2019年 8月

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2019.08.31() 未練

 暑さに閉口したこの夏、猛暑・酷暑・炎暑・厳暑に熱帯夜・・・
明日から9月、暑さ寒さも彼岸まで。残暑はあってもあと23週間の辛抱と思えば、いくらか気も楽になります。

北海道利尻山 1989年登頂

例年ならば「さあこれから紅葉の山歩きを楽しむぞ~」と気合が入るところ。今年は年初から硬膜下血腫という思わぬアクシデントのために、登山ゼロのまま今日まできてしまいました。昨秋、妙高・火打山へ登ったのが実質的には最後の登山と言うことになりそうです。

32年前、直腸がんの手術を機にマラソンから登山に人生方向転換、爾来30有年余、登山に明け暮れ、登った山の数は北海道利尻山から沖縄県石垣島の於茂登岳まで2204座。47都道府県で一座も登ってない県はありません。十分に登りました。もう未練がましいことは言うまい。

実は、悔いを感じないというより、体力・気力がついていけなくなったと言う方が当たっているのかもしれません。登山用具も泣いて馬謖をきる思いで始末しました。

◆硬膜下血腫の予後は順調。普通の山なら登れそうな気もしますが、もう十分すぎるほど登ってきた・・・未練がましいことは言うまい。そう自分に言い聞かせています。

2019.08.30(金) 晩夏

『晩夏』という言葉を久しぶりに目にしました。
広辞苑を牽くと「夏の末、陰暦六月の異称」とのこと。
一般には夏の終わり頃を意味し、夏から秋へ移り変わる、秋の手前の時期のようです。
気象上では処暑を過ぎた8月23日頃から9月1日頃とされていますから、ちょうど今がそのときということになります。
◆何十年か前に「挽歌」という映画がありました。読みは同じでも晩夏とは意味が違い、中国で葬送の際、霊柩車を牽く者がうたった歌・・と広辞苑に載っていました。

どっちでもいい話をすみません、暇なものですから(笑)


2018.08.29(
)  夏野菜

「夏野菜」という言葉はよく聞きますが、スーパーへ行くと一年中同じような野菜が並んでいて、あまり季節感がない気がします(めったにスーパーへは行かない平爺の印象です)

◆今年も庭の隅っこに植えたのは
ピーマン・ミニトマト・ナス・ゴーヤ・キュウリの5種類。
勝手に生え、茂っているのはシソとミョウガ
それにプランターにパセリなど

◆ナス・ピーマンは不作でしたが(原因は連作障害)ミニトマトは食べても食べても食べきれず、三食食卓にのぼります。
ところで夏野菜とはどんな野菜?ネット検索すると1位から10位までは

   1位トマト 2位きゅうり 3位枝豆 4位ナス 5位とうもろこし
   6位レタス 7位 クラ 8位カボチャ 9位ピーマン 10位 ゴーヤ

◆我が家定番の夏野菜 ピーマン・ミニトマト・ナス・ゴーヤ・キュウリは連作障害を避けるために来年は土を休ませようかと思っています。

2019.8.27(
) 頭を垂れる稲穂
 

稲穂が出そろうと田園風景が一変。鮮やかな緑が黄緑色へと変わっていきました。稔りが進むと穂の重さで少しづつお辞儀が深くなっていきます。
こんな言葉がありますネ

  『稔るほど こうべ()を垂れる 稲穂かな』

好きなことばです。人も見習うといいのですが・・・とりわけ政治家にはそれが望まれるように思います。たとえば国会議員が地元へ来ると、郎党をぞろぞろと従え、肩で風をきるように闊歩する姿は見ていられません。代議士って本当にそんなに偉いの?言ってみれば公僕、わが身は捨てても、国民のために身を粉にして働く、それが代議士だと思いますし周りの人々も『先生、先生」と増長させるような態度は控えるべきだと思うのですがね。取り巻きにも責任があると思います。

