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2017年09月
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2017.09.30(土) 「君の名は」
認知症ボラで平爺が大切にしていること・・・それは「利用者の皆さんと一緒に何かをすること」、一人芝居の自己満足では意味がありません。テーブル、冬ならコタツを囲んで5~8人が一緒に楽しむひとときです。 ◆唱歌や4~50年前に流行った懐メロをよく歌います。皆さん歌が大好き。数えたことはありませんが、誰でも知っている歌100曲以上をPCでプリント、訪問時には必ず携行。 リンゴの唄・青い山脈・緑の地平線・人生の並木道・湖畔の宿・南国土佐をあとにして、鐘の鳴る丘・・・・赤トンボ、紅葉、月の砂漠、おぼろ月夜・・・その日の気分で数曲から10曲近く歌います。歌いたい曲を利用者の方に選んでもらうこともあります。歳を忘れて満足げに一生懸命に歌う姿がとても素敵です。 (想像してみてください・・音痴で鳴る平爺が先生ずらして歌っている様子を。おおいに笑っちゃいますよネ) 「故郷―兎追いし・・」を作詞したのはだれでしたか・・・「高野辰之」と何人かから返ってきます。そのあとみんなで合唱。ふと、認知症って何だろうと思ってしまいます。 ◆怒りっぽい、被害妄想、暴言につながりやすいレビー小体型認知症の方がいないのも、私ごとき者がボラを続けていく上で幸いしています。
◆昨朝のウォーキングは雨降り。気乗りしないな~それでも休むという選択肢は浮かばない。こうもり傘にゴム長靴でスタート、いつもより30分ほど遅い4時35分。歩きなれたいつもの道は暗くても問題なし。 ◆もう一度同じルートを歩いて探してみるか・・・・。 ウォーキングに携行するのは万一事故などに遭った時の連絡のため・・・そう妻から強要されているから。
畑の脇を歩いていると、季節がら大きくなりきれないナスが目につきます。 この時期のナスを「秋ナス」と言いますが『秋ナスは嫁に食べさせるな』と言われます。私の知識では、特に美味い秋ナスは憎い嫁に食わせてなるものか・・という姑の意地悪を誇張したもの。そんなにうまいとは思いませんがネ。姑も自分が嫁入りした当時の嫁いびりの仕返しを・・・そんな世代連鎖? 昔から嫁と姑の確執は定評もの、平爺の母も同じ辛酸をなめてきたようです。可哀想だから娘は長男のところへは嫁にやりたくないい・・・そんな願望が世間の親にはあったようです。長男と結婚して親と同居という割合は、今は4分の一程度とか。「秋ナスは嫁に・・・」は、もはや死語となりにけり・・・ですね。
◆実は「秋ナスは嫁に食わすな」の本当の意味は別にあるとか 単なる嫁いびりなのか、それとも嫁への思いやりか。ものには何でも裏と表がある。単純ではないようです。
日記のネタメモに「てにおは」?。かなり前に書いたものらしい。どういう脈絡でメモったのか記憶がない。たぶん文章に関する話を耳にしてのことだろう。Web検索してみる。
◆初っ端に『外国語には見られない日本語特有のもので、日本語の基礎』ときたもんです。そしてもの書きなら一度は目にした事がある・・云々。
◆「は」「を」「が」「も」「に」など、語句と他の語句との関係を示したり、文章に一定の意味を加えたりするのを、「てにをは」という・・・何だか難しそう。 「てにをは」を間違えると意味が伝わらないという。まさに「基礎」ということか。
◍ て…泣い「て」、笑っ「て」 ◆「てにをは」の使い方を誤ると、文章のつじつまが合わなくなったり、ニュアンスが異なってくるので要注意・・・というが???。 ①私はこの本を30分で速読することができます。 訳の分からないことを書いてすません。よもやま日記はかろうじて意味が通じているものと勝手に推測しながら、肩の力を抜いて綴っていきたいと思います。
『国難突破解散』ですって・・・本気? 笑えるよね、この人、何考えてんのかな~?
