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2018.09.30() 人類にとって「便利さ」は幸せ?

稔りの秋

この夏、暑い夜でも快適な睡眠が可能でした。昔は汽車で5時間も7時間もかかった東京は1時間半で行ける時代。便利であることに異はない。

◆普通生活している中で、最近「これがあれば・・・」と新たな欲望をそそられるような物はありません。それでも新聞・テレビ・折込チラシなどで、次々と新商品の宣伝が怒涛のように押し寄せてきます。どこの家庭にも衝動買いしたり、宣伝につられて購入はしたものの、手づかず同様で放置された物がきっといくつかあると思います。殊に運動器具が多いらしい。

◆無駄というだけで済むならまだしも、限りある地球資源の浪費、そして地球環境の汚染・・・・それでも尽きることのない欲望。
人々は「便利さを追いかけ、物に埋もれた生活に心底幸せを感じるというより、実は物に埋もれて疲れているのではないだろうか」、自分も含めてそんな疑問も湧いてきます。我が家の物置にも、何年も手づかずのものがゴロゴロしています。

今月2回あった3連休、折込みチラシがどさっと入っていました。過剰消費という背景が無かったら、今や社会が成り立たなくなっているのも確か。あと戻りは不可能。

倹約、節約、米一粒も、布の切れ端し一枚も、読み終わった新聞紙一枚も大切にして暮らした過ぎし日を、ふと回想することがあります。

2018.09.29(
) 秋の七草

フジバカマ

今朝のウォーキング中、フジバカマの花を目にしました。そこで秋の七草をススキ・キキョウ・ハギ・ナデシコ・フジバカマと復唱するが、どうしても五つしか出てこない。帰宅してから楽な覚え方はないのか・・・とweb検索。

春の七草は 七五調の語呂(ごろ)がよくて覚えやすい。

「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」

秋の七草は頭文字で「お好きな服は→お・す・き・な・ふ・く・は」

  「おみなえし・すすき・ききょう・なでしこ・ふじばかま・くず・はぎ」

  覚えたつもりでも、「お好きな服は」を忘れたらおしまいか(笑) 

蛇足・・・webによると、春の七草は食べられるが、秋の七草は食べられない。真偽のほどは知りませんが、そう言えば春は七草粥がありますが、秋の七草粥はありませんね?

2018.09.28()  高山植物

オヤマリンドウ

ここ3年ほどは、標高の高い山へほとんど登っていません。最後は2015年の中央アルプスと白馬三山のみ。高山植物に会う機会もありませんでした。

先日の火打山・妙高山登山で、久々に山の花を何種類か目にしてきました。しかし、長いこと会わなかったせいで名前が出て来ません。これまでは登山から帰ると高山植物図鑑(日本の高山植物-山と渓谷社刊、約700ページ)を開いて写真と見比べ、名前を見つけるのが楽しみ。それで名前を憶えていったものです。しかし加齢に伴って記憶してきた名前の多くが、脳みそから消えていくのを止めることができません。先日の登山でそのことを一層気づかされました。せっかく覚えてきたのに・・・。

思い出せないのは、ただの「忘れた」ではなく、認知機能・・・つまり認知症の始まりかもしれません。日常生活においても「あれ?どこにしまったかな~」ということもたびたび。
花の盛りも過ぎて、火打山・妙高山で目にした花の種類はわずか数種類ですが、それでも久しぶりの対面に何回も脚がとまりました。
タカネトリカブトヤマハハコハクサンボウフウオヤマリンドウミヤマキンポウゲ黄葉のイワイチョウシラタマノキミヤマコウゾリナ・紅葉のナナカマド etc.

◆きつい登りに喘いでいるとき、そこで可憐な高山植物を目にすると「ガンバレ」と声をかけてもらっているような気になるから不思議です。
★この先、高山植物の花に出あえるような山へ登ることが出来るかどうか・・・そう思うと一抹の寂しさを感じます。


2018.09.27(木) 秋らしく・・・・

今朝の気温は14℃ほど、急に秋が進んだ気がします。
早朝ウォーキングには最適な気温、2時間歩いてきても一滴の汗もかきません。
先日、火打山・妙高山へ登ってきましたが、運動量は登山とウォーキンではまったく違うことを再認識しました。
これから霜が降りるころまでがウォーキングに最適な時期です。休まずに続ける・・・つもりです。

火打山・妙高山の山行記録をアップしました。登山から1週間が過ぎると、思い出せないことがいろいろあれます。認知症が始まったのかな~いや進んだのかも? 山行記録は下記へ。
  http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub1081.htm


