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2018 年 1月

 前月へ   翌月へ   『がん・人工肛門からの出発』トップヘ  『山岳巡礼』トップ

2018.01.31(水) 「ユマニチュード」―認知症患者への接し方

寒波はそのまま居座り。今朝は-10℃、1時間15分のウォーキング。山の端に沈んで行く真ん丸の寒月。今夜の皆既月食は見られるかどうか・・・。

◆雪が舞い、底冷えする中、昨日も認知症施設へのボラ。テレビ・新聞などで認知症がらみの番組・記事がない日はないくらい。まさに認知症全盛の感あり? 少しは世の中の役に立てているのかな~と自己満足?

雪原? ・・・・ 田んぼです

認知症介護施設のボラを続けてかれこれ10年、それに「認知症予防脳トレ士初級認定」を取得したりして、平爺の認知症への関心は人一倍。

万引きでつかまった老人・・・家族の制止を振り切っての自動車の運転で信じられないような事故・・・あとから初期の認知症とわかった。そんな報道も珍しくありません。はたからは、あの人認知症だったんですか?それが隠れ認知症。

最近ある方が認知症介護施設へ入所。本人は自宅を離れることに強い抵抗を示したが、老々介護にも限界があり騙すようにして入所という例も珍しくありません。

◆厚労省推定では、7年後の認知症患者数は700万人を突破。しかし介護の現場では、認知症の有効な介護方法がまだ普及していないので、ベテランの介護士さんも「正直な所どう接して良いかわからない」と言う声もあると言われます。

◆最近「ユマニチュード」という言葉を耳にします。フランスのイヴ・ジネスト氏が開発した患者に対する心構え、接し方などのこと。下記はその一部です。

1、患者と同じ目の高さ、あるいは下から見ながら患者が分かる近さまで顔を近づけて目を合わせる。
2、口調は理解できるようにゆっくりと話しかける。
3、そっと指先から触れ、次に後ろから手を廻して背中、ヒジ、肩にそっと触れる・・・etc.

平爺もこれを基本にして患者と接するようにしています。

2018.01.30(火) 第一級の寒波は峠をこえた?

1月25日から始まった寒波ですが、ようやく緩んでくれたようです。-5℃以下になるとかなりこたえますし、ウォーキングに出るのにも精神力と勇気?がいります。我が家の寒暖計は
  
1/25 -8℃~-2℃  1/26 -9℃~-3℃  1/27 -11℃~-2℃
  
1/28 -10℃~0℃  1/29 -4℃~+4℃  1/30 -6℃~  

 

連日の真冬日(一日中0℃以下の日)が4日つづきましたが29日で終わってやれやれ。その間、大雪のなかったことが幸いでした。

予報では寒さ一服?、ほっとした気分ですが、路面凍結は相変わらず。昨朝のウォーキングでも数回足をとられてあわや・・・何とか踏みとどまりましたが危ないところでした。圧迫骨折以降、転倒へのトラウマが消えていません。昼間融けた雪が夜間に凍結、暗がりで見た目には黒く見える路面がアスファルトなのか凍結かは見分けらないのが困りもの。さらにごく薄く雪をかぶっているとほとんど見た目では分かりません。
妻からは「暗いうちから歩かないで・・・どうせ一日中ヒマなんだから」との壊れた蓄音機さながらの忠告。

◆今は二十四節気七十二候の大寒の末候 ❝鶏始乳(1/3日~2/3日)❞ で、読み方はにわとりはじめてとやにつく、意味は「鶏が卵を産み始める」だそうです。そういえば、ウォーキングの途中、どんなに寒くても時を告げる雄鶏の声が、闇を切り裂くように必ず聞こえてきます。鶏だってがんばっているんだ。


2018.01.29
(月) 冬の星座

連日の厳しい寒さ。星空の見える夜の冷え込みはことさらです。
未明、放射冷却で凍てついた寒空を見あげると、南の空にひときわ輝いて見えるのは木星でしょうか。星座についての知識は皆無に等しい平爺ですが、大気の澄んだ冬の夜空は素人なりに美しいものです。
残念ながら加齢にともない視力は低下、見える星は限られてしまい「満天の星」を眺めるのは難しくなってきました。それでもオリオン座や冬の大三角形などは見ることができます。「冬の星座」という歌もまた美しいですね。

♪木枯らしとだえて  さゆる空より
  ♪地上に降りしく  奇(くす)しき光よ
  
♪ものみないこえる  しじまの中に
  ♪きらめき揺れつつ  星座はめぐる

◆明後31日、晴れていれば皆既月食が見られるとのことで楽しみにしていた
ところ、28日の朝日新聞にも載りました。

  始まり ⇒ 2048
  皆既食 ⇒ 2151分~238
  終わり ⇒ 012
31日の予報は「曇りときどき晴れ」、それより皆既食まで起きていられるかな~?

  寒月や 門なき寺の 天高し――与謝蕪村

(写真の月は、は去る1月15日19時ころ)



2018.01.28
(日) 「発疹」は ほっしん←→はっしん?