数の力で有無を言わさず何だってやってしまう。
◆今朝のウォーキング。車に轢かれた蛇が道の真ん中にのびていました。はたして『国難突破解散』の結果は吉と出るか凶と出るか? 秋たけなわ、これから冬に向かって星空が美しい季節。 何日か前、夜明けにはまだ時間のある未明ウォーキング。秋冷の空に零れ落ちんばかりの星のまたたき。視力の良かったころならこの倍も3倍もの星が見えたに違いない。 ◆星空で忘れられないのは、南アルプス南部縦走の時に泊った百間洞の山小屋(約2600m)で仰いだ星空。プラネタリュウムと見まがうような満天を埋めつくす無数の星々。山行記録には次のように記してあります。 1日目―椹島-千枚小屋
◆ついでに夕焼けの記憶もひとつ 『小屋の前に出て落日に見入った。西の空を真っ赤に焼き、天空いっぱいにオーロラのような夕焼けを演出してくれた。こんなに素晴らしい夕焼けを見たのはいつのことか思い出せない。里では見ることのできない素晴らしい落日だった』 1日目―折立(6.50)---太郎兵衛平---祖母岳---雲ノ平山荘---祖父岳---雲ノ平山荘(15.25)2日目―雲ノ平山荘(5.20)---高天原山荘---高天原温泉---高天原峠---薬師沢小屋---
半月ほど前、夏の名残りの暑かった正午ころ、網戸に小さな昆虫がとまっていた。1時間ほどして見みると同じ場所にとまったまま・・・さらに2時間、動いた様子はない、よほどそこが気に入ったらしい? 漢字で『鹿子蛾』、翅(羽)は確かに鹿の子模様。『ヒトリガ科カノコガ亜科の蛾で昼行性。幼虫はタンポポの枯れ葉を食草、成虫は花の蜜を吸う・・・』云々。 ◆世の中、虫嫌いの人は結構多いようです。我が家のカミさんもその手合い。小さな虫でも部屋に侵入したら大騒ぎ、ましてやゴキブリや蜘蛛でもいたら戦争騒ぎだ。その点平爺は気にならない方。ただし一つダメなのは『蛾』、大きな奴は絶対に触れない。カノコガは蛾の仲間とは言え小さくて可愛くて、とても蛾の仲間とは思えない。平爺にはミニサイズの蝶に見える。「平を思い切り困らせたければ大きな蛾一匹あれば十分(笑)」 ◆脈絡もなく「一寸の虫にも五分の魂」が思い浮かぶ。長いことこの言葉耳にしてないな~。凶悪犯罪、テロ、ミサイル、核兵器、戦争・・・人の命の重みも軽くなりつつ・・・ 中二の孫娘が通っているのは中高女子校。学校の文化祭とうことで見に行ってきました。
何とあのダサイ平爺の孫がダンス部?想像がつかない。猛練習してきた(させられてきた)らしい。そういえば小さいころから飛んだり跳ねたりするのがけっこう好きだった。テレビなどでカッコよく踊っている姿に憧れを抱くのは、今どき平均的な女の子というところかもしれない。 ◆考えてみれば、平爺は社会人になる前「青春」と言えるようなものはなかったよな~ 思い出せるようなピカピカのひとコマも見当たらない。しかしそれを残念がったり不満として抱えてきたこともなかった。そういう時代だったということでしょう。 ちなみに今年大学へ進学した孫娘はスキーサークル。ゲレンデデビューは3歳のとき、それ相応の技量は身につけています。サークルでは「新人のホープ」と言われているとかいないとか・・・? 蟋蟀(こおろぎ)の合唱が最高潮です。
2007.09.22(金) ロマンと好奇心をそそる宇宙―惑星探査機
平爺がテレビで90%見ない番組はドタバタバラエティもの。たまに笑点を見るくらい。どうして?と聞かれても「面白くも可笑しくも関心もないから」というより説明のしようがありません。 ◆13年にわたり土星を観測してきた探査機「カッシーニ」が15日、土星の大気圏に突入して役目を終えたという報道。衛星エンケラドスでは地球外生命につながる発見があったと言います。地球に初めて生命が誕生したのと同じような生命だろうか。 カッシーニは打ち上げ後7年ほどの年月を経て土星軌道に入り、その後土星の近くを回りながら観測をつづけ、土星の衛星・エンケラドスに生命が存在する可能性がある「海」が見つかったと。もし生命が存在しているとすれば・・・興味津々です。 宇宙ほど大きなロマンはありません。理数系がダメな平爺が宇宙の話が好きというのも不思議なことですが、ただ話として楽しむだけのことです。