2006.09.26(水) -2- 中秋の名月

一昨日は満月-真ん丸お月様を一瞬だけ見ることができました。上京して用事を済ませ、帰宅した8時頃です。

雲が邪魔して『中秋の名月』を見られなかった方も多いかもしれませんネ

◆雲が広がって諦めたかけたとき、雲の隙間からお月様が一瞬顔を覗かせました。しかし流れる雲が邪魔でなかなかシャッターチャンスがない。20分ほど空を見あげてねばると・・・完全な形の月。手ぶれしないように気をつけて数回シャッターを・・・。何とか真ん丸お月様を撮ることができました。

ところで「仲秋の満月」と「中秋の満月」の違いはあるのでしょうか。Web検索してみました。

◆「仲秋」とは、秋を初秋(旧暦7月)、仲秋(同8月)、晩秋(同9月)の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指す。つまり旧暦の8月中の満月なら「仲秋の満月」と呼ぶことができる。

◆「中秋」の方は「秋の中日=陰暦815日のみ」、したがって「中秋」が満月となる確率は非常に少なくなる。

月は理屈で愛でるものではありません、美しく感じられればそれで良し。それが平爺流です(笑)

2018.09.26(
) がんと寿命

山の幸

歳のせいか平均寿命、ガン、葬儀、墓、介護施設・・・新聞記事やテレビ番組があるとつい真剣に見てしまうこのごろ。長寿社会となってそうした報道が溢れている気がします。

今日はガン生存率の話。癌ならまかせといて・・・自慢にもなりませんが3回も手術しているのだから(笑)
   48才――直腸がん全摘手術
   67才――前立腺癌全摘手術
   ◍78才――ボーエン病・背中の病変部切除手術

80才過ぎまでよく生きてきたな~(笑)『生』への執着が強いのから?
何日か前にガン生存率の報道を目にしました。
https://mainichi.jp/articles/20180912/k00/00m/040/171000cからの引用です。

◆国立がん研究センターは、2011年にがんと診断された人の『3年後の生存率』を公表。全体の3年生存率は71.3%。ガンの種類にもよるが、「ガン=死」と決めつけるのは過去の話。

◆前立腺がんは99%、女性の乳がんは95%と生存率が高かった一方、治療が難しいとされる膵臓がんは15%で厳しいガンであることがわかります。

下表はガンのステージと、発見時から3年後の生存率の関係(%)  

ステージ   胃  大腸 肝臓   膵臓 乳がん
 1  96.1 96.7  76.4  88.0  100.0
 2  74.4 92.9  62.8  59.4 8.0 
 3  55.2 83.6  22.7  33.6  88.3 
 4  14.1 30.3  5.9  11.8  54.4
 全体  74.3 78.1   53.6  49.4  98.0

これを見ると『ガン=死』という思い込みは薄れるかと思います。膵臓・肝臓は厳しいですが、その他のガンは、まだ人生の道は続いている、前向きに生きられるという気がします。平爺も告知されたときはショックでしたが、その後は意外に平然として生きてきた気がします。





お知らせ--都合で24日・25日の日記はお休みさせていただきます。


2018.09.23() 秋祭り

 六文銭の幕

秋は祭りの季節、それぞれの町内で氏神様の祭礼が行われています。娯楽のなかった子供のころ、小銭の硬貨を握りしめてガス灯の灯る出店を見て歩くのが楽しみでした。祭り当日はその集落の子供だけ半日授業になりました。

平爺の町内にある神社の幕は、信濃国の武将、真田家の紋章と同じ六文銭です。真田家とどのような縁起があるのかは知りません。
交通安全委員をやらされ?ていることから小児用の神楽巡行見守り役でした。


平爺と同様、よそからの転入者も増えて価値観も多様化、神社信仰とは縁のない人々も多くなり、関心も薄らいでいるようです。子供たちは祭りに行くよりスマホでゲームをやっている方が楽しいかも・・・年寄りはのんびりとテレビでも見ている方がいい・・そんな時代かもしれません。
正直に言うと役でも回ってこない限り、祭りの雰囲気に誘われて神社へ行ったということはありません。

幼かったころを思うと、価値観・生き方・娯楽・地域の人間関係・・・さまざまなものが急速に変化しています。


2018.09.22(
) 一茶句碑(4 )

登山の筋肉痛をまだ引きづっています。弱くなったもの・・・「歳だから仕方ない」では自分が納得しない。ではどうしたらいいの?答えがあろうはずがない。つまり「あきらめろ」ということ。

◆今日は長野市長沼地区妙願寺にある句碑です。
  『牛馬も 元日顔の 山家哉』

ほのぼのとした温もりが伝わってくるような気がします。

◆昔、農家にとっての牛馬は今の耕運機・トラクターと同じ存在でした。その分牛馬を大切に扱い、平爺の母の実家では家族の住む同じ屋根の下の一角が牛舎になっていました。つまり人も馬も同じ屋根の下で暮らしていたわけです。田植え前の代掻(しろかき)きは、平爺が手綱をもって日がな一日、田んぼの泥の中を一緒に歩いていました。懐かしいな~
一茶のこの句、平爺にはことさらに身に染みてよくわかります。

