2019年 10月
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2019.10.31(木) すずめ
くず米に呼び寄せられて、毎日何十羽というスズメが通ってきた我が家の庭。なぜか夏のころからとんと姿を見せなくなりました。せっかくネットで購入したくず米(20kg×2袋)のエサも減りません。 飼い主不明の3匹の猫が、毎日のように当家の庭へ侵入。植栽の陰で身を低くして雀をねらっている。雀が来なくなった原因はそれしか考えられません。スズメにとっては命に係わる一大事。猫の飼い主はそれぞれ違うと思われますが。ときには「コラッ】と大声で脅しても、しばらくするとまた忍び入り、平爺はまるっきりバカにされっぱなし。 ペットのような感じで眺めていスズメちゃんたち、姿を見せなくなると淋しいものです。雪が積もり、エサが取れなくなるとまた来るようになるかな~と期待しているのですが。
先だって、スウェーデンの少女がたった一人で地球温暖化による危機を訴え、世界的な運動に取り組む様子が報道されました。「私たちの未来が危機にさらされている・・・・」という訴えに共感する若者たちが次々に立ち上がり、今や世界的な運動になろうとしているとか。
◆昨朝ウォーキングの途次、水害被災地のその後の様子を見てきました。道路に積もった泥濘はかなり片づいていましたが、空き地や公園などに持ち込まれた被災ゴミは、空き地や公園などを埋め尽くすように積み重なったまま。 立て続けに襲いかかる天災、地球全体に大きな変化が起きているのだろうか・・・「天災は忘れたころにやってくる」、そんな呑気なことを言っていられないような気がします。 ◆アマゾンの森林火災・極地の氷河融解による海面上昇、都市のヒー トアイランド現象 、砂漠化の進行・・・北極の氷河がこのまま急速に解けていったら「地球規模の気候変動が起こる」と危惧されているようです。我々の子孫はどうなるのでしょうか。
強風・大雨・・・自然災害の当たり年? 台風が大暴れ、そのあと片付けも終わらないうちに、また次の大雨が非常な爪痕を残していくという念の入れ方・・・県内各地の秋のイベントも軒並み中止の報。準備をしてきた主催者にはお気の毒なことです。 ◆先だって、物置から暖房用のストーブを出して冬支度。25日にはガスストーブの火入れ式? 昨朝は気温一桁の8℃、ウォーキングに手袋が手放せなくなりました。月が替われば氷点下の朝が当たり前、ストーブ用の灯油を150リットル注文しました。 ◆最低気温の推移 16日 18日
20日 22日 24日
26日 28日 【旅愁】 ♪ 更け行ゆく秋の夜 旅の空の
伊豆の旅、最後の3日目は石廊崎と黒船来航の下田港へ。
石廊崎は登山の折、急いで立ち寄った記憶がありますが、気持ちは登山に集中していた上に、何十年も前のことでほとんど記憶に残っていません。 灯台のある石廊崎先端に立ち、大海原の景観を楽しんでから下田港へ。言わずと知れたベリー来航や唐人お吉で知られる歴史の港。周辺を散策してから長野への帰路につきました。
特筆するほどの旅ではありませんが、息子のサポートにより、3日間の小さな旅は無事予定通りにめぐることができました。
伊東温泉の西南方向に緑の草原がポコンと盛り上がったような山、それが大室山です。伊豆半島の旅の途次に立ち寄ってきました。
大室山はどの方向から見ても、お椀をふせたような円錐形のやさしい曲線が美しい。標高580mの山頂に直径300mのすり鉢状の噴火口を持つ休火山で、2010年8月5日に単成火山の典型例として国の天然記念物に指定されたとのこと。
天候に恵まれれば、山頂から太平洋、大島、伊豆七島から天城連山、富士山、箱根へと続く360度のパノラマが楽しめるそうですが、この日は天候に見放されてしまい、箱根方面とおぼしき山が山が見えるだけ。ただ山頂を踏んだというに過ぎませんでした。
