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2017年10月
前月へ 翌月へ 『がん・人工肛門からの出発』トップヘ 『山岳巡礼』トップへ 2017.10.31(火) 『不便であっても不幸ではない』
このことば、以前からありますが、久しぶりにラジオ深夜便で耳にしました。
障がい者の気持ちは『憐れんでもらうことではなくて理解してほしいということ』なんですね。
外出時、何を忘れても取り換え用の装具だけは忘れるわけにはいかない。装具を取り換える場所(トイレなど)も必要・・・など制約はいろいろありますが、それを一つ一つ取り上げ、数えてもどうにもなりません。障がい者になりたてのころは、見られるのが恥ずかしくて温泉にも入れませんでした。
◆追記―点字ブロックはあるのが当たり前ですが、1945年、岡山県の三宅精一さんという目の不自由の方が、世界で初めて考案したものだそうです。それも自費で。その後世界へと広がっていったということです。
今朝は小雨、冷たい木枯らしのような北風の中1時間35分のウォーキング。いよいよ冬が迫ってきた感じです。 前回の投票率は40%、今回は39%。緊張感のない選挙では致し方なしか。前々市長は4期16年、前期は3期12年、そして現市長は今回が2期目の立候補でした。いずれも地元有力企業のオーナーという経歴のようです。つまり地元の顔役・ボスと言ったところでしょうか。たった一人、対立候補は出ましたが、堅牢な古き壁は突破できなかったようです。もちろん平爺は破れた対立候補へ投票しましたが。 ◆長野県2番目の都市、松本市菅谷市長のこと。
一昨日、新潟上越市の低山―霧ケ岳(507m)へ登ってきました。 毎年数十座以上の山へ登っていたころは当たり前に脚を使っていただけですが、1年ぶりに歩いてみると何となく歩きがギクシャク。言葉では言いにくいのですが、足の運びがなめらかでないということかもしれません。それは多分疲労にも影響してくると思います(ほんとうは老化の要因の方が大きいのかもしれませんが) この程度の山なら、駆け足に近いスピードで往復するのですが、それなりに時間がかかっています。いつまで山歩きが出来るかな~、ふとそんな思いが去来しました。 ◆登山道にドングリがばら撒かれたように落ちていました。何となく拾って持ち帰りましたが使い道までは考えなかった。
昨朝の気温は6℃、かなり寒く感じました。今頃の時期、晩秋と言うべきかはたまた初冬と呼ぶべきか、ちょっと迷います。秋と思っていたら翌日には冷たい木枯らし、そのあとまた気持ち良いポカポカ陽気。着衣も一枚重ねたり、脱いだり。ストーブを点けたり消したり。
◆日本は、季節を春夏秋冬の四季に分けています。四季の境い目は陽気が行ったり来たり、この日を境にしてということはありません。いつとはなく春となり、いつか夏となり、秋、冬へと進んでいきます。
ところで四季のうち一番短く感じるのは・・・web検索するとそれは秋のようです。言われてみればそんな気もします。これは北の北海道と南の九州ではちがうかもしれません。
◆我が家もストーブ用の灯油をとりあえず18ℓポリタンク6本用意しました。この冬、何本くらい使うことになるか。なるべく雪が少なく暖かな冬であってくれれば助かる。
そうそう「なぜ秋というのか」、諸説あるらしい。 ・空があきらか(清明)な時期 「女ごころと秋の空」は、そもそもは「男ごころと心と秋の空」を言い変えられたものとか。
どっちが大賞に選ばれるか、今からデットヒートが見ものです(笑)
◍「こんな人たち」 ― 安倍首相・・・・都議選における発言 近ごろの政治を見ていると「質が落ちたな~」というのが実感。何とかならんもんかネ―。背景は国民の政治意識の問題、つまりバカな国民となめられているのでしょうね。