◆夕暮れどき、一日中泥田を歩いて牛も人も疲れ果てて田から上がります。牛から代掻き器具を外してやると、喜び勇んで自分で家へ帰っていきます。平少年は疲れた足を引きずってそのあとを追っていくのです。絵になりそうな光景ですね(笑)
 『牛馬も 元日顔の 山家哉』・・・幼かった日がよみがえりました。

18.09.21(金) 山友、日本百名山達成おめでとう!!
・・・(つづき)

脚の筋肉痛が一日では回復しませんでした。衰えたものです。
紅葉と火打山

火打山・妙高山は比較的身近にあって、何回も登っている山ですが、日本百名山達成なったA子さんは、関門海峡を越えた西国のお住まい。遠い北海道にも日本百名山は9座、東北には13座あります。はるか北の国まで遠征しなくてはならなかったA子さんの踏破達成は、気力・体力と合わせてそれだけ重みも違うと思います。
◍北海道7座・利尻・羅臼・斜里・阿寒・大雪山・トムラウシ
      ・十勝岳・幌尻岳・羊蹄山
◍東北13座・八甲田・岩木・八幡平・岩手・早池峰・鳥海・月山
      ・蔵王
・飯豊・大朝日・磐梯・吾妻・安達太良

日本列島の中間に位置する東京近辺の方には大変有利とも言えます。平爺が日本百名山に挑戦したのは東京勤務のとき、3年で踏破することができたのは地の利が大きかったとも言えます。

◆それにしても平爺の脚力の退化は覆いようもありません。A子さんの後をおうのが精いっぱい、余裕がありませんでした。中級山岳と言われる2500m程度の登山も限界が近づいていることを認識する登山でした。
平爺から「登山」をとったら何が残るの?一昨年暮れのアクシデント、脚を滑らせて胸椎圧迫骨折が引き金となったのか、気力・体力の老化が加速している気がします。淋しいことですが、登山らしい登山は今回が最後になるかもしれません

【平爺の日本百名山のことは下記に】
   http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub1001c.htm
   http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub1001b.htm


2018.09.20(
) 山友、日本百名山達成おめでとう!!


喜びの日本百名山達成の瞬間

予定通り2 日間の日程で火打山、妙高山を無事に登頂してきました。A子さんは晴れて日本百名山すべて踏破です。
 

平爺の百名山達成は28年前の飯豊山(福島・新潟県境2128m)、同じ9月でした。A子さの成し遂げた喜びと満ちたりた様子を見ていると、28年前の自分を思い出します。
彼女がここまでにかけた歳月は6年、ほかの百名山達成者の比べても、かなり早いベースだと思います。

山行の詳しい記録は後日、このHPに載せますが、2500m級の山岳を2座つづけて踏破するのは、80才を越え、気力体力も落ちていく一方の平爺には決して楽な山ではありませんでした。ちなみに2日にわたる登山で、登りの合計は2100m(概算)ほどになります。

軽いハイキング程度は別して、本格的な登山は卒業のときがきている気がします。平爺のこれまでの登山で、今回がいちばんきつく感じました。

2018.09.18(火) お知らせ

18192日間、よもやま日記はお休させていただきます。

今月上旬、「日本百名山」の最後となった火打山・妙高山へお知り合いのA
子さんに同行登山の予定でしたが、天候不順で延期。ようやく今日・明日の2日間で登ることになりました。

ただいま4時、ふだんはウォーキング出発の時刻、これからマイカーで自宅出発、赤倉温泉宿泊のA子さんと合流。秋の山を楽しんできます。

◍写真はウォーキングコースの千曲川堰堤から眺めた夜明けの妙高山(2454m)です。明日はあの頂に立ちます。


2018.09.17(
) 川原の天然温泉の思い出

温泉に特別な思い入れがある訳でもありませんが、登山を通して珍しい温泉にもいくつか出あいました。

◍知床半島のカムイワッカの温泉は先日書いてしまいました。

◍長野県北端の秘境、栄村秋山郷の切明温泉。まさに秘湯です。河原を掘ると温泉が湧き出て自分専用の露天風呂となります。「野湯」と呼ばれ入浴料無料、時間制限なし。

道路から吹上げの湯を見下ろす

◍群馬県白砂渓谷の尻焼温泉。せき止めた渓流がそのまま巨大な露天風呂となっています。もちろん無料。脱衣場はあったかな~? 白砂山登山の後の汗流しに最適。

◍和歌山県熊野の露天風呂、川底から湧き出す源泉と、熊野川の支流大塔川の流れが混ざり合った巨大な温泉。入浴というより川遊びという感覚。

◍川湯ではありませんが、秋田県の泥湯温泉も野趣たっぷり、一度は入ってみたい温泉です。

◍これも川原の温泉ではないが野趣たっぷりの湯。妻と北海道山旅の途次に立ち寄った有名な露天風呂『吹上温泉』。原生林に囲まれた無人の温泉で勿論料金不要。急斜面の途中に設けられた温泉で、岩の窪みが三つの湯壷を作り、溢れた湯が谷川に流れ落ちていて、完璧な露天風呂。脱衣小屋もなく丸見え、勇気がないと女性には入れそうにない。

