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2018.11.30(木) 「いいふろ」の日

霜で凍結したフロントガラス

古い話ですが、先日のラジオから。
「今日は何の日」・・・11月26日は語呂合わせで「いい風呂の日」でした。
無理やりくっつけたようで笑っちゃいます。

❝♪ いい湯だな ハハハ・・・❞  極楽気分とは言え、入浴中に亡くなる人が年間1万4000人もいるという話です。原因の多くはヒートショックの可能性ありと。そして多発月は12月から3月、少ない夏と比べると11倍の差があるそうです。「ヒートショック」は、暖かいところから急に寒い所へという温度差による血管の収縮などで、心筋梗塞や脳梗塞を起こしやすいかららしい。特に60才を過ぎたら風呂・トイレは要注意だそうです。

◆何となく耳にはしていましたが、自分のこととして考え、注意したことはありませんでした。平爺の親戚すじにも、奥さんが買い物に出て帰宅してみると旦那の姿が見えない、風呂をのぞくと浴槽の中で亡くなっていたということがありました。
寒冷期の風呂は極楽々々が・・・一変して地獄にもなりかねない。気をつけないと。当地でも外気温が-10℃ということもあります。平爺はカラスの行水派、危険タイプに分類されそうです。『俺は寒さに強いんだ~」など言わずに、皆さんも今日から気をつけましょう。

≪事故に遭わないために≫・・・日本医師会
  ◍暖かい部屋から浴室・トイレなどへ移動の際は暖かいかっこうで
  ◍脱衣所はあらかじめ暖かくしておく
  ◍入浴前に浴槽の蓋を開けたりして温めておく
  ◍湯の温度はぬるめに(3941度)

2018.11.29
(木)一茶句碑(正覚寺)-(6

2ヶ月近く続いた踵痛、徐々にですが痛みが軽くなってきた感じです。しばらくは様子を見ながら、ウォーキングの負荷を強くしていければと思います。
昨日は一茶の句碑を訪ねて6回目、徒歩45分ほどの寺院境内・正覚寺にある句碑で、周辺にはリンゴ畑が広がっているところです。

◆リンゴの歴史・・・明治初期にアメリカから苗木が入り青森県で初めて結実。その後次第に広がっていったとのこと。生産量は青森県47万トン、長野県16万トン、山形県 5万トン・・・リンゴの故郷は青森県ということですね。

美空ひばりの「津軽のふるさと」という歌がありました。
   ♪りんごのふるさとは 北国の果て
   ♪うらうらと山肌に 抱かれて夢を見た
   ♪あの頃の想い出 ああ今いずこに
   ♪りんごのふるさとは 北国の果て

◆境内にある一茶の句碑

 てもさても ても 福相の ぼたんかな

「ても」は「それにしても」の強調語でしょうか。「福相」を広辞苑で牽くと「福々しい人相」。「ても」が3回繰り返されているのは、その牡丹がよほどゑびす様に似て福々しく見えたのでしょう?これは平爺の勝手な想像。一茶らしいユーモアも感じる一句だと思います。

◆淋しい秋から季節は冬へ。夜明けは0℃前後の日が続いています。 秋から冬への名句    
   ◍菊の香や 奈良には古き 仏たち   芭蕉
   ◍名月を とってくれろと 泣く子かな 一茶
   ◍これがまあ ついのすみかか 雪五尺 一茶

2018.11.28() 「下りる」と「降りる」

登山後1カ月以上も踵(かかと)の強い痛みが続きました。過去形にするほど良くなったわけではありませんが、ここ2,3日の痛みは半減している感じ、このまま推移してくれますように・・・。
2回目の通院で整形外科へいってきました。リハビリ運動の指導だけで、明るい気持ちになれるように話はありませんでした。さまか一生この痛みと付き合うようなら生きている甲斐がないトホホホ・・・となりませんように。

自己診断による痛みのもとは、胸骨圧迫骨折により1年半ほど登山から遠ざかり、脚がなまっていたところへ、登山らしい登山を復活したこと、これしか考えられません。
登山は、登りは馬力ですが、下りは一歩一歩大きな衝撃を受け止めなくてはなりません。≪影の声-原因の本元は加齢以外にない≫

霜が降りても健気に咲きつづける雑草

◆ところで「登る・昇る・上る」、「降りる・下りる」はどう使い分けるのでしょうか?
登山は字の通り「山へ登る」、山へ上るとか昇るとは書かないと思います。山から下りることを「降りる」と書くと何か変、やはり「下りる」かな~。頭の中でああだこうだと考えているとますます分からなくなってきました。

webで「下りる・降りる」を検索すると
 【下りる】・上から下へ向かって移る ・肩の荷が下りる
      ・胸のつかえが下りる

 【降りる】・電車や飛行機から降りる ・役職を降りる

広辞苑でもスパッと胸に落ちるような記述はありませんでした。こんなことで眠れないほど悩むなら、他に悩むことがいくらでもあるでしょうに(笑)



2018.11.27
(火) お札の話

ニッサンのカリスマ会長、ワイドショーの格好の餌食になっています。
平凡な月給取は、「暮れのボーナス、1万円でも増やしほしい~」という慎ましやかな願望を抱いているというのに、片や「億円」それも一桁の億ではなくて二桁の億「××億円」というお話。ケタが余りにも大きくて実感が湧きません。

