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2016年10月

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2010.10.22(日) 勘違いか間抜け

今日は投票日。台風21号の襲来を警戒して昨日期日前投票をすべく出かけたところ、近くの投票所は昨日まで。本庁まで行くようにと言われたが、車を走らせてまで行くこともあるまい、昨日も今日も一票は一票なんだから。
さてどのような結果が出ますか・・・気になります。自民党へ投票する人の中でも、安倍総理反対が半数以上とか。自民党は安倍でもっているのではないということでしょう。
右に寄り過ぎた政治と、お友だちばかりを大切にする偏った政治が変わってほしい。そんな願いで一票を投じました。

◆ラジオを聞いていて、ふと日本最南端の人の住む島は?まったく見当がつきません。小笠原諸島の方かな・・・。web検索するとそれは「波照間島」、名前は聞いたことがあるがどのあたりにあるのか。地図で探すと石垣島から少し南に離れた洋上の島でした。人口約500人、自転車で一周するのに2時間。石垣島から高速船で約1時間とのこと。

石垣島は、登山と観光を兼ねて行ったことがありますが、波照間島のことは知りませんでした。
石垣島には沖縄県最高峰の「於茂登岳(526m)」があります。都道府県最高峰踏破のために登った山です。

  都道府県最高峰一覧表 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/kenbetu.htm
  於茂登岳登頂記録   http://www.paw.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/hkk-523.htm

波照間島へ行ってみたい気がしますが、ちょっと無理だろうな~

【参考】日本最東端 南鳥島(自由に入れる最東端は、納沙布岬)
     日本最西端 与那国島
     日本最南端 沖ノ鳥島(有人では波照間島)
     日本最北端 宗谷岬北部の弁天島(北方4島は除く)

2017.10.21
(土) 投票は「権利」か「義務」か

明日は選挙の投票日。安倍政治手法に納得できない平爺としては、現政権への牽制となる結果が出ることを願っているのですが・・・・

◆「投票は権利か義務か」と問われれば百人のうち99人は「権利」と答えるでしょう。『権利』は財産のようなもの、その財産を捨てるのはもったいない。
歴史を振り返れば、一定以上の税金を納めている人しか国政への選挙権が与えられなかった、況や女性は政治からシャットアウト。
国民等しく選挙権を手にできたのは、先人の努力があってこそ。その権利を簡単に放棄することは勿体なさ過ぎる。

◍国民としての義務は、勤労の義務、納税の義務、子供に教育を受けさせる義務など。
三大権利は生存する権利、教育を受ける権利、政治に参加する権利(参政権)。
 参政権は憲法第十五条に明文化されています。

「義務」は果たさないと罰せられるが、「権利」は行使しなくてもぺナルティはない。しかし先人が苦労して手にした選挙権、それを放棄するような愚だけはしないでほしいと思います。

●総務省HPの資料
前回(平成26年=2014年)総選挙投票率(%)は下記 ・・・・棄権が半数という憂うべき状況です

年 代

20台

30台

40台

50台

60台

70台~

全体

投票率

33%

42%

50%

60%

68%

59%

52%

ちなみに 1967年―74% 1979年―68% 1993年―67% 2003年―60
年を追うごとに投票率が低下しているのは民主主義の後退を意味するような気がします。

2017.10.20
(金) これも終活

一昨日は中学生時代の同級会でした。(1952 卒業)
会場は諏訪湖畔。一泊が恒例たったが、今回は日帰り。東京圏のほか遠くは鳥取県からの仲間も参加。恩師も都合をつけて欠かさず遠路(神奈川県居住)駆けつけてくれていましたが、今回は間際になって参加不能との連絡。

山の落日

◆卒業時の人数 50名(男26名・女24名)
   うち故人 17名(男10 女7

 今回参加者は 14名(男子9名 女子5名)

◆90才を超えた恩師、そして同級生も80才の大台にのり、まさに老境、気力も体力も衰えてきています。相談の結果、今回を最後としてこの会を解散することになりました。
一抹の寂しさは拭えませんが、これが「時」とともに歩む者には避けられないさだめ。後ろ髪を引かれる思いで同級会(会の名前は『巌峰会』)の幕を下ろし、「それじゃ~また来年・・・」の言葉もなく仲間たちと別れてきまた。
巌峰会という名前は、私たちの教室から中央アルプスの木曽駒ケ岳などが見えるところから名付けたものです。

◆年ごとに年賀状をやりとりする相手が減って行くのと軌を一にしているのと同じこと、これも「終活」の一つと言えそうです。

『終活』と言う語は、1980年版広辞苑には載っていません。最近の造語?

