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2017.01.31 (火) アニメ映画二つ
最近話題になった映画と言えば「君の名は」と「この世界の片隅で」の2本でしょうか。 1月6日に「君の名は」、そして昨日は「この世界の・・・」を観てきました。映画を見たのは何年ぶりだろうか。テレビのニュースでも取り上げられるほどの評判につられてその気になりました。テレビドラマを見ていれば十分と思っていましたが、大スクリーンの映画にはそれなりの良さがありました。昔、娯楽の王様と言えば映画館へ行くこと、時代は変わりました。 ◍「君の名は」・・・数寄屋橋の春樹と真知子のすれ違い映画のアニメ版と勘違いしそうですが、全く別物。アニメに乗り遅れた平爺にはイマイチどうという感想もなく、途中で少し居眠りしてしまいました。言ってみれば、いかにもアニメ娯楽映画という感想。 ◍「この世界の片隅で」・・・悲惨な戦争の中でもたんたんと営まれる一般市民の生活が描かれ、アニメにありがちな大げさな描写もないのが、かえって胸に響くものがありました。良い映画でした。 ネットで調べると
「この世界・・・」の製作費は、篤志家など多くの人々の協力で作成費を賄ったということです。あからさまに反戦を押し付けるような描写はありませんくが、戦争という時流に否応なく流されてながらも、片隅で生き続ける家族の姿が、かえって反戦へのインパクトとして伝わってきました。
連日のように、相手をいっさい忖度しない一方的な発言を続けるトランプ大統領。 「指先外交」の造語まであらわれる始末?、何のことかと思ったら、ツイッターでのつぶやき発言。指でキーをたたき、独断と偏見で言いたい放題、大切な外交事項までも・・・世界はアメリカのためにあるのだ!!???。 俺は偉いんだ、俺が正義だ、俺が法律だ、異を唱えるやつは敵だ、徹底的にやっつけてやる・・・・ 2016.01.29(日) さぼり 午後から「この世界の片隅で」を観に行ってきます。
本日の日記はお休み・・・サボりです。
昨夕は春を思わせる陽気、雪がだいぶ解けました。 そして久しぶりに夕焼けが見られました。
どっちでもいいことが、ふと気になったりすることがあります。 ◆音もなく雪が降り続いている。こんなときには「霏々」として雪が降る・・・見たか聞いたかして何となく頭の隅に『霏々』が残っている。調べてみるとこうしたものを擬音語というそだ。「♪雪やこんこ・・・」というのもありますね。
風がヒューヒュー吹いている。雨がザアザア降っている。シトシト降っている。遠くでゴロゴロと雷の音がする。小川がサラサラと流れている。サヤサヤと草原を風が渡って行く。水滴がボタンボタンと落ちている。
音もなく降っている雪に擬音というのも変な気がしますが、霏々という音感からはその降り方が目に浮かびます。 ◆「役人天国」とは昔から言われてきた言葉で羨望・非難などが入り混じったことば、今はイメージも変わってきていると思っていたが、文科省の高等教育局長が早稲田大学教授に天下りしたニュースが大きく報道されるのを目の当たりにすると、まだまだのようです。 ニュースを見た瞬間、脳裏をよぎったのは民主党政権時代の“事業仕分け”、その実況放送を固唾を飲んで見守ったことを思い出しました。
◆独立行政法人をWebで検索してみると、2016年4月現在、その数は88。国庫支出額は合計2兆8020億円と出ていました。以下は文科省関係のごく一部、金額は国庫支出額です。 日本スポーツ振興センター 166億円
