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2017.02.28(火) 膨らむ事故原発の処理費用
◆テレビや新聞等でご承知の方も多いと思います。福島原発事故を教訓に、ドイツはすでに脱原発に梶を切っているが、先般台湾でも2025年までに脱原発実現を目指す法案が可決される見通しという。そのために今後9年間で再生エネルギーの普及・拡大を図っていく云々。
ひるがえってわが日本。停止中の原発が次々と再稼働の動き。何が違うのだろうか。死ぬほど痛い思いをしてもまだ懲りていないようです。
◆昨年12月次のような発表が 福島事故原発廃炉にかかる費用や賠償費の総額が21兆5000億円に増えると公表。3年前の見込み11兆円が2倍になりました。内訳は下記のとおりで、国家予算の20%に相当する巨費です。 ◆本来事業者である東電が負担すべき費用を、電気代値上げや税金など国民にツケが回されることになります。電気代値上げは太陽光発電などの新電力使用者にも負担が負わされることになると言われます。 そして危惧するのは東電以外の電力会社が次々と再稼働ありきで進んでいる実態。なにか起きたらどうするのだろうか。今となっては「絶対に事故は起きない」という根拠なき神話を信じる人はいないと思います。 多くの反原発の声に耳を貸さず、国策として原発を推進してきた政府と、営利優先で原発に飛びついた企業。責任を国民に押し付けるのではなく、ともに総括反省すべきですが、その反省があったという記憶はありません。 ◆さらに付け加えると、使用済み核燃料や汚染物質は無害のレベルになるまで安全に保管されなくてはいけない。保管期間は10万年と言われます。人類が生き残っているかどうかもわからいな気の遠くなるような期間ですが、その最終保管場所も決まらないまま、今も日々汚染廃棄物は貯まり続けています。
NHKテレビの15分番組、「日本百名山」を1回一座づつの放送。懐かしさもあって録画して見ています。何日か前に見たのが鹿児島県の開聞岳=かいもん(薩摩富士)、登ったのは1989年ですから30年近く前です。日本百名山の中で標高は2番目に低い922m(一番低いのは筑波山で877m)、しかし海抜ほぼ0mからの登り故、楽ではなかったな~と思い出しながら見ていました。
開聞岳はJR開聞駅で下車、そこから徒歩で山頂へ向かったが、そのとき開聞駅の少し手前に日本最南端の駅があったのを思い出した。懐かしくなって記録を見てみると開聞駅3つ手前の西大山駅がそれだった。 ◍最南端:西大山駅・・・・・指宿枕崎線
稚内駅は利用したことがあるが、東根室駅は登山のあと、野沙布岬へ立ち寄ったときに駅前を通っただけ。佐世保駅は未訪。北海道から九州まで、登山で隅々まで足を踏み入れているが、たいていはマイカー、JR駅を利用したことは少ないが、地名を見聞きすると懐かしく思い出す。
金正日暗殺報道の陰に隠れていたもうひとつの看過できないニュース。それは4月に開校予定と言われ森友学園「瑞穂の国記念小学院」の奇怪な話。
小学院公式サイトの「ごあいさつ」に、「名誉校長 安倍昭恵先生」-「安倍晋三 内閣総理大臣夫人」として顔写真付きで紹介していたが、突如として昭恵夫人の写真と挨拶文は削除。
◆同学園の小学校用地として購入した国有地の売却価格が、近隣評価額の1割程度ということで疑問の声が上がった。常識では考えられないカラクリがあるとのことで、マスコミが真相解明を進め、国会でも追及が始まっています。
評価額9億5600万円の国有地払い下げ額1億3400万円。地下埋蔵物の処理費8億1900万円を見たためと言うが、実際に処理した埋蔵物は1割強。つまり国有地をただ同然で払い下げたと言われても仕方ない。裏に何かあると思うのが普通、ましてや総理の妻が絡んでいるとなればなおさら。加えて「安倍晋三記念小学校」の名で学校建設の寄付金を募っていたともいう。 ◆ついでながら「森友学園」でweb検索してみました。
このほかにもweb上には驚くような情報が溢れています。見えない向こう側では、総理まで絡んで戦前回帰に向かっての動きがあるとしたら怖い話だと思います。ちなみに園長は右翼団体「日本会議大阪支部長」とのこと。 ◍勅語とは「天皇が国民に向けて発する言葉 つまり天皇制の下では、何人も侵すことのできない絶対的なことば」(コトバンクより)