◆今月初、国会議員が秘書に対して暴言暴行や、人格を気づつけた事件報道がありました。その後、どうなったのでしょう・・・もしやもみ消されたか?
汚い暴言と暴行の大阪のバカなおばさん代議士、耳を覆いたくなるような下品さは今も脳裏に焼き付いていますし、そのあとも代議士の不品行はなくなりません。『稔るほど…』を思い起こしてほしいものです。


2019,08,26(
) アリ騒動
 

早朝25℃・・・爽やか

「虫」・・・“気持ち悪い~”という虫嫌いは結構多いらしい。うちのカミさんも、それほどひどくはないが嫌い派。徹底して嫌いな人はアリもトンボもチョウもコガネムシもカエルもキリギリスも触れないらしい。総じて田舎育ちにはそうした人はめったにいませんでした。むしろ玩具にして遊んだものです。
幼児を連れて公園へ・・・ヤングママ「そんなところへ座ると虫さんがいるわよ・・・」と虫嫌いたたきこみ教育。平爺の知る人で「虫が嫌いでキャンプができない」というおっさんも。 

◆数日前、家の中に小型のアリが行列を作り同じコースを行き来しているのを発見。その数多すぎて数えきれない。「お父さん大変っ・・・アリがいっぱい・・・」せっぱ詰まった声のカミさん。行くアリ戻るアリ、同じルートを整然とつながって大行進、一本の黒い毛糸が微動しているように見える。
掃除機で吸い取ったり、殺虫材を撒いたり、指で押しつぶしたり・・・・

騒ぎはいったん収まり、これでまずは一安心は甘かった。翌朝見ると、前日と変わらぬ行列・・・これは屋内に巣があるに違いない。ということで捜索隊を結成、徹底調査に乗りだした。
見つけました。玄関上がり框に置いてあった不使用の敷物。めくってみると黒いかたまり・・・うじゃうじゃと動いている。アリの巣だ~・・・・殺虫剤と電気掃除機で一毛打尽。やれやれ一件落着ーーーと思った。

ところが翌朝、以前と同じルートを編隊を組んで大行進しているではないか。昨日、巣から働きにでていて退治できなかったヤツだろう・・・黒い毛糸と見まがう行列を電気掃除機で吸い取り処分。これでよし・・・・ところが翌朝同じ線上にまだうろちょろと行き来している・・・。一匹も見落とさないぞの執念で吸い取り続行、4 日目の残党処分でようやく完全制圧することができました。とんだアリ騒動でした。
働きものとして知られるアリだが、何とも迷惑な虫。振り回されました。


2019.08.25() 鐘の鳴る丘  

一昨日の日記は、激しい戦火を逃れ、沖縄から九州へ向かった疎開船対馬丸が魚雷攻撃に遭って撃沈、多くの命が無駄に失われたことを書きましたが、本日の日記は、東京空襲で家を焼かれ、両親を失った戦争孤児の話です。

 ◆太平洋戦争で日本が降伏後、2年ほどしてNHKのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』が始まりました。住む家も両親も空襲で失った東京の孤児たちが、見知らぬ遠い地へ移り、助け合いながら健気に生きていくというストーリー。舞台は長野県安曇野の丘の上に建つ施設です。
対馬丸は全員死亡でしたが、このドラマの方は助け合いながら明るく元気に生き抜いていきます。
テレビがない時代でしたが、多くの人々がラジオを抱きかかえるようにして耳を傾け、主題歌「♪ι鐘の鳴る丘」を一緒に口ずさみました。

◆先日の認知症ボランティア訪問の際に、鐘の鳴る丘の歌詞を用意していって、みんなで歌いました。懐かしそうに歌っていました。 

♪♪ 鐘の鳴る丘  作詞・菊田一夫  作曲・古関裕而  ♪♪

  1 緑の丘の 赤い屋根 とんがり帽子の 時計台
    鐘が鳴ります キンコンカン メイメイ小山羊も 鳴いてます
    風が そよそよ 丘の家 黄色い お窓は おいらの家よ 

  2 緑の丘の 麦畑 おいらが 一人で いる時に
    鐘が鳴ります キンコンカン 鳴る鳴る 鐘は 父母の
    元気で いろよと いう声よ 口笛吹いて おいらは 元気 