珍しい湯がまだまだあったはずですが思い出せません。

2018.09.16(
)  鶺鴒鳴(セキレイ鳴く)

ラジオ深夜便の最後は二十四節気 七十二候の紹介です。
七十二候(しちじゅうにこう)とは、古代中国で考案された季節を表す方式のひとつ。二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた期間のこと--(参照-http://24sekki.tourmap.jp/?eid=7)

◆今は旧暦の長月 節季は白露 次候は 鶺鴒鳴(セキレイ鳴く)
そう言えば子供の頃は川辺などで普通に見られたセキレイ、ところがここ何年も目にした記憶がありません。腹が黄色で長い尾を上下にせわしなく振って川辺の石ころの上を身軽に動き回っている姿が目に浮かびます。尾を上下に振る習性からイシタタキとも呼ぶそうです。食べ物は川辺の昆虫などとのこと。
印象としてはとてもスマートで気品を感じる野鳥だと思います。 (写真はフリーサイトから拝借)

◆あきる野市、盛岡市、喜多方市など多数の区市町村が指定の鳥としているそうです。人の間近で可愛がられてきた鳥ということでしょうか。

2018.09.15(
) 星と夕焼けの記憶

一昨日、夜明け前のウォーキングは久しぶりに澄み切ったきれいな星空。星座の知識には疎いものの、オリオン座の三ツ星はすぐ目に飛び込んできました。星空というと30年前の1988年、南アルプス悪沢岳から赤石岳・聖岳へ縦走したおり、百間洞の山小屋へ泊った翌朝、夜明け前に小屋を出て空を仰ぐと満天の星、それはこれまで目にしたどんな星空も比較にならない異質の美しさ。マッチに火をつけたほどの明かりもない漆黒の闇、天空を仰ぐと大小無数のダイヤが、隙間もないほどに頭上を埋め尽くしているよう。言葉でそれを表現することは無理。
そのときの登山記録には次のように記してあります。

薬師岳のサンセット ・・・19年前の夏

『とぎれ途切れにまどろんで朝3時、予定の時刻に起床。外に出てみる人工の灯ひとつとしてない漆黒の闇の中、無数のダイヤモンドを撒き散らしたような荘厳な星空、にしばし目を離すことができなかった。百間平、中盛丸山などが、空から降りて来たように黒々と横たわり、幽鬼の凄みさえ漂う。どうやら今日こそは絶好の登山日和になりそうだ』云々。

◆百閒洞の星と並び、今も目に焼き付いている夕焼は、北アルプスの薬師岳小屋からの光景。これ以上の夕焼けは、以来目にしていません。登山を趣味としたおかげで、普通なら目にすることのできない素晴らしいものに出会って来られた。その登山もそろそろ終わりが近づいているのを感じているこのごろです。

【薬師岳夕焼の感動記録】・・小屋の夕食を済ませた後、天気は急速に良くなってきた。小屋の前に出て落日に見入った。西の空を真っ赤に焼き、天空いっぱいにオーロラのような夕焼けを演出してくれた。こんなに素晴らしい夕焼けを見たのはいつのことか思い出せない。いまも瞼に焼き付いている。里では見ることのできない素晴らしい落日だった。


2018.09.14(
) 気候変動

集中豪雨、台風、地震・異常猛暑・・・日本はまさに災害列島の感ありです。こんなことが今までにあったでしょうか。
世界的にも記録的な大雨、台風、地震、山火事、寒波・熱波、・・・地球全体が何かにとりつかれたようです。Web検索すると北アフリカの一部では経験したことのない高気温となっている場所があるかと思えば、降雪の記録がないところに雪が降ったり、南極では史上最低のマイナス98℃を記録云々。

この現象は一時的で稀な現象なのか、それとも地球環境が激変している兆候なのか。知識もない一般の人々が不安な思いにかられるのはあたりまえだと思います。大昔なら神の祟(たた)り、静まって下さるようにと生贄(いけいにえ)を供えて祈願の行事を行ったかもしれません。

◆『温暖化ガス効果』がよく言われます。地球の気候を大きく左右すると言われる海水の温度が、温暖化によって上昇、深海にまで及び、この100年間で、海水温は平均で0.5度上がっている・・・たった0.5℃が大変なことで、このような災害をおこしているとすれば、高温化がさらに加速すればどうなってしまうのか。

