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2017年08月

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2018.08.31() 季節は移ろう

二十四節気・七十二候カレンダーを見ると、今が「処暑・天地始粛」
“天地始粛” は「てんちはじめてさむし」と読むそうです。秋はすぐそこ。

◆今日は8月晦日どの月も「月末を晦日=みそか」というようです。8月だけは特別に1日を「八朔=はっさく」と呼びます。「朔」は<ついたち>という意味。他の月には特別な呼び名はないようです。

オキナグサ

平爺の生まれ育った故郷近くに「弥彦神社」があり、その境内に一茶の句碑があります。
『八朔や 犬の椀にも 小豆飯』
犬のエサ用のお椀にも赤飯が盛られているのを詠んだのでしょう。10 数年前に神社背後の霧訪山=きりとさんへ登った折に目に付き、それ以来、頭の悪い平爺が忘れることなく覚えています。
霧の訪れる山・・・ロマンチックな名前ですよね。山頂には、全国でも数少ない自生の「翁草=おきな草」が植生しています。


◆今年は異常気象と猛暑の夏でした。長野市でも35℃を超える猛暑日が何日かありましたが、ここ数日、朝晩涼を感じられるようになりました。明け方の最低気温は
20℃~22℃ほど。秋の気配が進み、コウロギの合唱にも力がこもってきました。
2時間近いウォーキングもほとんど汗はかきません。稲穂を垂れてきた田んぼには案山子が秋の風情を演出しています。まだ暑い日があるかもしれませんが、良い季節です。あと2カ月もすれば暖房器具の準備です。

2018.08.30() 「まど・みちお」  ― こころあたたまる詩

詩人まど・みちおさんと言えば、たいていの方がご存知だと思います。2015年、104才で亡くなっています。
 ♪「ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね・・・」
 ♪「しろやぎんさから おてがみ ついた・・・」
など、2000編もの作品を残したと言われます。

◆何日か前、書棚に「いわずに おれない」という文庫本サイズの本が眠っているのに気づきました。断捨離の際に惜しくて残したようです。普通の文庫本より装丁がしっかりした本です。自分で買った記憶もないし、誰かからいただいたのかな?
ひさしぶりに手に取って再読、ページを繰ってみると、そのお人柄のあたたかさや、やさしさが沁みいるように伝わってきます。この本は細貝さやかという方がインタビューにもとずいて執筆したもの、文中には何篇もの作品が挿入されています。

◆どの詩も、体からよけいな力が抜けて、思わず頬が緩んできます。
「カ」という詩があります。さっと目を通しても一読では味がわかりません。二度、三度ゆっくりと読みかえすと、じわっと伝わってきて思わず微笑んでしまいました。

     カ

     ある ひとが
    ふと あるひ
    手にした ほんの
    とある ページを ひらくと    


    ある ぎょうの
    とある かつじを ひとつ
    うえきばち にして

    カよ
    おまえは そこで
    花になって
    さいている

    そんなに かすかな ところで
    しんだ じぶんを
    じぶんで とむらって・・・

まどさんはご自分の最期を見すえていたのかもしれません。まどさんらしい。平爺もそんな心境になれたらどんなにかよいのに・・・。

2017.08.29(火) 筆順


平爺がいつも迷うのは「飛」という字の筆順。80にしていまだに正確にはわかりません。
そこでWeb検索する、下記のとおり。
   

平爺は一番最後にタテの長い棒を入れていました。癖になっているから今さら変えられないし、誤って書いても読む人にはわかりませんよネ。

「必」の筆順も、平の習ったころは「心」を書いてから「ノ」でしたが、今は
① てっぺんの点 ②「ノ」 ③ノを横ぎって右にはらう ④左右に「ハ」を書いて完成。「必」の新しい筆順は死ぬまで書けそうもありません。

◆ネットで筆順を見ていたら、平爺が間違っている字がたくさん見つかりました。たとえば「臣・兆・機・属・・・」などいくつあるか分からないほど。新しい教育で変わったのか、それとも元々平爺の覚え違いか・・・。書いてしまえば読む人は筆順がどうだ・・・なんて分かりはしないし、気にする必要もないか。



2017.08.28(
) 電報

26日宵、ガラス戸越しに外が朱に染まっている。久しぶりのみごとな夕焼け、そこに三日月も浮いていました。

昨日の日記でケータイ・スマホのことを書いていたら、ふと昔の「電報」を懐かしく思い出しました。今の若者たちは、電報とは『結婚式の祝電』と『葬儀の弔電』のことと思っているかもしれません。すでに「電報」は死語?

◆一般家庭に電話などなかったころ、急を要する連絡手段は、電報が唯一の手段。
電報文は片仮名、文字数で料金が決まるから文章は意味が通じる程度に簡略化。

郵便局の窓口で用紙に電報文を書いて依頼すると、係員は相手局を呼び出し、電話の送話口に向って「朝日のア、雀のス、為替のカ、英語のエ、留守居のル、段落、煙草のタ、ローマのロ、上野のウ」と先方局へ電話で通信します。・・・これで「アスカエル タロウ(明日帰る 太郎)」となる。

電報を利用する緊急事情と言えば「チチシススグカエレ(父死すすぐ帰れ)」とか「ソフタオレたニユウインス(祖父たおれた入院す)」などというもの。

◆電文の読み方でとんでもないことになったりして・・・
「カネオクレタノム」は、「金送れ頼む」が正解なのだが、「金をくれた飲む」と読まれてしまい、父親に怒鳴られた。これは作り話かもしれませんが有名な話。

ケータイも公衆電話もインターネットもない時代。張り出された大学入試合格発表を見て親元への報せは
  合格―「サクラサイタ」  不合格は―「サクラチル」

スマホでラインやSMSやメールなどを自在に操る今の若者には、遠いおとぎの国のような話でしょうね。ところで祝電・弔電のほかに、今でも電報は取り扱われているのでしようか?

