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2020 年 5月

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2020.05.31() 夏は来ぬ

手首から先  日焼け・・・

5月5日が二十四節季の立夏でした。
「いよいよ本物の暑い夏が目の前・・・」と肌で感じるのは5月中旬以降。このところ25℃を超える夏日もあり、冷えたビールが一段とうまくなってきました。ウォーキングの着衣も薄手のトレパンと半袖シャツに衣替え?もちろん手袋はなし。
 肌の露出した手の甲だけが赤銅色に変わっています。 
 
  ♪卯()の花の、匂う垣根に ほととぎす 早も来鳴きて

    忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ
   ♪さみだれの、そそぐ山田に 早乙女が、裳裾ぬらして
    玉苗植うる、夏は来ぬ



ウォーキングコースの田んぼには、早苗が植えられ景色が変わりました。5月が過ぎるといよいよ梅雨の季節。今年の入梅は68日ころを予想しているようです。雨中のウォーキング・・・ヤダナー。雨くらいでウォーキングを案じるのは歳をとった証拠?

◆新型コロナ蔓延で、介護施設へのボラが休業?となってほぼ2か月になります。もう1年も間が空いたような気分。環境が整って声をかけられたとき、抵抗なくすんなりと元に復帰できるかな~。楽をすることが身についてしまった頭の切り替えができるかどうか?
平爺の老いぼれ顔でも、喜んで受け入れてくれるお年寄りを想うと、その気持ちを裏切るようなことはしたくないし・・・。
施設から声がかかったらそれから考えることにします。

2020.05.30() 残雪山を眺めて・・・

暁光に染まる残雪の北アルプス 5月28日

一ケ月ほど前は、善光寺平から眺める高い山・・・北アルプス、妙高山、志賀高原、戸隠山、黒姫山などは残雪に輝いていたのに、この時期でも白銀を見せているのは北アルプスの連嶺のみ。
この時期、以前は夏山登山のブランにわくわくしたものですが、硬膜下血腫以来、歌を忘れたカナリヤのように、山との縁が切れてしまいました。今年もごく軽いハイキングができれば・・そんな思いで雪の消えていく山々を眺めています。

◆本格的に登山を始めたのは50才過ぎてから。出遅れでしたが、爾来憑かれたように北海道利尻島から九州、そして宮古島まで。登った山の数は2200、悔いがないとは言えませんが、「もう十分に登った」、そう自分に言い聞かせています。今朝も残雪の北アルプス連嶺を眺めながらのウォーキングでした。

●思えば、それは3年余り前の201612月、登山中に転倒して胸骨圧迫骨折・・・そして昨年は硬膜下血腫とアクシデントがつづき、実質的には登山との別れとなってしまいました。登ることのできない山々を目にすると心が騒ぎます。

2020.05.29() 平均寿命

千曲川に流れ込む奔流


気まぐれのひまつぶしに、日本の平均寿命を保険文化センターサイトで見てみました。
83歳にもなると、こんなことにしか興味が湧かない(笑)・・・年相応の関心事ということにしましょう。
 (下記は2018年データ)

  80歳平均余命  男性9.06年  女性11.8
  85歳平均余命  男性6.35年  女性 8.4
  90歳平均余命  男性4.25年  女性 5.6

  (2018年平均寿命  男・81.25才  女・87.32才)


上記データから推測すると「平爺の残りは約7年」、果たし平均のグループに入れるかどうかは際どいところ。えっ?そんなに生きるつもり・・・・? そういうことならば、一年一年を大事に過ごさなくては・・・と思いつつ、言うは易く行いは難し。
 何となく毎日が過ぎていきます。

◆「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」と言えば信長が頭に浮かびます。それから500年の時を経て現在に至っています。 100才もめずらしくありません。きんさんぎんさんが「慌てずにゆっくりおいで・・・」と言っているような気がします。

世界に目を向けると、トップは男女ともに香港、日本は男性3位、女性2位らしい。長寿大国と言っても過言ではなさそうです。(ちなみに明治・大正時代の平均寿命は44歳だったようです)

2020.05.28() ウグイス?

亡骸  ウグイス? 

