2019年 10月

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2019.10.31() すずめ

水害被災ゴミ-ある民家の庭先

くず米に呼び寄せられて、毎日何十羽というスズメが通ってきた我が家の庭。なぜか夏のころからとんと姿を見せなくなりました。せっかくネットで購入したくず米(20kg×2)のエサも減りません。

飼い主不明の3匹の猫が、毎日のように当家の庭へ侵入。植栽の陰で身を低くして雀をねらっている。雀が来なくなった原因はそれしか考えられません。スズメにとっては命に係わる一大事。猫の飼い主はそれぞれ違うと思われますが。ときには「コラッ】と大声で脅しても、しばらくするとまた忍び入り、平爺はまるっきりバカにされっぱなし。

ペットのような感じで眺めていスズメちゃんたち、姿を見せなくなると淋しいものです。雪が積もり、エサが取れなくなるとまた来るようになるかな~と期待しているのですが。
このままだとせっかく購入したエサが無駄になってしまいます。
エサにはコクゾウ虫のような虫がついてしまうのが気がかりです。

2019.10.
30() 地球規模の気象変化?

10/22 初雪の富士山 伊豆旅行の帰路にて

先だって、スウェーデンの少女がたった一人で地球温暖化による危機を訴え、世界的な運動に取り組む様子が報道されました。「私たちの未来が危機にさらされている・・・・」という訴えに共感する若者たちが次々に立ち上がり、今や世界的な運動になろうとしているとか。
立て続けに襲いかかる台風に直面すると、日本が危機の埒外にいることはできないと思ってきました。今年と同じような災害が、来年も、またその次の年も・・その次も・・・あながち稀有とは言っていられないような気がして来るのです。

◆昨朝ウォーキングの途次、水害被災地のその後の様子を見てきました。道路に積もった泥濘はかなり片づいていましたが、空き地や公園などに持ち込まれた被災ゴミは、空き地や公園などを埋め尽くすように積み重なったまま。
夜が明けて間もない早朝、80
才近いと思しき老夫婦、二人がかりで重い家具を庭へ運び出す作業をしていました。思わず手を貸したくなりましたが、通りがかりのおせっかいにしからないと思って通り過ぎました。多分、昼間はボランティアが手助けしてくれるものと思います。

立て続けに襲いかかる天災、地球全体に大きな変化が起きているのだろうか・・・「天災は忘れたころにやってくる」、そんな呑気なことを言っていられないような気がします。

◆アマゾンの森林火災・極地の氷河融解による海面上昇、都市のヒー トアイランド現象 、砂漠化の進行・・・北極の氷河がこのまま急速に解けていったら「地球規模の気候変動が起こる」と危惧されているようです。我々の子孫はどうなるのでしょうか。

2019.10.29() ♪更け行く~秋の夜~

秋色

強風・大雨・・・自然災害の当たり年?

台風が大暴れ、そのあと片付けも終わらないうちに、また次の大雨が非常な爪痕を残していくという念の入れ方・・・県内各地の秋のイベントも軒並み中止の報。準備をしてきた主催者にはお気の毒なことです。
台風一過、天高く実りの秋・・・なんて呑気なことは言っておれませんが、それでも季節は日ごとに秋色を濃くしていきます。楓や桜やハナミズキなどの街路樹も色づきを増しています。秋が一気に駆け抜けて行くと、本格的な冬も近い。

◆先だって、物置から暖房用のストーブを出して冬支度。25日にはガスストーブの火入れ式? 昨朝は気温一桁の8℃、ウォーキングに手袋が手放せなくなりました。月が替われば氷点下の朝が当たり前、ストーブ用の灯油を150リットル注文しました。

  ◆最低気温の推移  16  18日  20日 22日  24日  26日  28
            9.7    11.9    15.2    13.5    10.8     15.1 
8.0℃

  【旅愁】  ♪ 更け行ゆく秋の夜 旅の空の
             ♪ わびしき思いに ひとり悩む
             ♪ 恋しやふるさと なつかし父母
              ♪ 夢路にたどるは さとの家路
         今日のボランティアは、秋の童謡・唱歌の歌詞を用意して行きます。

2019.10.28() 石廊崎

石廊崎灯台

伊豆の旅、最後の3日目は石廊崎と黒船来航の下田港へ。

石廊崎は登山の折、急いで立ち寄った記憶がありますが、気持ちは登山に集中していた上に、何十年も前のことでほとんど記憶に残っていません。
宿を出て石廊崎へ。台風の影響で白波の打ち寄せる海岸沿いを車で約230分。広々とした駐車場から遊歩道を伝って灯台へ。崖の上から見下ろすと、岩礁にたたきつける波しぶきが迫力満点。灯台は、1933(平爺の生まれる少し前)、暴風で大破して現在のコンクリート造に建て替えられたそうです。