2017.08.27(
) スマートフォン

一昨日の朝焼け

◆平爺も一応ケータイは持っていますが昔のガラケイ。登山などのおり、心配性の妻と交信して無事を知らせるためで、それ以外で使うことはめったにありません。登山から離れている今は未使用状態。自分のケータイ番号も暗記していません。
目下のところ、ケータイを持つのはウォーキングのときだけ。夜明け前の暗い道を、あるいは冬は凍った路面に転倒・・・ケガ・・・そんなときの用心に妻から携帯を強要されています。一つだけ役にたつのは歩数計機能。たとえば
  8/23日―11482歩 24日―10612
  25日―11399歩 26日―13271


◆ラインとかSMSなど、言葉は耳にしていますが果たしてどんなものか?
もちろんガラケイでは使えない機能だと思います。孫娘が文字を入力する様子を見ていると機関銃を打つような速さ、すごいですね。

ケータイはおろか、一般家庭には電話もなかった時代、昭和は遠くなりにけり。 明日は「電報」の時代の話を。



2017.08.26(
) MCI(Mild Cognitive Impairment=軽度認知機能低下)

コウロギの鳴く音が、昨朝あたりから急に賑やかになってきた気がします。秋の気配をしっかりと感じとったのでしょうか。

◆2、3日前、ウォーキングの途中で女郎花(オミナエシ)の花に出あいました。花も秋が始まってるんですね~・・・。ところで秋の七草は何だったか?
歩きながらオミナエシ  ハギ  キキョウ  オバナ(すすき)  クズ あと二つがどうしても出てこない。帰宅してから調べると フジバカマ と ナデシコ。以前はすらすら言えたような気がするのだが・・・・。

ヒメジョオン

◆新たに覚えることもさることながら、最近の物忘れはひどい、自分でも感心するほど。たとえば隣組の名前が、1軒だけどうしても思い出せないとか、「東北地方にある日本百名山はどの山か?」これも一つか二つはどうしても思い出せない。また、あの山へ登った時に越えた有名な峠は・・・?。下山してから入った名湯温泉の名前は・・・?
以前は日本百名山を登った順番で百座をすらすらと言えたのに、今はまったくダメ。

◆本物の認知症ではないかもしれませんが、軽度認知機能低下の可能性あり?身近な例で言えば「昨日の夕食のおかずは?」思い出せないのもMCIの可能性がある。

◆ウォーキングの途中、これはよもやま日記のネタにと思って単語だけメモしておく。午後か翌日にメモを見て書こうとしたが、何のことか思い出せない。
イヤな兆候がちょくちょく表れる。どうしましょう・・・・。この日記をお読みくださっている方々、辻褄の合わないような記述があったらMCIだからしかたないとおお目に見てください。

ところで秋の七草の覚え方は「お好きな服は」。 たたじ「お好きな服は」を忘れたらおしまい(笑)
  お:(オミナエシ) す:(ススキ) き:(キキョウ) な:(ナデシコ)
  ふ:(フジバカマ) く:(クズ)  は:(ハギ)
春の七草は「5・7・5・7」の語呂。「セリ ナズナ ゴギョウ ハコベラ ホトケノザ スズナ スズシロ

2017.08.25() 戦争孤児

 野の花は可憐

世界中の人々が「戦争」というもののむごさを、イヤというほど分かっているはずなのに、地球のどこかで殺し合いが絶えたためしがありません。
今は北朝鮮と米国の危険なにらみ合い、かけ引きが連日報道されています。

◆空襲で保護者を失い、住むところもなく路上生活を余儀なくされた子供たちを「戦争孤児」と言っていました。餓えや寒さで死んだ孤児が123,500人というデータもあるようです。
もう一度『お母さん』と呼んでみたかっただろうに。その母は空爆に遭ってもういないです。
伝えられる中東紛争下の子供たちは、72年前の日本の姿ではないかと想像します。
戦争のとばっちりを受けるのは、いつも戦争とは関係のない子供や何も悪くない一般人たち。
米朝が交戦することになれば、日米安保条約により日本も否応なく戦争に巻き込まれていくのでしょうか。何とか戦争に頼らない平和的解決をはかってもらいたいものです。


◆ふと思い出しました。72年前、容赦なき空襲で廃墟と化した東京、その空の下で親を亡くした子供たちの姿を歌った宮城まり子の歌。

《ガード下の靴みがき》

♪ 赤い夕日が ガードを染めて ビルの向こうに 沈んだら
  街にゃネオンの 花が咲く おいら貧しい 靴みがき
  ああ 夜になっても 帰れない
♪ 墨に汚れた ポケット覗きゃ 今日も小さな お札だけ
  風の寒さや 冷たさは  なれているから 泣かないが
  ああ 夢のないのが 辛いのさ
♪ 誰も買っては くれない花を 抱いてあの子が 泣いてゆく
  可愛そうだよ お月さん なんでこの世の 幸せは
  ああ みんなそっぽを 向くんだろ

どんな理屈をつけても戦争だけは絶対悪、巻き込まれてはならない。平爺はいつも平和を願っています。

2017.08.24(
) 「731部隊」

“731部隊”と聞いても、若者たちには知らない方がほとんどだと思います。平爺は20年か30年前「悪魔の飽食―森本誠一著」を読んで知りました。

秋・・・女郎花(オミナエシ)

◆先だって、NHKテレビ番組「73Ⅰ部隊の真実」が放送されました(NHKオンデマンド―下記URLから見ることができます)
   http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170813

戦時中、日本が旧満州で秘密裏に行われた細菌、凍傷などの人体実験、つまり生身の人間を実験台にした研究部隊です。そこで行われたのは身の毛もよだつような、到底人間としできるような内容のものではありません。生きた人間をモルモットのようにして細菌感染実験、凍傷実験、手術の実験台・・・など。使われたのは旧満州や中国の人々たち。研究に携わったのは東大・京大などの教授やエリート医学生ということです。もちろん立案は軍上層部でしょう。

