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2018 年 2月
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2018.02.28(水) マラソンのこと 平昌五輪閉幕と同じ日、東京では一線級の選手とともに36000人のマラソン愛好家がフルマラソンを走っていました。それにしてもすごい人数。最後尾がスタートラインを通過するのに15分以上かかったのではないでしょうか。
平爺が東京マラソンの前身、東京シティマラソンに市民ランナーとして参加したのは、直腸ガンで人工肛門となったあとの1992年、当時はハーフ(フルマラソンの半分の距離)でした。タイムは1:44:38。翌年は1:42:02。東京のど真ん中を走るのは気持ちよかった。参加定員は確か1万人ほどだったと思います。 ◆遡ると、42歳のとき気まぐれに健康ジョギングを開始、3年後の45歳のとき、これも気まぐれに静岡県掛川市東三フルマラソンに参加。それほどつらいとも思わずに3時間38分で完走。 48歳で直腸がん・人工肛門の手術を受けるまで、5㎞からフルマラソンまで数十回以上の各地マラソン大会に参加。この数年余りは平爺の人生の一つのエポックと言っていいときでした。走らなくなった今でも、マラソンや駅伝には強い興味があり、テレビ中継があるとたいてい見ています。 フルマラソンを最後に走ったのは67歳、タイムは4時間45分でした。 日課の早朝ウォーキング。今朝は2時間10分、6時20分帰宅、寒暖計は-7℃・・それ以上に寒く感じました。
◆お知りあいのAさんからのメール。『努力している選手、関係者には大変失礼ですが《これがオリンピック競技?お遊び感覚のゲームじゃないか!》と思う種目もあります。じゃあ、遊びと競技の差は?と問われると答えに窮します。力比べ、早さ較べ、技術較べ・・・競技スポーツはすべてお遊びの延長だと思えばどんな種目も偏見なく見られそうですがアレだけはねぇ』 今シーズンはインフルエンザB型が大流行したようです。予防ワクチンが売り切れに?になるほどだったとか。インフルエンザにはA・B・C型の3種類があるらしいが、病気音痴の平爺はそうした知識は皆無。 秋になるとカミさんから「インフルの予防接種をしてきてよ」と催促されるのが恒例。「オレは絶対に風邪なんか引かないからやらない・・・」 「でも行ってきて」のバトル。カミさんの最後の切り札は「介護施設でボランティアをやってるでしょう、気づかないうちにもし移してしまったらどうするの・・・」の一言で降参白旗。結局接種を受けに医者へと言うパターンの繰り返し。幸いにも?昨秋はワクチン売り切れで接種はパス、当然のことながらこの冬も風邪一つ引かずに春を迎えます。 ◆風邪らしきものにかかったのは何年前のことだろう。10年? 15年?いや何十年も前? まったく思い出せません。カミさんが風邪を引いても、同じ屋根の下の平爺にはなぜか移らない。小学生のころかな~、風邪を引かないようにとか言って学校で裸なり、乾布摩擦をさせられたことを思い出しましたが、あれりってほんとうに効果があるのかな~。 ◆理解に苦しむ格言はたくさんありますが『バカは風邪を引かない』だけは文句なしの真実と確信⇒それがバカなんだよ・・・と言いたいんだろうな~ 春近し・・・雪の舞う日はまだ何日かはありますが、融けるのも早い淡雪。「雪はどうして白いの?」、今さら当たり前のことを・・・と言われそうですが、不思議と言えば不思議。説明しろと言われたって「白いから白く見えるのだろう」と言うしかないが一応ネット検索してみました。 ◆「物」に光が当たって反射、それが人の目に入る。