2017.10.19
(木) ウサギちゃん

ウォーキングの途中、ウサギが好物の野草―アカツメクサを採り、巣箱に差し入れする日課は今も続けています。
日課になったのは初夏のころだったと思います。ウサギの巣箱はウォーキングルートの終盤、自宅まであと5分ほどの所です。近づいたところで「ウサちゃんおはよう」と声をかけると、金網越しに鼻を突きだすようにて待っています。

加工された固形エサと違って、取り立て新鮮の草、ウサちゃんには飛び切りのご馳走でしょう。平爺を認識できるのか、今はいやがらずに、自由に体を触らせてくれます。

◆数日前から堤防土手の除草作業が始まりました。すべての草が刈りとられていきます。アカツメクサも同様、刈り残されたのを探して採取。少し多めにとれたときは冷蔵庫に保管して翌日持って出ます。
しかし冬本番はすぐそこ。草がなくなれば、この日課も草の伸びる来年の初夏までお休みです。ウサちゃんにはちょっと可哀そう。平爺もちょっとさびしい。

2017.10.18
(水)選挙雑感

希望の光―皮肉?

メディアの調査・予想によれば、当初の予想をかなり上回る与党優勢との情報。小池都知事率いた都議選選挙は、所詮線香花火だったのか、夢幻の如く消え失せそう。いっときのブームに乗っただけ、地に足のつかないような小池党首には疑問を禁じ得ず、第二自民党的体質が漂うのを感じていた。

◆これは好みの問題かと思いますが、あの「灰汁―あく」の強さはどうにも鼻もちなりません。タイミングを捉える勘は凄いのかもしれませんが、唯我独尊・裏のまた裏がありそうで・・・どうにも鼻持ちならない感じが拭えなかった。しかし、考えてみればお人よしは政治家には向かないのも事実でしょう。おしなべて政治家と言う人種は一種独特の風貌・個性を持っている。もともとそうした風貌なのか、政治にかかわっているうちに自然とそうなっていくのかはわかりません。騙したり騙されたりしながら、政治家向きの風貌・個性が備わって行くのかな~と想像。

◆かけ引きだけで生きるなんて、そんな仕事は絶対にやりたくないいという人も多いと思います。しかしやってくれる人がいないとこれまた困る。
結果が出るまであと3日。先生方、どうぞ気張ってください。平爺は選挙公報を読んで投票先はもう決めています。
追記―また投票所へ行かない人がたくさん出ることでしょう。その票を平爺にただで譲ってもらえたらな(笑)


2017.10.17
(火) 艱難辛苦-―かんなんしんく

昨朝の長野市は冷たい小雨。手袋をはめてのウォーキングでした。帰宅して温度計をみると9℃あたり。晩秋から初冬へと季節は移りつつあります。日・明日にでも、そろそろ水道の不凍栓を締め、暖房用の灯油手配をしくては。

◆大義無き解散、忖度政治や強引な国会運営への批判が強まり、これで政治に少し変化をもたらすか・・・と期待が膨らみました。ところがテレビや新聞の世論調査などを見ていると、期待は日ごとにしぼんでいきます。政治を変えるということは大変なことと、今更ながら強く感じています。まさに艱難辛苦の果てに手に入れることのできることなのだと悟ります。

◆『新しきものなし』という言葉を何かで見たか聞いた記憶があります。web検索すると聖書の中に「日の下に新しきものなし」というのがあるようです。意味は「新発見とか新発明といわれているものでも、この世にあるすべてのものは本当に新しいものはなく、これまでにあったものに多少の手を加えて新しい形に変化させたにすぎないということ」と解説していす。

つまり、簡単には天地がひっくり返るようことはないということかもしれませんが、誰かが諦めずに努力を続けていれば、いつかは変わるということとも読み取れます。

2017.10.16
(月) 願・核なき世界恒久平和を

淋しくなった庭に咲くホトトギス

核兵器がらみの米朝緊張ベルがエスカレート。不気味です。実戦で初めて核兵器を使った国アメリカ自身は、わが身を振り返ったときどう対応するのか。ヒロシマ・ナガサキは仕方なかったでは済まされまい。

◆先般発表された2017年ノーベル平和賞が、核兵器禁止条約の採択に貢献したことが評価され『核兵器廃絶キャンペーン(ICAN)』に決まったニュースはこの日記にも書きました。そして唯一被爆国である日本が、その条約の採決をボイコットたことも。さらにこの平和賞について政権は何の反応も示さなかったことも。