灯台のある石廊崎先端に立ち、大海原の景観を楽しんでから下田港へ。言わずと知れたベリー来航や唐人お吉で知られる歴史の港。周辺を散策してから長野への帰路につきました。
車窓の景色を眺めていると、あっ富士山だ・・・ラッキーなことに、初雪の富士山でした。

特筆するほどの旅ではありませんが、息子のサポートにより、3日間の小さな旅は無事予定通りにめぐることができました。

2019.10.27(
) 伊豆半島-大室山

大室山-580m

伊東温泉の西南方向に緑の草原がポコンと盛り上がったような山、それが大室山です。伊豆半島の旅の途次に立ち寄ってきました。
観光客用のリフトを使えば三角点のある山頂まで高低差は100mもない。整備された火口縁の道を1周するのに15分程度。「大室山」と言っても、これは山登りとは無関係の観光遊歩でした。

大室山はどの方向から見ても、お椀をふせたような円錐形のやさしい曲線が美しい。標高580mの山頂に直径300mのすり鉢状の噴火口を持つ休火山で、201085日に単成火山の典型例として国の天然記念物に指定されたとのこと。

天候に恵まれれば、山頂から太平洋、大島、伊豆七島から天城連山、富士山、箱根へと続く360度のパノラマが楽しめるそうですが、この日は天候に見放されてしまい、箱根方面とおぼしき山が山が見えるだけ。ただ山頂を踏んだというに過ぎませんでした。

2019.10.26(
) 伊豆半島-柿田川湧水群

柿田川湧水群の一つ

伊豆への小さな旅で最初に立ち寄ったのは三島市近郊の「柿田川湧水群」で、日本の自然50選、名水百選、国指定天然記念物。富士山周辺に降った雨が、地下から湧き出る水は一日60110万トンにもなるとのことです。湧出水の流れる川は長良川・四万十川とともに日本三大清流の一つ。

ぶくん・・・ぶくんと湧き出す水、目を見張ったのはその色です。表現のしようがありません。「水ってこんな色? 水には見えない・・・」吸い込まされそうな色合いは何とよんだらいいのか。紺碧、群青色、紺青色、濃紺、藍色・・・知っている色の名前を並べてみても、これという色名が当てはまらない。
とにかく見たことのない濃く深く、そして目を奪われる青系統の色としか表現できません。

何枚かカメラに収めたつもりが、帰宅して見てみるとここに貼付した1カットしか映っていません。水の色に圧倒されて撮ったつもりが指が震えてシャッターが切れていなかった()
たかが水、されど水、それにしても圧倒される「青の世界」にただ目を見張ってきました。

2019.10.25(金) これからが大変・被災地

幻想的な駿河湾の夕暮れ

台風19号による水害からほぼ2週間。昨朝は水害被害地周辺をウォーキング、その後の様子を見てきました。
大かたの田んぼは稲の刈り取りが終わっていましたが、これからという田んぼもあっちこっちに残ったまま。稲穂はベタッと倒れたままになっています。このまま腐ってしまうのでしょうか。
大小道路の泥はある程度片付いていましたが、代わりにちょっとした空き地という空き地には廃棄物が山のように積み重なっていました。

◆千曲川堰堤は舗装された片側1車線の自動車道とサイクリング専用道、その間には車道より幅の広い緑地(草)帯となっています。サイクリングやウォーキングには気持ちの良いところでした。その緑地・サイクリング道が家電・家具・たたみ・ダンボール箱など廃棄物の集積場所として様相が一変、これだけのゴミをどのように処分していくのでしょうか・・・案じられるような量です。
水はひいても元の姿に戻るにはどれだけの時間と費用を要するのか、被災地に住んでいた方々の心中は察するに余りあるものがあります。ほんとうに大変なのはこれからが本番という感じがします。

我が家の近く、長野市の施設の大きな駐車場には、自衛隊の「災害派遣」の幕をつけた車が今も30台あまり駐っていました。


2019.10.24(
) 思いつきの旅

世界遺産
韮山反射炉
駿河湾に沈む夕日
三島市・千本浜

思い立ったが吉日、「またあとで」の「あと」はない年齢になりました。妻と思いつきのような2泊三日伊豆半島の旅をしてきました。サポートは息子。
平爺は、登山で伊豆半島には何回も訪れています。登った山をざっと調べて見ました。