「物」はいろいろあって、物ごとに反射する光の波長ちがってそれぞれの色として目に見える。 雪が白く見えるのは、雪の粒が小さいために、波長のちがういくつもの光を乱反射。そのいくつもの色がすべてまざりあうから目には白く見える・・・というのです。 ◆多くの異なる色の光を合わせると白になる・・・というのは、何とも不思議。それが光の性質なんですって。雲や、かき氷が白く見えるのも理屈は同じ。わかりましたか。平爺にはわかったようなわからないような・・・すみません。早くほんとうの春が来ないかな~。もう雪はいらない。
少しばかり水彩画を習った平爺の知識 身近に春を感じるものと言うと、何が思い浮かぶでしょうか。人それぞれにあると思います。
寒い地方では、身近にある自然の営みが春をしのばせます。優しくなった陽ざし、四囲を取り巻く山々の色あい、夕暮れが遅くなってきたこと・・・ 田舎では「フキノトウ」も春を実感させてくれるものの一つ。雪が融け、様子をうかがうように地面から黄緑色の頭をもたげてくるのが「フキノトウ」。冬の終わりがようやく見えてきて、萌える春はあとひと息。温暖の地に暮らす人々には実感は伴わないかもしれませんが、寒地に住む者が肌で感じる喜びがあります。 ◆80の坂にさしかかると、老夫婦二人きり、最後のときを送るには北信濃の冬はちょっと厳しいかな~、終の棲家は雪が珍しいような所がいいな~。 生まれ育ったのは信州、海抜750mという山に囲まれたところ。標高599mの高尾山より150mも高い。寒さに慣れているとは言え、東京、大阪にも何年か住み、温暖な暮らしが楽なことも知っています。
「Legend」・・日本語並みにこの言葉を耳目にするようになって久しい。 スキージャンプの選手として活躍。2014年にはソチ五輪では40歳を超えた年齢で銀メダルに輝き、世間をあっと言わせた葛西紀明選手。そのときつけられたのが「Legend」―伝説の男。46歳にして平昌五輪にも日本代表として選ばれ、まさに伝説の男です。 伝説で思い出したことがあります。 ◆一つは「味の素」、あの調味料です。社内で売上拡大のための提案を募ったところ、ある女性社員が「容器の穴を目立たない程度に大きくしてみたら・・・」 ◆もう一つ、これも何十年も前の話。家庭用洗濯機の普及が進んできたとき、洗濯物の糸くずなどが排水口に詰まるのが悩み。低コストで何とかならないか・・・なかなか良い案がない。そのときある女性職員が「浮かんできた糸くずを採る小さな袋を洗濯槽の上部に取り付ければ・・・・」コストは僅少、効果絶大で大好評。特許も取得。このメーカーの売り上げは伸びるし、特許使用料も入ってこの女性社員も想定を超える収入を得た云々。 記憶相違があるかも知れませんが、まさに伝説的な話。似たような話はほかにもたくさんあるのだろうと思います。
環境美化と受動喫煙被害防止のために、地方自治体独自で『路上喫煙禁止条例』などを制定しているところが増えているらしい。国としても規制法案の実現を目指して検討中だが、利害が交錯してなかなか前に進まないようです。 ◆3年後となった東京五輪、多くの外国人の来日が予想されるが、世界基準を満たせるか危惧されているらしい。世界基準とは――2010年にIOCが世界保健機関と「たばこのない五輪」を推進することで合意、以降の五輪開催都市は、官公庁や飲食店などの屋内完全禁煙を実現しているとのこと。 ◆与野党それぞれ多少のちがいはあっても、国際基準に基づく法案を意識しつつも、影響を受ける業界の突き上げに二の足を踏んでいるのが実状?3年後に迫った五輪開催国日本の対策は間に合うのか。 ●「百害あって一利なし」百も承知しながらやめられない。平爺は20歳過ぎからタバコを初めて一日20本ほど。40歳のある日、スパッと辞めました。職場の女性がタバコの煙をいやがっているのを知ったのが動機。今でも、あのとき決心してよかったと思っています。 昨朝午前8時ころ、ダイヤモンドダストを見ました。長野市内で見るのは稀です。空気中にダイヤのように白く輝いて浮遊する光の舞と言ったらいいでしょうか。とても幻想的な自然現象です。発生にはいくつか条件があって、webには次のように書かれていました。