2018.09.13() 高所の秘湯温泉・・・標高約2000mの山中

温泉巡りが趣味という方は多いのではないでしょうか。先日のよもやま日記はランプの温泉宿のことでした。もう一つ登山愛好家以外にはあまり知られていない秘湯温泉“高天原温泉”“白馬鑓温泉”を思い出しました。標高は、前者が約2000m、後者が約2100m。車道もケーブルもなく、頼るは脚だけ。平爺が登山の折に立ち寄った温泉です。

高天原温泉-平爺62才

◆行き着くのに日本で一番大変な温泉は? 
平爺の知る限り、それは黒部川源流とも言える山奥にある「高天原温泉」だと思います。登山装備で山慣れた登山者でも14時間2日行程、普通の脚なら3日行程です。

場所は、登山愛好家が憧れる北アルプスの奥座敷「雲ノ平」から、さらに2時間以上の山道を歩かなければなりません。日本一遠い温泉と言ってよいかと思います。
露天風呂が少し離れて2カ所あり、平爺は奥の方の湯=からまつの湯に入りました。

掘っ建ての脱衣場と、女性用風呂の囲いだけが人の手をかけた造作物、そのほかには人工物一つ見当たらないまさに大自然の中の小さな露天風呂。数人も入れば満員。まさに野趣たっぷり。このときの先客は男性一人のみ。しばしうっとりと湯に浸かるが、このあとまた長い長い行程が待っている。たちまち汗にまみれます。

◆もう一つは白馬三山の白馬鎗ケ岳から下ってきたところにある白馬鎗温泉。標高2100m、ここには山小屋もあって宿泊もできます。登山口の猿倉荘から歩くと3時間の厳しい登りです。温泉は“風呂”というより大きな池です。

温泉の良し悪しは別として、苦労してたどりついたという自己満足の世界の温泉です。温泉マニアの方はチャレンジしてみませんか。平爺にはもう無理ですが。
   高天温泉登山記録  http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/tuiso-1364.htm
  白馬鎗温泉登山記録 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/tuiso-1411.htm

2018.09.12(
) 今月のことば

毎月更新される寺院門前の今月の言葉

『人生に失敗がないと 人生に失敗する―斉藤茂太』

とたんに浮かんだのは「失敗は成功のもと」と「失敗するから人生」

暗くて掲示板の“斉藤茂太”がよく読めなかったので、歌人の「斉藤茂吉」かと思いました。撮ってきた写真を見ると「茂太」でした。
Webで斉藤茂太を牽くと『多くの悩める人を勇気づけた心の名医として、日本精神病院協会の名誉会長などを務めながら、執筆や講演活動もおこない、90歳で亡くなられるまで生涯現役を続けた・・・』とありました。 今月のこの言葉は、あまり深読みしないで、そのまま感じ取るのがよさそうな気がします。

下記のサイトに、氏の名言・格言がたくさん載っていました。

  http://iyashitour.com/meigen/greatman/saitoshigeta

  ◍焦らない。でも、あきらめない。
  ◍壁にぶつからないのは、立ちどまっているから
  ◍楽観的になりたいなら、客観的になることだ

2018.09.11(
) 
姫神山と美しい名前の山

写真は、旧渋民村の啄木記念館にあった歌碑です。
  さわやかな 小春日和の 姫神山 
         薄霞して いともやさしく


昨日の日記の青荷温泉にからんで、東北地方の山を懐かしく思い出していました。

27年前、妻同行の秋田・岩手県の山旅。太平山 白神岳 森吉山 和賀岳 秋田駒ケ岳 乳頭山 姫神山 栗駒山8。 (赤字は妻も一緒に登った山)

◆頭に浮かんだのは石川啄木の歌。歌にある『山』は、岩手山・姫神山の2説があるようです。
   ◍ 『ふるさとの 山に向かひて 言うことなし
                 ふるさとの山は ありがたきかな』
   ◍ 『かにかくに 渋民村は 恋しかり
                 おもひでの山 おもひでの川

盛岡駅の北方五つ目の駅が渋民駅、駅の西に岩手山、東に姫神山が見えます。
姫神山登山の前夜は小岩井農場先の網張温泉キャンプ場でテント泊。
姫神山から下山後、啄木記念館に立ち寄ったことを覚えています。
写真はそのときに撮ったものです。

★『姫神山』・とても美しい名前だと思います。数多く登った山のうちで、美しい名前の山を拾ってみました。

ピパイロ岳-(北海道)   藻琴山・もこと(北海道) 白神岳・しらかみ-(青森) 姫神山・ひめかみ-(岩手) 
早池峰山・はやちね-(岩手) 美ケ原-(長野) 霧訪山・きりと-(長野) 霧ケ峰-(長野)   
景鶴山・けいづる―(群馬)  諭鶴羽山・ゆづるは-(香川) 雲ノ平-(富山) 紫雲出山・しうで―(香川)