  3 とんがり帽子の 時計台 夜になったら 星が出る
    鐘が鳴ります キンコンカン おいらは かえる 屋根の下
    父さん母さん いないけど 丘のあの窓 おいらの家よ 

  4 おやすみなさい 空の星 おやすみなさい 仲間たち
    鐘が鳴ります キンコンカン 昨日に まさる 今日よりも
    あしたは もっと しあわせに みんな仲よく おやすみなさい

【追記】NHK朝ドラの「なつぞら」を、録画して何日分かまとめて見ています。一昨夜のこと、録画を見ていると何と「鐘の鳴る丘」の歌が出てきました。以心伝心・・とは違いますよネ。


2019.08.24(
) 処暑
 

焚火が似合う季節?

8/239/6は二十四節気の「処暑」 猛暑酷暑もようやく終焉。平爺にはこれまででいちばん暑かった夏という気がします。

昨朝のウォーキングも、そよ吹く風がやさしく感じました。虫の音も元気づいて聞こえました。季節はちゃんとやってくるものですね。秋のお告げにほっとしています。

 ◆朝夕、時をはかったように訪れていた雀たち、ここひと月以上ほとんど姿を見せません。エサ台の下のサツキの陰に隠れていたネコが、スズメの警戒心をあおったようです。猫が寄り付かない方法はないかな~
稲田も穂が膨らんでスズメたちにとっては我が世の春・・いや秋です。稲刈りが終わり、落ち穂をついばみ、そして初雪の降るころには元のように庭へ飛んできてくれるだろうか。
たかがスズメ、毎日訪れてくれる様子を目にしていると、ペットのような愛着が湧くもの。朝夕のいっとき、元気な囀りを耳にしないと淋しい。 

◆テレビで、アラスカの氷山が大規模に崩壊したという映像を見ました。地球温暖化の影響らしい・・便利で快適な生活をさらに追及しつづけたその暁には、果たしてどんな地球が残るのか・・・異常に暑かったこの夏と重ね合わせ、人類滅亡はSFの世界の話ではない気がしてきます。

2019.08.0.23(
) 対馬丸
 

(写真は対馬丸 ネットより拝借)

「対馬丸」・・・? ご存じない方もいるかもしれません。戦前の日本郵船の貨物船です。日本が仕掛けた太平洋戦争はまさに断末魔の様相。沖縄の児童たちが本土へ疎開するためにこの船に乗せられた。
途中米海軍の魚雷攻撃を受けて沈没、判っているだけで学童779人を含む1490人が海の藻屑となってしまった悲惨な事件です。それは75年前の今日のこと、もし1年早く降伏していたら失われなかった命。
ほかにも1年早く降伏していたら生き永らえた人がどのくらいあるのか・・・。東京大空襲の多くの焼死もなかったし、長崎・広島も原爆の被害にあわずにすんだはず。南洋諸島に取り残され、飢えに苦しみ生き地獄を味わいながら死んでいった数えきれない数の兵士たち・・・。

「平和憲法」はなにがあっても守り抜かねばならない、すべての子孫に二度と悲惨な戦争を味わわせてはならない。それが老いの進む平爺の曲げられない信念です。

2019.08.22(
) もたもやひどい事件です

うろ覚えの記憶、間違っていたらご勘弁を。米国では、性的暴行殺人などのきわめて凶悪・重大な犯罪者は、特殊な電波を発するチップ(gps)を身体に取り付け、刑期終了後も居場所を常時掌握できるようにしている・・という聞きかじりの記憶です。 

◆先日からテレビのニュースショーなどで取り上げられているのがあおり運転と傷害事件。京アニの放火大量殺人の記憶もまだ生々しいところへ、また震えがくるような異常事件でした。テレビを見て感じるのは、仮に刑期が終わって釈放されてもまた同じことを繰り返すのではないか・・・運転していても、もし自分の身の上にあのようなことがふりかかってきたら・・・そう思わずにはいられません。

