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2017 年12月

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 2017.12.31(日)     





昨日は息子と孫娘同行で菅平スキー場へ。滑ってみて圧迫骨折がまだ完全回復でないことを認識しました。そこそこの滑りしか出来ません。
大きなスキー場ですが、もしかすると平爺が最高齢者だったかもしれません。スキー卒業の時期が近そうです。

菅平スキー場・霧氷

◆つたないホームページ「山岳巡礼」と「がん人工肛門からの出発」にお付き合いくださいました皆様には厚く厚くお礼申しあげます。『山岳巡礼』が17年間、『がん・人工肛門からの出発』が19間年、今日まで続けて来られましたのは一重にお立ち寄り下さる皆さまのおかげと思っています。

◆平成29年酉年が終わろうとしています。今年は齢80の大台にのった年でもありました。妻からは「歳をとったわネー」と何回言われたことか。50年昔の80才なら、推しも押されもせぬ長老格。寿命の延びた今の世では鼻たれ小僧・・・・とは言え、老いを意識する場面は枚挙にいとまがなく、とりわけ「脳ミソ」においてそれが顕著、わかっていても止めようがありません。今年1年、独断と偏見に満ちた勝手な言い分に、辛抱強くお目を通してくださいましたこと、ただただ深く感謝しています。

日々弱って行くノーミソにムチ打ち、もう少し続けてみたいと思っています。どうか来年もよろしくお願い申し上げます。

 新しい年が皆様にとりまして
        素敵な年となりますように!!



2017.12.30(
) 去る年を振り返る

雪も風情? 庭の片隅

昨夕、孫娘(中二)とパパ来宅。大学生となった姉の方は、諸事多忙とかでパス。もう「おじいちゃん、おばあちゃん」という年代は卒業、自分なりに広い世界を築いているようです。一人立ちする大人への変化と思えば喜ぶべき・・・・本音はヤセがまん?

◆今日はカレンダーの取り換えなどで2017年とサヨウナラ。この1年、何があったのかな~・・・・取り立てて頭に浮かぶこともないが、あえて言えば胸骨圧迫骨折が尾を引いた年と言うことでしょう。無理していくつかあげてみると

下山ルートを誤り、マイカーをデポした場所が不明。地元の方が1時間半もかけて見つけて下さった。「見ず知らずの方の親身さ」が身に染みました。
◍毎日欠かさずケガのリハビリ運動励行・・・1回15~20分
◍無休で毎日ウォーキング・・・1/112/30 計432時間―1日平均1時間11分    (ケガのため1~4月は1日平均30分以下)
◍山行回数・・・わずか6回。登山開始後の最低を更新。多い年は年間60日以上山へ登っていたのに。
◍冬の寒い早朝、地元天満宮へ孫娘大学入試合格 祈願100日。ジジ馬鹿
◍週1回の認知症介護施設のボラ活動、満7年経過・・・継続は力

2017.12.29(
) ケガの治療が一段落

昨日はしめ飾りをして正月の準備。28日と30日が良いと言われるのはなぜ。Web検索すると以下のような説明が。『一般的に、良くない言われるのは29日と31日。理由は、29二重苦や、苦立てで「9」が「苦」につながるからだと。31日は一夜飾りと言い、神様を迎えるのにたった一日しか飾らないのは失礼だから?――平爺は気にしませんが・・・・

◆27日夜から降り始めた雪は、今冬初の大雪になりました。積雪は25cmほどになったようです。まとめと雪かきをするのは大変、様子を見ながら3回、雪かきというのは腰を使う作業、そのあと少し違和感を感じますが、気にするほどではありません。
今朝-8℃の寒いウォーキング、頬を刺す寒気が痛い。凍った路路に脚をとられないう気持ちを集中して1時間25分。

針を毎回とり替えて28回使用

ガリガリに凍ったガラス戸

1年間毎日続けてきた骨粗鬆症の自己注射が終わりました。蚊に刺されたほどの痛みでも、自分で針を射すのは心穏やかではありません。日課のウォーキングに出る前のセレモニーのようなものでした。
予定は2年間でしたが、1年で終了。40日分で約5万円(保人負担は1割)、安い薬ではありません。骨密度は標準よりわずかに低い程度、ほんとうに必要だったのかな~、医者には逆らえません。
◆注射とは別にストレッチ運動と、リハビリ体操を、欠かさずほぼ毎日続けてきました。リハビリは7種類、時間は15~20分。これは効果が実感できます。ケガの前からときどき腰痛があったり、靴下を片足立ちで履くことが難しかったのに、今は座ったり掴まったりすることはありません。

ケガとは関係なしに、リハビリ運動はこれからも続けていきます。

2017.12.28(
) 御用納め

スズメのエサ台にも積雪

認知症介護施設へのボラは昨日で御用納め?数えてみたら満5年になりました。

この施設へのボラは当初8人でスタートしました。櫛の歯が欠けるように落後して、残るは平爺一人だけ。たかがボランティア、されどボランティアというところしょうか。

「私、介護施設でボラをやっているの」響きが何となくカッコいい。世の中のためになっている、そんな誇りのようなものが支えになっているのも事実です。「ボランティアなんて、体を張ってやるようなものではない、自分の時間のほんの一部を世の中のために使えばいい・・・」それも間違いではないと思いますが、ほんとうに役に立ちたいならば、それなりの「真剣さ」もまた大切だとの意識で平爺は取り組んできました。
一寸かじってみて、美味くないと言って吐き出すのなら、最初から口に入れなければいい。人の役にたちたいならそれなりの覚悟が大切。平爺も年齢を考えると、役に立てるのもあと23年かもしれません。ぎりぎりまで続ける覚悟はありますが。

積雪、スズメのエサ探しもますます大変になりますが、ボランティア精神で面倒を見過ぎるわけにはいきません。限界を心得ながら。
昨日の日記に貼付した柿の写真。来年もたくさん実りますようにとの願いをこめ、一つか二つ取り残すのを「木守柿―こもりがき、きまもりがき」と言い、俳句の季語にもなっているようです。


2017.12.27()  「貯古齢糖」・・・これ読めますか?

NHKマイあさラジオ―今日は何の日? 「1878(明治11)1224日、チョコレートの広告が初めて新聞に掲載された日」だそうです。当時チョコレートは「貯古齢糖」と書いたそうですが、果たして読める人はいたのでしょうか?

