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2019.04.30(火)  さようなら「平成」

 舗装を突き破って
   芽を出す雑草の逞しさ
     その逞しさにあやかりたい

30年あまりの「平成」も今日で終わり。メディアの平成を振り返る特番が目につきますが、それほどの関心はありません。
昭和12年(1937年)生まれの平爺。平成を経て明日からは三つ目の元号-令和の坂道をトボトボと。しかし令和とのおつきあいはそう長くはないでしょう。

◆平爺が生まれた昭和12年、盧溝橋事件(日中戦争勃発)、国家総動員法が公布され太平洋戦争への道をまっしぐら、3歳の時に太平洋戦争開戦、7才終戦。この戦争で軍民合わせて310万人の日本人が死んだと言われます。
そのころ平爺は育ち盛り、衣食住すべてが足りず、いつもお腹をすかしていました。敗戦後の混乱期、厳しい日々を何とか生き抜けることが精一杯でした。そして社会人となって曲がりなりにも自立。振り返れば、長かったようでもあり、短いようにも感じます。

◆元号が変わりますが、平爺の頭の中はこれからも「西暦」のままだと思います。元号には、どかこ戦争の残滓のようなものが感じられて仕方ないのです。
戦争により疲弊しきった日本、そして奇跡と言わしめた復興。来るべき令和は高齢化対策や人工減少、経済の行き詰まりを始めとして課題山積、令和令和とうかれているわけにはいきそうもない予感。

◆「平成」の「平」は平爺の「平」、そして「平和」の「平」でもあります。令和と変わることにつては特別な感慨はありませんが、「平和」の「和」が残っています。これから先、どうか全人類のために「平らかで和む」時代でありますようにと只管(ひたすら)祈ります。

2019.04.29
(月) 風当たりが一層強まりそう・・・高齢運転

リンゴの花

 ≪リンゴ追分≫
   ♪リンゴの花びらが 風に散ったよな
   ♪月夜に 月夜に そっと えええ……
   ♪津軽娘は ないたとさ
   ♪つらい別れを ないたとさ・・・


10連休真っただ中・・・と言っても平爺はいつもの日常と何ら変りはありません。

4時頃目が覚めるとまず前日用意した「平のよもやま日記」をアップロード。それから朝食を摂りながら新聞にざっと目を通し、テレビ番組表から見たい番組を録画設定。6時頃からウォーキングへとうパターンで一日が始まります。
今年の2月までは目が覚めるとまずウォーキングが一日の始まりでした。

◆運転免許証期限切れのため、認知症検査などを受けて先日新しい免許証への更新手続きを終わりました。
母と幼い女の子の命が、一瞬にして奪われるという池袋での高齢運転者による悲惨な事故がありました。テレビで遺族の絞り出すような悲痛な言葉に涙を誘われました。高齢者運転への世間の目はいっそう厳しくなると思います。

老人6人で講習を受けましたが、身体機能や運動機能が怪しげで耳が遠い人、腰の曲がった人、自動車の乗り降りも不自由な人・・・80才以上のそんな老人たちでした。新しい免許証を受け取りましたが気持ちは複雑です

50数年間無事故の運転歴とは言え、82才の平爺が車を運転しても良いのだろうか・・・検査はパスしたものの、視力検査では年齢平均を下回っているとのこと。事故を起こしてからでは遅い、免許証は返納すべきでは・・・・。でも、車の買い替えをしてまだ1年もたっていない。・・・どうしよう、気持ちは揺れ動き決心がつきかねています。

迷ったときの言葉「前へ前へ進む心を忘れないこと」、そして「勇気のいる方へ進むこと」webより

2019.04.28
(日) 「霧-きり」・「靄-もや」・「霞-かすみ」

八重桜

ここ北長野も25℃を越える日があったり・・・桜も散って「♪夏も近づく・・・」が似合う季節。ふと「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」-芭蕉が奥の細道へ旅立ったときの句が浮かびました。春霞がたつころだったかもしれません。春霞の読みはシュンカのようです。「はるがすみ」の方が情緒を感じますがネー。霞の立つときは、遠くの景色がぼやけて見えるのが情緒かもしれません。俳句では春の季語になっています。

◆ところでご存知でしょうか「霧」と「靄」と「霞」の相違。
先日ラジオの天気解説でその違いを説明していました。記憶があいまいにつきwebから引用させてもらいます。

霧(きり)と靄(もや)は、大気中の水蒸気が微小な水滴となって浮遊し、視界が悪くなる現象で、「きり」も「もや」も同じものを指すが、気象用語では、視程1km未満の状態を「きり」、視程1km以上10km未満を「もや」と呼ぶ。

霞(かすみ)は、空気中の水滴やその他の粒子によって視界が悪い状態をいう。気象用語としては使われない。

◆霧(きり)も靄(もや)も区別なくその時の気分で使っていましたが、違いがあるのですね。ぼやけて見える春の月、「おぼろ月夜」という唱歌がありますが、あれはキリやモヤではなく、カスミによってぼやけて見えるということらしいですよ。

2019.04.27
(土) さあスタート・・・10連休

桜が散って 次は桃

毎日が日曜日の平爺には無関係とは言え、10連休のスタートと聞けば何となく落ち着きを失いそう・・・。観光地はどこもかしこも人人人・・・の大騒動、そして車が道路を埋め尽くし公共交通機関は押すな押すなの大混雑。それを高見の見物と洒落こむ平爺は幸せなのか可哀想なのか???決死の覚悟で混雑の渦中に飛び込まれる方々、どうかご無事で、事故に遭いませんように・・・・。

◆さて平爺はどうするか。プランはゼロ。ウォーキングで外へ出る程度、あとは家の中に閉じこもり。訪れて来る人もなく、ふだんとまったく変わらぬ時間が過ぎていくことでしょう。

場合によっては先祖の墓参にでも行ってくるのもいいかな~。うん、それもいいな。そうだ、半年ぶりに妻と小さな小さな新緑の山でも歩いてくるか・・・ウン、それもお金がかからなくていい。

気力も体力も欲も無くなってきた、それが今の平爺らしいではないか。

2019.4.26
(金) 春たけなわ?
 