◆今回の官庁と受け入れ側との巧みな「隠れ天下り」を知ると『役人天国』は死語になってはいないということを痛感します。 今朝7時、気温-10℃。寒い~・・・ぶるぶる・・・・ そんな平爺が認知症介護施設のボラで、調子っぱずれのでかい声で、おじいちゃんおぱあたちと声張り上げています。我ながら不思議な光景です。 昔ばなし絵を見せて、何のお話でしょう?「一寸法師」という答えがかえってきたところで、ハイ、みんなで歌ましょう「♪指に足りない一寸法師・・・」というぐうに進めたり、みなさん集中してくれます。昨日は「ああモンテンルパの夜は更けて」などの歌詞をコピーして持参、平爺かもたもたしていても、皆さんちゃんと歌うのにはびっくり。音痴の平爺が気兼ねなく歌える唯一の場所、けっこう一緒に楽しませてもらっています。
今朝7時の気温は-9℃、新雪はないがさすがに寒い。ガラス戸がガリガリに凍っている。雪とは縁の薄い地方でも今年は寒波・降雪に見舞われ、車の渋滞報道が目につきます。
◆雪のあたり年、各地で事故や交通障害頻発の報。うれしくないですネ。 気温が高めの雪は水分が多く重さは倍以上になる。一方寒気の厳しい雪は軽い粉雪、掻くだけなら楽ですが積み上げようとしてもサラサラと崩れてしまう。どっちにしても雪は厄介。 ◆明日は整形外科通院の日、X線で様子を診ることになっています。当初のような寝起のたびに感じた痛みは消えています。
◆俗にいう「背骨」というのは家で言うなら大黒柱のようなもの、これが体を支え、大切なものであることを実感し、損傷することのダメージの大きさを身をもって味わっています。 日本人の平均寿命は、男性が81歳。平爺は来月で満80。 以前は「老い支度」とか「断捨離」という言葉をよく目にしましたが、今は「終活」に変わっているような気がします。「終活」はH21年週刊朝日に載った造語のようですが、人生の終盤をどう生きるかという意味も含んでいるとか。
人は必ず老い、そして死んで行く。身辺整理とか、葬儀・墓など、生前にすべきことはいろいろある。わかっていてもなかなか・・・というのが現実。 平爺ごときのちっぽけな登山記録を、死ぬまで残しておいところで何になる。灰になるだけ。そう思えばもっと大胆な断捨離ができそうな気もします。
テレビのニュースを見てびっくり。びっくりするのは平爺のような年寄りだけ、いまさらニュースになるようなことではないよ・・・と言う時代かもしれません。それは離婚の話。 結婚披露パーティーでの祝辞によく使われる言葉 ◆離婚しようがしまいが勝手でしょう・・・・。 世の中すごいスピードで変わっている、人それぞれの価値観も様変わりしつつあることを実証しているようです。 2017.01.21(土) 退位・元号 夜明けから、雪が霏々して降り続いています。かなり積もりそうです。平爺は目下雪かきご法度の身で妻に任せっぱなし。慣れぬ重労働に苦労していますが、冬が終わったら慰労会をしてやらなくては。 ◆新聞の声欄にもありましたが、これを機に古来続いてきた明治・大正・昭和・・という「元号」をやめたらどうかと思います。今でも元号を使っているのは多分お役所関係だけでしょう。日々の暮らしの中で元号は極めて面倒な存在です。どうしてもというなら、それは文化として残せば良し。そうすれば退位を元旦にするかどうかなどは関係なくなると思うのですが。この日記の日付も西暦ですよ(笑) ◆戦後、尺貫が便利なメートル法に変わったのと同じです。 以前の長さ表示 6尺=1間 60間=1町 36町=1里 (約3.9㎞) 長さ・距離・面積・重さ・体積など、メートル法に変わってどれほど便利になったことか。国際化が急激に進み、年号も西暦で統一されている世の中で元号も拘る必要はないと思います。たとえば1里はどのくらいの距離かわかるのは平爺より上の人だと思います。 2017.01.20(金) 寒中お見舞い申し上げます 今日は二十四節気の「大寒」。未明6時の気温-8℃、中空には凍りついたような下弦の月が浮かんでいました。 ◆「来年のことを言えば鬼が笑う」はよく言うことば。 ◆今日はアメリカ新大統領の就任式。この先世界は良くなるのか悪くなるのか。世界の秩序や枠組みが変わっていくことは間違いなさそう。人差し指を相手の胸に突き刺すようなしぐさで、口角泡を飛ばさんばかりにけんか腰。ふと「異端児」の言葉が脳裏に浮かびました。日本の異端児と言えば織田信長でしょうか。