柿一つ 取り残してや・・・
 
 拙宅-雪景色 am845

ココア=香楜阿 コーヒ―=珈琲  カトリック=加特力
 カカオ=加加阿
 ドイツ=独逸   フランス=佛蘭西
 ロシア=露西亞 キューバ=玖瑪
  ニューヨーク=紐育
もしも「片仮名」が無かったら、日本は「英語が国語とならざる得をなかった」のではないか・・・と平爺は思う。

英語の「音」をある程度カタカナ表記にできるから何とかなるが、カタカナがなかったら、英語に超弱い平爺はこの世から落ちこぼれていた。


◆太平洋戦争当時、英語を「敵性語」として使用が禁止となった。たとえば

「ラグビー」→「闘球」」 「バレーボール」→「排球」 「ゴルフ」→「打球」 「ハンドボール」→「送球」
「クロール」→「速泳」 「スキー」→「雪滑」 「スケート」→「氷滑」
◆野球審判用語の一例
◍ピッチャー→投手 キャッチャー→捕手 一塁手 遊撃手 中堅手 
◍ストライク→よし一本、よし二本、よし三本それまで
◍フェアヒット→よし  ◍ファールボール→だめ

戦争のさなかとは言え、まるで漫画の世界です
◆パーマネント→電髪 フライ→洋天 「バック・オーライ・ストップ」→「背背・発車・停車」

 ♪ドレミハソラシド→ハニホヘトイロハ

http://www.yakyu.okinawa/article/do_you_know/article_52.html を参照しました。

2017.12.26 (
) 
ああ、昭和は遠くなりにけり・・・・

新聞地方版に映画館の記事。内容は、昔の姿で残っている日本一古い映画館とのこと。その映画館はどこにあると思いますか?何と平爺の暮らす長野市にあるのです。昨年、空前の興行収益を記録したという「君の名は」や「この世界の片隅に」を上映した“相生座”という小さな映画館です。(木造・100年以上とか)

平爺の10台後半の時代、いちばんの娯楽と言えば100人のうち99人は映画という時代。
日本一古いというだけあって、椅子などは新しくしているものの、座席数も少なく、どこなく垢抜けない野暮ったさが年輪を感じさせ、そこはかとない郷愁を呼び覚ましてくれる雰囲気があります。たまにしか行きませんが、時には観客が10人か20人ということもあります。

◆往時、映画と言えば庶民最高の娯楽、テレビが一般家庭に普及しだしたのは1960年代以降、東京オリンピックが普及の後押しを。白黒からカラーへ、画面サイズも大きくなり、ハイビジョン、8Kへと進化しています。もう映画館へ行かずもテレビで間に合ってしまう時代。変遷は急です。
昔の映画ですぐ頭に浮かぶのは
 ◍青い山脈―原節子・木暮実千代・池部良
 ◍自由学校―木暮実千代・京マチ子・山村聡、
 ◍カルメン故郷へ帰る―有馬秀子・小林トシ子
 ◍麦 秋―原節子・ 笠智衆・ 淡島千景
 ◍ひめゆりの塔―津島恵子・信欣三・香川京子
 ◍お茶漬けの味―佐分利信・木暮実千代・鶴田浩二
 ◍東京物語―笠智衆・東山千栄子・原節子
 .etc. もう一度見てみたい。


2017.12.25(
) 「函」と「箱」

サンタさんからのプレゼント何かな・・・ドキドキしながら目を覚ました子供も多いことでしょう。息子が小さかったころ、 いちばん喜ぶのは何だろうか・・・サンタの気持ちで考えた。それとなく期待を探ってみたり、朝起きたら枕元にリボンでラッピングした「箱」を目にしときの顔を想像したりして、親も一緒に楽しんでいたことを思い出します。半世紀も昔の話です。

◆ところで「箱」と「函」は何が違うのかな~ネットで調べてみました。
  ◍「箱」は竹かんむり。ということ竹で作った物入れや、やや大きめの
   箱のことで、一般的に「はこ」と言えばこの漢字が使われています。

  ◍「函」は「ふばこ=文函」―手紙を入れるはこで「投函」などで使う。
  ◍筥崎宮の「筥」はどんな意味だろうか
◆広辞苑を引くと【箱・函・筥・匣・筐】ひとくくりで載っています。つまり同意漢字で使い方にきまりはないということだと思います。すべて「箱」だけで済まみせても良いと解釈しましたがちょっと自信ないな~。

函館市はなぜ「函館」・・・西暦1454年、津軽一族が漁村に館を築いた。この館の形が箱に似ていたから「箱館」と呼ばれ、その後蝦夷地を「北海道」と改めたおりに「函館」となった・・・ということです。なぜ改めたのかその理由は不明?


2017.12.24
(日) 思い出のトロッコ

一昨日の忘年山行記録をアップしました

◆JR豪華列車の開業が大きな話題となったのは確か今年の春ころ。申し込み殺到で予約を取るのも大変とのことでしたが、今もそんな状況が続いているのでしょうか?
別に心配しているわけではありません。まったく関心はありませんから・・・(関心がないのではなく、「お金がないのでしょう」が正解)

《22日、どこまでも碧い空》

◆豪華列車とは真逆、忘れられない列車があります。それはストーブ列車、牽引するのは蒸気機関車です。少し前のことですが今年もストーブ列車が始まりました・・・とテレビが映しているのを見て思い出しました。区間は釧路駅~標茶駅往復。ストーブの燃料は石炭、これが赤々と燃えています。
「ストーブ列車に乗るならスルメを持って行きなさい」のアドバイス。何で?言われた通り乗車前にスルメイカを用意しました。

乗車して分かりました。ストーブの上で「焼きスルメ」、それを肴に広大な釧路湿原の冬景色を眺めながら日本酒をチビリチビリ。片道1時間半ほどの乗車ですが、レトロの気分は多分豪華列車に劣らないかもしれない。もう一度乗ってみたいな~

忘れられない列車というともう一つ。それは寸又渓谷大井川鉄道のトロッコ電車。京都保津川沿いを走るトロッコ電車もあれますが、情緒としては大井川に2~3歩譲るな~。大井川のトロッコに乗ったのは30年近くも昔。南アルプス赤石岳など登頂の折。車内は立つと頭が天井につかえる。旅客用ではなく、往時、材木を搬出するためにできたもの、作業員を運んだ車両でしょう。今は観光列車になっているらしい。