刑期を終われば善良な市民と同等、差別は問題あるかもしれません。それを承知で、野に放たれた狂犬から市民を守る観点からは、電波チップ埋め込みも一つの方法だと思います。


2019.08.21(水)
 雷鳴

実りの秋近づく

昨日午前中は認知症介護施設へのボラ。帰宅後、昼食を済ませて日課の昼寝?。しばらくすると爆弾が隣で炸裂したょうな轟音、目を覚ますと雷でした。雷が鳴ると梅雨が明けると言いますが、この雷さまが猛暑・酷暑の終了の印でありますように。 

◆偶然ですが、先日読み終わった小説、そして目下読んでいる小説、ともに舞台に四国巡礼の場面が登場。平爺の巡礼は75歳のとき、今から7年前ですが、懐かしさをそそられながら読んでいます。

◆四国巡礼には「お接待」という風習があります。地元の方々が巡礼の人々に心づけを下さることを言います。私もジュース、お菓子・・・現金を頂戴したことがありました。お接待は断ってはいけないのだそうです。でも現金いただいたときは戸惑いました。お接待は「功徳」という考え方のようです。四国の方々がみんな立派で良い人のようにインプットされました。38日間、1200㎞の四国遍路のきつかったことを思い出しながら小説を読んでいます。


2019.08.20() あれから半年  

半年ほど前、未明のウォーキング中に突然ぶっ倒れ、脳外科・耳鼻咽喉科。心臓内科などのお世話になりました。

今は痛みなどの自覚症状はありませんが、目眩・ふらつきを用心して、急に立ちあがったりしない・・・などの用心は欠かせません。

しかし奥方が言うには「最近何かが変、やっていることや言っていることがチグハグだったり、物忘れが多いし・・・・。

「あのときの後遺症というより、加齢にともなう認知機能の低下じゃないの・・・」とかわしてはいるのですが。

◆昨日、脳神経外科を受診。CT検査では血腫はきれいに消えている。「回復」という診断で、以後受診も薬も不要とのご宣託。この先どうなるのかと不安もありましたが、もうだいじょうぶ、あとは自身の気持ちの回復あるのみと思っています。ただし焦って無理をしないよう、自らを戒めていくつもりです。

ご心配下さった皆様にお礼かたがたご報告させていただきます。ありがとうございました。

【追記】「最近、お父さんは何か変よ・・・」という妻の診断、正直なところ自分でも思い当たります。認知症と硬膜下血腫を比べたらどっちがいいか・・・どっちもお断りしたいところですが、認知症の方は歳相応につきあっていかざるを得ないことと覚悟しています。

2019.08.19(月) 酷暑のウォーキング

 ユウガオ?
「猛暑・酷暑に熱中症注意・・・」、新聞・テレビで連日この漢字が踊り、こんな夏は始めてのような気がします。今年の漢字は「暑」で決まりか!!! ちなみに昨日の長野市最高気温は36℃

長野市の気象データをみると、8月1日からの最高気温
は次のようになっていました。。
33.9  35.3 34. 1 36.5  36.3  35.7  35.7  35.1  33.9  33,4 35.7  35.1  36,8  34.1  36.2  34.2  
そして25℃以上の熱帯夜が7日もありました。
暑いの大嫌いな平爺、これも「修行」のうちなどと笑っていられませんでした。
◆日課のウォーキングは、朝夕2回に分けて一日計2時間ほどのことが多いが、この夏は早朝に1時間半+夕方涼しくなってから30分ほどが定例。秋が待ち遠しい日々です。


2019.08.18(
) 今月のことば
    
   久しぶりに訪れた寺院門前の今月のことば  

      お互いに悪いところはあなたの子
      成績が上がったとたんにわれの子だ
                    (サラ川百選)

◆妻にとっても夫にとっても自慢の息子。決して角突き合わせてなじりあっているわけではない。ほほえましい茶の間の小風景が目に浮かびます。
親の勝手で期待を膨らませ過ぎると良い結果とならないことも・・・・。
ほどほどに成長してくれれば万々歳・・・そんな余裕も失いませんように。