一つの山域で遭難死が世界一多いのはどこかご存知でしょうか。ヒマラヤ?三大北壁と呼ばれるアイガー・グランドジョラス・マッターホルン?。予想外だと思いますがそれは日本のある山岳ですが槍ケ岳や穂高連峰でもなく、何と新潟・群馬国境の中級山岳「谷川連峰」なんですよ。標高1500~2000m程度の高さで、北・南アルプスや八ヶ岳には遠く及びません。 そんな山でなぜ?不思議ですよね。谷川連峰での遭難の多くは切り立った岸壁を攀じるロッククライミングと、地理的な関係で気象の変化が激しいことが要因と言われます。2014年までの遭難死者数は何と809人、8000m級のヒマラヤでさえ637人(2012年まで)と比較しても驚きの数字です、まさに魔の山と呼ばれる所以です。 ◆平爺は、無雪期ですが谷川連峰のピークはほとんど踏んでいます。天候を見きわめ、一般登山道を歩く分には普通の登山です。 一度だけ背筋が凍る思いをしました。それは、初めて谷川岳の主峰「オキの耳-1963m」という狭い岩峰ピークでのこと。地図を広げて四周の山々を指呼しながら展望を楽しんでいました。そこは断崖絶壁のへりに近い場所、展望に夢中で注意を失念してしまい、後へ少しいざるように下がったとき「危ない!!」という登山者の大声、振り向くとあと少しで絶壁から足を踏み外す寸前でした。名にしおう何百メートルもあるロッククライミングのゲレンデ。落ちたら200%あの世行きでした。 ◆最近は谷川岳での事故報道は耳にしません。谷川岳登山への用心が行き届いてきたのかもしれません。むしろ八ヶ岳、北アルプスなど気軽に登れるようになった高山の事故が増えているとも言われます。登山は高い低いは関係なし、用心用心です。 目下、伝説の単独行登山家加藤文太郎を主人公にした実話に基づく新田次郎作「孤高の人」を再読中です。幾つ命があっても足りない・・・そんな凄絶な物語です。初版が1973年、2017年に84版が発行され、登山愛好家にいまも読み継がれています。 2018.02.20(火) 雨水 2/19~3/1日は二十四節気では「雨水」・・・「雪が雨に変わり、雪や氷はとけて水となる」 この可憐な花の語源をネットで調べると何と――「ふぐり」は睾丸、陰嚢、きんたまを意味る古語云々とありますが、花の姿・形と結びつきません。「オオイヌノフグリ」は犬の大きいキンタマ?思わず笑っちゃいます。今度犬に出会ったらよくよく見てみよう(笑)
日課のウォーキング出発5時15分、まだ真っ暗。頬を突き刺すような寒さ。ネックウォーマーも着けて完全装備?凍った路面に滑らないよう気をつけながら、いつもの千曲川堤防道路路を歩く。帰宅6時46分、寒暖計を見ると-10℃。
銀メダルの宇野選手だってすごいと思うのに、羽生選手の印象が強烈過ぎて霞んでしまうほど。
昔、「運動バカ」という言葉があったのをふと思い出しました。今は耳にすることはありません。 もし「今年いちばんもてた男」というのがあったら、今年はたぶん羽生結弦選手で決まりでしょうね。