伊豆への小さな旅で最初に立ち寄ったのは三島市近郊の「柿田川湧水群」で、日本の自然50選、名水百選、国指定天然記念物。富士山周辺に降った雨が、地下から湧き出る水は一日60~110万トンにもなるとのことです。湧出水の流れる川は長良川・四万十川とともに日本三大清流の一つ。 ぶくん・・・ぶくんと湧き出す水、目を見張ったのはその色です。表現のしようがありません。「水ってこんな色? 水には見えない・・・」吸い込まされそうな色合いは何とよんだらいいのか。紺碧、群青色、紺青色、濃紺、藍色・・・知っている色の名前を並べてみても、これという色名が当てはまらない。 何枚かカメラに収めたつもりが、帰宅して見てみるとここに貼付した1カットしか映っていません。水の色に圧倒されて撮ったつもりが指が震えてシャッターが切れていなかった(笑)
台風19号による水害からほぼ2週間。昨朝は水害被害地周辺をウォーキング、その後の様子を見てきました。
思い立ったが吉日、「またあとで」の「あと」はない年齢になりました。妻と思いつきのような2泊三日伊豆半島の旅をしてきました。サポートは息子。 天城山 達磨山 金冠山 長九郎山 御藤山・猫越岳 発端城山・葛城山 登リ尾 暗沢山 白山 八高山 浜石岳 婆沙羅山 葛城山・・・(もう少し多いかもしれません) 一日目 ★韮山反射炉 ★柿田川湧水群 ★駿河湾千本浜の沈む夕日・・・三島市泊 ◆北信濃から2泊三日の忙しい旅でしたが、数十年前は東京周辺の若い人たちにとって新婚旅行のメッカだった熱海は、今では東京駅から新幹線で40分。熱海が東京の奥座敷と呼ばれた時代ははるかに遠くなりにけりという感あり。 少し前のことですが、のどに小骨がささったように気になっていたことがあります。
テレビで耳にした若いお嬢さんの言葉・・・あれっ? 不思議な言い回しにびっくり。
千曲川の堤防決壊により水害に襲われた集落(穂保)へ入り、その様子を見てきました。ヘドロが溜まっていて、歩くのも容易ではなく、被害の中心部へ行くのは困難。周辺部を視察?してみました。普段は車も通る復員3mほどの道も、着衣や足元などの身支度をしていかないと歩くのは困難。 集落に人気はなく、ほとんどの住民は避難所などに移っているものと思います。かなりの規模の老人福祉施設も、駐車場には泥が溜まり、明かりもなく無人のようです。 早朝ウォーキングで慣れ親しんだ道・集落ですが、知らない別の村へ迷いこんだような錯覚を覚えます。 稲刈りは8~9割がた終わっていますが、済んでいない田では、稲穂が地面にべったり張り付くように倒れ、水びたしです。このまま放置するより仕方ないかもしれません。これまで育ててきた農家の方々の心中はいかばかりか。 昨朝のウォーキングは千曲川右岸を歩いてみました。
右岸は須坂市で、河川敷に広がるリンゴ畑は、左岸長野市と同様にリンゴの木は倒され、ビニールなどの流動物がからみつき、だいぶ乾いてはいますが作業道には土砂が堆積。 収穫直前のリンゴの木には、ほとんど実は残っていませんでした。水流にもぎとられたのでしょう。リンゴ農家の落胆が目に浮かびます。幸運だったのは、右岸堤防は決壊という最悪の事態は免れ、民家の立ち並ぶ集落には水は流れ込まなかったようです。 ◆千曲川左岸の長野市側は堤防が決壊し集落にも大きな被害、一方右岸の須坂市側は堤防無傷。川の流れは直線ではなく、蛇行しているために、場所によって堤防への負荷に違いがあるのかもしれません(平爺の推測です) ◆ところで川の「右岸」と「左岸」・・・おわかりでしょうか。登山を趣味にしている方はたいていご存知だと思いまずが、「下流に向かって見たとき左側が左岸、右側が右岸」です。平爺も登山を始めるようになって知りました。
◆昨朝も水害現場近くまで行ってみました。路面はだいぶ乾いてきたものの、長靴でないと無理です。このヘロドが乾いて風に舞い上がったらさぞや大変だろうな~。 河川敷をはじめ、被災地はリンゴ栽培農家が多いところ。完全には水はひいていません。丹精込めてきたリンゴの木も、倒れた木が目につきます。立っている木には流れてきたゴミなどがまとわりついています。リンゴ農家の落胆のため息が聞こえてくるようです。 集落の空き地には、使いものにならなくなった家具や畳など家財道具が積み重なっています。水害の定番風景です。容赦のない自然の力と無常さ・・・さからうすべのないことを、あらためて認識した身近な災害でした。 「命の源』とも言われるその水が、ときには容赦なく踏みつぶしていく無常さを再認識せざるをえません。