登った山2000余座全部に目を通すのは無理、頭に浮かんだ山をいくつかビックアップ。何となくロマンを感じます。

2018.09.10(
) ランプの宿

青荷温泉のパンフ・・・15年前

何日か前、友だちとお茶をして帰宅した妻。一大ニュースとばかりに意気込んで話したのは「東北の方にものすごく良い雰囲気のランプの宿があるって聞いたけど・・・知ってる?」
ああ、青森県のあの温泉のことだな~と見当はつけたが名前が出てこない。登山の折に立ち立ち寄ったあの温泉に違いない。登山記録を調べると、東北百名山引地山(1034m-青森県)を下山したあと立ち寄った温泉で名前は『青荷温泉』。登山記録と一緒に温泉宿のパンフレットも保存されていました。

友人の尾ひれをつけた礼賛の言に感化「私も行って見たい・・・」と妻。平爺は入浴だけでしたが、雰囲気だけはかすかに記憶に残っています。まさか亭主が行ったことがあるなんて思いもよらなかったようですが、温泉マニアには欠かせない有名温泉らしい。


このときの10日間山旅で立ち寄った温泉

 ◍黄金崎不老不死温泉 ◍竜飛温泉 ◍平館不老不死温泉 ◍浅虫温泉 ◍八甲田温泉 ◍青荷温泉 ◍湯ノ沢温泉

◆北海道から九州まで、登山の折に立ち寄った温泉は大変な数になると思います。登山記録とともに、立ち寄った温泉をPCへ記録していましたが、面倒になって途中で中止。記録が残る1989年~2000年の11年間、183ケ所の温泉へ立ち寄っていました。妻の希望に沿うべく青荷温泉を訪れる可能性は・・・ほとんどなし。かあちゃんゴメンよ。

◆ついでながら、ランプの宿で知られる新潟県の駒の湯山荘も風情があったな~。未丈ケ岳・荒沢岳へ登ったあと立ち寄った温泉です。

2018.09.09(
)  地図を逆さにして見ると

目線を変えると新しいものが見えてくる・・・これはよく聞くことば。ウォーキング中の古いメモに「日本地図 逆さ」・・・こんなフレーズが残っていました。だいぶ前のメモだと思いますが、たぶんラジオからのものでしょう。

日本地図を逆さにしてみましたが、特別な発見?はありません。そこで「地図 逆さ」というフレーズでweb検索。思わず「えっ?」
  http://ritou-navi.com/2016/10/23/sakasama/

世界地図帳の日本列島あたりを開き、逆さにすると何と日本列島三つ分が入ってしまいそうな巨大な湖が出現したではないか。氷河期の頃は実際に水の逃げ場がない湖だったとか。

◆よく『視野を広く持て』なんて言いますね。ちょっと見る方向を変えるだけでまったく別なものが見えてくる。逆さに見た日本海の例は、そんなことを教えているのかしれません。
物事を一つの方角からしか見ない人を『視野が狭い』などと言います。
日本列島の地図を何十年、何百回も見ているのに「巨大な湖」という発想はありませんでしたし、ましてや地図を逆さに…なんて考えてもみません。

日本海=巨大な湖・・・この話は気に入りました。よもやま日記をご覧くださる方だけにお教えすることにしました。どうぞ確認してみてください―(笑)-

2018.09.08(
) 残念
・・・でも雨よ降れ降れ?

雨の露

大型台風が通り過ぎ、予定では78日は登山日和のはず。妙高山の急登にあえぎ、お知り合いのA子さんが「日本百名山」最後の妙高山の頂に立つことになっていました。

ところが前日になって予報は雨。中止の決断。「山は逃げない」という登山愛好家には昔からの戒めの言葉があり、それに従っての判断です。予報通りに雨、ああよかった・・・ 今日と明日は絶対に雨が降ってくれないと悔しさに気が狂ったかも(笑)
 ♪雨々降れ降れもっと触れ・・・の心境です♪

◆28年前、平爺が日本百名山踏破の最後の山としたのは、福島・新潟県境の飯豊山(2128m)、妻と長男が同行、管理人のいない山小屋2泊の縦走でした。あの日の感激を思い起こしながらA子さんのお伴をしたいと思い、楽しみにしていた登山です。
今月中には目標達成の旨酒いただけるものと思っています。


2018.09.07(
) 天災

5日ほど前 不吉な予感?

