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2018年6月

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2018.6.30(土) 脚は第二の脳

昨朝4:15 血を流したような不気味な朝焼け

『足は第二の脳』・・・耳にされた方も多いと思います。平爺が「認知症予防トレーニング士養成講座」に通ったときにも何回か出てきた言葉です。

歩くことが脳の活性化=認知症予防と大きな関係がある。人は歩くことで脳を進化させてきた。遠い祖先が毎日数十kmもの道のりを歩くことによって、大きな脳へと進化を遂げてきたらしい。机に向かうだけではなく歩くことも脳のためには大切であり、そして歩くには当然『脚』が大事。

◆脚は「第2の心臓」ともいわれますが、それはふくらはぎには静脈をとおして血液を心臓へ送り返す重要な役割があるから。
全身の血液循環という視点で説明を聞くとよくわかります。心臓から動脈を通して全身に送り出された血液は、今度は静脈をたどって心臓へと戻るが、心臓から遠く、かつ脚の位置は下にあることで、心臓へ戻る力が弱くなる。そこで下肢を運動によって鍛えることで、血液の循環をよくする・・・というわけです。言ってみれば心臓の補助機能を果たす役割があるということでしょうか。

◆血液の循環をよくすることは認知症予防にも貢献すると聞けば、足の運動・・・ウォーキングにも励みが出ようというもの。ちなみに平爺の6月の早朝歩行時間は計62時間(1日平均約2時間)でした。

◆昔から言われている言葉「歯、目、」とか「目、耳、まら」・・・これは老齢に伴い衰えていく順番。・・・「まら」とは陰茎の隠語
「よく歩く人」は脚が鍛えられ、血液循環がよくなり、頭脳明晰の人が多いとか。さて、毎日2時間前後のウォーキングを実践している平爺の認知症レベルや如何。えっ、例外もある?生まれたときから劣っていた脳は、歩いてもカバーしきれない見本が平爺・・・トホホホ・・・・。まあイイか。


2018.06.29(金) 「ママ友カースト」?

ムラサキツユクサ?

「ママ友カースト」・・・先日新聞でお目にかかったことば。えっ?何のこと・・・初耳ですが皆さんご存知でしたか?(いつも人様より一歩も二歩も遅れて歩いている平爺です)

◆カーストというのはインドの身分制度のこととは承知しているが「ママ友」と「カースト」の関係や如何?分からなかったら即web検索。すると次のような解説が。『同じ幼稚園、同じ小学生クラスの母親たちのグループの中に存在する序列』のこと。つまりママ友仲間の中での身分制度・・・すごいものがあるんだな~!!

序列の要素は身につけている衣服やバッグ、子供の学力や習い事、可愛い、背が高い・・・などおよそ下らいな諸々。さらに夫の学歴・職業・収入・住居・・・。すべてが序列・差別の要因になり得ると。
一定基準に合格しないとママ友グループから外されてしまう。まさに昔の身分制度が化けて出てきたような話です。

◆選挙権→昔は一定以上の納税者に限って与えられ、女性にはありませんでした。1945年、すべての国民は法のもとに男女平等となり、国政参加が認められたのに、今度は女性自身がカーストという不平等を形成するというこの不思議さ。人は「自分が他人より優位の位置に立ちたい」という本能に近いものを持っている生きものかもしれません。ママたちはその土俵を子供を通じて巧みに築こうとしているように見えるのですが? 無意識のうちに本能がそう突き動かせているのか。何と『人は浅はかな動物』であることか。

『夫が社長だから妻の私も偉いのよ』、『夫が総理大臣だから妻の私も偉いのよ?』笑わせるなっ!!

2018.06.28
(木) 最期に帰るところ

梅雨の季節に似合う花―庭の片隅で

ラジオで耳にしたある医師・作家の話。

◆余命を悟った患者が「自分の家に帰りたい」と訴える。それには二通りの思いが

◍「人生の最期を自分の家に帰って迎えたい」という思い
   ◍「自分の家に帰って人生の最期を過ごしたい」という思い

詳しい話はありませんでしたが、言葉の意味をよくよく吟味してみると、そこには微妙な思いの差があることに気づかされます。殺風景な病院より我が家でという気持ちには同感するものがあります。

最期のときを迎えると、痛いとか、苦しいとかの感覚はなくなり、治療もなく、病院のベッドで心臓の止まるのを待つというのはあまりにも意味がない?状況が許されればですが、そうできればラッキーだと思います。

半世紀以上前に、高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」という映画がありましたが、その「帰る」とはまったく違う話です(笑) 白状すると平爺は高峰秀子のフアンでした。
これも関係ない話ですが、菊池寛の「父帰る」が頭に浮かびました。勝手に家族を捨てて家を出た父親が、やつれはてて家族のもとへ帰ってくる・・・そんな小説だったかな~(間違っていたらゴメン)

◆一昨日、カンヌ国際映画祭最高賞の「万引家族」を観てきました。絵画で言えばピカソかマティスり抽象画を見ている感じ。
想像力を目いっぱい働かせてもストーリーについて行くのが難しく、頭の回転がさらに弱くなった平爺には難解な映画でした。

2018.07.27
(水)  地球より重い

杏  知り合いからの差し入れ


殺人事件報道が多いような気がします。

  ・親による幼児虐待死
   ・児童殺害、線路に放棄
  ・姉が練炭自殺を装って弟を殺害
  ・面識のない者同士がネットで連絡しあい、誘拐殺人
  ・青森県・高齢女性二人の殺害遺体発見
  ・鹿児島県の3人殺害事件
  ・今朝のニュースは警官刺殺事件
  

連日のように殺人事件が報じられている気がしますが、これでもアメリカの10分の一くらいらしい。
  
        

『人の命は地球より重い』 この言葉は1977年日本赤軍によるダッカでの日航機ハイジャック事件で、犯行グループが服役中の過激派を解放するように要求してきた。応じなければ乗員・乗客を殺すと脅迫。時の福田赳夫首相の口から出た苦渋の言葉が『人の命は地球より重い』だと伝えられています。

殺人の動機は恨み・強盗・性的欲望・・・ときには動機も曖昧に、いとも簡単に人を殺める事件が珍しくない昨今です。
(普通の殺人より罰の重い「尊属殺人罪」が刑法から消えたのは1995年、親子兄弟などの殺人は特別に罪が重かったのは今から23年前までです)