総選挙は、もう済んでしまったこと。今さらグタグタ愚痴をこぼしても詮ないこと。分かってはいるものの気持ちのおさまりがつかない。「諦めがよく、あとを引かない」のが平爺のよいところの筈なんですがネー。
◆昨日は、虫眼鏡で活字を拡大、目をしょぼしょぼしながら新聞の開票結果を見てみました。関心がおありでしたら次の数字を見てください。
【地方区獲得議席 総数―289人】
【比例区獲得議席 総数―176人】
◍地方区に注目してください。自民党の獲得票数は48%ですが、獲得議席数は75%。 つまり、獲得議席数と民意は必ずしもリンクしておらず、選挙制度にも問題があるのかもしれませんし、自民党が「勝った、勝った、自公への信頼が証明された」と有頂天になるような中身ではないということです。
ウサギちゃんがいなくなってょっと淋しい気分です。
毎朝アカツメクサを与えるだけのことですが、それか日課になっていると何だかポカンと穴があいたような気がします。生きているのか死んだのか、はたまたどこかへ移ったのか・・・分からないだけに一層気にかかります。
子供の頃、年末になると飼い兎を解体してくれる業者が回ってきて、目の前で手際よくさばいていくのを、感情もなくただ何となく見ていたのを思い出します。同じウサギなのに変ですね。もちろん寂しいとか可哀想という感情はありませんが、それは薄情とは違うと思います。
◆ところで上記のウサギちゃんのことは「淋しい」と「寂しい」・・・どっちが正しいのだろうか。気になってちょっと調べてみました。読み方はどちらも「さみしい、さびしい」で一緒です。
意味は「寂しい」も「淋しい」もまったく同じ、違いはないということです。
両者の意味はまったく全く同じ、どっちを使って間違いではないが、「淋しい」は常用漢字ではなく、「寂しい」が常用漢字になっているので、新聞や教科書などでは「寂しい」が使われているとのことです。
ちなみに、高峰三枝子の歌った「湖畔の宿」は「♪山の淋しい湖に ひとり来たのも悲しいこころ・・・」でした。
総選挙の結果を見て茫然自失。 忖度・隠蔽にまみれたこうした政治運営への不信感は燎原の火のごとくに広がり、一時は安倍内閣支持率30%台にまで落ち込むという事態となり、政治が変わるかもしれないという期待を持たせてくれました。 総選挙直前のマスコミ調査でも安倍内閣容認は自民党支持層の中でも半数という報道もありました。人心は安倍政治に完全に倦んでいたはずです。 ところが蓋を開けてみると想定をはるかに上回る自民大勝。要因は野党のだらしなさや、わけのわからない小池新党の引っ掻き回しもありますが、何でもすぐに許してしまう寛容?な国民性と、牽強付会(
ケンキョウフカイ)の政権幹部たちの悪知恵を見抜けぬ善良すぎる国民。 恨み節かもしれませんが、期待を裏切ったのは大義無き解散をした安倍と、都議会を制覇した高邁・驕り、見下し目線の小池都知事と思っています。 ◆戦後最低言われた前回投票率、それがさらに下回ったのではないかとも言われている。つまり有権者の半数近い人たちが投票権を放棄したということです。これで先進国というにはいと恥ずかしい限り。棄権は恥という文化が育ってほしいものです。
昨日は、むなしくテレビや新聞を見ていました。
誤解を恐れずに言わせてもらえば、政治なんて他人ごと、自分には関係ないと思っている人が多い結果なのかもしれません。平爺は選挙権を行使できるようになってから、国政、地方選挙とも棄権したという記憶はありません。若いころ、投票日は必ずしも休日ではなかったと思いますが、その代わり投票のための出勤遅刻か認められていたような記憶があります。