自分では指さないのに、毎週日曜日NHKテレビam10.00からの「将棋の時間」は、用事がない限り見るのを楽しみにしています。分からないなりになぜか楽しいのです。子供の頃。ボール紙で作った駒で、子供同士遊んだ程度の経験があるだけ。近所に3、4歳年下のとても強い男の子がいたのを思い出します。 今日はその話ではなく、一流棋士たちがCPUを使って研究したり、時には棋士とCPUが対決したりという次元の違う話題。 ◍そうそう・・・テレビで「痛みのない分娩」のことに触れていました。痛くないのは妊婦には大変な朗報でしょうが、苦しんで産んだ我が子だからこそ、紛れもない私の赤ちゃん、愛情もまた強く感じられるということはではないでしょうか。 平爺があの世へ行ってから何年も何十年も先の話だとは思いますが・・・。 ★羽生結弦選手(23)―平昌五輪、フィギュアスケート金メダル。男子で66年ぶりの連覇という快挙。
宴?たけなわの平昌冬季五輪。 ふと思い出しました。空しい・・・国会議員の先生方がスーツにつけているブルーバッジのこと。知らない人がいらっしゃるかもしれません。 朝鮮半島で行われているオリンピックは、理不尽な拉致を世界へ発信する良き機会だと思うのですが、日本政府からはそれらしい動きは伝わってきません。政治とスポーツは別・・・多分そういうでしょうね、一理あります。 相手があることで、頑張ってもどうにもならないこともあるでしょうが、救出活動に関することが、何にも伝わって来ない。伝わってくるのはヤル気のなさだけ。
「食」を広辞苑で引くと ◆NHK「まいあさラジオ」5時台の健康番組。当月初旬「食」についてのテーマ。「今日は何を食べたいか、考えることがありますか・・・」 何を食べたいか―それはどんな食材が必要か、産地のこと、消費地へ運ぶ人のことなど・・・、思いを巡らすゆとりが心の成長に役立つ。出来上がったものをただチンしてテーブルに並べるだけでなく、食を考えることで自分を取り戻すことにつながることを知るべきだと。 ◆子供時代、それはひどい食糧難で食べられさえすれば何でもよかった。いかに胃袋を満たすかが大問題。何が食べたいかなんて考えもしなかった。あえて言えば「白いごはん」。
◆このことは以前にも書いたと思いますが市主催のシニア大学初日だったかな・・・10㎝角ほどのメモ用紙が配られ、振り返って家族のことなど何でもいいから一つ書いて下さいとのこと。
司会者が真っ先に読み上げたメモ「結婚以来妻の料理にただの一度も文句をつけたことがない」・・・「おお!という異様なざわめき。「すごいですね、これを書いた方、どなたですか、一言コメントをどうぞ」。それが平爺のメモ。
どうしてみんなは優等生ぶったことばかり書くのかな~~この歳まで元気でこられたのは妻のおかげ、子供たちがとても親孝行、思いやりのある夫で幸せ・・・・ 『人には添ってみよ 馬には乗ってみよ』
この歳になるまで知りませんでした。知らないのは平爺くらいのものかな~。我ながらちょっと情けない。 ◆『馬の良し悪しは乗ってみなければわからず、人は付き合ってみなければわからない』 ◆とかく第一印象だけで決めつけてしまう傾向の強い平爺には身に染みる言葉でもあります。 ●しばらくお月様とお別れと思っていたら、山の端に名残惜し気な糸のような月がありました。
●平成天皇の退位は2019年4月30日、次の天皇即位が同5月1日になるかもしれない・・・すると10連休になる可能性もあるらしい?実現すればノルマに追われるサラリーマンにとって、二度とはない超大型holidayかもしれません。
◆気になるのは元号と西暦の扱い。現在元号を使っているのは役所関係と銀行預金通帳などごく限られた少数派。利便性からだけ考えれば西暦が当然。
●現在100歳の人は大正7年生まれです。