PCの故障で飛ばしてしまった前月の掲示板は

   健康がいちばんというなら 病の人はどうすればいい
    元気も病気も いただいたいのちにむきあう大切な縁だ 

◆いつもの寺院とは別の寺院の前を通る、掲示板が目につきました。
     ぼくらはみんな生きている 生きているから悲しいんだ
  何じゃこりゃ・・・寺院にはやや不似合い?・・・・いずみたく作曲「手のひらを太陽に」 
  住職がファンなのかもしれませんネ。

2019.08.17(土) ごまめの歯軋り(はぎしり)

庭の隅の菜園- 丸ナス
耳にする機会が少ないことばですが、ひさしぶりに目にしました。
意味は何となくわかるような気がしますが、説明しろと言われるとちょっと・・・・・。知らないままにしておくのも気が済まないのでネットで検索。
【意味】
ごまめの歯ぎしりとは、実力のない者が、ひがんで苛立ったり悔しがったりすることのたとえ・・・・何だ。平爺のことを言ってるのか(笑)
ごまめは小さなカタクチイワシを素干しにしたもので、小さくても尾頭付きの祝魚ながら高級魚でなく、軽視されることが多い。
実力のない者が、やたらと憤慨して悔しがったりする行為が無駄であるということのたとえにも使われる云々。使い方を間違えると大変ですね~平爺は使わないことにします。


2019.08.16(
) 暑さ うんざり
 
昇天したアブラゼミ

昨日、日本武道館で行われた「全国戦没者追悼式」とあわせて、2度と戦争を起こさない決意を表明する日であってくれたらと思いながらテレビ放送を見ていました。

◆日課の早朝ウォーキング、涼ししいうちにとの思いは届かず、熱帯夜のつづきでは到底「爽やかウォーキング」とは言い難い。1時間半ほど歩いてくると汗びっしょり・・・シャワーを浴びる。ついでに冷えたビールを一杯・・・・の誘惑もありますが、まさか朝っぱらからというわけにはきません。

当地 8月に入って以来の最高気温35度以上の日が9日 いちばん低かっ日でも33.4
当家の標高は約350メートル・・・高低差100mで気温は0.6度違うと言いますが、その恩恵は感じません。夏よ、早く過ぎてくれ~(暑さに弱い平爺の悲鳴)

昨朝のウォーキング。暑苦しいアブラゼミの声と、さわやかなコウロギの声。コウロギ頑張れ。

2019.08.15(
) 終戦記念日
 

 
 平和の鳩

太平洋戦争で崖っぷちに追い詰められた日本は、ボツダム宣言を無条件で受託することを決定、実質的な戦闘は終結しました。敗戦は火を見るより明らかになていた一年前、いや一ケ月前、いや10日前に降伏していたら、兵士は南方のジャングルをさまよい餓死することもなく、自決して死ぬこともなく、空爆で命を落とす市民もなく、沖縄市民の自決もなく、満州開拓民の悲劇もなく、あるいは原爆で死ぬこともなかった・・・

戦争責任を問う「極東国際軍事裁判」において、日本の指導者がその責任を裁かれ死刑に処されました。
ところが日本人の手で戦争責任を問うことはないままに現在にいたっています。中には降伏後に責任をとって自決した指導者もいましたが。 

●むごい戦争の記憶が日々遠のき、忘れられ、平和憲法九条【戦争放棄、再軍備及び交戦権の否認】も、現政権下怪しくなりつつあるように感じています。

憲法九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1―日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。

2―前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

2019.08.15(
)  旧かな使い
 

最近読んだ小説の中で、古いノートの記入がたくさん出てきました。読みにくいものの、昔を思い出して面白かったそのいくつかを転記させてもらいました。
もちろん平爺の国民学校時代の教科書よりもっと前のカナ使いだと思います。

 奪去った-奪い去った  伝られ-伝えられ
 願-願い  伴ー伴い
 燃えてるー燃えている  そのうなもの-そのようなもの
 違んかなー違うんかな  設計図どり-設計図どおり
 見つめてゐた-見つめていた  追越す-追い越す
 どのうな性質-どのような性質  手拭-手拭い
 さういえば-そういえば  やりまう-やりましょう
 近づうとする-近づこうとする  言ない-言わない