◆炎暑の真夏、暑さが楽しくてならないように咲く花は「向日葵=ヒマワリ」、あの明るさがまさに夏の代表選手。小さかったころ、子供の目線からはやたらと背の高い花だった記憶が残っている。 ◆秋の気配とともに次の主役は秋桜(=コスモス)。山間の田舎道を歩いていると、自然石を積んだ石垣の民家の庭に、何株かのピンクや白の花が風にそよいでいた風景が目に浮かぶ。昨今は観光用に広大なコスモス園があっちこっちにある。それはそれでみごとですが、昔のような風情は感じません。似合う咲き場所というものはあるものです。コスモスが終わると冬も近づきます。 山口百恵の「秋桜」が好きです。 ♪ 淡紅の秋桜が秋の日の何気ない 陽溜りに揺れている
昨朝4時45分、気持ちよく澄んだ空に糸のように痩せた下弦の月。その斜め上には明けの明星「金星」、そして月のすぐ左下に光る星は? 残った2都市パリ、ロスを「次とその次」に決めておかないと、手をあげる都市がないかもしれない。そんな危惧があって異例の2回分を決めたということでしょうか。 ◆東京五輪の総費用は3兆円とか。確かに膨大。それだけの値打ちがオリンピックにあるのだろうか。国威発揚の場と化したオリンピック、「参加することに意義がある」と信じている人はまずいないと思います。私自身、オリンピックと聞いても、気持ちはぜんぜん昂りません(へそ曲り?)。規模縮小(競技種目の削減や施設の簡素化等)がない限り、オリンピックをこの先長く続けていくことは難しくなるのではないか。そんな気持ちで傍観しています。 ◆ロス開催の2028年、平爺は91才。生存の可能性は限りなくゼロに近い。オリンピックがどうなるか案ずる必要もないが(笑)
太平洋戦争に関係したテレビ番組は、その大半か夏に集中します。今年の夏も番組表から選び、録画したりして極力多く見るようにしました。過酷なインパール作戦の実態、広島の悲惨さを描いた多数の原爆の絵、原爆死-ヒロシマ72年目の理真実、満州開拓民のこと、本土空襲、置き去りにされ自害して果てた樺太の邦人女性たち、人体実験の731部隊の真実・・・・ ◆真実があまり語られない特攻=特別攻撃隊。その次元はイスラム国の自爆テロと同列。若者が爆誕を積んだ飛行機もろとも敵艦に体当たり、あるいは回天=潜水ボートを操縦して敵艦の船腹に体当たりして自爆。軍はこれを作戦と呼ぶも、自殺強要とどこが違うのでしょうか。時の軍指導者は戦後、若くして散って行った若者たちや遺族に、公の場で謝罪表明したことがあったでしょうか。戦死すれば靖国の神となる・・・そう叩き込まれ洗脳され、青春も知らずに散っていった若者たち。 ◆何日か前のラジオで耳にしました。特攻隊員の宿舎で身の回りの世話をしていたある女性のことば。明日は特攻に飛び立つという夜、部屋をのぞくと少年兵士が「お母さん」と言って泣いていたと。 ◆「戦争」に対する拒否反応が、年月と共に次第に薄くなっていくような気がするのは平爺だけでしょうか。 日本の行く末を案じ、太平洋戦争は遠くなりにけり・・・の思いがぬぐえません。 連日つづく北朝鮮核実験と核弾頭ミサイル報道は、あたかも戦争前夜の感、。明日にでも日本が攻撃されるかのような錯覚に陥ります。
◆72年前、日本海軍が密かに作戦を練り、真珠湾奇襲攻撃をしたときも、米国は予想もしていなかったでしょう。日本から煮え湯を飲まされたトラウマの名残か、アメリカの反応は過剰過ぎないか。アメリカが本気になれば、小国北朝鮮など赤子の手をひねるようなもの・・・と想像するのだが。 北朝鮮の日本へのむき出しの憎悪感、それはアメリカと一体となって行動し、同盟を結ぶ日本は「アメリカの傀儡」という見方しかないのかもしれない。 ◆今いちばん気になるのは、この危機を利用して軍備増強、さらなる軍事行動の許容範囲拡大、ひいては憲法改正によって「戦争のできる国」へと突っ走る可能性はないのかという危惧。