いくらあの娘が好きでも、思っているだけではz伝わらない。 ◆「保育園落ちた 日本死ね」はまだ記憶に新しいですね。子育て中のママがweb上に書き込んだ一言。またたくまに全国に広がり、ついには国会の場でも取り上げられるという事態に発展。子供をどこかに預かってもらわないと働けないママの切実な声が日本中を動かしました。 「お上に物申すなんて・・・」とか「言ったってどうせムダ」などと思わずに、ことばに出すということが大切。古い話ですがこんなことを聞いた覚えがあります。 「役人は決められたことを決められたとおりにやる、それ以上でも以下でもいけない。直訳すれば余計なことはやるな・・・」それが有能な官吏だと。時代は変わっていますか、黙っていても必要なことは役人がやってくれると思うのは甘いと思います。 「声に出す」ということの大切さを改めて感じます。
昨日の日記に貼らせてもらった三日月、おぼろ月夜という雰囲気にはちょっとという感じですね。
◍ 歌-♪故郷 ♪おぼろ月夜 ♪あの町この町 ♪赤い靴 ◍ 昔話の一場面の絵を見て、何のお話か当てて、ついでに歌も歌う。 ◍ いろはカルタの下の句を伏せて、上の句を思い出す遊び。意外ですが 結構できます。 終わりは、一人一人に「またね」とか「元気でね」などの声をかけ、握手。一人だけですが、必ず玄関まで送ってくれて、ありがとうございましたと言ってくれる人もいます。気持ちがほんわかとします。
◆昨日は「猫の日」、寡聞にしてそんな日のあることを知りませんでした。知らない人もけっこう居ると思います。昨日の朝刊(朝日)を広げると、猫にちなんだ記事が3~4件も目に触れました。世間ではすっかり定着したいたのかも? 『猫』と聞いて頭に浮かぶのは、山里の冬、縁側で日向ぼっこをしながら、膝の上の猫を暖房具代わりになでながら、何を思っているのかぼんやりと外の景色を眺めているおばあさんの姿。長閑さの象徴のような風景は、暖房もない時代の郷愁のひとこまです。 ◆ケガの影響もあって、この冬はほとんど外へ出ません。ストーブは朝起きるから寝るまで、ほとんどつけっぱなし、灯油の消費量も例年よりかなり多くなっていると思います。 ◆実は、10年ほど前に水彩画をはじめたのは「歳をとって体が動かくなった時、何もすることが無いのはさぞ寂しかろう・・・体が弱っても出来るものを今のうちから」というのが主たる動機でした。ケガで山へ出かけることも出来ない今、その水彩画の出番のはずが、さっぱりその気になれません。体が丈夫でないと、心だけ「元気・前向き」にというのは無理なようです。 暖かくなる4月頃、思う存分体を動かせるようになるといいな~
「肺炎球菌感染予防ワクチン」なるものを接種してもらいました。 一定年齢の人は、市町村でなんぼか負担してくれるとのこと、その案内を受け取ったまま長いこと放置。80才までが期限、カミさんに脅迫?されてしぶしぶ開業医で接種してもらいました。 ◆ところで肺炎球菌て何だ?事後ではありますがネット検索。 ◆昨日は寒の戻り・・・・せっかく雪が消えたと思ったらまた積雪。でも今シーズンの雪かきはカミさんの担当。カミさんに「雪が積もってるゾー」と声をかけるだけです。
◆先日、福島事故原発に遠隔操作カメラを入れて調査、その結果が報道されました。メルトダウン(炉心溶融)した2号機の原子炉格納容器内の放射線推定値は、最大毎時530シーベルト。人間が1分足らずで死に至る線量というすごい数値だったそうです。 一方では運転停止中の原発が次々と再稼働の動き。事故の実態や教訓が生かされないままに、発電事業者の動きは「再稼働」を既定路線として着々と進んでいるかに見えます。忘れっぽいのか、教訓を生かせない面々ばかりがそろっているのか。脱原発を宣言した西ドイツの勇気に敬服します。
◆ひところ注目を集めた再生が可能な太陽熱、水力、風力、バイオマス、地熱などのエネルギーは、その後聞かなくなってしまいました。資源に乏しい日本こそ積極的に取り組む課題だったはずです。 ◆文殊廃炉と言い、事故原発処理と言い、莫大な金と年月をかけなくてはならない時代に直面しても、再生エネルギーの話が進まないのはなぜ。安全より電力会社保護の方に比重があるためなのか?