天城山 達磨山 金冠山 長九郎山 御藤山・猫越岳 発端城山・葛城山 登リ尾 暗沢山 白山 八高山 浜石岳 婆沙羅山 葛城山・・・(もう少し多いかもしれません)

登山の隙間時間を使ったりして伊豆半島の名所らしきところもかなり見てきたが、伊豆半島は広い・・・。訪ねそこねたところもたくさん残っているし、妻は熱海と伊東、それに箱根周辺しか知らないということで、3日間の伊豆半島をめぐりを立案。19号台風の動きが気になったが、予定した観光ポイントをいくつか訪ねることができました。

一日目  ★韮山反射炉 ★柿田川湧水群 ★駿河湾千本浜の沈む夕日・・・三島市泊
二日目  ★修善寺 ★大室山 ★世界一の巨大万華鏡(館主手作り)のほかにも、驚くような高価な万華鏡が所さ狭しと展示され、訪れた人が手にとっい見ることもできます。伊豆を訪れたらぜひお立ち寄りを。(館主は妻の同級生)
この日は半島南端に近い下田市・弓ヶ浜泊
三日目  ★石廊崎灯台 ★歴史で習った黒船来航の下田湾を散策、唐人お吉の話を思い出す。     帰路、前夜初冠雪したという富士山を眺められたのは想定外の幸運でした。

◆北信濃から2泊三日の忙しい旅でしたが、数十年前は東京周辺の若い人たちにとって新婚旅行のメッカだった熱海は、今では東京駅から新幹線で40分。熱海が東京の奥座敷と呼ばれた時代ははるかに遠くなりにけりという感あり。

万華鏡館
・・伊東市八幡野1353-58 Tel 0557-55-17 http://www.mangekyo-kan.com/

(10/21
24日の日記は休ませていただきます)


2019.10.20(
) ことば

少し前のことですが、のどに小骨がささったように気になっていたことがあります。

台風避難のカカシたち

テレビで耳にした若いお嬢さんの言葉・・・あれっ? 不思議な言い回しにびっくり。
細かいことは忘れましたが、店員に「〇〇〇はあったりしませんか・・・」と問うていました。推測すると「〇〇〇はありますか」または「〇〇〇はありませんか」という意味だと思います。昔からの日本語の殻を破った斬新な表現というのでしょうか。80を超えた爺さんには何とも驚くべき言葉使い方でした。

web検索してみました。「たり」の正しい用法は繰り返しだそうです。「散歩をしたり昼寝をしたり・・・」など・・・これはwebを参照させていただきました。


2019.10.19(
) 水害の現場へ
 

 
乾いて硬く固まった路面のヘドロ

千曲川の堤防決壊により水害に襲われた集落(穂保)へ入り、その様子を見てきました。ヘドロが溜まっていて、歩くのも容易ではなく、被害の中心部へ行くのは困難。周辺部を視察?してみました。普段は車も通る復員3mほどの道も、着衣や足元などの身支度をしていかないと歩くのは困難。

集落に人気はなく、ほとんどの住民は避難所などに移っているものと思います。かなりの規模の老人福祉施設も、駐車場には泥が溜まり、明かりもなく無人のようです。

早朝ウォーキングで慣れ親しんだ道・集落ですが、知らない別の村へ迷いこんだような錯覚を覚えます。
集落の方々は、これからどのように生活を立てなおしていくのでしょうか。

稲刈りは8~9割がた終わっていますが、済んでいない田では、稲穂が地面にべったり張り付くように倒れ、水びたしです。このまま放置するより仕方ないかもしれません。これまで育ててきた農家の方々の心中はいかばかりか。

2019.10.18() 右岸・左岸

昨朝のウォーキングは千曲川右岸を歩いてみました。

横倒しになったリンゴの木

右岸は須坂市で、河川敷に広がるリンゴ畑は、左岸長野市と同様にリンゴの木は倒され、ビニールなどの流動物がからみつき、だいぶ乾いてはいますが作業道には土砂が堆積。

収穫直前のリンゴの木には、ほとんど実は残っていませんでした。水流にもぎとられたのでしょう。リンゴ農家の落胆が目に浮かびます。幸運だったのは、右岸堤防は決壊という最悪の事態は免れ、民家の立ち並ぶ集落には水は流れ込まなかったようです。

◆千曲川左岸の長野市側は堤防が決壊し集落にも大きな被害、一方右岸の須坂市側は堤防無傷。川の流れは直線ではなく、蛇行しているために、場所によって堤防への負荷に違いがあるのかもしれません(平爺の推測です)