ICANの発足当初、あと押しする声を上げたのはオーストラリア原住民のアボジニア人であることを初めて知りました。
webを閲覧すると、1952年台イギリスは南オーストラリアの洋上で12回の大規模核実験と、600回の小規模実験を実施。放射能汚染=黒い霧が飛散。しかし当局は健康への危険性を否定、隠蔽してきた。実験地域の多くは現在も立入禁止区域となっているという。そこに住んでいた先住民がアボジニア人。

◆広島原爆記念館の入場者数は、1985年当時に比べると4割減と落ち込んでいるが、それ以上の減にはならずに中・高校修学旅行生の数もほぼ横ばい中。減少に歯止めがかかっていることに救いを感じます。次世代を担う子供たちに、その現実向き合わせることに力をそそぐ教育関係者の努力が、今も引き継がれているということだと思います。見て見ぬふりをしているのは、政権関係者の中の一派か。

◆「私は戦争が怖いです。戦争は恐ろしい。でも核戦争はもっと恐ろしい。考えただけでも震えてしまいます。核戦争では誰も無事でいられません。核兵器は駄目です。私たちは、決して誰にも使わせないようにしなければ、そしてその為に努力する人たちを応援しなければなりません。」―これはwebで目にしたヤングニィジャジャラ族の長老ヤミ・レスターさんの訴え。

◆日本原水爆被害者団体協議会代表「故谷口稜曄」氏が、国連の場で自らの体験を語っている様子をテレビで見ました。静かな語り口がかえって核廃絶への迫力が強く感じられました。

同盟国アメリカに気兼ねしてか、核兵器問題に逃げ腰なのは日本政府。被爆国の一人として情けない思いです。

2017.10.15
(日) 総選挙の結果予想記事に愕然!!

大義無き解散・総選挙との批判にさらされた安倍内閣。窮地の安倍一強もようやく終焉を迎えるかと思った。大方の予想も与党議席大幅減。これで常軌を逸したとしか見えなかった政治も少しは方向を変えるか・・・と期待した。
ところが対する野党がてんでんばらばら、これでは敵に塩を送っているようなもの。大方の予想をひっくり返し、現与党の地位はびくともしない結果となりそう。

森友学園、加計学園にからむ忖度政治、防衛大臣の日報隠ぺい問題など、都合の悪いものは「そうした記録は無かった、記憶にない・・・」などの不誠実な政府対応に業を煮やした国民は、報道各社などのアンケートに「説明責任を果たしていない、真摯な対応をしていない」との回答が確か80%ほどに達していたと記憶しています。

ところが総選挙の予想は上記の通り。あれとこれとは違うということか。愚鈍な平爺には理解できない。明日の日本はどこへ行く
  ・怒りを忘れた国民
   ・腹の底から怒ることができないお人よし
   ・寛容は美徳―こと政治に関しても、そうかな~?

2017.10.14
(土)治安世界一良い日本?

キキョウ

東名高速中井IC付近でのいやがらせが引き金となって二人が死亡という痛ましい事故。テレビなどを見ていると過失事故ではなくあれは殺人。少なくても未必の故意による殺人としか思えず、憎悪を抑えきれない心境です。
【未必の故意
】=確定的に犯罪を行おうとするのではないが、結果的に犯罪行為になってもかまわないと思って犯行に及ぶ際の容疑者の心理状態。殺人事件の場合、明確な殺意がなくても、相手が死ぬ危険性を認識していれば、故意として殺人罪が適用される―コトバンクより一罰百戒ということばもあります。

あんな輩が同じ道を走っているのかと思うと、車の運転をするのが恐ろしくなってくる。他人ごとではありません。
幸いにして命の縮むような目にあったことはないが(もちろん与えたことも)時には凶器と化す自動車、正常な神経の持ち主であるかどうか、免許証交付の際にそれをチェックするような手法があるといいのにと思う。

◆ふと気づくと、殺人事件の報道を見聞きしても「またか・・・」という程度に受け止めてしまう。それほど当たり前に起きているとも言える。「安全」という面では、日本は世界一治安のよい国と言われてきたが、これでもまだ日本は治安世界一を誇っても良いのだろうか。

2017.10.13(金) 【明鏡止水】―めいきょう-しすい

庭に咲く秋明菊-シュウメイギク

▽「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。「止水」は止まって、静かにたたえている水のことで『邪念がなく、澄み切って落ち着いた心』の形容。・・・広辞苑より

◆立候補者にとっては、生きるか死ぬかの戦いがスタート。窮地に追い込まれた安倍内閣は「国難突破解散」と訳のわからないざれごとを言って衆議院解散。お前が総理の座にしがみついていることこそ『国難』だ、そう信じてやまない平爺。