2017.12.23() 冬至

明るい冬木立

昨日は二十四節気の「冬至」、七十二候の「乃東生(なつかれくさしょうず)

1年中でいちばん日の短い日。ちなみに長野市は
 昼間の時間  夏至―14時間41分 冬至―9時間39分
その差は約5時間もあります。平爺の生まれ故郷(長野県伊那地方)はカボチャを食べる日。柚子湯に浸かるという地方の方が多いかもしれません。

◆昨日は山友Мさんとの忘年山行。ここ何年も二人だけの恒例行事として定着。
Мさんは1カ月ほど前に眼の手術を受けたばかり。平爺は骨折から丁度1年経過。五体満足とは言えない二人、山を登るよりとりとめもないダベリが主目的。なぜか価値観、人生観がかなり似通っていて話がかみ合います。アルコールは受けつけない下戸のМさん、酒には目のない…ほどではない平爺。それでも気が合うのが不思議。

教育界に職を奉じてきたМさん。地衣類の研究に関する博識は半端ではないようです。自然界に詳しく、氏の耳新しい話に耳を傾け、山談議、孫の話題、政治談議・・・などに熱がこも
って時のたつのが早い
こんなに喋る平爺見たことないと思われるほど、無口の平爺としては一ケ月分を喋り貯めした感じの一日でした。

◆そして明日はXmasイブ、キリスト教国でもない日本、関心はカボチャより圧倒的にXmas。それもいいでしょう。そうそう、先日のハロウィンもカボチャ。ところがお釈迦様の生誕日「花まつり」を知らない日本人が多いようです。3日ほど前、50歳ほどの女性にお釈迦さまの生まれた日を尋ねてみました。キョトン「???」今や日本は西洋文化に席巻されてしまったようです。もしかすると「Xmasは何の日」と聞くと「国民の祝日」とかえってくる日が来るかもしれませんネ(笑)

2017.12.22(
) ウォーキング・ジョギング・ランニング

今朝7時前の気温-8℃、寒い~プルブル・・・

◆平爺の履歴の一面

  40才~67才・・ランニング――約27年間
   67才~75才・・ジョギング――約8年間・・(67才前立腺ガン全摘手術)
   75才~現在・・・ウォーキング―約6年間・・75才、四国遍路を機にウォーキングに
《下のタ写真》―スポーツ誌「ランナーズ・2004年3月号の“今月のランナー“として掲載されたときのもので、直腸がん全摘手術、人工肛門となって以降、最初に参加したフルマラソン、佐倉健康マラソン(1993年―、タイム4時間7)

◆40才のとき、転勤により通勤時間が20分と激減。時間の有効活用としてランニングを思いつき、汗をかく快感にのめりこむ。43才フルマラソ初完走―3時間38分
◆加齢や病気などを経て心肺負担の軽いジョギングへとレベルダウンしていき、最後のフルマラソン参加は67歳(前立腺全摘手術を控えての参加)、タイムは4時間45分(ちなみにフルのベスト記録は3時間15分)
74歳四国遍路に備えてウォーキングに。爾来ウォーキングオンリーで現在に至る。ウォーキングの平均は一日1時間30分ほど。

●ところでウォーキング・ジョギング・ランニングの違いは
  ◍ウォーキング――歩くこと、健康増進が目的―からだにやさしい
   有酸素運動。常に片足が接地している。

  ◍ジョギング――余裕をもったゆっくり走、ウォーキングとランニ
   ングの中間。

  ◍ランニングは、ジョギングをスピードアップしたもの。

ランニング→ジョギング→ウォーキングと形態は変わりつつも、40年間・・・人生の半分は、ほぼ毎日続けてきたわけです。よく続けたよな~・・・誰も褒めてくれないからせめて自分で(笑)

2017.12.21(
) あれから1年

2017年を振り返ると、何と言っても「胸骨圧迫骨折」で1年を棒に振ってしまったことです。心と体は車の両輪と言われますが、まさにその通り。カミさんから「覇気が落ちたわね」と言われています。

白銀の妙高山

直腸がんや前立腺ガン手術など、大きな病気もやりましたが、「ケガ」というのはそうした病気とはまた感じ方が違うような気がします。変な言いかたですが「病気だから仕方ない」という割り切りも出来ますが、ケガというのは一瞬の不注意、気を配っていれば防ぐことも出来たはず・・・そう考えるとどうしても悔いが残ります。
以前は凍った道も平気でランニングをしていたのに、今はウォーキングでもおっかなびっくりのトラウマ(笑)

◆少し振り返ってみると年間登山日数は
  2013年―58日 2014年―38日  2015年―31日
  2016年―40日 今年の実績は4日。

平爺から登山をとったら何が残る?何でケガなんかしてしまったのか・・・悔やんだところで1年前には戻れない。この1年をムダと考えるか、教訓として受けとめるか。そんな思いとは関係なくあと10日で一年が暮れていきます。

2017.12.20(
) 今月のことば

ウォーキングコースにある寺院の掲示板。今月は「講」のお知らせで「今月のことば」はお休みかと思っていた。
先日通りかかると例月通り掲示されていました。

  『人間を本当に自覚させるのが仏教です  蓬茨祖運』
あれ?今月の言葉というより、これは仏教の宣伝・・・そんなことをいうと罰があたるかも。

web検索すると次のような一文がありました。

『自分を振り返ると、日々の暮らしの中で好きなものは他人から自分に寄せようとしてはいないだろうか。また、嫌いなことは自分に来させないために他人に押しつけようとしてはいないだろうか。思い通りにならないと、相手を鬼と見ることになる』
仏の教は、そういう自身の姿を照らしだしてくる。他人も私も、お互いに相手を鬼と見ていることに気づかしめるのである。眼差しを外ではなく、内に向けさせるのが教えである。 昼のお星はめにみえぬ
         見えぬけれどもあるんだよ
            見えぬものでもあるんだよ   (金子みすず)

2017.12.19(
) 観天望気―朝焼け

気象庁というものが無い昔、明日の天気予測は長老の貯えた智慧が頼り。風の向き、周囲の山にかかる雲の様子、雲の流れ具合、気温・・・さまざまな条件から明日を予測、それがけっこう当たっていたようです。これを「観天望気」ということを登山を始めるようになってから知りました。
登山を始めたころは、山へ入ってしまえばラジオもなし、あったとしても電波は届かない。天気の予測は長老の「感」頼み。朝焼けは天気の崩れる前兆というのは子供のころ教えられた知恵です。

