前月へ 翌月へ 『がん・人工肛門からの出発』トップヘ 『山岳巡礼』トップへ
2010.01.31(金) 『一月往ぬる 二月逃げる 三月去る』
|
キリッとした朝、飯縄山(1897m)を
眺めながらの早朝ウォーキング |
これは昔から言いならわされた言葉。
◆一月はいぬる・・・元旦・正月・六日正月・二十日正月などの行事であっという間に往(い)ってしまう
◆二月は逃げる・・・日数が短く、逃げるように過ぎてしまう。
◆三月は去る・・・年度末、役所も会社も多忙に追われて瞬く間に過ぎ去る
社会人になりたてのころ、職場の先輩から教わった言葉、意味は曖昧でしたが、今でも頭の片隅に残っています。
一月睦月も今日で終わり。やらなくてはいけないこともなく、のんびりと暮らしているのに月日の経つのは早いもの。毎日ボケッと暮らしていていいのかな~、そういえば毎年1月は歯の検診月だった。昨年は硬膜下血腫に遭ったりしてサボッてしまいました。近いうちに歯医者へいかなくては・・・。
幸いにも「八○二○」は、余裕をもって健在です。
2020.01.30(木) 接近して見える月と火星
一昨日、陽が落ちてから間もなく、月か見えるかな~と思って庭へ出て見ました。
すると西の空にやせた三ケ月・・・これから少しづつ満月へ向けて大きくなっていきます。お月様の近くに目立って輝く星が一つ・・・火星かな?
早速webで調べてみると、まぎれもなく火星でした。西の空に見える星は火星のみ、ほかの星は一つとして見えません。大きな得をした気分でしばし見上げていました。
才能があれば俳句の一つも・・・というところですが、非才の平爺にはとっさに浮かんでくる道理もなく、ただ眺めるだけでした。
無料で見ることができますから、ぜひご覧になってみてください。
Webには「1月28日の夕方から宵、西南西の低空で月齢4の細い月と金星が接近して見える」と紹介されていました。
◆それ朝の 松にかかりて 三日の月 一茶
2020.01.29(水) あれから一年
一年前の今日、日課のウォーキング途中でわが身に事件が。
|
被災地--存在を忘れ
られたようなリンゴ |
夜明け前、リンゴ畑の真っ暗な道。気づくと暗闇の中に一人ポツンと立っている。「こんなところでオレは何をしているのか?いったいここはどこ?・・・」状況がわからず、ただ呆然とつっ立っていました。しばらく見まわしていると、遠く方に記憶に残るネオンが見える。それを頼りに何とか帰宅。ただごとでないのはわかるものの、いったい何が起きたのか理解できない。なぜあんなところに一人で立っていたのか‥‥思い出せない。
不安に駆られてかかりつけ医へ。即刻脳外科を紹介されて検査の結果は硬膜下血腫。倒れて頭を強打したらしい。
後遺症が残るのか?日常生活は自立してできるのか・・・不安が広がる。
横になって寝ていると、突然天井が飛行機のプロペラのような猛烈な勢いで回転しだす。耳が痛い・・・つばを飲み込むと激痛が走る、それにふだんから毎日記録している脈拍・血圧などの数値も尋常ではない。
さらに、心臓専門の医師のいる市民病院で、計測器具を24時間装着した検査も実施。
『ついにオレの人生は終ったか・・・』正直、崖から落とされたような衝撃でした。
そんな中、日課のウォーキングだけは昼間の時間帯に、ゆっくり歩きで30分程度つづけました。
そして今、何ごともなかったかのように日々を過ごしていますが、体力・気力の衰えは元には戻りません。自立した生活ができていることで良しとすべきかもしれません。今の状態を「余命」というのかな~、残りいくばくか(笑)
(いまだに、倒れていたあの場所がどこだったのか思い出すことができません)
2020.01.28(火) 年寄りの冷や水?
|
雪化粧の妙高山--ウォーキングの途中 |
一日たりともサボらないと決めたウォーキング、寒中がつらいよな~・・・・続けられるかどうか自信はなかったが、年が明けて本格的な冬となっても何とか続いています。一日の目途は2時間。足りなかったときは翌日穴埋め。今月も何とかノルマはクリアしています。ちなみに元旦から昨日までの一日平均は約2時間15分。最大は3時間15分、最少は1時間13分。
平爺の座右の銘の一つは「つづける」です。
寄る年波を痛感する昨今、肩肘張らず、そろそろ肩の力を抜いたほうが良さそう・・・そんなことを考えることもある今日この頃です。
例年どおりの冬だったら、多分ノルマはもっと低く設定しただろうと思いますが、今年は近年になく寒さも厳しくないのが幸いなのか不幸なのか・・・?