◆11月には第4次安倍内閣が発足するようです。与党は改憲発議に必要な4分の三の勢力を有し、ただちにそれに向けて動き出すものと思います。そのポイントは平和憲法の要「第九条」に手をつけることのようです。
先日の新聞で
『安倍9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名』 新聞の署名用紙を切り抜き、昨日妻と署名して郵送しました。
◆昨日、まだ暗い4時半ころ、前日から用意しておいたアカツメクサを巣箱に入れようとしたとき・・・いつもなら金網から鼻を突きだし、待ちきれないように食いついて、美味しそうに食べ始めるのを確認、それからウォーキングとなるはずが・・・。 選挙投票日は悪天予報のため土曜日に期日前投票へ。ところが期日前投票は昨日まで。仕方なく野道を回り道して帰宅。その途中タンポポがたくさん生えている。冬を間近に、好物のアカツメクサが少なくなってきた、確かウサギはタンポポも好んで食べた記憶がある。試しに葉っぱ1枚だけとって金網越しに与えて見る。美味そうにムシャムシャ・・・。これなら明朝からはタンポポでも間にあいそう。 ◆その翌22日(日)、いつも通り未明にウォーキング出発、2日ほど前に採っておいたアカツメクサを手に、まずはウサギちゃんへ。あれっ?巣箱の戸が開きっぱなし・・・街灯の光で中を覗いてもウサギの姿がない。閉め忘れて逃げ出したのか・・・巣箱の高さは1メートル余、飛び降りるだろうか。それとも急死して片付けたのか。昨日タンポポの葉っぱを与えたのは金網の隙間からで戸は開けていない。飲み水の器もない。謎の失踪。あるいはウサギ大好き人間が誘拐・・・謎を残して消えてしまった。 半年ほど、毎朝欠かさず接してきたウサギちゃん、どこへ行ったの・・・誰かにもらわれて幸せならいいが。まさか天国へ。明日からのウォーキングが少し寂しくなりそう。 ◆安倍自民圧勝・・・何で?
今日は投票日。台風21号の襲来を警戒して昨日期日前投票をすべく出かけたところ、近くの投票所は昨日まで。本庁まで行くようにと言われたが、車を走らせてまで行くこともあるまい、昨日も今日も一票は一票なんだから。 ◆ラジオを聞いていて、ふと日本最南端の人の住む島は?まったく見当がつきません。小笠原諸島の方かな・・・。web検索するとそれは「波照間島」、名前は聞いたことがあるがどのあたりにあるのか。地図で探すと石垣島から少し南に離れた洋上の島でした。人口約500人、自転車で一周するのに2時間。石垣島から高速船で約1時間とのこと。 石垣島は、登山と観光を兼ねて行ったことがありますが、波照間島のことは知りませんでした。 波照間島へ行ってみたい気がしますが、ちょっと無理だろうな~ 【参考】日本最東端 南鳥島(自由に入れる最東端は、納沙布岬)
明日は選挙の投票日。安倍政治手法に納得できない平爺としては、現政権への牽制となる結果が出ることを願っているのですが・・・・
◍国民としての義務は、勤労の義務、納税の義務、子供に教育を受けさせる義務など。 「義務」は果たさないと罰せられるが、「権利」は行使しなくてもぺナルティはない。しかし先人が苦労して手にした選挙権、それを放棄するような愚だけはしないでほしいと思います。 ●総務省HPの資料
ちなみに 1967年―74% 1979年―68% 1993年―67% 2003年―60%
一昨日は中学生時代の同級会でした。(1952 卒業)
◆卒業時の人数 50名(男26名・女24名) ◆90才を超えた恩師、そして同級生も80才の大台にのり、まさに老境、気力も体力も衰えてきています。相談の結果、今回を最後としてこの会を解散することになりました。
◆年ごとに年賀状をやりとりする相手が減って行くのと軌を一にしているのと同じこと、これも「終活」の一つと言えそうです。 『終活』と言う語は、1980年版広辞苑には載っていません。最近の造語?