実験台として使われ、体が元に戻った人間は、また別の実験台として使用される。この世のできごととは到底思えません。まさに身の毛のよだつ悪魔です。

◆731部隊については「悪魔の飽食―森本誠一著」に詳しく、読み進めるのがためらわれるような残忍さが描かれています。この書を世に出したことで、森本氏は右翼団体からひどい迫害を受けたとも言われます。

◆池辺晋一郎氏がこの作品をテーマにして混声合唱組曲「悪魔の飽食」を作曲。「悪魔の飽食を歌う合唱団」のコンサートと森本氏の講演を聴きに行ったことを思い出します。

◆「悪魔の飽食」のほかにも、残酷な軍隊の実態を暴いた著としてに記憶に残っているのは、以下の書です。
 「人間の条件」―五味川純平
 「麦と兵隊」「土と兵隊」―火野葦平
 「真空地帯」―野間宏
 「深淵」「神聖喜劇」―大西巨人

2017.08.23() 自決したある特攻教官の慰霊

戦争とは悲しいものです。どのような理屈をつけても人を幸せにはしない。

ツユクサ

先だって、当地長野県のローカルニュースで初めて知りました。
それは・・・ポツダム宣言無条件降伏受諾を告げた3日後のこと。
上田市の飛行場で特攻の教官として隊員指導にあたっていた30歳の准尉が、降伏受諾の3日後、22歳の妻と生後間もない娘と共に、責任をとって自殺したということがあった由。20人ほどの地元の人たちによって、准尉の慰霊式が行われたというニュースでした。

何の関係もない家族までをも道連れにした行為の評価は別として、若き教え子を特攻作戦で無駄死にさせた教官としての責任を取る方法が他になかったのかもしれません。戦争とはさまざまに形で人の不幸を招くものです。

地元のある方は、こう語っていたそうです。
「准尉は軍国主義の時代でも決して部下に暴力を振るわない人だった。こんな人が家族と共に死を選ぶという悲劇を、後世に伝えていかくては」と。

「美談」とは思いませんが、戦争のもたらす一つの断面として語り継いでいくことは大切なことだと思います。日本人だけで軍人230万人、民間人80万人という死者を数えたあの戦争責任を、今も裁かれることなく、また、狂気としか言いようのない特攻作戦を立案、実行指示しながら、敗戦後は責任をとることなくうまく逃げ延びたた戦争指導者たちが、この話を聞いたらどう思うでしょうか。かの准尉は、拒否することのできない上部からの絶対命令に従って任務を果たしたにすぎないのに・・・・。戦争とはむごいものです。

もう一度言わせてもらいます――「どんな理由をつけても戦争は人を幸せにはしない」

2017.08.22(
)  大阪と大坂

うろこ雲

一昨日の日の出直前、きれいなうろこ雲が見えました。うろこ雲というのは、高い空にできる『高積雲』の一種で、空気が澄んでいるときに見られるようです。

◆読みかけの時代小説に「大阪」が「大坂」となっていましたが・・なぜ?

調べてみると「大」と書く以前は「大」と書いていた。「大阪」と書くようになったのは江戸時代からで、明治になると「」の方が多く使われるようになったといことです。

その理由は
    「坂」は「土」と「反」から出来ています。「土に返る」は縁起が悪いというのが理由とか。
   平爺の田舎では、数十年前までは土葬が普通、まさに死ねば土にかえりました。

 ②  
「士(さむらい)」が「反する」も縁起が良くない。
   身分社会では、上位の者が白と言えば黒くても白になってしまう。異は許されない。

というようなことで「坂」の字を避けたという説もあるらしい。
暇つぶしに調べてみただけの話です。どっちでもいい話ですみません。

2017.08.21(
) 退職してから20年、変わったこと二題

カボチャ

60才で年退職、いつの間にか20年が過ぎました。退職後の日常生活で変わったことを二つ。

◆毎朝欠かさなかった男のたしなみ?それは髭剃り。どちらかというと髭の濃い平爺です。特別なことが無い限り、退職後も身だしなみの点から髭剃りを欠かしたことはありませんでした。床屋では『固いヒゲですネ』なんてイヤみも。とにかく朝起きたらまず髭そり。蒸しタオルで蒸してから剃るのが日課でした。いつごろからか、外出したり人と会うような時以外は2日か3日に一度。うす汚いジジイになっています。

◆退職後は一度も床屋へ行ってません。散髪は自分ではできせんから妻の役割です。決して床屋代が惜しいからではありません。「待つことが大嫌い」な平爺。場合によっては1時間も待つなんていうことも・・・それは平爺には難行苦行のストレス。
虎刈りだろうが何だろうがカッコウなんか問題にしない。床屋へ行かなくて済むだけで十分。20年間妻任せ、かみさんから声がかると庭に出て散髪。今では結構うまくなっています。ときどき「痛いっ!!」なんていうこともありますが。ものはためしで20年分の散髪代を計算してみました。
  仮に12000円?として月1回×12=年間24,000
  20年間で48万円・・・すごい倹約をしていたんだな~。

2017.08.20(
) どっちでもいい話

◆後期高齢者(75才以上)の運転免許更新には、「高齢者講習」が義務付けられています。そ内容は安全運転講習、教習所内のコースで実技運転、そして認知症検査など。

まず最初に受付で名前や日付などを書かされます。実は認知症の人は、今日が何月何日かをとっさに思い出せないことがしばしばあります。勤めもなく、日にちや曜日と無縁の毎日。わからなくても何の支障もないからカレンダーを見る必要もありません。とっさに聞かれてわからなくて当たり前だし、何の不自由もありません。

墨絵のような早暁風景

◆町内のゴミ出し日は週に3回、火曜日―可燃ゴミとブスチックゴミ、金曜日―可燃ゴミと枝・葉類、土曜日―紙・缶・ビン・不燃ゴミ・ペットポトルが順ぐり。
ゴミ出しは平爺の役割、この役割がなかったら、まさに日にちも曜日を関係のない仙人のような日々になってしまうかもしれません。今日は何月何日何曜日か言ってください・・・キョトンとした我が顔が見えるようです。

あ、そうそう。この日記をほとんど毎日毎日欠かさず書いているのも役にたっているというか、認知症予防のために書いているようなものかもしれないな~(笑)