昨日も朝夕合わせて2時間20分のウォーキングでした。
2020.01.27(月) 運転免許証返納のこと
積雪ゼロ、雪かきなしのまま1月も終わりそうな気配。ありがたいことこの上ありませんが、心の片隅にはちょっぴり物足らなさというのか、さびしい気持ちもあります。まだ冬が終わったわけではなし、これからしっぺ返しのような雪が降るかもしれない、油断は禁物。
新婚当時、松本市に住んでいたころゴールディンウイークに出張で上京、中央線の車窓から松本平、諏訪盆地の季節外れの雪景色を眺めながら「きれいだな~」と銀世界の景観に見とれたのを、半世紀過ぎても思い出します。
運転免許証返納を決めていますがまだ未実行。この1月は2回ほどハンドルを握っていますが、気が変わったわけではありません。
遅れている理由は、雪道運転に慣れない妻が、平爺の乗っていた車で雪道運転を練習したいということで、雪の降るのを待っているのに積雪ゼロで練習できず。このまま積雪ゼロで冬を越してしまうかもしれませんが、理由の如何を問わず、誕生日の2月14日が返納リミットです。
昨日、電動自転車の購入予約をしてきました。もうあとには引けません。
追記 妻はこれまで軽自動車専門、昨年末からなるべく平爺の普通車を運転すようにしてはいますが、車が変わることに多少不安があるようです。
2020.01.26(日) 眼科
一昨日は眼科検診。まじめにウォーキングをしていても、加齢にともなう眼の老化現象は避けられないようです。「お前よくここへ就職できたな~」とからかわれると「ハイッ、眼が良かったからであります」と臆面もなく言っていたのを思い出します。
視力の衰えは日進月歩?メガネがあれば、文庫本の小さい活字でも何とか読めるからまあいいか。
|
黎明 鹿島槍ヶ岳 |
あれは20才台のとき、職場野球の練習中でのできごと。トスバッティングのときに私に向かって二人が同時に投球。そのうちの一球をよけきれずに左目に命中。違和感が治らず翌日診断してもらうと『網膜剥離』で即入院、絶対安静。砂袋のようなもので頭をガチガチに固定、トイレにも行けない・・・つらい1週間でした。
◆視力が落ちているのは高齢もさることながら、網膜剥離の影響もあるとのこと。まさか50年もたってから影響か出るなんて・・・。
◆若いころ会社の独身寮で、先輩から「お前よく採用されたな・・・」と言われたもの。もちろん冗談のからかいですが、すかさず「僕は目が良かったからであります」と真面目腐って言ったものです。
現在お世話になっている眼科医から「これからその影響が出る可能性は十分にある、定期受診は欠かさないこと、様子を見て手術になります・・」と脅されてきました。ただの脅しならいいのですが? 手術が先か、命尽きるのが先か・・・。
2020.01.25(土) 春を告げるフキノトウ
フキノトウの漢字を調べると「蕗の薹」
|
薹 |
早朝ウォーキングコースの途中、田んぼの並びにある100㎡ほどの土地に、毎年フキノトウが隙間もないほど密生するところがあります。蕗の畑(畑なのか自然に生えているのかよくわかりません)、暖冬のせいか通りかかるともう顔を出していました。
先日、カミさんが友だちからもらってきたフキノトオは、大事に?冷蔵庫に眠っています。平爺とちがって誰とでもお友達になってしまうカミさん、社交性があるというのでしょうか、これだけは尊敬? 実益を伴う交際上手で農作物、果物、山菜・・・・いただきものもけっこうあります。
ところでフキノトオの名前の由来・・・フユキ(冬黄)という黄色い花が冬に咲くので「ふき」になったという説があるとか。
■びろうな話ですが昔、用足しのあとお尻を拭くのに紙代わりにフキの葉を使用したことに由来するという、なさそうで、ありそうな説。
■葉が傘のように大きく、屋根葺きの材料に用いられたので、「葺く」⇒「フキ」に変化?