◆ふと思います。戦争・・・罪もない人間同士が殺しあい、自らの命を捨てるのが名誉と褒めたたえられる異常さ。「死刑」は人の命を奪う行為。この場合は「地球より重い」の例外として扱われていますが、死刑廃止論は常にくすぶっています。

webに次のような一文がありました。
昭和30年代。18歳の少年が小学6年生の女子を校舎の便所に引きずりこんで強姦・絞殺したという事件。「人の生命は地球より重い。しかし被告人の犯情は余りに重く死刑を以って処断せざるを得ない」として死刑を言い渡した。

       

先だって、幼児を虐待死させたニュースを見たとき、思わず「あんな親は死刑だ・・・」と口走っしまいました。
(「罪を憎んで人を憎まず」というのは、口で言うのはやさしいが、割り切るのは難しいことだと思います。いまわしい事件の起きないことを祈ります)


2018.06.26
(火) 「漢字の読み」答え

難問挑戦お疲れさま。20問すべて正解でもご褒美がなくてすみませんm(__)m 

ウツボグサ

建立―こんりゅう 早急―さっきゅう 脆弱―ぜいじゃく 漸次―ぜんじ

古文書―こもんじょ 間髪―かんはつ 相殺―そうさい 遵守―じゅんしゅ

貼付―ちょうふ   御用達―ごようたし  ご利益―ごりやく

月極―つきぎめ 他人事―ひとごと 凡例―はんれい 汎用―はんよう

完遂―かんすい 続柄―つづきがら 古文書―こもんじょ

出生率―しゅっしょうりつ 捲土重来―けんどちょうらい

正解 ◍19問以上~国語博士 ◍15問以上~一流の知識人 ◍10問以上~標準
     ◍9問以下の方は「世の中漢字がすべてはない」と、平爺と一緒に開きなおりましょう。



去る22日のラジオ深夜便。今日の花は『しもつけ』、このようにかたまって穂のように咲く花を「花穂」と言うらしい。読みは「かすい」。野草としていくらでも咲いているウツボグサやケイトウ、ラベンダーな花穂の花はたくさんあります。

2018.06.25
(月) 遺言

「遺言」の読み方は? 平爺は「ゆいごん」だと思っていましたが、実は一昨年の文芸春秋3月号『88人の最期の言葉』という特集があり、山口瞳の項で「遺言はゆいごんではなく“いごん”と読むのが正しいと弁護士に教えられた」という一節がありました。平爺同様に「ゆいごん」と読む人もいるのではないでしょうか。

◆ほかにも疑念を抱かずに漢字を間違えて読んでいるケースが案外多いのではないか・・・・と思って間違いやすい漢字をネットで調べてみました。(間違えて読んでも多くはそのまま意味は通じますが)

◆以下の漢字の正しい読みは?    ・・・・正解は明日の日記で

6月23日  am4:08 山火事のような空

  建立 早急 脆弱 漸次 古文書 間髪 相殺
  
  遵守 貼付
 御用達 ご利益 月極 他人事

  凡例 汎用 完遂 続柄
 古文書 出生率 捲土重来

    **********************

ちなみに『漢字の読めない総理』の異名をとった麻生財務相が間違えたと言われる漢字をいくつか。カッコが正しい読みです。

 未曾有(みぞう)→みぞゆう   前場(ぜんば)→まえば    踏襲(とうしゅう)→ふしゅう  
詳細(しょうさい)→ようさい
 頻繁(ひんぱん)→はんざつ
   怪我(けが)→かいが
 低迷 (ていめい)→ていまい   物見遊山(ものみゆさん)→ものみゆうざん

★間違いや思い込みは誰にでもあるもの、意味が通じるのなら、あまりこだわらなくても・・・・と思うのは平爺だけの勝手な言いわけ?この日記をご覧くださる皆さんは、もちろん間違い読みはしないと思いますが。


2018.06.24(
) 美空ひばり命日 ―「忘れえぬ岩木山=1625m」

6月24日は美空ひばりの命日、この日がくると思い出します。

29年前のこと。翌日の岩木山(別名津軽富士=日本百名山)登山を控えて、麓の湯段温泉に泊ったのが624日。夕食時に女将さんが「今日、美空ひばりが亡くなったとニュースが報じていました」と教えてくれました。

◆ひばりの代表曲の一つに、津軽を舞台にした映画の主題歌「リンゴ追分」があります。♪リンゴの花びらが風に散ったよな・・・・お岩木山のてっぺんを綿みていな白い雲が・・・・情感こもった歌が聞こえてきそうです。その岩木山へ登頂した日が平成1625日。数字の並びは「1625」、これは岩木山の標高1625mと同じです。それを狙ったわけではなく、宿の女将さんに言われて初めて知った偶然です。ひばりがもし生きていれば平爺と同じ昭和12年生まれの81才です。
この偶然で624日・25日という日は脳裏にしっかりと刻み込まれ、あれから19年過ぎた今でも1625は忘れません。

◆去る64日、昼の月が中空に浮かんでいるのが見えたとき、ひばりの越後獅子の歌を思い出しました。
   ♪今日も今日とて 親方さんに 芸がまずいと叱られて
   ♪バチでぶたれて空見上げれば 泣いているよな昼の月

岩木山登頂の記録 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub1036.htm

昨日の日記に書いた厚生労働委員会における「いいかげんにしろ・・・」野次。当の代議士は“大分がん研究振興事業団”の理事辞任届を提出したとの報道。自らすべきは「議員辞職」ではないのか。許せない。代議士の適正に欠けた輩を国会議員にしてはいけない。次回選挙において有権者が、このことを忘れないで鉄槌を下すことを期待したい。これは3回もガンを体験した平爺の怒りです。

2018.06.23
(土) 懲りない面々

 麦 秋

昨日の朝日新聞記事。またもや国会議員(大分県選出自民党)による低次元の問題発言。

厚生労働委員会に参考人として呼ばれた肺がん患者が、受動喫煙について患者としての立場から意見を述べていたところ「いい加減にしろ・・・」とヤジを飛ばしたというもの。
◆ヤジを指弾された当の議員は次のように謝罪。
「参考人の方はもとより、ご関係の皆様に不快な思いを与えたとすれば心から反省するとともに深くお詫び申し上げる」
“与えたとすれば”とはどういう意味?そんな条件付きの謝罪ってあるの・・・。
自分の発言に問題があったと反省したから謝ったのではないのか。頭を下げたくないという思いがありあり。この謝り方は『自分は悪いことを言ったとは思わない。みんなが悪いと言うなら謝ってやるさ』という開き直り。病身のガン患者が参考人として出席しているのに、さぞかし情けない思いを味わったことでしょう。