『数を良いことに強引な政治運営就中、多くの知識人法律家などの憲法違反指摘を無視して自衛隊海外派兵、共謀罪・秘密保護法などを強行採決、さらに立場を利用した個人的な忖度・便宜供与(森友学園・加計学園)・・・こんなひどい内閣が過去にあっただろうか。

◆この総選挙、明鏡止水の心境で信ずるところに従って投票するつもりだった・・・が、離合集散、蜂の巣をつついたが如くの惨状。これでは安倍総理に鉄槌を下すのは到底無理・・・そんな気がしてきた。なぜ日本の政治はこうなってしまうのだろう。

◆すべての有権者は、さまざまなしがらみを捨て、この日本をどのような形で子や孫に残したいのか、そこのところをよくよく考えて投票してほしい。平爺も明鏡止水の心境になれないような混沌の状況にありますが、よくよく考えて貴い一票を投じるつもりです。余談ながら、花ことばの中に「紅梅―澄んだこころ」とあります。11月の総選挙、時期がちょっとずれているな~

2017.10.12
(木) スポーツ庁

『秋』

去る9日は「体育の日(10月第二月曜日)」でした。
鈴木大地スポーツ庁長官がラジオに出演、「スポーツ庁」なるものがあることを知った。文部科学省の外局として201510月に設置された行政機関で、スポーツの振興その他スポーツに関する施策の総合的な推進を図ることを任務とするのだそうです。webでいくつか検索すると、どうも東京五輪に向けての選手強化が目的で設けられた「庁」のような気もします。体育の日も同庁の管轄?

◆体育・スポーツ・運動はどんな違いがあるのか、ふと調べて見たくなった。広辞苑を引く。
  ◍【スポーツ】陸上競技、野球、テニス、水泳、ボートレース、などから登山・狩猟にいたるまで遊戯、競争、肉体的鍛錬の要素を含む運動の総称。
  ◍【体育】健全な身体の発達を促し、運動能力や健康で安全な生活を営む態度等を養うことを目的とする教育。
  ◍【運動】体育、衛生のために身体を動かすこと(一部のみ抜粋)

◆文科省の中にわざわざ「庁」を作らなくても、文科省の一部局で十分な気もします。民主党政権時代の「事業仕分け」にかかったら、きっと庁ではなく一部局という判断に至っただろうと想像。これも行政組織肥大化の産物か。

国民の祝日に関する法律によると、体育の日は『スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。』と書かれています。現実社会においては、体育・スポーツ・運動という言葉は混然一体、ほとんど区別なく使われているというのが平爺の実感です。くだらない話をすみません<m(__)m>

2017.10.11(水) 光害(ひかりがい)―最近天の川を見たことがありますか

朝日新聞記事の見出し「見える星を増やしませんか」
『街灯やネオンなど、夜の街にあふれる人工の光。これらが生態系や天体観測、エネルギー消費などに与える悪影響を光害(ひかりがい)ととらえ、光の使い方を見直す考え方が広がっている』という内容。
『夜空が明るくなり、天体観測に障害を及ぼしたり、生態系を混乱させたり、あるいはエネルギーの浪費の一因になるというように、さまざまな影響がある。夜間も経済活動が活発な都市化にともない、人口が密集したアメリカ、ヨーロッパ、日本などで特に深刻である』とつづく。

残月(有明の月)昨朝5:45

◆光害の原因となる光は、工場、街灯のほか家庭など様々なところから出されている。市街地では、もう星空を眺めるのは不可能になってきているのかもしれない。平爺が子供の頃、空を見上げれば美しい天の川が明瞭に見えたのに、今は田舎でも肉眼で銀河を見ることは難しいかもしれない。天の川を知らない都会の子供たちが可哀そう。
アイルランドのアイベラ半島は、徹底した光害対策によって、世界一美しい星空を見ることができることで知られている・・・とテレビ放送で見た記憶があります。

◆web検索すると、日本では《長野県阿智村》《岩手県洋野町》《沖縄県竹富町波照間島》《島根県津和野町》久住高原(大分県)国立天文台野辺山(長野県)高峰温泉(長野県)姫沼(北海道)・・・などが、星空観察を楽しめることで知られているとのこと。

【冬の星座】―歌詞2
  ♪ほのぼの明かりて 流るる銀河 オリオン舞い立ち スバルはさざめく
  ♪無窮をゆびさす 北斗の針と きらめき揺れつつ 星座はめぐる

◆ところで肉眼で見える星の数はどれくらい?・・・以下はwebより。
『残念ながら都会では1等星と2等星くらいのもの。1等星は全天で21個,2等星は67個なので,合計88個、うち夜の時間帯に見えるのは半分の44個しかない勘定になるそうです。ただし、視力が良くて光害がなければ、6等星まで見えるという。3等星は全天で190個、4等星710個、5等星は2000個、6等星は5600個』
これが全部見えたらまさに満天の星空ということになるのでしょう。