●ついでながら今日は平爺の誕生日。昭和12年2月生まれですと・・聞いてパッと年齢を言い当てる人はこれもすごい人。 ●認知症介護施設で歳を尋ねると「大正12年生まれ」と答えるおばあさんがいますが、ご自分の歳はわかりません。みなさん考えてやってください。 (追記―今でも平爺は西暦・元号どちらでも良い書類や、私的なメモ・書類等は、躊躇なく西暦派です) 去る2月7日の日記に『webから探した人生の応援歌』と称したものを転載しました。 その詩集には載っていませんが、柴田さん最後の作という詩がwebに載っていました。亡くなる半年前、101歳になったころの詩とのこと。
2018.02.12(月) 大寒・小寒・・・おおさむ・こさむ 今が二十四節気の「立春」だが、それは旧暦の話で寒さのピークは今頃。日ごとに痩せ細る月も夜空に凍てついている。
わらべ歌「おおさむこさむ」がいちばん似合う時期でもあります。 ♪ おおさむこさむ 山から小僧がとんできた ◆だいぶ日が長くなりました。当地の日の出・日の入り時刻 日中の時間が1時間14分も長くなっています。 ◆ウォーキング帰宅の7時ころはまだ暗かったのに、今はすっかり明るくなっています。夕方のスズメのエサやりも1時間近く遅くしています。春は少しづつですが近づいているようです。 ◆2月・「きさらぎ」で思い浮かぶのは 平昌冬季オリンピックが始まりました。ヘソ曲りのようですが、熱狂するほどの関心はありません。 『5大陸の友好と平和のシンボル五輪旗』の下に集うアスリートたちの祭典。その理念はどこへ行ってしまったのか・・・近年の五輪 ◆古来、ギリシャでは、オリンピックの年には戦いを中断してオリンピックに参加したと言われます。つまりオリンピックは平和の祭典でした。勝ち負けはさておいても『参加することに意義がある』の精神はどこへやら。今は「オリンピックを期に世界平和を考えよう」の声すら無し。国の威信を背負わされた選手たちこそ気の毒。ベストを尽くし、練習の成果が十分発揮出来たらそれでいいではないか。メダル数ばかり話題にするのはどうか。 ◆かつて、平爺は趣味のマラソンを楽しんでいました。大会の実況中継をよく見ました。思ったのは最後尾でも完走を目指して必死に走るランナーを写してほしかったこと。トップも歯をくい縛って頑張っているが、最後尾のランナーも必死で完走を目指している、その姿も見たいと思ったのです。 ◆平和の祭典と言われながら、5大陸の友好・平和への理念も表に現れず、国威と派手な演出だけが盛り上がるように見えるオリンピック。何かが違うんじゃないの・・・そんなん感想も持っています。
北陸地方の稀有の豪雪、まさしく「天から降ってきた天災」ですね。今冬の当地は、今のところ雪が少なくて大助かり。ただし寒さは例年どおりで寒中真っただ中、早朝ウォーキングでも、露出した顔がヒリヒリするほど。帰宅して寒暖計を見ると-10℃(昨日)をさしていました。
そろそろ寒さの峠は越えてくれるかな~
◆ウォーキングの楽しみの一つは寒空の星。三カ月がだいぶ痩せて、星のまたたきが目立ちます。星座の知識がない平爺でも、冬の大三角形はわかります。三角の頂点付近にあるのがオリオン座?寒いのをがまんすれば、冬の星座を仰ぐのも良いもの。
◆昨日は二十四節気七十二候の黄鶯睍睆。「こうおう けんかんす」と読むらしい 誰しも知っている唱歌で「夏は来ぬ」という歌があります。 ♪卯(う)の花の、匂う垣根に 恥ずかしながらウグイスとホトトギスは同じ鳥だと思っていました。ウグイスは春を告げる小鳥、ホトトギスは夏を告げる小鳥。まったく別ものだったのですね。恥ずかしい。 「一日一善」の語源は知りませんか、昔からあることば。「一日一膳」ではありませんよ(笑) 広辞苑を引くと一日に一つだけでも何か善い行いをすること。 能動的に何か善いことをするだけではなく、他人にイヤな思いをさせない、自分の愚痴に人を巻き込まない、人を妬まない・・・陰陽いろいろあります。 ◆何日か前、顔も凍てつくような寒い朝、雪の残る片側一車線の道を車で走行中でのこと、信号機のない横断歩道のところで、登園の途中らしい小さな女の子の手を引き、お腹の前の袋(ダッコ紐?)