◆平爺の知りあいに和歌をたしなむ初老の女性Yさんという方がいます。先だってお仲間の歌集を頂戴しました。Yさんの歌が19種載っています。 ●独標の 上に立ちて その北に ●なぜ山に 憧れの君を 想うため ケルンというのは、登山者が石を積んで、道に迷わないようにと目印にした小さな石積みの塔。あるいは登山記念に残す小さな石の塔。もう一つは、登山で命を落とした故人の霊を慰めるために積んだ石の小さな塔。どれが正解かは平爺も知りません。
超大型台風が東日本を縦断、甚大な傷跡を残していきました。 被害の中心部「穂保集落」までは行きませんでしたが、冠水の痕跡はわかります。家々に電気の明かりは皆無、避難して無人のようです。犬によく吠えられるところですが、シーンと静まりかえっています。住民全員が避難所に移動しているのでしょう。路面には微細な粉を水で練ったような赤茶けたへ泥が覆い、靴もズボンの裾もベタベタに。出会ったのはマスコミの取材と思われる人だけ。人気はなく、集落そのものが死んでいる・・・そんな感じでした。うろついていると空き巣ねらいと間違われそう、20分ほど集落の中を歩き、被災現場を離れました。 ********************************* 堰堤からの眺めが好きで、早朝ウォーキングのお気に入りコースにしている千曲川堤防の遊歩道。歩いていると信州の文豪島崎藤村=千曲川旅情の歌が浮かびます 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ あたゝかき光はあれど 野に満つる香も知らず 暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛
◆焼額山登山は、高低差500mにも満たない軽いコースだったのに、翌々日に軽い筋肉痛。筋肉痛なんて何十年ぶりだろうか・・・・。 「老化は足から」と言われますが、無理をしない程度にウォーキングを通して健康づくりをつづけてきたつもりですが、脳の劣化防止は打つ手なし。大事なことが思い出せない・・・たとえば現金自動払い出し機の前に立った途端に暗唱が頭から消えてしまう。あれやこれや一生懸命に考えてゴロ合わせの単語を思い出し、無事に引き出せた・・・ということも。 2019.10.13(日) 招かざる客
このたびの暴風で堤防決壊、水没した長野市穂保は、平爺がよく使うウォーキングルートの折り返し点です。 今朝は、水に浸かった集落の人々を救出するためのヘリが、我が家の上空を行ったり来たりしています。まさか身近にこのような被害が出るとは予想だにしませんでした。人工による堤防など、自然の力に比べたら赤子の手をひねるようなものかもしれません。 そういえば、この地域には電柱に横線を引き「〇m」と書かれているのをよく目にします。不思議に思っ尋ねると「水害のときの水深を知るマーク」ということでした。昔から水害多発地帯だった証拠でしょうか。 被害を受けた地域一帯はリンゴ園が広がり、日本のリンゴ栽培始祖の地と聞いたおぼえがあります。収穫期を目前にしてリンゴ農家は愕然としていることでしょう。お気の毒です。 2019.10,12(土) 焼額山の山行記録
●まれにみる大型台風襲来が報じられています。 朝4時半、今のところシトシト雨、風もありません。傘をさして日課のウォーキングに行ってきます。 1時間15分のウォーキングを終わつて帰宅。風は微風程度、雨もシトシト程度で支障はありませんでした。 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub2099.htm 2019.10.10焼額山 山行記録 2019.10,11(金) 1年ぶりの山登り
登ったのはスキーゲレンデのある奥志賀高原焼額山(やけびたい2010m)。17年前、単独で登ったことがあり、今回は2回目。更け行く秋の山歩きが楽しめました。 ◆8ケ月前に硬膜下血腫というアクシデントがあり、以来登山は謹慎していましたが、やはり山はいい・・・。山登りあっての平爺・・・? 山はいいな~ 今秋いちばんの冷え込みでしたが、紺碧の限りなく高い空の下、山歩きには最適の陽気、北アルプスをはじめ、四周の山々の眺めも文句なし。身も心も洗われたような爽快な気分に浸ることができました。 2019.10.10(木)認知症介護施設のボラ――間もなく10年(その2)