平爺も、子供の頃は贅沢な星空を、その値打ちも知らずに見ていたわけです。

2017.10.10(火)  月の呼び名

仲秋の名月早1週間。早朝ウォーキングのおかげで「有明の月」にはよくお目にかかります。昨朝も雲の切れたあとには欠け始めた月、これは「更待月(ふけまち)」になると思います。

◆仲秋の名月の翌日は「十六夜―いざよい」次は「立待月―たちまち」→「居待月―いまち」→「臥待月―ふしまち」→「更待月―ふけまち」と呼び名が変わっていくようです。
せっかく調べても、十五夜の次は十六夜というのは覚えられますが、その先となると三歩歩けば忘れていると思います。平爺の脳はニワトリ並みですから。

 
居待月―7日  雲に霞む 更待月―9日早暁

それぞれの月をカメラに収めようとしたのですが、天候の関係で撮れたのは十六夜と更待月だけでした。十六夜の月は、見た目満月と変わりない感じでした。
 ・十六夜や又酒のみの言ひ草に―子規
 ・辻君の辻に立待月夜かな―子規
 ・厮から居待の月をながめけり―子規
 ・風あらぶ臥待月の山湯かな―蛇笏
 ・有明や二百十日の二十日月― 子規
二十日月=十五夜から数えて5日目だから更待月ということでいいのでしょうか?)

このほかに満ち欠けで呼び名が変わっていきますか覚えられません。

   新月(しんげつ)→繊月(せんげつ)→三日月(みかづき)→・・・・・・

2017.10.09
(月) 大義無き解散から選挙戦がスタート

今日は体育の日。少しだけ気張り、日課のウォーキングは430分スタート、705分帰宅、2時間35分でした。

◆『大義無き解散』と非難されてから2週間。
総理大臣の一言で国家の大行事がいとも簡単に決まってしまう不思議な国。割り切れなさを残したままいよいよ明日から選挙戦のスタートです。国会を私物化するような一強政治に楔が(くさび)が撃ち込まれるのかどうか。

不気味な朝焼け――政治へのイヤな予兆?

◆政治屋の世界はハチの巣をつついたような大騒ぎ。この大騒ぎが新しき良きものを産むための苦しみであれば結構、、そして独裁者然とした安倍一強政治に幕が下りるのなら大いに結構だが、選挙関連報道を見ているとそんな期待もしぼんでいく。
◆平爺の目には、訳の分からない人たちが右往左往・ハチの巣をつついたような大騒ぎにしか見えない。もっと言えば思想信条なりふりかまわず、何とか自分だけは国会議員で残りたい、当選したい、ただただその一心。

◆大騒ぎの中心にいるのが小池都知事。政治評論家によっては「小池知事は安倍以上のバリバリの右翼」と評されています。やりたい放題の安倍一強政治に終止符を打てるかという期待もあったが、安倍以上のバリバリがその安倍と手を組んだら・・・想像するだに恐ろしい展開が垣間見えてしまう。
憲法、安全保障・・・一瀉千里の勢いで悪い方へと変わって行きそうな恐怖も感じる。いったいどうなっていくのだろうか。

◆政治が教育の内容にまで手を突っ込み、教育勅語復活ひいては明治憲法復帰なんていう馬鹿げたことを「杞憂」とばかり言っていられなくなるかもしれない。日本の土壌にはリベラルは育たないのだろうか。育てるのは国民、国民がまっさらな目で政治を見つめなくてはならないのは今でしょう!!・・・笑いごとではではありません。

2017.10.08
(日) 雑感

目下3連休、気がつきませんでした。毎日が休日の身分ですから・・・。毎日あくせくと汗を流している方々には、行楽の秋を大いに満喫してください。

◆毎月見ている寺院掲示板。今月は

  『私たちの命は
     ただ不思議ということに
            支えられてある』

どのような教えが含まれてるのか、どう理解したらいいのか、実は戸惑っています。「不思議」を「偶然」になおすとわかりやすい気もするが・・・すると意味がまったく違ってしまうか。まあいいや!!