◆蛇足ながら運転免許証所有者は  平成5年―約6570万人 25年―約8160万人で、未成年者を除けば、ほぼ全員と言っても過言ではなさそうです。子供のころ、田舎道をたまに通る車と言えばほとんど4トントラック、運転手ってすごいな~と思って見ていたものです。

2016.08.19(
) 選ばれなかったリンゴ

◆いちばん歩くことの多いウォーキングコースは千曲川畔。河川敷一帯には果樹園が広がっています。桃の収穫が終わり次はリンゴの収穫、種類によって8月末から11月まで。すでに赤く色づいて秋をしのばせるものもあります。

◆リンゴの木の下には、摘果したリンゴが足の踏み場もないほど転がっています。
春4月、花が咲くとまず余分な花を摘み取ります。そのあと何回か実を間引くという根気作業。選び抜かれて残った実だけが大切に保護され、出荷されていきます。

◆考えて見れば人間社会にもよく似ていますね。厳しい選別と幸運から零れ落ちた者は、はじかれ、情け容赦なくふるい落とされていくように。摘果された実を見ると、わが身が重なっていとおしおしく感じます。
それでも次の世代を育てる肥やしになるという役目だけは残っています。

2017.08.18(金) 「憎しみからは何も生まれない」

◆ウォーキングの途中、たびたび覗いたツバメの巣。4日前には4羽のヒナが親鳥の帰りを待って行儀よく並んでいる姿を見せてくれたのに、昨日は1羽だけ、そして今朝は空っぽになっていました。どうやら全員無事に巣立ったらしい。これからエサのとり方などを身に着け、秋には立派な若鳥に成長して南の空へ羽ばたいて行くのでしょう。ちょっぴり寂しい気もしますが、来年もまた同じ巣に戻ってくることだろう。待ってるから・・・

◆ツバメで、戦後歌謡曲の「ああモンテンルパの夜は更けて」を思い出しました。 昨日の認知症介護施設のボラではこの歌を歌いました。  

2番の歌詞
     ♪燕はまたも 来たけれど
     ♪恋しわが子は いつ帰る
     ♪母のこころは ひとすじに
     ♪南の空へ 飛んで行く
     ♪さだめは悲し 呼子鳥


日本人死刑戦犯に恩赦・・・兵隊は好きで戦い、敵兵を殺りくしたわけではない。すべて国の命によって行動せざるを得なかった。国策により人間性を抜きとられてしまったのです。
フィリピンで捕虜虐待などの罪に問われ、死刑宣告を受けたた日本兵が、キリノ大統領の温情で釈放、帰国できたことに関連するのが、上記の「ああモンテンルパの夜は更けて」の歌です。

≪参考≫https://matome.naver.jp/odai/2142332705624625701

2017.08.17
() つづける

 ぶどう

「つづけるは」は平爺の座右の銘。とは言ってもこれがなかなか難しいものです。
今日はウォーキング1000日間休まず続ける話。
ずっと以前、ほとんど欠かさずに毎日ランニングを日課として実践していましたが、70才過ぎてからランニングの代わりにウォーキングが入るようになり、気が付けばウォーキングだけになっていました。

◆登山やスキーに出かける日は別として、20141221日以降は、雨が降っても雪が積もってもウォーキングを欠かすことは一日もなく、数えてみたら間もなく1000日になることがわかりました。

昨年末の椎間板(胸骨)圧迫骨折のときは、雪の積もった日に15分しか歩けなかったこともありました。1000日休まず続けようとの意識はありませんでしたが、ふと気が付いて調べみたら1000日が近いことがわかっただけの話です。

◆目下のところ登山もならず、健康づくりはウォーキングとストレッチ、リハビリ体操のみ。ウォーキングも無理してやっているわけではなく、朝の空気を胸いっぱいに吸いこみながら、野の花を見たり、空の雲を見たり、朝焼けに見とれたり・・楽しく歩いています。

登山も出来ない今は、毎朝4時過ぎから1時間半~2時間のウォーキング。今朝は1時間55分、12000歩、約10㎞。このまま休まなければ、連続千日目は915日の予定です。

2017.08.16(
) 風のように来て風のように去って行った孫たち

長野市近郊―松川渓谷の涼「雷滝」

◆孫との時間はあっという間でした。幼かったころとはちがい、上は大学1年生、下は中学2年生。一緒にからみあい、じゃれあって遊んだころが懐かしく思い出されます。

それでも孫は孫、滞在中は陽気な孫たちにつられて、笑い笑い笑いの連続。いもつは妻の小言以外は火の消えたような静かな我が家も、大賑わいでした。

13日夕暮に来宅、道路渋滞を避けて15日早朝に帰っていきました。時間にすればわずか30数時間でした。

孫の赤ん坊のころのDVDを一緒に見て笑いあったり、入学した大学の様子を聞かせてもらったりと、孫中心の話題ばかり。おかげでエネルギーをもらいました。

楽しかったひとときを反芻しながら、また今日から頑張るか・・・・と言っても何を頑張ったらいいのやら。わずかな時間でしたが、心地よいひとときを過ごすことができました。孫の威力は計り知れません。

◆思えは平爺が就職・上京した昭和30年当時、郷里へは夜行列車で数時間。家族は待ちわびていてくれたと思いますが、2年近くも帰省せず、今になれば親兄弟の気持ちもわからず淋しい思いをさせました。親不孝者でした。

2017.08.15(
) 無条件降伏記念日

今日は何の日・・・お盆? それしか答えられない若者も多いかもしれません。
平爺と同年代の者としては、太平洋戦争無条件降伏を発した終戦記念日です。この日に思うことは山ほどあります。

満蒙開拓団

洗脳され、狂気としか思えないあの太平洋戦争が終わった日。ようやく空からの爆弾を気にしなくてもよいようになりました。あの悲惨さを記憶に留め、決して忘れないためにも、そして日本が生まれかわった日としても、この日を日本建国記念日にしてもらいたかった。