冬のひときわ寒くなる日は雪の降った翌日、それも晴れていると寒さは一層厳しくなります。
16日夜間から明方まで雪、そして18日早朝は朝焼けとなって冷え込みの条件は整っていました。案の定-6℃、今冬一番の冷え込み。

◆朝焼けで思い出すのは北アルプス登山の朝、大町市から入山。東の空は毒々しい色の朝焼け、まずいな~・・・気にしながら出発。3時間かけて北アルプス三大急登の一つ「ブナ立て尾根」を稜線へと登りつく。すると状況は急変、横殴りの暴風状態。その中を這うようにして、かろうじて水晶岳の小屋までたどり着いた日のことを思い出します。毒々しい朝焼けの怖さを知っていたたら強行しなかったと思います。まさに遭難一歩手前でした。
●七倉-野口五郎岳-水晶小屋()-鷲羽岳-双六小屋(泊)-新穂高温泉  の記録


2017.12.18(
) 「メロドラマ」は死語

霜――寒い、ブルブル -6℃

◆昔「メロドラマ」ということばを頻繁に目にしました。ふと気がつくと近ごろ目にした記憶がほとんどありません。映画でもテレビでも、どことなく甘い雰囲気を感じさせる恋愛ドラマ。今でもそうしたドラマはありますが「メロドラマ」という言葉は消えてまったのか・・・温かみのある良い言葉だとおもうのですが。代わる言葉か別にあるのでしょうか。

◆メロドラマの「ドラマ」は分かるとして、「メロ」はどんな意味?調べてみるとギリシャ語のメロスで「歌」の意とか。すると、もともとは「歌劇」、それが甘い恋愛ものの映画などをさすようになったということでしょうか。
どっちでもいいような疑問がなぜ生じたかと言うと「懐メロ」という新聞広告を目にしたから。これは「昔の懐かしいメロディ」を短くしたものだとすぐにわかります。
そういえば「歌は世につれ世は歌につれ」というフレーズがありました。

近ごろ、若者たちが次々と新語・造語・短縮後を作り出す世の中、「言葉は世に・・・」ですね。
2017
年新語・流行語大賞は「インスタ映え」・・・えっ?何のこと・・・チンプンカンプン・・・・・写真共有サービス・SNSの「Instagram」(インスタグラム)に写真をアップロードして公開した際にひときわ映える、見栄えが良い、という意味で用いられる表現。えっ?何のことかわからないが、わからないところが良いのかもしれない(笑)


長くなってすみませんがもう一つ気になること。テレビでタレントたちが「暑い」―「あつっ」、「美味い」―「うまっ」、早い「はやっ」・・・・「い」を省略しなくてならないわけでもあるのかな~?もうついていけないというか、大変耳障りです。

2017.12.17(
) 越冬スズメ

今か今かとエサを待つスズメちゃんたち

来訪するスズメの数がさらに増え、エサはあっという間に空っぽ、可哀想ですが追加はしません。
野鳥たちにとっては厳しい寒さと雪の季節、いよいよ自然界でのエサ採りが日ごとに難しくなっていくでしょう。それでも渡りをしないで夏も冬も同じ場所で暮らすスズメ。冬に命を落とす固体も多いそうです。とりわけ若いスズメが無事越冬できる率はかなり低いようです。

10月頃まではエサ台に見向きもしなかったスズメたちが、屋根や木の枝から様子を窺がい、平爺の姿を見ると落ち着かくなくなり、エサを置いて家の中へ入ると、待ってましたとばかりに何10羽が先を争うように舞降りてきます。

◆ネットによるとスズメは集団で越冬、それで何十羽もまとまって来るわけがわかりました。厳しい越冬事情を知ると、少しでも多くのエサを与えたいところですが、そこには自ずから節度が求められることも承知しています。
エサ台が空っぽになっても、未練がましく何回も何回も舞い降りてくる様子を見ているといじらしい。エサを追加したい気持ちになりますが、そこは心を鬼にして。

ぬくぬくとした部屋からガラス戸越に見ていると、心が和みます。「和」という字は「ノギ扁に口」、禾=稲・・・つまり口にお米があれば心も穏やか。これは中学生の頃に習った?

2017.216(
) 今年も余すところ半月に

昨朝(左)と今朝のの三日月

師走の声を聞くと同時に、さまざまなカレンダーが届きます。
ガス会社、自動車ディーラー、新聞販売店、牛乳屋、ヤクルト・・・現在のところ10部ほど。それに加えて毎年購入の星野富弘カレンダー(1650)や友人からの手造り物もあります。例年通りだとまだ数部は届くかもしれません。すべてを有効活用するには、家を倍くらいに増築しなくては・・・・(笑)

◆10年日記帳が今年で終わりになりますが、奇跡でも起こらない限りあと10年は無理。どうしようかと迷いましたが、本屋へ行ったついでに『5年日記』を買ってきました。自分の余命を『5年』と決めたような気分・・・客観的に見て?妥当なところという気もします2022年は一行も使わなかったということが無いよう、せめて何日分かくらいは埋めてから終わりにしたいと思うのですがネー。

◆昨朝は-5℃、毛糸の手袋でも指先が少しンジンする感じ。寒空にはやせ細った三ケ月、すぐ隣にまたたくのは明けの明星「金星?」。月も星もが凍りついているように見えました。1時間半ほど歩いてくると、体の方はポカポカ。

◆今日の予定は年賀状作り・・・と言ってもすべてPC作業。喪中通知を受けたりして、今年もまた10枚ほど減ります。原則として減らした分は元に戻さないことにしています。それも終活の一つです。

2017.12.15() 都道府県別の平均寿命

サンシュユ

師走も半ば、そろそろ年賀状の準備を・・・・と言っても年齢を増すにしたがって出す枚数は反比例して減少。楽と言えばラクだが一抹の寂しさも少しは・・・。
取り掛かれば2~3時間で終わると思います。文面はソフトを使って作成、したがって金太郎飴のように全部同一で印刷、宛名は住所録アプリを使えばプリンターが勝手に印刷してくれる。届いた方も「つまんねえ年賀状」と思うでしょうね。心の中でゴメンネ・・・・