この程度の人物が国会議員か・・・常日頃、先生・先生とあがめられているうちに人格までネジ曲がってしまったのでしょう。

「このハゲッ ちがうだろう~」―豊田元議員  「こんな人たち・・・」―安倍総理  などがよみがえります。

2018.06.22(金) 熱狂

一昨日am4:17  東の空を見ると赤い光の柱。急いでシャッターを切る。2~3分で消えてしまいました。

◆サッカーワールドカップ、強豪の対コロンビア戦勝利で日本中が興奮のルツボ。熱狂するということはめったにないノリの悪い平爺には、狂ったように興奮・熱狂する真似はできません。あそこまで気持ちを入れ込める人は幸せなんだろうな~。比較対象は違いますが、平爺が登山に取り組む気持ちに少しは通じるものがあるのかも。

◆半世紀以上も昔、スポーツと言えば「野球」、記憶に残っている選手の名前は「青田・川上・杉下・吉田・金田・広岡・藤村・稲尾・森・広岡・中西・野村・・」

「大きくなったら何になりたい?」たいていの子供は「野球の選手」

年月が流れて登校時の友は「サッカーボール」に変わっていました。サッカーはボール一つあれば可、野球はそうはいきません。ルールも野球は複雑だが、サッカーはシンプルでスピード感もある。さまざまな要因で野球はすたれ、サッカーにとって代わられたのだろう・・と推測。

それにしてもサッカーの熱狂的興奮ぶり、あれには到底ついていけません。そもそもお祭り騒ぎが好きではない平爺、他人ごとの目線でテレビの協奏曲を垣間見ていました。

◆昨朝の地元紙のベタ記事―ある中学校で「野球部があっても試合する相手がない・・・」と。大リークで活躍するスター選手はいても、野球の底辺は薄くなりつつあるような気がします。

2018.06.21
(木) ポスト

平爺のような昔人間は「ポスト」と言えば郵便を投函する「赤い円筒型の郵便ポスト」を思い浮かべます。今は投函口が二つある四角形に変わり、円筒型はめったにお目にかかりません。

平爺のウォーキングコースには、江戸時代の北國街道の一部も含まれています。その道沿いに昔ながらの丸型ポストと、そこからかなり離れていますがもう一つ高さが3mあまり、円周は大人3人が手をつないでようやく届くかどうかという巨大な赤ポスト。後者は好事家が作ったものでしょうか、もちろん郵便を投函することはできません。初めて見たときはびっくり。製作費用も大変だったと思います。

◆ところで「ポスト」には郵便物投函箱のほかに下記のような意味も。

・柱-サッカーのゴールポスト
   ・部署や地位を言う-「営業部長は重要なポスト・・・」

◆郵便物はここ10数年で3割減とか。ポストも人待ち顔?

今日は夏至、昼間の時間がいちばん長い日。冬至と比べると約5時間の差があります-長野市。
  日の出のいちばん早いとき・・・6/9~19日   4時23分
  日の入りのいちばん遅い日・・・6/237/4日  19時10
  ◍「昼間がいち番長い日」――「夜がいち番短い日」・・・どっちがふさわしい言いかたかな?

2018.06.20
(水) 蛙飛び込む・・・

「古池や蛙飛びこむ水の音」 芭蕉の句の中でも、とりわけ親しみを感じ、よく知られる句の一つ。

これをもじって「早苗田や蛙飛びこむ水の音」-平爺

初夏、耕運機で田起こしをすると、地中の虫がぞくぞくと這い出てきます。それを狙ってムクドリでしょうか群れをなして飛んできます。耕運機のあとをつけながら、労せずして大ごちそうをゲット。なかなかの知恵者です。
◆明け方、田植えの終わった道を歩いていると、しじまを破るような蛙の合唱が響きます。かすかな足の振動を感知、すわっ一大事とばかりに田んぼの水の中へ一斉にダイビングする音。
小さな体にしては、その鳴き声はなかなかの声量。冬の間、静かに眠っていた田園地帯が一夜にして生気を取り戻した感があります。

◆「蛙の子は蛙」・・・子の性質や能力は親に似るもの。凡人の子はやはり凡人。出来の悪い子のたとえに用いられことが多い。あの親からどうしてあんなに優秀な子が・・・とか美人が・・・これは《トンビがタカ》の方ですね。

【追記】 悲しいニュース。北九州市でまたいたいけない幼子虐待殺人。何と父親が5歳の男の子をテレビ台の中へ押し込めての殺人・・・。その妻は、3才の女児に熱湯をかけるという残忍な虐待。いったいどうなっているのだろうか。わが身のストレスのハケ口にでもしているのか?刑法を変えて、与えた虐待と同じ苦しみを、罰として犯人(親)に与えて罪を償わせるというのはどうだろうか。絶対に許すことはできない。

2018.06.19(火) 茄子(なす・なすび)の花

庭の隅っこに1坪ほどの家庭菜園。ナス・ピーマン・ミニトマトを各2本づつ育てています。緑のカーテン用にゴーヤ4本、キュウリ2本をプランター栽培。アオジソ・ミョウガはところかまわず芽を出して成長中。 間もなくミョウガも頭を出すでしょう。食が細くなった老夫婦二人では、むだなく食べきるのも大変。

◆ナス-漢字は「茄子」と「茄」。広辞苑に載っているのは「茄子」の方です。ナスが花をつけたのを目にして思い出しました。

「親の意見と茄子の花は 千に一つの無駄もない」

解説は必要ないと思いますが、念のため書き添えますと「花をつければ必ず実が成る」の意。
近ごろは親が何かお説教がましいことを口にすると、腹の中では「ウットウシイ」と思われかねない風潮が蔓延?親は子供に言いたいことがいろいろあっても口に出せない時代・・・・。

この格言を学校でも教えてくれたらいいのにねー。児童生徒はそっぽを向くかもしれませんが(笑)


2018.06.18
(月)[NOTO]初ドライブとレンゲツツジ

また同じ話の繰り返しか~と言われそう

レンゲツツジ

◆新車[NOTO]の乗り心地・走り心地の前に、カーナビを始めとしていくつか操作がわからずもたもたしている場面もありますが、ハンドルさばきや、プレーキなどの基本的な部分は変わりはありませんが、一度マニュアルを読まなくては…面倒くさいな~。