昨朝の気温は11℃、今朝は7℃・・・いつまで続く真夏日と秋の気配を待ちわびていましたが、ようやく暑さから解放されそうです。物置から暖房器具を出し、扇風機をしまう・・・面倒な恒例行事。暖房器具は5台、灯油の手配もしなくては。 ◆認知症介護施設へのボラは原則として単独行動。 スキンシップと同じ感触で接します。目線は相手と同等か、できれば下が良い。後ろから急な声掛けや、体に触れたりしない・・・・研修を思い出しながら、一歩一歩信頼を得るよう努め、今ではみなさんから友だち扱いしてもらっています。研修は無駄ではありませんでした。 気は使いますが難しいことはありません。信頼関係ができれば、あとは友だちと遊ぶ感覚です。笑ったり、冷やかしたり・・・・ただ普通の人には通じても、認知症の方には理解できない、悪く解釈される・・・など留意すべきことは多々ありますが、時間をかけ、体験を通して身に着いていくものです。平爺がここまで来るのに10年近くかかりました。 週2回のこのボラが、今では平爺自身の認知症予防(いや、もう認知症初期に足を踏み入れている?)におおいに役立っていると思っています。あとどのくらい続けられるだろうか?
認知症介護施設のボランティアを始めたのは2011年秋のこと。「傾聴ボランティア研修」に参加した仲間10人でチームを編成、活動をスタートさせました。 集団で訪問して、各自のノウハウを駆使、外界との接触・交流を失った認知症の方々を相手にして、それなりに意義のある時間にすることは思った以上に難しいし、それなりの資質やノウハウも求められました。 月1回、各自都合のつく日を選んでの訪問ということでスタート。3カ月もすると櫛の歯が欠けるように一人欠け、また一人かけ・・・1年が過ぎるころに残ったのは平爺一人だけでした。ボラを志したときは、大げさに言えば“社会貢献“という錦の御旗をかざし、高邁な意思を支えにしてのスタートだったはず。取り組んでみると、独自のキャラクターを生かし、工夫を続けなくてはやり通すことは至難という現実を知ることになりました。 10年近い年月が過ぎましたが、週2回の訪問は特別なことがない限り欠かしたことはありませんし、 ◆認知症介護施設(グループホーム)の被介護者は9人までというきまりがあります。平爺が訪問している施設は2ユニットありますから18人です。玄関は一つでも、中は職員も管理者も調理場もそれぞれのユニットごとに明瞭に分離されています。ボラ訪問は火曜日はAユニット、水曜日はBユニットと決めています。 二十四節気七十二候のカレンダーでは、明日10月8日から「寒露」です。「夜が長くなり、露が冷たく感じるころ」だそうです。「甘露」なら歓迎ですが、これからは日一日と寒さが増していくと思うと心細さを感じます。 ◆長野市周辺は、今が稲刈りの真っ最中。と言っても農家一家が総出という風景はありません。戦車のような機械で運転手が一人だけ、黄金色に稔った稲は瞬く間に刈り取られ、殺風景な風色に変わっていきます。
◆田舎の氏神様の祭りは、たいてい秋の農作業が終わったころに行われるのが普通。この時期の土・日は近在の神社の秋祭りが行われ、あっちこっちから打ち上げ花火の音が耳に届きます。 庭の片隅の家庭菜園? 今年はミニトマトが大豊作で食べるのに一苦労。ところがピーマンとナスは大凶作。原因不明ですが、連作障害と言って、同じ土地に連作するのは避けるのが常識、知ってはいましたが、小さな庭ですから、毎年場所を変えて・・・というわけにはいきません。それにしてもこれほど極端に連作障害が出るとは思いませんでした。 <茄子に関連したことばなど>
太平洋戦争末期、戦闘能力を失い、無抵抗の沖縄へ連合国軍が続々と上陸。敵軍に何をされるかわからない・・・自ら命を絶った動員女高生の「ひめゆりの塔」の悲話や、疎開船対馬丸で本土へ向かっていた学童767人を含む1,661人が魚雷攻撃を受けて沈没、児童を含む多くが溺死等、今も語り継がれる悲話です。