◆HP「山岳巡礼」にアクセスして下さったZさんからメールを頂戴しました。内容は《静岡百山リストに笹山(=黒河内岳)・2733mが未踏となっているが、これは山梨百名山と共通の山(山梨・静岡県境)で、すでにその山梨百名山は完登しているのだから当然静岡百山のリストも登頂済み扱いで良いのではないか》というご指摘でした。 早速調べてみると2003年7月28日、確かに登頂済みです。平爺の頭には国土地理院地図に記載されている「笹山」でインプットされていたのですが、静岡県では黒河内岳という呼び名が一般的ということだと思います。ご指摘を受けるまでまったく気がつきませんでした。 ◆「かなりいい加減な❝山岳巡礼❞と開き直ってはいても、ここまでしっかりと見ていて下さる方がいるとなれば、あだやおろそか、いい加減な気持ちで向き合うわけにはいきません。完璧は無理としても、もう少し細かい気遣いが必要だと認識、反省しました。 笹山=黒河内岳の記録 http://www.paw.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/kai-082.htm 笹山登山の高低差は約2000m、上高地から槍ケ岳へ登るより大変です。山小屋はなく、テント・水・食料・寝袋などの重荷を背負い、頑張っても丸2日はかかるしんどい山。これまでに登った約2200座の中でも印象深い山の一つです。 ◆昨朝、目を覚まして軽くウォーキングでも・・・外へ出てびっくり。一晩で30㎝ほど新しい雪が積もっていた。前日の雪と合わせると50㎝は超えているかもしれない。ウォーキングどころの騒ぎではない。 目下安静を指示されている身、早速雪かきというわけにはいかない。妻の起きるのを待ってちょこちょこと手を出す程度。妻にしても2日続きの雪かきとは想定外の大事件だったに違いない。 ◆かいた雪は自宅の塀ぎわに寄せるだけ。道の両側の家が同じように積み上げるので有効道幅は半分ほどになってしまう。車のすれ違いも不可能で、生活にも支障をきたす迷惑な雪。一方この雪でほっとひと息ついているのはスキー場。万民ことごとく幸せとはいかないものです。 ◆ショッキングなニュース ◆胸椎圧迫骨折から1カ月が経過。まだコルセット装着状態ですが、当初の痛みはほとんど消えて、ときどき軽い痛みを感じる程度、気持ちの上では何でもできそうな気がします。経過は『一応順調』とご報告しておきます。 それにしても、落とし穴というのは思わぬところにあるものです。マラソンをやったり登山をしたり、どちらかというとアウトドア派の人間。そりなりにリスクが伴うのは仕方ないことと割り切り。しかしこれでもう山登りはやめた・・・とはとても言えません。ただし、これまで以上に注意はすると思います。 年が明けてから登山日数ゼロ、いつ再開が叶うか。1日も早く登山に復帰したいこの気持ちは、暖かくなってくると一層拍車がかかりそう。 ◆めったに医者にはかからない平爺、医者とは実に時間がかかるものと身に染みています。「3時間待ちの3分診療」よく耳にする言葉。実感します。手のかかる診察、治療があるわけではないのに、整形クリニックへ行く日は午前中はつぶれてしまいます。3つも4つも病気を持ち、医者掛け持ちの人は、そのために生きているようなもの(言い過ぎ?失礼)さぞかし大変でしょう。 妻には「今日行くところがあってよかったわネ」なんてからかわれながらの通院。まずはコルセットが外せるのが第一関門? 雪無しで迎えた新年。良い年明けだ、幸先よし、今年はいいことがあるゾ・・・ 土曜日から降り始めた雪は日曜日も一日中降り続き、借りを返すようなドカ雪。そこで困ったのが雪かき。長野へ越してきてから15回目の冬、だれに言われなくても雪かきは当然平爺の仕事だったのに困った事態。というのは胸椎圧迫骨折の完治未了。 妻「とんでもない、ぜったい雪かきなんかしなで」 雪かきのしんどさを十分味わったようです。夕食前のビールを美味そうに飲んでいました。高齢化が進む豪雪地帯の人々の苦労がしのばれます。