今朝もまた-10℃の寒さ、ウォーキングは1時間5分・・・♪は~るよこい

◆何日も前ですが、ラジオ深夜便のアナが「発疹」を「っしん」と言っていました。あれ?「っしん」ではなかったの・・・。しかしNHKのアナが間違えるはずはない。ネットで調べてみると、どちらも誤りではありませんでした。

医学の世界では「ほっしん」と読まれているが、一般的な読みは「はっしん」のようです。

◆広辞苑を引くと「っしん」の項目には「発疹―っしん」へという表記のみ。そこで「っしん」を引くと詳細な解説がありました。つまり「っしん」は間違いではないが、「っしん」が主たる読みとして扱っているということになります。

◆かなり昔のことですがNHKのアナが“古文書=こもんじょ”を「こぶんしょ」と読んでちょっとした話題になったのを思い出しました。
くだらない話ですみません<m(__)m>

追記―漆(ウルシ)の木にアレルギー反応を起こす平爺は、触れた皮膚や顔に汚らしい発疹が出る。ウルシのかぶれには小さいころから苦労しました。今でも登山中は細心の注意を怠りません。

2018.01.27(土) 介護殺人

昨朝-8℃、今朝は-11℃。まさに寒中真っただ中。弱々しい街灯の道をウォーキング。黒いアスファルトは凍って
いるのか乾いた路面なのか区別がつかない。用心しながら1時間のウォーキング。何回足をとられそうになったことか。
圧迫骨折以来、転倒にはことさら用心しています。

◆今日もラジオネタ

寒気の中、エサを待つスズメ

信長が本能寺で「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」を舞ったのは400年ほど前の時代。昨今は“人生百年時代”などの言葉を耳にします。ラジオを聞いていると、「介護殺人」が年間40件も発生しているとのこと。これは介護施設での話ではなく、老夫婦のどちらかが在宅で面倒をみている普通の高齢者住宅の話です。

介護の理由は認知症だけではない。自分のことが自分でできなくなった老人をかかえた、どこにでもある高齢世帯でのこと。「人生百才時代」などという言葉が聞かれる昨今、介護が必要な老人を誰がどのように支えていくのか、答えが出ないうちに介護を必要とする高齢者はどんどん増えていく。介護に疲れ、行き詰った老妻・老夫は正常な判断力を失くし・・・・あげくは・・・。

一概に『長生きはめでたい』といっていられるのか、ふとそんな疑問が湧いてきます。自分をその立場に置き替えてみると、確信の持てる答えは出せそうもありません。3世代、4世代が一つ屋根の下に暮らし、順繰りに年寄りを見守ってきた従来の生き方は遠い過去のものとなり、対応する体制や受け皿が整わないうちに高齢化だけは待ったなしで進む。どう生き、どう死ぬのか。これからはそんな重い課題を背負わされて生きていかねばならない。平爺も齢81才、他人ごとではありません。(我が家にも、取り寄せた介護施設のパンフレット類がたくさんあります)

2018.01.26(金)寒中らしさ

ガリガリに凍ったガラス戸――昨朝

昨早朝の気温-8℃、ガラス戸に結露した水分がガリガリに凍っていました。それでもウォーキングは休みません。

東京でも都心の気温が-4℃を記録とか。これは1970年1月17日以来48年ぶりの記録らしい。日ごろから寒さや雪への備えができている寒地に暮らす者とちがい、通勤通学の方々もさぞや大変な思いをしたことでしょう。ここ北信州の住民は、冬中そんな状況、-4℃なら良い方かもしれません。

子供のころを思い出します。ボロ家はすき間だらけ。部屋の真ん中にあるコタツを中心に布団を放射状に敷いて、足を突っ込んで寝る。吹雪模様の夜は、隙間から雪が舞い込み寝ている顔に落ちてくる。部屋の中にある飲みかけの茶碗の水は、朝見るとガチガチに凍っている。

朝の顔洗いは家の脇を流れている小さな用水路、これも固く凍りつき、太い棒などでたたき割って洗顔。顔を洗わずに学校へ行ったことも何度となくあったな~。

朝の下着の着替え。コタツで暖めてからにしないと、まるで氷を押し当てたように冷たかったことを思い出します。今思えば「良く生きてきたな~」そんな感慨?を覚えます。 今の暮らしが申しわけないような気持ちです。


2018.01.25
(木) 大雪・寒波

雪景色もまた風情?

2日ほど前のニュースは、首都圏での寒波・大雪の報道が盛り上がっていました。いかに雪に弱いかを露呈。寒い信州に暮らす者には、その騒ぎが理解できないかもしれません。東京住まい20年近くの経験がある平爺には、ニュースの通りだろうな~と想像がつきます。

◆寒波・吹雪の脅威が突き刺さるように頭に浮かぶのは、新田次郎著「八甲田死の彷徨」やその映画です。青森連隊の雪中行軍訓練で、参加者のほとんど199名が死亡ししたという事件です。

◆もう一つ。何年か前の北海道での悲劇。父と幼い女児が猛吹雪の中を車で自宅へ向かっていた折、登山で言う「ホワイトアウト」でしよう、視界がなく自宅に行きつけず、酷寒の中で父親は娘に覆いかぶさるように守り、抱きかかえた状態で凍死、娘は奇跡的に助かったというニュースを聞き、感動と悲しみに捉われたことを今でも覚えています。幼子を残して母親はすでに他界していたということでした。その後あの子は元気に成長したでしょうか。

◆そん悲しいできごとを思い出すと、道路の渋滞や電車のダイヤの乱れなど何ほどのこともない・・・そんな気がしてきます(これはちょっと言い過ぎか)

●余計な話ですが、平爺が東京勤務のとき、通勤時の冬の服装は下着のTシャツ、Yシャツ、背広だけ。どんなに寒くてもそれ以上の厚着をしたことはありませんでした。そういえば真冬でも半ズボン通学と言う小学生もいました。つまり東京の寒さはその程度ということ・・・偉そうな言いかた、気分を害したらゴメン。ここ長野ではそんなわけにはいきませんが・・・。

2018.01.24
(水) 腐りかけた脳ミソを使い・・・

22日―雪かき2回、23日―早朝ウォーキングは45分で切り上げ、深夜に積もった分をまた雪かき。
  ♪ 犬はよろこび庭駆けまわる・・・どころではありませんが、モノトーンの雪景色も良いものです。