◆去る2月、運転免許更新の認知症検査をスレスレバス、昨日は教習所で実習検査・指導を受けて目出度く?新免許証交付の運びとなりました。
高齢者による悲惨な事故連発報道。免許更新資格はできたものの、更新すべきか、それとも返納・・・大いに迷うところです。息子からは「もうヤメロよ・・・タクシーでも何でも使えばいいのだから・・・」と。
車を買い替えてからまだ1年もたっていません。ああ・・・ああ・・・悩ましい、どうしよう。

当家の小さな庭にも春がきました。

           

・ムスカリ・スズラン・ユキヤナギ・クリスマスローズ・アミガサソウ・ハナカイドウ・ボケ・サクラソウ・ドウダンツツジ・モクレン・ツバキ・アヤメなど・・・(写真の順番とは合っていません)
このほかにパンジーなどの寄せ植えが6鉢ほど。これは妻の趣味、重くて二人でようやく動かすような鉢も。

暖かな陽ざしに花たちも元気いっぱいい、春はまっ盛りです。間もなくクマガイソウや菖蒲・・・そしてボタンなどが花を開き、サツキやツツジが追いかけます。小さいながらも「春たけなわの庭」です。

◍「たけなわ」という漢字はあるのだろうか。ネット検索すると下記の記述がありました。
   酣-意味・まっさかり  闌-意味・真っ最中  筰-意味・筰舟を引くのに用いる

   春たけなわの場合は多分「酣」の字だと思います。初めて見る字です。

2019.04.25(木) 三日見ぬ間の・・・

桜散る・・・落花狼藉

一夜明けて桜の木の下は落花狼藉、「世の中は3日見ぬ間の桜かな」 また季節が一つ進んだようです。「落花狼藉」はものが乱れ散っているさまや、ものを散り乱すこと。また、花を女性に見立てて、女性に乱暴を働くことにも使うようです。

●早朝ウォーキング、あと10数分で自宅帰着というあたりで、早起きおじさんとときどき会います。『おはようございます』と声をかけると、大きな声で「おはようさん」と返ってきます。ときには230秒言葉のやりとりも。ところが2月からウォーキングを昼間の時間帯に変えてからそのおじさんと合わなくなってしまいました。3日ほど前、偶然家の前にいたところで姿を見て「こにちは」と声をかけると、以前と変わらぬ大きな声で「こんにちは」と返ってきました。昼間に変えたこと、おじさんの大きな挨拶で元気をもらっていることなどの立ち話。

4日ほど前。ランドセルを背負った3人の男の子が歩いてくる。。「おはよう」の声をかけようとすると先に『おはようございます』と投げかけられてしまった。一瞬遅れて「おはよう、今日も元気でネ」と返すと「は~い」大きな返事。気持ちいいですネ。

かなり高齢のお爺さん、自宅前車道の縁石際に溜まった土や砂を掃除していました。「ご苦労様」と声をかけるとお爺さんか語りかけてきて10分ほどの立話し。

 ★ぼけ防止としてよく言われるのは『1日10人との会話』。しかし妻以外には誰とも話をしない日が多い平爺ですが、その気になればちょっとしたことで話す機会はあるものですね。

2019.04.24
(火) これも終活

どこへ飛んで行こうか思案中

60年ほど前、同じ職場で働いた仲間たちとの懇親会に行ってきました。集まったのは8名。
久々に会う面々、平爺はもとより、みんなそれぞれに歳をとったな~・・・当時は青春真っただ中の20代、年月が顔に刻みこまれていました。

今や70~80歳台となり、それぞれが旧交を温める最後の機会という思いを抱いているようにも感じました。これもまた終活の一つでしょうか。こうして懐かしい思い出を一つ一つ整理して、やがて悔いを残さずに行くべきところへ行くということになるのでしょう。

◆当然のことながら話題は半世紀をタイムスリップ、飲食を楽しみながらの回顧談。みんな昔のことをよく覚えているのにびっくり。
3時間あまりの歓談を終え「それじゃ~お互いに元気でネ、達者でネ、また会えればいいネ」と思いを残しての散会。口にはしませんでしたが、これが最後となるだろうことはお互いに知りつつの別れでした。

もう顔を見ることができないと思うと、ひときわ淋しさがつのりますが、こうして一つ一つけりをつけていくのも大切な終活。そのことをわが身に言い聞かせて帰路につきました。

(追記――平爺の妻も当時、同じ職場で働いた同僚?昔は職場結婚などと言っていました)

2019.04.23(火) 日帰り上京

4/23 am4:15 月と火星?

