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2018年6月
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2018.6.30(土) 脚は第二の脳
『足は第二の脳』・・・耳にされた方も多いと思います。平爺が「認知症予防トレーニング士養成講座」に通ったときにも何回か出てきた言葉です。 ◆歩くことが脳の活性化=認知症予防と大きな関係がある。人は歩くことで脳を進化させてきた。遠い祖先が毎日数十kmもの道のりを歩くことによって、大きな脳へと進化を遂げてきたらしい。机に向かうだけではなく歩くことも脳のためには大切であり、そして歩くには当然『脚』が大事。 ◆脚は「第2の心臓」ともいわれますが、それはふくらはぎには静脈をとおして血液を心臓へ送り返す重要な役割があるから。 ◆血液の循環をよくすることは認知症予防にも貢献すると聞けば、足の運動・・・ウォーキングにも励みが出ようというもの。ちなみに平爺の6月の早朝歩行時間は計62時間(1日平均約2時間)でした。 ◆昔から言われている言葉「歯、目、脚」とか「目、耳、まら」・・・これは老齢に伴い衰えていく順番。・・・「まら」とは陰茎の隠語
「ママ友カースト」・・・先日新聞でお目にかかったことば。えっ?何のこと・・・初耳ですが皆さんご存知でしたか?(いつも人様より一歩も二歩も遅れて歩いている平爺です) ◆カーストというのはインドの身分制度のこととは承知しているが「ママ友」と「カースト」の関係や如何?分からなかったら即web検索。すると次のような解説が。『同じ幼稚園、同じ小学生クラスの母親たちのグループの中に存在する序列』のこと。つまりママ友仲間の中での身分制度・・・すごいものがあるんだな~!! 序列の要素は身につけている衣服やバッグ、子供の学力や習い事、可愛い、背が高い・・・などおよそ下らいな諸々。さらに夫の学歴・職業・収入・住居・・・。すべてが序列・差別の要因になり得ると。 ◆選挙権→昔は一定以上の納税者に限って与えられ、女性にはありませんでした。1945年、すべての国民は法のもとに男女平等となり、国政参加が認められたのに、今度は女性自身がカーストという不平等を形成するというこの不思議さ。 『夫が社長だから妻の私も偉いのよ』、『夫が総理大臣だから妻の私も偉いのよ?』笑わせるなっ!!
ラジオで耳にしたある医師・作家の話。 ◆余命を悟った患者が「自分の家に帰りたい」と訴える。それには二通りの思いが ◍「人生の最期を自分の家に帰って迎えたい」という思い 詳しい話はありませんでしたが、言葉の意味をよくよく吟味してみると、そこには微妙な思いの差があることに気づかされます。殺風景な病院より我が家でという気持ちには同感するものがあります。 半世紀以上前に、高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」という映画がありましたが、その「帰る」とはまったく違う話です(笑) 白状すると平爺は高峰秀子のフアンでした。
・親による幼児虐待死 連日のように殺人事件が報じられている気がしますが、これでもアメリカの10分の一くらいらしい。 『人の命は地球より重い』 この言葉は1977年日本赤軍によるダッカでの日航機ハイジャック事件で、犯行グループが服役中の過激派を解放するように要求してきた。応じなければ乗員・乗客を殺すと脅迫。時の福田赳夫首相の口から出た苦渋の言葉が『人の命は地球より重い』だと伝えられています。 殺人の動機は恨み・強盗・性的欲望・・・ときには動機も曖昧に、いとも簡単に人を殺める事件が珍しくない昨今です。 ◆ふと思います。戦争・・・罪もない人間同士が殺しあい、自らの命を捨てるのが名誉と褒めたたえられる異常さ。
先だって、幼児を虐待死させたニュースを見たとき、思わず「あんな親は死刑だ・・・」と口走っしまいました。 難問挑戦お疲れさま。20問すべて正解でもご褒美がなくてすみませんm(__)m
建立―こんりゅう 早急―さっきゅう 脆弱―ぜいじゃく 漸次―ぜんじ 古文書―こもんじょ 間髪―かんはつ 相殺―そうさい 遵守―じゅんしゅ 貼付―ちょうふ 御用達―ごようたし ご利益―ごりやく 月極―つきぎめ 他人事―ひとごと 凡例―はんれい 汎用―はんよう 完遂―かんすい 続柄―つづきがら 古文書―こもんじょ 出生率―しゅっしょうりつ 捲土重来―けんどちょうらい 正解 ◍19問以上~国語博士 ◍15問以上~一流の知識人 ◍10問以上~標準
「遺言」の読み方は? 平爺は「ゆいごん」だと思っていましたが、実は一昨年の文芸春秋3月号『88人の最期の言葉』という特集があり、山口瞳の項で「遺言はゆいごんではなく“いごん”と読むのが正しいと弁護士に教えられた」という一節がありました。平爺同様に「ゆいごん」と読む人もいるのではないでしょうか。 ◆ほかにも疑念を抱かずに漢字を間違えて読んでいるケースが案外多いのではないか・・・・と思って間違いやすい漢字をネットで調べてみました。(間違えて読んでも多くはそのまま意味は通じますが) ◆以下の漢字の正しい読みは?