ウォーキングの途中、ウサギが好物の野草―アカツメクサを採り、巣箱に差し入れする日課は今も続けています。
加工された固形エサと違って、取り立て新鮮の草、ウサちゃんには飛び切りのご馳走でしょう。 ◆数日前から堤防土手の除草作業が始まりました。すべての草が刈りとられていきます。アカツメクサも同様、刈り残されたのを探して採取。少し多めにとれたときは冷蔵庫に保管して翌日持って出ます。
メディアの調査・予想によれば、当初の予想をかなり上回る与党優勢との情報。小池都知事率いた都議選選挙は、所詮線香花火だったのか、夢幻の如く消え失せそう。いっときのブームに乗っただけ、地に足のつかないような小池党首には疑問を禁じ得ず、第二自民党的体質が漂うのを感じていた。 ◆これは好みの問題かと思いますが、あの「灰汁―あく」の強さはどうにも鼻もちなりません。タイミングを捉える勘は凄いのかもしれませんが、唯我独尊・裏のまた裏がありそうで・・・どうにも鼻持ちならない感じが拭えなかった。 ◆かけ引きだけで生きるなんて、そんな仕事は絶対にやりたくないいという人も多いと思います。しかしやってくれる人がいないとこれまた困る。
昨朝の長野市は冷たい小雨。手袋をはめてのウォーキングでした。帰宅して温度計をみると9℃あたり。晩秋から初冬へと季節は移りつつあります。日・明日にでも、そろそろ水道の不凍栓を締め、暖房用の灯油手配をしくては。 ◆大義無き解散、忖度政治や強引な国会運営への批判が強まり、これで政治に少し変化をもたらすか・・・と期待が膨らみました。ところがテレビや新聞の世論調査などを見ていると、期待は日ごとにしぼんでいきます。政治を変えるということは大変なことと、今更ながら強く感じています。まさに艱難辛苦の果てに手に入れることのできることなのだと悟ります。 ◆『新しきものなし』という言葉を何かで見たか聞いた記憶があります。web検索すると聖書の中に「日の下に新しきものなし」というのがあるようです。意味は「新発見とか新発明といわれているものでも、この世にあるすべてのものは本当に新しいものはなく、これまでにあったものに多少の手を加えて新しい形に変化させたにすぎないということ」と解説していす。 つまり、簡単には天地がひっくり返るようことはないということかもしれませんが、誰かが諦めずに努力を続けていれば、いつかは変わるということとも読み取れます。
核兵器がらみの米朝緊張ベルがエスカレート。不気味です。実戦で初めて核兵器を使った国アメリカ自身は、わが身を振り返ったときどう対応するのか。ヒロシマ・ナガサキは仕方なかったでは済まされまい。 ◆先般発表された2017年ノーベル平和賞が、核兵器禁止条約の採択に貢献したことが評価され『核兵器廃絶キャンペーン(ICAN)』に決まったニュースはこの日記にも書きました。そして唯一被爆国である日本が、その条約の採決をボイコットたことも。さらにこの平和賞について政権は何の反応も示さなかったことも。 ◆ICANの発足当初、あと押しする声を上げたのはオーストラリア原住民のアボジニア人であることを初めて知りました。 ◆広島原爆記念館の入場者数は、1985年当時に比べると4割減と落ち込んでいるが、それ以上の減にはならずに中・高校修学旅行生の数もほぼ横ばい中。減少に歯止めがかかっていることに救いを感じます。次世代を担う子供たちに、その現実向き合わせることに力をそそぐ教育関係者の努力が、今も引き継がれているということだと思います。見て見ぬふりをしているのは、政権関係者の中の一派か。 ◆「私は戦争が怖いです。戦争は恐ろしい。でも核戦争はもっと恐ろしい。考えただけでも震えてしまいます。核戦争では誰も無事でいられません。核兵器は駄目です。私たちは、決して誰にも使わせないようにしなければ、そしてその為に努力する人たちを応援しなければなりません。」―これはwebで目にしたヤングニィジャジャラ族の長老ヤミ・レスターさんの訴え。 ◆日本原水爆被害者団体協議会代表「故谷口稜曄」氏が、国連の場で自らの体験を語っている様子をテレビで見ました。静かな語り口がかえって核廃絶への迫力が強く感じられました。 同盟国アメリカに気兼ねしてか、核兵器問題に逃げ腰なのは日本政府。被爆国の一人として情けない思いです。