今日は花の都東京へ行ってきます。日帰りです。
20才台前半に一緒に仕事をした職場の仲間人たちとの懇親の集いです。妻と知り合い結婚したのもこの同じ職場でした。集まるのは当時の若手たち。それぞれが歳を重ねていい歳の爺さん婆さん、集まるのもこれが最後となるでしょう。60年前にタイムスリップして楽しんできます。

場所は東京・上野末広町あたり。かつては長野から東京へ行くには列車で6時間ほどかかったのではないでしょうか。今は新幹線、カップ酒を飲み終わらないうちに到着、旅というより通勤という感じ。便利だけど味けない。新幹線の乗車時間は1時間半、通勤並みです。

2019.04.22
(月)花の命は・・・これが風流?

絢爛豪華なボタンやバラもいいが、散り際の良さが魅力の桜花はさらにまた良し。

2日前に満開情報の出た長野の桜。春風に打たれながらの昨日のウォーキング、田んぼの水路脇を歩いていると散った桜の花びらが、水面に模様を描くようにして流れ下っていました。しばらく立ち止まって見ていました。花筏(はないかだ)とう風雅な呼び名がありますが、よくも名付けたものと感服。しばし見ていると「これが風流」というものか・・・という気にさせられました。  

花筏(いかだ)

◆そして「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」という言葉を残したという「林芙美子」を思い出しました。貧困・家庭環境など、不遇な生い立ちを背負いながらも後世に名を残す稀有の女流作家として大成。関連して樋口一葉が思い浮かびました。出生は林芙美子の方が30年ほど後のようです。
林芙美子の放浪記は、若いころに読んだ気がしますが定かではありません。この歳になって読めるかどうかわかりませんが、もう一度手に取ってみたい気もします。

《追記》桜は、咲いたときは他を圧して存在感がありますが、普段はそこにあることさえ気づかぬ地味な存在。そこがまた良し。今年は目に焼き付けるように見入りました。まるで見納めのような見方だったかもしれません。

2019.04.21
(日) 余裕あるウォーキングでボケ防止を

平成最後の満月前夜-小望月 おぼろ月


一昨日(19日)は満月、称して平成最後の満月でした。これで月が無くなるわけではありませんし、特別きれいに見えるわけでもありませんが、せめて写真だけでも・・・と思いましたがあいにくの雲り空、見ることはできませんでした。そんなこともあろうと前日の宵にカメラにおさめいおきました。満月前夜の月を小望月(こもちづき)と言うようです。


 西行法師
を連想します。
   願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃       

 
 菜の花-千曲川畔にて



◆畑や堤防の法面などに菜の花が満開です。こぼれ落ちた種が年月をかけて広がったのでしょう。
◆平成最後の満月というより、平爺は高野辰之作詞の「朧月夜」に出てくる菜の花に目が行きます。


  ♪菜の花畠に 入り日薄れ  見わたす山の端 霞ふかし
  ♪春風そよふく 空を見れば  夕月かかりて におい淡し

    ♪里わの火影も 森の色も  田中の小路を たどる人も
    ♪蛙のなくねも かねの音も  さながら霞める 朧月夜

4月、認知症介護施設訪問の際に、必ずみんなで歌うことにしているのが「故郷」と「朧月夜」です。

「おぼろ月」とは霧やもやなどに包まれて、柔らかくほのかにかすんで見える春の夜の月。

2019.04.20
(土) 「生かさず殺さず」

4/20 長野気象台-桜満開を発表

ふと「古き良き時代」とう言葉が頭をよぎる。それはどの時代を指すのか?。昭和、大正・明治・・・それとも江戸時代?
「大正ロマン」という言葉があるからそのころかもしれない。web検索すると「第一次大戦の勝利により、日本も列強としての自覚と、明治初期の文明開化以来の工業化が進み、鉄道・金融などのほか、一般国民にも新聞・書籍などの文化も根付いた時代を大正デモクラシーと呼ぶ」とありましたが、これでしょうか?

生かさず殺さずは、階級社会の江戸封建時代、その頂点は武士で、下位の百姓は殺さない程度に年貢を取り立てられ、生産活動に寄与しない武士を支えていた。つまり百姓は武士のためにのみ存在。だから「生かさず殺さず」。
突然こんなことを・・・もしかすると近い将来「年寄りは生かさず殺さず」ということなりかねない不安を感じます。急角度で増え続ける高齢者、支える若者は減る一方。誰が高齢者を支えるのでしょうか?

◆東洋経済のブログ・・・世界第3位の経済大国でありながら、日本には高い貧困率という問題が存在している。7人に1人が貧困にあえぎ、1人親世帯では半数以上が貧困に苦しんでいる。

◆年寄りは貯えがあるのに使おうとしない。そんな非難?もありますね。しかし現役世代に支えてもらわないと生きられない老人も多い。この先どうなっていくのでしょうか。借金まみれの国には頼れないかもしれない・・・そんな不安もあります。問題が顕在化するのは「令和」の時代かもしれません。この時代を歴史は何と名付けるでしょうか。

先走ったことを言ってすみません。取り越し苦労であることを祈ります。

●長野気象台は昨日桜満開の報、日課のウォーキングは桜のきれいな道を選んで1時間半の逍遥でした。午後も花見をかねて1時間20分の散策。


2019.04.19
(金) 『さびしい』

春爛漫・・・千曲川の河畔

昨朝のラジオ深夜便「明日へのことば」のゲストは、元プロ野球の名選手・名監督・名解説者だった野村克也さん。野球界で生きてきた蘊蓄に溢れる話の中で、1年あまり前に先立たれた奧さん沙知代さんのことにも触れていました。その中でとりわけ印象深かった一言。正確な記憶ではありませんが趣旨は