建立 早急 脆弱 漸次 古文書 間髪 相殺 ★間違いや思い込みは誰にでもあるもの、意味が通じるのなら、あまりこだわらなくても・・・・と思うのは平爺だけの勝手な言いわけ?この日記をご覧くださる皆さんは、もちろん間違い読みはしないと思いますが。
6月24日は美空ひばりの命日、この日がくると思い出します。 29年前のこと。翌日の岩木山(別名津軽富士=日本百名山)登山を控えて、麓の湯段温泉に泊ったのが6月24日。夕食時に女将さんが「今日、美空ひばりが亡くなったとニュースが報じていました」と教えてくれました。 ◆ひばりの代表曲の一つに、津軽を舞台にした映画の主題歌「リンゴ追分」があります。♪リンゴの花びらが風に散ったよな・・・・お岩木山のてっぺんを綿みていな白い雲が・・・・情感こもった歌が聞こえてきそうです。その岩木山へ登頂した日が平成1年6月25日。数字の並びは「1625」、これは岩木山の標高1625mと同じです。それを狙ったわけではなく、宿の女将さんに言われて初めて知った偶然です。ひばりがもし生きていれば平爺と同じ昭和12年生まれの81才です。 ◆去る6月4日、昼の月が中空に浮かんでいるのが見えたとき、ひばりの越後獅子の歌を思い出しました。 岩木山登頂の記録 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub1036.htm
昨日の朝日新聞記事。またもや国会議員(大分県選出自民党)による低次元の問題発言。 厚生労働委員会に参考人として呼ばれた肺がん患者が、受動喫煙について患者としての立場から意見を述べていたところ「いい加減にしろ・・・」とヤジを飛ばしたというもの。 この程度の人物が国会議員か・・・常日頃、先生・先生とあがめられているうちに人格までネジ曲がってしまったのでしょう。 一昨日am4:17 東の空を見ると赤い光の柱。急いでシャッターを切る。2~3分で消えてしまいました。 ◆半世紀以上も昔、スポーツと言えば「野球」、記憶に残っている選手の名前は「青田・川上・杉下・吉田・金田・広岡・藤村・稲尾・森・広岡・中西・野村・・」 「大きくなったら何になりたい?」たいていの子供は「野球の選手」
◆年月が流れて登校時の友は「サッカーボール」に変わっていました。サッカーはボール一つあれば可、野球はそうはいきません。ルールも野球は複雑だが、サッカーはシンプルでスピード感もある。さまざまな要因で野球はすたれ、サッカーにとって代わられたのだろう・・と推測。
それにしてもサッカーの熱狂的興奮ぶり、あれには到底ついていけません。そもそもお祭り騒ぎが好きではない平爺、他人ごとの目線でテレビの協奏曲を垣間見ていました。 ◆昨朝の地元紙のベタ記事―ある中学校で「野球部があっても試合する相手がない・・・」と。大リークで活躍するスター選手はいても、野球の底辺は薄くなりつつあるような気がします。 平爺のような昔人間は「ポスト」と言えば郵便を投函する「赤い円筒型の郵便ポスト」を思い浮かべます。今は投函口が二つある四角形に変わり、円筒型はめったにお目にかかりません。 平爺のウォーキングコースには、江戸時代の北國街道の一部も含まれています。その道沿いに昔ながらの丸型ポストと、そこからかなり離れていますがもう一つ高さが3mあまり、円周は大人3人が手をつないでようやく届くかどうかという巨大な赤ポスト。後者は好事家が作ったものでしょうか、もちろん郵便を投函することはできません。初めて見たときはびっくり。製作費用も大変だったと思います。