「災害列島日本」という言葉があったような気がします。天災は忘れたころにやってくる・・・。とんでもない、忘れないうちに次々とやって来ます。

文明が発達し、震災の予知技術が進んでも、その震災を抑えつける力は人間にはありません。まさに運を天に任せるということば通り。

天災に加えて、原発事故(元は地震ですが)、戦争など人為による災害?もまた性懲りもなく発生。
天災は無理としても、せめて人為の災害くらいは無くなってほしいもの。今日も世界のどこかで命にかかわる紛争が行われていると思うと心が痛みます。

そして「核兵器禁止条約」に調印しない日本に腹が立ちます・・・すみません、つい話がそれてしまいました。

2018.09.06(
) 今度は地震

4時過ぎ、日課のウォーキングスタート。例によってケータイラジオのスイッチをON
いきなり耳に飛び込んできたのはアナの緊迫した声。いつものこの時間帯の番組とは違う。
北海道で大地震発生 札幌などの大都市にも被害が出ているとの報道。

大きな爪痕を残していった台風が通り過ぎるのを待っていたかのような震災。
この日本、神様の逆鱗に触れているのでしょうか。大きな被害にならないことを祈ります。

2018.09.06() 台風一過・・・・

昨朝は台風の雨もほとんどやみ、風も収まって台風一過という雰囲気でした。
雲の切れ間から一瞬だけお月さまが顔を見せてくれました。

強風に飛ばされないよう、物置などに避難しておいた物も元の場所に戻し、家内が大事にしている鉢植えも所定の場所へ。家の前の道路に飛んできた木の葉も片付け、夏の汚れを掃き清めたような感じ。

◆リンゴ畑を歩いていると、一つ一つ紙袋に包まれたリンゴが地面に散乱しています。強風に耐えられなかったようです。手をかけてきたリンゴ農家の方々、いよいよ出荷という直前での被害、がっかりしている顔が目に浮かぶようです。
うす暗い街中の歩道、あれ、何だろう?・・・見ると鴨の死骸です。強風に煽られて電線にでも当たったのか・・・きれいな色をした羽を見るとオスらしい。可哀想に、これも台風の被害者()

お陰さまで我が家は被害なしでした。

お詫び-昨日の日記で「小畠」さんは誤りで、正しく「尾畠」さんでした。


2018.09.05
() 謙虚さ

強風落果を案じるのはリンゴ農家

9月に入ってから朝の気温が20℃以下の日も。まるで嘘のような爽やかさ。2時間ばかりのウォーキングでは汗も流れません。そしてコウロギの声か一段と元気づいてきました。稲穂を垂れた田んぼには、10羽ほどのシロサギの群れ、そして1羽悠然と静止しているゴイサギの姿。秋がくるのだろうか・・・と案じていた気持ちが嘘のよう。
昨夕から台風のお出まし、今朝は静かな朝を迎えています。

◆尾畠春夫さん・・・と言えば、今や知らない人がいないほどの時の人。頭に赤いタオルを巻いて、ボランティアに取り組む姿は男の中の男。何日も前のメモですがインタビューを受けていたときの尾畑さんのことば
  『ボランティアの心得は“やらせていただく”という気持ちです』
かっこつけたり、肩肘張らなくても、あたたか味が自然とにじみ出ていますね。ボランティアのときも、食事などはすべて自前、一切の便宜は受けないという建前は崩さないという姿勢は「これぞボランティアのかがみ」という気がします。フーテンの寅さんを連想します。今日もどこかで黙々とボラに取り組んでいるのでしょうね。

それに比べてスポーツ界の重鎮たち。地位と権力を笠に着て、まるて天下を取ったようなやりたい放題。失礼ながら問題となった主人公たちは、みんな同じ人相に見えます。それに比べて尾畑さんの清々しさ・・・爪の赤でも煎じて飲ませてもらったら・・・。

◆並べて評するのはおこがましいですが、ささやかな平爺の認知症介護施設のボラでも「やらせていただく」の気持ちは決して失わないように心がけているつもりです。

2018.09.04() 雑感

ツユクサ

◆ミャンマーの女性闘士アウンサンスーチーと言えば、身の危険を感じながら軍事独裁政権を相手に民主化推進の旗頭となって活躍した“民主の星”というイメージがありました。
ところが報道によると、ミャンマーではドヒンギャというイスラム系少数民族約90万人を、国の構成民族と認めず、国籍も与えていないということ、これをドヒンギャ問題とうそうです。
昨年3月、アウンサンスーチー氏が率いる政党「文民政権」が誕生、政治が軍から民へ移行したという中での少数民族差別虐待問題。民主の旗頭のように世界から注目されていたアウンサンスーチー氏の下で起きている報道を耳にして、人間とは何と愚かな生き物か・・・・と思わざるを得ません。

◆自民党総裁選のニュースと女子体操のバワハラ報道が目下のニュース主役。とりわけ自民党内部の総裁選はタライの中のウナギがぐにゃぐにゃともがいているようにも見える。関心なし。