虎視眈々と機をうかがう憲法改正就中憲法九条に手を付けようとしている安倍政権を見ていると、あながち杞憂とは言っていられない気がします。 ◆去る15日、山へ登ったとき、市の拡声器から何か聞こえてくるが言葉は聞き取れない。児童登校の見守りをしているおばさんが「また何か放送していたが意味がわからなかったよ・・・」どうやらアラートのことらしい。帰宅してケータイを見ると同じように注意報が入っていました。子供のころ体験した警戒警報が甦りました。 ◆戦争だけはまっぴらです・・・、ラジオで老婦人が言っていました。そして 気温13℃の秋冷・・・ウォーキングも長袖に薄手のウインドヤッケ ◆それから1年余、結局平爺が理解に行き着く前に巷の話題から消えてしまった。あの騒ぎはいったい何だったのか・・・流行のサイクルは1年と持たない、代わり身の早いこと。 ******************
80を超えた平爺には、時の流れについて行くのは容易ではない。そろそろ隠遁の時期ということか・・・。そう、昔は「隠居」というのがありました。「隠居」を広辞苑で引くと 妻とたった二人の家族では家督も戸主も関係なし。だとすれば「隠居」もできないということになりますが・・・さてどうしましょう(笑)
昨日のよもやま日記末尾に、暗号めいた「丘丘丘+1」と書きました。何だこりゃ・・・と思われたでしょうか。「999+1=1000」です。 ウォーキング連続1000日目の昨日、川中島古戦場史跡「八幡原」をスタート、上杉謙信が陣営を設けたといわれる小高い山=妻女山(411m)からその先の藪っぽい斜面を天城山(695m)方面へとたどりました。歩行時間3時間40分、1000日仕上としては、まあこんなものか・・・という感じ。 ◆10年日記を見ると、74才(2011年)まではほぼ毎日30分~1時間程度の早朝ランニングを実行。 ◆結願後は気抜け状態、ランニングはときどき、ウォーキングが主体。ときにはズル休みもあり。そして気が付くとランニングは稀となり、ウォーキングのみになって現在に至ります。 ●かつて(1984年・47才の頃)、多忙な現役サラリーマンの身で、一日も休まず平均10kmランニングを1000日続けたことがあります。それに比べたらウォーキング1000日連続など語るも恥ずかしいほどのことです。今振り返ると1000日連続ランニングは私にとっては生涯最高の誇らしいイベントでした(自我自賛―笑―)。 ◍最近の一日平均ウォーキング時間
平爺の三つの座右の銘(下記)をかみしめ、これからも歩けるうちは健康ウォーキングをつづけるつもりです。
台風来襲の兆しでしょうか
◆「丘岡」と書いた何日か前のメモがある。「そうだ未解決」・・・広辞苑を手に取る。すると「岡・丘」と載っている。つまり両者は同じと言うことだ。それなら、まだ未解決、それで悩むことはないが、広辞苑の解説は「土地の小高いところ・低い山・小山」。意味も同一なのになぜ漢字が二つあるわけ?疑問は解けませんでした。 ◆「岡田」という知り合いはいますが、「丘」のつく姓は見た記憶がない・・・。 ◆地名で「丘」のつくものはたくさんあります。特に新興開発住宅地などには桜が丘・百合ヶ丘・緑ヶ丘・泉ヶ丘・・・これには「岡」は使いません。何か法則のようなものがあるのでしょうネ。 ◆音読みは、丘―「キュウ」 岡―「コウ」 くだらない話はここまで。 突然お金の話ですみません。「お金」は誰しも大好き・・・かな? 問1―通貨の国名・・・紙幣―NLPPON GINKO 貨幣―日本国 ●●1万円~5万円 ●
5万円~10万円 ●10万円~20万円 ●置かない
●1円~ 1万円
問5―古い500円紙幣や硬貨などは今でも使えますか?たとえば板垣退助の百円紙幣、東京オリンピック記念10万円金貨、EXPO記念500円貨、国会議事堂図柄の10円紙幣、穴あき50円貨幣・・・など 問5―日本中の紙幣160億枚を積み重ねると富士山の約425倍の高さ
突然お金の話ですみません。「お金」は誰しもが大好き・・・かな?