には赤ちゃんという親子の姿。2、3台の車は気が付かないのか停止することなく通過。 逆の立場の場合も、停止してくれた運転手には、頭を下げてお礼の気持ちを伝えるように心がけています。 昨日の日記は「今月のことば」でした。仏教に基づく高遠な教えだと思いますが、凡人には深いところまで理解するのは困難。分からいないなりに、それはそれで生きるよりどころとなる意味を感じとるということかと思います。 ◆今日の日記は『魔法のことば―ありがとう』―単純明快です。調べてみるとこのことば、平成23年「家族や地域の大切さに関する作品コンクール」での最優秀作品でした。作ったのは北海道の小学2年生。
勝ち負けも、争いもない、ましてや戦争もない。人と人とが相手を尊重しあい、気持ちを分け合い、手を取り合う平和な世の中が頭に浮かびます。 毎月楽しみに見ている寺院門前掲示板の「今月のとば」 私たちの人生において最も重い荷は、決して思い通りにならない「生老病死」という問題ではないだろうか。どれほど病に冒されようとも、どれほど逃げ出したいことがあろうとも、私の荷を他者に背負ってもらうことなど出来ようはずはない。私の荷は、どこまでも私によって作り出される。その自我や我執によって作られた荷を背負うことがつらい、おもいと決めつけている私にこそ、生きていく苦しみの根源があるのではないか(東井義雄氏のHPより) 「インスタバエ」という言葉を耳に。何のこと・・・「蠅」の新種?
◆【PC、スマートフォン向け写真共有SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のInstgramに投稿した写真や、その被写体などに対して見映えがする、おしゃれに見える、という意味で用いられる表現。「Instagram」と「写真映え」を合わせた造語。同義の言葉に、「Instagram」と「フォトジェニック(写真映えするの意)」を合わせた造語「インスタジェニック」、「SNS」と「写真映え」を合わせた造語「SNS映え」がある」――何だかよくわからんな~。 ◆別のサイトには【インスタ映え―読み方:インスタばえ。写真共有サービス・SNSの「Instagram」(インスタグラム)に写真をアップロードして公開した際にひときわ映える、見栄えが良い、という意味で用いられる表現。インスタグラムを念頭において写真写りが良いと述べる言い方。】 腐りかけたノーミソではイマイチ理解がおよばない。一言で言うと写真映りを良くするということ?それならそう言えよ! ガラケイでさえ滅多に使わない平爺のぐち。 ●ところで情報通信機器の普及が全体的に飽和状況の中、スマートフォン保有率が年々増加し7割を超えているとのこと。ガラケイを使っているところを人に見られたら恥ずかしいな~ 写真のように太陽がぼんやりと滲んで見えました。別に珍しいことではかないもしれません。去る1日の夕暮れ時です。 ◆このところメディアが大きく取り上げている「仮想通貨」とか「ビットコイン」・・・平爺には何のことやらチンプンカンプン。500億円相当のお金が消えてしまった?・・・・世の中は年寄りの理解が及ばない速さと複雑さで日進月歩?、激しく変化しつつあるようです。 webで「仮想通貨 ビットコイン」のキーワードで検索するとたくんさヒット。いくつか目を通すが理解できない。平爺の知る経済・通貨などの既成概念で読んでも分からないのは当たり前かもしれない。つまり既存の「通貨」という概念では理解は不可能なのかもしれない。