◆実は無条件降伏を受諾したこの時から、新たな困苦をなめることになった人たちがいました。それは「新天地」と騙され、海を渡った満蒙(現在の中国東北部)開拓団30万人余の日本人の想像を絶する逃避行の始まりです。裸同然の開拓団を守るべき関東軍は、開拓団の子女たちを見捨てて逃亡、移民団の人々はロシア軍や中国の目を避けながら、食料もなく、乳飲み子をかかえ、幼子の手を引き、年寄りを助け・・・自力での逃避行が始まったのです。多くの男性はロシア兵に捕らえられ、シベリアへ送られたと言います。その逃避行の困難さは、新田次郎の妻藤原ていの著書「流れる星は生きている」に詳しく描かれています。

◆先日の朝日新聞記事にもありましたが、太平洋戦争末期、「神風特攻」というひどいことが行われました。学徒動員された若い兵隊が飛行機や魚雷、べニアで作った船に爆弾を積んでわが身もろとも敵機・敵艦に体当たりするというもの。作戦とは言い難い気ちがい戦術。この特攻で亡くなった若者は数千人とも言われます。

戦後72年、決して忘れてはならない戦争の記憶が、年ごとに風化され、消えていくのが怖い。せめて今日はテレビでもっと取り扱って欲しかった。

【追記】満蒙開拓団の県別人数データ
       開拓団  青少年義勇軍  計
  長 野  31,264  6,595   37,859
  
山 形  13,252  3,925   17,177
  熊 本   9,979   2,701   12,680

   福 島   9576   3,097   12,673
  以下略

長野県が一番多いのは、山国で農耕地が少なく、村々への移民割り当て人数が厳しかったからだったようです。

●中国残留孤児と言われる人々は、逃亡中に親とはぐれ、あるいは死に別れ、あるいは子供だけでも生かしたいとの思いで現地人に預けた子供たちだと言われます。
【参考】満蒙開拓団については、記事・写真などを以下のブログを拝借しました。朝日新聞アーカイブス―「開拓移民 父よ母よ兄弟よ すべて失い中国残留」http://www.asahi.com/information/db/history_photo/20070114.html


2017.08.14(
) NHKテレビ『原爆の絵は語る』
カミキリムシ?

8月3日放送のNHKテレビ『原爆の絵は語る~ヒロシマ 被爆直後の3日間』をご覧になった方も多いかと思います。私は当日見られなかったので録画、再生で見ました。

訴える力はカメラの何倍も強く、かつリアリティを感じました。絵とともに添えられた作者のコメントは胸を深くえぐり、揺さぶられ、あふれる涙をこらえられませんでした。

十把一からげにして「何人犠牲になった」という数字は何も語ってくれませんが、絵による訴求力は圧倒的で、原爆の悲惨さと非人道性・むごさをあらためて認識しました。

以前聞いたことがあります。「世界で初めて原爆を実戦に用いたアメリカは、原爆の悲惨さを写した写真展を申し出ても決して許可してくれない」と。

NHKのこの番組を、世界のテレビ局が取り上げ、放映してくれたら、いかに人道に反したひどい殺人兵器であるかということを、まっすぐに受け止めることと思います。

被爆地長崎の市長は、原爆被害者慰霊式典で被爆国日本が先の原発使用禁止条約に参加しなかったことを強く非難していました。国政を預かる政治家たちにあのテレビをぜひ見てもらいたい。

2017.07.13()  地球号は満員

先日は、「外国人がびっくりする日本」のことを書きました。今日は日本人としてのビックリです。

中国とインドの人口をご存知ですか。約13億人、日本の10倍。
日本における国勢調査は、公園や駅などを調査員が回ってホームレスの数まで調べるという精密さ。しかし巨大な人口を抱える中国やインドは精密な数など到底無理でしょうね。
どんな管理・掌握をしているのか・・・掌握できるのだろうか。それがビックリです。中国は一党独裁ですから選挙は関係ないと思いますが、インドは選挙をどうやっているのでしょうか・・・考えると眠られなくなる(笑)

◆人口上位5か国(単位億人)
     中国13.8 ②インド13.1 ③米国3.2 ④インドネシア2.6 ⑤ブラジル2.1

◆世界人口推移


   西暦元年   1億人  
  1500年  5億人   
  1950年 25億人  
  1998年 60億人  
  2016年 73億人

西暦元年から1500年かけて5倍の5億人となり、それから450年でその15倍の25億人へと増加。そして25億人から73億人になるまでわずか66年しかかかっていません。いつ地球号が沈没するか、考えると眠れなくなる―これは笑ってはいられません―

●地球号がどのくらいの人口を支えられるのか?これには食料・資源・土地などあらゆる要素を検討しなくては答えは出ないと思いますが、あるwebには100億人と書かれていしまた。バーチャルな話ではないのかもしれません―また眠られなくなりそう(笑)

◆少子化・人口減が問題となっている日本。世界的視野で見れば、むしろ日本は優等生か?

2017.08.12() お盆

二十四節気・七十二候だと、今は立秋・涼風至(りょうふうたいる)。それにしては暑い。蛇足ながら二十四節気とは1年を24等分したもので立春から始まって大寒まで。七十二候は1節季を三等分(初候・次候・末候)したもの。七十二候を知ったのは、ラジオ深夜便の最後に今日の二十四節気と七十二候を言うようになってからです。

◆二十四節気・七十二候と関係ありませんが、なぜ東京と地方ではお盆が1ケ月ずれているのでしようか。Web検索すると以下の通り。
『江戸時代まで日本で使われていた太陰暦が、現在の太陽暦に変った。すると太陰歴より一ヶ月ほど早くなり、地方の農村部がなどでは農繁期にあたるため一ヶ月遅らせて815日をお盆とするようになった・・・・云々』
説得力は感じませんが、まあそういうことです。