◆毎日見たり触ったりしているお金ですが、意外と知らないこともあります。そこでお金のクイズ 問1―紙幣・硬貨には国名が印刷または刻字されています。どのように表示されていますか?
昨日の日記で「スズメがエサ台に来なくなった、もしかすると稲の稔るこの時期、それをちょっと失敬して満腹しているのかもしれない」と書きました。 昨夕、案山子の写真が欲しくて徒歩15分ほど先の、小学校運動場に隣接する田んぼ道を歩いていると、平爺の姿を見て稲の中から50羽、いや100羽以上のスズメが一斉に飛び立ち、運動場の高いフェンスにずらりと止まりました。 我が家に来なくなった原因は、思った通り稔った稲の穂があったから・・・それに違いありません。お百姓さんにはお気の毒なことです。稲刈りが終われば、また我が家のエサ台へ戻ってくると思います。 文明進化した今どき「案山子―かかし」?・・・と思ってしまいますが、実りの季節を迎えた田んぼには、ところどころ案山子が立っています。効果があるのかな~。
昔、案山子と言えば、敗れ半纏に穴の空いた麦藁帽子、顔は“へのへのもへじ”が定番。今はアニメに出てくるような身なりでハイカラ、時代が変われば案山子も変わります。 ◆ところで、何日か前より我が家のエサ台にスズメが寄り付きません。原因はエサを変えたためか、それとも猫にでも襲われて用心してしまったのか・・・・ちょっと淋しくなりました。 ◆子供のころ、1月に「烏追い」という行事があったのをおぼろげに記憶しています。子供たちが口々に何か叫びながら田んぼの周りを歩くだけです。鳥とは、秋の実りを食い荒らす害鳥―主としてスズメの食害が無いようにと願う行事だったと思います。 ◆もう一つ思い出しました。カーバイトを爆発させ、打ち上げ花火のような音で威嚇していた方法。驚いたスズメがいっせいに飛び立つ様子が目に浮かびます。
◆7日から二十四節気は「白露」、七十二候の初候は「草露白―クサツユシロシ」。それに合わせるように昨早朝の寒暖計は13℃で寒気を感じました。季節が移り変わったのがはっきりとわかります。
桃の節句、端午の節句など、節句は1年に5つあります。
◆昨日のウォーキングはいつもより20分遅い4時半スタート。長袖トレーナーにごく薄手のウインドウヤッケ。 ◆胸骨圧迫骨折のケガは、その後順調に回復途上・・・2時間ほどのウォーキングも問題ない感じになってきたのに、昨日は背中から腰部にかけて気になる痛み、なぜ?まだ油断は禁物かもしれません。もしかするとこの状態が死ぬまで続くのかも・・・それならそれで諦めるか覚悟をするより仕方ありません。 ◆幼児虐待のニュースや記事が珍しくない時世。人々の心がすさみ、荒廃しているのでしょうかね。どんな理由があるにせよ、涙がでるほど可哀想。平爺には孫が二人います。女の子です。目の中へ入れても痛くないほど可愛い孫です。上は大学1年、下は中学2年になりました。小さい頃はおじいちゃんを友だちと思ってたみたいです。
◆赤ん坊のころの孫娘を撮った動画は、VHSテープに保存しておきましたが、現在は再生機器がありません(製造されていな)。代わりにCDへダビングする業者があり、20本ほど送ると1週間ほどでCDになって戻ってきました。 我が子のときはまだ動画で残す手立てはなく、生まれて10年ほどしてから8ミリフィルム映写機が市販されるようになり、それで撮った動画が10巻ほど残っていました。しかし映写機が使えなくなってしまいて見ることができずに放置。調べてみたらCDへダビングしてくれる業者があることがわかりました。近々にお願いしようと思っています。 ◆一方、幼児虐待のニュースがあとを絶ちません。見聞きするのもつらいです。天使のような可愛い子供をどうして・・・我々には理解できない深い闇があるのでしょう。 ◆朝日新聞「あのね」から。子供って純粋ですよね~ ・電車が大好き。保育園の帰りに飛行機雲を見つけて、ママに「あ、飛行機のせんろー」