手に入れたビットコインは、どこで何を買うために使うのでしょうか?保証の裏付けもないビットコインを受け取る方は安心して受け取ってくれるのだろうか? とにかく分からいなことばかり・・・貴重な老後資金を、そんなわけのわからないものに手を出すつもりはありませんから、分からないままでいいのです(笑) 節分とは季節の分かれる日の意味で、立春、立夏、立秋、立冬の前日を指したが、今は一般的に立春の前日。 2018年の立春は2月4日です。したがって今年の節分は2月3日と言うことになるらしい。季節の変わり目には邪気が生ずるという言い伝えから、その邪気払いの意味で豆まきをするようになったとのこと。 ◆今では「豆まき」より「恵方巻」の方が有名になった感があります。節分にはコンビニまで恵方巻を並べます。クリスマスのケーキのようなものかな~。 我が家でも、2月3日にはカミさんがスーパーから恵方巻を仕入れてきて、今年の恵方「南南東」に向かってパクリと食いつきました。これで邪気を払い幸運が訪れるなら安いものですね。 お天気キャスターの故倉嶋厚さんをご記憶の方も多いと思います。長野市出身で93歳没。氏の著書からは、晩年うつ病を患ったりしながら、思いやりに満ちた夫婦の絆の細やかさがにじみ出ています。 書店の店頭でたまたま倉嶋厚さんの「やまない雨はない」が目にとまり、何年も前に読んだときのことを思い出しました。その書はすでに処分してしまいましたが、また読んでみたくなりました。初版は2004年ですから読んだのは多分13年ほど前。 人生終盤の下り坂にさしかかった今、感じ方がまた違うかもしれないと思ったのです。 この書は次のような文節から始まります。『妻の泰子が胆管細胞ガンでこの世を去ったのは1997年6月のことです。入院してから、わずか二十四日後の急逝でした。40年を超える結婚生活にはいろいろなことがありましたが、いくつもの苦難を乗り越えたあとに迎えた人生の晩秋を、私たち夫婦はとても大切に過ごしてきました。』
次の文節が胸を打ちます。 『一日一日を丹念に生きていこう。二人でそう決めてからは、どちらからちともなく「今日も1日よろしくお願いします」 「今日も1日ありがとうございました」という言葉で朝晩の挨拶を交わすようになっていました。小春日和のような穏やかな暮らしを一変させた妻の入院、そしてあまりに唐突な末期ガン宣告。それは私にとって、すさまじい木枯らしの日々の始まりでした(以下略)
』 さらに 次のような文節も・・・・ (著作権侵害になりますので、これ以上は書けません。まさに世に言う二人三脚で歩んだ夫婦だったのだと思います。よかったらご購読を) 先月下旬から第一級寒波が居座り「春遠し」の感です。その寒波・大雪の襲来に関連して1月25日の日記に脳裏によみがえったことを少し書かせてもらいました。 あわせて何十年も前に読んだ下記の本を思い出しました。 昭和24年(1949)年1月5日 1924年1月6日 オカアサン 井上サン イロイロアリガトウゴザイマシタ カゾクノコトマタオネガイ 手ノユビトーショウデ思ウコトノ千分ノ一モモカケズ モーシワケナシ ハハ、オトウトヲタノミマス (略) 死ヲ決シタノガ六時、今14時 仲々死ネナイ 漸ク腰マデ硬直ガキタ―(略)―ヒグレト共ニ凡テオワラン (略) 我々ガ死ンデ イガイハ水ニトケ、ヤガテ海ニ入リ、魚ヲ肥ヤシ、又人ノ身体ヲ作ル、個人ハカリノ姿
遺書の最後「死ヲ決シタノガ六時、今14時 仲々死ネナイ・・・・ 」の小節は何かで読んだことのとある方は多いと思います。
空模様を案じていましたが、昨日の皆既月食は十分堪能することがきました。 年が変わったと思ったらあっという間の1ヶ月。『1月行く(又は「いぬ」)、月逃げる、3月去る』と言いすますね。早くも「如月」、間もなく平爺の誕生日で満81歳。 前月へ 翌月へ 『がん・人工肛門からの出発』トップヘ 『山岳巡礼』トップ |