志賀横手山(2307m)冬模様・・・11/24日

◆1万円札100枚=百万円の厚さは約1cm(新札)です。
  紙幣は100枚で帯封します。
    1
万円札、5千円札、千円札、みんな同じです。

     1万円札の帯封一つは百万円、5千円札は50万円、
    千円札は 10万円・・・です。

  
 帯封された札束10個(1000枚)を本封と称して束ねます。
   本封1個は厚さ約10㎝で
   1万円札-1千万円 5千円札-500万円 千円札-100万円

市中金融機関と日銀の受け渡しは、本封された千枚単位でやりとりしています。

◆さて本題に入って「話題になっているゴーン元日産会長の件で伝わる50億円とか80億円とか・・・」仮に80億円を新券のお札で積み重ねるとどのくらいの高さになるか1万円札で計算してみてください。

100万円の束が10束、すなわち1000万円の本封束は厚さ10㎝、1億円はその10倍で100㎝=1m、80億円はその80倍で、新券で積み重ねると約80
80メートルトは何と20階建ビルの高さに相当。それを知るとあらためてスゲ~の一言・・・というよりそのお金使い切るのにさぞや苦労するのでは・・・わかりやすく言いますと、毎日45万円使っても50年もかります!!貧乏人のひがみですね?



2018.11.26
(月) 手放しで喜んでいいの?

ガマの穂

用水路沿いにガマ(蒲)の密生地があります。綿のようなふわふわした穂花が風に揺れていました。大黒様の歌を思い出しました。

  ♪大きな袋を肩にかけ 大黒様が来かかると
  ♪そこに因幡の白兎 皮をむかれて赤はだか

    ♪大黒様の言う通り きれいな水に身を洗い
    ♪蒲の穂綿にくるまれば 兎は元の白兎

平爺と同年代の人なら皆知っている歌です。

◆「晩秋」か「初冬」か・・・行ったり来たりしていましたが、いよいよ冬の始まり。昨朝の気温-1℃、遠く北アルプスの連嶺は雪化粧しているように見えます。
昨朝は寝坊してしまい、ウォーキングのスターとは5時半。外へ出ると、まだ寒さに慣れない体は身を刺すよう。空を仰ぐと煌々と冴え輝く月がいっそう寒気を感じさせます。ここ2,3日は踵痛が少し軽くなった感じ。やや歩幅を伸ばし、ピッチも少し上げる。そうしないと寒さばかりが気になってしまいます。

千曲川堤防道路、ここには街灯は一つもありません。月明かりが頼り。久しぶりに犬をお供にしたおばさん(70台半ば)と出会ってしばしの立ち話。猫を少し大きくしたほどの真っ黒い犬も安心して触らせてくれます。

◆ラジオから「大阪万博」決定のニュース。
大阪千里のEXPO70のとき、平爺は大阪勤務、社員寮は千里に隣接する茨木市でした。オープン初日に幼子だった長男の手を引いて行ったのを思い出します。

ケチをつけるつもりはありませんが、万博の費用はどうするのでしょうか?
財政即ち税金から惜しげもなく支出するのでしょうか。EXPO70の時代、日本経済は世界が目を瞠るような右肩上がりの成長真っ只中でした。半世紀が過ぎ、今や国の借金が1000兆円を超え、財政をどう立て直すのか、少子化は進む一方、高齢化による福利厚生費用の財政目途が立たないような現状。EXPO70のときとは状況が様変わり、今さら「国威発揚」でもないと思いますし。決まったからには仕方がない、せめてお金をかけない万博を・・・それが多くの国民の声だと思うのですが・・・。

◆東京五輪も、当初予定の費用が3兆円もオーバーするとの報道を耳にして国民が仰天したのはついこの間のこと、予定というのは、それほどいい加減なものなんです。大阪万博誘致決定バンザイ、バンザイで終わればいいのですがネ~

20108.11.25
(日) 目方

  ◍秋深き 隣は何を する人ぞ

   ◍枯れ枝に 鳥とまりけり 秋の暮れ

   ◍この道や 行く人なしに 秋の暮れ

言わずと知れた芭蕉秋の名句。今の時期にぴったり・・・隣家の柿の木に実が二つ取り残されています。

◆ある小説の中に「目方」という語。近ごろ耳にしなくなりました。死語となっているのかもしれませんが、子供の頃は日常頻繁に使っていたことばです。

学問的には知りませんが、「目方」とは「重さ」のこと。たとえば「体重が増えた」は「目方が増えた」とか「でかいカボチャだ、目方はどのくらいあるかな~」など。「目方があって運ぶのが大変だな~」などとも使っていました。今どきの若者には多分通じないと思いますが?

◆広辞苑を牽くと
  目方-はかりで計った物の重さ・重量
  重さ-①おもいこと、またその程度
  地球上の物体に働く重力の大きさ。物体の質量と重力加速度との積に等しい -平爺の頭では???
こんなくだらないことで、どうして広辞苑まで引っ張り出すの・・・良い疑問です。答えは1万円も奮発して購入した辞書だから使わないともったいないというだけ -笑-

◍平爺は、このところⅠ㎏ほど目方が増えています。踵痛でウォーキングの量が少し減っているのが原因です。

 2018.11.24(土) 別れ・・・

表題を見て・・・えっ、平爺が離婚?。お互い、相棒なしでは生きていけない間がら。何があっても今さら離婚なんて・・・・(笑)