◆年明け後も、認知症介護施設へのボラはこれまで通りです。

ボラで新たに始めたことがあります。
◍一つは、格言などを二つに分けたカードを作ります。その二つをつなげて格言として完成してもらいます。
たとえば「油断」というカードに対して、何枚かあるカードの中から格言になる言葉を探してもらう。つまり「大敵」を選んでもらえば正解。盛大な拍手と「よくわかりましたネ」の褒めことば。みなさん褒められることは大好きです。それは認知症でなくても同じですよね。

◍二つ目は漢字作り。

漢字は普通「扁と旁」から成っています。のぎ扁に「火」をつけると「秋」です。写真のような扁と旁のカードを作り、これを合わせて漢字にするという遊び。これはちょっと難しいようですが一生懸命考えてくれます。
当人にとっては、同じ遊びでも日を変えればまた新鮮、その点は平爺も助かります・・なんて言ってはいけませんネ。

小さなことでも工夫しながらやれるところが、平爺自身の認知症予防につながっている?
せっかく工夫しても、結果は失敗というケースもありますが、めげずに取り組んでいきます。

2018.01.23(火)登り初め 

昨日の「「数え方」はいかがでしたか。回答は次のとおりです。

◍椅子/一脚 ◍位牌/一柱(ひとはしら) ◍ウサギ/一羽 ◍鏡/一面 ◍カップ/一客(いっきゃく)
◍寄付/―口(ひとくち) ◍クジラ/一頭
 ◍将棋盤/一面 ◍ズボン/―本 ◍たらこ/―腹(ひとはら)
◍タンス/一棹(ひとさお) ◍ 短冊/一葉(いちよう) ◍手袋/一双(いっそう) ◍テント/一張り
◍刀/一振り ◍豆腐/一丁 ◍人形/ 一体  ◍山/一座  ◍和歌/一首 ◍鐘/いっこう(一口)
◍靴下/一足  ◍新聞/一部 ◍銃/一丁 ◍箸/一膳

「日本辞典」参照 http://www.nihonjiten.com/nihongo/kazoekata/

去る20日、終日晴れマークの予報に誘われ、今年初めての山歩きをしました。長野市郊外の小さな「皆神山―659m」、日課のウォーキングの延長程度の低山です。

後立山連峰

白み始めたころ、マイカーで出発。登山口まで30分。高低差約300mの山頂展望所まで約50分。霞の空でしたが、、白銀の白馬三山~五竜・鹿島槍ケ岳などの展望が得られました。
山頂付近は、以前小さなゴルフ場だったとかで車道がいくつも交叉、下山に誤った車道に入ってしまい、駐車した所から徒歩30分ほど離れたところへ下りてしまった。加齢により、山歩きの「勘」が鈍くなっているのかもしれません。昨秋も群馬県の山で下山を間違え、地元の方の親切でマイカーまでたどり着いたことを思い出します。  皆神山の記録へ

◆皆神山の真下は、太平洋戦争末期に皇室や大本営を疎開すたるための地下壕があります。完成前に敗戦・無条件降伏で使うことはありませんでしたが、地下壕は当時のまま保存されています。

圧迫骨折というアクシデントにより、昨年は登山皆無に等しい状態でしたが、今年は少しづつ体を慣らし、山歩きを楽しめたらと思っています。

2018.01.22
(月) 鬼の数え方

何日か前、ラジオから “鬼が一匹” ということば・・・そうか、鬼は一匹二匹と数えるのか。考えたこともなかった。昔話の一寸法師や桃太郎に出てくる鬼も「匹」と数えていたのかな~、まったく覚えていません。

◆ものの数え方にはイヤになるほどたくさんあり、かつ複雑です。

お暇のある方は、以下の数え方を考えてみてください。「紙なら1枚、2枚・・・」というように。

   
山道に積もる落ち葉

椅子

位牌

ウサギ

カップ

寄付

将棋盤

ズボン

たらこ

タンス

短冊

手袋

テント

刀剣

豆腐

人形

和歌

靴下

新聞

(念のため――頭の良し悪しは関係ありません―笑―)

2018.01.21
(日) 巨人・大鵬・卵焼き

昨日は「大寒」の入りで寒さのピーク。そして寒波の予報、大雪となりませんように。

◆先日、児童・若者の野球離れのことに触れましたが、関連して「巨人・大鵬・卵焼き」を思い出しました。半世紀ほど昔、巷間に流行ったことばです。もちろん今の若者には知る由もないでしょう。
  1.王・長嶋などを主軸とした巨人全盛期
  2.大相撲史屈指の横綱大鵬・父はロシア
  3.子供が大好きな料理・卵焼き

高度経済成長期、強さを象徴するような大鵬の圧倒的強さ、川上監督・王・長嶋を軸にして日本シリーズ9連覇。そして子供が喜ぶ卵焼きを食べられるようになった時代。

2016年の第一生命調査。
  ◍女児が大人になったらなりたいもの 
      食べ物やさん ②保育幼稚園の先生 ③学校の先生 ④⑤医師看護師
    (女児は食べ物屋―ケーキ屋さんが不動のトップ)
 ◍男児が大人になったらなりたいもの

  ①サッカー選手 ②学者・博士 ③警官・刑事 ④野球選手 ⑤医者   

◆男のスポーツと言えば野球しか頭に浮かばなかった時代に少年期を過ごした平爺は、「サッカー」は遥かに遠い存在でした。1992年までは1位野球。1993年からは1位の座はサッカーに明け渡しました。

以上は、第一生命の「大人になったらなりたいもの」 を参照。
   http://www.dai-ichi-life.co.jp/company/news/pdf/2016_072.pdf


2018.01.20(土) 漢字の部首

ふと思い立って広辞苑をめくったり、もの珍しがるのは最初だけもしれません・・・(笑)