◆さてお盆休み突入。山の日も加わってのlong vacation、鉄道も道路も空も人・人・人で難行苦行のスタートのようです。
我が家でも孫が来遊の予定・・・とは言っても、夜来て2泊、3日目には道路渋滞を避けて早朝に帰って行くらしい。滞在正味一日。
◆例によって混雑するプラットホームでのテレビ取材。小さい子は「おばあちゃんに会うの」とか「おばあちゃんと遊ぶの」  ここでも「おじいちゃん」の出番は無し、トホホホ・・・(´_`。)

2017.08.11(
) ―2―  何も変わっていない

昨日(10日)国会閉会中審査が行われたが、報道によると、稲田前防衛大臣や前次官の出席は必要ないとして欠席。加えて疑念は残されたままにもかかわらず、再調査を拒否して終了したとのこと。

◆安倍首相は7月19日、通常国会閉幕を受けて記者会見。『対応が二転三転し、国民の政府に対する不信を招いたことは率直に反省しなければならない。信なくば立たず真摯(しんし)に説明責任を果たしていくと強調。
◆第三次改造内閣発足の会見では『国民から多くの不審を招く結果となり、深く反省しお詫びしたい』と語っている。

どこが変わったのでしょうか。

2017.08.11(
) 福沢諭吉

夜明けが少し遅くなっています

福沢諭吉と言えば「一万円札」―普通はそう答えますよね。
ラジオのネタから福沢諭吉の話。私立大の雄と言えば早稲田・慶応。早稲田の創始者は大隈重信、慶應義塾は福沢諭吉です。
その諭吉ですが、縁のない平爺でも“学問のすすめ”―「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云へり」の一節だけは知っています。明治初期(1872年頃)の著作。

◆授業料無料の尋常小学校が始まったのは1900年で、15年後には通学率90%を超えるようになった。
「学問のすすめ」が出版された当時の人口は3千万人ほど。初版は約20万部、版を重ねて300万部にも達したらしい。つまり10人に一人は読んだという計算になります。

驚くのは、学問の大切さをいくら明快平易に説いたと言っても、娯楽小説でもない書が、これほど読まれたという事実と、義務教育の始まる以前の段階で、多くの人々が読解の力を有していたということです。

このような事実から、当時の日本の識字率は世界一だったと言えるのだそうです。何だか日本人であることが誇らしく思えてきます。(実は平爺は学問のすすめを紐といたことはありませんが)

【付記】―当時、日本と違ってイギリスやフランスではエリート教育は進んでいたが、庶民教育にはほとんど関心がなかったとのことです。

webで福沢・大隈を検索していたら、二人に似たような言葉がありました。
■福沢諭吉・・・『学問の本質は 学問を自分がどう活用できるかにかかっている。 現実社会に応用できないような学問は 無学と言われても当然である』

■大隈重信・・・『人間が生きるのは 社会の利益のために存在するということだ。 ただ生きてるのではつまらない』

2017.07.10 (木
)  ところ変われば

たまたま開いたネットに「日本に来た外国人が驚くこと」というのがありました。面白そうなのでちょっと目を通してみました。

■食器を持って食べる・・・欧米ではマナー違反
■麺をすすって食べる・・・海外ではすする習慣がない
■チップが不要・・・外国でも真似したらどうでしょうか

これぞ「深紅」か「濃いピンク」

■銭湯・・・日本独特の文化?も風前の灯です
■渋谷のスクランブル交差点・・・人の多さと整然さ
■電車が2分遅れても 大問題・・・外国人には当たり前?
■自動販売機・・・海外ならすぐに自販機ごと盗まれる
■生卵を食べる・・・新鮮な証拠なのにね
■ウォシュレットトイレ・・清潔さと機能にびっくり
■地震・・・イギリスでは17世紀の震度2が過去最大とか
■いただきます・・・外国人には「何それ?」
■おしぼりが出てくる・・・不思議で解せないサービス?
■表札・・・海外は名前ではなく住居番号らしい   ETC.

ところ変われば品変わる。どれも概ねよいことばかりでも、彼らにとっては理解不能な魔訶不思議。

2017.08.09(
) 原爆とポツダム宣言と310万人の犠牲者

1945年(昭和20年)89日午前1102分、長崎市上空で原爆がさく裂、ヒロシマの3日後です。
   被爆後5年間の死者  広島―20万人(市の人口は42万人)
             長崎―14万人(市の人口は24万人)

長崎平和の像―53年前の写真

◆ポツダム宣言とは、1945726(広島原爆投下の13日前)米国、英国、中国が日本へ突きつけた「無条件降伏」の最終通告。日本は最後の防衛線と言われた沖縄を放棄、制空権も失い敵機は日本本土上空を自由自在に飛び回り、全土を爆撃で焼き尽くしていました。このままでは国土の大半は焦土と化すことは必定、それでもなお軍部は降伏をためらっていたのです。
もしも、即時ポツダム宣言を受諾していたなら広島の悲劇も長崎の悲劇も避けることができただろうし、戦争末期の空襲による犠牲も避けられたかもしれない。

◆ようやくポツダム宣言受諾を決意したのは1945814日、そして同年92日、東京湾の戦艦ミズーリ号甲板で無条件降伏文書に調印、太平洋戦争は正式に終結しました。軍や為政者の判断ミスで、失わなくてもよかった命が、どれだけ無駄に消えたことか、遺族や肉親の人々の気持ちを思うと言葉もありません。

◆昭和16年12月8日、ハワイの真珠湾奇襲攻撃から3年8カ月に及ぶ悲惨な戦争で、日本人は軍人230万人、一般人80万人という膨大な数の犠牲者を出してしまいました。

53年前、新婚旅行で訪れた長崎平和公園の「平和の像」を思い浮かべながら祈りを捧げます。

2017.08.08(
) ガソリンにかかる税金の怪

今日は立秋、暑さの方は今真っ盛り。少しだけ秋に近づいてきていると思えば気も楽。

◆自動車を動かすにはガソリンは必需。そのガソリンにはどのような税金がかけられているか・・・。Webで調べるとガソリン価格の大部分は税金・・・価格の56割が税金とのこと。

揮発油税・地方道路税・軽油取引税・石油税があり、揮発油税及び地方道路税を通称「ガソリン税」と呼んでいます。マイカー族に直接縁のあるのがレギュラーやハイオクなどに課される税金です。

ここからが本題の「二重課税」についてです。
ガソリンにかかるガソリン税・軽油引取税・石油税には二重課税の問題がある。ガソリンスタンドに表示されているガソリン価格125円などという金額は、ソリン税(消費税ではありません)が含まれた価格です。ユーザーはその表示価格)に税を上乗せして支払うことになります。言い方を変えれば「ガソリン税の含まれた価格に、さらに8%の消費税を課す」・・・つまり『ガソリン税』に消費税がかる・・・分かりやすく言えば、税金に税金がかかるという二重課税?