◆先日、認知症介護施設へボラ訪問、職員さんがT子さんの部屋を片付けていました。おやっと思ってのぞくと「T子さんが昨日亡くなりました」とのこと。この施設最高齢の101才、先週も元気な様子で一緒に歌ったりゲームを楽しんだりしていたのに・・・。訪問すると必ず「久しぶりですね~」と言って手を握ってくれたТ子さん。毎週顔を合わせていても先週のことは覚えていません。
Т子さんとの最後の日となってしまった1週間前のその日は、平爺手製のいろはカルタの下の句を見て、上の句を言いあてるというゲーム。「世にはばかる」というカードを見て上の句は何でしょう?間髪を入れず「憎まれっ子」と答えが返ってくるしっかり者のおばあさん、頭のめぐりもよくて101才とは思えないし、認知症には見えないお婆さんでした。

T子さんとは平爺がボラの訪問を始めた時からのお付き合い、8年以上になるでしょうか。その当時は施設のピアノで「荒城の月」などを弾いてくれた姿が目に浮かびます。

そんなT子さんがいなくなると、淋しさとともに、ボラ活動で頼りにしていた柱が一本なくなったような気もします。個室整理品の中に、ご本人の写真が目にとまりました。お借りして「般若心経」を唱え、お別れさせていただきました。

2018.11.23
(金) 初冬のリンゴ畑のおじさん

ポーズ  「これでいいかい」

一昨日、うららかな陽気に誘われ、午後から2回目のウォーキング。千曲川河川敷のリンゴ畑の中を歩いていると、80才ほどのおじさんがリンゴの収穫中。知らないおじさんですが「こんにちは・・ご精が出ますね」と声をかけると「今日は天気がいいでネー」と気さくな返事。手拭いで頬かむりした様子がとても良い感じ。まさに好々爺の風貌。
真っ青な秋晴れの空、今シーズン最後の収穫だというリンゴは真っ赤、絵に描きたいような風景です。「おじさん、写真撮らせてください」というと「俺なんか撮ってもしょうがねえ・・・」、「いいえ、テレビや新聞に出す写真ではありません、私の趣味で撮るだけ・・・」ということでパチリ。
おじさんが「リンゴを少し持ってけ・・・」というご親切。嬉しいが入れ物もなく、丸いリンゴをいくつもかかえて持ちかえるのは無理。「それじゃあ、ありがたく一つだけいただきます」とういうことに。
ほっこりと気持ちの温まる初冬のウォーキングでした。

◆ふと思い出しました。10年ほど前のことです。リンゴ畑のおじさんに「絵に描きたいので、実のついた枝ごと分けてもらえませんか・・・」と頼むと「いいよ・・気にいったところを持ってけ。リンゴはすぐに枝から落ちるで気をつけて持ってけよ」
代金をお支払いしますと言ったが、「いらねえ・・・持ってけ」ということでありがたくもらってきました。あの絵はどうしたかな~。

2018.11.22() 庭の千草(ちぐさ)

 
 今年の紅葉も そろそろ終わり

小学唱歌で習った「庭の千草」が、ラジオから流れてきました。年月を過ぎても曲りなりにも何とか一番だけは歌えそうです。
  ♪庭の千草も 虫の音も 枯れてさびしく なりにけり
  ♪あゝ白菊 ああ白菊 ひとりおくれて 咲きにけり

短い歌ですが、しっとりとして清らかな歌詞には、秋の要素が凝縮しているように思います。

◆先日の認知症介護施設でのボラ。信州出身の中山晋平の童謡・唱歌13曲(下記)をみんなで歌いました。何十年も前の歌を歌詞ペーパー無し、認知症というのは新しく覚えることは苦手ですが、昔の記憶はかなりの部分残っています。

♪証城寺のタヌキばやし ♪雨降り ♪雨降りお月さん ♪ゴンドラの唄 ♪あの町この町 ♪砂山 ♪黄金虫 ♪背くらべ ♪東京音頭 ♪まりと殿様 ♪シャボン玉 ♪てるてるぼうず ♪肩たたき

◆ところで「庭の千草」の「千草」とはどんな草だろうか・・・物好きにもwebで調べてみると次のように出ていました。 ① いろいろな秋の草   ② 「千草色」の略。

昨朝、1時間余のウォーキングから帰宅、寒暖計を見ると一℃、薄手の手袋は役不足、車の窓が凍っていました。冬の始まりです。

2018.11.21
(水) 人参中毒

信州で秋の味覚と言えば、やはりリンゴが代表でしょうか?それにしてもリンゴも新種が次々と出てきて、味音痴の平爺にはどれが美味いやら美味くないやら、さっぱりわかりません。
平爺のえらいところは、食べ物に関して「不味い」などと文句を口にしことがないこと。人よんで「ただの味覚音痴・・・・」、あえて反論はしません。

◆食べ物と言えば、平爺が直腸がんの全摘手術を受けたのは49才誕生日直前。あれから30有余年。「十年ひと昔」と言いますから大昔?
その手術入院は2ヶ月半、判を押したように毎日欠かさず食事に出されたのがニンジン。妻はそれを強烈にインプットされて、退院後も一日1回は必ず何かの形でニンジンを食べない日はありせん。この30年余りでどのくらいのニンジンを食べただろうか。目の前に積み上げたらびっくりするほどの量だと思います。

◆それとは別に旅行など特別な日を除き、ニンジン以外にも欠かさず毎日食べて(食べさせられて)きた食材が『納豆・牛乳・梅干し・味噌汁』です。飽きもせずよく毎日つづいたもの。ガンが転移再発しなかったのはそのせい・・・かどうか?食べるだけでは足らずに今はニンジンジュースを毎日コップ一杯が義務――カミさんのこの思い入れもすごい!) 今やニンジン中毒、食べないと禁断症状が出るような気がします(笑)