◆兄弟会は朝食後解散。帰宅の途次に美ケ原高原隣接の一等三角点「武石峰」へ立ち寄りました。過去に2回訪れていますが、そのうち6月に訪れたときにはレンゲツツジの見事さが今も目に焼き付いています。今回は妻にも見せてあげようと思い、立ち寄りました。下界は小雨、標高が上がって行くと晴れ間ものぞくほどに。山の斜面に競い咲くレンゲツツジの朱色の花は満開一歩手前、見ごたえは十分でした。
花を愛でながら妻と二人で1時間30分ほどの高原逍遥を楽しみました。

残念ながら遠望は叶いませんでしたが、展望案内看板には白馬・・五竜・鹿島槍・・三俣蓮華岳・水晶・立山・剣‥槍・常念・穂高三山・・御嶽、乗鞍、恵那山と、日本百名山の名前がずらり。

◆新車の初乗りは特に慎重運転。160㎞ほどをトラベルもなく、無事に走ってきましたが・・・ただ、美ケ原高原へ向かってかなりの勾配を駆け上がるときは、力不足だなーという感は否めず。排気量1200CCのコンパクトかーだから致し方ありません。これから3年ほど、爺の脚として仲良く付き合ってもらいます。

2018.06.17(日) 新車

高原の花
シロバナヘビイチゴ?

愛車「セレナ」を廃車したのは5月22日。あれから20数日。さぞかし不便をかこつだろうと思っていたがさにあらず、妻専用の軽自動車(日産moco)を共用、何の不便もなく過ごしました。買わなければよかった―(笑)—

◆60才定年退職後、数年してから長野へ転居。3分待てば次の電車が来る大都会とちがって、田舎暮らしは何かと不便になるだろう、妻にも専用の車を・・・ということで軽自動車を購入。当時の平爺は年から年中愛車を駆って全国の山をめぐり歩いていました。

◆一昨年暮れ、胸椎圧迫骨折をしてから登山は激減。遠出することもほとんど無くなりました。習慣で「車が2台ないと超不便」と決めつけていたのは思いこみだけ。我が家は1台あれば十分でした。どうしても必要ならレンタカーという手もあった・・・と今頃気づいても後の祭り。

◆新しい車は日産のコンパクトカー「NOTO」、1200CCという可愛い車です。以前、悪路をものともせずに走っていた日産・テラノやトヨタ・ハイラックスサーフという3000CCクラスのタフなオフロード車に比べると玩具?ししかしコンパクトカーと言えども一つ事故を起こせば結果の重大性は同じ。覚悟してハンドルを握ります。

◆運転は安全厳守で85才までと決めていますが、状況によってはそれ以前に免許返納を考えるかもしれません。実はこの前の買い替えのときも、80才で運転は卒業と決めていたのです。あと3年半「85才」は絶対に守るつもりてす。

2018.06.16
(土) 久しぶりの兄弟会

浅間温泉玉の湯

兄弟会に行ってきました。松本市郊外の浅間温泉一泊。
平爺は6人兄弟(男・平爺・女・男・男・女)という構成?です。長兄とは一つ違いの年子、よくケンカをしました。末っ子とは12才離れていて、一緒に暮らしたのはわすか数年。薄い気憶しか残っていません。

長女と三男は既に他界。参加したのは連れあいも合わせて9人。高齢化や体調など、諸事情もあって集まる機会はさらに難しくなって行きそうです。
久しぶりに遠慮不要の顔ぶれで温泉に浸かり、どっちでもいい話題で和やかなひとときを過ごしてきました。

■近い親戚でまた不幸がありました。故人は78才。

    明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは  親鸞上人

   明日は我が身、大切に生きなくては・・と思っても、さて何をどうしたらよいのやら。

2018.06.15(
) 昼の月

昼の月 6月4日 am6:05


0日ほど前のウォーキングのスタート、いつもより1時間ほど遅い5時過ぎ。夜は明けてとても清々しい青空。ふと見上げた先にボッカリと浮かんでいるのはお月さま。注意しないと気づかぬほどに白くて淡い月。寒空に煌々と照る満月もいいが、霞むように浮かんでいるこんな月もまた風情。
ダメモトで急ぎシャッターを切ってみる。何とか写っていました。

「月」は俳句の季語としては秋、しかし梅雨の合間に見る昼の月にもこころ惹かれるものがあります。

   長閑さや 浅間のけぶり 昼の月  (一茶)


◆そして頭に浮かんだのは美空ひばりの歌の一節。「越後獅子の唄」です。
 
  ♪ 今日も今日とて親方さんに 芸がまずいと叱られて
     ♪ ばちでぶたれて空見上げれば 泣いているよな昼の月

歩きながら声に出して歌っていると「あいつ気がふれたか・・・」と思われそう、そっと小さく口ずさむだけにしました。

◉今日は久しぶりの兄弟会。美ケ原の麓、浅間温泉一泊の予定。明日の日記はお休みするかもしれません。

2018.06.14(木)
 今月の言葉

◆寺院門前-今月のことば

生きているということは
    決して私の力ではないのだ  (高松信英)

Webの解説・・・・周囲から頼られるだけでは半人前。仲間を頼ることも出来てこそ一人前である。自分の能力に過信せず、互いに支え合っていることを忘れてはいけない。決して一人だけの世界を生きているのではない。そのことを忘れずにいたい。」

平爺の脳みそで理解するにはかなり困難。こんな教えもあるのだ・・・程度に覚えておましょう。

◆昨年まで、ウォーキングのめどは1時間台でしたが、いつの間にか2時間がめどになっています。1時間では物足りない?
2時間以上歩いた日数。 1月―3日 2月―14日 3月―11日 4月―12日 5月―12日

(1時間30分以下という日はほんどありません)


2018.06.13(
) 親ほど大切なものはない

ツユクサの仲間?