大義無き解散・総選挙との批判にさらされた安倍内閣。窮地の安倍一強もようやく終焉を迎えるかと思った。大方の予想も与党議席大幅減。これで常軌を逸したとしか見えなかった政治も少しは方向を変えるか・・・と期待した。 森友学園、加計学園にからむ忖度政治、防衛大臣の日報隠ぺい問題など、都合の悪いものは「そうした記録は無かった、記憶にない・・・」などの不誠実な政府対応に業を煮やした国民は、報道各社などのアンケートに「説明責任を果たしていない、真摯な対応をしていない」との回答が確か80%ほどに達していたと記憶しています。 ところが総選挙の予想は上記の通り。あれとこれとは違うということか。愚鈍な平爺には理解できない。明日の日本はどこへ行く
東名高速中井IC付近でのいやがらせが引き金となって二人が死亡という痛ましい事故。テレビなどを見ていると過失事故ではなくあれは殺人。少なくても未必の故意による殺人としか思えず、憎悪を抑えきれない心境です。 あんな輩が同じ道を走っているのかと思うと、車の運転をするのが恐ろしくなってくる。他人ごとではありません。 ◆ふと気づくと、殺人事件の報道を見聞きしても「またか・・・」という程度に受け止めてしまう。それほど当たり前に起きているとも言える。「安全」という面では、日本は世界一治安のよい国と言われてきたが、これでもまだ日本は治安世界一を誇っても良いのだろうか。
▽「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。「止水」は止まって、静かにたたえている水のことで『邪念がなく、澄み切って落ち着いた心』の形容。・・・広辞苑より ◆立候補者にとっては、生きるか死ぬかの戦いがスタート。窮地に追い込まれた安倍内閣は「国難突破解散」と訳のわからないざれごとを言って衆議院解散。お前が総理の座にしがみついていることこそ『国難』だ、そう信じてやまない平爺。 『数を良いことに強引な政治運営就中、多くの知識人法律家などの憲法違反指摘を無視して自衛隊海外派兵、共謀罪・秘密保護法などを強行採決、さらに立場を利用した個人的な忖度・便宜供与(森友学園・加計学園)・・・こんなひどい内閣が過去にあっただろうか。 ◆この総選挙、明鏡止水の心境で信ずるところに従って投票するつもりだった・・・が、離合集散、蜂の巣をつついたが如くの惨状。これでは安倍総理に鉄槌を下すのは到底無理・・・そんな気がしてきた。なぜ日本の政治はこうなってしまうのだろう。 ◆すべての有権者は、さまざまなしがらみを捨て、この日本をどのような形で子や孫に残したいのか、そこのところをよくよく考えて投票してほしい。平爺も明鏡止水の心境になれないような混沌の状況にありますが、よくよく考えて貴い一票を投じるつもりです。余談ながら、花ことばの中に「紅梅―澄んだこころ」とあります。11月の総選挙、時期がちょっとずれているな~
去る9日は「体育の日(10月第二月曜日)」でした。 ◆体育・スポーツ・運動はどんな違いがあるのか、ふと調べて見たくなった。広辞苑を引く。 ◆文科省の中にわざわざ「庁」を作らなくても、文科省の一部局で十分な気もします。民主党政権時代の「事業仕分け」にかかったら、きっと庁ではなく一部局という判断に至っただろうと想像。これも行政組織肥大化の産物か。 国民の祝日に関する法律によると、体育の日は『スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。』と書かれています。