◆ラジオから唱歌「冬景色」が流れてきました。懐かしいな~・・・・今も子供たちに歌い継がれているのだろうか。2番の歌詞の中に「人は畑に麦を踏む」というフレーズがあります。子供はもちろん、若者たちもイメージできない人が多いかもしれません。平爺にはとても懐かしく、情景がはっきりと目に浮かんできます。 秋、野菜などの収穫の終わった畑に麦の種を蒔きます。芽を出した麦は氷点下の寒さの中で冬越し、霜柱が根っこごと持ち上げ、そのまま浮き上がらせておくと麦は冬を越せずに死んでしまいます。そこで農家の人たちは吹きっさらしの寒風の中を、麦を踏みつけて土になじませる厳しい作業をします。これが麦踏みです。 ◆童謡・唱歌に歌いこまれた風景など、歌は残っていてもその光景を想像できる子供はいないことでしょう。10年ひと昔と言う言葉がありますが、麦踏は5昔以上の遠い記憶だけの景色になりました。
◆原発関連トップ企業でもある東芝、知らぬ人はいない天下の大企業が危機直面の報道。あの東芝がまさか? 原発廃止派の平爺としては、原発に頼らなくはならないような企業はなくなってもいい、率直にそう思います。日本での新規原発建設が難しくなってきたら、次は“危険”というおまけをつけて海外へ輸出・・・これには政府も売り込みに一役買っているという報道もあった記憶があります。 豊洲市場の地下水汚染が問題となっていますが、原発稼働で生ずる汚染廃棄物、事故による放射能汚染物質。これの方がもっと深刻、トイレのないマンションにたとえられるように、一時保管の形で膨大な量が溜まりつづけているのに、永久保管についてはその目途もたっていない。 東芝の危機、日本が原発から手を引く神の教示かもしれない。
◆JR東日本とJR西日本が超豪華列車運転を開始するとのテレビ放送。まだ何カ月も先のことですが、募集と同時に何十倍という申し込みがあるとのことです。
◆時をほぼ同じくしてNHKスペシャルでは「子供の隠れ貧困」がテーマ。今や6人に1人の子どもが相対的貧困と言われる時代。 ◆一見豊かに見える日本。その陰には6人に1人の子どもが相対的貧困状態、問題解決への有効な対策がなされない。 貧困を見えにくくしている要因として ◆恒例のサラ川100首が公開、その100首に目を通してみましが、さすがに選ばれし作品、思わず笑っちゃう作品や、隠れたペーソスなどさまざま、人生模様が17文字に詰め込まれていて大いに楽しめました。
40年もサラリーマンをやってきた平爺がう~ん・・・とうなった2首。 ほかにも共感できる句がいくつもありました。第一生命サラリーマン川柳でご覧ください。
80才の大台に乗ったとたんに、年齢とか余命とかエンディングとか・・・明日でも死にそうなことばかりですみません。日本人の平均寿命が何歳かは、誰でもおおよその年齢を知っていますよね。一応記しますと
上表のとおり、1947年から68年後の今は30才以上長生きするようになっています。そろそろ頭打ちではないかとも言われます。今30歳の人が80歳になるころには寿命は30才延びて110歳まで生きるとは言えないようです。 「人間五十年、化天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり」幸若舞という舞の中で謡われる一節とか。織田信長のドラマの最後、本能寺で明智光秀軍に討たれるラストシーン、火炎の中で能を舞い歌う場面はだれしもご存知のとおり。今から430年ほど前の寿命は50才ということでしょう。 さて年月は過ぎ、今や女性87、男性81という時代。長生きするようになったものです。信長の時代だったら平爺はとおの昔にあの世のり人。 ◆もう一つ大事なのは平均余命。それぞれの年齢の人が平均してあと何年生きられるかというもの。 2016年度統計 このとおりなら平爺もあと9年近く生きられる勘定。しかしこれで喜ぶのは早すぎる。問題はその9年がどの程度健康で過ごせるか、ただ生きれば良いというものではありませんしね。