(アメリカ新大統領)
・独裁か自信過剰か、聞く耳なし、ケンカ腰 先日ご紹介したA氏のメールにもありましたが「世界秩序が変わるかもしれない」と憂えていた気持ちに同感。
男は顔や身なりではない・・・と言われたのは昔のことか~ 一方美醜には関係なく、顔には生きてきた年輪が刻み込まれているとも言います。見た目で正直そう、怖そう、裏がありそう、優しそう、信頼できそう・・・などの印象を感じるものです。端的に言えば感じの良い人と、そうでない人がいるのは確かかもしれません。
◆顔や見た目でも落第生の平爺が話題にするようなことではありませんが、次期アメリカ大統領となる巨富を築いたトランプ氏。テレビを通して見ただけの印象ですが、失礼ながら言わせてもらえば、オーバーアクション気味の身振りやゼスチャー、スピーチに(英語はわかりませんが)驕り・独善が強すぎるせいか、品性・品格が感じらません。親しみのようなものがまったく感じられないのです。一国のトップなら、もう少し品格というものが備わっていて欲しいいという気がします。 そのトランプを大統領選で勝利させたアメリカ国民とは・・?疑問符がついてしまいます。 かつてドイツが経済的困難に陥り、閉塞感にとらわれていた中で過激なナチス・ヒトラーが出現したように、貧富の格差拡大・失業などによるアメリカ国民の鬱積した気持ちのはけ口がトランプという異質な存在に賭ける気になったのでしょうか。 ◆大統領選勝利の氏に、真っ先かけて会談したことを自信満々に喧伝した安部総理、点数稼ぎの卑しい追随姿勢でなければいいのですが。 そういえば安部総理の真珠湾訪問、その際の総理のスピーチを評論家・日本近現代史研究家の保坂正康氏が「安倍総理の歴史観を露呈したものだ」と批評したと伝えられています。 もう少し書きたいのですがまた明日。 妻が100円ショップで写真のようなものを買ってきました。 ネット検索すると「首振り人形」のキーワードでヒットしました。今ごろ話題にするほどのこともなく、ほとんどの方はご存知だと思いますが平爺には新鮮。 小さな鏡のようなものがあって、それが動力源となっているらしい。たった100円というところがみそ。よくぞ考案したものと感心しきり。
ベッドに入った時、脈絡もなくどっちでも良いことが気になることがあります。 先夜、発音は「お」なにの、仮名で書くときは「う」というのはなぜ?考えているうちに寝入ってしまう。「地下鉄の電車はどこから入れたの? それを考えると一晩中眠られないの・・・」これは春日三球・照代の漫才ネタ。 ◆さて「お」と「う」・・・気になってしかたない、眠られなくなったら大変。そこで調べてみました。 決まりは《オ列の仮名に「う」を添える》というもの ◆ややこしいのですが特例がありました。
私のお知り合いの中で、諸事見識の深いAさんからメールをいただきました。私一人が拝読するだけでは勿体ないと思い、ご当人の承諾を得て転載させていただきます。ぜひお読みになってみてください。 ◆二十四節気では1月5日小寒、20日大寒、2月4日が立春。 目下「寒中」の真っ最中。生まれ育った信州の小さな町(以前は村)は海抜700m、日本一ハイカーの多い高尾山(599m)より100mも標高が高いところです。冬の寒さもまた厳しい。当時暖房と言えば木炭で暖める炬燵(こたつ)だけ。吹雪模様の夜は隙間から吹き込んできた雪が冷たく顔にかかる。枕元に置いた飲み残しの水が、一晩で完全に氷の塊に。 ◆広い教室は薪を燃やすダルマストーブ一つだけ。しんしんと冷え込む教室。防寒に効果のある衣類もなく、寒さに震えての授業。1週間ほど「寒中休み」というのがありましたが、暖房設備も整った今は廃止になったようです。 ◆朝、着替えをするとき。新しい下着を身につけると氷を肌につけられたようでした。着替えにも勇気が要ったのを思いす出します。 しかし便利さ快適さの代償はあまりにも大きいようです。
