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前月へ 翌月へ 『がん・人工肛門からの出発』トップヘ 『山岳巡礼』トップへ 2019.04.30(火) さようなら「平成」
30年あまりの「平成」も今日で終わり。メディアの平成を振り返る特番が目につきますが、それほどの関心はありません。 ◆平爺が生まれた昭和12年、盧溝橋事件(日中戦争勃発)、国家総動員法が公布され太平洋戦争への道をまっしぐら、3歳の時に太平洋戦争開戦、7才終戦。この戦争で軍民合わせて310万人の日本人が死んだと言われます。 ◆元号が変わりますが、平爺の頭の中はこれからも「西暦」のままだと思います。元号には、どかこ戦争の残滓のようなものが感じられて仕方ないのです。 ◆「平成」の「平」は平爺の「平」、そして「平和」の「平」でもあります。令和と変わることにつては特別な感慨はありませんが、「平和」の「和」が残っています。これから先、どうか全人類のために「平らかで和む」時代でありますようにと只管(ひたすら)祈ります。
≪リンゴ追分≫ ◆運転免許証期限切れのため、認知症検査などを受けて先日新しい免許証への更新手続きを終わりました。 ◆50数年間無事故の運転歴とは言え、82才の平爺が車を運転しても良いのだろうか・・・検査はパスしたものの、視力検査では年齢平均を下回っているとのこと。事故を起こしてからでは遅い、免許証は返納すべきでは・・・・。でも、車の買い替えをしてまだ1年もたっていない。・・・どうしよう、気持ちは揺れ動き決心がつきかねています。 迷ったときの言葉「前へ前へ進む心を忘れないこと」、そして「勇気のいる方へ進むこと」-webより
ここ北長野も25℃を越える日があったり・・・桜も散って「♪夏も近づく・・・」が似合う季節。ふと「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」-芭蕉が奥の細道へ旅立ったときの句が浮かびました。春霞がたつころだったかもしれません。春霞の読みはシュンカのようです。「はるがすみ」の方が情緒を感じますがネー。霞の立つときは、遠くの景色がぼやけて見えるのが情緒かもしれません。俳句では春の季語になっています。
◆ところでご存知でしょうか「霧」と「靄」と「霞」の相違。
◍霧(きり)と靄(もや)は、大気中の水蒸気が微小な水滴となって浮遊し、視界が悪くなる現象で、「きり」も「もや」も同じものを指すが、気象用語では、視程1km未満の状態を「きり」、視程1km以上10km未満を「もや」と呼ぶ。 ◍霞(かすみ)は、空気中の水滴やその他の粒子によって視界が悪い状態をいう。気象用語としては使われない。 ◆霧(きり)も靄(もや)も区別なくその時の気分で使っていましたが、違いがあるのですね。ぼやけて見える春の月、「おぼろ月夜」という唱歌がありますが、あれはキリやモヤではなく、カスミによってぼやけて見えるということらしいですよ。
毎日が日曜日の平爺には無関係とは言え、10連休のスタートと聞けば何となく落ち着きを失いそう・・・。観光地はどこもかしこも人人人・・・の大騒動、そして車が道路を埋め尽くし公共交通機関は押すな押すなの大混雑。それを高見の見物と洒落こむ平爺は幸せなのか可哀想なのか???決死の覚悟で混雑の渦中に飛び込まれる方々、どうかご無事で、事故に遭いませんように・・・・。 ◆さて平爺はどうするか。プランはゼロ。ウォーキングで外へ出る程度、あとは家の中に閉じこもり。訪れて来る人もなく、ふだんとまったく変わらぬ時間が過ぎていくことでしょう。 場合によっては先祖の墓参にでも行ってくるのもいいかな~。うん、それもいいな。そうだ、半年ぶりに妻と小さな小さな新緑の山でも歩いてくるか・・・ウン、それもお金がかからなくていい。 