蛇足ですが、「薹」(とう)というのは草が高くなった部分のこと(平爺には意味不明) 「薹」の漢字がよくわからないので拡大してみました。
2020.01.24(金) 「言う」と「云う」
|
エサ探しに苦労するカラス |
文章を手書きするとき、「言う」と「云う」・・・どっちが正しいか、いつも迷います。ベッドの枕もとには、「云う 言う」と書いたメモが長いこと放りっぱなしになっていました。
◆面倒くさいから「いう」と平仮名で書くことが多い気がします。平仮名の場合「ゆう」ではく「いう」と書くのも不思議。身についていて自然に「いう」と書いていますが、これでいいのでしょうか・・・。
ふと思いたって広辞苑「いう」の項目を検索
『言葉や音声を発する表出作用をいう』①心に思うことを言葉に出す。言葉で表現する。 ②名づける・呼ぶ ③世間で言いならわす 以下略
<言う・云う・謂う>の項目に600字以上の解説あり。虫眼鏡で目をしょぽしょぼさせて読みきる気力なし。
簡便なWebで調べてみると、こちらは簡潔ですが・・・わかったような、からないような?
「言う」:自分が口に出して言うときに用いる。
「云う」:他人のことばを引いて述べるときに用いる。
これまで通り、無難に「いう」で通すことにします。これだけ調べるのに約30分、よくよく暇な平爺です。
2019.01.23(木) 今冬一番の冷え込み
夜明け前の月は、前夜よりさらにやせ細っていました。これも風情あり。
|
22日 6時20分 |
◆気温は今冬いちばんの冷え込み、頬をさすような寒さを感じながらのウォーキング。と言っても帰宅して寒暖計を見ると-6℃。これでも今シーズン一番の冷えこみ。暖冬に気をゆるめていた身にはかなりこたえました。
いつもの冬ならこの程度があたりまえ。ことさら書くようなことではありません。ほんものの寒さを感じるのは10℃くらかな~。ありがたいのは雪が降らないこと・・・今冬の雪かき作業はゼロ。このまま春を迎えたらお礼をしなくては・・・(笑)
40歳台ころ、日課としていたランニングを思い出します。1時間ほど走って帰宅、ランニングウエアを脱ぐと、汗の凍った粒がばらばらと落ちたて来たこともありました。
マイカーで通勤?していた認知症介護施設へのボラ。マイカーから徒歩に変更、最寄駅から片道徒歩30数分。早朝ウォーキングと合わせると、一日3時間以上歩くことも珍しくありません。まるで「歩くため」に生きているよう錯覚に陥る・・・というか、歩くことで「生を実感」していると言うべきか(笑)
2019.01.22(水) 島嶼
本を読むというより「読書」と言った方がカッコよく聞こえます。平爺の読書は就寝時の導眠剤のようなもの。本がないと寝つけません。先日読んだ本に「島嶼」という言葉が・・・「嶼」という字について考えたことはありませんが、島のこととは想像できます。島と嶼は何が違うのか、そして島嶼の正しい意味は・・・
|
糸のような月 昨朝6時8分 |
Webで「嶼」を調べると読みは「しま」と「しょ」で、嶼は小さな島。島と嶼を区分する境はわかりませんでした。
ついでに日本の島を検索、何と有人島418、無人島6,430もあるらしい・・・驚き!!
本州・北海道・四国・九州と領土問題未解決の択捉島、国後島を除き面積上位10位は以下の通り(単位は平方km)
①
沖縄島 1,206 ②佐渡島 854 ③奄美大島 712 ④対馬 695
⑤淡路島592 ⑥天草下島 574 ⑦屋久島 504 ⑧種子島 444
⑨ 福江島 326 ⑩西表島 289
島(とう、しま)は大陸の面積より小さく、四方を海洋に囲まれた陸地。「島」とは別に小島を意味する「嶼」という言い方もあり、「嶼」の 音読みは ショ、
訓読みは シマだそうです。
10位の中で平爺が訪れたことのある島は「佐渡、淡路島、屋久島、西表島」だけです。
1946.01.21(火) のど自慢
NHKのど自慢と言えば延々74年も続いている記録的長寿番組。
先日ラジオで耳にしたのは、この番組のスタートは昭和21(1946)1月19日。平爺が子供のころ、昼どきに外を歩いていると家々のラジオからのど自慢のオープニング音楽や鐘の音が聞こえてきたものです。その後テレビに引き継がれ、延々と今日に続く超長寿番組。平爺が聞いたのは大昔のこと、関心のなくなった今は思い出に残るのみ。
Webを見ると、発足当時の番組名称は「のど自慢素人音楽会」。翌年には「のど自慢素人演芸会」に改称。さらに1970年に「NHKのど自慢」となって現在へ。担当アナと言えば宮田輝、のど自慢の代名詞のようなアナでした。
スタートしたころ、巷に流れていたのは「りんごの歌」や「旅の夜風」・・番組でもいちばん多く歌われたと言う。懐かしい歌だな~。介護施設のボラでもときどき歌っています。
《リンゴの唄》
・・・・・・並木道子
♪ 赤いリンゴに 口びるよせて だまってみている 青い空