◆「付録」のトップページは「部首」一覧。一画から17画まで全部で244の部首があります。244部首のうち「木扁」など4画の部首がいちばん多くて41あります。

◆『部首』という言葉を広辞苑で引くと「漢字を分類した各部の冒頭の文字の意」とあり、244のうち、初めて見る部首も数多く「これが部首?」というのもあります。
17画の部首―「龠」、こんな部首があるの?「龠」はMicrosoft IMEパッドにも載っています。ちなみに中国の管楽器のことだそうです。「龠」を部首とした漢字
  龠」→龡・龢・龣・龥・龡

 画数 56

◆話は変わって、平爺が書くことのできる漢字で最も画数の多いのは『鬱―うつ』=29画ですが、ちなみに「画数の多い漢字」のキーワードでweb検索してみて下さい。びっくりして腰を抜かすかもしれません。29画の「鬱」など、年端もいかない幼児のようなものです・・・ほんとうですよ(笑)

平爺はこんなことを楽しんでいるから、あまり退屈することもなく毎日が無事暮らせているのかもしれませんネ。

◆部首がしんにゅうの右の漢字、数えたら56画。読みも意味も不明。(今はしんにとは言わずしんにですね)



201801.19
(金) 子供・若者の野球離れ

ホトケノザ

日馬富士の暴行問題がテレビのワイドショーを独占、国民の耳目を集めた事件?から何カ月もたつのに、いまだくすぶり続く中で初場所が行われています。10年ほど前ですが、ビール瓶でのリンチ撲殺事件も記憶に残っています。
平爺は相撲にはまったく関心がないので実況放送を見ることはありませんが、コアなファンに支えられて賑わっているのでしょうね。

モンゴル出身力士に席巻されたかに見える大相撲、その裏には日本の子供や若者が相撲に魅力を感じないという一面があるということでしょうか。

大谷・清宮という超ド級新人の話題に湧くプロ野球ですが、何日か前、ラジオから子供・若者の野球離れについて語られていました。一口で言ってしまえば魅力を感じないということのようです。頭は坊主刈り、自主的な練習というより、上下関係や監督コーチの罵詈雑言のいじめにも似たシゴキで成り立つような閉鎖的な雰囲気が、敬遠理由の一つにあるしらい。

平爺が子供の頃は野球一色の時代。お袋が布でグローブらしきものを作ってくれ、ボールも何かを芯にして細く切った布切れをグルグル巻きつけて作ってくれた。学校の行き帰りはボールをいじりながら・・・。それがいつのころからかサッカーがとってかわり、登校時にはサッカーボールがお供にと変わっていき、子供向けのアンケートでもサッカーが野球を凌駕するよいになっていきました。

時流に乗り遅れたスポーツが敬遠されるのは、致し方ないのかもしれません。

2018.01.18
(木) 広辞苑―(続)

お役御免となった広辞苑は資源ゴミの運命です。膨大な収録数(20何万語)のうち、実際に引いたのはごくごくわずか、それでも38年間の愛着というのか、別れを惜しむに似た感はあります。

◆意味もなくページをパラパラとめくっていると、イチョウの葉が一つ出てきました。いつ、なぜ押し葉のように挟んだのか記憶はありません。そのときはきっと意味があったのだと思います。
製本がしっかりしているので型崩れもなく、まだ現役で十分使える状態ですが、古紙回収に出す日まで寒い物置の中に入って休んでもらいます。

昨年晩秋、散り敷くイチョウの落ち葉を撮った写真が残っています。日記に貼りつける機会がなかったので、遅れ馳せながらそれも貼付します。

2018.01.17(水) 広辞苑

左が改訂版

12日に広辞苑改訂版発売。このよもやま日記を書く際、広辞苑はよくお世話になっています。改訂版は新しい言葉が何万語か追加されたようですが、38年前のものでも平爺程度の者が何か書くには不自由ありません。それでも改訂版が出ると聞けば欲しくなってしまう。長いこと買い替えもしないで使ってきたのに、行く先長くはないこのときに買い替えるのも勿体ない気もするが・・・、どうしてもという衝動を抑えきれず、発売翌日に書店へ出向いてしまいました。

◍これまで使っていたのは「昭和55年第2版補訂版」、38年前のもの。
 本体2448ページ  重さ2.6kg

◍今回の改訂版
 本体3186ページ 付録422ページ 合計3608ページ 重さ3.2kg

今やネット時代、辞書がなくても不自由はないが、平爺はやはり昔人間。辞書を引くという楽しみ、喜びのようなものは捨てきれません。あと何年使うかわかりませんが、それまで良き友にしていこうと思っています。
余計なことですが価格は9180円。10年使えば1年あたり1000円ほど、安いものです。

2018.01.16
(火) 閑話「人気」

昨朝の月 気温-6℃

昨朝、4日つづけて三日月を撮ることができました。ただし気温は-6℃の厳しさ。次に顔を見せるのは19日です。


◆認知症介護施設へのボラは自宅からマイカーで30分余。活動時間は10時から1時間~1時間半と決めています。当初は大変長く感じましたが、今は「あれ・・・もう時間だ」と思うのが毎度のこと。

みなさん朝食が終わると、それぞれができる軽作業にかかります。食器洗を洗う人、洗濯物をたたむ人、ぼんやりとテレビ画面を見ている人・・・・最後に血圧・脈拍測定をして終了。皆さんの手が空くのは10時頃、お茶の時間です。そのタイミングに訪問しているわけです。

ボラのオープニングは唱歌の「故郷」合唱。それから簡単なゲームやみんなが知っている歌を合唱したりといろいろ。曲は童謡・唱歌・懐かしい歌謡曲etc。もちろん伴奏はなし。数えたことはありまもせんが150曲ほどPCでプリントしてあり、その中から誰でも歌える「人気」のあった曲や、季節にふさわしい曲などをその場で選定します。