◆目下読み進めている本の中に、今はソ連領となっているサハリン(樺太)における日本女性の集団自決が出てきました。以前、このことはテレビなどでも取り上げられ知ってはいました。 日本の無条件降伏で太平洋戦争は終結、ところがそれを無視してロシア軍は続々と南下、電話交換手として軍に徴用されていた日本女性は、危機せまる中で電話交換業務に取り組んでいたがそれも限界。そしてソ連兵に何をされるかわからない・・・日本兵は戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けず」と教えこまれていた時代です。全員が自決を決意。そして交換手の最後の電話は「日本のみなさまさようなら、これが最後の電話です」・・・直後に9人は青酸カリを口に含んで自決。 ◆北海道北端の稚内公園にはその「九人の乙女の碑」が立っているとのことです。知っていたら利尻島の利尻岳へ登った折に立ち寄ればよかった。来年は礼文島の礼文岳登頂を考えているので、そのおりにはぜひ・・・・。 戦火のむごい話が、人知れずまだまだたくたんあるのだと思います。 あつは嫌い これは駄目 ところがそれとは逆に、言い方は難しいのですが人の好き嫌いは人並みか、それ以上に強い方だと認識しています。それなのに他人に不快感を与えないようにと気を使うのは人並み以上だと思っています。 嫌いというより、人づきあいが下手と言った方が当たっているかもしれません。 他人様が平爺をどう見ているか・・・ということに無頓着でいられるから気楽に生きていられるのかもしれません。 一人でいて淋しいとか、孤独感に苛まされるということもなく、変人の部類に属する変わり者というのが自己評価です。 2019.10.04(金) 秋
10月の声を聞けば、秋は日ごとに深まっていくのが例年の季節の歩み。ところカレンダーが変わっても、厳しかった猛暑の名残を残しています。“地球温暖化”は脅しではないぞ・・・暑くて「寒気・さむけ?」を感じるような今年の秋の歩みです。
それでも色の濃くなってきたリンゴが、朝日にひときわ輝いているのを目にするとき、ああ、秋だな~ もう一度復習 「おすきなふくは」・・・ お・女郎花 す・薄 き・桔梗 な・撫子
◆一昨日、認知症介護施設付近で、道端に少し大きめのまん丸いドングリが無数に転がっていました。これも秋の風物。この日施設の方々と歌ったのは以下の7曲でした。 ♪赤とんぼ ♪紅葉 ♪里の秋 ♪リンゴのひとり言 ♪旅愁 ♪村祭り ♪故郷の空 夏の気配を残しつつも、季節は秋へ。間もなく四囲の山々が色づいていくと思います。
山梨県道志村のオートキャンプ場から行方不明になった小一の少女。10日以上たつが何一つ手がかりがないとのこと、ずっと気にかかっていました。夜が明けると、あの子が見つかったというニュースが・・・そんな期待もむなしく、時間だけか過ぎていきます。もし平爺の孫たちが幼かったころに同じ状況に遭ったら・・・考えただけでも胸がしめつけられます。 少女が消えたという道志村のキャンプ場は記憶にありませんが、奥多摩・丹沢周辺の山々はすべて登りつくすほど登った山域です。平爺が登山のイロハを学んだエリアでもあります。捜索に加わりたいという衝動に駆られたのも事実ですが、足手まといになるだけでしょう。
植えた覚えがないヒガンバナが、庭の片隅にが咲いています。 ドラマの舞台が北海道ということを知り、北海道びいきの平爺、ちょっとのぞいてみようか・・・という出来心で?見始めると次第に引き込まれていきました。 血のめぐりが鈍くなってきた脳ミソには、難しいストーリーはついていけません。平爺にはちょうど手ごろな筋書きだったと思いますが、それでもときどきは妻の解説を聞かないと、物語がつながらないところもありました。 昔と比べて今の世は、人とのつながりが希薄になってきたと言われますが、このドラマはそんな世情の移り変わりを指摘しているようにも思われました。 webで「今日は何の日」を検索すると、あるわあるわ・・・並べきれないほど
■平爺の何の日・・・1月29日の硬膜下血種の日かな~。 日課のウォーキングは一日も休まず、前月のト―タルは63時間。一日平均約2時間。いちばん多かった日は4時間5分、少なかった日は1時間20分。硬膜下血腫からほぼ10カ月、どうやら以前のレベルに戻ってきたようです。 |
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