♪ リンゴはなんにも いわないけれど リンゴの気持ちは よくわかる
♪ リンゴ可愛や 可愛やリンゴ
《たびの夜風》
・・・・・・霧島昇&ミス・コロムビア
♪ 花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる道
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ 月の比叡を 一人行く
♪ 優しかの君 ただ独り 発たせまつりし 旅の空
可愛い子供は 女の生命(いのち) なぜに淋しい 子守唄
2020.01.20(月) 大寒
|
何日も前の写真です |
水害被災地で写真のような顔の欠けた人形が、寒さに震えるようにポツンと置かれていました。とても痛々しく目に映りましたが、きっとゴミとして捨てるにはつら過ぎたのかもしれません。
◆暦の上では今日が大寒、年間で一番寒いと云われる日です。年によって1月19日や21日と1日ずれることもるが、この先2052年までは1月20日は変動はないとのこと。気象データによれば、1月26日~2月4日までが日本が最も寒くなる時期らしい。
それにしても暖かな冬です。我が家の寒暖計も-5℃以下になった日は一日もありません。最低が=5℃、加えていまだに雪かきはゼロ、こんな年があるの?これも地球温暖化の現象だとしたら喜んでばかりはいられない。スキー場も悲鳴を上げているとのこと。
四囲の山を眺めても、里山と言われる低山は,黒っぽくくすんで見えます。
暖かい冬と言いながら、着衣はこれまでより1枚余計に着こんでいます。ズホン下はめったにはかないのに、暖かいと云われる今冬、12月から着用、加えて下着も1枚多く着込んでいます。これも加齢によるもの。
就職で、信州から上京した当時、コートを着たことはありませんでした。半そでの下着にワイシャツ、スーツだけで冬を過ごしたものです。「あんな服装で・・・着るものがないのかも・・・気の毒に」そんな目で見られていたかもしれません(笑)
平爺の生まれは2月半ば、おむつ洗いも小雪の舞う凍てつくような川・・・つらかったらしいです。弟や妹が生まれたころ、アカギレだらけだったおふくろの荒れた手が、今でも目によみがえります。
2020.01.19(日) 「よもやま日記」雑感
|
昨朝の半月 |
年が明けたと思ったら、もう一月も下旬にさしかかろうとしています。まるで超高速ロケットで飛んでいるような感じ。ときには「今、何のために生きているのだろう?」と思うこともあります。
朝、目が覚めると防寒支度を整えてウォーキングに出発。1時間半から2時間ほど歩いて帰宅。新聞を見ながらの朝食が終わると、明日の「よもやま日記」は何を書こうかな・・・と無い知恵を絞り、鉛筆をなめなめ、WORDでそれらしい文章にしていく。30分ほどしてから読み返して内容を確認、誤字脱字を点検し、文章になっているかどうかを確認。その作業が概ね30分~1時間というところでしょうか。
知的作業というには大袈裟ですが、本人はボケ防止にちょっぴり役に立っている気で、何とか毎日続けています。
◆ウォーキングで耳にするケータイラジオや、テレビ、新聞、読書など・・・単語の一つ、漢字の一つでふとネタを思いつくことが多々あります。
毎日何か書かなくてはというのは、意外に大きいストレスですが、今の平爺には唯一の知的?作業と思い、日課としてもう少し続けるつもりですが、なんとなく先も見えてきたような気もしているこのごろです。
2019.01.18(土) 終活
しゅうかつと聞くと「就職活動」を連想しますが、今は「終活」の方がメインのような気がします。広辞苑を牽くと就活は載っていますが終活はありません。
『終活』という言葉が流行りだしたのはいつごろからでしょうか・・・今は普通に使われていますが、平爺がわが身のこととして使うようになったのは80歳を過ぎてからのような気がします。
|
ウォーキングの途中で |
●男子平均寿命・・・・・・81.25歳
●85歳男子の平均余命・・・ 6.18年
御年83歳になる平爺を当てはめると、残りはあと8年ほど? ボケッっとしているわけにはいきません。
終活とは「人生しめくくりのための活動」と訳せばいいのでしょうか。ひと口でいえば「死を迎える準備」といいうことになるかと思います。
●半年ほど前に手を付けた写真の整理。中断していましたが年が変わったところで作業再開。よくも撮ったと思えるほどの量に我ながら驚き。
残すかどうかの基準は「原則廃棄する」つまり捨てることを優先して選別、どうしても捨てられない写真を子供や孫に残すこととしました。
アルバムから剥がした写真を選別、長男用と次男用の新しいアルバムに張り替える・・・けっこう大変な作業ですが、何とか進行しています。面倒この上ない作業、あと2~3年もするとやる気力があるかどうか・・まさに“今でしょう”という心境での取り組みです。
2010.01.16(木) その後、あの事件は?