        *******************************************
◆寝ぎわ「人気」の読みは【にんき・ひとけ】ふたとおりあるがその違いはと考えているうちに眠ってしまいました。翌日広辞苑を引いてみると
にんき・・・①人間の意気  ②世間一般の気うけ、評判  ③その地方の気風
ひとけ・・・①人のいる気配 ②人間らしいこと

一応?それで納得しました。

2018.01.15() 教養・教育

 昨朝の月 気温-6℃

3日つづけて三日月が撮れました。とにかく寒い。手袋だとシャッターボタンが押せない・・・つき刺す寒さに手の指がジンジンと痛いほど。

◆「一日10人と会話を」・・・ボケ予防としてよく言われること。しかしこれを実践できる老人がどれほどいるか。いわんや後期高齢者と言われる75才以上の老人にとっては、もう夢のような話。

そのほかにも「きょうよう」と「きょういく」。これを「教養」・「教育」と訳す人は失格。正しくは「今日用事がある」と「今日行くところがある」と訳す人は認知症予防を真剣に考えている人。

◆毎日のように出かける用事があり、行くところがある人がうらやましい。平爺の日常をから類推して、もしも10人中8人も9人もがそれを満たしているのが普通なら、平爺は生きる気力を失ってしまいそう。

◆先週を振り返る。
    日-なし  月-(ボラ活動に使う資料作り)  火-ボラ訪問  水-ボラ訪問
    木-眼科医・ホームセンター  金-歯科医院・水彩展鑑賞  土-ボラ活動に使う資料作り・書店

◆毎日欠かさないのがウォーキングとよもやま日記。書く材料を物色し起稿―平均30分~1時間くらいかな~ 寒さ厳しい未明の時間帯はウォーキング同好の士と会うこともなく挨拶や立ち話をする人もいない。

◆会話の相手は話好きの妻オンリー。しゃべらせておけば何時間でも。平爺は聞き役に徹している・・・が、半分は上の空で生返事というのが実態かな。ときには「今私が何と言ったか言ってみて」という矢が飛んできたりする。もちろん「え~とう・・・???・・・」 分かっちゃいるけど夫婦はやめられない(笑)

2018.01.14(日) 「8020

ほぼ1年ぶりの歯医者。自覚症状はありませんが、自発的定期検診のようなもので、歯石除去など大掃除をしてもらうだけ。

昨朝の月―8℃

◆80才で自前の歯を20本残そう・・・それが「8020運動」、昨年2月に難なく達成。まだ26本残っているらしい。たいしたものだ・・・と自画自賛するほどのことでもありませんね。

ネットで6年ごとに発表される8020達成率の統計(%)
 199310.9 199915.3 201524.1 201138.3  201650.2

「達成率50.2%」、8020が当たり前の領域に近づきつつあり、自慢できるほどのことではなさそう。胸を張っているのは当の本人だけ・・・なんていう話は、ほかにもいろいろとありそう。身を慎まねば・・・と思いますが、実はその普通が何より大切なんですね。(何を言いたいのかわからなくなってきました―(笑)―)

【追記】昨今歯周病と認知症の関係が指摘されているという。「歯周病が認知症を悪化させる」云々。たかが8020ではなく、されど8020と認識すべきかもしれませんネ。

2018.01.13(
) ????

昨朝  気温-6℃

深夜2時、なぜか目が覚めてしまった。おしっこでもないし・・・夜中、尿意で目を覚ますことはまずありません。眠らなくてはと焦っていると、脈絡もなくどっちでもいいことが頭に浮かんでは消えていく。勉強のことを「勉強」と書くのはどうしてだろうか。 “強く勉める“・・・・??? 考えると余計眠れなくなるのは三球・照代の「地下鉄はどこから入れたの・・」と同じ。

◆後日、広辞苑を引いてみると ①精を出して勉めること ②学問に身を入れること ③商品を安く売ること

Webの「語源由来辞典」をのぞくと以下の記述あり。
◍「勉強とは学問や技芸を学ぶこと。経験を積んで学ぶこと。商品を値引きして安く売ること。精を出すこと。努力すること。
◍語源・由来――勉強は「勉め強いる」で、本来は気の進まないことを仕方なくする意であった。 (中略) 商人が頑張って値引きする意味の勉強は、明治以降、知識を得るために努力することが美徳とされるようになったことから、「勉強」は「学習」と同じ意味で使われるようなり、一般に学習を意味するようになった。  ふ~ん????? 

それにしてもwebの世界はすごい、キーボードをたたけば寸時に疑問に答えてくれる。考えることも、記憶することも必要ない時代へと変わりつつあるのでしょうか。そして人間の脳は退化して行く・・・のでしょうか?


2018.01.12
(金) 必死で生き抜くスズメたち

一週間ほど先は「大寒」。自然界の生き物にとってはいちばん過酷な時、食べ物探しも容易ではないでしょう。

我が家へ来訪のスズメ君たちも、また数が増えたような気がします。さりとて人が可愛さだけでエサを与え過ぎるのも禁物。スズメに限らず自分の力で生き抜く力を失わせるようなことはできません。心を鬼にしてその掟を守っています―(少々オーバー)

エサを与える時間は、朝7時少し前と夕暮れの近づく3時半過ぎ。その時間になると何十という数が屋根や木の枝にとまり、時よ来たらん!、今か今かと待ちかまえています。エサ台にエサを置き、屋内に戻ったのを見さだめると一斉に殺到。まさにお祭り騒ぎの押すな押すな。飼い犬ならぬ飼いスズメのようないとおしさを感じます。10分もしないうちに食べつくし、しばらくは未練がましくチーチー囀りながら騒いでいますが、ボスでしょうか、一羽が空に舞いあがると一斉に空の彼方へと消えていきます。

塒(ねぐら)はいずこ、「また明日の朝おいで、おやすみ・・・」そして西の空が茜に染まっていきます。

2018.01.11(木) 物を大切にするのはケチとは違う

一昨日、昨日と二日続けて認知症介護施設のボランティア事始め。施設は二つのグルーブに分れているのでそれぞれ別の日に出勤?