10日ほど前の日記で、路上に落ちていたスズメのことを書きました。

昨日、am4:15から日課のウォーキング。気温はウォーキングに最適、ルンルン気分で脚を運んで2時間近く、あと10 分弱で帰宅というてころにある文化ホールの広い敷地の中、恒例のメニューで仕上げのストレッチ。腕立て伏せをやっていると、視線の先数メートルほどのところに何かあるのが目に入りました。

ストレッチを終わり、近づいてみると小鳥の死骸でした。大きさはスズメほど。色はやや明るいウグイス色・・・もしかするとウグイス? 
手の平に乗せてみたが傷んだところは見当たらない。どうしてこんなところで命をたってしまったのか?このまま放置しておくのは可愛そう、持ち帰って自宅の庭の隅にでも穴を掘って葬ってやろうと思い、手の平に載せて自宅まで持ち帰りました。

Web図鑑を見てみましたが、ウグイスと断定する自信はありません。
こんなに小さな小鳥に何があったのでしょうか・・・人も小鳥も生き延び、生を全うするのは容易ではありません。

広辞苑で「うぐいす」を牽くとスズメ目ウグイス科の鳥。大きさはスズメくらい。別名「春鳥・春告鳥・花見鳥・歌詠鳥・経読鳥・匂鳥・人来鳥(ひとく)・百千鳥」


2020.05.27(
) 満年齢法 ・・・・まんねんれい法

先日のラジオ「今日は何の日」コーナは年齢の数え方に関する法律=ができた日のこと(1949年5月24日)
それまでは年齢の数え方は「数え年」が一般的だったらしい。

栗 の 花

年齢が「数え」というのは、12月31日に生まれると、翌日の1月元旦にはもう「2歳」ということになります。つまり1月1日に生まれた赤ん坊も12月31日に生まれた赤ん坊も、年が明けるとそろって2才です。年末に生まれれば翌日の元旦にはもう2才児です。

すでに故人となった平爺の弟は、年末に生まれたが届け出たのは年が明けてからの出生届け出だったらしい。「早生まれ」とか「遅生まれ」という言葉は今では死語でしょか?
大きくなってしまえば、1年の 差など大したことはありませんが、小さいうちはかなりの差があります。2歳にしては・・・、あるいは3歳にしては・・・と比べられるのは可哀そうということで年末生まれの場合は翌1月出生とするケースが珍しくなかったようです。

●改正された法律の一部(1950年)
第1項          この法律施行の日以後、国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律(明治35年法律第50号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によつてこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない・・・(以下略)


2020.05.26(火) 早急=「そうきゅう 」か「さっきゅう」か

千曲川畔、葦の茂みで
昨朝のウォーキング
2時間20分

●ある印刷物 「早急」に さっきゃう  とルビが付されていました。

実のところ平爺は「そうきゅう」と「さっきゅう」の区別はわかりません。わざわざルビがふられているということは、「そうきゅう」と読まれたくないということでしょうか? はたして正しいのは?物好きにも少し調べてみました。

<広辞苑で調べてみると>

「そうきゅう」で牽くと 「早急⇨さっきゅう」と載っているのみ。
つまり「さっきゅう」へ誘導しているということは、「さっきゅう」が正しいということのようです。

「さっきゅう」で牽くと  「ソウキュウとも」 極めて急ぐこと 至急。

 
ついでにWEBで調べてみると

「そうきゅう」は、比較的新しい読み方で現在は一般化している。
ちなみにNHKは「さっきゅう」が正しい読みとして使っているとのことです。


2020.05.25(
) 新型コロナと東京五輪の行方

何日か前のテレビ報道だったと思います。JOCバッハ会長は、新型コロナの状況に関して、『2020年東京五輪が来夏開催できない場合、中止せざるを得ないのは理解できる』 と述べた云々。

'64年東京五輪聖火最終走者・
坂井氏69才没
 テレビ画面が
今も目に浮かびます

◆安倍総理が「東日本大震災にともなう原発事故放射能もれは完全にコントロールされている」と大見えをきって誘致した東京五輪。チェルノブイリの悲惨さを伝え聞いている私たちは、総理の一声で安心とはいかず、日本中が放射能の恐怖におののいていました。そのような状況下、安倍総理は五輪誘致演説で事実と反する「原発事故の放射能汚染は完全にコントロールできています・・・」と大みえをきったことについて、日本国内でも疑問の声が上がったのを思い出します。

この期に及んで、まだ東京開催が揺れ動いているこの現実・・・果たしてどうなるのでしょうか?