◆ところで川の「右岸」と「左岸」・・・おわかりでしょうか。登山を趣味にしている方はたいていご存知だと思いまずが、「下流に向かって見たとき左側が左岸、右側が右岸」です。平爺も登山を始めるようになって知りました。

2019.10.17(
) 水害の爪跡

10/14 満月 水害の残骸
◆去る14日は満月、楽しみにしていたのに台風来襲の気配、一日早いが未練たらしくカメラを構えて空を見上げる。雲の切れた瞬間にパチリ・・・何とか写すことができました。

◆昨朝も水害現場近くまで行ってみました。路面はだいぶ乾いてきたものの、長靴でないと無理です。このヘロドが乾いて風に舞い上がったらさぞや大変だろうな~。

河川敷をはじめ、被災地はリンゴ栽培農家が多いところ。完全には水はひいていません。丹精込めてきたリンゴの木も、倒れた木が目につきます。立っている木には流れてきたゴミなどがまとわりついています。リンゴ農家の落胆のため息が聞こえてくるようです。

集落の空き地には、使いものにならなくなった家具や畳など家財道具が積み重なっています。水害の定番風景です。容赦のない自然の力と無常さ・・・さからうすべのないことを、あらためて認識した身近な災害でした。

「命の源』とも言われるその水が、ときには容赦なく踏みつぶしていく無常さを再認識せざるをえません。

2019.10.16
(水) ケルン
 

西穂高岳 1994.8.20 

◆平爺の知りあいに和歌をたしなむ初老の女性Yさんという方がいます。先だってお仲間の歌集を頂戴しました。Yさんの歌が19種載っています。惹かれた歌を2首紹介します。

独標の 上に立ちて その北に
         抱きつくほどの 西穂高岳

 なぜ山に 憧れの君を 想うため
         ケルンに石を 積むために

ケルンというのは、登山者が石を積んで、道に迷わないようにと目印にした小さな石積みの塔。あるいは登山記念に残す小さな石の塔。もう一つは、登山で命を落とした故人の霊を慰めるために積んだ石の小さな塔。どれが正解かは平爺も知りません。


2019.10.15
(水)千曲川氾濫
ー(2)

日課のウォーキングは今朝も千曲川の堤防。遠くの堤防決壊現場と思われるあたりは、照明が煌々とと照らしていました。徹夜で復旧工事が行われているのだと思まいす。帰りもいつものコース、大きな駐車場のある文化会館まで来ると何十台という赤い自動車・・・消防車などです。「鳥取県」の文字が何台も見えます。遠路応援に馳せ参じてくれたのです。ほかには松本市消防、諏訪市消防なども何台か目につきました。被害現地の住民としては、思わず涙が出そうなほどの感謝の気持ちがこみ上げました。
人の心のつながりを、改めて感じました。
上空には、相変わらずヘリコプターが何機も飛んでいます。

2019.10.15(水)千曲川氾濫  

電柱の水深表示
 水害常習地ならではの知恵?

超大型台風が東日本を縦断、甚大な傷跡を残していきました。
ここ長野県も例外ではありませんでした。
平爺のウォーキングコースはどうなったか・・・・
昨朝明るくなるのを待って千曲川堰堤をたどり、決壊した堤防箇所へ向ってみました。被害の中心部「穂保」までは行けませんでしたが、途中の堰堤から被害集落へ降りてみました。一茶の句碑がいくつもあるとろです。

被害の中心部「穂保集落」までは行きませんでしたが、冠水の痕跡はわかります。家々に電気の明かりは皆無、避難して無人のようです。犬によく吠えられるところですが、シーンと静まりかえっています。住民全員が避難所に移動しているのでしょう。路面には微細な粉を水で練ったような赤茶けたへ泥が覆い、靴もズボンの裾もベタベタに。出会ったのはマスコミの取材と思われる人だけ。人気はなく、集落そのものが死んでいる・・・そんな感じでした。うろついていると空き巣ねらいと間違われそう、20分ほど集落の中を歩き、被災現場を離れました。(昼間は居住者以外は立ち入りが許されないと思います)

 靴、靴下、ズボンは泥だらけ、帰宅してジャージャーと水で流し、シャワーを浴びて平爺の取材はおしまい(笑)  何事もなかった平和な農村が、一瞬にして息を止めてしまった・・・・そんな印象でした。自然の力はすごい!