◆ところで「ポスト」には郵便物投函箱のほかに下記のような意味も。 ・柱-サッカーのゴールポスト ◆郵便物はここ10数年で3割減とか。ポストも人待ち顔? 今日は夏至、昼間の時間がいちばん長い日。冬至と比べると約5時間の差があります-長野市。 「古池や蛙飛びこむ水の音」 芭蕉の句の中でも、とりわけ親しみを感じ、よく知られる句の一つ。 これをもじって「早苗田や蛙飛びこむ水の音」-平爺 初夏、耕運機で田起こしをすると、地中の虫がぞくぞくと這い出てきます。それを狙ってムクドリでしょうか群れをなして飛んできます。耕運機のあとをつけながら、労せずして大ごちそうをゲット。なかなかの知恵者です。 ◆「蛙の子は蛙」・・・子の性質や能力は親に似るもの。凡人の子はやはり凡人。出来の悪い子のたとえに用いられことが多い。 庭の隅っこに1坪ほどの家庭菜園。ナス・ピーマン・ミニトマトを各2本づつ育てています。緑のカーテン用にゴーヤ4本、キュウリ2本をプランター栽培。アオジソ・ミョウガはところかまわず芽を出して成長中。 ◆ナス-漢字は「茄子」と「茄」。広辞苑に載っているのは「茄子」の方です。ナスが花をつけたのを目にして思い出しました。 「親の意見と茄子の花は 千に一つの無駄もない」 解説は必要ないと思いますが、念のため書き添えますと「花をつければ必ず実が成る」の意。
また同じ話の繰り返しか~と言われそう
◆新車[NOTO]の乗り心地・走り心地の前に、カーナビを始めとしていくつか操作がわからずもたもたしている場面もありますが、ハンドルさばきや、プレーキなどの基本的な部分は変わりはありませんが、一度マニュアルを読まなくては…面倒くさいな~。 ◆兄弟会は朝食後解散。帰宅の途次に美ケ原高原隣接の一等三角点「武石峰」へ立ち寄りました。過去に2回訪れていますが、そのうち6月に訪れたときにはレンゲツツジの見事さが今も目に焼き付いています。今回は妻にも見せてあげようと思い、立ち寄りました。下界は小雨、標高が上がって行くと晴れ間ものぞくほどに。 残念ながら遠望は叶いませんでしたが、展望案内看板には白馬・・五竜・鹿島槍・・三俣蓮華岳・水晶・立山・剣‥槍・常念・穂高三山・・御嶽、乗鞍、恵那山と、日本百名山の名前がずらり。 ◆新車の初乗りは特に慎重運転。160㎞ほどをトラベルもなく、無事に走ってきましたが・・・ただ、美ケ原高原へ向かってかなりの勾配を駆け上がるときは、力不足だなーという感は否めず。排気量1200CCのコンパクトかーだから致し方ありません。これから3年ほど、爺の脚として仲良く付き合ってもらいます。
愛車「セレナ」を廃車したのは5月22日。あれから20数日。さぞかし不便をかこつだろうと思っていたがさにあらず、妻専用の軽自動車(日産moco)を共用、何の不便もなく過ごしました。買わなければよかった―(笑)— ◆60才定年退職後、数年してから長野へ転居。3分待てば次の電車が来る大都会とちがって、田舎暮らしは何かと不便になるだろう、妻にも専用の車を・・・ということで軽自動車を購入。当時の平爺は年から年中愛車を駆って全国の山をめぐり歩いていました。 ◆一昨年暮れ、胸椎圧迫骨折をしてから登山は激減。遠出することもほとんど無くなりました。習慣で「車が2台ないと超不便」と決めつけていたのは思いこみだけ。我が家は1台あれば十分でした。どうしても必要ならレンタカーという手もあった・・・と今頃気づいても後の祭り。 ◆新しい車は日産のコンパクトカー「NOTO」、1200CCという可愛い車です。以前、悪路をものともせずに走っていた日産・テラノやトヨタ・ハイラックスサーフという3000CCクラスのタフなオフロード車に比べると玩具?ししかしコンパクトカーと言えども一つ事故を起こせば結果の重大性は同じ。覚悟してハンドルを握ります。 ◆運転は安全厳守で85才までと決めていますが、状況によってはそれ以前に免許返納を考えるかもしれません。実はこの前の買い替えのときも、80才で運転は卒業と決めていたのです。あと3年半「85才」は絶対に守るつもりてす。
兄弟会に行ってきました。松本市郊外の浅間温泉一泊。 長女と三男は既に他界。参加したのは連れあいも合わせて9人。高齢化や体調など、諸事情もあって集まる機会はさらに難しくなって行きそうです。
長閑さや 浅間のけぶり 昼の月 (一茶)
◉今日は久しぶりの兄弟会。美ケ原の麓、浅間温泉一泊の予定。明日の日記はお休みするかもしれません。 ◆寺院門前-今月のことば 生きているということは Webの解説
