田前防衛大臣や前次官の出席は必要ないとして欠席。加えて疑念は残されたままにもかかわらず、再調査を拒否して終了したとのこと。 ◆安倍首相は7月19日、通常国会閉幕を受けて記者会見。『対応が二転三転し、国民の政府に対する不信を招いたことは率直に反省しなければならない。信なくば立たず。真摯(しんし)に説明責任を果たしていくと強調。 どこが変わったのでしょうか。
福沢諭吉と言えば「一万円札」―普通はそう答えますよね。 ◆授業料無料の尋常小学校が始まったのは1900年で、15年後には通学率90%を超えるようになった。 このような事実から、当時の日本の識字率は世界一だったと言えるのだそうです。何だか日本人であることが誇らしく思えてきます。(実は平爺は学問のすすめを紐といたことはありませんが) 【付記】―当時、日本と違ってイギリスやフランスではエリート教育は進んでいたが、庶民教育にはほとんど関心がなかったとのことです。 webで福沢・大隈を検索していたら、二人に似たような言葉がありました。 ■大隈重信・・・『人間が生きるのは 社会の利益のために存在するということだ。 ただ生きてるのではつまらない』 たまたま開いたネットに「日本に来た外国人が驚くこと」というのがありました。面白そうなのでちょっと目を通してみました。
ところ変われば品変わる。どれも概ねよいことばかりでも、彼らにとっては理解不能な魔訶不思議。 ◆1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分、長崎市上空で原爆がさく裂、ヒロシマの3日後です。
◆ポツダム宣言とは、1945年7月26日(広島原爆投下の13日前)米国、英国、中国が日本へ突きつけた「無条件降伏」の最終通告。日本は最後の防衛線と言われた沖縄を放棄、制空権も失い敵機は日本本土上空を自由自在に飛び回り、全土を爆撃で焼き尽くしていました。このままでは国土の大半は焦土と化すことは必定、それでもなお軍部は降伏をためらっていたのです。 ◆ようやくポツダム宣言受諾を決意したのは1945年8月14日、そして同年9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ号甲板で無条件降伏文書に調印、太平洋戦争は正式に終結しました。軍や為政者の判断ミスで、失わなくてもよかった命が、どれだけ無駄に消えたことか、遺族や肉親の人々の気持ちを思うと言葉もありません。 ◆昭和16年12月8日、ハワイの真珠湾奇襲攻撃から3年8カ月に及ぶ悲惨な戦争で、日本人は軍人230万人、一般人80万人という膨大な数の犠牲者を出してしまいました。 53年前、新婚旅行で訪れた長崎平和公園の「平和の像」を思い浮かべながら祈りを捧げます。
今日は立秋、暑さの方は今真っ盛り。少しだけ秋に近づいてきていると思えば気も楽。 ここからが本題の「二重課税」についてです。 この仕組みは耄碌した平爺の頭では理解不能です。
ラジオで「ズック」という言葉が出てきました。耳にしたのは何十年ぶりのことだろう。若い人には何のことか見当もつかないかもしれません。平爺が子供のころは「運動靴」のようなものをそう呼んでいた記憶があります。ゴワゴワした繊維でできた靴です。今なら靴とも呼べないような粗末な代物、運動会などで大事に使ったのを思い出します。 ウォーキングをしながら、かつてはあたり前に使っていたのに、今は消えてしまったことばを思い出しながらメモってみました。ビーダマ・ハンカチーフ・床屋・ハイカラ・アベック・猿股(さるまた)・・・もっとたくさんあると思いますが、これしか思い出せませんでした。 逆に今の若者言葉は年寄りにはチンブンカンブン。言葉は生きていると言われます。生きているから変っていくということでしょう。 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、残忍極まりない原子爆弾が広島市上空で爆発、一瞬にして命を奪われた人、その年の年末までに亡くなった人、合わせて犠牲者は14万人と言われます。戦争とは直接関係のない一般市民がです。そこには良心も、人間性のかれらもありません。戦争とはそうしたものです。 谷川俊太郎の「せんそうしない」という有名な詩です。お読みになってみてください。 【せんそうしない】
ちょうちょと ちょうちょは せんそうしない