朝日新聞記事の見出し「見える星を増やしませんか」
◆光害の原因となる光は、工場、街灯のほか家庭など様々なところから出されている。市街地では、もう星空を眺めるのは不可能になってきているのかもしれない。平爺が子供の頃、空を見上げれば美しい天の川が明瞭に見えたのに、今は田舎でも肉眼で銀河を見ることは難しいかもしれない。天の川を知らない都会の子供たちが可哀そう。 ◆web検索すると、日本では《長野県阿智村》《岩手県洋野町》《沖縄県竹富町波照間島》《島根県津和野町》久住高原(大分県)国立天文台野辺山(長野県)高峰温泉(長野県)姫沼(北海道)・・・などが、星空観察を楽しめることで知られているとのこと。 【冬の星座】―歌詞2番
◆ところで肉眼で見える星の数はどれくらい?・・・以下はwebより。 平爺も、子供の頃は贅沢な星空を、その値打ちも知らずに見ていたわけです。 仲秋の名月早1週間。早朝ウォーキングのおかげで「有明の月」にはよくお目にかかります。昨朝も雲の切れたあとには欠け始めた月、これは「更待月(ふけまち)」になると思います。 ◆仲秋の名月の翌日は「十六夜―いざよい」次は「立待月―たちまち」→「居待月―いまち」→「臥待月―ふしまち」→「更待月―ふけまち」と呼び名が変わっていくようです。
それぞれの月をカメラに収めようとしたのですが、天候の関係で撮れたのは十六夜と更待月だけでした。十六夜の月は、見た目満月と変わりない感じでした。 ◆『大義無き解散』と非難されてから2週間。
◆政治屋の世界はハチの巣をつついたような大騒ぎ。この大騒ぎが新しき良きものを産むための苦しみであれば結構、、そして独裁者然とした安倍一強政治に幕が下りるのなら大いに結構だが、選挙関連報道を見ているとそんな期待もしぼんでいく。 ◆大騒ぎの中心にいるのが小池都知事。政治評論家によっては「小池知事は安倍以上のバリバリの右翼」と評されています。やりたい放題の安倍一強政治に終止符を打てるかという期待もあったが、安倍以上のバリバリがその安倍と手を組んだら・・・想像するだに恐ろしい展開が垣間見えてしまう。 ◆政治が教育の内容にまで手を突っ込み、教育勅語復活ひいては明治憲法復帰なんていう馬鹿げたことを「杞憂」とばかり言っていられなくなるかもしれない。日本の土壌にはリベラルは育たないのだろうか。育てるのは国民、国民がまっさらな目で政治を見つめなくてはならないのは今でしょう!!・・・笑いごとではではありません。
目下3連休、気がつきませんでした。毎日が休日の身分ですから・・・。毎日あくせくと汗を流している方々には、行楽の秋を大いに満喫してください。
◆毎月見ている寺院掲示板。今月は 『私たちの命は どのような教えが含まれてるのか、どう理解したらいいのか、実は戸惑っています。「不思議」を「偶然」になおすとわかりやすい気もするが・・・すると意味がまったく違ってしまうか。まあいいや!! どなたか教えてくださ~い―笑―
◆リオ・オリンピック関連ニュース。誘致に関してIOCとの間で不正な金が動いたのではないかという疑惑が発覚。誘致に消極的となりつつ今、時代に逆行した事件ですね。 思えば長野冬季オリンピックの招致でも不正な金品が動いたとの疑惑が浮上。長野市は資料は廃棄済みとして明らかにしないまま蓋をされてしまった。長野市民として実に恥ずかしい。森友学園・加計学園の疑惑も資料がないとか言いつのり、結局うやむやに。行政の姿勢というのは、いつの時代も進歩がない十年一日のごとし。思考停止・・・ ◆今や時代の寵児の感ありは「小池百合子都知事」。連日テレビに出ずっぱり。だけど平爺の目には、その振る舞いや語り口から「誠実」という言葉がまったく浮かんでこない。なぜだろうか。 核廃絶「ICAN」平和賞―ノーベル賞 核禁止条約に貢献」