(ここまで書いたところでカミさんから「・・・・自分でちゃんとやりなさいよ」という邪魔が入りました。何の小言かわからないが・・・「わかった」と生返事だけしておきました。親子と夫婦の違いです(笑) あの鬼親による幼児虐待という悲しい事件は、平爺の心に張り付いたままです。 「四季の歌」-作詞作曲荒木とよひさ 歌手芹洋子 ********************************* 「認知症の親の介護のためにやむを得ず退職。しかしその親が亡くなってからも気が抜けたように求職活動をせずに失業状態にある人が急増している」という実態を切り取ったNHKのドキュメンタリー番組を見ました。こうした失業者が大きな社会問題化しつつあるとの警鐘でした。 ◆山よりも高く、海よりも深い親の恩に報いること、すなわち親の介護の結果として自分の人生が危うくなっていく。見えないところで、綺麗ごとでは済まされない問題が深く静かに進行している。どうすればいいのでしようか。
日大アメフト問題が衆目を席巻。その陰に隠れて「神風だ」とほくそえんでいたのは政権与党、就中疑惑の渦中にある安倍総理では。森友・加計疑惑-隠蔽・改竄・嘘・記憶にない・・これでも民主主義国家?国民が納得できた説明はあっただろうか。加えて腹の立つのは、アル・カポネよろしくハットを得意げにかぶり、品性のない言葉ですごんで見せる渦中の財務担当麻生大臣。 ◆内部調査をしたというが、あくまで内々の調査。泥棒か仲間の泥棒を調べているようなもの。その結果を信用しろという方がどうかしている。報道を見ている限り、とりわけ暗闇の中に覆い隠されているのは「安倍総理と夫人の関与疑惑の真相」、「昵懇親友の加計理事長と総理の忖度疑惑の真相」です。 政治史にも残るような大疑惑が晴れぬままに終止符を打つ気配。多くの知識人が「民主主義政治」を危惧する発言をしています。 ●政治に疎い平爺ですが、偏った権力の怖さを改めて痛感しています。国民のレベル以上の政治は育たない・・・試されているのは国民自身、腹を据えて政治の行方を見つめていきたい。 【古い友人Aさんからの便りの一節】
日の出は4時28分。今の季節はウォーキングスタート4時前後と決めています。東の空には朱がさして、足元もすでに明るくなっています。 ◆千曲川堤防を歩いていて、踏みつけそうななったのはスズメの死骸。衰弱で力尽きたのか、それとも自動車にでもぶっつかったのか。厳しい冬をせっかく越したのに・・・。草むらの中へそっと移しておきました。 ◆冬季は草が枯れてしまうのでウサギちゃんへのエサやりは中断。4月末ころから好物のアカツメクサがどんどん伸びてきました。ほぼ毎日、立ち寄って与えています。飼い主の許可もないのに与え過ぎはいけませんから、その量はわずか。頭をなでてやると気持ち良さそう。 スズメもウサギも、見ているとやさしい気持ちにさせてくれます。 結愛ちゃん虐待死の報道から時間がたっても憎しみがおさまりません。 甘えたい盛りの5歳の女の子が、灯もなく真冬でも暖房のない部屋でたった一人、ときには真冬の夜にベランダに立たされている姿を想像すると、さらなる怒りかこみあげてきます。まさに人の面をかぶった悪鬼悪魔。人はどこまで残忍になれるのか。 「蛇の生殺し―へびのなまごろし」という言葉があります。結愛ちゃんの虐待は生かしも殺しもしない、虐めるだけ虐め、苦しむ姿を見て快感を味わっていたとしか思えない。その罪は殺人よりはるかに重いと思います。 当地は田植えの時期。田起こしから代掻き、そして田植え・・・気がつけば知らぬ間に全部終わっていたという感じ。昔はその時期になると一家総動員、何日もかかる「お祭り騒ぎ」の大行事でした。今はすべてが機械化、農作業をする人影もほとんどないのが何だか淋しい。 ◆「お百姓さんありがとう」・・・戦時中、国力はすべて戦争に注ぎ込まれ、食料は極端に不足、「欲しがりません勝つまでは」というへんてこりんな標語が幅を利かせていました。 ◆時の軍事政権は、やましさを感じてか、「お百姓さん ありがとう」を学校の昼食時に声をそろえて児童たちに言わせるように指導。平爺もおぼろげながら記憶に残っています。 ◆早苗がそよぐ田んぼの道をウォーキングしていると、終戦前後の食糧難の頃のことが、あれこれ頭に浮かんできました。あふれ返る物に埋もれた戦後生まれには、食べ物が無いという残酷さは想像もつかないでしょう。わが子に食事を与えないバカ親は別として・・・。 ◆政府広報――日本の年間食品廃棄量は1900万トン、世界の7000万人が1年間食べていける量で世界の1、2位を争うほどだそうです。時代は変ったネ~ 結愛ちゃんの虐待・育児放棄の末の死亡。これが殺人でなくて何というか。いや、殺人よりもっとむごく残忍極まりない憎むべき犯罪。平爺も一人の人間として決して許せない。それはまさしく「拷問」、犯人には目には目、同じ痛み責め苦を味わわせたい衝動にかられます。 一つ狂うと、人は際限なく残酷な動物に豹変してしまう。人の悲しい性でしようか。 ◉東京都知事が児童相談所の機能強化を語ったらしい。職員を増やせばいいというものではない。きちんと向き合える体制・能力のある人材を配置してこその機能強化ではないでしょうか。機能強化を伴わないセーフティネットなら、改革の意味はない。
◆『禍福は糾える縄の如し』、これは日記用メモの走り書き。何を書きたかったのだろうか?思い出せない。禍いと福とは、縄をより合わせたように入れかわり変転することで、四字熟語では「禍福糾纆—きゅうぼく」というそうです。 テレビにもよく出ていた岸井さん、平爺が好きなジャーナリストでしたが、そう言えば最近見なかったな~。
◆人類は未知の領域とも言える長寿社会に向かって進んでいますが、いくら科学が進歩しても人は永遠には生きられない。いつかは死ぬ。生きていればこの先どんな災禍が待っているか誰にもわからない。いつ逝くのか、運を天に任せるより仕方がない。 ◆夜、布団に入って眠りに落ちるまでのいっとき、他界している母のことであったり、幼かったころの孫のことであったり、過去の光景がとりとめもなく脳裏に浮かぶことがある。人生下り坂をとぼとぼと行く者のありようかもしれない。
平均寿命の推移(厚労省のHPより) 「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」―親鸞上人— ◆日大アメフトのことではありません。「日本三大×××」というのはいろいろありますが、今日は頭の体操をしてください。それぞれ残りの一つはどこでしょうか。左から1位、2位、3位の順番です。
① 日本三景———・松 島・ ・安芸の宮島 登山目的で全国をまたにかけ、車で走り回ったおかげで、いろいろな名勝地も見ることができましたが、じっくり観光したというケースは案外少ないかもしれません。目的はあくまで登山、一座でも多く登るのが目的でしたから。 ★耶馬渓は訪れたことがありませんが、すごい景勝地のようですネ。だが見る機会はもうなさそうです。
恥ずかしながら「コスブレ」というカタカナ言葉、何となく分かっているような分からないような・・・・頻繁に耳や目に入って来るのにねー。調べてみると「コスチューム・プレー」の略で、アニメのキャラクターに変装したりして、その立場になりきることだと。 幼児虐待死のニュース、またか・・・。怒りがおさまらないと同時に涙がとまりません。 児相職員を非難するつもりはありませんか、正直な気持ちは「何か防ぐ手だてはあったはず」、あるいは「有能なやる気のある職員を配置する」などの対策が講じられていたら・・・。 ◆結愛ちゃん、蝶々が舞い飛ぶお花畑で、小鳥たちと追いかけっこをしたりして思う存分跳び回って遊んでください。そこには結愛ちゃんをいじめる大人はいませんから。
◆科学の進歩には終着点というものがない。その速度はますます加速しているような気がします。人工知能=AIやロボットの進化で、人の働く場がなくなってしまうかも?