「誰もいない家に帰るのは淋しいもの・・・」

野武士のような豪放さを感じさせた野村監督の口から出たことば。なぜかずしんと胸に響きました。
夫婦として連れ合い、長い年月を共にした二人のうち、いずれはどちらか片方が先に逝くことはさけられません。そのとき、本当の淋しさを味わうのだと思いま。逃げ出すことのできない淋しさを味わう運命は変えようがありませんし、代わりになるものもありません。

ふとした一言がこれほど強く感じるのは、これも老いのなせる業・・・。胸にとどめておこうと思います。

2019.04.18
(木) 「老いる」にもエネルギーが要る

桜花爛漫 当地の桜も満開になりました

昨日は「老いてこそ人生・・・云々」という言葉について、今日はその続きのようなことば 「立派に老いるにはエネルギーが要る」

前月のこの日記で、寺院掲示板の【老いをきらい 病をおそれ 死を隠せば 生も隠れる】を紹介しましたが、相通じる気がします。

何かにつけ「老い」という言葉が気にかかるのは80才の大台にのってからのこと。80というのは人生を見る目にも大きな変化をもたらすようです。1、2年前までは、口では「もう爺さん、耄碌しました」とか「もう老いぼれです」なんて言ってても、腹の中ではまだ若いもんには負けない・・・、登山だって若者と同じに歩けるゾ~」と負けん気がありました。よくもそのような不遜なことを・・・・今となっては恥ずかしい。

実は去る1月下旬、老いが原因と思われるアクシデントに。そして今は謹慎中?いくら強がって見ても事実は変えられません。『老い』という字を見るとどうしても気になります。
老いの坂道をトボトボと歩くわが身を鏡に映すとき、立派に老いるにもエネルギーが要ることを感じるこのごろです


2019.04.17(水) 老いてこそ人生

 老いてこそ人生
    ていねいに生きる ゆっくり生きる

     やわらかく生きる 仏さまにまかせて

80を越えた歳で耳にすると、なかなか蘊蓄のある言葉に聞こえます。

◆よもやま日記のネタとして、ふと浮かんだことや目にしたことを、都度メモっています。だが整理していなために、いつどこで目にしたり聞いたりしたのか、まったくわかりません。見きれないほど溜まったメモの中から「老いてこそ人生・・・」が出てきました。
ネットで検索すると、紅葉で知られる豊田市香嵐渓香積寺の山門に掲げられている言葉のようです。妻と香嵐渓を訪れたのは何年前の秋、紅葉真っ盛りのときでした。そのおり背後の飯森山(254m)へ登り、香積寺山門で上記の言葉を目にしたようです。

◆渓谷から山頂まで高低差150メートル前後、山と言えるのかどうか怪しいが、国土地理院の地形図には、山名と標高が記されています。それまでに登った山の中でいちばん低い山は、栃木県の三毳山(=みかも山 225m)、次が三浦半島の大楠山(241m)でした。そして3番目がこの香嵐渓の飯森山(254m)ということになります。ちなみに日本一低い山は大阪府の天保山ということはよく知られたところ。国土地理院地形図にも確かに“天保山”と記され、二等三角点もあり標高は4m53cm。この程度ならダンプで土を運んでくれば、あっという間に山が一つできちゃいますネ()

2019.04.16(火) 柳

【やわらかに 柳あをめる 北上の

岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」 (石川啄木)

-柳-

平爺が昔から好きな歌です。
我が家から徒歩10分余のところに、市役所の柳原支所やホール・体育館などを備えたエリアがあり、大きな柳の木が一本だけ立っています。芽吹いた萌黄色の枝垂れが、柔らかな風になびいています。とても清々しい色です。
    ♪どんと鳴った花火だきれいだな
       空いっぱいに広がった しだれ柳が広がった

●地名は「柳原」、江戸か明治かは知りませんが、昔は柳の木がたくさん生えていたそうです。柳は水辺・多湿を好む樹木、ということでその昔は千曲川が氾濫するたびにあたり一面水没したとのこと。いわゆる湿地ですね。今はしっかりした堤防が出来て、よほどの大雨でもない限り水没することはないらしい。

◆一茶の句碑めぐりをした地域には、電柱に5mとか7mなどの表示を見かけます。万一千曲川が決壊したときに水没の目安とするための表示とのこと。我が家も、万一の大雨で堤防が決壊すれば水害は免れないかもしれません。

◆「住宅地を買うときは地名に注意」と言われるそうです。つまり水と関係ある「さんずい」の字の地名は注意せよ。「柳」は水と縁の深い漢字、これも要注意の信号・・・と今さら言っても遅い。周辺の水に関係ある地名としては 《長沼・赤沼・石渡・長池・南堀・小島・津野・・・・》などたくさんあります。知っていれば、当地へ引っ越してこなかったかも。

2019.04.15
(月) 春はいいな~

- 梅 -

4月も半ば、早いな~。ここ長野市でも梅の後を追うように開花した桜が、互いの存在を競いあっているようです。隣市の更埴市では目下杏(アンズ)の花まつりの真っ最中、先日上田城の桜を見ての帰り、М氏の案内で杏の花見もしてきました。 残雪の北アルプスを背景に、霞か雲か、咲き誇る杏の花の饗宴はまさに一服の絵をみるような眺めです。3回ほど写生で訪れたことがあります。
間もなくリンゴの清楚な花も追いかけるように開花すると思います。北信濃のいちばん良い季節になりました。心も浮き浮きしてきます。