脈絡もなく、ふとあの事件のことが脳裏に浮かびました。どうなったのだろうか・・・
もう3カ月ほどになるでしょうか。山梨県道志村での少女行方不明事件。大がかりな捜索活動の甲斐もなく、手がかり一つ見つからないまま、マスコミからも世間からも、そして人々の記憶からも忘れ去られてしまいました。厳しい寒さの中で、あの子は今どうしているのでしょうか。
「平成29年における行方不明者の状況(警察庁生活安全局生活安全企画課)」のwebには
警察に行方不明者届が出された者の数が84850件と載っていました(一日あたり232人)
驚くべき数字です。
平成2 9 年における行方不明者のうち、9才以下の子供が何と1198人。届け出のうち発見された数はわかりませんが、それにしてもまさかと思う数です。私たち一般市民が気づかぬところで、思いもしないことが日常的に起きていることを再認識させられました。
◆5時46分を過ぎたところです。西方の神戸に向かって黙とうをささげさせていただきました。
これからウォーキングに出かけます。
2020.01.15(水) 和暦・西暦・・・・ボケ
平爺 「平成」の最後は何年だったかな~?
妻 「60何年?」
平爺 「60年もなかったじゃない・・・60年は昭和だよ。今年は西暦2020年だよな~、
年号が変わったのは去年・・・そうすると平成の最後は2019年か?。
平爺が生まれたのは昭和12年2月、西暦で言えば1937年。今は西暦2020年・・
昭和の最後は確か64年だったような気がするな~、
今年で82歳だから・・・そうすると???どのように計算したら平成の最後は
「平成何年か」という答えが出るのか・・・
え~~もうダメ、無理無理。
PCデスクの壁に貼ってある和暦・西暦早見表は、2012年までの古いもの。
結局webでこの難問を解決。西暦なら単純な引き算だけで答えが出るのにねー。昭和、平成と生きてきた人間には実に難しい。ましてや94歳以上の年寄りは、大正・昭和・平成・令和・・・と渡り歩き、和暦で足したり引いたり・・・よほどの人でないと暗算で答えを出すのは至難かと思いますが・・・どうなんでしょう?文化として和暦を残すのは良しとして、やはり西暦の方が便利だな~。
元号が令和となってから、いまだ書類などに「令和」と書いたことは一度もありません。グローバル化の進む国際社会、原則西暦に変えたらわかりやすいのにネ~
2020.01.14(火) 正月行事 どんど焼き
先日(1/11日)、町内のどんど焼きがありました。父兄監視?の下、子供会の行事になっているようです。小型の消防車も来ていました。集まっていたのは大人・子供あわせて50人ほど。
当地へ引っ越してきてから始めて見に行った・・・というか通りかかったらどんど焼きだったということです。
子供のころ、どんど焼きがありましたが、覚えているのは門松などを燃やしたあとの熾(オキ)で餅を焼いて食べたことくらい。東京などの密集地では、どんど焼きをするのに適当な場所確保も大変でしょうね。
子供のころのあいまいな記憶ですが、生まれ育った信州伊那地方では、1月15日ころを「小正月=こしょうがつ」と言って、餅つきをしたような覚えがあります。今はその習わしも消えてしまったと思いますが。
◆暖冬・・・雪かきもなくありがたい冬・・・ところが信州北部のスキー場は雪不足は死活問題。長野市内から見る周囲の山々も、明らかに例年の冬とは景色が違います。大雪も困りますが、雪が降らないこともまた困ったもの。世の中思い通りにはならないもの。
2019.01.13(月)
成人の日
|
民家の庭先-鬼灯火 |
今日は月曜日・・・でもカレンダ―の日付は赤数字、どうして?
そうか・・成人の日でした。当時20歳の平爺、そのとき信州の田舎から上京していました。式典の通知は東京の役所からも田舎の役場からも音沙汰なし。完全に日本国籍からボイコットされていたのかも(笑)
ということで、平爺は成人扱いされないままに人生の終盤を迎えています。つまりず~と未成年者のまま、半人前として生きてきたわけです。酒も飲むし、選挙の投票もするし、ささやかながら税金も払っているし・・・・何か気にいらないな~
◆民法が変わって2022年4月1日から18才で成人扱いとなります。
2年後には18歳で成人・・・ということは、2022年は18歳、19歳、20歳の人がまとめて成人になるということでしょうか。成人式も大変に騒ぎになるかも?