気力も体力も欲も無くなってきた、それが今の平爺らしいではないか。 ◆去る2月、運転免許更新の認知症検査をスレスレバス、昨日は教習所で実習検査・指導を受けて目出度く?新免許証交付の運びとなりました。 ◆当家の小さな庭にも春がきました。 ・ムスカリ・スズラン・ユキヤナギ・クリスマスローズ・アミガサソウ・ハナカイドウ・ボケ・サクラソウ・ドウダンツツジ・モクレン・ツバキ・アヤメなど・・・(写真の順番とは合っていません) 暖かな陽ざしに花たちも元気いっぱいい、春はまっ盛りです。間もなくクマガイソウや菖蒲・・・そしてボタンなどが花を開き、サツキやツツジが追いかけます。小さいながらも「春たけなわの庭」です。 ◍「たけなわ」という漢字はあるのだろうか。ネット検索すると下記の記述がありました。
一夜明けて桜の木の下は落花狼藉、「世の中は3日見ぬ間の桜かな」 また季節が一つ進んだようです。「落花狼藉」はものが乱れ散っているさまや、ものを散り乱すこと。また、花を女性に見立てて、女性に乱暴を働くことにも使うようです。 ●早朝ウォーキング、あと10数分で自宅帰着というあたりで、早起きおじさんとときどき会います。『おはようございます』と声をかけると、大きな声で「おはようさん」と返ってきます。ときには2、30秒言葉のやりとりも。ところが2月からウォーキングを昼間の時間帯に変えてからそのおじさんと合わなくなってしまいました。3日ほど前、偶然家の前にいたところで姿を見て「こにちは」と声をかけると、以前と変わらぬ大きな声で「こんにちは」と返ってきました。昼間に変えたこと、おじさんの大きな挨拶で元気をもらっていることなどの立ち話。 4日ほど前。ランドセルを背負った3人の男の子が歩いてくる。。「おはよう」の声をかけようとすると先に『おはようございます』と投げかけられてしまった。一瞬遅れて「おはよう、今日も元気でネ」と返すと「は~い」大きな返事。気持ちいいですネ。 かなり高齢のお爺さん、自宅前車道の縁石際に溜まった土や砂を掃除していました。「ご苦労様」と声をかけるとお爺さんか語りかけてきて10分ほどの立話し。
60年ほど前、同じ職場で働いた仲間たちとの懇親会に行ってきました。集まったのは8名。 ◆当然のことながら話題は半世紀をタイムスリップ、飲食を楽しみながらの回顧談。みんな昔のことをよく覚えているのにびっくり。 もう顔を見ることができないと思うと、ひときわ淋しさがつのりますが、こうして一つ一つけりをつけていくのも大切な終活。そのことをわが身に言い聞かせて帰路につきました。 (追記――平爺の妻も当時、同じ職場で働いた同僚?昔は職場結婚などと言っていました)
今日は花の都東京へ行ってきます。日帰りです。 場所は東京・上野末広町あたり。かつては長野から東京へ行くには列車で6時間ほどかかったのではないでしょうか。今は新幹線、カップ酒を飲み終わらないうちに到着、旅というより通勤という感じ。便利だけど味けない。新幹線の乗車時間は1時間半、通勤並みです。 絢爛豪華なボタンやバラもいいが、散り際の良さが魅力の桜花はさらにまた良し。 2日前に満開情報の出た長野の桜。春風に打たれながらの昨日のウォーキング、田んぼの水路脇を歩いていると散った桜の花びらが、水面に模様を描くようにして流れ下っていました。しばらく立ち止まって見ていました。花筏(はないかだ)とう風雅な呼び名がありますが、よくも名付けたものと感服。しばし見ていると「これが風流」というものか・・・という気にさせられました。
◆そして「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」という言葉を残したという「林芙美子」を思い出しました。貧困・家庭環境など、不遇な生い立ちを背負いながらも後世に名を残す稀有の女流作家として大成。関連して樋口一葉が思い浮かびました。出生は林芙美子の方が30年ほど後のようです。