それに反比例して気の遠くなるような年月を経て進化してきた人間の機能は退化の道をひた走るのでは。SF小説なら面白いが、科学進歩の加速化を考えれば、300年、1000年先の話ではなく、30年、100年先のことかもしれない。つまりわれわれ世代の孫の時代には・・・・あ~、考えまい。
◆そしてまたもや思い出すのが、故菅原文太さんのことばです。「科学の進歩はもうこのくらいで良いのではないか・・・」とか「科学は万能ではない」という言葉。次々とそそり建つ超高層ビルやリニア新幹線、地下空間の利用などの超高度文明にどっぷりと浸かっているとき、想定外の地震が無いと誰が断言できよう・・・大丈夫と言っている言葉をほんとうに信じて良いのか?最終兵器と言われる核兵器をさらに上回る兵器が開発されるかもしれない。数発で地球上の全生命体を滅ぼすような・・・。
もしかすると人類は今、二者択一の分帰路に立っているのかもしれない。
◆科学は人類を幸せにしたか。ノーベルがダイナマイトを発明して戦争の形をよりむごいものに変えてしまったし、優秀な物理学者オッペンハイマーは核兵器を開発。今その核兵器の取り扱いに世界は苦慮している。 ★「超特急“科学の進歩号”はもうブレーキは効かないかもしれません。(無知な平爺ですが、科学の進歩が人類滅びの道でないことを祈ることだけはできます) 「ミステリー列車の旅」・・行き先を知らせないツアー募集がありますが、それになぞらえて科学とは。 ◆科学の進歩は、確かに快適性や利便性の向上に大きく貢献したり、治らなかった病気か治るようになったりしています。東京から大阪出張も軽く日帰り、東京⇔ロサンゼルスも10時間そこそこでひとっ跳び。でもよいことばかりでもなさそう。たとえば人間が本来備え持っている能力を退化させているという。 ◆家庭も職場も空調機器が使えるようになり、人は昔より汗をかかなくなったらしい。「汗をかくことで体温調節をする」という能力を使わないことで退化していく。長い時を経て進化してきた機能が、科学の進歩と共に今退化への逆の道をたどっている。マイカーの普及で第二の心臓と言われる脚の機能も退化が危ぶまれる。これらはラジオからの聞きかじり。 ◆リニア新幹線、超高層建造物・・・などは未曾有の大地震が発生したらどうなる?過去最大級の震災にも耐えられる設計と言っても、想定以上の大規模地震が起きるかもしれない。原発を完全にコントロールできると思うのは伝説に過ぎないことが証明されたし、原子爆弾はボタンを押せば何千キロも先の標的まで正確に飛んでいく。 ◆人類はさまざまなリスクを克服したような気でいるが、それは傲慢過ぎる思い違いではないのか・・・驕りを抑える「虞れ」も大切ではないかと言うことばに同感できました。 (明日の日記へつづく)
◆季節外れですが、たまたまラジオから「秋の七草」の話が。 春の七草は和歌の5・7・5・7・7調(せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ・ はるのななくさ)で記憶しているが、秋の七草は思い出せない。ハギ、スス キ、キキョウ、オミナエシ、ナデシコ・???あとの二つがどうしても・・・。何とか思い出そうとして2時間近くのウォーキング中、頭を捻ったがダメでした。帰宅後PC検索すると残りの二つはクズとフジバカマ。 ◆ネットには要領よく覚えるための語呂合わせがありました。 『お好きな服は―おすきなふくは』 これでもう忘れない・・・と思っても、ゴロを忘れたらハイそれまで。齢80にもなると記憶することが大の苦手。ほんとうに大変なんですよ。このよもやま日記に同じようなことを何度も書くのも、前のことを覚えていないから。この歳になると認知症っぽい年寄りの気持ちが、少しは分かるようになってきました。(笑)