◆将棋の藤井聡太さん、4段に昇格してプロ棋士となったのが1年前の9月3日とのこと。世間を驚かせ、将棋人気に火がついたあの日からもう1年か・・・過ぎる月日の何と速いことか。

2018.09.03() 日本の山の数

平爺がこれまでに登った山の数は約2200座。登山とは縁遠い方から「もう登る山がないでしょう・・・」などと言われることがありますが、いやいや、とんでもない。

◆登山愛好家は国土地理院の地形図にお世話になっているはず。通常利用するのは縮尺2万5千分の一の地図ですが、5万分の一や20万分の一なども使います。20万図は展望の山座同定のときなどに便利。

◆ところで日本には山が幾つあるのでしようか。30年間山へ登ってきた平爺も知りませんでした。Webで調べてみると199811月現在、2万5千分の一地図に掲載された山は、16,667山と下記のHPに載っていました。http://walk-about.jugem.jp/?eid=387 平爺の登った山はわずかその1割ほど。

◆以前はペーパーの地図を購入。白黒刷り、4色刷り(5色?)2種類あり、4色は1300円か400円?、それなりの値段で、数が多くなると金銭的負担も大変。登山のために2万5千図は何百枚も保管していました。これも番号などをつけて整理しないと必要な時に取り出せません。索引を作り、10段ほどついた引出で管理していましたが、今は必要な時に国土地理院のHPからダウンロード。
ペーパー地図は断捨離のおり、ある方がそっくり引き取って下さいました。10年近く前の話です。

◆「コンサイス日本山名辞典」というのがあります。初版1978年、手元のものは1991年版です。2万5千座ほど収録されているらしい。登った山は蛍光ペンで消しこんできました。これも愛着があって処分できずにいます。

◆もう一つ処分できないのが手作りの「山行記録」、200470冊をもって製本をやめましたが、この手作りの記録本をどうすべきか・・・・。PCの記録とは一味も二味も違う、自分の分身のような愛着を断ち切る覚悟がまだできません。

2018.09.02(
) 遠くなりにけり

明けない夜はない

ラジオから「明治150年」という言葉が。
明治元年を西暦になおすと1868年。仮に明治が続いていたとしたら今年は明治150年となる計算です。

明治は45年、大正は15年、昭和は64年、そして平成は来年-31年をもって終わります。平爺の両親は明治生まれ、当然のことですが平爺の若いころは明治生まれがゴロゴロいました。

「降る雪や 明治は遠く なりにけり」・・・中村草田男。

この句、さまざまな思いが湧き、伝わってくる気がします。
ひところ昭和一桁(しょうわひとけた)という言葉流行りましたが、昭和元年~9年(1926)生まれの人を指します。昭和元年生まれの人は現在92才。間もなく平成の元号も閉じられます。振り返ると平爺も昭和、平成、来年も生きていれば新年号を含めて3つの年号を生き抜いた?ことになります。

2018年現在、日本には明治生まれ(106歳以上)2,500人ほどいるそうです。あの悲惨な太平洋戦争で辛酸をなめた方々です。

2018.09.01
(土) スポーツ界に異変が?

実るほど 頭を垂れる 稲穂かな

今は二十四節気の処暑末候にあたり「禾乃登=こくものすなわちみのる=穀物・稲が実るころ」ということになるようです。田んぼの稲も穂が出そろい、あとひと月もすれば稲刈りが始まるのでしょう。

スズメちゃんの来訪がありません。自然界でエサが摂れるのだと思います。チュンチュン・・・チーチー・・・うるさいほどのさえずりが聞こえず、ちょっぴり淋しい秋の始まり。

◆秋と言えばスポーツ
「スポーツ」が秋の季語にあるかどうかは知りませんが、スポーツと聞けば秋を連想。「スポーツ」と言う言葉からは、純でひたむき、汗と根性、スポーツマンシップ、躍動感、いさぎよさ、清廉と健全・・・etc.ネガティブな言葉は浮かびません。

◆ところが力士の暴力や野球賭博、マイナスイメージも何回かあったものの、登録抹消などで対処してきたと思います。
最近になって表面化するスポーツがらみの醜聞の多さは異常、次から次へと引きもきらず。東京五輪の前に膿を出し切ってしまおうという作戦?まさかねー。

晴れがましくライトを浴びた高嶺の人々ではあるが、実は一般人とは違う世界感、価値観、倫理観がまかり通る世界なのかもしれない。純粋無垢なスポーツへの信頼が音を立てて崩れているのではないかとさえ感じます。 甲子園優勝校大阪桐蔭運動部生徒の賭けゴルフ・暴力行為が報じられ「お前もか」と言いたいのが残念。カナノーの初々しさが一層引際立ちます。

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