《追記》桜は、咲いたときは他を圧して存在感がありますが、普段はそこにあることさえ気づかぬ地味な存在。そこがまた良し。今年は目に焼き付けるように見入りました。まるで見納めのような見方だったかもしれません。
4月、認知症介護施設訪問の際に、必ずみんなで歌うことにしているのが
ふと「古き良き時代」とう言葉が頭をよぎる。それはどの時代を指すのか?。昭和、大正・明治・・・それとも江戸時代? ◆生かさず殺さずは、階級社会の江戸封建時代、その頂点は武士で、下位の百姓は殺さない程度に年貢を取り立てられ、生産活動に寄与しない武士を支えていた。つまり百姓は武士のためにのみ存在。だから「生かさず殺さず」。 ◆東洋経済のブログ・・・世界第3位の経済大国でありながら、日本には高い貧困率という問題が存在している。7人に1人が貧困にあえぎ、1人親世帯では半数以上が貧困に苦しんでいる。 ◆年寄りは貯えがあるのに使おうとしない。そんな非難?もありますね。しかし現役世代に支えてもらわないと生きられない老人も多い。この先どうなっていくのでしょうか。借金まみれの国には頼れないかもしれない・・・そんな不安もあります。問題が顕在化するのは「令和」の時代かもしれません。この時代を歴史は何と名付けるでしょうか。 先走ったことを言ってすみません。取り越し苦労であることを祈ります。
昨朝のラジオ深夜便「明日へのことば」のゲストは、元プロ野球の名選手・名監督・名解説者だった野村克也さん。野球界で生きてきた蘊蓄に溢れる話の中で、1年あまり前に先立たれた奧さん沙知代さんのことにも触れていました。 「誰もいない家に帰るのは淋しいもの・・・」 野武士のような豪放さを感じさせた野村監督の口から出たことば。なぜかずしんと胸に響きました。 ふとした一言がこれほど強く感じるのは、これも老いのなせる業・・・。胸にとどめておこうと思います。
昨日は「老いてこそ人生・・・云々」という言葉について、今日はその続きのようなことば 前月のこの日記で、寺院掲示板の【老いをきらい 病をおそれ 死を隠せば 生も隠れる】を紹介しましたが、相通じる気がします。 何かにつけ「老い」という言葉が気にかかるのは80才の大台にのってからのこと。80というのは人生を見る目にも大きな変化をもたらすようです。1、2年前までは、口では「もう爺さん、耄碌しました」とか「もう老いぼれです」なんて言ってても、腹の中ではまだ若いもんには負けない・・・、登山だって若者と同じに歩けるゾ~」と負けん気がありました。よくもそのような不遜なことを・・・・今となっては恥ずかしい。 実は去る1月下旬、老いが原因と思われるアクシデントに。そして今は謹慎中?いくら強がって見ても事実は変えられません。『老い』という字を見るとどうしても気になります。 老いてこそ人生 80を越えた歳で耳にすると、なかなか蘊蓄のある言葉に聞こえます。 ◆よもやま日記のネタとして、ふと浮かんだことや目にしたことを、都度メモっています。だが整理していなために、いつどこで目にしたり聞いたりしたのか、まったくわかりません。見きれないほど溜まったメモの中から「老いてこそ人生・・・」が出てきました。 ◆渓谷から山頂まで高低差150メートル前後、山と言えるのかどうか怪しいが、国土地理院の地形図には、山名と標高が記されています。 【やわらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」 (石川啄木)