平爺の個人的な見解としては、日本がコロナを制御できても、他の何ケ国かが制御できていない国があれば、地球規模の祭典は実行不能となることもあり得ると思いますがいかがでしょうか?。


2020.05.24(
) 日本政治 ただいまエンスト中?

暁光を待つ日本の政治

政治がらみで次元の低い言動や、事件、トラブルなどが起きると、「国民のレベル以上の政治家は生まれない」の言葉を思い出します。目下、国民を辟易させていているのは黒川事件。
発端は法で定められている検察官の定年を、「見解」と称して突然変更した総理の暴挙が発端。それは黒川検事長の定年延長の納得的、具体的説明はなく、マスコミをはじめ識者などがこぞって疑義を唱え、非難。誰しも総理と検事長のなれあい的関係によるもの・・・と憶測します。森友・加計・花見・・・安部流政治手法の底辺には、「バカな国民の目など関係ない、わかりっこない・・・・」 そんな驕りがあるのでは?

私たち国民は、いつまでもバカなままでいるわけにはいかない。「国民のレベル以上の政治は生まれない」この言葉を胸に、高邁で節度ある政治への実現に関心を持ち、成り行きを見守っていきたいものです。                                                           

◆参考 「日本の政治家への信頼はなぜ世界最低レベルなのか」
https://diamond.jp/articles/-/116203

2020.05.23(
) ウォーキングが人生終盤の生きがい?
 

千曲川

365日、平爺が一日も欠かさずにやっていること・・・それはウォーキング。天候・体調も関係なし。ふと立ち止まって考えると「どうしてしここまでやるの・・・」と自分に問いかけたくなることもあります。
監視されているわけでもなし、証明するものは何一つない。自分で「今日も日課を果たしたよ・・・」と言えばそれまで。まさに自己満足の世界です。 

硬膜下血腫に遭った昨冬も、たとえ30分でも歩かない日は一日もありませんでした。歩かなくても「歩いた」と言えばそれまで・・・。でもそこまでやる気はありません。
歩く速度は少しづつ遅くなっていると思いますが、目標は「一日2時間」、2回合せて2時間という日もあります。「ほかにすることがないから出来るんだよ~」と言われそうですが、確かにそのとおり。
現役リーマンのころ、一日も休まずランニングを1000日続けたことがあります。寒中の積雪の中、出勤前に走るのはきつかった・・・まさにそれは「修行」でした。 

他人様からは「あの年寄り、頭が少し変だよ」と言われているかもしれませんが、当人は楽しみながら歩いています。「歩きたくても歩けなくなる日はかならずきます。さりとて歩きだめするわけにもいきません。歩けるうちは楽しく歩き続けるつもりです。
今朝も早暁4時にスタートして、千曲川畔を2時間余り歩いてきました。


2020.05.22(金) 情けない司法トップの賭けマージャン


緊迫感に覆われたコロナ騒動の最中、何という情けない事件・・・
東京高検トップ黒川検事長のかけマージャン。空いた口がふさがらない。
報道では「不適切な行為があったとして黒川氏を訓告処分にした」 云々。「不適切」ではなく「違法行為」というべきだと思います。 法曹界で卓越した能力が認められ、司法の頂点にまで上り詰めた人物。一皮むけば箸にも棒にもかからない俗物だった。実に情けない。退職金も規定通りしっかりもらえとるか・・・・辞退すれば、反省の意を少しは汲んでやってもいいが、何とも低俗極まりない事件で情けない限り。 使いやすい男として、安部総理が盲目的に可愛がっていたのだろうか。


2020.05.22() 「六十にして耳順う(みみしたがう)-孔子」
 

しっとりとした気持ちいい朝

ある小説の中に聞きなれた言葉が・・・「五十にして天命を知る」、これは孔子のことば。

Web「検索すると
「子曰く、吾十有五にして学を志す三十にして立つ四十にして惑わず五十にして天命を知る 六十にして耳順う(みみしたがう)  

「私(孔子)15才で学を志し、30才で自立し、40才になって迷うことがなくなり、五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった」
 


◆人生訓として、いつの時代にも通じる重い教えかと思いますが、難しいことはさておき、平爺が小学校のときのクラス(当時は「組」と言い、一組が約50名))の名前は「智組・仁組・勇組・義組・信組・忠組」の6組でした。平爺は14年が「義組」、56年が「智組」でした。ただし「智仁勇義・・」・について教わった記憶は残っていませんが、1組、2組、3組という無機質の呼び名より味わいがある気がします。

智組は「白」、仁組は「赤」、勇-「青」、義-「黄」・・・信組と忠組は思い出せませんが、孔子の儒学に起因したものだったのですね。80を過ぎて知りました。

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人生90才時代はもう目の前、百歳時代もそう遠くないかもしれません。「六十にして耳順う(みみしたがう)」の次はどんな言葉が相応しいでしょうか? 