「継続は力なり」・・・これは平爺の座右の銘。ちょっと意味は違いますが、30年間毎日欠かさず食べ続けきたのは凄いと思いませんか(笑)82才に垂(なんなん)としてなお登山を楽しむ平爺に肖(あやか)りたい方はどうぞ人参を・・・(笑)
ちなみにネットで人参産地を見ると、北海道(30%)、千葉県(18%)、徳島県(8%)の順。多分健康長寿の方がが多いのではないでしょうか。

2018.11.20
(火) 秋の終わりに

踵の痛みがとれません。強い痛みを感じてから早1ヶ月以上・・・この脚はいったいどうなってしまったのか・・・早く以前のように歩きたい。今は湿布の貼付と鎮痛剤の服用のみ、元に戻るのだろうか。呑気で楽天家の平爺も不安を隠せません。

夜行性動物のように暗いうちからスタートしていたウォーキングも、今は少し明るくなってからに。左脚をかばい、歩幅を小さくして、時間も従来の半分以下。健脚を自負していた平爺には、秋の寂しさに輪をかけて淋しい事態。
足元でカサカサと鳴る乾いた落ち葉の音が、この秋はことさらにため息を誘います。
バカの一つ覚えのように毎年この季節に書くのがヴェルレーヌの詩。この秋は一入胸にしみます。

秋の日の  ヴィオロンの    
   ためいきの  身にしみて

    ひたぶるにうら悲し
    鐘のおとに  胸ふたぎ
    色かへて  涙ぐむ
    過ぎし日の  おもいでや
    げにわれはうらぶれて
    ここかしこさだめなく
    飛び散ろふ落ち葉かな


2018.11.
19() カラマツ林の黄葉

写真はカラマツとは関係ありません

暖房器具が手放せなくなりました。灯油代が高くても使うのを控えるわけにはいきません。

♪秋の夕日に 照る山もみじ・・色模様を楽しませてくれた四囲の山々も、日ごとに色がくすんでいきます。

◆太平洋戦争の時代、山の木は次々と皆伐の憂き目にあって丸はだかのハゲ山に。当然紅葉も見られなかったと思います。終戦後、サトウハチローの作った歌があります。

  ♪ 昔 昔の その昔 椎の木林のすぐそばに
   ♪ 小さなお山が あったとさ あったとさ
  
♪ 丸々坊主の 禿山は いつでもみんなの笑いもの
  ♪
これこれ杉の子起きなさい
   ♪ お日さまにこにこ声かけた 声かけた

◆中学生の頃、私たち生徒が植林活動に駆り出されたことを思い出します。その当時植林されたのはほとんど「カラマツ-落葉松」。木材としての利用価値は低いが、丈夫で成長が早いということで植えたという記憶があります。このカラマツ、値打ちはなくても秋の紅葉だけはみごと。

◆紅葉・黄葉の美しい木は芽吹きの新緑もまた美しいと言われます。まさにその通り、里から遠望すると鮮やかな緑と黄金色に輝く黄葉のカラマツ林の美しさは目立ちます。

●古い話ですが、感動したのは浅間山西方の「車坂峠=標高約2000m」から小諸市へと車で下って行くと、眼下に広がる黄金色一色に輝くカラマツ林の景観、あれは目に焼き付い今も忘れません。今も見られるかな~
  

カラマツと言えば北原白秋の「落葉松」が浮かびます。その一番と二番だけ。

  一、 からまつの林を過ぎて からまつをしみじみと見き
     からまつはさびしかりけり。 たびゆくはさびしかりけり
  二、 からまつの林を出でて からまつの林に入りぬ
     からまつの林に入りて、 また細く道はつづけり

2018.11.18(
) 難読問題――いくつ読めますか

これは地名です。正確に読めるのはいくつありますか?・・・(webから抜粋)  
   参照web
https://tabippo.net/nandoku/から抜粋

  1-和寒(北海道) 2-夏油(岩手) 3-鬼首(宮城) 4-及位(山形) 5-石動(富山)
  
6-丸子(静岡)   7- 神戸(群馬)  8-放出(大阪) 9-特牛(山口) 10-土々呂(宮崎)

近ごろ、クイズを解くような難読子供名が横行?しているようです。たとえば『佐藤麗空=うらら』なんて絶対に読めませんよね。

 日没前の青空に
ぽっかりと浮か
ぶ半月 pm 3:25

◆難読地名、皆さんの周囲にもきっといくつかあると思います。当地長野市には
御幣川(おんべがわ) 鬼無里(きなさ) 伺去(しゃり) 塩生(しょうぶ)
住良木(すめらぎ) 鑪(たたら) 氷鉋(ひがの)・・・etc

◆問題の正しい読みは次のとおり。

  1.「わっさむ」 2.「げとう」 3.「おにこうべ」 4.「のぞき」 
  5.「いするぎ」 
6.「まりこ」 7.「ごうど」   8.「はなてん」
  9.「こっとい」 10.「ととろ」

ちなみに平爺が読めたのは和寒・夏油・鬼頭・石動・放出・土々呂の6つ。7番の「神戸=ごうど」は、平爺の生家の町にも神戸=ゴウドという集落がありましたが、群馬県はどのように読むのかわかりませんでした。6つ読めたのも、登山で全国の隅々を回ったおかげ・・・でしょうかね。頭が良いわけではありませんから念のため(笑)