こんなことを日記に書くなんて、平爺はよくよく暇な年寄りだと思ます()


2019.08.14(水) 座右の銘「つづける」

コウゾリナ
週2日のボランティアに夏休みは無し。昨日も今日も認知症介護施設へのボラは休みません。利用者さんも全員施設にいました。自宅へ一時帰宅するより、涼しくて良いかもしれません。1時間あまりゲームをしたり唱歌を歌ったり尻とりをして過ごしてきました。
認知症の方の特徴の一つとして、見知らぬ人への警戒心が強いと言われますが、今はすっかり顔なじみになって身内に接するような感じで受け入れてもらっています。

◆一ケ月ほど前のこと、妻が車で送迎してくれました。そのついでに平爺のボラの様子を見学し、一緒に歌をうたったりして過ごしました。次に訪問したとき「今日は奥さんは一緒じゃないの?」と言われてびっくり。1週間前の妻の同行を覚えていてくれたのです。一緒に歌をうたった印象が強かったのかもしれません。歌のレベルは平爺と妻とでは月とスッポンほどの差、印象に焼き付いたのでしょう。

老いぼれ爺の来訪を喜んでくれる利用者さんのことを思うと、お盆といえども休んでいられません。この歳をして社会のお役に立てる唯一のもの、もう少し頑張りたいと思っています。
平爺の座右の銘・・・「つづける」


2019.08.13(
) 高原のトレッキング
妙高山をのぞみながら

うんざりする酷暑は止む気配なし。
来宅中の息子と連れ立って長野市郊外標高800mの飯綱高原へ避難or避暑??

息子はマウンテンバイクで標高1000mの大座法師池方面へのツーリング。妻と平爺はさわやかな高原の風を感じながら、霊泉寺湖回周2時間弱のトレッキング。
酷暑の下界より4、5度は違ったと思いますが高原も暑い。温泉で汗を流して帰宅。
それにしても暑すぎる夏。早くなんとかして~。

2019.08.12(月) これでいいのか


テレビだったか新聞だったかは忘れましたが、フランスに
 「卵を割らずにオムレツを作ることはできない」
という諺があるらしい。

蒲(ガマ)の穂
ふと頭をよぎったのは、国会でも大モメに揉めた森友疑惑。それが不起訴処分になったというニュース。まさに大山鳴動して鼠一匹出ず・・・これは日本の諺。
報道や国会中継などを見ている限り「まさか不起訴はないでしょう・・・」というのが普通の庶民感覚。カラを割らなかったということか。
日本は三権分立が機能しているようには見えない? 庶民感覚としては首をかしげたくなるような結末です。そして一強タ弱によって形骸化してしまった国会=カラが崩れない限り思うがままの国会運営に歯止めが利かないということで、諦めざるをえないのだろうか。


2019.08.11(日) 猛暑はつづく
立秋は過ぎたものの猛暑のやむ気配はなく、最高気温も連日35℃以上。「爽やか信州」のキャチフレーズも形無しです。
もうすぐリンゴの季節
PCは正常に作動。操作にも少しづつ慣れてきました。
この1か月ほど、PC故障を案じるメールが何通も届いていたことがわかりました。お一人づつにお礼やお詫びのご返事ができませんので、本日の日記でお礼とお詫びを申し上げさせていただきます。ありがとうございました。
◆昨夜、息子が来宅。孫は都合が悪くて急遽とりやめとなり今夏は顔を見ることはできないのが残念です。


2019.08.10(土)ーNO.2 長崎

長崎平和記念像
-新婚旅行-

74年前の8月9日、長崎天主堂に原爆が投下された日。ニュースの中でとりわけ心を揺すぶられた当時の1枚の写真を目にしました。
それは小学4~5年と思しき少年が、おんぶい紐で小さな子を背負った写真。背中の赤子は1歳か2歳くらいの弟。首がだらんと後ろに折れ曲がり、明らかに死んでいます。被爆したのでしょうか、火葬の順番を待っている様子との解説。撮影したのは日本人かアメリカの報道員かわかりません。平爺は耐え切れずに涙の流れが落ちるのをとめることができませんでした。少年だけを残し、親族は被爆で死亡してしまったのでしょう。