◆週1回、歯科医院へ通院中。冷たいものがしみる奥歯の治療。歯が故障すると、食べ物の味がしません。
◆就職難だった時代。そう、平の若いころ「俺が採用してもらえたのは目(視力)がよかったからだよ」なんて自慢していました。当時としては確かに狭き門でした。自慢だったその目も今やすっかり老衰、ならば歯の方だけでもと頑張った結果、1本を失っただけでクリアしました。これが自分に対する何よりのバレンタインプレゼント・・・(かなり無理した負け惜しみ-(笑)-) ◆八十を「傘寿」と言いますね。めでたしめでたし・・・。 長寿の祝い 還暦・・・61歳(満60歳)生まれ年の干支(丑)に還る歳 ◆平爺は満48歳の時に直腸がんに罹り、気持ちは深刻そのもの。よく80まで生き延びたな~。奇跡? その思いを綴ったときの心境はこちら。 ◆こんな記憶もあります。40才のとき、もしも長生きできたとして80歳まで生きられたとしたら、ちょうど折り返し点だな~。あと40年か・・・。しかし後半の40年はあっという間でしたが充実もしていました。今や折り返しではなくゴールへ向かってまっしぐら。 今日はバレンタインデー、女性が「想いを寄せる相手にチョコレートを贈る日」という程度の知識しかありません。 率直に言えばバレンタンイデーって、信じやすい人々の財布の中身を、たくましい商魂でひったくる日・・・なんていうひねくれた解釈はどうだろうか。何ももらえなかった者のひがみ? もしも、きれいにラッピングされたチョコの一つも届かなかった方がいたとしても、チョコだけが人生じゃないよ、元気出して行こう・・・。これはモテナイ平爺の負け惜しみエールです―(笑)-)
◆たとえば健康診断のとき。質問用紙を渡されて該当するところへ「✔」してください。
私たちにしてみればどっちでも構いませんが、世の中というのは、良かれ悪しかれこうして少しづつ少しづつ変化しているのですね。 ◆私は朝食をとりながら朝刊を広げるのが日課。いちばん最初に一面の見出しだけ見てから、バサッと裏返す。つまり最後のページはテレビ番組。さっと目を通して見たい番組があると印をつける。その印は以前は「〇」でしたが、いつごろからか「✔」なりました。この方が目につきやすいのです。食事が終わった後、✔番組を予約登録。 本を読んでいて気に入ったフレーズなんかがあるとそこへ✔。知らぬ間に✔派になっていました。 昨日は「建国記念の日」でした。「建国記念日」ではありません。平爺も含めて建国記念の日が何であるかきちんと説明できる人とは少ないと思います。
◆内閣府ホームページより
日本は植民地独立のような歴史はありません。実は、2月11日というのは根拠のない日。かつて天皇制のもとでは「紀元節」と言っていました。史実としては根拠の薄い初代神武天皇の即位日を建国、紀元節として盛大に祝ってきましたが、敗戦により紀元節は天皇制につながるものとしてGHQの命令で廃止となりました。
建国記念日復活の動きが出てきて議論百出、底流には天皇制懐古への「紀元節復元」が根っこにあったのではないでしょうか。そもそも史実としては根拠のない日を建国の日とするには説得力が希薄、加えて天皇制=前近代国家的なイメージもあり、反対意見の多い政治問題にもなりました。議論の末に独立国家として建国の日があってしかるべきとのことで、「建国記念日」ではなく「建国の日」として法律化したということです。
ということで建国の日が2月11日である根拠はなく、いつでも良かったのですが、紀元節・天皇制に執着する力が強かった・・・と言うことでしょう。太平洋戦争無条件降伏、新しく国民主権の民主憲法が制定され、新しい日本がスタート。それらにかかわる日の方がよかったのではないか、たとえば8月15日とか民主・平和憲法施工の5月3日とか。当時の私はそのような意見に賛同していたような気がします。
一言で言えば「建国の日は、日本が建国され日ではない」ということです。代わりに「平和の日」を作っていたらよかったな~