◙ 「耳順う-みみしたがう」は、「他人の言葉に素直に耳を傾けられる」の意。安部総理にこの言葉をじっくりと噛みしめてほしい気がしまはす。


2020.05.21() ウサギの数え方 

ウサギはどうして1羽、2羽と数えるのでしょうか?理由は諸説あるようです。

◆宗教上の理由から獣(けもの)を食することができない僧侶が、ウサギの耳を羽に見たて、鳥として食するための知恵? かなりの無理筋な言い訳()
今ではウサギを「羽」で数えることはほとんどなく「匹」で数えるのが普通とか・・・。子供のころ、食用としてウサギを飼っていましたが、一匹二匹と言っていたような気がします。
干支の漢字は「子・丑・寅・・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」、干支のサルはどんな漢字?と突然問われても即答するのはかなり難しい気がします。 

馬や牛は「頭」、犬や狐は「匹」、虎は・・・? 、魚は大きさに関係く「匹」、 クジラは「頭」・・・、
知らなくても、間違って使っても罪にはなりませんし、生活に支障はない。神経質になるのはやめよう。要はわかればいいのだから()

魚の数え方- 水の中にいる間は「匹」で、人間の食べ物になった途端、「尾(び)」「枚」「本」などと数え方が変るケースもあるとか。海や川で泳いているとき、水揚げして食材になったとき、調理されて食卓にのったとき・・・こんなこと、知らなくても生活に何の支障もなありませんよね(笑)

  子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥
  鼠 牛 虎 兎 龍 蛇 馬 羊 猿 鳥 犬 猪



2020.05.20() おふくろの思い出  

習慣となって久しいウォーキング、目に焼きつくほど見慣れた風景ばかりですが、春夏秋冬、天候などで感じ方は違うもの。民家の庭や野に咲く花、田畑の様子、月や星や雲や・・・日々新鮮です。ときには脈絡もなく懐かしい昔の記憶につながることもあります。母の日の日記に書こうと思い、紙片に走り書きしたメモが、そのまま忘れて机の隅に置きっぱなしなっていました。メモには「母弁当」と書いてあるだけです。
    


綿 雲

◆平爺が中学生のころ、季節は晩秋。一年間お勝手で使う燃料の薪(たきぎ)をとりに母と二人、荷車を引いて片道徒歩2時間ほどの山へ行った時のこと。切り取った薪を山裾の道路まで下し、川の清流のほとりで弁当を開きました。そのとき母は、自分の弁当からご飯とおかずを取り分け、平爺の弁当へ入れてくれました。食糧難が深刻な戦後、母だって空腹の毎日、家には乳飲み子(平爺の妹)がいて、しっかり食べないと乳が出ません。平はただ嬉しくて、喜んで食べたことを今も忘れません。

もし「これまでに食べたものの中でいちばん美味かったものは・・・」と聞かれたら、迷うことなくあのとき川の流れのほとりで、おふくろが分けてくれたあの弁当がいちばんと答えます。あれ以上のものはありません。腹いっぱい食べることなど考えられない時代の、忘れがたい弁当です。
「おふくろは、あの世で美味いものを腹いっぱい食べているかな・・・」

その日、その日を食べるだけが精いっぱいの時代、だから今でも「嫌いなものはない、何を食べても美味い」が続いている平爺です。
あれから70年あまり、今でも忘れられない「おふくろの弁当」の記憶です。 平ちゃがそっちへ行ったらまた弁当を分けて一緒に食べよう・・・」

2020.05.19(
) 植木剪定

 目立ちたりが屋というのか、絢爛というのか派手な色合いで目を楽しませてくれたボタン・・・精魂尽き果てたように力を失った花びらを見かね、まだ早いかな~と思いつつ、来年もよろしくと言いながら摘花しました。 小さな庭ですが、この時期は庭の手入れでやることがいろいろあります。先日は半日仕事でゴヨウマツの剪定。刈り込んで背丈の伸びを抑えているので、脚立があれば何とか素人でも剪定できます。背の高い赤松は昨年から植木屋に依頼。

平爺剪定のゴヨウマツです 上手?