平爺が昔から好きな歌です。 ●地名は「柳原」、江戸か明治かは知りませんが、昔は柳の木がたくさん生えていたそうです。柳は水辺・多湿を好む樹木、ということでその昔は千曲川が氾濫するたびにあたり一面水没したとのこと。いわゆる湿地ですね。今はしっかりした堤防が出来て、よほどの大雨でもない限り水没することはないらしい。 ◆一茶の句碑めぐりをした地域には、電柱に5mとか7mなどの表示を見かけます。万一千曲川が決壊したときに水没の目安とするための表示とのこと。 ◆「住宅地を買うときは地名に注意」と言われるそうです。つまり水と関係ある「さんずい」の字の地名は注意せよ。「柳」は水と縁の深い漢字、これも要注意の信号・・・と今さら言っても遅い。周辺の水に関係ある地名としては 《長沼・赤沼・石渡・長池・南堀・小島・津野・・・・》などたくさんあります。知っていれば、当地へ引っ越してこなかったかも。
4月も半ば、早いな~。ここ長野市でも梅の後を追うように開花した桜が、互いの存在を競いあっているようです。隣市の更埴市では目下杏(アンズ)の花まつりの真っ最中、先日上田城の桜を見ての帰り、М氏の案内で杏の花見もしてきました。 ◆滝桜で有名な福島県三春町。その町名は春になるとウメ,サクラ,モモの花が一時に咲くことに由来したとのこと。10年以上前ですが、滝桜や花山を散策したときの景観が脳裏に残っています。
●一昨日は安田純平氏の講演会を聞きに行ってきました。名前に「平」の字がつくから親しみを感じて・・・と言うわけではありません。フリーのジャーナリスト安田氏が中東の紛争地帯で取材中に武装勢力に拘束され、3年4カ月後に開放・帰国ということで話題になった方で関心があったからです。 講演の内容は、現地の悲惨極まりない状況とともに、勝手に紛争地へ出かけて捕捉され、日本政府の助けを求めるのはけしからん、自己責任だとの中傷に晒されたこと・・・、日本政府が解放の見返りに多額の身代金を払ったというのも事実無根ということなど、1時間半ほどの話を聞いてきました。
同じように拘束された後藤さん(殺害)や高遠さん(解放)のことを思い出しました。
未明のウォーキングをやめて、昼間に歩くようになってからは星や月を見なくなりました。一昨日、宵闇の空を見上げるときれいな半月『お月さん今晩は 久しぶりだネ」という感じでしばし見上げていました。 ◆マスコミと世論の袋叩きにあって馘となった閣僚二人。当人の資質のなさはあきれかえるほどで当然の帰結。本来はその職にふさわしい人材を適用してこそ機能し、質の高い政治が期待できるはず。それをまあ・・・なんとぶざまで情けないこと。国政はそれほど人材が払底しているのでしょうか。 素人目には「国民の期待に応え得る資質と、秀でた人格」が備わっていてこその大臣。それが何とも幼稚に見えるのです。閣僚の人選は持てる器量や能力とは関係なく、いかに従順に尻尾を振って言われた通りについてくるか、あるいは派閥のバランスをいかにとるか、「何年組」かと言う年功序列も重要な要素? ◆素人は素人なりに率直に言わせてもらえば、もはや倦んだ日本の政治は行き詰まり状態としか見えない。「情けない」の一語!! ◆潔く内閣総辞職・解散をして、もう一度国民の信を問うたらよい。とにかく与野党ともリセットしてやり直す気概で政治に取り組んでもらいたいものです。 ◆皮肉をこめて一言つけ加えれば総理は所管大臣配給機関に過ぎない、だから政・官ともに下々はあらゆる場面で「忖度」というご機嫌取りが何にも増して大切と見たがどうでしょうか。
一茶句碑めぐりも10ケ所目になりました。 農作業はすべて手作業の時代、夏の暑さに愚痴をこぼしながらも、生きるために精出す農民の様子が凝縮されているように感じる句です。 ◆長野市の北辺、長沼・赤沼・村山地区にある9基の句碑のうち、これが8基目でした。我が家からは一番遠く徒歩1時間15分ほど、日課のウォーキングでも行ったことのない地籍でした。すぐ先は長野県北端の信濃町でそのまま北へ向かうと一茶生誕と終焉の棲家となった柏原です。 ◆この句碑が見つかって、ウォーキング圏内の句碑はあと一つだけとなりました。 昨日は予定通り山友Мさんと上田城址の花見。春らしい花見日和に恵まれ、満開に近い桜を満喫してきました。