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堰堤からの眺めが好きで、早朝ウォーキングのお気に入りコースにしている千曲川堤防の遊歩道。歩いていると信州の文豪島崎藤村=千曲川旅情の歌が浮かびます

小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
     緑りなすはこべはもえず 若草も()くによしなし
     しろがねの(しとね)岡辺(おかべ)に溶けて淡雪流る 

あたゝかき光はあれど 野に満つる(かおり)も知らず
     浅くのみ 春はかすみて 麦の色わずかに青し
      旅人の群はいくつか 畑中の道を急ぎぬ 

(くれ)行けば浅間も見えず 歌哀(うたかな)し佐久の草笛
      千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ 
      (にご)り酒(にご)れる飲みて 草枕(くさまくら)しばし慰む

2019.10.14(月)どうして3連休?

12、13、14日がどうして3連休?新しくできたのかなあ・・・・。実は体育の日でした。記憶では以前の東京オリンピック開会の10月10日だったのが第2月曜日に変わったらしい。定年退職後、毎日が日曜日の生活を続けていると、こうしたことがわからなくなってしまう。そうではなくて脳の老化は進むばかり。
先日の焼額山登山、翌々日にごく軽い筋肉痛を感じる。筋肉痛なんて何年振りか・・・。頭はともかく、足も衰えたものです。やれやれ・・・毎日2時間ほどのウォーキングを欠かさないのに。

大暴れした千曲川―13日午後
◆1月29日の硬膜下血腫後も、一日たりとウォーキングを休んだ日はなく、その翌日も2日目も1時間・・・以降1時間10分、1時間17分・・・とつづけてきました。ただし速度は90歳の爺さんが歩く程度のスロースロースロー。30分という日もありましたが、男の意地?を通し、妻の顔色をうかがいながら今日まで休みなく続けています。

◆焼額山登山は、高低差500mにも満たない軽いコースだったのに、翌々日に軽い筋肉痛。筋肉痛なんて何十年ぶりだろうか・・・・。
「老化は足から」と言われますが、無理をしない程度にウォーキングを通して健康づくりをつづけてきたつもりですが、脳の劣化防止は打つ手なし。大事なことが思い出せない・・・たとえば現金自動払い出し機の前に立った途端に暗唱が頭から消えてしまう。あれやこれや一生懸命に考えてゴロ合わせの単語を思い出し、無事に引き出せた・・・ということも。

2019.10.13(日) 招かざる客


収穫直前の信州リンゴ
台風19号は、大きな爪痕を残して走り去りました。まさか我が家にほど近いところにこんな水害が・・・と思いますが、今ほど堅固な堤防のない時代には、大雨が降れば水害は常習だったかもしれません。
このたびの暴風で堤防決壊、水没した長野市穂保は、平爺がよく使うウォーキングルートの折り返し点です。

今朝は、水に浸かった集落の人々を救出するためのヘリが、我が家の上空を行ったり来たりしています。まさか身近にこのような被害が出るとは予想だにしませんでした。人工による堤防など、自然の力に比べたら赤子の手をひねるようなものかもしれません。
そういえば、この地域には電柱に横線を引き「〇m」と書かれているのをよく目にします。不思議に思っ尋ねると「水害のときの水深を知るマーク」ということでした。昔から水害多発地帯だった証拠でしょうか。
被害を受けた地域一帯はリンゴ園が広がり、日本のリンゴ栽培始祖の地と聞いたおぼえがあります。収穫期を目前にしてリンゴ農家は愕然としていることでしょう。お気の毒です。

2019.10,12(土) 焼額山の山行記録

可憐・・・焼額山にて
PC不具合のため、焼額山の山行記録がアップロードできません。そろそろPCから手を引けというおつげ?まだ少し早い気もしますが?

●まれにみる大型台風襲来が報じられています。
朝4時半、今のところシトシト雨、風もありません。傘をさして日課のウォーキングに行ってきます。
1時間15分のウォーキングを終わつて帰宅。風は微風程度、雨もシトシト程度で支障はありませんでした。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub2099.htm 2019.10.10焼額山 山行記録

2019.10,11(金) 1年ぶりの山登り

焼額山山頂の稚児池
 山頂に大きな池があるのは珍しいと思います
昨日は絶好の登山日和。山友Мさんのお誘いを受け、1年ぶりの山歩きを楽しんできました。
登ったのはスキーゲレンデのある奥志賀高原焼額山(やけびたい2010m)。17年前、単独で登ったことがあり、今回は2回目。更け行く秋の山歩きが楽しめました。