どなたか教えてくださ~い―笑―

◆リオ・オリンピック関連ニュース。誘致に関してIOCとの間で不正な金が動いたのではないかという疑惑が発覚。誘致に消極的となりつつ今、時代に逆行した事件ですね。

思えば長野冬季オリンピックの招致でも不正な金品が動いたとの疑惑が浮上。長野市は資料は廃棄済みとして明らかにしないまま蓋をされてしまった。長野市民として実に恥ずかしい。森友学園・加計学園の疑惑も資料がないとか言いつのり、結局うやむやに。行政の姿勢というのは、いつの時代も進歩がない十年一日のごとし。思考停止・・・

◆今や時代の寵児の感ありは「小池百合子都知事」。連日テレビに出ずっぱり。だけど平爺の目には、その振る舞いや語り口から「誠実」という言葉がまったく浮かんでこない。なぜだろうか。

2017.10.07(土) ―2― 朝刊一面トップ

核廃絶「ICAN」平和賞―ノーベル賞 核禁止条約に貢献」の大活字が躍っていました。

◆ノーベル賞は、ダイナマイトをはじめとする様々な爆薬の開発・生産によって巨万の富を築いたノーベルが、その富を人類のために大きな貢献をした人々に分配するという趣旨で提供された資金をもとに、創設された賞と教わった気がします。

◆始めは土木工事などの平和利用だったものが、その威力の大きさから兵器=爆弾などに利用され、大量の人命を奪い街を破壊していくようになりました。当時の人々にとって、その威力は核兵器並みの衝撃の兵器だったかもしれません。その結果ノーベルは贖罪の思いも込めて巨万の富を財団に提供したという歴史が思い浮かびます。

◆今回平和賞に選ばれたのはICAN=核兵器廃絶国際キャンペーン。まさにノーベルの遺志そのものでないかと思います。

◆国連の場で討議されていた核禁止条約は9月に可決されましたが、唯一の被爆国日本は、政府としてこの討議に不参加、また核保有国のアメリカやイギリス・ロシアなど、そしてその軍事同盟国の日本などが採決をボイコットしてしまったのです。討議の場で存在感を示したのは被爆国日本の政府ではなく、日本の被爆者団体の方々でした。

本来なら唯一の被爆国として総理大臣が、核廃絶に力を尽くしてきた世界の人々に賞賛のコメントを発表すべきと思われるところですが、政府はノーコメント。日本人として恥ずかしい限りです。

2017.10.07
(土) 銃社会

アメリカという国は、世界でもトップクラスの民度の高い国という印象があります。もっと言えば世界に範たる一流国家ということ。
ところが先日、身の毛もよだつような銃乱射事件が報道されました。組織的なテロ行為とは違うようです。ということはアメリカ国民は良識ある隣人同士と思っていても、気を許すといつ銃の脅威にさらされるかもしれない。にもかかわらず銃規制が進まない。私たち日本人には想像できません。確かに日本にも反社会的な暴力組織はあります。だけどあれほどひどいことはしない・・・できないと思います。
日本人の常識では「なぜ銃規制が進まないのか?」という不思議さです。webには「2016年の米国では11000人以上が銃によって死亡した」という情報もあります。

◆ずいぶん古い話ですが、ハロインのときにアメリカ在住の日本人少年が仮装して友だちの家を訪れました。家人は怪しい者と銃を発砲、射殺されてしまったという事件があり日本人を驚かせました。普通の家庭に銃があるのが当たり前、そして銃をいとも簡単に使ってしまう。文化の違いと言えばそれまでですが、銃規制については日本は一等国を誇れる国かもしれません。

アメリカでは銃規制強化に反対する組織があって、政治的にも大きな発言力を有する団体ということを聞いた記憶があります。
他国のことながら、西部開拓魂がいまだに生き残っているのだ・・・と呑気にかまえているときではないようです。トランプの品のない脅し的発言やツイッターも祖先の開拓魂の名残り?

高標山登山の記録

2017.10.06
(金) 「広辞苑」

ほぼ1年ぶりに、山友Мさんと山歩きをしてきました。北信濃の『高標山―1747m』です。休憩込みで2時間半、軽い山ならまだ登ることができそうです。紅葉には少し早かったようです。山行記録は後日。

◆時代が進み、今どき広辞苑(岩波書店刊)を使う人は少ないかもしれません。辞書がなくてもネットでほとんど間に合ってしまいますから。それでも愛着があって広辞苑を処分する気にはなれず、現役として利用しています。1980年刊ですから、もう37年も使っている計算になります。ページ数は2448ページ、重さは約2.6kg。

調べもののついでに、時間つぶしでページをめくっていると結構面白い。ふと頭に浮かんだ語彙を広辞苑はどう説明しているか・・・・思いつくままに引いてみました。たとえば「東・西・南・北」を説明せよと言われたらどう答えたらいいのか、広辞苑は以下の通り。