◆歴史に残る秀吉の醍醐の花見とはいきませんが、大阪勤務のとき、義母と連れ立って、今は世界文化遺産に登録されている醍醐の桜を愛でたことを思い出します。寺院の建造物、豪華な庭園など、圧倒される景観でした。 ◆桜の名所は全国各地に数知れず、著名な一本桜や、霞か雲かと例えられる吉野山のように山全体が桜で覆われ様も忘れ難いものがありますが、古をしのびながらの城址の桜もまた良し。
【明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは】
上田城と言えば、3年ほど前、NHKの大河ドラマ戦国の名将「真田幸村」の居城のあったところ。約1000本の桜が戦国の城跡を埋め尽くすように咲き誇り、櫓(やぐら)との調和、お堀の水面に映る桜など、いかにも日本情緒豊かな景色を楽しめるとのこと、妻同伴でゆっくりと見てきます。 良い写真が取れたらこの日記で披露させていただきます。 人の悪きことは よくよく見ゆるなり ◆四国八十八ケ所は親鸞ゆかりの修験の遍路道。平爺75才の時、1300㎞のその道を、36日かけて歩きとおした日を懐かしく思いし出しています。そのときに覚えた般若心経は、今も空で唱えることができます。 平成の残りもあと20日ほど。平爺は気心知れた仲間と別れるようでちょっぴり寂しい。 平爺の人生は、昭和が52年、平成が30年・・さて令和とは何年つきあえるでしょうか。 ◆「萍(うきくさ)の原字と見た説(『漢字の起源』)が比較的妥当とのこと。水の下に根があり、水面に浮かんでいる水草を描いた象形文字と解釈。水平に浮かぶことから「たいら」のイメージが取られる。
◆平爺はこれまで「平」という字を何回書いてきたことでしょう。年月日と名前だけでも千回・・・いや何万回か見当がつきません。 ◆自分の名前は、とりわけ子供の頃は大嫌いでしたが、「平」という字の字源を調べたりしていると、毛嫌いより愛着が忍んできます。おかしいですね。 (字源は漢字語源辞典を参照) 読書が好き・・・と言っても難しい本は敬遠、楽に読める本ばかりですが、本を手にしない日はめったにありません。 ◆読書中などで、意味が不確かだったり、読めない・読みにくい、あるは書けない、あまり使わない、珍しい・・・そんな漢字が目についたとき、メモったものなどをいくつかあげてみます。 ◆読み方-・小賢しい・弁える・誹謗・睥睨・所謂・曖昧・洒落・瀟酒・強ち・雖も・蝸牛・鼾・美人局 ◆同じ読みの漢字・・・それぞれ3つ以上書ければかなりの腕前
◍おそれ 恐れ・虞れ・怖れ・惧れ・畏れ・懼れ 中村草田男の有名な一句 明治34年生まれの中村草田男が、この句を詠んだのは昭和6年30才のときのようです。 号外!! またまた潔よし、国民栄誉賞を辞退の報。さすがはイチローと感服。 やはりイチローはそんじょそこら、並みの人間とは違う。あらためて惚れ惚れしちゃいます。
前月末以降マスコミは新元号一色、「令和・令和・・」の大合唱。 ◆突然ですが「憲法第二章天皇」には以下のようにあります。 ◆キリスト生誕の年を起点にした「西暦」は、今も変わることなく2千年以上続いています。キリスト教とは縁の薄い日本ですが、役所を除いて今は日本でも西暦が主流。それでも元号には特別な思い入れがあるのは、先祖代々流れる血というものでしょうかネ。 ◆平爺はこれまで同様、役所に出す書類など特別なもの以外は西暦表記で、「令和」と書くことはほとんどないと思います。 ◍一昨日は冬に戻ったような冷たい北風と、雪の舞う中での1時間40分のウォーキング。そして昨日は春本番を思わせるポカポカ陽気。春うららの気分に誘われて千曲川畔を2時間あまり歩きました。通しで2時間ウォーキングは2ヶ月ぶりのこと。川畔から眺める戸隠・飯縄・黒姫・妙高などは冬の顔に化粧直し、まぶしく輝いていました。 ♪春が来た 春が来た どこに来た 山に来た 里に来た 野にも来た