2018.11.17(
)  白玉の歯に・・・・

昨朝気温は0℃、いよいよ冬の入口。 ウォーキングも冬の身支度になりました。この時期、毎年のように同じことを書いていますが、やはり書かなくては季節が進みません。

『白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり』

言わず知れた若山牧水、実に味わい深い歌です。酒豪伝説の牧水と、歌人として歴史に名を残した牧水とが結び付きません。

  ★幾山河越えさり行かば寂しさの

水彩画を習い始めてから7ケ月目の作

     はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく

    酒に紛らわす放浪の孤独が漂っている気がします。

  ★ふるさとの 尾鈴の山のかなしさよ
     秋もかすみの たなびきて居り

      
    ・尾鈴山-1405mは宮崎県の山、20年前登頂。

       山行記録は下記です
  
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub1134.htm


秋も更けたこの季節、平爺の格別の楽しみは一杯の晩酌。
◍日本酒なら1合弱 ◍ビールなら缶1本 ◍焼酎なら0.7合ほどをウーロン割り・・・百薬の長と思ってチビリチビやっています。晩秋、日本酒がいちばん美味い季節。歯にしみとおります。


2018.11.16(
) 更け行く秋

今年は初霜、初雪がかなり遅くなっているとのこと。これも地球温暖化のせい?抵抗力の落ちてきた年寄りには大いにありがたく、かつ家計も大助かりです。
サクラやケヤキ、イチョウなどの枯葉が、地面を敷き詰めて錦秋の秋も大詰め。とりわけ桜は花も良いですが、落葉もなかなかの風情・・・と言うか、色合いも絢爛多彩で美しい。紅、赤、茶色、オレンジ、黄色・・・まるで色見本のようで、踏みつけるのが勿体ないほどです。

本家はイブモンタンですが、越路吹雪の持ち歌歌に『枯葉』という有名なシャンソンがありますね。日本語でどんな歌詞だろうか?webに岩谷時子の訳がありました。そのさわりの一部

あれは 遠い思い出  やがて消える 灯影も
   窓辺あかく 輝き
    光充ちたあの頃
    時は去りて 静かに  降り積む 落葉よ

    -中略- 

暮れゆく 秋の日よ  金色の 枯葉散る
   つかの間 燃え立つ
    恋に似た 落ち葉よ
     いつの日か 抱かれて
   誓いし 言葉よ
      儚なく ただ散りゆく  色あせし 落ち葉

風に舞う落葉は格別な情感を呼び覚ますもののようです。

2018.11.15(
)   信濃の国-前日のつづき

優雅な山稜 浅間山(2542m)

「信濃の国」に歌いこまれている山は、御嶽山・乗鞍岳・駒ケ岳・浅間山だけ。日本の屋根とも言われる北・南・中央アルプの高嶺は登場しないのが残念。大昔、山は登山とは無縁の信仰の対象だったので仕方ないでしょうね。。

◆万葉集には次のような歌があるそうてす。

支那の路は 今の墾()り道 刈りばねに
    足踏ましなむ 沓(くつ)()け我が背』 
信濃道は、最近通じたばかりの道だから、鋭い切り株がほうぼうにあります。きっと踏むでしょうから、足を痛めないように沓をはいて行って下さいね、あなた。(その昔、信濃と美濃を結ぶ道が開通した時に詠まれた歌で、一般庶民の多くは裸足で暮らしていたようです) https://blogs.yahoo.co.jp/sakuramitih15/39951206.html より

◆『あららぎの くれなゐの実を 食むときは ちちはは恋し 信濃路にして』
   これは斎藤茂吉の長男、斎藤茂太の作とのこと。
   Webで調べると「あららぎ」は「いちい」の木のこと。今年は我が家のイチイも真っ赤な実が鈴なりでした。

◆ついでに斎藤茂太の名言・格言をいくつか。
  ◍感動こそがストレスに負けない最大の秘訣。そして長生きのコツ。
  ◍効率や損得にとらわれると、人間が小さくなる。
  ◍人生に失敗がないと、人生を失敗する。
  (これは去る9月12日のよもやま日記で紹介済みです)
  ◍壁にぶつからないのは、立ちどまっているから

昨暁は星がとても鮮明でした。秋らしい澄んだ空。

2018.11.14(
)  信濃の国
--県歌

◆納戸を片付けていたら、「信濃の国」の額が出てきました。長野勤務から東京へ転任した際に、同僚たちが餞別として贈ってくれたものです。先日、玄関の真正面の壁に架けました。大きさは40㎝×90㎝。

平爺の生まれは信州・長野県。18才で上京。その後の居住遍歴は以下の通り。

東京9年→信州松本市4年→大阪5年→奈良5年→信州長野市8年→東京11年→奈良5年→長野(現在)16年
こうしてみると、暮らしたのは信州が通算46年。平爺はやっぱり信濃の人間?