氷柱――先月の写真です

◆雑煮の餅は、関東は角餅で関西は丸餅など、どっちでも良い話から、昔は食べ物を大切にしたという話に。西日本出身のBさんは丸餅が懐かしいようです。
施設のお年寄りたちは、今朝食べたものを思い出せなくても、数十年以上昔のことをよく憶えていたりしてびっくりさせれることがしばしば。上手く水を向けると、昔の話がいろいろ出てきます。

◆近ごろ物を大事にしなくなったよネーというと・・・99才のA子さん。昔は「米一粒も大事にした。
井戸端で米を研いだあと、一粒でも落ちていたりすると、あの嫁は何ていう勿体ないことを」・・・と非難された。浴衣は何回も洗っては仕立て直し、着られなくなると、オムツに使い、最後は雑巾に・・という話など。

◆ゴミの集積所。十分に使えそうな玩具や家具家電製品、ポンコツ自転車、石油ストーブ、布団から着るもの。まさに使い捨て文化の象徴現場です。我が家だって大きなコトは言えません。
認知症になっても、物を大切にするという気持ちだけは健在、骨の髄まで叩き込まれているようです。

2018.01.10(水) 沖縄の人々の気持ちになれば・・・

沖縄において、またも米軍ヘリの事故ニュース。県民だけが不条理に大騒ぎしているわけではありません。沖縄県内における米軍基地は33施設、県全体の面積の10.1%、この数字からも沖縄県民がいかに重い負担を背負わされているかが想像に難くありません。http://fukunawa.com/okinawaword002参照

北アルプス遠望

◆昨朝、季節外れの小雨降る中をウォーキング。ラジオ深夜便・今日は何の日で「195319日は―映画・ひめゆりの塔が封切られた日」。平爺が16才の頃です。ストーリーなどの細かいところは覚えていませんが、強烈な印象だった記憶だけは残っています。web検索すると出演は 津島恵子・岡田英次・信欣三・香川京子・岩崎加根子・渡辺美佐子 など、往年の銀幕スターたち。

◆先の太平洋戦争末期、米軍は沖縄に上陸、日本はこの時点て戦闘能力を失っていたにもかかわらず、軍・政府の命令で、新聞・ラジオは「我が国は優勢に戦っている」と伝え、国民を鼓舞していた。そんな状況下、1519歳の沖縄県内中学~高校の女生徒で構成された「ひめゆり学徒隊」が作られ、負傷兵の介護などに従事させられた。その数は生徒・教師合わせて240人。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3634/1.html参照

◆日本軍の戦闘能力を失った中、ひめゆり学徒隊は軍命により解散、戦場のただ中へ放り出され、240名のうち200名ほどが亡くなったと言われます。映画「ひめゆりの塔」の中には、女生徒たちが海岸の絶壁から海に身を投げて集団自決するシーンがあったような気がします。

●本土に住む私たちには、沖縄の人々の戦争への嫌悪感の強さは想像できません。たかがヘリが一機落ちただけ・・・ではすまないことを想像することが必要だと思います。世界へ目を向ければ、いまだ戦争の愚かさに気づいていないかのように見えます。

【追記】ひめゆりの悲劇の前年、沖縄の児童たちを乗せ、疎開途中の対馬丸が米軍の攻撃を受けて沈没、1476名という大きな犠牲がありました。

2018.01.09
(火)日本一値段の高い日本酒は?

年末年始来宅した息子の手土産は「日本酒」、銘柄は聞いたこともない「獺祭」、産地は山口県岩国市で高級酒らしい。産地が山口と言うのが気に入らないが・・・まあいいか。(理由はお分かりですよね)

「獺祭」・・・大半の方は読めないのでは?
ところで高級酒で頭に浮かぶのは越後米の越乃寒梅・久保田・八海山など。ここ信州の隣県という親しみもあります。

◆さて読み方ですが・・・「DASSAI」、「ダサい」ではありません。けもの扁に頼、獣扁ということは動物だろう・・・わかるのはそこまで。あとは辞書。イタチ科の『カワウソ』だそうです。へ~、どうして酒の名前に・・・それは昔近くの川に獺が棲んでいたかららしい。

山口県には変わり者が一人いますが、酒の銘が「獺祭」とは変わっている。ところが味の方は実にまろやかで、ついつい飲み過ぎてしまいそう。ネットで調べると三つほど等級があって 1升 32400円  16200円  7560円。
桁ちがいではありません。平爺が自腹で飲める酒でないことだけは確か。

◆「日本で一番高い日本酒」でネット検索したところ
「超高級日本酒―死ぬまでに一度は飲みたい至極の日本酒!」がヒットしました。銘柄は『獺祭』でした。これで死んでもいい?

2018.01.08
(月) 余生

昨日は門松を片づけ、七草粥をいただきました。
「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし 一茶」
この句が思わず脳裏に浮かぶのは八十路の下りにかかった平爺のひがみ?