◆滝桜で有名な福島県三春町。その町名は春になるとウメ,サクラ,モモの花が一時に咲くことに由来したとのこと。10年以上前ですが、滝桜や花山を散策したときの景観が脳裏に残っています。
福島県の三春に対抗して、こちらは長野は梅・桜・杏に加えてリンゴの四春というところです()

少しだけ華やいてきた庭

●一昨日は安田純平氏の講演会を聞きに行ってきました。名前に「平」の字がつくから親しみを感じて・・・と言うわけではありません。フリーのジャーナリスト安田氏が中東の紛争地帯で取材中に武装勢力に拘束され、34カ月後に開放・帰国ということで話題になった方で関心があったからです。

講演の内容は、現地の悲惨極まりない状況とともに、勝手に紛争地へ出かけて捕捉され、日本政府の助けを求めるのはけしからん、自己責任だとの中傷に晒されたこと・・・、日本政府が解放の見返りに多額の身代金を払ったというのも事実無根ということなど、1時間半ほどの話を聞いてきました。 同じように拘束された後藤さん(殺害)や高遠さん(解放)のことを思い出しました。

2014.04.14
(日) 情けなさと 腹の立つこと

 
4/12 pm6:58

未明のウォーキングをやめて、昼間に歩くようになってからは星や月を見なくなりました。一昨日、宵闇の空を見上げるときれいな半月『お月さん今晩は 久しぶりだネ」という感じでしばし見上げていました。


かつて、世界を驚かすような経済急成長期に経済は一流政治は二流と揶揄された記憶がよみがえりました。膨らむ一方の国の財政、少子化による労働力不足・・・今は経済三流政治は四流と言いたい体たらく。とりわけレベルの落ち止まらない日本の政治に危機を感じます。

◆マスコミと世論の袋叩きにあって馘となった閣僚二人。当人の資質のなさはあきれかえるほどで当然の帰結。本来はその職にふさわしい人材を適用してこそ機能し、質の高い政治が期待できるはず。それをまあ・・・なんとぶざまで情けないこと。国政はそれほど人材が払底しているのでしょうか。

素人目には「国民の期待に応え得る資質と、秀でた人格」が備わっていてこその大臣。それが何とも幼稚に見えるのです。閣僚の人選は持てる器量や能力とは関係なく、いかに従順に尻尾を振って言われた通りについてくるか、あるいは派閥のバランスをいかにとるか、「何年組」かと言う年功序列も重要な要素?

◆素人は素人なりに率直に言わせてもらえば、もはや倦んだ日本の政治は行き詰まり状態としか見えない。「情けない」の一語!!
人材が枯渇しているというより、有能な士は愛想をつかして政治に背を向けているのかもしれないし、浮き草のように離合集散を繰り返す野党にも重大な責任がある。

◆潔く内閣総辞職・解散をして、もう一度国民の信を問うたらよい。とにかく与野党ともリセットしてやり直す気概で政治に取り組んでもらいたいものです。

◆皮肉をこめて一言つけ加えれば総理は所管大臣配給機関に過ぎない、だから政・官ともに下々はあらゆる場面で「忖度」というご機嫌取りが何にも増して大切と見たがどうでしょうか。

2019.04.13(土) 一茶 句碑めぐり・・・(10


今朝の寒暖計は-3度、花冷えでしょうか。

赤沼公会堂前

《 半分は 汗の玉かよ 稲の露 》 一茶

一茶句碑めぐりも10ケ所目になりました。

農作業はすべて手作業の時代、夏の暑さに愚痴をこぼしながらも、生きるために精出す農民の様子が凝縮されているように感じる句です。
この句碑の所在がなかなかわからず、3回目の探索?で、地元の人に教えてもらい、ようやくたどりつきました。

◆長野市の北辺、長沼・赤沼・村山地区にある9基の句碑のうち、これが8基目でした。我が家からは一番遠く徒歩1時間15分ほど、日課のウォーキングでも行ったことのない地籍でした。すぐ先は長野県北端の信濃町でそのまま北へ向かうと一茶生誕と終焉の棲家となった柏原です。

◆この句碑が見つかって、ウォーキング圏内の句碑はあと一つだけとなりました。その一つも我が家からは少し距離がありますが、なるべま早く訪れたいと思っています。

2019.04.12
(金) 満足のお花見

昨日は予定通り山友Мさんと上田城址の花見。春らしい花見日和に恵まれ、満開に近い桜を満喫してきました。

上田城址・満開の桜

◆歴史に残る秀吉の醍醐の花見とはいきませんが、大阪勤務のとき、義母と連れ立って、今は世界文化遺産に登録されている醍醐の桜を愛でたことを思い出します。寺院の建造物、豪華な庭園など、圧倒される景観でした。

◆桜の名所は全国各地に数知れず、著名な一本桜や、霞か雲かと例えられる吉野山のように山全体が桜で覆われ様も忘れ難いものがありますが、古をしのびながらの城址の桜もまた良し。
花見客もほどほどで、花見気分も十分に満たされました。
あと何回花見ができるかな~、ふとそんなことが頭に浮かびました。

 ◆これまで見てきた各地の桜を、いくつか思い出して見ました。
奈良吉野山、東北三大桜、高遠城址、新潟県高田の夜桜、千鳥ケ淵、上野公園、隅田川畔、静岡河津桜、三井寺・・・まじめに記憶をたどるときりがなさそう。
三大桜と言われる山梨神大桜・根尾薄墨桜・三春滝桜のうち、薄墨桜は運に見放されて散ったあとでした。