ちょっと調べてみると、これまで20才以上でなければできなかったことが、18歳になると自分の意志だけで出来ること、やらなくてはならないことががたくさんあります。つまり義務や自己責任を問われることがふえるということ。たたじ、公営競技(競馬,競輪等)、飲酒、10年有効パスポート取得、公認会計士や司法書士などの職業に就くことなどは従来どおり20歳のままとなるようです。
(本日の日記はwebを参照・・・というかコピーしたものです)
2020.01.12(日) 冬来たりなば 春遠からじ
何日か前、「梅はバラ科の植物」と書かれた本を目に。そういえば以前にも聞いたことがあるのに、すっかり忘れていました。Web検索すると下記のような図が。
オウトウは「桜桃」のことだと思います。「ウワミズザクラ」を検索すると、桜のイメージとはほど遠く、花というより草のように見えます。
菅原道真ゆかりの太宰府天満宮には、樹齢1000年を超える白梅がふるとのことです。
東風 吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな (菅原道真)
受験期を控え、学問の神様も大忙しだと思います。平爺も孫の受験の時は、地元の天満宮へお参りに通いました。
◆『梅』と聞いてまず浮かぶのは水戸偕楽園。残念ながら見たことはありません。
太宰府天満宮はご神木が「飛梅」とか・・・見頃は1月下旬~3月中旬とのこと。まだ見たことがありません。奈良に住んでいたころ、満開の月ケ瀬梅林へ行った記憶が残っています。
「♪湯島通れ~ば・・・」の湯島の白梅は、歌でも知られていますね。残念ながら梅花の季節に参じたことはありません。
信州南端の天龍村には、早咲きの「冬至梅」が次々とほころび、目下満開を迎えているとのこと。残念ながら目にしたことはありません。
「花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや」 (藤原家隆)
◆日没が、最も早かった12月中旬より20分ほど遅くなっています。少しづつですが春が近づいているのを感じます。
2020.01.11(土) 閑話---長い橋
本で目にしたのか、あるいはラジオかテレビか・・・思い出せませんが「日本の長い歩道吊り橋」のこと。
1位「三島スカイウォーク」 静岡県三島市。長さ400m 高さ44m
富士山の眺めが良いとのこと。一度訪れてみたいものです。
|
|
9日十三夜月 |
10日 小望月 |
2位九重“夢”大吊橋 大分県九重町
390m(橋長435m)
3位竜神大吊橋 茨城県常陸太田市 375m
4位もみじ谷大吊橋 栃木県那須塩原市
320m
5位水の郷大吊り橋 神奈川清川村
315m(橋長335m)
◆日本最長の橋は東京湾「アクアブリッジ」、全長4424m
世界一は中国の「山特大橋」、何と164800m!?!?!
(以上はすべてwebからの引用です)
◆明日11日は今年初めての満月、晴れてくれればいいが・・・。白々と冷たく輝く昨晩のお月さま、満月前夜の月が、寒さをひときわ際立てているようでした。
寒月や 食いつきそうな 鬼瓦 (一茶)
寒月や 門なき寺の 天高し (蕪村)
2020.01.10(金) 小寒・大寒・・・♪春よ来い 早く来い
♪歩きはじめたみーちゃんが・・・
今が寒さのいちばん厳しい時期、 1月6日・・・小寒、1月20日・・・大寒
立春までのこの季節を「寒中」と呼びますが、広辞苑には次のように載っています。
寒中・・・「冬の寒さの厳しい時期・小寒の初めから大寒の終わりまで・かんのうち」
|
今のところ、雪景色はたった一日だけ |
今が寒中のど真ん中というわけです。それにしては、今年は雪らしい雪は降らないし、一日中プラス気温の日も。昨朝の最低気温は+4℃。こんなこと初めての経験。おかげでスキー場は雪不足に困惑しているようです。
◆子供のころ「寒中休み」がありました。一週間ほどだったと思います。
学校での暖房と言えば広い教室に薪ストーブが一台。その薪も一日の量が決められていて、燃え尽きればたちまち冷凍庫?
そんな寒さの中での授業、よく頑張ったものです。今だったら人権問題?