この仕組みは耄碌した平爺の頭では理解不能です。

2017.08.07() 死語

ラジオで「ズック」という言葉が出てきました。耳にしたのは何十年ぶりのことだろう。若い人には何のことか見当もつかないかもしれません。平爺が子供のころは「運動靴」のようなものをそう呼んでいた記憶があります。ゴワゴワした繊維でできた靴です。今なら靴とも呼べないような粗末な代物、運動会などで大事に使ったのを思い出します。

ウォーキングをしながら、かつてはあたり前に使っていたのに、今は消えてしまったことばを思い出しながらメモってみました。ビーダマ・ハンカチーフ・床屋・ハイカラ・アベック・猿股(さるまた)・・・もっとたくさんあると思いますが、これしか思い出せませんでした。

逆に今の若者言葉は年寄りにはチンブンカンブン。言葉は生きていると言われます。生きているから変っていくということでしょう。もしも会話の中にこんな言葉が出てきたら■☆▼●○!★・・・・
  ◆おくちょ――送ってちょうだい
  ◆あーね/それな――あ~そうだよね/それはそうだよな

2017.08.06(
) ヒロシマ原爆から72年

   「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

1945年(昭和20年)86日午前815分、残忍極まりない原子爆弾が広島市上空で爆発、一瞬にして命を奪われた人、その年の年末までに亡くなった人、合わせて犠牲者は14万人と言われます。戦争とは直接関係のない一般市民がです。そこには良心も、人間性のかれらもありません。戦争とはそうしたものです。
テレビで放映される追悼式を見ながら、今日は手をあわせます。世界恒久の平和を願って・・・。

谷川俊太郎の「せんそうしない」という有名な詩です。お読みになってみてください。

  せんそうしない】

被爆した母と乳児
(写真はwebからの拝借)

   ちょうちょと ちょうちょは せんそうしない  
    きんぎょと きんぎょも せんそうしない
   くじらと くじらは せんそうしない
   すずめと かもめは せんそうしない
   すみれと ひまわり せんそうしない
   まつのき かしのき せんそうしない
   こどもと こどもは せんそうしない
    けんかはするけど せんそうしない
   せんそうするのは おとなと おとな
   じぶんのくにを まもるため 
   じぶんのこども まもるため

   でもせんそうすれば ころされる
   てきのこどもが ころされる
   みかたのこどもも ころされる
   ひとが ひとに ころされる
   しぬよりさきに ころされる
   ごはんと ぱんは せんそうしない
   わいんと にほんしゅ せんそうしない
   うみと かわは せんそうしない
   つきと ほしも せんそうしない
戦争をするのは、分別のあるはずの大人たちです。あの太平洋戦争だって、戦争を始めたのは分別のあるはずの大人たち、ヒロシマ・ナガサキに原爆を落としたのも分別のある大人です。
先の核兵器使用・保有禁止条約会議がありました。唯一の被爆国日本は、アメリカに同調して参加しませんでした。


2017.08.05(
) 死語

魚の骨のような雲

ラジオから「ズック」という言葉が出てきました。「ズック」か~懐かしいな~何十年ぶりかで耳に。若い人には何のことか見当もつかないでしょう。平爺が子供のころは「運動靴」のようなものをそう呼んでいました。ゴワゴワした繊維でできた靴です。今どき靴とも呼べないような粗末な代物、運動会などで大事に使ったのを思い出します。

◆ウォーキングをしながら、昔あたりまえに使ってたのに今では消えてしまったことばを思い出しながらメモってみました。ビーダマ・ハンカチーフ・床屋・ハイカラ・アベック・猿股(さるまた)・・・もっとたくさんあると思いますが、これくらいしか浮かんできません。
逆に今の若者言葉は年寄りにはチンブンカンブン。言葉は生きている、生きているから変っていく。その変化のスビードがいっそう早くなっている気がします。webを見ると
  ・「ワンチャン」 ・「ディスる」  ・「じわる」  ・「ドヤる」
  One Chance)(侮辱・貶める)(じわじわ笑いがこみ上げる)(ドヤ顔になる)
孫たちもこんな言葉を使っているのかな~

2017.08.04() 今月の教えのことば     

  亡き父母を  (なきふぼを)
   縁に出偶う  (えにしにであう)
   無量の仏   (むりょうのほとけ)

ウォーキングコースの途中にある寺院門前の掲示板が上記のように変わっていました。
web検索、ひの中の一部分を抜粋。http://higashihonganji.or.jp/sermon/radio/detail38_04.html

『いのちは、「寿命」と「生命」とがある。寿命は「長生きする。命が長い」。阿弥陀仏は無量寿、即ち限りなきいのちであり、私たち生物的な命は限りある。
両親を始めとして、数限りない生命が途中で誰一人欠けることなく、リレーされ、今ここにこうして人として私が存在している。だから私が今生きている生命は、私の私有物ではありません。

難しいことはわかりませんが、ある日忽然として私がこの世に生まれてきたわけではなく、母があり父があり、そのまた母があり父があり・・・・何百年、何千年、何万年とつながってきた命・・・・そう考えると不思議な気持ちになます。

◆安倍内閣改造。改造すべきは安倍総理自身だと思うのですがね―。目先の誤魔化しはもう通用すまい。

2017.08.03
 『矢筈』とは?