◆昨朝の新聞記事。5年に一度統計をとっている都道府県別平均年齢。

全国平均   男―80.77才  女―87.01
   ◍男子県別1位―滋賀81.78 2位―長野81.75 最下位―青森78.67

   ◍女子県別1位―長野87.67 2位―岡山87.67 最下位―青森85.93

長野男子は、過去5回続けたトップの座を滋賀県に譲り渡したが、トップとかビリとか言っても上下の差はほんのわずか「そんなの生活環境、習慣などとは無関係、誤差の範囲だよ」といったら叱られるかな~。ただし男女差の大きいのはなぜ。男に比べて楽をしているから、それしか思い当たらない(笑)
居住地も流動的になった現代、生涯にあっちこっちと移動する人も多いと思います。意味のある統計なのかな~。
一応「長寿県長野」を、居住者としては喜んでおくことにするか(^^)

【追記】平爺は来年の夏ころには、長野県男子の平均年齢に達します。残りはあと半年ほど、そのことをどう考えるか・・・考えると眠れなくなるかも。

2017.12.14() 雪かき

雪かきの備え

固定電話とインターネットの接続不安定の状態がほぼ2週間。使えなくなって、はじめて日常生活の中で欠かすことのできないツールになっていることを実感しました。   
先月28日にNTTひかりからKDDIひかりに切り替えてからすでに10数日経過、いまだ不安定状態。 いったいどうなっているの・・・と言いたい。イライラを通り越して今や“怒り”・・・俺は怒っているぞッ!!! の心境です。今日もまた業者が来ることになっていますが復旧するかどうか。

◆真冬並みの寒波到来がニュースに。一昨朝は-5℃、昨朝は-2℃。いよいよ冬本番です。それにつけても案じられるのは「雪かき」、前シーズンは圧迫骨折のために慣れない妻がなんとか頑張ってくれました。ケガは8割がた回復したものの、まだ腰に負担のかかる作業は心配です。雪に縁のない地にお住まいの方には、雪にも重い雪、軽い雪のあることはご存知ないかもしれませんが、3倍ほどの差があります。軽い方は乾雪、重い方は湿雪。降雪時の気温が低ければサラサラして乾雪で作業も楽、気温が高めだと水分の多い湿雪で雪かきも大変な重労働になります。
降雪後、時間経過とともに重みで圧雪され、どんどん重くなっていきます。降ったらすぐに雪かきをするのが少しでも楽をするコツです。

◆当地は「雪かき」と言いますが、全国的にもそれが普通のようです。
  雪投げ―岩手 雪はね―北海道 ◍雪ほげ―不明 ◍雪のけ―不明
  雪すかし―富山・石川 雪はき―会津 雪またじー岐阜

雪を喜ぶのはスキー場、一般住民は雪の少ないことをひたすら願っています。当町会は高齢世帯が多く、有志で「スノーバスター」いうボランティアを募集、雪かき支援活動をしています。平爺も数年間参加しましたが、我が家だけでも大変、加齢による体力不足も考えて退会しました。

2017.12.13() 移り行く世・・・自営業のこと

冷え込んだ朝、千曲川の上に漂うのは、水と大気の温度差でたち上る霧。温泉の湯気のようです。

◆100枚以上溜まっている日記用ネタメモ。走り書きした“自営業減少“の文字。なぜメモしたのか思い出せないがふと昔が脳裏に浮かんだ。

酒屋 八百屋 魚屋 大工 本屋 電気屋 荒物屋 ガラス屋 呉服屋 布団屋 煙草屋 肉屋 鍛冶屋□自転車屋 菓子屋 下駄屋(履きもの屋) 靴屋 金物屋 鋳掛屋□建具屋 薬屋 石屋 電気屋 材木屋 文房具屋 桶屋 洋品屋 呉服屋 雑貨屋 運送屋 床屋 紺屋

これは子供のころ小さな田舎町にあった自営業です。スーパーやホームセンターを解体、取扱い商品ごとに独立して商売をしていたようなものです。言い換えれば個々の店屋が1か所に集まったのがスーパーやホームセンターということです。赤字は何の職業か分からない人も多いかもしれません。
  ◍鋳掛屋―穴の空いた鍋などの修理 ◍鍛冶屋―農具の鎌や鍬などを作る
  ◍桶屋―字の通り漬物桶やたらい作り  ◍紺屋―反物の染め物屋

床屋」30年も行ってませんが今の理髪店、死語でしょうか。

◆農業が家族だけの働き手だけでやっていたのと同様、自営業も父ちゃん母ちゃんでやっているのが普通でした。今も東京の戸越銀座商店街など、昔ながらの面影を残す商店もあるようですが、田舎に行くほど自営業は見かけなくなりました。寅さんの柴又商店街は今でもあるのかな~、数十年前に行ったことがありますが。
農業も一時「3ちゃん農業」と言われたときがありました。働き手が「じいちゃん・ばあちゃん・かあちゃん」という意味。(亭主は出稼ぎ)

時代は動いています。20年、30年先はどう変わっているか。ネットやCoopで店舗も不要になりそう。

◆今は家族従業者と合わせても711万人。20年間に半分に減ったらしい。
人口100人あたり自営業者が最も多いのは和歌山県で6.99人。2位以下は高知県、長野県、山梨県、宮崎県と地方に自営業者の割合が多い。一方、自営業者が最も少ないのは神奈川県で3.43人、千葉・愛知・埼玉・兵庫県など都市部が少ないそうです。我が国の自営業率は急テンポで低下中だと言います。以上の数字は、下記のURLからの引用です。http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je11/pdf/p03012_1.pdf

2017.12.12(
) 「陽」と「日」

過ぎし晩秋の日

毎日が日曜日、縛られる時間もなく時間の使い方は自由自在。その時間の一部を登山などに使ってはきたものの、365日の何分の一かに過ぎない。

夕暮れどき、風呂に入り、晩酌に舌鼓を打ちながら「ああ今日も一日が終わっか~」

でも日付が変わる深夜12時まではまだ4時間も5時間もある。正確には今日という日はまだ終わっていない。活動する一日が終ったに過ぎない。きっちり決めてしまわないでアバウトなところがいいのかもしれない。

◆感覚としては、太陽が山の端に沈み、暗くなると一日の終わり。
今が一番『の短い』時期です。長野市の日没は6月と12月で2時間39分も違います。この場合12月は「が短い」と「が短い」…どっちだろうか?