◆ノーベル賞は、ダイナマイトをはじめとする様々な爆薬の開発・生産によって巨万の富を築いたノーベルが、その富を人類のために大きな貢献をした人々に分配するという趣旨で提供された資金をもとに、創設された賞と教わった気がします。
◆始めは土木工事などの平和利用だったものが、その威力の大きさから兵器=爆弾などに利用され、大量の人命を奪い街を破壊していくようになりました。当時の人々にとって、その威力は核兵器並みの衝撃の兵器だったかもしれません。その結果ノーベルは贖罪の思いも込めて巨万の富を財団に提供したという歴史が思い浮かびます。
◆今回平和賞に選ばれたのはICAN=核兵器廃絶国際キャンペーン。まさにノーベルの遺志そのものでないかと思います。
◆国連の場で討議されていた核禁止条約は9月に可決されましたが、唯一の被爆国日本は、政府としてこの討議に不参加、また核保有国のアメリカやイギリス・ロシアなど、そしてその軍事同盟国の日本などが採決をボイコットしてしまったのです。討議の場で存在感を示したのは被爆国日本の政府ではなく、日本の被爆者団体の方々でした。
本来なら唯一の被爆国として総理大臣が、核廃絶に力を尽くしてきた世界の人々に賞賛のコメントを発表すべきと思われるところですが、政府はノーコメント。日本人として恥ずかしい限りです。
アメリカという国は、世界でもトップクラスの民度の高い国という印象があります。もっと言えば世界に範たる一流国家ということ。 ◆ずいぶん古い話ですが、ハロインのときにアメリカ在住の日本人少年が仮装して友だちの家を訪れました。家人は怪しい者と銃を発砲、射殺されてしまったという事件があり日本人を驚かせました。普通の家庭に銃があるのが当たり前、そして銃をいとも簡単に使ってしまう。文化の違いと言えばそれまでですが、銃規制については日本は一等国を誇れる国かもしれません。 アメリカでは銃規制強化に反対する組織があって、政治的にも大きな発言力を有する団体ということを聞いた記憶があります。
ほぼ1年ぶりに、山友Мさんと山歩きをしてきました。北信濃の『高標山―1747m』です。休憩込みで2時間半、軽い山ならまだ登ることができそうです。紅葉には少し早かったようです。山行記録は後日。 調べもののついでに、時間つぶしでページをめくっていると結構面白い。ふと頭に浮かんだ語彙を広辞苑はどう説明しているか・・・・思いつくままに引いてみました。たとえば「東・西・南・北」を説明せよと言われたらどう答えたらいいのか、広辞苑は以下の通り。 「東」・・・太陽の出る方 「長さ」・・・直線または或る曲線に沿った二点間の距離。 下手な小説より面白く、飽きません。まさに暇つぶしには最適?ただし老眼には字が小さいのが難。平爺は自分でも変わり者だと思います(笑)
「仲秋の名月」は満月とばかり思い込んでいました。実はそうではないようです。 以下はwebからのつまみ食いです。 「中秋」の名月と言えば、陰暦(旧暦)で8月15日、つまり秋の真ん中の日の月のことを指します。従って、陰暦8月15日を示す「中秋」という言葉の方がふさわしいことになります・・・・。 (名月と満月は違うということに注意) ◆仲秋という言葉は、旧暦で8月を示す言葉のひとつです。もともと旧暦の月の呼び方の中に、季節の真ん中の月(春なら2月、夏なら5月、秋なら9月、冬なら11月)に「仲」をつけて呼ぶ言葉があります。例えば、「仲春」といえば2月、「仲夏」といえば5月となります。もちろん、「仲冬」という言い方もあり、これは11月を指します。 ◆「名月」を「満月」と解釈すれば、「仲秋の名月」でも間違いとはいえなくなるが、もともとの「8月15日の月」という言葉からすると、「仲秋の名月」よりは、「中秋の名月」の方がより正しい、ということがいえる。・・・わかりにくいな~?どっちでもいいや・・・・・。 「広辞苑」では「ちゅうしゅう」のところに「中秋・仲秋」とある。つまり同じ言葉として扱っているわけです。意は①陰暦8月の異称 ②陰暦8月15日の称と説明されているだけです。 夕刻から雲が消えて、しっかりと名月を味わいました。ウォーキングの途中で摘んできたススキの穂をペットボトルに挿してお月見気分・・・。