◆桜は武士道にちなんでパッと咲いてパッと散る。散り際の潔さが桜の魅力とも言いますね。

【明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは】
  この歌は、親鸞聖人が9歳で得度したときに詠んだ歌とのこと。

2019.04.11
(木) 今日はお花見です

みぞれ降る中で健気に・・・ 


昨日は終日みぞれ模様。積雪こそありませんでしたが、季節外れの寒い一日でした。

◆今日はお花見に行ってきます。信州上田城址の桜を、山友Мさんの案内で鑑賞してきます。寒さで開化も一服状態かもしれません。

上田城と言えば、3年ほど前、NHKの大河ドラマ戦国の名将「真田幸村」の居城のあったところ。約1000本の桜が戦国の城跡を埋め尽くすように咲き誇り、櫓(やぐら)との調和、お堀の水面に映る桜など、いかにも日本情緒豊かな景色を楽しめるとのこと、妻同伴でゆっくりと見てきます。

良い写真が取れたらこの日記で披露させていただきます。

2019.04.10
(水) 今月のことば


今月の寺院門前の掲示板。 そのものずばり、深く胸に刻みこんでいたいと思います。   

  人の悪きことは よくよく見ゆるなり
    わが身の悪きことは 覚えざるものなり 蓮如上人
 
webで調べると蓮如上人は親鸞の弟子。


親鸞と言うと浮かぶのは歎異抄。その一節
『善人なおもって 往生を遂(と)ぐ いわんや悪人をや』

誰しも知るところで、この書は親鸞に師事した唯円よって書かれたものという。


◆平爺は歎異抄に興味を感じ、半日講座を受けたことがありますが、正直なところ、難しくて眠くなってしまいました()

◆四国八十八ケ所は親鸞ゆかりの修験の遍路道。平爺75才の時、1300㎞のその道を、36日かけて歩きとおした日を懐かしく思いし出しています。そのときに覚えた般若心経は、今も空で唱えることができます。

 2019.04.09(火) 漢字遊び-(2)   お暇な方だけお読みください

平成の残りもあと20日ほど。平爺は気心知れた仲間と別れるようでちょっぴり寂しい。
「平」という漢字の成り立ちを調べてみました。「水面に浮く水草」の象形から「たいら」を意味する「平」という漢字(象形文字)が作られたらしい。

平爺の人生は、昭和が52年、平成が30年・・さて令和とは何年つきあえるでしょうか。「平」への名残をこめその字源を調べてみました―イラスト参照―

◆「萍(うきくさ)の原字と見た説(『漢字の起源』)が比較的妥当とのこと。水の下に根があり、水面に浮かんでいる水草を描いた象形文字と解釈。水平に浮かぶことから「たいら」のイメージが取られる。

平の字源

◆平爺はこれまで「平」という字を何回書いてきたことでしょう。年月日と名前だけでも千回・・・いや何万回か見当がつきません。
「平」を広辞苑で牽くと読み切れないほどさまざまなことが載っています。高低のないさま、平らなさま、穏やかなさま、平和なさま・・・から始まって、平清盛まで。

◆自分の名前は、とりわけ子供の頃は大嫌いでしたが、「平」という字の字源を調べたりしていると、毛嫌いより愛着が忍んできます。おかしいですね。

(字源は漢字語源辞典を参照)

2019.04.08
(月) 漢字遊び-お暇な方だけお読みください

読書が好き・・・と言っても難しい本は敬遠、楽に読める本ばかりですが、本を手にしない日はめったにありません。

◆読書中などで、意味が不確かだったり、読めない・読みにくい、あるは書けない、あまり使わない、珍しい・・・そんな漢字が目についたとき、メモったものなどをいくつかあげてみます。

◆読み方-・小賢しい・弁える・誹謗・睥睨・所謂・曖昧・洒落・瀟酒・強ち・雖も・蝸牛・鼾・美人局
     ・嗽・信天翁 他人事・礼賛・貼付・手繰る     
答えは末尾にあります。

◆同じ読みの漢字・・・それぞれ3つ以上書ければかなりの腕前

桜  つぼも膨らむ

おそれ  恐れ・虞れ・怖れ・惧れ・畏れ・懼れ
   しみる                          
   へいこう                  
   こうしょう                 
   たいしょう                 
   しみる                   
  ◍いれる                            
 同音異語のいちばん多いのは「こうしょう」だそうです。

【漢字読み方・答え】
こざかしい ・わきまえる ・ひぼう ・へいげい ・いわゆる
・あいまい ・しゃれ ・しょうしゃ ・あながち ・いえども
・かたつむり ・いびき ・つつもたせ ・うがい ・あほうどり
・ひとごと  ・らいさん  ・ちょうふ  ・たぐる


◉忘れていました。今日はお釈迦さま誕生日(花祭り)ですね。あとで般若心経をしっかりと唱えます。残念ながら甘茶はありません。子供のころ、尼寺へ行くと甘茶を振るまってくれたのを思い出します。

2019.04.07(日) 昭和は遠くなりにけり

中村草田男の有名な一句
 「降る雪や 明治は遠く なりにけり」

明治34年生まれの中村草田男が、この句を詠んだのは昭和6年30才のときのようです。
昭和6年と言うと明治が終わってからほぼ20年、「明治は遠く・・・」そのような感慨があったとうことでしょう。