ラジオから「ズック」という言葉が出てきました。「ズック」か~懐かしいな~何十年ぶりかで耳に。若い人には何のことか見当もつかないでしょう。平爺が子供のころは「運動靴」のようなものをそう呼んでいました。ゴワゴワした繊維でできた靴です。今どき靴とも呼べないような粗末な代物、運動会などで大事に使ったのを思い出します。 ◆ウォーキングをしながら、昔あたりまえに使ってたのに今では消えてしまったことばを思い出しながらメモってみました。ビーダマ・ハンカチーフ・床屋・ハイカラ・アベック・猿股(さるまた)・・・もっとたくさんあると思いますが、これくらいしか浮かんできません。
亡き父母を (なきふぼを) ウォーキングコースの途中にある寺院門前の掲示板が上記のように変わっていました。 『いのちは、「寿命」と「生命」とがある。寿命は「長生きする。命が長い」。阿弥陀仏は無量寿、即ち限りなきいのちであり、私たち生物的な命は限りある。 難しいことはわかりませんが、ある日忽然として私がこの世に生まれてきたわけではなく、母があり父があり、そのまた母があり父があり・・・・何百年、何千年、何万年とつながってきた命・・・・そう考えると不思議な気持ちになます。 山の名前にはその意味や由来があります。たとえば形が吾妻屋に似ているから『吾妻山・四阿山・・』とか、「二つとない高い山→不二山」から転じて『富士山』など。日本でいちばん多いのは「城山」で287もあります。ほとんどが山城や砦などのあった山です。
「矢筈山」、「矢筈ケ山」というのも日本山名辞典を見ると30近くあり、平爺もいくつか登っています。「矢筈」とはなんだろう・・・以前から気にはなっていましたが、調べもせずに放置。 図解を参照してようやくわかりました。 ついでに同名の数が多い上位の山を調べてみると以下のとおり。赤字は平爺が登った山の数です。
かなりいい加減な数字です。「山」と「岳」、「丸山」と「円山」などは同名扱いです。
北朝鮮によるICBM=大陸間弾道ミサイルのニュースが、連日のように報じられ、明日にでも日本に落ちて来そうな雰囲気で、容易ならざる緊迫感。ICBMは戦争ごっこの玩具ではない。核弾頭をつけて飛んで来たらヒロシマ・ナガサキの比ではないでしょう。ところで・・・ 国内総生産(US$換算)・・・この数字、ケタなどが間違っていたらゴメン 怖いのはこの程度の経済力を持ってしても、核兵器やミサイルの開発が可能という事実です。かつて軍・民区別しない貧者の兵器と言われた残忍な地雷や毒ガスなどの化学兵器は国連決議で使用禁止となりました。 このまま推移すれば、そう遠くない将来、人類は滅ぶかもしれない。地球人はそのことに思いをいたし、何とかその脅威を取り払わなくてはいけない。地球は一つ、人類も一つ、みんながそう思える日は来るのだろうか・・・・。 ◆何日か前、webで見た記事、その一部をコピーしました。
《安倍首相自身は「悪い時には悪いことが重なる」と思っているだろうが、このことは決して偶然に起こったことではない。これまでお友達内閣の度重なる弊害には目をつぶり、国政私物化の事実や責任を一切取ろうとしない積年の弊害が、ここにきて一挙に表面化しただけのことだ。来るべき時が来たのであり、自民党が安倍首相に追求が及ばないようにどれだけ野党の質問時間を削っても、国民は見るべきところを見ている。国民の信頼を失った首相はもはや「水に落ちた犬」同然なのであり、溺れるほかはないのである。待っているのは、内閣改造という次の難関だ。安倍政権は支持率が落ちるたびに内閣改造を繰り返し、表面だけを変えて国民の目をごまかしてきた。でも、そんな姑息な方法はもう通用しない。死に体になった安倍政権と心中するような馬鹿な政治家はいないだろうし、いたとすれば、それは「閣僚不適格」の人材が集まるだけの話だ。すでに改造前の世論調査においてさえ、内閣改造に「期待しない」が過半数に達している。(中略)有終の美を飾るといった表現には似つかわしくない人物であるが、「野垂れ死にだけはするな」との最期の言葉を送りたい》 ◆政治の質の低下を証明するような今年のできごと。代議士の名前と無能の所以(
国民の負託に応えるだけの最低限の資質・矜持も持ちあわていない政治家が多すぎますが、選挙に際して有権者は候補者の資質・人物像まで知ることができません。しかし政治に無関心な国民の責任が問われることもまた事実だと思います。 |