国民学校(今の小学校)低学年のころ、紀元節で歌っていたのを覚えています。天皇制を讃える歌です。。 ♪ 雲に聳ゆる 高千穂の 高根おろしに草も木も
◆庭の土も見えてきて、木の芽もふくらみ春の息吹に心が和む・・・そこを狙ったかのように昨朝目を覚まして外を見ると雪やこんこん・・・。妻が留守で雪かきができない。仕方ない、そのままほったらかしておいたら陽ざしが出てきて、夕方にはあらかた消えてくれました。やれやれよかった。春の淡雪か。 ◆森村誠一の小説を読んでいるとこんな一説が この小説の主人公は、廃品を集め細工して味わいのある再製品に生まれ変わらせている。私が小さかったころ、おふくろに言われて配給切符と銭をしっかりと手に握り、わずかな縫い糸の配給を受けに行ったこと。電球が切れると、切れた電球をもって新しい電球を受け取りに行ったこと、食料の配給日にはリヤカーを引いてサツマイモを受け取りに行ったこと・・・なにもかもが配給。 ◆物であふれかえった現在。捨てることに何の抵抗もない。断捨離と称して捨てることがあたかも立派な行為として推奨され美化される時代、考えてみればやはりどこかがおかしい?物のない時代が身にしみているのに、断捨離を自慢げに口にする平爺はいったい何者・・・と思ってしまう? ◆ある本を読んでいたら 【縦社会】の語が出てきた。久しぶりに目にしたな~
テレビドラマには警察ものが結構多い。「相棒」なんかもそうですね。警察組織の中では言葉遣いにも序列が厳しくあられている。その命令口調は一般人には到底なじめない。軍隊、消防関係なども同様ですね。これを一般的には【縦社会】と呼び、役職・階級など上下の序列が最重要視される社会です。ときには人格さえも無視したような口のきき方、私なんか到底勤まらない異次元の世界。よく知りませんがお役所も階級・序列が幅を利かせる社会でしょうか。 ◆一方【横社会】と言われるのは、人は本来対等であるべきで、相手の人格を踏みにじるような言動は許容しない、つまり人を人として重く扱う社会ということでしょう。 ◆ときどき問題になる高校生などの運動部。先輩後輩の序列はまさに神聖にして犯すべからざるもの。それを犯して暴行の制裁を受け重症なんていうことも起きてくる。平和主義者の平爺には到底許せない社会です。 ◆最も激しかった階級社会は旧日本の軍隊ではなかったでしようか。軍隊をテーマにした小説「真空地帯、人間の条件、麦と兵隊、飽食の悪魔・神聖喜劇・・・」などを読むと、余りの激しさにヘドが出そうになります。一つ階級が違えば天と地ほどのちがい。 旧軍隊ほど激しくなくても、それに似た社会はまだまだ残っているのでしょうね。警察や自衛隊に限らずブラック企業と呼ばれるのもそれかもしれません。 ◆日曜日の楽しみの一つはNHK・Ēテレの将棋の時間。特に用事がない限りたいてい見ています。ところが平爺の将棋の知識は駒の動かし方がわかる程度。子供のころ、駒はボール紙で作り、近所のガキたちで遊んだ経験があるだけ。 その将棋にちょっとした話題がありました。プロ棋士が対局中に席を外し、スマホて将棋ソフトを参考にしていたとの疑惑を持たれ、出場停止処分になったという騒動です。しかし不正を行われたという具体的な証拠はなく不問となり、将棋連盟会長が責任を取って辞任ということで決着となりました。 ◆囲碁・将棋が人工知能(AI)と対戦したら・・・そもそもCPがいくら発達しても、複雑すぎる囲碁や将棋が人間の頭脳に勝てるはずはないと思われていたのはつい最近までの話。ところがAIが人間の頭脳を超えるところまで来てしまったのです。 ◆建造物の設計や工場での組み立て作業のロボット化は昔の話、身近を見ても掃除ロボットに受付ロボット、介護や介助ロボットも出現・・・車の運転もPCまかせが現実のものとなってきた時代。 先月下旬に積もった大雪もかなり融けてきましたが、日影の路地はタイヤに踏まれ、固く凍りついていて融けるのに時間がかかりそう。凸凹状態で凍結した路地は恐る恐るの運転です。