◆「□が出る」 「□が昇る」 「□が落ちる」 ・・・この場合は「陽」かな~~
◆昼間―「ひるま」って日の出から日没まで? それとも朝から夕方まで電灯が要らないあいだ?
 「日が長くなる」は「陽が長くなる」とは書きませんね
 「日が暮れる」は「陽が暮れる」とは書きませんね
◆夏は「陽ざし」が強いと書く方が「日ざし」より感じが伝わる気がします。冬はその逆。
◆「陽が射す」か「日が差す」か?
◆あれから「日が経った」と書くが「陽がたった」とは書きません。
◆「一日」と「一昼夜」は同じ意味かな~。それとも何か違いが?
◆「一日が過ぎた」―「一昼夜経った」
◆「約束の日までに・・・・」 「約束の日にちまでに・・・・」・・・意味は全く同じかな? 三球・照代の「地下鉄の電車はどこから入れるのでしょうネ考えると眠れくなります」と同じかも。

2017.12.11(
) 軽率でした 「auひかり」に切り替えて大失敗

平爺は大変困っています。
インターネットや電話が、つながったりつながらなかったりの繰り返し。固定電話にかけていただいてもつながらない、メールを下さっても受信できない・・・・そんな事態がNTTからKDDIに切りかえ工事をした11月28日以降ほぼ毎日のように発生しています。この日記もアップロードがうまくいかずに連日困惑しています。お心当たり方にはご迷惑をおかけして申し訳ありません。
そり理由は

スーパームーンから10日
凍りつくような下弦の月

◆11月中旬、KDDI特約店と称する(株)レジェンドの男性が「auひかりに切り替えてもらえませんか」との訪問勧誘を受けました。永年「NTTひかり」を使っていて何の不自由も不満もなく、変える必要性はまったくないのに、勧誘員の情にほだされる感じで応諾してしまいました。

我が家では訪問勧誘の類は一切相手にしないのが原則。それが今回は魔がさしたとでもいうのか大失敗でした。ランニングコストが少し安くなるという理由もありましたが・・・。

◆11月28日に回線切替え作業。それを境に、インターネットへの接続に不具合が生じ、同時に固定電話も使用不能という状況を繰り返し、外部からかかってきた電話も、呼び出し音が鳴りません。
一昨日の事例――インターネット、固定電話が使えたのは午前9時過ぎから夕方3時頃まで。そして昨日はつながったのが午前8時過ぎから午後5時頃まで。こんな状態を繰り返しています。
訪問勧誘に来特約店の人は何かあった電話をくださいと言いいながら、電話をしても対応なし。KDDIに直接電話して改善を依頼しているところです。

昨日、ようやくKDDIの保守点検の担当者から電話が入り「明日(12日)確認に伺います」とのこと。解決すればいいのですがどうなりますか。
「即刻解決しなければ、KDDIとは契約解消、元のNTTフレッツひかりに戻す。それにかかる費用はすべてKDDI負担で」と交渉するつもりです。

レジェンドという会社からKDDIauひかり」の勧誘を受けたときはどうぞ慎重に。

2017.12.10(
) 日本の非核三原則と密約f?

七味温泉紅葉館の湯

今日はノーベル平和賞の授与式が行われる日。二人の日本人も招待されているということです。受賞するのは国際NGOの「ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーン」という国際団体です。

一昨日の日記に、ノーベル平和賞のことを書かせてもらいましたが、平和賞というとある一つの記憶がよみがえります。それは1974年に平和賞を授与れた佐藤栄作元総理のことです。受賞した佐藤元総理は安倍晋太郎の大叔父にあたります。(岸信介は祖父 佐藤榮作は大叔父 安倍晋太郎は父)

◆佐藤元首相は1967年に核兵器に関する政府方針として「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を宣言したことが高く評価され、平和賞につながったようです。

◆ところが佐藤元総理は核持込を容認する「密約」をしていたというのです。

◆ノーベル平和賞委員会は、2001年刊行の記念誌『ノーベル賞 平和への100年』の中で、「佐藤氏はベトナム戦争で、米政策を全面的に支持し、日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たした。後に公開された米公文書によると、佐藤氏は日本の非核政策をナンセンスだと言っていた」と記し、受賞理由と実際の政治姿勢とのギャップを指摘した。(これはwebからの転載)  記念誌共同執筆者の一人は「佐藤氏を選んだことはノーベル賞委員会が犯した最大の誤り」と選考したことを強く批判し、「佐藤氏は原則的に核武装に反対ではなかった」と語ったということです。
(この容認発言は当時の外務省から出たとのことで物議をかもし、それが事実ならとんだ偽善となりかねません)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081222-00000000-mai-pol(毎日新聞)ほかを参照

2017.12.09() 5回目の七味温泉紅葉館

昨日は旧日本海軍がハワイ島真珠湾への奇襲攻撃をしかけ、悲惨極まりない太平洋戦争の泥沼へとのめりこんでいった日。12月8日がどんな日か答えられない若者も多いかもしれません。

◆あわや遭難一歩手前の憂き目にあった黒湯山(2007m)登山から満4年が過ぎました。今振り返ってみると「よく無事に脱出できた・・・」、思い出すとゾッとします。

宿のマスコット? 「タヌキ」

道なき猛烈な笹藪を、方角も分からずにさまようこと数時間。ようやく林道へ出ることができ、さらに1時間半近く歩いてたどり着いたのが、人里離れた秘湯温泉宿『七味温泉紅葉館』。疲れ果てボロ雑巾の乞食同然の姿。そのとき宿の女将さんに親切にしていただいたことが、涙が出るほどありがたく忘れることはできません。
(その山域は根まがり竹の竹の子採りが盛んで、毎年のように遭難死が発生する悪魔のような山、今年も二人が山中で迷って亡くなったとのことです)

それ以来、毎年泊まらせてもらいに行くのを恒例とし、今回が5回目、妻と二人でのんびりと紅葉館の湯に浸かってきました。人里離れた山奥、せせらぎの音が奏でるように聞こえてくる野趣豊かな温泉。女将さんはいつも温かく迎えてくれます。標高1200m余、長野市内より900mほど高く、気温は真冬、雪化粧を始めていました。