式典での長崎市長は国に対して
核軍縮に逆行する国際情勢に危機感を示し、日本政府には核兵器禁止条約への署名、批准を迫った・・・」
しかし列席、挨拶に立った安倍総理は、そのことに一言もふれなかったとのこと。悲しい・・・・。


60年ほど前の平爺の新婚旅行は九州ー長崎・熊本・大分でした
。新幹線もなく、一般人が飛行機で・・・という時代ではなく、列車と瀬戸内海船の旅でした。平和記念像に手を合わせるのが一番の目的だったのを思い出します。


2019.08.10(土) あれから半年

PC障害から、一応は復帰したものの、使い勝手に戸惑って右往左往するばかり。当分はこんな状態が続くのだと思います。

◆突如として見舞われた硬膜下血腫から半年あまり、新たな障害もなく日常生活ほ滞りなく過ごしています。ご心配くださいました皆様のお心のおかげで無事乗り切れたものと感謝しています。
悩まされた痛みや目眩もほぼおさまってはいるものの、用心が身について慎重に慎重にと気を使う日々。まさに「なますを吹く」という心境で用心深く暮らしています。
とは言え、暑さにもめげず、日課のウォーキングだけは以前と同様に復活、歩くペースはやや遅くなっいますが、早朝の涼しい時間帯を選び、休まず続けています。
◆自分では気づきませんが、平爺の行動の一部始終を目にしているカミさんは「お父さん、やっぱりこの頃少し変よ・・・・お医者さんへ行きましょう・・・予約するからね・・・・」
当人はおかしいと気づかなくても、何かおかしいところがあるのかな~平爺の返す言葉はただ一つ「歳相応だよ・・・」
当の本人は「今日も恙なく一日が終わった・・・認知症の気もないしありがたい・・・」と納得して布団に入ります。

ちなみに認知所介護施設へのボラは、毎週2回、休むことはありません。


2019.08.09() 戸惑いながら

PC復活とはいうものの、同じ作業でも以前とは微妙に違っていたりして戸惑いの連続。時間ばかりかかってイライラ() 同じ作業に3倍も4倍も時間がかかります。
そういえばWIN95が出現、PCが庶民に普及した当時、平爺(当時は40歳代の後半)も飛びつきましたが、教わる人もなくマニュアル頼みの独学。犬が星をみるような感じでした。
電子メールがつながったときはうれしかったのを思い出します。

毎日PCに触っていれば、1か月もしたらそこそこの操作は可能になるかな~・・・・と思っているのですが,ネ。

◆「さわやか信州」が売りの当地。今年は連日35度超え。いったいどうなってんのよ・・・。クーラーをつけて寝るなんてめったになかったのに、今年は連日連夜の活躍です。
もしかして地球に一大異変の前触れ?北極・南極の氷の大地もどんどん融けているとか。孫たちが平爺の歳になるころ、地球はどうなっているのでしょうか・・・

2019.08.08(
) 
終活 ・写真アルバムの整理

PCの故障は何とか回復しましたが、使い勝手がかなり変わって、覚えるのが一苦労。老いぼれ頭を何とかフル稼働させて、「よもやま日記」だけは続けるようと頑張っています。 

アルバムの一部

1か月PCから遠ざかっていたその時間を無駄にしないため、かねてより懸案の写真の整理に手をつけました。なにしろ50冊以上もあるアルバム、重量もかなりのもの。作業もスイスイスイ・・・とはいきませんでした。毎日数時間を整理にあてて、まずアルバムから写真を剥がすことからスタート。これが思いのほか大変な作業でした。

剥がした写真のうち保存するもの、廃棄するものに分類(保管・廃棄の比率は3対7ほど)。保管すべきものについは時系列的に整理、後日支障をきたさないようにしておかなくてはなりません。