何日も前のことですがラジオから流れてきた言葉。


  「この世に親ほど大切なものはない」

逆に言えば、親にとって子供は自分の命より大切なもの。

(ここまで書いたところでカミさんから「・・・・自分でちゃんとやりなさいよ」という邪魔が入りました。何の小言かわからないが・・・「わかった」と生返事だけしておきました。親子と夫婦の違いです(笑)

あの鬼親による幼児虐待という悲しい事件は、平爺の心に張り付いたままです。
◆「母の愛は海よりも深し」は常套句というのでしょうか、恩を返してもらおうと思って子供に愛情を注ぐ親はいない。ただただ可愛く、無事に育ってほしいだけなんです。

「四季の歌」-作詞作曲荒木とよひさ 歌手芹洋子
   ♪夏を愛する人は 心強き人  岩をくだく波のような ぼくの父親
   ♪冬を愛する人は 心広き人  根雪をとかす大地のような ぼくの母親
作者の荒木が大学スキー部時代、妙高高原で骨折入院。妙高の温泉から眺める山々の情景をモチーフにして作り、看護師にプレゼントした曲(ウイキベディアより)

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「認知症の親の介護のためにやむを得ず退職。しかしその親が亡くなってからも気が抜けたように求職活動をせずに失業状態にある人が急増している」という実態を切り取ったNHKのドキュメンタリー番組を見ました。こうした失業者が大きな社会問題化しつつあるとの警鐘でした。

◆山よりも高く、海よりも深い親の恩に報いること、すなわち親の介護の結果として自分の人生が危うくなっていく。見えないところで、綺麗ごとでは済まされない問題が深く静かに進行している。どうすればいいのでしようか。

2018.06.12() あれだけ世間を騒がせて、結局真相はヤブの中?

政治に新しい光を!

日大アメフト問題が衆目を席巻。その陰に隠れて「神風だ」とほくそえんでいたのは政権与党、就中疑惑の渦中にある安倍総理では。森友・加計疑惑-隠蔽・改竄・嘘・記憶にない・・これでも民主主義国家?国民が納得できた説明はあっただろうか。加えて腹の立つのは、アル・カポネよろしくハットを得意げにかぶり、品性のない言葉ですごんで見せる渦中の財務担当麻生大臣。これが今の日本政治のNO.1とNO.2とは。

◆内部調査をしたというが、あくまで内々の調査。泥棒か仲間の泥棒を調べているようなもの。その結果を信用しろという方がどうかしている。報道を見ている限り、とりわけ暗闇の中に覆い隠されているのは「安倍総理と夫人の関与疑惑の真相」、「昵懇親友の加計理事長と総理の忖度疑惑の真相」です。

政治史にも残るような大疑惑が晴れぬままに終止符を打つ気配。多くの知識人が「民主主義政治」を危惧する発言をしています。

●政治に疎い平爺ですが、偏った権力の怖さを改めて痛感しています。国民のレベル以上の政治は育たない・・・試されているのは国民自身、腹を据えて政治の行方を見つめていきたい。

【古い友人Aさんからの便りの一節】
財務省・防衛省など、日本の中枢を司る高級官僚がここまで腐りきっているとは、嘆かわしさを通り越し、背筋が寒くなります。佐川の不起訴、検察も同じ穴の狢だったのかと慄然たる思いです。三権分立は平和憲法と共に死文化してしまったのでしょうかね。


2018.06.11() 雀昇天

 
スズメ昇天  ウサギの好物
・クローバー
・アカツメクサ

日の出は4時28分。今の季節はウォーキングスタート4時前後と決めています。東の空には朱がさして、足元もすでに明るくなっています。

◆千曲川堤防を歩いていて、踏みつけそうななったのはスズメの死骸。衰弱で力尽きたのか、それとも自動車にでもぶっつかったのか。厳しい冬をせっかく越したのに・・・。草むらの中へそっと移しておきました。
我が家を訪れるスズメは、たぶん数十羽以上。エサのやり過ぎは良くないと思い、真冬より少なめにしています。朝夕、その時間になると集まってきてチュンチュンの大合唱。中には子連れもいて、口移しに食べさせる光景がほほえましい。

◆冬季は草が枯れてしまうのでウサギちゃんへのエサやりは中断。4月末ころから好物のアカツメクサがどんどん伸びてきました。ほぼ毎日、立ち寄って与えています。飼い主の許可もないのに与え過ぎはいけませんから、その量はわずか。頭をなでてやると気持ち良さそう。

スズメもウサギも、見ているとやさしい気持ちにさせてくれます。

2018.06.10
(日) -2- おさまらない怒り

結愛ちゃん虐待死の報道から時間がたっても憎しみがおさまりません。

甘えたい盛りの5歳の女の子が、灯もなく真冬でも暖房のない部屋でたった一人、ときには真冬の夜にベランダに立たされている姿を想像すると、さらなる怒りかこみあげてきます。まさに人の面をかぶった悪鬼悪魔。人はどこまで残忍になれるのか。
感情的になるまいと思っても怒りはつのるばかりです。

「蛇の生殺し―へびのなまごろし」という言葉があります。結愛ちゃんの虐待は生かしも殺しもしない、虐めるだけ虐め、苦しむ姿を見て快感を味わっていたとしか思えない。その罪は殺人よりはるかに重いと思います。

2018.06.10(
) お百姓さんありがとう

当地は田植えの時期。田起こしから代掻き、そして田植え・・・気がつけば知らぬ間に全部終わっていたという感じ。昔はその時期になると一家総動員、何日もかかる「お祭り騒ぎ」の大行事でした。今はすべてが機械化、農作業をする人影もほとんどないのが何だか淋しい。

◆「お百姓さんありがとう」・・・戦時中、国力はすべて戦争に注ぎ込まれ、食料は極端に不足、「欲しがりません勝つまでは」というへんてこりんな標語が幅を利かせていました。
鉄砲玉が無くても生きていけるが、食料がなかったら餓死。一家の大黒柱や青年は徴兵されてしまい、野良仕事は3ちゃん(爺ちゃん、婆ちゃん、母ちゃん)の肩に重くのしかかっていたという時代でした。

◆時の軍事政権は、やましさを感じてか、「お百姓さん ありがとう」を学校の昼食時に声をそろえて児童たちに言わせるように指導。平爺もおぼろげながら記憶に残っています。

◆早苗がそよぐ田んぼの道をウォーキングしていると、終戦前後の食糧難の頃のことが、あれこれ頭に浮かんできました。あふれ返る物に埋もれた戦後生まれには、食べ物が無いという残酷さは想像もつかないでしょう。わが子に食事を与えないバカ親は別として・・・。 平爺が「何を食べても美味い」と思うのは、そんな時代に育ったからか?。