粗末な衣服、布の足袋に下駄履き、手袋のない子も多かった。弁当が凍らないように、ストーブの脇には小さな棚があり、弁当箱を並べて温めておくという原始的な対策。
寒くて、冷たくて、泣いて家に帰ったことを覚えています。子供のころに鍛えられたせいか、今はどちらかと言えば寒さには強い方だと思います・・・でも春が待ち遠しい。
2020.01.09(水)今月の言葉
ウォーキングの途路、毎月楽しみに立ち寄る寺院門前の「今月のことば」
歳をとって
面倒なもんになったというが
面倒なもんが
年をとったがやわい 浅田 正作
浅田正作さんのキーワードで検索すると次のような詩文が
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/kotudou.htm
「只もらい」
魚買うた リンゴ買うた
その金
自分の仲間の人間に
払ったが
魚に リンゴに
金払った人間は誰もいない
私たちは他の生き物から只もらいしとるんです。ご供養を受けとるんです。
2019.01.08(水) 桜づつみ歌碑
|
桜づつみ 歌碑 |
ウォーキングで最も多く歩くコースは、千曲川堤防の遊歩道兼サイクリングロード。そのコースに何やら看板が立っているが、立ち止まって読んだことはありませんでした。テレビのニースで桜づつみのことに触れていたのを目にして、1週間ほど前、はじめて足を止めて読んでみました。それが写真の歌碑。
昨年10月の台風で大水害の元となった堤防決壊現場から100メートルほどしか離れていません。まさにこの災害を3年半前に予見していたかのようです。小学生の綴った歌碑の内容にも感動しました。
歌詞碑の全文は、明日の日記で転載させていただだく予定ですが、一部だけ紹介させていただきます。
おじいさんに聞いたんだ 遠い日の話
何もかもが流された 悲しい時代のことを
自然の猛威に人は なすすべもなく
でも立ち上がり 一歩づつ歩んできた
堤に植えられた桜はまだ若木、それでも昨春は美しく花を咲かせ、さくら並木になっていました。
あと20年か30年すると見事な桜づつみなることと思います。
2020.01.07(木)第一次公職追放?1946年(昭和21年)
|
水たまり氷結・・・しばし見とれました |
2~3日前、ラジオを聴きながらウォーキングに精出していると
「今日は何の日・・・太平洋戦争無条件降伏の翌年(1946年)、メリカなど連合国による公職追放のあった日」
とのこと。
公職追放という言葉は何となく記憶にありますが、その内容はほとんど知りません。74年も昔の話です。
◆以下は、webから借用させてもらいました。
『第2次世界大戦後、占領軍によって実施された公職からの追放の一つ。 1946年1月4日、占領軍はポツダム宣言に基づく日本民主化政策の一環として、「好ましくない人物(軍国主義者・国家主義者・国会議員・報道機関・団体役職員など)を追放。その数は21万人に上った・・・云々
*********************************
昭和27年、サンフランシスコ講和条約の発効に伴い、この追放令は自然消滅。いったんは追放されながら、政治・経済界などに復活した著名人も多かったようです。
以下は公職追放対象者のほんの一部
政界・・・赤尾敏 -赤城宗徳 -石井光次郎 -石橋湛山 -市川房枝 -緒方竹虎
経済界・・足立正( 王子製紙社長)石田礼助(三井物産社長) 小平浪平( 日立製作所社長)
五島慶太( 東急社長)小林一三(- 阪急社長)
教育界・・・省略
2010.01.06(月) あれから34年・今日は第二の誕生日?