立春が過ぎたとはいえいちばん寒い時期。平爺の生まれたのは2月半ば、暖房もまともにない真冬でのお産、大変だったとおふくろがよく話していたのを思い出します。おむつ洗いも寒風の吹きさらす川辺。当時の女の人はアカギレでひび割れた真っ赤な手をしていたのを覚えています。 寒さ厳しい地域の人々は、どれほど春を待ちこがれていることか。外は寒くても家の中はぬくぬく、時代は変わったな~・・・・。昔を思い出すとしみじみとそう思います。ありがたいことです。昨日のボランティアは春の歌をいくつか。
居間の中にまで届いていた日脚が、今は広縁まで後退しています。日中の時間が長くなってきたのがわかります。寒さは厳しくてもそこはかとない春の息吹を感じます。
◆先日のテレビで肺がんなどの超高額医療薬「オプジーボ」を取り上げていました。時代の最先端を行く夢の新薬で、日本の製薬会社が開発、保険適用となっているそうです。新薬の出現を、明日か明後日かとぎりぎりの心境で待つ患者や家族にとってはまさに夢の実現でしょう。ところが大きな問題が立ちはだかっていました・・・それは超高額の医療費をどう負担していくかです。
◆オプジーボの価格は、100mgがワンボトルで73万円。肺がん患者の体重1kgに対して3mgが必要で、仮に体重67kgの男性が2週間に1回、1年間の治療を続けた場合、かかる薬価は約3500万円にも及ぶとのこと。そのほとんどは保険、つまり国庫負担です。
医療費負担が年を追うごとに国家財政を圧迫している中、こうした超高額医療費の負担はまさに“財政危機”と表裏の関係にあるわけです。その先にあるのは国家としての医療福祉の崩壊という恐ろしい事態。
◆科学の進歩は人類に限りなく利便や幸せをもたらす一方で、背負い難い負担をも押し付けてきます。いったい人類はどのような未来を描いて科学の進歩を考えて行けばいいのか。 **************************************** ●『財政制度等審議会なおいて、日赤社医療センター國頭英夫部長は高額薬と財政の問題に警鐘を
●こうした高額医薬品は今後どんどん開発される見通し。「高額療養費制度」によって医療費の大半 ●慶応大学の土居丈朗教授は、「2025年には団塊の世代が75歳以上になる。ますます医療と介護 ◆われわれは超高額医療の問題を他人ごとにするわけにはいかないところに来ているのだと思います。
「煮る 炊く」・・・どのように使い分けるのでしょうか?
ご飯を煮るとは言いません。これは炊く。 味噌汁を炊くとか煮るとは言いません。この場合、我が家は「作る」と言っています。 関東地方では「炊く」は米の場合だけ ◆広辞苑
毎月初に書き替えられる寺院門前の言葉、今月は 「私はいつも自分の都合を中心にして えらび きらい 竹中智秀という方は、Web検索すると京都・大谷専修学院長とのこと。竹中さんが次のように語っています。 「えらび・きらい・見捨てるは」もちろん人との関係です。素直に読み・解釈すればだれにでも当てはまる懺悔のことばのような気もします。 平爺は、どちらかと言えば好き嫌いが強いタイプ、そう自覚しています。それは、きっと相手からも同じように跳ね返ってきていると思います。微妙な差はあっても、平爺に限らず誰にでも当てはまるのかもしれません。だから前記のような訓話が生まれるような気がします。 敢えて言えば、そのことを意識している人と、意識していない人の差ということでしょうか。短い言葉の中に、意識することの大切さを諭しているいような気がします。 仏のような心に至るのは所詮かなわなくても、気づかぬ我が心を垣間見させてくれた言葉でした。
立春と節分を混同していましたが「立春の前日を節分」というらしい。今年は立春が4日だから節分は前日、つまり昨日3日か節分たったということです。 節分と言えば豆まき、あの掛け声は地方によって違いがあるようですが、鬼が先というのが一般的のようです。こどものころ、歳の数だけ煎った大豆を食べると縁起が良いと言われたのを思い出します。 作法は「節分の夜、恵方(今年は北北西)に向かって無言で、頭で願いを念じながら太巻きをガブリと丸かじり。