◆ゴヨウマツの下で日差しを遮られている(守られている)スズランは、今年も忘れずに花を咲かせてくれました。ほうっておくと、根がどんどん広がるので根っこを適当に切っています。可憐なスズランにはちょっとかわいそうな手入れです。
歳を重ね、小さな庭でも手入れがきつく感じます。あと何年この家に住むかわかりませんが、住んで居るうちは木や花のために良い環境を保ってあげたいと思います。3日ほど前に妻にも手伝ってもらい、高さ5メートルほどのイチイの剪定をしました。年寄りにとっては、この高さになると恐怖感があります。慎重に慎重に・・・何とか無事に剪定。ケガをしてからでは遅い、自前の剪定も今年が最後かな~。

そうそう・・・花の話題にはこれを報告しなくては
妻の主な趣味は花(鉢植)とコーラス、それに気心の知れた仲間との幅広い交友。
次のような言葉がありますね。
・花が好きな人に悪人はいない、小鳥の好きな人に悪人はいない
かみさんの社交力は平爺の10倍以上、電話だけでもよくもま~と感心の一語、次から次へ・・・「今日は○○さんと昼食・・」、「今日は□□さんとお茶・・・」まさに友だちいっぱいの人生。頼っているのか、頼られているのか・・・。

 ◆平爺の運転免許返納によりマイカーを1台処分。おかげで家の前が少し広くなり、すっきりしました。そのスペースへ進出したのは妻が趣味で育てているプランター・鉢植えの花々・・・。用事や配達などで来宅した人からよく言葉をかけられるようになりました。「花が好きなんですね」とか「きれいな花ですね」

これで妻はいっそう力が入るというもの。ただし水やりは暗黙のうちに平爺の役割りになっています(笑)。

2020.05.18(
) ???

庭のスズラン・花言葉は
「再び幸せが訪れる・純粋」

本日の日記には不似合い?

先日の日記にも、ちょっと触れましたが、例のコロナのどさくさに紛れるようにして机上に上がったのが東京高検検事長の定年延長と法律改正問題。マスコミはもとより、法曹界重鎮からも一挙に疑義の声が高まり、世論も「おかしい・・・」「三権分立という国家の屋台骨を揺るがす暴走・・・」などの声が高まっているように見えます。発火点は安倍総理。

 ◆総理はマスコミ・世論・法曹界の疑義の声など見向きもせずに、何をそんなに急いでいるのか。政治に素人の平爺にはまったくわかりません。

森友学園・加計学園・御苑花見の会・・・強引な手法で修羅場を乗り越えてきたように見える安部政治も、そろそろ打つ手がなくなってきたかに見えます。

◆このところテレビに映る安倍総理の相。コロナ対策もありますが、疲弊しきったどろんとした眼(まなこ)、さぞやおつかれの模様。
遅きに失した感はありますが、バトンを渡すとき来たれり・・そんな気がします。


【参考】振り返れば、安倍内閣で中途更迭となった大臣

  東洋経済のweb参照 https://toyokeizai.net/articles/-/311889
 ・塚田国交相・桜田五輪相・松本内閣府・小渕経産相・西川農水・甘利経済再生・今村復興相
 ・松島法相・河合法相 ・菅原経産相
 ・江崎沖縄北方担当相・甘利経経済再生相・稲田防衛相

 ◆新型コロナ対応もあって安倍総理の顔が頻繁にテレビ登場、疲弊しきった様子がありあり。森友、加計、桜・・・それに安倍内閣では数多くの大臣が更迭、されました。総理ご自身も更迭されて楽になられたら・・・気が付けば、「アベノミクス」という意味不明なキャンペーンもどこかへ消えて・・・・?

◆森友事件に関し、財務省近畿財務局の管理官が責任を押し付けられて自ら命を絶ち、その手記が妻から公開されたのは今年のこと。これに関して安部総理は「決裁文書の改ざんについては2018年6月4日に調査報告書を公表している通りです。お亡くなりになられた職員については、誠に残念なことであり、深く哀悼の意を表したいと思います」何と空々しい他人事のようなコメント。

2020.05.17(日) 一日一善?