これは正岡子規の句。
NHKラジオ深夜便10月2日未明4時台『近代日本150年 明治の群像』は正岡子規でした。耳を傾けながらのウォーキング。去る9月19日が没後115年目の正岡子規命日、『糸瓜(へちま)忌』『獺祭(だっさい)忌』ともいうそうです。享年35歳。表題の句はラジオ番組の中で紹介されたものです。 亡くなる前日、絶筆の三句は表題の2句のほかに次の一句。 「子規」はホトトギスの漢字表記。ホトトギスは口の中が赤いそうです。肺結核の病状が進み、喀血で口の中が真っ赤に。それにかけて「俳号は子規」。 ホトトギスの漢字は杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥、子規、などたくさんあるようです(ウィキペディアより) ◆子規というとNHKテレビドラマ「坂の上の雲」を思い出します。主人公秋山真之―安倍寛、正岡子規―香川照之、夏目漱石―小沢征etc.
昨朝は8℃、夜露で濡れたウサギちゃんのえさ(アカツメクサ)を摘み取ると手が濡れてこごえる感じは冬近し・・・・
◆時間は待ってくれません。最近、テレビなどで「墓」や「葬儀」に関する番組が多くなった気がします。関心が増したから目につくのかもしれません。 ◆何日か前、募集中の墓地見学をしてきました。事後の管理や費用のかからない樹木葬、合葬墓などがお目当て。 ◆ネット検索すると、募集中の墓地はたくさんありました。環境・費用・交通の便など実に多彩で、探せば条件に合う物件が見つかると思います。とりあえず❝ここなら❛❜という候補を一つ見つけてきました。 (平爺は、実は墓はいらない、その代わりに「好きな山へ散骨」をと考えたこともありますが、骨を勝手に山へ埋めることはではできないようです。ただし粉末にすれば可能とか。とは言っても他人様の所有地へというわけにはいきません)
●箱の中へしまいっぱなしのデジカメ。10年以上も手を付けてないかもしれない。撮れるかな~と思って3日前、陽が落ちてからの月を撮ってみました。拡大すると下方のクレーターまできれいに撮れていてびっくり・・・まだ使えるじゃん!!ただしかなり重い。
◆長年指導を続けてきた先生がガンのために入院。メンバーから絶大な信頼を集めていた先生の代役としては役が重すぎたのかもしれません。慣れないことで仕方ないが、前回までのような力強さや、聴衆との一体感も不十分。団員も消化不良の思いが残ったかもしれない。
◆カミさんは平爺より4つ歳下の76才、そろそろ引退の時期と言えるでしょう。目下、12月公演の第九合唱のバックコーラス、目下練習の真っ最中です。しかし、これもそろそろ歳かな~と思っている様子が見えます。
◆平爺も67才でフルマラソンを終了、日本百名山、日本三百名山と踏破し、77才で全国の山2000座登頂の目標も達成。登山に関しては、もう次の目標はありません。店仕舞を意識する歳となりました。
今日から10月、旧暦で言えば「神無月」、八百万(やおよろず)の神様がみんな出雲へ出かけてしまいお留守です。 食欲の秋・スポーツの秋・灯火親しむ読書の秋・人恋しい秋・芸術の秋・行楽の秋、もの想う秋・・・・。 食に拘りのない平爺は「食欲」はあまり関係ない。久しく筆を持っていない水彩画の小品を一つ書いてみようかな~。長いブランクがあったから無理かもしれないが。 『秋深き 隣は何を する人ぞ』芭蕉 |