以前、太平洋戦争をテーマとした新書で「八紘一宇=はっこういちう」という言葉に出あいました。日本が世界を相手に戦った太平洋戦争で、国民の精神高揚に使ったスローガンです。 新元号「令和」出典の解説を聞いていて、ふと「八紘一宇」が頭に浮かびました。『日本書紀』の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」、訳すと全世界を一つの家のようにする云々。 もっとわかりやすく言うと「八紘一宇」とは第二次世界大戦中、日本の中国・東南アジアへの侵略を正当化するスローガンとして用いられたと言われているようです。 (日本降伏後、連合国軍最高司令官総司令部による神道指令により国家神道・軍国主義・過激な国家主義を連想させるとして、公文書における八紘一宇の語の使用が禁止された) 「八紘一宇」の解説 ◆広辞苑 一昨日午後のウォーキング、強い北風と吹き付ける雪、冬のような1時間余。本物の春が待たれます。
◆なぜかガンに魅入られた平爺の人生。3回も付き合うとは。 癌に魅入られたのか、3回も手術。転移など、今も気になるのは前立腺ガンの経過。以前は6ヶ月ごとに血液によるPSA値(腫瘍マーカーのようなもの)を調べていましたが、ここ3、4年は年1回のドックだけで済ませています。 一病息災と言いますが、ガンと3回も付き合うとは欲張ったもの。それでも何とか乗り越えてきました。あとの人生はおまけ・・・余禄とは思わず、だからこそ大切に精いっぱい生きたい。孫の成長をもう少し見てみいたいし。今年の人間ドックの正式な通知はまだですが、まずまずの結果だと思います。 今朝は-2℃、ブルブル・・・寒の戻り。♪は~るよ来い は~やく来い・・・
◆ネットサーフィンをしていると「12」という数字について面白いサイトがありました。 1年は12ヶ月、1日は24時間( =12時間×2)で午前、午後それぞれ12時間、1時間は60分(12×5)、1分は60秒(12×5)といった具合で、12がベースになっています。 ◆難しいことは理解できませんが、1年が12ヶ月なのは、暦を知る上で重要な「月」の動きに関連しており、1年間に月が地球をほぼ12回転することから・・・・云々。大昔の人々は天体の動きを観察、生活の中へ取り入れていったようです。 ◆ここ信濃路,桜の名所は高遠だけではありません。 小諸懐古園 松本城 高遠城址 上田城址公園 須坂臥竜山公園・・・・ ◆日韓関係がギクシャクしている今、こんな話題はどうですか。 ◆老いた年寄りの合言葉「来年もこの桜を見ることができるかな~」、平爺もそれなりにわかる気がします。
エイプリルフール (April Fools' Day)・・・何のこと?と言えば「お前火星人か?」と疑われるほど隅々にまで浸透しています。日本では『4月バカ』、中国は『愚人節』というそうです。嘘をついても許される日と言われますが、『4月バカ』と嘘がどうつながるのだろう・・・ 警察に「強盗に入られて1億円とられました」と110番通報 いつごろ日本に入ってきたのか・・・webで調べて見ると大正時代らしい。平爺が知ったのは、はっきりとは分かりませんが社会人となった昭和30年以降であることはまちがいないと思います。 |
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