まるて゜生きているよう・・・・

夜が明け始めた時刻、昨秋水害に遭った付近を歩いていると、足元に何か落ちている・・・通り過ぎようとしたが気になり立ち止まってよく見ると、それはスズメの死骸。車に轢かれることもなく、きれいなままで横たわっている。くちばしが黄色くないのでヒナではなさそう・・・。生きているかのようなきれいな姿。
そのまま立ち去るのは忍びなく、手の平へ載せてみるとケガの痕跡はない。生きているようなきれいな姿。

 確かこの付近にお寺があったはず、寺に隣接して墓地があった記憶がある。早朝で誰もいない寺院墓地の隅っこの草むらを、棒切れで土を掘り、そこへ埋めてやりました。「一寸の虫にも五分の魂」という言葉が浮かびました。

5/13 am4:05

ウォーキングのおりに、大きな蛇の死骸を片付けたこともありますし、防鳥ネットにからまった鳩をにがしてやったこともあります。早朝ウォーキングでなければ出会えないいろいろなことがあります。
スズメの埋葬?も「一日一善」の数に入るかな~()
 

夜明けが早くなって4時ころウォーキングに出ると、月に並んで明るい星が見えます。毎日少しづつ月から離れていきます。この星は木星? 視力の低下で明るい星しか見ることができなくなりました。



2020.05.16(
) 寺院「今月のことば」

  若きにもよらず 強さにもよらず
       思い懸けぬは 死期なり  徒然草

今月の寺院掲示板。平爺の知的レベルでは程度が高すぎて理解が及びません。Web検索でいくつかヒットしたので、その一つを拝借させていただきます。(https://www.bukkyo-kikaku.com/archive/no134_12.htm) 

『徒然草』と仏教のおしえ 諸行無常のおしえ
仏教の思想を特徴づける三つの基本的な主張を三法印といい、それは「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」とされる。このうち諸行無常とは、あらゆる現象はすべて移り変わってとどまることがないことをいう。 
『徒然草』第四十九段に「人はただ、無常の身に迫りぬることを心にひしとかけて、つかのまも忘るまじきなり」 第五十九段に「命は人を待つものかは。無常の来たる事は、水火の攻むよりもすみやかに、逃れがたきものを」
とあり、そして第百三十七段に「鳥部野・舟岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、棺をひさぐ者、作りてうち置くほどなし。 「若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり」と警告するのである。

 ●非才な平爺には説明・解釈は不可能ですみません・・・
いつもの寺院から徒歩10数分ほど離れた寺院にも同じ言葉が掲示されていました。

早 暁

2020,05,15() 新型コロナに隠れて・・・

深刻な新型コロナのどさくさに紛れるようにして、東京高検検事長の定年延長をめぐる与野党の駆け引きがヒートアップ、市民の憂いも濃くなっているようです。専門的知識もなく、平爺が問題のポイントを理解できないのもむべなるかなです。

何となく感じられるのは、本来「法」と「政治」は独立・対等でなければならないはずのものが、政治が法に介入しようとしているということへの危機意識ということでしょうか。具体的には、東京高検検事長の定年を、現行法の規定を改めて、政治の判断で(時の政権の都合で)定年延長を変えられるということでしょうか?

総長の定年延長をしなくてはならない理由は何でしょうか・・・。現政権に都合の悪いことでもあるのでしょうか。いつ、どのような経緯で政治が司法を操作できるようなったのでしょうか。安倍政権にとって不都合があるのかと勘繰りたくなります。
言葉を換えれば三権分立という国家根本の仕組みに手を突っ込もうというようにも見えます。現政権にとって、東京高検検事長に今やめられたら不都合があるのでしょうか。不可解な定年延長問題だと思います。

難かしくて平爺が思い付きで口を出すような問題ではないと思いつつ、気になることを一言云わせてもらいました。

2020.05.14() 自転車・・・その後

 花はツツジへバトンタッチ

まだちょっと惜しい気もしましたが、ボタンの花を全部摘みました。淋しくなりましたが、代わりにツツジが穴埋めをするように満開。

●83才の誕生日を期して運転免許証を返納して電動自転車購入、今日で3ケ月になりました。

当初は転んで足をすりむいたり、アザを作ったり・・・アクシデントもありましたが、ようやく安定した走行ができるようになってきました。たとえ15分でも自転車に乗らない日がないほど練習、何とか恐怖心がとれてきたかな~、そんな気がします。
ただ、片側一車線の狭い道は怖いですね。バックミラーがないので後方がわからない。それって結構不安なものです。5感を研ぎ澄ませて見えない後方に注意を集中。かなりのスピードで追い越していく自動車は恐怖そのものです。3ケ月前までは恐怖を与える側にいたわけです。この怖さを知っていれば、もう少し自転車への配慮が出来ただろうにと思います。