ところで5月1日に年号が「令和」に変わると、昭和が終わってからほぼ30年。「行く春や 昭和は遠くなりにけり」、平爺は昭和を52年、平成を30年生きてきました。「太平洋戦争と経済急成長」の激動の時代は遠くなりにけり。


◆高校の国語の授業で暗記させられた芭蕉の作品が切れ切れに頭に浮かび、実感もあります。

    月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり
    舟の上に生涯を浮かべ 馬の口とらへて老いを迎ふる者は
    日々旅にして旅をとす
    古人も多く旅に死せるあり
     予もいづれの年よりか
    片雲の風に誘はれて
     漂泊の思ひやまず・・・以下省略

号外!! 先日引退表明したイチロー選手

またまた潔よし、国民栄誉賞を辞退の報。さすがはイチローと感服。
相手の魂胆を見透かしてのことか?引退表明をしてからほんの幾ばくか、あたかも取り入ろうとするが如くのやりかたが、はたから見ても何となく下心が見え見えの感じでいやらしい。利用できるものはなりふり構わず何でも利用しろ・・・・。

やはりイチローはそんじょそこら、並みの人間とは違う。あらためて惚れ惚れしちゃいます。
袖にされたあの方々は悔しがること夥しいものがあることでしょう。痛快!!

2019.04.06
(土) 新元号フィーバー(2)

-春-

前月末以降マスコミは新元号一色、「令和・令和・・」の大合唱。ところで、元首が変わる度に、都度元号が変わる国はほかにもあるのでしょうか。もしあったとしても、役所を始め日常生活の中で定着し使われている国は、日本以外にもあるのでしょうか。

◆突然ですが「憲法第二章天皇」には以下のようにあります。
   第一条【天皇の地位・国民主権】
  天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、  この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
  第二条【皇位の継承】
  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の
  定めるところにより、これを継承する。

  第三条【天皇の国事行為と内閣の責任】
   天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

◆キリスト生誕の年を起点にした「西暦」は、今も変わることなく2千年以上続いています。キリスト教とは縁の薄い日本ですが、役所を除いて今は日本でも西暦が主流。それでも元号には特別な思い入れがあるのは、先祖代々流れる血というものでしょうかネ。
「人の噂も75日」という俚諺があります。「令和フィーバー」も10連休の陰に隠れて、話題から消えていくことでしょう。

◆平爺はこれまで同様、役所に出す書類など特別なもの以外は西暦表記で、「令和」と書くことはほとんどないと思います。

◍一昨日は冬に戻ったような冷たい北風と、雪の舞う中での1時間40分のウォーキング。そして昨日は春本番を思わせるポカポカ陽気。春うららの気分に誘われて千曲川畔を2時間あまり歩きました。通しで2時間ウォーキングは2ヶ月ぶりのこと。川畔から眺める戸隠・飯縄・黒姫・妙高などは冬の顔に化粧直し、まぶしく輝いていました。

♪春が来た 春が来た どこに来た 山に来た 里に来た 野にも来た
   ♪花が咲く 花が咲く どこに咲く 山に咲く 里に咲く 野にも咲く
   ♪鳥が鳴く 鳥が鳴く どこで鳴く 山で鳴く 里で鳴く 野でも鳴く

2019.04.05
(金)新元号フィーバー(1) (八紘一宇)

初もの 土筆(ツクシ)

以前、太平洋戦争をテーマとした新書で「八紘一宇=はっこういちう」という言葉に出あいました。日本が世界を相手に戦った太平洋戦争で、国民の精神高揚に使ったスローガンです。
  「天下・全世界を一つの家にする」 という意味。

新元号「令和」出典の解説を聞いていて、ふと「八紘一宇」が頭に浮かびました。『日本書紀』の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」、訳すと全世界を一つの家のようにする云々。

もっとわかりやすく言うと「八紘一宇」とは第二次世界大戦中、日本の中国・東南アジアへの侵略を正当化するスローガンとして用いられたと言われているようです。

(日本降伏後、連合国軍最高司令官総司令部による神道指令により国家神道・軍国主義・過激な国家主義を連想させるとして、公文書における八紘一宇の語の使用が禁止された) 

「八紘一宇」の解説
◆三省堂 新明解四字熟語辞典
はっこう-いちう【八紘一宇】 全世界を一つにまとめて、一家のように和合させること。第二次大戦のとき日本が国家の理念として打ち出し、海外進出を正当化するスローガンとして用いた。「八紘」は天地の八方の隅、地の果てまでの意。転じて、全世界の意。「宇」は家の意。

◆広辞苑
◍八紘・・・四方と四隅。地のはて。転じて天下。全世界。
◍八紘一宇・・・「宇」は屋根の意。天下を一つとすること。太平洋戦争期、日本の海外進出を正当化するために用いた標語。日本書紀の「六合(クニノウチ)を兼ねて都を開き八紘(アメノシタ)を(オオ)ひて宇(イエ)にせむ」に基づく。

2019.4.04(木) あれから

一昨日午後のウォーキング、強い北風と吹き付ける雪、冬のような1時間余。本物の春が待たれます。

梅の花が盛りです

◆なぜかガンに魅入られた平爺の人生。3回も付き合うとは。
 ◍直腸ガン全摘手術、人工肛門になってから35年
 ◍前立腺ガン全摘手術から15年
 ◍背中の皮膚ガンで患部摘出手術から7