 「東」・・・太陽の出る方
 「西」・・・日の入る方
 「北」・・・日の出る方向に向かって左側
 「南」・・・日の出る方向に向かって右の方。
この「南」だけで、虫眼鏡でみるような小さな字で1ページあまりも使って説明しています。

 「長さ」・・・直線または或る曲線に沿った二点間の距離。
 「間=ま」・・物と物と、または事と事との間、間隔、あいだの空間、すきま、長さの単位・・・
 「熱」・・・温度の高い物体と低い物体とが接するとき、前者から後者に移行するもの。その本質は物体の分子の衝突を介して運ばれるエネルギー・・・(まだつづきます)

下手な小説より面白く、飽きません。まさに暇つぶしには最適?ただし老眼には字が小さいのが難。平爺は自分でも変わり者だと思います(笑)

2017.10.05(木) 『仲』『中』か?

 
 名月を とってくれろと 泣く子かな(一茶)

「仲秋の名月」は満月とばかり思い込んでいました。実はそうではないようです。昨日4日がその仲秋の名月。ところが月齢カレンダーを見ると満月は6日です。

以下はwebからのつまみ食いです。
◆仲秋→秋の三ヶ月(七・八・九)の「中」にあたる陰暦八月の別称。
 中秋→陰暦八月十五日。

「中秋」の名月と言えば、陰暦(旧暦)815日、つまり秋の真ん中の日の月のことを指します。従って、陰暦815日を示す「中秋」という言葉の方がふさわしいことになります・・・・。 (名月と満月は違うということに注意)

◆仲秋という言葉は、旧暦で8月を示す言葉のひとつです。もともと旧暦の月の呼び方の中に、季節の真ん中の月(春なら2月、夏なら5月、秋なら9月、冬なら11)に「仲」をつけて呼ぶ言葉があります。例えば、「仲春」といえば2月、「仲夏」といえば5月となります。もちろん、「仲冬」という言い方もあり、これは11月を指します。

◆「名月」を「満月」と解釈すれば、「仲秋の名月」でも間違いとはいえなくなるが、もともとの「815日の月」という言葉からすると、「仲秋の名月」よりは、「中秋の名月」の方がより正しい、ということがいえる。・・・わかりにくいな~?どっちでもいいや・・・・・。


「広辞苑」では「ちゅうしゅう」のところに「中秋・仲秋」とある。つまり同じ言葉として扱っているわけです。意は①陰暦8月の異称 ②陰暦8月15日の称と説明されているだけです。
●結局平爺には分かったような分からないような・・・まあいいか

夕刻から雲が消えて、しっかりと名月を味わいました。ウォーキングの途中で摘んできたススキの穂をペットボトルに挿してお月見気分・・・。


2017.10.04
(水) 『糸瓜(へちま)咲て 痰のつまりし 仏かな』
             『痰一斗 糸瓜(へちま)の水も 間にあはず』

これは正岡子規の句。

ホトトギス――フリーサイトより拝借

NHKラジオ深夜便10月2日未明4時台『近代日本150年 明治の群像』は正岡子規でした。耳を傾けながらのウォーキング。去る919日が没後115年目の正岡子規命日、『糸瓜(へちま)忌』『獺祭(だっさい)忌』ともいうそうです。享年35歳。表題の句はラジオ番組の中で紹介されたものです。

亡くなる前日、絶筆の三句は表題の2句のほかに次の一句。
   『をとゝひの糸瓜の水も取らざりき』

「子規」はホトトギスの漢字表記。ホトトギスは口の中が赤いそうです。肺結核の病状が進み、喀血で口の中が真っ赤に。それにかけて「俳号は子規」。

ホトトギスの漢字は杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥、子規、などたくさんあるようです(ウィキペディアより)

鳴かぬなら鳴かぬと鳴けよ鵑(ホトトギス)―子規
「鳴かずんば 鳴かしてみよう ホトトギス」をもじったのだと思います。

頭の中ではウグイスとホトトギスがごっちゃになっていますが
  ◍ウグイスは「ホーホケキョ」
  ◍ホトトギスは「トッキョキョカキョク」とか「テッペンカケタカ」

◆子規というとNHKテレビドラマ「坂の上の雲」を思い出します。主人公秋山真之―安倍寛、正岡子規―香川照之、夏目漱石―小沢征etc. いろいろ考えたり思い出したりしながら歩いていると、ウォーキングの1時間や2時間はすぐに過ぎてしまいます。我が家の庭のホトトギスはあと数日で花を開くと思います。