ついでに言えば50数年連れ添った妻は花の東京生まれ東京育ち。
信州は「信濃」とも言います。古事記には「科野国」があり、「信野」そして「信濃」へと変わっていったようです。
そして今の長野に。

◆信濃の山猿と揶揄されたり、とにかく長野県=山国が定着。島崎藤村の「夜明け前」は「木曾路はすべて山の中である」という書き出し、「数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」

人生の半分以上をこのような長野県で暮らしたことに悔いはありません。

◆長野県には一人として歌えない者がいない「信濃の国」という県歌があります。

 文字は彫刻されています



 一.信濃の国は十州に 境つらぬる国にして

   聳(そび)ゆる山はいや高く 流るる川はいや通し
   松本・伊那・佐久・善光寺 四つの平は肥沃の地
    海こそなけれ物さわに よろず足らわぬ事ぞなき

 二.四方(よも)に聳ゆる山々は 御嶽・乗鞍…駒ヶ岳
    浅間はことに活火山 いずれも国の鎮めなり
   流れ淀まずゆく水は 北に犀川・千曲川
    南に木曽川・天竜川 これまた国の固めなり

 6番までありますが以下は省略。全文はちらへへ
   


2018.11.13(
) 流行語候補-時代遅れの平爺

フジバカマ

◆先日、今年の流行語大賞候補が発表されました。
平爺は森・加計に絡んだニュース炎上で「今年の流行語は忖度で決定」とこの日記に記しましたが、やはりノミネートされていました。
だけどこの忖度問題、いったいどうなったのだろう・・・官僚の自殺者まで出したのに、何にも明らかにならないまま逃げ切って越年?流行語になるのはいいが、このまま忘れられてしまうのは納得できないな~。せめて第一位になって、もう一度追及のきっかけとなってくれることを祈ります。

◆ちなみに候補は以下のとおり。そして赤字の語は平爺には皆目見当もつかない流行語。いよいよ平爺も世の中から置き去りです。

  ・あおり運転 ・悪質タックル ・eスポーツ ・半端ないって ・グレイヘア
  ・
おっさんずラブ ・GAFA
 ・仮想通貨 ・ダークウェブ ・金足農旋風
  ・カメ止め ・君たちはどう生きるか ・筋肉は裏切らない ・計画運休
  ・高プロ ・ご飯論法 ・災害級の暑さ ・ジタハラ ・首相案件
  ・翔タイム ・スーパーボランティア ・そだねー ・ダサかっこいい ・U.S.A ・Tik Tok
  ・なおみ節 ・奈良判定 ・ひょっこりはん ・ブラックアウト ・ボーっと生きてんじゃねーよ!
  ・
MeToo ・もぐもぐタイム


2018.11.12(
) 脚()痛の診療結果

予定通り上京、用事を済ませてきました。

新幹線開通前は信州から東京まで5時間ほどかかっていたと思います。煙を吐いて走る汽車はいかにも「旅情感」たっぷり。今はその情緒も様変わり、「♪ 汽笛いっせい新橋を・・・」遠い昔の話です。冷房もない暑い車内、トンネルに入ると蒸気機関車のばい煙を避けるために窓を閉めると一層暑さムンムン・・・。でも何か懐かしく思いだされます。闇を縫ってボウ~と鳴る汽笛も旅ごころを高めてくれたものです。

農作業をしていると「12時の汽車が行ったで、そろそろお昼にするか・・・」と時計代わりにもなっていました。

◆先日踵痛を整形外科で診てもらいました。
病名は・・回復のめどは・・治療方法は・・・院長が留守で、何のためにいったのか?踵のX線を撮って骨に異常はないようですね・・・ということだけ。
湿布と痛み止めの処方をしてもらって帰ってきましたが、それだけで2時間半、いらいらして病気になりそう(笑)

この歳をして、歯医者(1回、定期検診)と眼医者(2回、白内障の点眼薬処方)くらいしか医者には用がないのが不思議なくらい。妻には「医者の罹かりかたも知らないんだから・・・」と揶揄されています。それくらいがちょうど良いのだと思いますが。

2018.11.11(日 本日の日記はお休みさせていただきます。

2018.11.10(
) 左脚の踵(かかと)

我が家の一隅  小さい秋

左脚踵(かかと)の痛みに悩まされています。
2年近く前、天城高原の低山で転倒、胸椎圧迫骨折。それから10ヶ月後、軽い山から登山再開、この1年で15回ほどですが山へ出かけました。

8月飯縄山(1918m)、9月火打山(2454m)と妙高山(2462m)、10月フスプリ山(1945m)と登山らしい山へ続けて登り、これで完全復帰・・・と自信を抱いたのは早合点。
10月3日のフスプリ登山数日後、踵に軽い異常を感じ、おやっ?どうしたのだろう・・・。痛みは次第に強くなって日課の2時間ウォーキングにもさしつかえが。 ❝そのうち良くなるさ❞ は楽観過ぎました。ときに左脚では体重を支え切れないほどの激痛。

仕方なく一昨日は整形外科へ。X線検査の結果は異常見当たらず。院長不在で何だかわからいないまま、痛み止めと湿布を処方してもらって帰ってきました。

◆2年前の胸椎圧迫骨折のあと、登山らしい登山から遠ざかっていたため、脚力が弱っていたのかもしれない・・・それが自己診断。
痛みは一定ではなく、激痛を感じることがあれば、あまり気にならないときもありますが、全体の流れは悪くなる方へ向かっている気がします。用心深くなって家の中を歩くにも一歩一歩慎重。そんな状況でも早朝2時間のウォーキングは休みませんでしたが、いよいよ耐えきれずにここ4、5日は1時間ほどに抑えて様子を見ています。

●明日(11)の日記は休ませていただきます。

2018.11.09(
) 蛙昇天

一昨日は「立冬」、暦の上では冬のスタート。幸いにも季節が戻ったようなこの暖か陽気は大歓迎です。

何日か前のウォーキング中、歩道に野鳥の死骸が。野鳥には疎く何という鳥かは不明。汚れもなくきれいなままでした。
野鳥の死骸とは関係ありませんが木下順二の「蛙昇天」が頭に浮かびました。昔読んだことがあったようにも思いますが、はっきりとは思い出せません。表題だけが頭に残っていました。