◆政府広報――日本の年間食品廃棄量は1900万トン、世界の7000万人が1年間食べていける量で世界の12位を争うほどだそうです。時代は変ったネ~

2018.06.09(
) —2― 増幅する怒り

結愛ちゃんの虐待・育児放棄の末の死亡。これが殺人でなくて何というか。いや、殺人よりもっとむごく残忍極まりない憎むべき犯罪。平爺も一人の人間として決して許せない。それはまさしく「拷問」、犯人には目には目、同じ痛み責め苦を味わわせたい衝動にかられます。

一つ狂うと、人は際限なく残酷な動物に豹変してしまう。人の悲しい性でしようか。
虐待の新たな詳細がテレビや新聞で報道されるたび、憎しみもまた増幅していきます。

◉東京都知事が児童相談所の機能強化を語ったらしい。職員を増やせばいいというものではない。きちんと向き合える体制・能力のある人材を配置してこその機能強化ではないでしょうか。機能強化を伴わないセーフティネットなら、改革の意味はない。

2018.06.09() 禍福は糾える縄の如し

夜明け


      【昨日の答え


  ①日本三景   松島 天橋立 安芸の宮島
  ②新日本三景  耶馬渓 北海道大沼 美保の松原
  ③日本三奇勝  耶馬渓 妙義山 寒霞渓
  ④日本三紅葉  耶馬渓 日光 嵐山
  ⑤日本三渓   耶馬渓 猊鼻渓 嵯峨渓
 (平爺が行ったことのないのは耶馬渓です)

◆『禍福は糾える縄の如し』、これは日記用メモの走り書き。何を書きたかったのだろうか?思い出せない。禍いと福とは、縄をより合わせたように入れかわり変転することで、四字熟語では「禍福糾纆—きゅうぼく」というそうです。
世の中楽しいことばかりではない。著名人の訃報が相次ぎました。衣笠祥雄、朝丘雪路、大杉連、星野仙一、西部邁、野中広務、金子兜太、岸井成格、内田康夫、西城秀樹・・・

テレビにもよく出ていた岸井さん、平爺が好きなジャーナリストでしたが、そう言えば最近見なかったな~。

◆人類は未知の領域とも言える長寿社会に向かって進んでいますが、いくら科学が進歩しても人は永遠には生きられない。いつかは死ぬ。生きていればこの先どんな災禍が待っているか誰にもわからない。いつ逝くのか、運を天に任せるより仕方がない。
「分からないなら考えたってムダ」と言えばそのとおりかもしれない。それでもその日までは前を向いて歩いて行こう・・・・とみんな思っている。線香花火が最後に赤い火玉となって地面に落ち、無になるまで。

◆夜、布団に入って眠りに落ちるまでのいっとき、他界している母のことであったり、幼かったころの孫のことであったり、過去の光景がとりとめもなく脳裏に浮かぶことがある。人生下り坂をとぼとぼと行く者のありようかもしれない。
近い親戚で、平爺と同年配の方がつい先日亡くなりました。 

平均寿命の推移(厚労省のHPより)
     1950年 2050年  増加幅
  男—  58.0  83.5  +25.5
  女—  61.5  90.3  +28.8
100年間の伸びは凄いですね。でも2010年ころから上昇カーブは緩やかになってきています。長命傾向はそろそろ限界?

 「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」―親鸞上人—

2018.06.08(
) 日本三大×××

日大アメフトのことではありません。「日本三大×××」というのはいろいろありますが、今日は頭の体操をしてください。それぞれ残りの一つはどこでしょうか。左から1位、2位、3位の順番です。

ウツギ?

① 日本三景———・松 島・   ・安芸の宮島
   ② 新日本三景——・   ・北海道大沼・美保の松原
   ③ 日本三奇勝——・耶馬渓・   ・寒霞渓(小豆島)
   ④ 日本三紅葉——・耶馬渓・   ・嵐山(京都)
   ⑤ 日本三渓———・耶馬渓・猊鼻渓・     

登山目的で全国をまたにかけ、車で走り回ったおかげで、いろいろな名勝地も見ることができましたが、じっくり観光したというケースは案外少ないかもしれません。目的はあくまで登山、一座でも多く登るのが目的でしたから。

★耶馬渓は訪れたことがありませんが、すごい景勝地のようですネ。だが見る機会はもうなさそうです。

恥ずかしながら「コスブレ」というカタカナ言葉、何となく分かっているような分からないような・・・・頻繁に耳や目に入って来るのにねー。調べてみると「コスチューム・プレー」の略で、アニメのキャラクターに変装したりして、その立場になりきることだと。
へ~そうなんだ。渋谷駅前の大交差点なんかで、訳の分からない変装集団が集合するあれですよね。一つ覚えました。


2018.06.07(
) —2— 鬼畜にも劣る親は同じ苦しみ
             悲しみを味わってみるがいい

幼児虐待死のニュース、またか・・・。怒りがおさまらないと同時に涙がとまりません。
東京目黒区の5才女児結愛(ゆあ)ちゃんが、まともな食事も与えられず、親からいわれのない虐待を受けて死亡。ノートに書き記した幼女のことば・・・「もうおねがい ゆるして」、何のために生まれてきたのか、それも知らずに死んで行った結愛ちゃんが可哀そうで可哀そうでなりません。どれだけつらく、小さな胸を痛めつづけていたことか。

◆「育児問題家庭として児童相談所は承知していた」と報じられています。

納得できないのは、過去に児童相談所が事案として承知していたケースで、該当児死亡というケースがいくつもありました。児相の公務員とは何をやる部署なのだろうか?ほんとうにやる気のある職員が配置されているのだろうか、使命感を持ちあわせているのだろうか・・・国民の税金から給料をもらっている立場を考えたことがあるのだろうか。ことなかれ主義、やって失敗するより何にもやらないことが最良、まさかそんなことはないと思いつつ、疑念を抱かずにはいられません。

児相職員を非難するつもりはありませんか、正直な気持ちは「何か防ぐ手だてはあったはず」、あるいは「有能なやる気のある職員を配置する」などの対策が講じられていたら・・・。

◆結愛ちゃん、蝶々が舞い飛ぶお花畑で、小鳥たちと追いかけっこをしたりして思う存分跳び回って遊んでください。そこには結愛ちゃんをいじめる大人はいませんから。

2008.06.07(
)   科学の進歩と虞れ・・(昨日のつづき)

ヒルガオ

◆科学の進歩には終着点というものがない。その速度はますます加速しているような気がします。人工知能=AIやロボットの進化で、人の働く場がなくなってしまうかも?