2017/10/03(
) 人生の仕舞い方―2

昨朝は8℃、夜露で濡れたウサギちゃんのえさ(アカツメクサ)を摘み取ると手が濡れてこごえる感じは冬近し・・・・

◆時間は待ってくれません。最近、テレビなどで「墓」や「葬儀」に関する番組が多くなった気がします。関心が増したから目につくのかもしれません。
   ◍お金はかけたくない
   ◍残された者に迷惑をかけたくない
これが適齢期?を迎えた人々の共通項らしい。平爺も例外ではありません。

◆何日か前、募集中の墓地見学をしてきました。事後の管理や費用のかからない樹木葬、合葬墓などがお目当て。
大仰な墓石という旧来型墓地は少なくなり、また「先祖代々の墓地を守る」という意識も希薄となりつつあり、一代限りの墓地を希望する傾向が年々強くなりつつあるとの業者の話でした。私たち夫婦も同様の考え方です。

◆ネット検索すると、募集中の墓地はたくさんありました。環境・費用・交通の便など実に多彩で、探せば条件に合う物件が見つかると思います。とりあえず❝ここなら❛❜という候補を一つ見つけてきました。

(平爺は、実は墓はいらない、その代わりに「好きな山へ散骨」をと考えたこともありますが、骨を勝手に山へ埋めることはではできないようです。ただし粉末にすれば可能とか。とは言っても他人様の所有地へというわけにはいきません)


2017.10.02(
) 人生の仕舞い方―1

 3日前の月  下部を拡大

●箱の中へしまいっぱなしのデジカメ。10年以上も手を付けてないかもしれない。撮れるかな~と思って3日前、陽が落ちてからの月を撮ってみました。拡大すると下方のクレーターまできれいに撮れていてびっくり・・・まだ使えるじゃん!!ただしかなり重い。
手持ちのデジカメ・古い順に
  CANON・・・540グラム(右の写真を取ったカメラ)
  panasonic・・120グラム
  CANON・・・200グラム
  CANON・・・180グラム
このほかに山で紛失したカメラが3台ありました。使うあてかなくてもなかなか捨てきれないもの。

◆先週の土曜日、カミさんの所属している女性コーラスグループの定期公演がありました。平爺の転勤の都度、行った先々でコーラスグループを見つけては続けてきた趣味のコーラスは
、高校生の頃からだと何十年になるのでしょうか。

◆長年指導を続けてきた先生がガンのために入院。メンバーから絶大な信頼を集めていた先生の代役としては役が重すぎたのかもしれません。慣れないことで仕方ないが、前回までのような力強さや、聴衆との一体感も不十分。団員も消化不良の思いが残ったかもしれない。
聴衆の立場からも、指導者の力は大きいことを知りました。

◆カミさんは平爺より4つ歳下の76才、そろそろ引退の時期と言えるでしょう。目下、12月公演の第九合唱のバックコーラス、目下練習の真っ最中です。しかし、これもそろそろ歳かな~と思っている様子が見えます。

◆平爺も67才でフルマラソンを終了、日本百名山、日本三百名山と踏破し、77才で全国の山2000座登頂の目標も達成。登山に関しては、もう次の目標はありません。店仕舞を意識する歳となりました。

2017.10.01(
) 秋

 《栗 《柿》 

今日から10月、旧暦で言えば「神無月」、八百万(やおよろず)の神様がみんな出雲へ出かけてしまいお留守です。
日々に秋色が濃くなって行きます。黄金波打つ田んぼも切り株が残るだけの殺風景、それもまた秋の風情。

食欲の秋・スポーツの秋・灯火親しむ読書の秋・人恋しい秋・芸術の秋・行楽の秋、もの想う秋・・・・。春のイメージとは一味ちがった「秋」の良さ、それは大人のイメージとでもいうところでしょうか。

食に拘りのない平爺は「食欲」はあまり関係ない。久しく筆を持っていない水彩画の小品を一つ書いてみようかな~。長いブランクがあったから無理かもしれないが。
奈良県に住んでいたとき、斑鳩の里法隆寺や法輪寺まで車なら10数分、法輪寺の絵を描きに行った記憶があります。

 「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺―子規」

 『秋深き 隣は何を する人ぞ』芭蕉
 『この道や 行くひとなしに 秋の暮れ』芭蕉
 『枯れ枝に 烏のとまりけり 秋の暮れ』芭蕉
 『物言えば 唇寒し 秋の風』芭蕉
 『
あくせくと 起さば殻や 栗のいが 一茶

   「里の秋」  ♪ 静かな静かな 里の秋  
          ♪ お背戸に木の実の 落ちる夜は
          ♪ ああ母さんとただ二人 栗の実 煮てます いろりばた
          
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