◆胸椎圧迫骨折の完治にはまだ時間がかかりそうです。強い痛みは引きましたが、鈍痛や違和感は依然として残ったままです。 ◆週1回の認知症介護施設ボラは1回休んだだけで続けています。貧乏性の平爺にとって、じっとしているのは思いのほか大変なことです。そのボラでは利用者の方々と必ず歌をいくつか唄います。懐かしのメロディや童謡・唱歌ど。もちろん伴奏も何もなし、イチ・二・サン・ハイの掛け声だけ。とにかく皆さん歌うことが大好き。 目下、やることが無くて時間を持て余している毎日。その時間つぶしにミニラジカセにメロディを録音、それで歌ってみました。が、これがまったくうまくいきません。歌はちゃんと歌えるので当然伴奏があればさらにうまく歌えると思ったのは勘違いでした。 伴奏に合わせるということが難しいようです。生の声で歌うと、6人でも8人でもそこそこ合わせることができる。それがラジカセではダメ、認知症対応の難しさをまた一つ知りました。 人と人とが生で接する、これがいちばんということでしよう。
稀有なる実行力の持ち主なのか、それとも制御不能のただの悍馬なのか・・・連日のニュースやワイドショーで注目を集めているトランプ新大統領。革命家気取りの単なる異端児でなければよいのですが。品性のない傲慢不遜なあの赤ら顔がテレビに映るだけでも辟易とします。 南海に浮かぶ小さな島国の長とはちがって、かりそめにも軍事、経済、科学・・・あらゆる分野で絶大な力を持つ超大国の大統領、もう少しバランス感覚のある人格者が大統領になってくれていたらと思います。 人類の英知が築き上げてきた世界秩序はどう変わっていくのか。危惧する声も多いようです。中東7か国の入国拒否に対する世界的なブーイング。そんな重要なことが大統領令でできてしまう。そうした国の体制もわれわれには理解できないところ。(閣議だけで憲法解釈を変えてしまう日本も50歩100歩か) こうしたことが次々と起きてくるとしたら、その先には何があるのか。そんな国と安全保障条約を結んでいて大丈夫か、素朴な疑問さえ浮かびます。太平洋戦争に突入していった当時の日本のように・・・・。 追記 もしかして“署名マニア”・・・フラッシュライトを浴び、どや顔で大統領令に署名することが楽しくて仕方ないだけ?
あっという間に睦月は過ぎて今日から如月。「きさらぎ」とは、寒さで着物をさらに重ねて着るからだとか。平爺・老妻ともに如月生まれです。心なしか陽ざしも幾分強くなって、庭の雪もだいぶ少なくなってきました。 ◆「権力」・・・松下幸之助の言
権力者にとっても自他の権力の強さを知ることは至難の業であり、往々にして誤った判断に導かれて過度にその地位を強化しようとして長期的な安定を損なったり、逆に過度の自信からその地位を失ったりするという現象にみられる。このうち現代政治にとってとくに重要な意味をもつのは、「権力者が多くの場合,自己の権力の強さを測定できないことからくる不安のゆえに、いっそう安定した支配あるいは抑止を求めて、過度の権力行使、ないし権力集中を試みる場合である・・・云々」
◆トランプが選挙で勝ったことは覆しようのない事実です。ところが蓋を開けてみるとそれは民主主義国家アメリカ合衆国とは相いれないような「トランプ専制政治」の始まりかと見まがう独裁的政治手法。世界はあっけにとられ振り回されっぱなし。
痩せても枯れても今のところは世界に冠たる一大強国、テロ組織でもない限り正面切って異を唱えることは難しいのが実情。歯がゆいが、苦虫かみつぶしたように切歯扼腕しているほかはないというところでしょうか、あのアクの強い傍若無人ぶりの相手に日本は正面切って向き合えるのだろうか・・・・ちょっと心配。 |
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