それに反比例して気の遠くなるような年月を経て進化してきた人間の機能は退化の道をひた走るのでは。SF小説なら面白いが、科学進歩の加速化を考えれば、300年、1000年先の話ではなく、30年、100年先のことかもしれない。つまりわれわれ世代の孫の時代には・・・・あ~、考えまい。

◆そしてまたもや思い出すのが、故菅原文太さんのことばです。「科学の進歩はもうこのくらいで良いのではないか・・・」とか「科学は万能ではない」という言葉。次々とそそり建つ超高層ビルやリニア新幹線、地下空間の利用などの超高度文明にどっぷりと浸かっているとき、想定外の地震が無いと誰が断言できよう・・・大丈夫と言っている言葉をほんとうに信じて良いのか?最終兵器と言われる核兵器をさらに上回る兵器が開発されるかもしれない。数発で地球上の全生命体を滅ぼすような・・・。

もしかすると人類は今、二者択一の分帰路に立っているのかもしれない。

◆科学は人類を幸せにしたか。ノーベルがダイナマイトを発明して戦争の形をよりむごいものに変えてしまったし、優秀な物理学者オッペンハイマーは核兵器を開発。今その核兵器の取り扱いに世界は苦慮している。

「超特急“科学の進歩号”はもうブレーキは効かないかもしれません。(無知な平爺ですが、科学の進歩が人類滅びの道でないことを祈ることだけはできます)

2018.05.06()  科学の進歩・・・終点のない恐怖か妄想か

「ミステリー列車の旅」・・行き先を知らせないツアー募集がありますが、それになぞらえて科学とは。

◆科学の進歩は、確かに快適性や利便性の向上に大きく貢献したり、治らなかった病気か治るようになったりしています。東京から大阪出張も軽く日帰り、東京⇔ロサンゼルスも10時間そこそこでひとっ跳び。でもよいことばかりでもなさそう。たとえば人間が本来備え持っている能力を退化させているという。

◆家庭も職場も空調機器が使えるようになり、人は昔より汗をかかなくなったらしい。「汗をかくことで体温調節をする」という能力を使わないことで退化していく。長い時を経て進化してきた機能が、科学の進歩と共に今退化への逆の道をたどっている。マイカーの普及で第二の心臓と言われる脚の機能も退化が危ぶまれる。これらはラジオからの聞きかじり。

◆リニア新幹線、超高層建造物・・・などは未曾有の大地震が発生したらどうなる?過去最大級の震災にも耐えられる設計と言っても、想定以上の大規模地震が起きるかもしれない。原発を完全にコントロールできると思うのは伝説に過ぎないことが証明されたし、原子爆弾はボタンを押せば何千キロも先の標的まで正確に飛んでいく。

◆人類はさまざまなリスクを克服したような気でいるが、それは傲慢過ぎる思い違いではないのか・・・驕りを抑える「虞れ」も大切ではないかと言うことばに同感できました。  (明日の日記へつづく)

2018.06.05(
) 秋の七草


千曲川河川敷の果樹畑では、リンゴなどがすくすくと成長しています。

さくらんぼ りんご

◆季節外れですが、たまたまラジオから「秋の七草」の話が。

春の七草は和歌の5・7・5・7・7調(せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ・ はるのななくさ)で記憶しているが、秋の七草は思い出せない。ハギ、スス キ、キキョウ、オミナエシ、ナデシコ・???あとの二つがどうしても・・・。何とか思い出そうとして2時間近くのウォーキング中、頭を捻ったがダメでした。帰宅後PC検索すると残りの二つはクズフジバカマ

◆ネットには要領よく覚えるための語呂合わせがありました。

『お好きな服は―おすきなふくは』
   『ハスキーなお袋-はすきーなおふくろ-』

これでもう忘れない・・・と思っても、ゴロを忘れたらハイそれまで。齢80にもなると記憶することが大の苦手。ほんとうに大変なんですよ。このよもやま日記に同じようなことを何度も書くのも、前のことを覚えていないから。この歳になると認知症っぽい年寄りの気持ちが、少しは分かるようになってきました。(笑)

2018.06.04(
)―その2― 薔薇祭り鑑賞と温泉


昨日は思い立って妻とデート?薔薇の鑑賞かたがた温泉に浸かってきました。
自宅から車で40分ほど南方、坂城町のバラ園。もともとバラ栽培の盛んな町、千曲川河畔のバラ公園で行われる恒例のばら祭り。3000㎡の公園はさまざまな種類のバラで埋め尽くされ、眼の保養になりました。
バラ公園から数分のところには、かけ流し温泉「びんぐし湯さん館」があり、眺めの良い露天風呂にゆっくり浸かってきました。


2018.06.04(
) アメフトとラグビーの違い

昨朝の千曲川河川敷は、雲海のように美しい霧。その中のウォーキングでした。
ここ1週間以上、森友疑惑も加計疑惑も吹っ飛ばし、日本中の耳目を独占したのが日大アメフト反則傷害事件。マスコミもこの事件一つで食っているような力の入れよう。

悪の根元?内田監督が、監督と常務理事職を辞任したとのニス。辞任ではなく「解任」が適当との声もあるらしいが、一世を風靡したこの事件も記憶から遠ざかっていくのでしょうね。


◆ところでアメフトとラグビーは何が違うの、そもそもアメフトもラグビーもど素人の平爺に「乱暴なスポーツ」くらいしかわからないのです。ちなみに違いをwebで調べてみると次のような解説あり。

 ・ボールはラクビーの方が大きい
 ・ラグビー15人、アメフトー11
 ・選手交代 ラグビー7人までで、一旦フィールドを去った選手は復帰不可
          アメフトは何度でも可能
 ・タックル ラグビー  ボールを持っている選手に対してのみタックルできる
         アメフト  ボールを持っていない選手に対してもタックルできる
      (このほかにもいろいあり・・・、ど素人には理解不能、読むのをやめました)

野球やサッカーなどとは人気度は格段の差、繰り返し放映される反則場面だけ見て「あれがアメフトというものか~」と思った人も多いと思います。唯一得るものがあったとしたら、この事件でアメフトの知名度が上がったということでしょうか。