●早く慣れようと思い、欠かさず毎日マイサイクルを漕いでいても、買い物などの実用に使ったのはわずか3回か4回程度。
マイカー卒業後は介護施設へのボラの脚はマイサイクルで・・・と考えていたのに、安全優先でルートを選ぶと、電車+徒歩の合計55分と時間的にはほぼ同じ。新型コロナが解消してボランティアが再開しても、「電車+徒歩」という以前のパーターンになりそうです。こんなことなら、わざわざ高いお金を払って電動自転車を購入する必要はなかったかな~()

追記・・・どうしても自動車でというときは、妻に乗せてもらっています。

2020.05.
13() 「さくら」 「ハナミズキ」

 

「さくら・ハナミズキ」と言えば、ああ、その話なら知ってるよ・・・という方が大半かもしれません。

100年も前、日本からアメリカの首都ワシントンへ贈った桜の苗木が、ポトマック河畔に植えられ、立派な桜並木になったという話は多くの方がご存じのとおり。桜の時期には盛大な「桜まつり」が行われ、全米から観光客が訪れる名所にもなっているとのこと。
もとは大統領夫人の希望を知り、当時の尾崎行雄東京市長が桜の苗木をプレゼントしたのだそうです。日米友好のシンボルとして100年近くの歳月を経過、その間には両国が太平洋戦争で戦うという不幸があったものの、ポトマック河畔の桜は健在のようです。

◆この話にはつづきがあります。
1925年、アメリカ側からは感謝のしるしとして、日本にハナミズキが贈られました。花ことばは「返礼」、アメリカでは最も愛されている木とのこと。


「花」にふさわしいほっとする話だと思います。今では日本中の公園・街路樹・校庭、住宅の庭・・・など、桜と同様に花の時期にはハナミズキをいたるところで目にします。ここ北信濃では今がハナミズキの見ごろ、ウォーキングの途中で立ち止まっては何度も見入り・・・足も軽く感じます。


2020.05.
12(火) 老いぼれる

モルゲンロート・登山用語「朝焼け」

寝床へ入ってからが楽しみの・・・変な想像はしないでくださいネ。そっちはとおに卒業済みです(笑) 寝ながら読書の時間。30分ほどのこともあれば1時間以上のことも。軽い(重さ)のが取り柄の文庫本、横になり寝ながら読めるのが何よりです。

何日か前の読書で、文中の「西へ5分ほど歩いたあたりに・・・」という文章のところでストップ。「あたり」は漢字でどんな字だったかな~・・・?思い出せない。簡単な字だった気がするのに・・・思い出せないまま睡魔がきていつか夢路に・・・。

翌日、PCで「あたり」と入力、変換すると『辺り』と出た。何だ・・・そうだった。昨夜はどうして思い出せなかったのだろー? 漢字に限らずこうしたことがしばとばあります。まさに老化の進んでいる証拠。以前なら考えることもなく条件反射のように「辺り」と手が動いたはず。

●ウォーキングをした時間。 帰宅して「今日はどのくらい歩いたかな~」と腕時計を見るが、スタートした時間が思い出せない。歩いたルートは覚えているので、時間の見当はつけられる。平爺もここまで老いぼれたか・・・悲しい現実です。

●先日の母の日・・・一つ忘れていました。5月10日は結婚記念日。平爺27才、妻23才でした。切った張ったの大事件もなく、何とか無事54年間二人三脚で歩いてきました。その二人三脚もあとどのくらい残されているのかな~。
ちなみに・・・30年=真珠婚式  40年=ルビ―婚式  50年=金婚式  60年=ダイヤモンド

逆立ちしてもダイヤモンドの望みはないでしょうね。

2020.05.11(
) 優雅な83歳?
 