私たち夫婦のものは極力廃棄整理、二人の息子と孫のものを優先的に保管するように選別。これほどの作業になるとは想定外・・・というより、よくも撮ったものと感心(笑) 

次のステップは新しいアルバムへの貼付ですが、とりあえずPCのマスターが優先。そのあとで新しいアルバムにわかりやすく並べていくことになります。

ああ・・・終活とはこんなに大変な作業だったとは・・・身にしみています。

2019.08.07(水) ヒロシマ

朝焼け・・・8/6

被爆から74年、世界最初の被爆都市広島で慰霊式典の様子がテレビで生中継されていました。
以前は、車で市や村や町を走ると「核兵器廃絶宣言」という大きな看板が目につきました。被爆国ならではの国民の心情だと思いますが、今はほとんど目にしません。核兵器の悲惨さを忘れてしまったのでしょうか。

何年も前ですが、広島を訪れたとき平和公園で目にした碑文がしっかりと目に焼き付いています。「あやまちはくりかえませぬから」
先だって、妻の運転する車に同乗、さびれた町を走っていると、久しぶりにその看板が目に入りました。忘れていない自治体もあったのだ・・・・ 

◆いちばん最初に批准すべきと国と思われる核禁止条約を日本は批准していません。平爺は不思議でなりません。

昨日は、西方の空に向かって被爆犠牲者の霊に哀悼の意を捧げさせていただきました。犠牲者の霊も、核兵器のない世界の来る日を待っていると思います。 

◆新しいパソコンは、ソフトなども不慣れのために、一日分の日記を書くのも以前の数倍の時間がかかっいます。続けていけるかな~~

2019.08.06(月) お知らせ

よもやま日記は一か月以上の長いお休みでしたがようやく復帰。たらい回しのPC
修理でした。
●最初の業者--結構な代金を請求されましたが、結論としてはまったく使いものにならないまま送り返されてきました。PCを送ってから返却まで20日以上。
●2回目は地元の比較的大きい業者を選んでみました。PCを新しいものに買い替え。旧マシンのデーターを移行してしてもらいましたが、ほとんど使いものにならず。この業者の日数は約10日間。
●そして3回目の業者。8月4日、電話帳で個人業者を探して電話すると即日来宅OK。作業を見てると、素人目にも素晴らしいノウハウを持っていることがわかりました。一つ一つ原因を究明しつつ納得のいく説明。私の目の前で約4時間、手も早いし判断も早い。修理後の使い勝手も肝心なところは分かりやすい説明がつき、4時間ほどでほぼ以前と同程度に機能するところまで復元してもらえました。

■健康上の問題もあり、当面は登山からは遠ざかざるを得ません。気の向くままに「平のよもやま日記」
を主体にして更新していくつもりです。「山岳巡礼」の更新はありませんが、過去の記録をいつでもご覧いただけるようにしてあります。
今後ともよろしくお願いいたします。


2019.07.01(月) お知らせ

ナツツバキ
梅雨まっただ中へ、憂鬱です・・・・
ホームページ『がん・人口肛門からの出発』・『山岳巡礼』とも、サーバーへのアップローど出来なくなってから早1週間余。持てる知識をフルに動員、毎日朝から晩まで復帰を期して頑張ってきましたが自力解決の目途がたちません。
WIN95からスタート、パソコン歴も20数年となり、ホームページ歴も20年あまり。カルチャー教室とか、詳しい方からレクチャーを受けたことは一度もなく、電子メールも何とかできるようになり、HPも自力で作ってきました。
ところが1週間前から始まった不具合→→ サーバーとデータをやりとりするFFFTP機能が不正常となったのが1ヶ月ほど前、だましだましHPのアップをしてきましたが、ついにだましもきかなくなってしまいました。
一度はホームページからの撤退を決意したものの、気が変わって修理専門店にチェックしてもらおうかと考慮中。結果はどうなるかわかりませんが、しばらくは電子メールもホームページも無い生活です。
うまく回復できたときは、ホームページ上にてお知らせ致します。

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