◆8ケ月前に硬膜下血腫というアクシデントがあり、以来登山は謹慎していましたが、やはり山はいい・・・。山登りあっての平爺・・・? 山はいいな~
今秋いちばんの冷え込みでしたが、紺碧の限りなく高い空の下、山歩きには最適の陽気、北アルプスをはじめ、四周の山々の眺めも文句なし。身も心も洗われたような爽快な気分に浸ることができました。


2019.10.
10(木)認知症介護施設のボラ――間もなく10年(その2) 
   
♪どんぐりコロコロ ドングリこ・・・

昨朝の気温は11℃、今朝は7℃・・・いつまで続く真夏日と秋の気配を待ちわびていましたが、ようやく暑さから解放されそうです。物置から暖房器具を出し、扇風機をしまう・・・面倒な恒例行事。暖房器具は5台、灯油の手配もしなくては。  

◆認知症介護施設へのボラは原則として単独行動。訪問時に対象となる認知症患者の数は6~7人、そこへどやどやと他人数が押し掛けると恐怖感・威圧感を与えてしまうので、一人でやるのがいちばん。

スキンシップと同じ感触で接します。目線は相手と同等か、できれば下が良い。後ろから急な声掛けや、体に触れたりしない・・・・研修を思い出しながら、一歩一歩信頼を得るよう努め、今ではみなさんから友だち扱いしてもらっています。研修は無駄ではありませんでした。 

気は使いますが難しいことはありません。信頼関係ができれば、あとは友だちと遊ぶ感覚です。笑ったり、冷やかしたり・・・・ただ普通の人には通じても、認知症の方には理解できない、悪く解釈される・・・など留意すべきことは多々ありますが、時間をかけ、体験を通して身に着いていくものです。平爺がここまで来るのに10年近くかかりました。 

週2回のこのボラが、今では平爺自身の認知症予防(いや、もう認知症初期に足を踏み入れている?)におおいに役立っていると思っています。あとどのくらい続けられるだろうか?

2019.10.09
(水)認知症介護施設のボラ―- 間もなく10年
 

小学校学習用の田んぼ

認知症介護施設のボランティアを始めたのは2011年秋のこと。「傾聴ボランティア研修」に参加した仲間10人でチームを編成、活動をスタートさせました。

集団で訪問して、各自のノウハウを駆使、外界との接触・交流を失った認知症の方々を相手にして、それなりに意義のある時間にすることは思った以上に難しいし、それなりの資質やノウハウも求められました。 

1回、各自都合のつく日を選んでの訪問ということでスタート。3カ月もすると櫛の歯が欠けるように一人欠け、また一人かけ・・・1年が過ぎるころに残ったのは平爺一人だけでした。ボラを志したときは、大げさに言えば“社会貢献“という錦の御旗をかざし、高邁な意思を支えにしてのスタートだったはず。取り組んでみると、独自のキャラクターを生かし、工夫を続けなくてはやり通すことは至難という現実を知ることになりました。 

10年近い年月が過ぎましたが、週2回の訪問は特別なことがない限り欠かしたことはありませんし、やめようと思ったこともありません。平爺の座右の銘は「つづける-継続は力なり」・・・

◆認知症介護施設(グループホーム)の被介護者は9人までというきまりがあります。平爺が訪問している施設は2ユニットありますから18人です。玄関は一つでも、中は職員も管理者も調理場もそれぞれのユニットごとに明瞭に分離されています。ボラ訪問は火曜日はAユニット、水曜日はBユニットと決めています。・・・(明日につづく)

2019.10.08(
) 『寒露』
 

二十四節気七十二候のカレンダーでは、明日10月8日から「寒露」です。「夜が長くなり、露が冷たく感じるころ」だそうです。「甘露」なら歓迎ですが、これからは日一日と寒さが増していくと思うと心細さを感じます。
予報では、今日の最高気温は 
  長野市18 東京30℃  札幌市18℃
寒露には程遠い気温・・・でも夏の名残りがもう少し続いてくれてもいいいかな~。

◆長野市周辺は、今が稲刈りの真っ最中。と言っても農家一家が総出という風景はありません。戦車のような機械で運転手が一人だけ、黄金色に稔った稲は瞬く間に刈り取られ、殺風景な風色に変わっていきます。
きれいに刈り取られた田には、落ち穂もありません。平爺が子供のころにやらされた「落ち穂拾い」も用なしです。 