昨朝の千曲川河川敷は、雲海のように美しい霧。その中のウォーキングでした。 悪の根元?内田監督が、監督と常務理事職を辞任したとのニス。辞任ではなく「解任」が適当との声もあるらしいが、一世を風靡したこの事件も記憶から遠ざかっていくのでしょうね。
野球やサッカーなどとは人気度は格段の差、繰り返し放映される反則場面だけ見て「あれがアメフトというものか~」と思った人も多いと思います。唯一得るものがあったとしたら、この事件でアメフトの知名度が上がったということでしょうか。 ◆余談ですが、日大って凄い学校ですね。その学生数にびっくり。
『五月雨』-陰暦の5五月ころに長く降る雨(梅雨)で、さみだれと読むのは熟字訓だからとのこと。 ◆「熟字訓」とう語を81才にして初めて知りました。Webからの借り物知識ですが感動に震えて?少しだけ書かせてもらいます。今は義務教育で熟字訓を習うようですが、平爺は習った憶えがありません。 【五月雨を 集めて早し 最上川】・・・芭蕉
◆五月雨の語の「五月」は旧暦の5月、すなわち新暦なら六月。梅雨の時期に何日も降り続くイメージが五月雨の本当の意味とのこと。 —さて熟字訓ですが― ◆「五月雨」という熟字訓をもう少し詳しく言うと 明日-あす 硫黄-いおう 田舎-いなか 神楽-かぐら 灰汁-あく 絢爛-けんらん 理解力の衰えたこの脳みそで、これだけ書くのにweb検索をしたりて、要点を理解するのにかなりの時間を要しました。まさに頭の体操。 ●熟字訓の読み方には原理原則のようなものはなく、一語一語暗記していくより仕方ないと思います。いくつあるのか知りませんが、外国の人が日本語を勉強するのはさぞや大変でしょうね。 (本日の日記はほとんどwebからの引用です) 今朝の朝日新聞・「朝日川柳」欄、実に気分よく、納得して読ませてもらいました。転載はご法度だと思いますが、大目にみてください。 ●ぎりぎりと国中奥歯がきしむ音 ●医師の指示国会中継見ちゃならぬ ●捨て駒で逃げ切り謀る加計の賭け ●へらへら留守を狙って詫びに来る ●巨悪とともに眠る検察 ●良識と正義は哀れ蚊帳の外 ●栄転の沙汰待つナニワの特捜部 「人を恋ふる唄」・・・平爺と同年代の方なら歌える方も多いのではないでしょうか。ときどき風呂で歌っています。原詩は与謝野鉄幹。 ◆日記のネタメモに「人を恋うる歌」と走り書きあり。いつ、どうして書いたのかは思い出せないがかなり古いメモ。血潮おどる若きころ、よく口にした歌で、歌詞があれば今でも歌えます。
①妻をめとらば 才たけて みめ美(うる)わしく情ある 16番まであるようですが、4番までは歌った記憶が残っています。 5番以下の歌詞を知りたい方は以下のサイトへ
カレンダーをめくって6月―陰暦では「水無月」、旧暦の4月18日らしい。 ◆今は二十四節気の小満-末候 の「麦秋至-むぎのときいたる」。 ◆今年は梅雨入りが早いらしい。水不足は米作農家にとっては死活問題。被害が出ない程度にほど良く降ってくれればそれがいちばんですが、期待通りにいかないのが自然の摂理。 ◆早くも6月か・・・年寄りにはまさに「光陰矢の如し」。アルバム整理など、終活のこともいろいろ考えて新しい年をスタートしたのに、ほとんど何もできずに今年も折り返しが近づいています。 ★平爺が昔から嫌いなもの・・・地位・権力を誇示し、振り回す輩。推測していただけますね。政管・スポーツ・ブラック企業・・・気ちがいに刃物。すみません、これは差別用語でした。取り消します。 |
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