先日、久しぶりに「いわずに おれない」を手に取り、あらためて染み入るような心地よさを味わいましたが、もう1冊、書棚に眠っていた「くじけないで」(柴田トヨ著 105才没)を手に取ってみました。下記の詩は亡くなる2年前のもの。 一語一語ゆっくりお読みになってみてください。「/」は改行です。
一人で生きていく / と 決めた時から 朝陽も / 射してくる筈よ ◆この詩とは関係ありませんが、ラジオ深夜便で耳にすることばが浮かびました。 『嘆き始めたばかりなのに「明けない夜は無い」は早くはないですか。「明けない夜は長い」と云う意味でもあるわけで、泣きだしたばっかりの人に涙はいずれ乾くよといきなり云うのはおかしいと思う。覚悟を促す言葉ではないかと思って、「朝が来なければ、夜は永遠に続くからな」と松岡さんは訳した。私としては更に「明けない夜もある」と訳したい。自然現象のように時間が経てば自然に消えてゆくと思われるが、心の闇はそうはいかないと思う。(時間とともに癒されない悲しさもあると思う)そういったことを知っておくことも必要だと思います』
なぜこんなことを書くかと言えば、深夜便担当の某女子アナ。番組終了の締めことばは
先だって、あとひと月で1000日連続ウォーキング実現と書きましたが、あと1週間となりました。昨日は雨の中、傘をさして1時間40分、少し秋めいてきて一番歩きやすいときです。 ◆ウォーキングの時間はよもやま日記のネタを考える時間でもあります。とりわけ夜明けが遅くなって、風景が見えないときは考えるのに適しています。何となくラジオ深夜便を聴きながらですが、その中にネタになりそうなヒントがあると単語だけメモっておきます。ベンと紙は必携品です。 メモはときどき整理・廃棄しますが、机の上にたまったメモを数えてみると102枚。何を書くつもりだったのか思い出せないものばかり。
◆8/23~9/6頃は二十四節気の処暑。それを三つ(初候、次候、末候)に分けたのが七十二候で、今は末候の「禾乃登(こくものすなわちみのる)」です。ラジオ深夜便で毎朝教えてくれます。 ◆昨日はボラの日、相手は7名。最初は恒例により「故郷」を合唱。次いで綾取り(あやとり)やお手玉で少し遊び、次はいろはかカルタの下の句を見て、上の句を思い出す遊び。8割がた誰かが正解を出します。上の句から下の句を思い出すのはほぼ100%できます。 ボラの時間はおおよそ1時間15分。「あれ・・・もう帰っちゃうの」と言うのは職員さん。でもけっこう緊張の1時間15分、今日一日だけなら2時間でも3時間でも・・・しかし毎週となるとこのくらいが限度かな~と自分では決めています。
寺院の掲示板が書きかえられました。今月のことばは 『失敗して 失って 大事にものに 気づいていく』 俗人の脳裏に真っ先に浮かぶのは≪失恋≫でしょうか。失恋の経験もない平爺には無縁ですが・・・・
ガンジーのことば 旧聞ですみません
◆最初はアメリカでの話。52才の女性が880億円宝くじ大当たり。
他人の財布勘定をするつもりはありませんが、仮に…仮にですよ100才まで生きたとして残り48年。880億円を使い切るには「¥8800000000÷48年=1833333333円」、つまり毎年18億円以上使わなくてはならない。一日換算500万円、使うことも大変、覚悟がいりそうです。