◆余談ですが、日大って凄い学校ですね。その学生数にびっくり。
  大学—約11万人 高校—約3万人 中学—6800人 小学—620


2018.06.03() 熟字訓 - 五月雨  (お暇な方だけお読みください)

『五月雨』-陰暦の5五月ころに長く降る雨(梅雨)で、さみだれと読むのは熟字訓だからとのこと。

◆「熟字訓」とう語を81才にして初めて知りました。Webからの借り物知識ですが感動に震えて?少しだけ書かせてもらいます。今は義務教育で熟字訓を習うようですが、平爺は習った憶えがありません。

    【五月雨を 集めて早し 最上川】・・・芭蕉 

ヤマボウシ

◆五月雨の語の「五月」は旧暦の5月、すなわち新暦なら六月。梅雨の時期に何日も降り続くイメージが五月雨の本当の意味とのこと。
◆五月晴れも旧暦の五月、今の6月梅雨どきに垣間見られる晴れ間が本来の意味のようです。

—さて熟字訓ですが―
◆「五月」を「さつき」と読むのを「熟字訓」と言って当て字とは違う。和語(もともとの日本語・大和言葉など)に、読みを無視してその意味にあたる二字以上の漢語をあてたもので、常用漢字表「附表」にも掲げている。考えてみれば「大人」をなぜ「おとな」と読むのか不思議ですが、それは熟字訓だから。「今日」「果物」などは小学校で、「五月雨」などは中学校で習うようです。

◆「五月雨」という熟字訓をもう少し詳しく言うと
「さみだれ」の「さ」は「五月・皐月(さつき)」や「早苗(さなえ)」などと同様に、耕作を意味する古語の「さ」。「みだれ」は「水垂れ(みだれ)。 つまり「五月雨(さみだれ)」という言葉は「さつき」+「みだれ」の合体バージョンで、読みの意味と漢字とは何の関係もない

  明日-あす 硫黄-いおう 田舎-いなか 神楽-かぐら 灰汁-あく 絢爛-けんらん
  読経-どきょう 雪崩-なだれ 日和-ひより 吹雪-ふぶき 浴衣-ゆかた
 

理解力の衰えたこの脳みそで、これだけ書くのにweb検索をしたりて、要点を理解するのにかなりの時間を要しました。まさに頭の体操。

●熟字訓の読み方には原理原則のようなものはなく、一語一語暗記していくより仕方ないと思います。いくつあるのか知りませんが、外国の人が日本語を勉強するのはさぞや大変でしょうね。

(本日の日記はほとんどwebからの引用です)

2018.06.02(
) -2—  正義はいずこ

今朝の朝日新聞・「朝日川柳」欄、実に気分よく、納得して読ませてもらいました。転載はご法度だと思いますが、大目にみてください。

 ●ぎりぎりと国中奥歯がきしむ音    ●医師の指示国会中継見ちゃならぬ

 ●捨て駒で逃げ切り謀る加計の賭け   ●へらへら留守を狙って詫びに来る

 ●巨悪とともに眠る検察        ●良識と正義は哀れ蚊帳の外

 ●栄転の沙汰待つナニワの特捜部

2018.06.02() 「♪ 人を恋ふる唄 ♪」

「人を恋ふる唄」・・・平爺と同年代の方なら歌える方も多いのではないでしょうか。ときどき風呂で歌っています。原詩は与謝野鉄幹。

◆日記のネタメモに「人を恋うる歌」と走り書きあり。いつ、どうして書いたのかは思い出せないがかなり古いメモ。血潮おどる若きころ、よく口にした歌で、歌詞があれば今でも歌えます。
就職して独身寮へ入り、先輩の歌うのを聴いて覚えたような気がします。

雀は元気に通ってきます

①妻をめとらば 才たけて  みめ美(うる)わしく情ある  
    友をえらばば 書を読みて 六分(りくぶ)の侠気 四分の熱
   ②恋の命を たずぬれば 名を惜むかな 男ゆえ
    友のなさけを たずぬれば 義のあるところ 火をも踏む
   ③汲めや美酒 うたひめに 乙女の知らぬ 意気地あり
    簿記の筆とる 若者に まことの男 君を見る
   ④あゝわれダンテの 奇才なく バイロンハイネの 熱なきも
     石を抱きて 野にうたう 芭蕉のさびを よろこばず

16番まであるようですが、4番までは歌った記憶が残っています。
純で大志を抱く青年に似合いそうな歌詞だと思いませんか。口ずさむと純真無垢な?若き日を思い出します。人生観、価値観が大きく変った今日、若者に見せたら多分時代錯誤と一笑に付されるかもしれません。

5番以下の歌詞を知りたい方は以下のサイトへhttp://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/09/post_a53f.html
お聴きになりたい方はYouTubeでどうぞ。

2018.06.01(
) 水無月

 満月-5月31日 am3:53

カレンダーをめくって6月―陰暦では「水無月」、旧暦の418日らしい。
6月といえば梅雨、それが「水無月」とはこれ如何に?

◆今は二十四節気の小満-末候 の「麦秋至-むぎのときいたる」。
麦秋で頭に浮かぶのは、JR上越線群馬県の車窓から見る黄金波打つ一面の麦畑と、もう一つは小津安二郎監督-原節子・笠智衆・淡島千景・杉村春子などが出演した「麦秋」という日本映画史に残る名画。ある親子の姿をたんたんと描いた感動作品。数十年前の作品ですが、うろ覚えに記憶に残っています。

◆今年は梅雨入りが早いらしい。水不足は米作農家にとっては死活問題。被害が出ない程度にほど良く降ってくれればそれがいちばんですが、期待通りにいかないのが自然の摂理。

  芭蕉の句  ◍ 水無月や 鯛はあれども 塩鯨
        ◍ 六月や 峯に雲置く あらし山
最初の句の意味をweb検索すると7月といえば鯛が旬だが、私は塩鯨がよい」 塩鯨とは鯨の肉と皮との脂肪層を塩づけにしたもの(weblio辞書より)。

◆早くも6月か・・・年寄りにはまさに「光陰矢の如し」。アルバム整理など、終活のこともいろいろ考えて新しい年をスタートしたのに、ほとんど何もできずに今年も折り返しが近づいています。

★平爺が昔から嫌いなもの・・・地位・権力を誇示し、振り回す輩。推測していただけますね。政管・スポーツ・ブラック企業・・・気ちがいに刃物。すみません、これは差別用語でした。取り消します。

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