玄関には「タヌキが入りますのでドアは必ずしめてください」という張り紙、それが宿の雰囲気すべてを物語っているような気がします。雪景色を見ながら熱めの温泉に浸かり、品数豊富な食膳、とりわけ信州牛とイワナの骨酒は最高でついつい酒量も進みました。

2017.10.08(
)  ICAN ノーベル平和賞授賞式

明後日(10日)、オスロで行われるノーベル平和賞授賞式に日本被団協の2人が招待されたことをテレビで放映していました。平和賞を受賞したのは「国際NGOのICAN=核兵器廃絶国際キャンペーン」です。

12月8日撮影

◆今年7月に、多くの国の人々の活動(ICAN)が後押して、核兵器禁止条約が採択されました。ただし、肝心の核保有国は協議会に参加しませんでした。

≪ICANのスローガン≫
 ◍核兵器はいかなる使用も認めない
 ◍核兵器を保有しない国においても核兵器保有、使用禁止の義務を果たす
 ◍核保有国は核を完全に廃絶する義務を果たす
 ◍核兵器禁止条約のための多国間協議を行う働きかけを迅速に行う

米国の核の傘の下にいる日本政府は、この条約協議採決をボイコットしています。唯一の被爆国日本こそリーダーであらねばならないと思うのに、条約が採決されたことに関して唯一の核被爆国日本政府からは何のコメントもありませんでした。平和感がずれているような気がしてなりません。
ICANの活動には、日本被団協、ヒロシマ、ナガサキの被爆者をはじめ、多くの日本人も参加・協力していると言われます。

核兵器に対する日本政府の動きの鈍さ、無反応ぶりには、日本国民の一人として忸怩たる思いを禁じ得ません。世界一の核保有国アメリカへの配慮でしょうか。時あたかも、核ちらつかせた米朝緊迫状態。

◆同じ原爆1個でも、その破壊力はヒロシマ・ナガサキとはケタ違いに威力が増し、世界の核兵器保有量は人類を何回も滅亡させれるほどだと言われます。

2017.12.07(
) 雀レストラン

あれほど集まっていたスズメが、夏から秋にかけ、ある日を境にピタリとエサ台に寄り付かなくなってしまいました。突然のことで訳がわかりません。猫にでも襲われ警戒してしまったかも・・・まさか?

平爺の想像では、稲の稔りなどで自然界で十分にエサがとれるからと考えるのが正解ではないか、そう思っていました。エサを出すのを2か月以上中断。3週間ほど前、ひさしぶりにエサを出してみたものの寄り付く気配なし。来訪はもう期待できないかも、残念だな~・・・それでもエサを出していると、ある日2~3羽の姿が。その先何日かは多くても4~5羽。それでも姿が見えただけでひと安心。

そして10日ほど前から以前のように集団でやってくるようになりました。ピーピーチーチ・・・大騒ぎです。
朝方は屋根に並んで、そして夕方も同様ずらりと整列してエサの出るのを今か今かと待つ様子が愛らしい。平爺がエサ台にエサを置き、家の中へ戻るのを見定めて一斉に殺到。目のこで40~50羽が入り乱れての場所取り合戦。ケンカ騒ぎというのかお祭り騒ぎと言うのか、スズメレストランもようやく以前の賑わいを取り戻しました。
2017.12.06() 『朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)』

 
きたかぜこのはをはらう  :今朝の雪―初積雪 

数日前、ラジオで七十二候「木の葉の散る」時期と言っていました。
Webで調べると今は「二十四節気の小雪(11/2212/6)」、それを三つに分けて「初候・次候・末候」。数日前が「次候」にあたり『朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)』と出ていました。「朔風」は北風の意で、木枯らしをさすとのこと。

そういえば公園や街路樹なども、木の葉が散って空が大きく見えます。イチョウや、ケヤキ、カエデなども何枚かの葉がしがみついているだけ、根元に散り敷いた落ち葉が少し強めの風に舞うのも風情。

♪かきねの かきねの 曲がり角 たきびだ たきびだ 落ち葉焚き
   ♪あたろうかあたろうよ 北風ピイプウ吹いている

つい口ずさみたくなります。

落ち葉の風情を楽しむのはほんのいっとき、厳しい冬か手ぐすね引いて待っています。
圧迫骨折の方はほぼ回復したとは言え、雪かきを思うと「どうして冬なんかあるの」と愚痴が出そう。雪の少ない冬であることを祈っています。

追記―「イチョウ散る」などというときは、8割がた散ったときをいうそうです。

2017.12.05(
) こごと―小言

スーパームーン

昨夜の満月、今年いちばん大きく見えるスーパームーン。西の空に少しづち沈んで行く月を見ながらのウォーキングでした。

◆3日に一度は妻の口をついて出るコゴト。その上位5つを選んでみました。

①身なりに少しは気を使ってよ・・・もう~大人でしょう・・・私が恥ずかしい思いをするのだから・・・(セーターがうしろ前でも、シャツの襟が折れていても無頓着)
ネ― 私の話聞いてる~ じゃあ何と言ったか言ってみて・・・「????」・・・ほら言えない・・・妻勝利の瞬間、その顔をお見せしたい。
   使ったら元に戻して置いてよ・・・子供だってできるわよ・・・or・・・子供より始末が悪いわ・・・
   脱げば脱ぎっぱなし、洗濯カゴに入れるだけでしょう・・・洗濯しろって言ってるわけじゃないんだから~もうほんとに・・・クソおやじ・・・とまでは言いませんが腹の中は?
洗濯カゴに入れたものを、わざわざ取り出して着るなんて信じられないっ!!!不潔っ・・(平爺もそう思います)

みなさんのお宅はいかがでしょうか。決定的な崩壊に至らず、このような夫婦生活が半世紀も続いています。これこそ奇跡でなくて何という。たぶんどちらかが死ぬまで我が家で繰りかえされる光景だと思います。一日1回は耳にしないと寂しい。小言は稀なる夫婦の接着剤のような気がします(笑)

影の声・・・小言は、言う方も言われる方も、それなりに意味のある日常のアクセントのようなもの?平爺は小言のネタを意識的に提供しているに過ぎないんだよね―*―ほんとかな?