◆あわせて浮かぶは「余生」の二文字。
余生を広辞苑で引くと 『残りの人生』 『老後の生涯』 と出ています。
イメージとしてはこんなものでしょう。特に異議はありません。webには「盛りの時期を過ぎた残りの生涯。残された人生」という記述もあります。

どっちにしても「何歳から」とう決まりがあるわけではないし、人それぞれの考え方次第。80の下り坂をとぼとぼと歩き始めた身には『余生』が似合っているような気もします・・・が、『余生』という言葉のイメージは「余りの人生」、つまりあってもなくても誰も苦にしない、そんな響きが感じられます。

だから「読書でもしながら静かに余生を」とか「消えかかったローソクの灯のように静かに」のような願望は、今のところありません。つまり「余り」の人生ではありたくないということですが、『ままならぬが浮世の常』ともいいますし・・・余生を考えることはやめよう。日々やりたいことを精いっぱいやれればそれでいいじゃないか・・・そう思い直すことにします。

◆「粥」と言うと、多くの方が芥川龍之介の「芋粥」を思い起こすかもしれません。うろ覚えの記憶しかありませんが、芋粥に目のない冴えない役人の自虐的な話だったような気がするが?平爺と重なるところがあるような無いような・・・・機会があったら読み直してみようか。

201.01.07
(日)―(Ⅱ)

昨日(1月6日)、ラジオ深夜便の「今日は何の日」は、『1941年、アメリカ・ルーズベルト大統領が民主主義の原則として「4つの自由」を提起した日』

知らなかったのでネット検索してみました。

 ◍表現の自由
 ◍信仰の自由
 ◍欠乏からの自由―(平和的生活を保障する経済上の相互理解)
 ◍恐怖からの自由(軍縮による侵略手段の除去)

77年も前のことですが、いまだ陳腐化するとなく、世界の人々が持ち続けなくてはならない普遍の原則だと思います。トランプ大統領も、金正恩主席も、そして安倍総理もこの民主主義の理念を尊重してほしいと思います。
ヒトラー、ムソリーニ、東条英樹・・・4つの自由が理解できていたら、あの悲惨な太平洋戦争も原爆被害もなかったはず。近ごろ、教育勅語復活や軍備拡張・平和憲法改正への一部勢力の動きに不安を感じる国民も多いのではないでしょうか。政治家たる者、もう一度この理念を思い起こしてほしいと感じました。
参照したホームーページhttp://blog.livedoor.jp/hakurakusha1988-tetsuwokoeru/archives/35483749.html

2018.01.07
(日) クラシックをじっくり聞くのも良いもの

テレビのお笑い、ドタバタ番組をバラエティと言うのでしょうか。お高くとまっているつもりはありませんが、そうした番組はまず見ません。とりわけ正月のテレビ番組は、目を通しても見たいものがほとんどない。

恒例として毎年見るのは箱根駅伝とウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートくらいのもの。
なぜか今年の箱根はあまり面白くなかった。白熱場面が少なかったからかも。いや、歳のせいかな?

ウィーンフィルの方は、ウィーンから全世界へ向けてのライブ放送だが、録画を観たのは元旦ではなく4日と5日。孫たちがいるとじっくり楽しむという雰囲気にはならないから。

演奏は勿論だが、絢爛豪華ウィーン楽友協会大ホール(黄金のホール)の様子、飾り付けた生花・・・それに観覧する人々の何ともリッチな雰囲気。和服でそれとわかる日本人女性もちらっと映っていた。

貧乏人の平爺の頭をかすめるのはチケット代金。ネットで調べてみました。
◍一番高い席4800ユーロ ◍立ち見席・・・350ユーロ
  (1ユーロは≒135円 円換算はご自分でやってみてきださい)

◆ウィーンフィルの比較対象ではありませんが、一昨日、上田市サントミューゼホールで行われた「ウインナ―ワルツ・オーケストラ」の『NEW YEAR宮殿祝賀コンサート』を鑑賞してきました。なじみの曲が多く、バレーや女性歌手の登場もあり、雰囲気も和やかで、つい釣り込まれて鑑賞してきました。ちなみにチケットは5500円(ユール換算€40曲目の幾つかを紹介しますと
      ◍ピチカートポルカ  ◍ウィーンの森の物語  ◍ハンガリー舞曲  ◍雷鳥と稲妻
    ◍美しく青木ドナウ  etc. 約2時間の公演を堪能しました。


2018.01.06(土) 今月のことば

今朝の気温-8℃、頬を刺す寒さは「寒中」。屈伸で指先の痛いほどの寒さをかばいながら1時間半のウォーキングで一日がスタート。

◆寺院門前掲示板  今月のことば

   人生やり直しはできないが
   見直すことはできる

平爺の記憶では、何かの折に「その気になれば、これからだってやり直しができるのだから・・・」と聞いたようにも思うのですが定かではありません。
「人生やり直しはできない」と決めつけられると、一歩あやまれば人生それで終わりのよう気もしてくる。果たしてどう解釈するのが正しいのか・・。

ただ、「失った時間は取り返せない」いうのなら理解できます。
神様か仏様のような偉い人が述べられた言葉でしょうから、もう少し詳しく説教を受けたらその蘊蓄がわかるのかもしれません。


2019.01.05
(金) どうしようかな~

ここ数日が夜明けのいちばん遅い時期で、長野市の日の出は7時。一方日没のいちばん早かったのは125日前後でしたが、今は5分ほど遅くなっています。この程度ではまだ実感するところまではいきません。スズメがエサ台に集まるのも7時少し前です。


出品は2010年作 4号

◆水彩教室を退会してから数年以上たちましたが、今年も当時の仲間から水彩展への出品お誘いの声がかかりました。
ところが作品の大半はすでに断捨離―廃棄してしまいました。何点か残っている中から出品させてもらうことにしました。

思えば、水彩画を始めた動機は、いずれ登山も出来なくなるのは目に見えている、その時に「濡れ落ち葉」、「粗大ごみ」、「ワシも族」、「産業廃棄物」など邪魔者扱いされないようにと思って取り組んだのが水彩画。