刈り取った稲をはぜかけして乾燥

◆田舎の氏神様の祭りは、たいてい秋の農作業が終わったころに行われるのが普通。この時期の土・日は近在の神社の秋祭りが行われ、あっちこっちから打ち上げ花火の音が耳に届きます。花火の音を聞きながら、また寒い冬が近づいてきたな~そろそろ物置から扇風機と暖房器具を入れ替えなくては・・・。

●今は、写真にようなはぜかけ風景はほとんど見みせん。刈取りと同時に機械が脱穀まで済ませ、すぐに乾燥機にかけてしまいます。
手数はかかりますが、はぜかけ天日干しの米の方が美味いと言われます。

2019.10.07(月) 不作だった茄子(ナス) 

庭の片隅の家庭菜園? 今年はミニトマトが大豊作で食べるのに一苦労。ところがピーマンとナスは大凶作。原因不明ですが、連作障害と言って、同じ土地に連作するのは避けるのが常識、知ってはいましたが、小さな庭ですから、毎年場所を変えて・・・というわけにはいきません。それにしてもこれほど極端に連作障害が出るとは思いませんでした。
ナスと言えは「一富士二鷹三なすび」 初夢に見ると縁起が良いと言われますが、平爺の夢に登場した記憶はありません。 

<茄子に関連したことばなど>
 ●茄子紺  ●ボケナス―何不自由なく育ち、自分では何ひとつできない人
 ●瓜の蔓に茄子はならぬ ●一富士二鷹三茄子-初夢に見ると縁起が良い

 ●親の意見と茄子の花は千に一つのムダもない  ●秋ナスは嫁に食わすな
 ●ボケ(惚け)ナス  ●「那須山(栃木県)に 雲の帯がかかると雨」(栃木県)


2019.10.06
(日) 戦争の傷あと

夕 焼 け

太平洋戦争末期、戦闘能力を失い、無抵抗の沖縄へ連合国軍が続々と上陸。敵軍に何をされるかわからない・・・自ら命を絶った動員女高生の「ひめゆりの塔」の悲話や、疎開船対馬丸で本土へ向かっていた学童767人を含む1,661人が魚雷攻撃を受けて沈没、児童を含む多くが溺死等、今も語り継がれる悲話です。

◆目下読み進めている本の中に、今はソ連領となっているサハリン(樺太)における日本女性の集団自決が出てきました。以前、このことはテレビなどでも取り上げられ知ってはいました。

日本の無条件降伏で太平洋戦争は終結、ところがそれを無視してロシア軍は続々と南下、電話交換手として軍に徴用されていた日本女性は、危機せまる中で電話交換業務に取り組んでいたがそれも限界。そしてソ連兵に何をされるかわからない・・・日本兵は戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けず」と教えこまれていた時代です。全員が自決を決意。そして交換手の最後の電話は「日本のみなさまさようなら、これが最後の電話です」・・・直後に9人は青酸カリを口に含んで自決。
無条件降伏により数日前には戦争は終わっていたのに・・・・。

◆北海道北端の稚内公園にはその「九人の乙女の碑」が立っているとのことです。知っていたら利尻島の利尻岳へ登った折に立ち寄ればよかった。来年は礼文島の礼文岳登頂を考えているので、そのおりにはぜひ・・・・。

戦火のむごい話が、人知れずまだまだたくたんあるのだと思います。

2019.10.05(土) 今月のことば

寺院門前掲示板の今月のことば  

  あつは嫌い これは駄目
  あいつは困る こいつはいいと切りつづける
  私はどうも ハサミのようだ  -平野 修 

平爺は、食べ物についての好き嫌いはまったくありません。子供のころから「まずい」と言った記憶はほとんどありません。何を食べてもおいしい・・・味音痴?
ところがそれとは逆に、言い方は難しいのですが人の好き嫌いは人並みか、それ以上に強い方だと認識しています。それなのに他人に不快感を与えないようにと気を使うのは人並み以上だと思っています。
嫌いというより、人づきあいが下手と言った方が当たっているかもしれません。
他人様が平爺をどう見ているか・・・ということに無頓着でいられるから気楽に生きていられるのかもしれません。
一人でいて淋しいとか、孤独感に苛まされるということもなく、変人の部類に属する変わり者というのが自己評価です。

2019.10.04(金) 秋

10月の声を聞けば、秋は日ごとに深まっていくのが例年の季節の歩み。ところカレンダーが変わっても、厳しかった猛暑の名残を残しています。“地球温暖化”は脅しではないぞ・・・暑くて「寒気・さむけ?」を感じるような今年の秋の歩みです。