20歳台のころ、よく新劇の俳優座や文学座の芝居を見に行きましたが、そのときに上演されて見たのかもしれません。

ネットで蛙昇天を牽くと『池の底にある蛙の世界を舞台に、人間が投げ込んだ石に対して陰謀説を唱える蛙たちの騒動や、アオガエルとアカガエルの戦争に捕虜で通訳のシュレが巻き込まれていく様を描く・・・云々』とありました。
木下順二と言えば「夕鶴」、これは誰でも知っている鶴の恩返しの話ですよね。

近ごろ物忘れが多くなり、そのためのしくじりなどが珍しくありません。認知症介護施設のボラを続ける資格があるのかな~そして昇天するまでガンバレルかな~

2018.11.08() 後悔・・・マウンテンバイク断捨離

思い切りよく?実施した登山用具などの断捨離、ついでに処分したマウンテンバイクは置き場所がないわけではなし、あわてて捨てることもなかった。後悔先に立たず。「せっかち」は平爺の特技とは言え・・・・いつもあとで悔んでいます。

 

自転車を3台(ママチャリ・ロードバイク・マウテンテンバイク)を不用品回収業者に引き取ってもらったことを書きましたが、ふとマウンテンバイクのことが思い出されました。けっこう高かったのに使ったのは数えるほど。

◆登山口(B)と下山予定地(A)が別々のとき、まず下山予定のA地点にマウンテンバイクをデポしてから車で登山口のB地点へ移動。Bから登山開始、2つの山頂を踏んでバイクをデポしたA地点へ下山。デポしておいたバイクでマイカーのある登山口B地点へ。
コツは、自転車は標高の高い方から低い方へ移動するようにセットすること。つまりABどちらが標高が高いかを見極めれば、ほとんど漕ぐことなしで移動できるというわけです。その時によって、バイクのデポが登山口となったり下山地になったりします。

◆実際にこの方法をとったのは10指にも満たないかもしれません。高い買い物をしてしまいましたが、そのこと自体に後悔はなく、楽しい思い出です。もう一度やってみたかったな~。
お暇があったらその山行記録を二つほど紹介しますのでご覧になってみてください。

浅草岳・鬼ケ面山(新潟県)
  
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub1105.htm

扇沢-蓮華岳-七倉岳-船窪小屋泊-南沢岳-七倉温泉(北アルプス)    
   http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub3113.htm

2018.11.07(
)  一所懸命と一生懸命

天高く・・・

平爺が使い方で迷う言葉に、「一所懸命」と「一生懸命」
みなさんはどのように使い分けているのでしょうか。気にしながら平爺は語呂の良い「一生懸命」の方を使っていますが。
暇つぶしにネット検索。以下はNHK放送文化研究所のサイトから抜粋

◆意味はどっちも「ものごとを命がけでする様子」、放送メディアでは「一生懸命」を使っているようです。
「一所懸命は、昔、武士が賜った『一か所』の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きたことに由来したことばで、これが「物事を命がけでやる」という意味に転じて、文字のほうも「一生懸命」とも書かれるようになった。今では、「一所懸命」よりも「一生懸命」と表記・表現される場合が多く、新聞社や雑誌社では「一生懸命」に統一しているところが多く、放送でも「一生懸命」を使っている。

◆古くは「一所懸命」が主流だったが、今では「一生懸命」が市民権を獲得している。意味は同じでも読み方は別。
  一生懸命-「いっしょうけんめい」 一所懸命-「いっしょけんめい」

◉先日(11/1)の写真ですが、わからないまま「ミズヒキソウ?」などと書いてしまいましたが、その後ネット図鑑で「イヌタデ」という花を目にしました。どうやらイヌタデが正しい気がします。すみません<m(__)m>

2018.11.06(
) 女ごころと秋の空

庭木のドウダンツツジ

昨朝4時半、ウォーキングで家を出ると空気がモヤッとして寒さを感じない。一昨日は快晴の星空で気温は2℃、ブルっとする寒さでいよいよ冬の始まりか・・・と思ったのに、昨朝は10℃と1ヶ月前に戻った感じでした。
ふと「女心と秋の空」が頭に浮かびました。意味は「女性が男に対する気持ちは、秋の空のように変わりやすい」ということ。 (webコトバンクより)

そもそもは「男心と秋の空」だったものが、「女心」に変わったらしい。男の身勝手で都合よく変えてしまったのか?移り気というのは男の方が断然多いと思いますが・・・イヤ最近は女だって?ただし平爺は誓って浮気をしたことはありません。『影の声・・・金もなく風采も上がらない平爺に恋心を寄せる女性がいるはずはないですよネ』

◆秋の空が変わりやすいわけは
晴れをもたらす高気圧や雨をもたらす低気圧が、日本付近を西から東へ数日の周期で通過するためだそうです。春も同様のことが起きるが、春の明るいイメージから「女ごころと春の空」ではピンとこないので秋の空になったらしい。

2018.11.05(
) 迷いとの戦い・・・その二

昨朝6時30分の気温、玄関前の寒暖計は2℃、氷点下になるのも近いかも・・・ヤダナ~

◆数日前の日記で「登山記録断捨離」のことを書きました。そのつづきです。

果たしてほんとうに断捨離が出来るのか、身を切る思いにならなければとうてい踏み切れません。
64冊を2列に並べてみると写真のごとし。もし積み上げれば約220cm、重さは83kg。
しかし今迷っていても、いずれはゴミとして処分する日は間違いなくやってきます。せめて写真に残そうと思い、全冊並べてみたというわけです。自分でいうのもどうかと思いますが「よく記録を取り、これだけきちん整理・製本したもんだな~」と感心してしまいました。
山友のМさんより「どこかへ寄贈したら・・・」とのアドバイスをいただきましたが、それはゴミの処分を他人に押し付けるようなもので到底無理。