肝心のその時がついに目の前となったにもかかわらず絵筆とは無縁の日々。そろそろ惰眠を吹っ切るべく初志を思い起こして描いてみようかな・・・・という気がないではありませんが、いざやるとなればそれなりの気概・気力も必要。ただのお遊びや暇つぶしのためならやらない方がまし。どうしようかな~悩める平爺さんです(笑)



2018.010.04
(木) 願いは世界の平和

76億人を乗せた地球号。だれしもいけないことと分かっているのに、戦争の火種の消えることはない。未来永劫に戦争放棄宣言した日本も、このまま進めばどうなるか・・・気配はかなり怪しくなってきた気がします。
これまでも平和憲法改正の声は恐る恐るながら無かったわけではない。しかしここにきて一気にそれが声高に語られるようになってきた。大丈夫でしょうか。最愛の子孫のために戦争だけはない世が続いてほしい。平爺の年頭の願いです。

◆平和のシンボルと言えば「鳩」・・・仲の良い鳥なのだろうか?
実はその理由を平爺は知らなかったことに気がつきました。

先日、広々とした県営運動公園の陽だまりに、仲良くエサをさがしている鳩たち。平和な光景です。遅ればせながら「鳩・平和」のキーワードweb検索してみました。

◆『平和の象徴=鳩+オリーブ 』

旧約聖書時代のこと、神様は争いなどがつづく堕落した人間たちに怒りを覚えて大洪水を起こしました。大洪水に遭ったノアとその家族は箱舟に乗って生き残った。次の難題は箱舟からの脱出。何度か鳩を放ちます。3度目の鳩がオリーブの葉を持ち帰りました。そして4度目の鳩は帰って来ませんでした。平和で安住の地が近くにあるに違いない・・・・以下省略

2018.01.03() 新しい年に新しい日記帳

1月2日のフルムーン

昨朝5時過ぎ、西の山稜へ落ちていく、みごとな真ん丸お月さんが雲間に。あとで調べてみたら「フルムーン」でした。

◆笑わすセンス抜群の明るい中三の孫娘。笑いの絶えない年末年始でした。

『来てよし帰ってよし』は的を得た言い様ですが、帰ったあとの家の中は火の消えたごとし。ほっとすると同時に、まるで空っぽの中にいるような気分になるのも事実。勝手なものです。

年末まで使っていた10年日記は、元旦から5年日記に。重さは《1050gから450g》へ、サイズは《19㎝×26㎝から15㎝×21㎝へ》と軽量化?大変扱いやすくなりました。
目標は、何とか向こう5年間空欄を作らないよう、たとえ1行でも書き続けられること。この目標を欲張り過ぎととるか、はたまた謙虚ととるか・・・本人にも他人にも判じかねるところです。
あと5年生きるのが先決、とにかくスタートしました。

(実は日記帳の一日分記入スペースはごくわずか。その日あったことを五つケ条書きしたらおしまい。それすら埋めるのは大変・・・・「特記」なしの無きようがんばらなくちゃー)

2017.01.02(
) 雪山賛歌

善光寺平を囲繞する山々は白と黒とのモノトーンの世界。妙高山や高妻山。そして遠く北アルプスの連嶺はクリームを塗りつけたような眩しい白銀に輝いています。
「雪山」と言えばどなたもご存知の「雪山賛歌」が浮かびます。

◆この歌は90年ほど前、京大山岳部の仲間たちが、大雪のため群馬県鹿沢温泉で足止めを喰っていた際、退屈しのぎに詩を書き、アメリカ民謡『いとしのクレメンタイン』のメロディーに載せたという話は、登山愛好家の多くが知るところ。平爺もこの歌が好きです。

 ①雪よ岩よ われ等が宿り

  俺たちゃ街には住めないからに

 ②シール外してパイプの煙

  輝く尾根に春風そよぐ

 ③煙い小屋でも 黄金の御殿

  早く行こうよ谷間の小屋へ

 ④テントの中でも 月見はできる

  雨が降ったら濡れればいいさ

 ⑤吹雪の日には 本当に辛い

  ピッケル握る手が凍えるよ

 ⑥荒れて狂うは 吹雪か雪崩れ

  俺たちゃそんなもの恐れはせぬぞ

 ⑦雪の間に間にキラキラ光る

  明日は登ろうよあの頂に

 ⑧朝日に輝く 新雪踏んで

  今日も行こうよあの山越えて

 ⑨山よさよなら ご機嫌宜しゅう

  また来る時にも笑っておくれ

奥志賀焼額山スキー場の樹氷 菅平ダボススキー場

◆30、31日は来宅中の孫娘とパパでスキー。30日は菅平高原。大晦日の一昨日は奥志賀高原のスキー場。ケガが後を引いていることは否めませんが、それより運動神経・体力(脚力と腰)の劣化により思うように滑れません。
脳裏をよぎったのは「もしかするとこれが最後のスキーかも」ということ。言いたくありませんが「歳には勝てない」という思い。元旦にはふさわしくないと思い、2日の日記にしました。

孫たちは4泊して今朝早い時間に帰って行き、またいつもの爺さん婆さん二人だけの静かな日常に戻りました。


2018.01.01(月) 元旦

明けましておめでとうございます  
 独断と偏見の❝よもやま日記❞に
   毎度お立ち寄り下さっている皆様方に
     あらためましてお礼申し上げます
       本年が良き年となりますよう
             お祈り申し上げます
  写真は1994年12月24日、厳寒の中央アルプス伊那前岳(2883m)からの撮影
  南アルプス連嶺のシルエットとその背後の富士山頂真上に昇るダイヤのような太陽 

新年も早朝ウォーキング(1時間25分)からスタートしました

昨年は胸骨圧迫骨折のために不本意な1年を余儀なくしました
登山あっての平爺。以前のようにはいきませんが、一座でも多く登れればと願っています。

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