このお方、お金に埋もれてこれからどうやって生きて行くのでしょうか。使うお手伝いなら喜んでさせていただきますが(笑)。他人事ながら気になるのが貧乏人の性。
◆次は、神戸不倫市議ハシケンの話。自民党今井絵理子参議院議員との不適切な交際と『政務活動費の不正受給』のことが茶の間にかっこうの話題を提供中。不正受給の880億円に比べたら実にいじましいたったの720万円。しかし世間に与えたインパクトはこのいじましい方が格上、断じて許されない。
平爺は、昔から「権威」というものには抵抗感があります。それは振り回す「権力」と表裏の関係になりがちだからです。広辞苑で「権威」を見ると
◆世界的トランぺット奏者の日野氏のニュース。それは衆目の前で行われた暴力行為。それを真っ向から否定する意見と、ある程度は容認してもいいのではないかという意見。 指導者の熱心さが少し行き過ぎただけ・・・という弁解もありますが、本当にそうでしょうか。素直には受け止められません。
◆数日前のこと。小雨降る中のウォーキング。歩きはじめて3~40分するとようやく薄明が兆してきた。堤防の道、足元に小さな動物が仰向けに横たわっている・・・踏んづけそうになり、あわてて足を避けた。よく見るとモグラの死骸・・・どうしてこんなところに死んでいるのか。車がやっと通れるほどの道、もしかすると耕運機にでも轢かれたのか?耕運機程度の速度なら容易に逃げることも可能だったろうに。 それにしてもなぜ地下が棲みかのモグラが地上に出てきて事故に遭ったのか。たぶん運が悪かったのだろう。ほおっておくとカラスのエサになってしまう。それは可哀想、そっと指でつまみ、草の茂みの中へ移しておきました。そこが昇天したモグラの墓。 ◆毎年受けている人間ドックで、前立腺ガンの腫瘍マーカーPSAの数値が少しづつ上昇傾向をたどり、今年はついに警戒ラインを超えてしまった。転移可能性が高い肺と骨の検査(CTと骨シンチ)を実施。結果は再発・転移の兆候は認められず、PSA値もやや改善。やれやれ・・・・ 2017.0.9.01(日) ―関東大震災から94年 9月1日は防災の日。1923年のこの日、首都東京を中心とする関東大地震が発生、死者行方不明者は10万5千人にのぼると言われます。
◆このとき、大混乱のなかで「朝鮮人が暴動を起こす」とか「朝鮮人が井戸に毒を入れた」等のデマが流れ、朝鮮人を虐殺するという事件が起きたと伝えられています。その数は1000人以上とか。 毎年この日には、朝鮮人犠牲者の追悼式に東京都知事名で追悼文を送ってきたが、小池知事は「今年は控えたい」との表明があったと新聞が伝えていました。小池知事としての理由や思いはあるのでしょうが、追悼することが悪いこととは思えません。なぜ控えるのでしょうか。これがまた韓国の日本への反発にならなければいいのですが。 ◆太平洋戦争末期、日本は連合軍に押されて敗戦は決定的。それでもなお本土決戦において最後の一兵まで戦うという気ちがいじみたことを言って、戦争犠牲者をどんどん増やしていくという窮状。 その本土決戦に備え、長野市郊外の皆神山周辺に巨大な地下壕を掘り、そこへ大本営を移動する計画を立案。地下壕には政府、日本放送協会、中央電話局など軍・政の中枢を移転、地上部には天皇御座所、皇后御座所、宮内省の使う建物も造ることになった。 この大工事には、周辺住民のほか、多くの朝鮮人が徴用され、過酷な作業にあたった。数字は不明ですが、多くの朝鮮人労働者が死亡したと言われています。 |