何日も前の話ですが「お互い様」という言葉を耳にしました。近ごろはあまり聞かなくなった感じがします。困っているときにちょっと手を貸してもらう。「助かりました、ありがとあうございしまた。何にもお礼ができなくて・・・」と言うと「いいえ、困ったときはお互いさまですら」 言ったこともあるし言われたこともあります。気持ちがほんわかとする良い言葉だと思います。角(つの)突き合わせてツンツン生きるより格段に気持ちいいですよね。 お客様は王様と言って客を甘やかしてしまったために、サービス業を始めとして客の横柄、横暴が絶えないとか。たとえば駅で些細なことに腹をたて、駅員にくってかかる。土下座して謝れ・・・なんて平気でいう。商店では客の扱いが悪いと言ってネチネチと文句を言い続ける。 客は神様でもないし、駅員は天子でもない、みんな未完成な人間たち。お互い譲り合わなくては生きていけませんよね。困ったときは助け合う、迷惑をかけたり失敗をしたら謝り許しあう、しくじっても欠陥のある者同士、「お互い様」と思えば気持ちよく暮らすことができる。 「ありがとうは魔法のことば」をこの日記に書いた記憶があります。「お互い様」もそれを口にできることが大切、自省を含めて書きました。
刺身の話ではありません。 いつも何かやっていないといられない・・・じっとしていることが苦手。平爺の隠れた?一面。イヤ、隠してはいません。いつもこせこせとつまらないことをやっている、手持ちぶさたが大の苦手。 眠らないマグロのことはご存知かと思います。マグロは寝ても覚めても泳ぎ続けないと生きといけない魚だそうです。口を開けて泳ぎ、エラを通る水から酸素を取り入れているので、泳げなくなれば酸素が取れなくなって死んでしまう。泳ぐことが宿命づけられた魚。 昨日からコルセットが擦れて痛くて・・・早く解放されて自由に動きまわりたい!!!
◆3日前、胴体を窮屈なコルセットで締め付けた生活がスタート。昔、ヨーロッパの貴族令嬢や夫人が、胴体をぎゅっと締め上げて、きらびやかな舞踏ホールでワルツを踊っていたあのコルセット、同じようなものでしょうか?何しろきつくてかなわない、助けて~~(笑) 医師の言うには寝るときと入浴のときは外してもいい。期間は1~2ケ月くらいだというがガマンできるだろうか。骨が固まるまでは安静が第一・・・。 ◆10何年も前のこと、足元も見えない暗い道、ランニング中に小さなでっぱりにつまずいて転倒、左胸を強打。そのときは肋骨にひびか入って安静。寝たり起きたりも大変だったことを思い出しています。 反省ボーズの日光猿具団の次郎、、テレビから姿を消して久しい、その後どうしているのだろう。 ◆ケガの発生日は12月17日、最初の受診は12月26日。そのときに医師からは「なるべく安静にしているように」と言われてはいました。 ◆ところが年末に孫娘が来たとき、待ってましたとばかりにスキーに同行。ちょっとだけ面倒を見てやるつもりで同行。ところが平爺は自分でスキーブーツか履けずにパパに手伝ってもらう始末。 確かにこのスキーは失敗でした。反省。
平爺が子供のころ、外国人を目にすることはまったくありませんでした。ただし朝鮮人は別として・・・というか、同胞のようなものだと思います。