ふじばかま

それでも色の濃くなってきたリンゴが、朝日にひときわ輝いているのを目にするとき、ああ、秋だな~
民家の庭先には秋の七草フジバカマ(藤袴)が控えめに咲いていました。2、3日前にはオミナエシ(女郎花)を目にしました。

もう一度復習 「おすきなふくは」・・・

お・女郎花 す・薄  き・桔梗  な・撫子 
  ふ・藤袴  く・葛  は・萩

◆一昨日、認知症介護施設付近で、道端に少し大きめのまん丸いドングリが無数に転がっていました。これも秋の風物。この日施設の方々と歌ったのは以下の7曲でした。 皆さん歌詞を見ずに歌っていました。

  ♪赤とんぼ  ♪紅葉  ♪里の秋  ♪リンゴのひとり言  ♪旅愁   ♪村祭り   ♪故郷の空

夏の気配を残しつつも、季節は秋へ。間もなく四囲の山々が色づいていくと思います。
二十四節季の暦を見ると次のように載っていました。
  9月22日~10月7日頃・・秋分  1008日~10月22日頃・・寒露

2019.10.03(木) 消えた少女は今どこに

用水路 ねらい定めて・・

山梨県道志村のオートキャンプ場から行方不明になった小一の少女。10日以上たつが何一つ手がかりがないとのこと、ずっと気にかかっていました。夜が明けると、あの子が見つかったというニュースが・・・そんな期待もむなしく、時間だけか過ぎていきます。もし平爺の孫たちが幼かったころに同じ状況に遭ったら・・・考えただけでも胸がしめつけられます。
人海戦術の体制も解かれたとのこと。いったいどこへ消えしまったのでしょうか。神隠しとう言葉が頭に浮かびます。

少女が消えたという道志村のキャンプ場は記憶にありませんが、奥多摩・丹沢周辺の山々はすべて登りつくすほど登った山域です。平爺が登山のイロハを学んだエリアでもあります。捜索に加わりたいという衝動に駆られたのも事実ですが、足手まといになるだけでしょう。
身に着けていた着衣や帽子、履物、何一つ見つからないのが、悲しみを一層かきたて、想像したくない事態が頭に浮かんでしまいます。どこでどうしているのでしょうか。奇跡が起きてほしい・・・何ともて切な悲しいできごとです。

2019.10.02
 NHKテレビ 朝ドラ

ヒガンバナ

植えた覚えがないヒガンバナが、庭の片隅にが咲いています。

◆何年かぶりかでNHKの朝ドラを見ました。「夏空」です。最初から最後まで欠かさずに・・・と言っても正直なところ、毎朝15分づつ細切れに見るのは “めんどうくさがり屋”の平爺向きではありません。なのに、半年間よく頑張りました?

ドラマの舞台が北海道ということを知り、北海道びいきの平爺、ちょっとのぞいてみようか・・・という出来心で?見始めると次第に引き込まれていきました。
3~4回分撮り溜めては、まとめて見るということの繰り返しでした。いかにもせっかちな平爺らしい?

血のめぐりが鈍くなってきた脳ミソには、難しいストーリーはついていけません。平爺にはちょうど手ごろな筋書きだったと思いますが、それでもときどきは妻の解説を聞かないと、物語がつながらないところもありました。

昔と比べて今の世は、人とのつながりが希薄になってきたと言われますが、このドラマはそんな世情の移り変わりを指摘しているようにも思われました。

2019.10.01(火) 今日は何の日

webで「今日は何の日」を検索すると、あるわあるわ・・・並べきれないほど

札幌市内 色づく中島公園


●法の日・印章の日 ●土地の日 ●コーヒーの日
●日本茶の日
 ●日本酒の日 ●ネクタイの日
●メガネの日 ●デザインの日
  ●展望の日
●国際音楽の日 ●国際高齢者の日 ●福祉用具の日

●補助犬の日 ●浄化槽の日 ●都民の日 ●香水の日
●食物繊維の日 ●乳がん検診の日 ●食文化の日
●磁石の日
  ●確定拠出年金(DC)の日 ●荒川線の日
●衣替えの日


日ごろ忘れていた大切なことを思い出し、健康・平和を尊び、みんなが幸せに暮らせますように・・・・そんな願いをこめて偉い人が考え出したのかもしれません。

■平爺の何の日・・・1月29日の硬膜下血種の日かな~。

日課のウォーキングは一日も休まず、前月のト―タルは63時間。一日平均約2時間。いちばん多かった日は4時間5分、少なかった日は1時間20分。硬膜下血腫からほぼ10カ月、どうやら以前のレベルに戻ってきたようです。

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