|
今シーズン初の雪景色 |
ひどい血便に驚いて検査、結果は直腸がんという診断。直腸全摘手術を受け、人工肛門となったのは34年前の今日でした。(そのとき48際)
「人工肛門」がどんなものかも分からず、ただ不安におののき、頭は真っ白、これで自分の人生は終わった・・・・打ちのめされ、煩悶あるのみで考えることもできませんでした。
人工肛門になったことを恥ずかしくて人にも話せず、排便処理の煩わしさに途方に暮れ、それでも少しづつ気持ちを立て直す努力をつづけていたあのころ、今となっては懐かしくもあります。
同憂者の集いで、人工肛門歴30年という方にお目にかかりました。この不便な暮らしを30年?半信半疑ながらも希望を見たような気がしたことを思いだします。
術後1年、軽いランニングから始めて「もう一度フルマラソンを」の夢も叶え、趣味は登山へと方向転換。そして人工肛門というハンディを負いながら、3年で日本百名山単独踏破を成し遂げることができました。
今日は1月6日、夢も希望も失い、どん底であえいでいたあのときのことを思い出しています。言い換えれば、平爺が生まれ変わった日、第二の誕生日でもあります。
◆昨朝は今シーズン初めての積雪・・・と言っても5cmほど。年が明けてからの初雪は、10数年前に引っ越してきてから始めてのこと。高齢世帯にとって、雪かきはきつい作業、雪を待っているスキー場には申し訳ありませんが、雪が積もらないのが何よりです。
◆今朝の気温は-5℃、1時間45分のウォーキング。本当に寒いときに-10℃くらいまで下がりますから、この程度は・・・でも寒い。
2020.01.05(木)すずめ
日の出がいちばん遅いのは1月2日から12日まで。
日課のウォーキング出発は、春~秋は概ね4時ころを目安にしていますが、今は薄明の兆す6時頃です。6時でもまだ夜の続きという感じ、つまずいたりして転んでまた硬膜下血腫にならないよう、なるべく街灯のある道を選んで歩くようにしています。
孫娘たちが帰ったあとは、家の中が空洞になったような気がします。ヤセ我慢で言えば、いつもの静かで平穏な日常が戻ったということです。やることもなくボケッとして、初詣以外は箱根駅伝をテレビ観戦しただけの正月でした。
◆毎日決まった時間になると、庭に飛んでくるスズメたち。積雪ゼロとは言え、エサ探しも容易ではないと思います。冬季は朝と夕刻にいつもよりエサ(くず米)を多めにサービスしています。
◆雪の少ない冬でありますように・・・祈りが届いていたと思っていたのに、今朝は数センチの積雪、今冬初の雪かきでしたが10数分で終わり。この程度は許してもいいか・・・(笑)
2020.01.03(水)初詣
|
善光寺初詣 |
昨朝、孫娘たちは帰っていきしまた。お祭りのように賑やかだった平宅も、嵐が通り過ぎたように静かというか、殺風景な雰囲気に戻りました。ヤセ我慢であえて言えば、いつもの静かで自分たちだけの日常が戻ったということです。
やがて、孫娘が嫁に行く日がきます。そのときは正月に会えるという楽しみもなくなるかもしれません。来るべき一つ一つの変化に順応するように心構えをしておくことも大切かな~と思います。それは寂しいことですが・・・・。
元旦は孫娘たちと善光寺さんへ初詣。人人々で、賽銭箱のある本堂へ入るまでかなり時間がかかりました。特別に思いつく願いもなく、ありきたりに
●なるべくボケませんように ●最期はなるべくポックリと
ほかには子供や孫たちの平穏を念じてきました。
三ケ日も今日まで、朝酒も今日まで。ちょっとさびしいな~(笑)
2020.01.02(木) 老いの坂道をトボトボと・・・
|
初日の出 |
大晦日は早朝2時間、夕刻40分のウォーキングで2019年をしめくくり、新年元旦は夜明け前5時30分から2時間20分のウォーキングでスタ-ト。老体とは言え、あと1~2年はがなんばらなくちゃ~。
元旦の昨朝も、普段通りにウォーキング。寒さは厳しかったものの好天に恵まれてご来光を見ることができました。
◆年の暮れから来ている息子と二人の孫娘。
普段はひっそりしている我が家も、孫娘の存在感たるや、まるで家の中が別世界のごとし、ついていくのに戸惑うほどです。でも明日は帰ってしまいます。ほんのいっときの賑わいです。
◆明日からは老夫婦二人、いつもの静かな?日々に戻ります。ちょっとさびしい・・・・
それにしても正月って退屈ですね。テレビ番組に目を通しても年末年始は食指が動くようなものがほとんどなし。一日中読書・・・というほどの集中力もない。あえて言えば箱根駅伝の中継が楽しみというくらいかな~。
また一つ歳をとり、一日一日を大切にという思いがないわけではありませんが、それがなかなか難しいということを感じる年明けでもあります。
2020.01.01(水) 元旦
明けまして
おめでとうございます
皆様には良き年をお迎えのことと
お慶び申し上げます。
平和で平穏な年になりますように!
本年もよろしくお願い申し上げます
2020 元旦
|
黎明・富士山 1996年12月7日撮
石割山(1413m)山頂より
http://www.paw.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/kai-051.htm
|
|
我が春も 上々吉よ 梅の花 (一茶)
新年のすがすがしい大気を胸いっぱいに吸いこみ、今朝も日課のウォーキングを1時間30分ほど。
加速する老身にムチ打って、どこまでウォーキング無休記録が延ばせるか?
平爺のささやかな目標です。
元旦ハイキングを恒例にしていたころ、山頂からご来光を眺めたことを思い出しています |
前月へ 翌月へ 『がん・人工肛門からの出発』トップヘ 『山岳巡礼』トップへ
|