癌に魅入られたのか、3回も手術。転移など、今も気になるのは前立腺ガンの経過。以前は6ヶ月ごとに血液によるPSA値(腫瘍マーカーのようなもの)を調べていましたが、ここ3、4年は年1回のドックだけで済ませています。    
腫瘍マーカー数値は0.160.180.160.240.20→そして今年は0.16
基準値は上回っているものの、問題ない程度の数値で推移しています。一昨日、泌尿器科の医師と面談、今後とも数値の推移は見守る必要があるとの宣託でしたが、案ずる要素はないようです。

一病息災と言いますが、ガンと3回も付き合うとは欲張ったもの。それでも何とか乗り越えてきました。あとの人生はおまけ・・・余禄とは思わず、だからこそ大切に精いっぱい生きたい。孫の成長をもう少し見てみいたいし。今年の人間ドックの正式な通知はまだですが、まずまずの結果だと思います。

2019.04.03
(水) 「12」という数

今朝は-2℃、ブルブル・・・寒の戻り。♪は~るよ来い は~やく来い・・・

◆ウォーキングをしていると、思い出したくない恥ずかしいこと、もう一度会ってみたい人の顔、滑落におびえながら雪渓を登ったときのあの恐怖感・・・・脈絡もなくさまざまなことが頭をよぎり消えていきます。

今年も12ヶ月の4分の一過ぎました。あと3回くり返せば今年も終わり。どうしてこんなに早いのかただ不思議。

 

ネットサーフィンをしていると「12」という数字について面白いサイトがありました。
1年は12ヶ月、どうして12という半端な数なの?計算しやすい10進法というのがあるのに、なぜ10カ月にしなかったの?時計の文字盤はなぜ24でなくて12

1年は12ヶ月、1日は24時間( =12時間×2)で午前、午後それぞれ12時間、1時間は60分(12×5)、1分は60秒(12×5)といった具合で、12がベースになっています。
子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の干支も十二「十二単衣」というのもあります。
12という数はあたりまえで特に不思議と思ったことはない。でも不思議です。

◆難しいことは理解できませんが、1年が12ヶ月なのは、暦を知る上で重要な「月」の動きに関連しており、1年間に月が地球をほぼ12回転することから・・・・云々。大昔の人々は天体の動きを観察、生活の中へ取り入れていったようです。

2019.04.02
(火) 「桜」への思い

◆ここ信濃路,桜の名所は高遠だけではありません。

小諸懐古園 松本城 高遠城址 上田城址公園 須坂臥竜山公園・・・・
平爺の地元長野市内周辺でも善光寺や城山公園のほか、千曲川河畔を始めとして花見の名所は数々。満開予想は10日頃とのこと。今年はどこの桜を見ようかな~。山里の集落、たとえば長野市に隣接する一茶ゆかりの高山村には、大切にされてきた一本桜があっちこっちにあります。絢爛豪華に咲き競う桜も良いが、集落はずれの忘れ去られたような神社に一本だけ頑張っている古木にも風情があります。

◆日韓関係がギクシャクしている今、こんな話題はどうですか。
戦前、朝鮮半島から半強制的に労働者として連れてこられた人たちが、終戦により故国朝鮮へ帰る折に、記念として200mほどの直線道路両側に、記念として植樹していった桜が、その後地元民の手入れで立派に成長、花の時期には見事な桜のトンネルとなって通る人々の目を楽しませています。植樹に携わり故国へ帰った朝鮮の人々は、すでに大半が鬼籍の人となっていると思いますが、あの世から日韓関係を懸念しているかもしれません。

◆老いた年寄りの合言葉「来年もこの桜を見ることができるかな~」、平爺もそれなりにわかる気がします。
   ●山頭火――「いつとなくさくらが咲いて逢うてはわかれる」
  ●一茶―――「死に仕度 致せ致せと 桜哉」

   ●良寛―――「散る桜 残る桜も 散る桜」
   ●芭蕉―――「さまざまの 事思ひ出す 桜かな」


新元号。皆様の評価は?
棺桶へ片足突っ込んだような平爺、新元号とのお付き合いもそう長くはないと思います。

◍和・・・「和を以て貴しとなす」世界平和につながりますように。

2019.04.01
(月)エイプリルフール

梅は咲いたか 桜はまだかいな

エイプリルフール (April Fools' Day)・・・何のこと?と言えば「お前火星人か?」と疑われるほど隅々にまで浸透しています。日本では『4月バカ』、中国は『愚人節』というそうです。嘘をついても許される日と言われますが、『4月バカ』と嘘がどうつながるのだろう・・・

警察に「強盗に入られて1億円とられました」と110番通報
 「すみません、今日は4月バカで失礼しました」
 「あ、そう。せいぜい楽しんで・・・」
では済まされない、きつくお灸をすえられること必定。

いつごろ日本に入ってきたのか・・・webで調べて見ると大正時代らしい。平爺が知ったのは、はっきりとは分かりませんが社会人となった昭和30年以降であることはまちがいないと思います。

こんなくだらない日を作って何が面白いの。正直に言えばバカバカしくて話にならん。ちなみに宝くじで3億円当たりました、おすそ分けで100万円づつ、先着100名様に差し上げます・・・とでもよもやま日記に書いたら爽快だろうな~。いやいや「現政権は昨年来の数々の虚偽と疑惑で行き詰まりとなり、解散総選挙へ踏切った模様・・・」の方がパンチ力あるかな~?

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