子供のころ、朝鮮の人々は信州の片田舎にも大勢住んでいたのを覚えています。強制的に連れてこられたのか、それとも自主的に働きに来ていたのかは知りません。彼らを見る日本人の目は“蔑視”、それも覚えていまいます。 2016年、日本における在留外国人は230万人とのこと、この数は宮城県(232万)や新潟県(228万人)の人口に匹敵します。用事があって東京などへ行くと外国人だらけで、敗戦から70年、日本も変わりました。日本は国境が陸続きの国とちがって密入国や移民などが極めて少ないということはありますが、避難民をもっと受け入れるべきだという要請もあるようです。 100年先か、200年先か、国境などというものはなくなって、誰でも世界好きなところに住めるなんていう時代がくるのかもしれません。そうなれば、人と人とが殺しあう戦争も無くなるような気もします。
3が日も終わったことだし・・・正直に恥をさらしてしまおう。 ◆さて話はそこから。腰か背中か分からないような痛み・・・例によってそのうち良くなるさの楽観主義。ところが寝返りのたびに痛みで目を覚ます。体位によっては激痛に近い痛み。さすがにのん気爺さんも事件発生10日後、市内の整形外科へ。念のためMRI検査、結果は胸椎圧迫骨折(脊骨の真ん中あたり)の診断。診断画像を見ると素人目にも異変(つぶれた状態)が認知できました。 患部を固定するためのコルセットが出来あがり、昨日は着装のために行ってきました。安静がいちばん、山登りなんか論外・・・何といってもこれがいちばんのショック。 激痛ではありませんが痛みは今も相変わらず。皆様から「最近山の話がないが、どうかしたのかな-」と思われても困るので、恥を忍んでお知らせしておきます。 このときの山行記録
昨朝のウォーキング、例の寺院門前にある掲示板、年が明けて正月にふさわしいような言葉が書かれているか・・・凍ったガラスに額を押し付けるようにして見ると、それは誰しもよく知る一茶の歌。何となく茶化された気もしますが、平爺の年代にはぴったりという感じ。
奥の細道の「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」が頭に浮かびます。
一里塚は、昔旅人が道案内になくてはならない大事な目印。一茶の歌も、じっくりかみしめると実に味わいが深い。
今どき「一里塚」なんて知らないよ・・・という若者もいるかもしれません。江戸時代、主要な街道には、一里(約4キロ)ごとに土を盛った塚を作り、松や杉などを植えて旅人に距離や場所を知らせるための道案内役。一茶はうまいこと一里塚を読み込んだものだと感心。 初詣は、高三の孫娘のために地元天満宮へ願掛けをしてきました。 今やおせちは注文しておけば暮れに届けてもらえるという時代。重箱風の容器に入ったおせちは30種類ほど、これは家庭では到底無理な品数です。
ナンテンの赤い実は縁起が良いと言われて正月飾りなどにも用いられます。我が家の庭にも一株あります。なぜ縁起が良いのか・・・・「難(ナン)を転(テン)じる」からとのこと。 ①
当用漢字→敗戦後、いずれ漢字を廃止して表音文字へ移行することを前提に、使用頻度が高いものを限定的に「当面は使用してもいい漢字」と定めたもの。・・・漢字がなくなっていたら世の中どうなっていたでしょうネ。 ②
常用漢字→漢字の全廃が無理なこと、漢字のメリットなどを考慮して「日常生活の中で使用する漢字の目安」として、当用漢字に約100文字が追加され 発表されたもの」で、1981年公布の常用漢字数は1945だそうです。 ◍ところで常用漢字の画数の問題 いちばん画数の少ない字は二つあります。・・これはすぐにわかりますね。「一」ともう一字。次にいちばん画数の多い字は?これは一字しかありません。
お屠蘇でも召し上がりながら考えてみてください。2番目に画数が多いのは23画の「鑑」ですからそれより多いということになります。
◆残念ながら初夢は見ませんでしたが、《一富士・二鷹・三茄子》がどうして縁起が良いの? ◆ふだんはひっそりと暮らしている老夫婦。年末年始は小さい方の孫娘(中一)がパパと来宅。高3の孫娘の方は受験勉強の追い込み真っ最中、今頃はねじり鉢巻きでやっていることでしょう。 |
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