山の名前にはその意味や由来があります。たとえば形が吾妻屋に似ているから『吾妻山・四阿山・・』とか、「二つとない高い山→不二山」から転じて『富士山』など。日本でいちばん多いのは「城山」で287もあります。ほとんどが山城や砦などのあった山です。

「矢筈山」、「矢筈ケ山」というのも日本山名辞典を見ると30近くあり、平爺もいくつか登っています。「矢筈」とはなんだろう・・・以前から気にはなっていましたが、調べもせずに放置。
戦国時代が舞台の時代小説を読んでいると、弓の扱いの描写で「矢筈」と出てきました。捨て置けなくなり、ようやくその気になって調べてみました。
『矢の末端の弓弦を受ける部分』らしいがイマイチ理解が及びません。
  ・矢の一端(尾の部分)の弦にかける部分。
  ・掛軸をかける道具。先端が二股になった細い竹の棒。

図解を参照してようやくわかりました。先行きそう長くはない爺が『矢筈』を知ったところで仕方ありませんがネ(笑)

ついでに同名の数が多い上位の山を調べてみると以下のとおり。赤字は平爺が登った山の数です。

城山

287

8

丸山

169

9

権現

86

5

高山

82

1

大平

80

2

大森

64

0

烏帽子

55

12

飯森

52

2

妙見

52

0

高倉

50

0

天狗

48

16

茶臼

47

9

高森

45

2

高尾

44

6

黒森

42

0

国見

40

6

大山

38

6

天神

37

1

向山

36

1

竜王

35

4

中山

33

3

かなりいい加減な数字です。「山」と「岳」、「丸山」と「円山」などは同名扱いです。

2017.08.02
 地球は一つ、人類も一つ

北朝鮮によるICBM=大陸間弾道ミサイルのニュースが、連日のように報じられ、明日にでも日本に落ちて来そうな雰囲気で、容易ならざる緊迫感。ICBMは戦争ごっこの玩具ではない。核弾頭をつけて飛んで来たらヒロシマ・ナガサキの比ではないでしょう。ところで・・・

国内総生産(US$換算)・・・この数字、ケタなどが間違っていたらゴメン
  日本   約1兆ドル
  北朝鮮 約250億ドル・・・日本の40分の一

怖いのはこの程度の経済力を持ってしても、核兵器やミサイルの開発が可能という事実です。かつて軍・民区別しない貧者の兵器と言われた残忍な地雷や毒ガスなどの化学兵器は国連決議で使用禁止となりました。
今や経済力に劣る北朝鮮のような小国でも、核兵器やミサイルを持つことができる。やがて世界中の小国にも拡散、ISも核保有が可能になるかも知れず、恐怖がつのります。

このまま推移すれば、そう遠くない将来、人類は滅ぶかもしれない。地球人はそのことに思いをいたし、何とかその脅威を取り払わなくてはいけない。地球は一つ、人類も一つ、みんながそう思える日は来るのだろうか・・・・。
科学の進歩は人間を幸せにするだけではない、不幸も連れてくる。

2017.08.01(
) ブライド(矜持)を捨てた政治家たち

◆何日か前、webで見た記事、その一部をコピーしました。

明けの明星―昨朝4時15分

《安倍首相自身は「悪い時には悪いことが重なる」と思っているだろうが、このことは決して偶然に起こったことではない。これまでお友達内閣の度重なる弊害には目をつぶり、国政私物化の事実や責任を一切取ろうとしない積年の弊害が、ここにきて一挙に表面化しただけのことだ。来るべき時が来たのであり、自民党が安倍首相に追求が及ばないようにどれだけ野党の質問時間を削っても、国民は見るべきところを見ている。国民の信頼を失った首相はもはや「水に落ちた犬」同然なのであり、溺れるほかはないのである。待っているのは、内閣改造という次の難関だ。安倍政権は支持率が落ちるたびに内閣改造を繰り返し、表面だけを変えて国民の目をごまかしてきた。でも、そんな姑息な方法はもう通用しない。死に体になった安倍政権と心中するような馬鹿な政治家はいないだろうし、いたとすれば、それは「閣僚不適格」の人材が集まるだけの話だ。すでに改造前の世論調査においてさえ、内閣改造に「期待しない」が過半数に達している。(中略)有終の美を飾るといった表現には似つかわしくない人物であるが、「野垂れ死にだけはするな」との最期の言葉を送りたい》

◆政治の質の低下を証明するような今年のできごと。代議士の名前と無能の所以(ゆえん)をつないで下さい。

「このハゲッー」、恥の見本。下品な罵詈雑言・恫喝 精神異□?  2017―躍り出た有名人
 今村復興相

 今村復興相

 今井絵理子議員
 大西議員
 大西議員

 金田法相

 今井絵理子議員

 務台政務官

 山本農水相

 中川議員
 
豊田議員
 稲田防衛相
「ガン患者は働かなくていい」まさに国民の負託に背を向ける政治屋
不倫・不貞、重婚、見つからなければ何でもありの恥知らず 
「嘘」「記憶相違」「隠蔽」みごと使い分けの悪知恵大臣・・悪女か? 
メディアの質問にウルサイッ、出ていけと切れる未成熟おっさん
ぼくちゃん、お水が怖いの~誰かおんぶして~ 幼稚園年少組さんなの
議会の答弁、小学生並みの原稿棒読み、ああ情けなや 大臣様
マスコミを黙らせるには広告料を無くせばいい・・・ヤクザ流の政治力
共謀罪答弁にオタオタ、シドロモドロで意味不明 見ていてイタイタシイ
品性の無さ丸だしツイッター、まさに矜持もなへったくれもなし 
「東北で良かった」発言、おつむの中はどうなってんの・・・?
不倫疑惑に「一線を超えていない」と弁明。一線て何か解説してよ

国民の負託に応えるだけの最低限の資質・矜持も持ちあわていない政治家が多すぎますが、選挙に際して有権者は候補者の資質・人物像まで知ることができません。しかし政治に無関心な国民の責任が問われることもまた事実だと思います。(月初から暗くなるようなことを書いてすみません)

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