2017.12.04(
) 師走はベートーベン第九

昨日は市内でベートーベン第九演奏会が開催され、妻も合唱メンバーの一人として参加。平爺も聴きに行ってきました。
第九を作曲したとき、ベートーベンは耳が全く聞こえなくなっていたという話は知られるところ、想像できません。

いつのころからか、師走を迎えると各地でベートーベンの第九演奏会が催されるようになりました。蔵前国技館で5000人の第九合唱が行われて世間を驚かせたのは何十年前だったか。そして大阪では1万人の合唱という大規模な演奏会まで行われるようになりました。
大坂勤務時、妻は佐渡裕指揮の1万人の第九に参加したり、長野へ来てからも小規模ながら地元第九演奏会に毎年参加しています。

昨日が今年の演奏会。平爺も聴きに(見に)行ってきました。コーラスは約300名余。「1万人の第九」には遠く及びませんが、300人の合唱でもそれなりに迫力と聴きごたえがあります。何ケ月も前から練習を重ね、一つのことを成し遂げるということは並大抵ではありません。成し遂げたときの高揚感は一入のようです。

◆第四楽章に入り、爆発するような力強い合唱(歓喜の歌)が加わると、いつものことながら自然に涙がにじむような感動を覚えます。今年はことさらにその感が強かった気がします。魂を揺さぶられるような大合奏に聴衆は引き込まれていきます。これで今年も終わったな・・・・・。

『歳をとっても集中することがある』ことは幸せなことです(妻のこと)

◆一方平爺は生きがいと言っても過言ではない登山を、胸椎圧迫骨折で今年1年棒に振ってしまいました。来年は何か新しいことを一つでも・・・と思いますが、さて何に力を入れたらいいか・・・これから考えます―「下手な考え休むに似たりか―笑―」

2017.12.03(
) 身に染みた―吉沢久子さん

【昨日の答え】ラブレター パジャマ 集会 リビング ファスナー カップル
                ノート ドア ハンガー 定規 カレンダー 風貌粗雑
 

◆ラジオ深夜便で、齢98才という吉沢久子さんの話を聞きました。

「高齢になり肩の力も抜けてくる。山下りもよし。下りに見る景色もいいものです。人生も同じ・・・」
  蘊蓄(うんちく)のある言葉ですよね。

◆評論家であり、語り口もかくしゃくとして、とても98才とは思えない。Webで履歴を見ると若いころは速記者だったという。実は、平爺は高校生のとき速記部に所属し、国会から取り寄せた議事録を読み上げて速記の練習をしたのを思い出します。
吉沢さんは夫・姑と死別し、65歳から30年以上ひとり暮らしとのこと。

じわっと胸にしみ入ってくる吉沢さんの言葉を一つ・・・(webより)
        

     当たり前の生活ができること、
     当たり前に自分でご飯を作り、
     自分で部屋の片づけをし、
     自分で庭の花に水をやる。

     そんな当たり前のことができる幸せ。

       ごく普通の生活の幸せこそ大事にしたい。

 
水たまりの氷

2017.12.02() 新語

昨朝のラジオ深夜便で若者ことばが取りあげられると知り、ウォーキングしながら聞くつもりでした。ところがラジオの電池切れ。面白そうな予感がしたのに残念。どんな内容だったか気になります。
巷には、いったいどんな言葉が若者たちに流行っているのか興味津々、ネットで検索してみたものの理解できる言葉は皆無。「新語」というより、友達同士がSNSなどで使っている「省略語」ですね。Webの中のいくつかを下記に・・・
①かみってる―神がかっている  ②おくちょ―送ってちょうだい
③豚切り―話の流れをぶった切る ④がんなえ―非常になえること
⑤なうしか―いましかない ⑥ヤグる―浮気現場を目撃 ⑦秒で―今すぐに
(以上は
https://otokomaeken.com/manner/2738 を参照)

■読んだことはありませんが、何十年も前、翻訳家中村保夫の「言葉は生きている」という本が出て話題になったことを覚えています。爾来「言葉は生きている」という表現がよく用いられるようになったのだと思います。
世の中が複雑になっていくのに比例して、言葉―表現も日に日に変化のスピードを速めているような気もします。後期高齢者には、わからない言葉がますます氾濫しそうです。

■ところで、昔よく使っていたのに、今はほとんど聞かなくなった言葉をいくつか。今は何というかな~。「ろーとる」でないとちょっと無理かな。“ろーとる”とは何十年も昔、年寄りのことをさして使っていた言葉です。

恋文 寝巻き 寄合い 茶の間 チャック アベック 帳面 扉 衣文掛け 物差し こよみ バンカラ 

2017.12.01(
) 年をとるということ

暁光の妙高山

◆1年のたつのが何と早いこと。
昨年12月1日は日記で何を書いたのだろう・・・遡ってみると

 《気の早い人は年賀状の準備にとりかかっているかもしれません。
  お年玉つき年賀はがきは64年前の1949年から始まったらしい。
  右肩上がりで増えてきた発行枚数が、2003年をピークに年々減少
  電子メールやスマホがとって変わっているようだ》            
ピーク 2003年・ 446千万枚 一人当たり 約35
     昨年・・・28億5千万枚 一人当たり 約22
平爺も例外ではなく出状数は半減しています。
昨年いただいた喪中通知は15通、今年はすでに5通、まだ何通かふえることでしょう。淋しいことですか、これが歳をとるということですネ。

今日は流行語大賞が発表される日
平爺は  『このハゲッ・・・・』 『こんな人たち』 『忖度』 『排除いたします』の中から二つは入ると思うのですがネ(笑)

◆業界トップクラスの著名企業で、次々と不祥事が明るみになっています。
東芝の不正会計=損失隠し・・・証券取引所の「管理銘柄」という不名誉なペナルティを受けています。自動車エアパック不良品問題のタカタ、日産自動車の無資格者による完成車検査、神戸製鋼の不良製品事件、東レや三菱マテルリアの製品データデータ改ざん・・・・ほかにも報道された事件があった気がしますが今は思い出せません。

◆東芝というと、かつて深刻な業績悪化に陥った東芝が、土光敏夫新社長の下で経営建て直しを実現した話を思い出します。その東芝がまたも・・・という感があります。土光元社長は草葉の陰でさぞや嘆いていることでしょう。土光と言えば食事は原則自宅、「麦飯とメザシ」の話を思い出します。大企業のトップの地位についても、取引先からの料亭接待などは受けない、私生活も質素を旨としていた話は伝説となっています。

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