◆断捨離で「写真の整理が悩ましい」という話はよく見聞きしますが、たぶんそれと同じ心境だと思います。大げさにいうと「わが身の分身」たやすく決心がつくはずもありません。もうしばらくは同居状態を続けたいと思っています。

◉ついでに、めったに使わない自転車を3台(ママチャリ・ロードバイク・マウテンテンバイク)を処分。不用品回収業者に引き取ってもらいました。マウンテンバイクは結構値段の高い自転車でしたが、登山のおりに何回か使っただけです。妻も、暇さえあれば押し入れや物置の中をひっくり返し、生きている間に使うあてのないものをせっせと選び出しています。
捨てることは快感であると同時に切ないものでもあります。

◆断捨離の際、「写真の整理が悩ましい」という話はよく見聞きしますが、登山記録も同じだと思います。大げさにいうと「わが身の分身」たやすく決心がつくはずもありません。もうしばらくは同居状態を続けたいと思っています。
(写真に写っているもの以外に、製本まで到っていないものが8冊ありましたがこれは処分済み)

2018.11.04(
) 秋の小さな旅-つづき

軽井沢 雲場池

平爺が大腸がんにより人工肛門となったのは1986年、49才の時。今から32年前のことです。ふとしたきっかけで人工肛門という同憂の仲間お二人と知り合い、「同病相哀れむ」というのとは一味違う意味でのお付き合いが始まりました。その後二人増えて折々に一泊の逢瀬の機会を持ち、一昨日は水上温泉で一夜の歓談を楽しみました。

埼玉・茨城・群馬・長野と離れ離れのメンバー、一番の高齢は平爺です。加齢も進み、これからは全員が集まるのも大変になってくるかもしれません。

同憂の仲間同士、人目を気にしないで堂々と温泉に入ることができる気楽さも値打ちの会でした。懇親会を行うようになってから20年以上になると思います。「同憂者」と言うだけの集まりでしたが、振り返ってみると、素のままで付き合える気楽な仲間たちでもありました。

思えば、平爺も人生の半分近くは人工肛門とともに歩んできたことになります。このハンディを負ったことにより、失われたものより得たものの方がはるかに大きかったような気がします。
年齢を考えると、会う機会も難しくなるかもしれない。ちょっぴり淋しいが人生とはそうしうもの・・・これも・終活の一つだと思っています。

2018.11.03(
) 秋の小さな旅

人恋しい秋、2日間の予定で、群馬県北部の「水上温泉」へ行ってきました。

早朝の写真

オストメイト(人工肛門)同士が古くからつづけてきた懇親の会です。平爺がオストメイトになってから33年、ほかの方もベテラン?ばかり。オストメイトになった原因は全員が大腸癌、障がい者手帳を持つ身です。
同憂の身ながら、人工肛門の話や愚痴はまったくでません。口にするまでもないハンディは当たり前のこととして受け入れています。快活に、屈託のない時間を過ごしてきました。

◆水上温泉は利根川の源流部、谷川岳登山の折には、何回も通ったところ。渓流沿いは紅葉の真っ盛りで、温泉と秋、贅沢なコラボレーションでした。

◆帰宅の途中、軽井沢の紅葉名所「雲場池」に立ち寄り、池畔を紅く染めた絵葉書のような紅葉も鑑賞。色は鮮やかでも、山肌全体を赤・紅・橙・黄・・・と染め分ける大自然の景観には勝てません。池畔は観光の人々で大賑わい、静かに秋を感じるという雰囲気には程遠いもので、ただ絵葉書を見ているという感じでした。

明日(11/2日)の日記は休ませていただきます。

2018.11.01() 平爺朝の変わらぬ朝の様子

ミズヒキソウ?

2ヶ月1枚のカレンダーが、最後の1枚となりました。過ぎてみれば1年なんてあっという間、この思いをあと何回繰り返せるか・・・。覚悟はできいる・・・というか、終活を意識した毎日にしなくては。
今朝の寒暖計は1℃、冬は目の前、手がかじかむようなウォーキングでした。

◆就寝時刻に関係なく、目覚めはたいてい4時少し前。ガバッと起きると前夜準備しておいた「よもやま日記」の内容を再確認してサーバーへアップロード。
この時期だと外はまだ真っ暗、飴玉を一つ口に入れてウォーキングに出発。携行品はケータイ電話・カメラ・ストップウォッチ付腕時計、ケータイラジオ、ボールペン、メモ用紙、蛍光反射板(タスキ)。帰宅は6時~6時30分、ラジオからよもやま日記のネタを拾うことが多々あります。ウォーキングの最後はストレッチ体操を7分ほどやって終了。平均すると2時間前後です。
◆新聞を読みながら、前夜のうちに妻が用意してある朝食べながら新聞に目を通し、テレビ番組表で見たいものがあれば予約(昼間はめったにテレビは見ません)週3回のゴミ出しは平爺の役目。朝食の後片付けを終わり、コーヒーまたはココアを飲みながらPCのメールチェックと、Microsoftの無料ゲームで少し遊んで朝のスケジュールは終了です。

◆今日は所用のため、一泊予定で群馬県へ行ってきます。明日の日記はお休みさせていただきます。


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