        早暁の千曲川

23日前、雨粒の落ちてきそうな早暁、千曲川の河川敷ウォーキング。
水害の爪痕も生々しい中にも、何とか水害を免れたリンゴの木には、清楚な白い花が満開です。
川辺の葦(アシ)が密生した中から爽やかな小鳥の声・・・姿は見えませんが耳をすますと2羽か3羽ほどいそうです。小鳥の声以外はもの音一つしない静寂の中、とてもよく聞こえます。しばらく足を止めて耳を傾けました。
(鳴き声で種類をあてるような知識はありませんが、何となくヨシキリでは?そんな気がして、帰宅後webでヨシキリの鳴き声を調べてみました。どうやらヨシキリで当たりだったようです)

そのあとも期待して岸辺を30分ほど歩きましたが、2度とさえずりを聞くことはできませんでしたが、朝から得をした気分のさわやかウォーキングでした。

◆野鳥の鳴き声に耳を傾ける・・・何と「優雅な老後?」
高級住宅に住み、気にせずお金が使え、世間からもてはやされているような人々とは反対局で、ささやかにその日その日を生きている平爺老夫婦には、野鳥の啼き声一つにも幸せを感じます。
80才を目前にしている妻は、趣味のコーラスと人付き合いの上手さから、退屈する時間がないほど目いっぱいに生きています。
平爺には真似できません。

ふと立ち止まって老いたわが身を見つめると、「野鳥の声に気持ちが和む・・そんな老後も良いのでは・・・」そんな気がしてきます・・(母の日にちなんで)


2020.05.10() 母の日

 ありがとう

 いつか来た丘母さんと 一緒に眺めたあの島よ
♪ 今日もひとりで見ていると やさしい母さん思われる


今日は「母の日」、コロナの関係でカーネーションが例年のようにさばけず、生産農家は困惑しているとのこと。思わぬところへ影響が・・・。

母の日の意義は、家事・育児に精を出し、一家を守る大黒柱の母に感謝する日と言う解釈でいいでしょうか・・・。
平爺流に言わせてもらえば、謂れもあやふやな建国の日や、とってつけたような海の日・山の日などより「母の日」を祝日にすべきだと思います。「母の愛は海よりも深く山よりも高し」と言いますからネ。

平爺の母も、妻の母も だいぶ前に帰らぬ旅へと発っていきました。

◆認知症介護施設のボラは、コロナの関係で現在お休み中、例年だと「おかあさん」に関係ある歌ばかり用意、みんなで歌うことにしていました。とこが今年はコロナの関係で皆で歌えないのが残念です。もう1ケ月以も顔を見ていませんが、みんな元気にしているだろうか・・・。
この施設は利用者定員18名。9名づつ2ユニットに分かれていて、それぞれに男性は一人づつ、残りはおばあちゃんです。つまり母の日に感謝される立場の方々です。今年は 母さんの歌を一緒に唄うことはきませんが、みんなのご健康を祈ります。

【追記】話は飛びますが、近ごろ何かにつけて平爺に対する妻のかかわりが多くなってきました。つまり手を借りないときちんとした生活が送れない・・・ということだと自覚しています。生みの親はあの世の人、代わりに妻に感謝の日ということにします・・・(それにしても物忘れが多くなってきたことは認めざるをえません)。

(カーネーションは例年通り牛乳屋さんが牛乳と一緒に配達?・・・届けてくれました--これはサービスです)

◆もう一つおまけ・・・平爺夫婦56回めの結婚記念日でもあります。お読みになった皆さまお気を使いませんように・・・よく今までもちましたよね~(笑)


2020.05.09(
) 立てば芍薬 座れば牡丹
 歩く姿は百合の花

小さな庭ですが、花たちが次々とバトンタッチするように咲いています。
とりわけ今目立つのはボタン・・・ほかには ボケ、ツバキ、カイドウ、モクレン、スズラン、ツツジ、ドウダンツツジ・・・・と賑やかです。

とりわけ目立っているのは牡丹=ボタン。開花したのは20輪、蕾が10輪。2株だけですが目立ち過ぎるほど目立つ花です。

◆この牡丹にはちょっとした思い入れがあります。
勤務の関係で奈良県に住んでいたとき、来遊中の孫娘(当時赤ん坊)も一緒に、ボタン寺として知られる長谷寺へ牡丹の花見。その折にボタンの幼木を購入して、奈良の自宅に植栽。その後奈良から長野市へ転居の際、孫娘記念のボタンを残してくることができずに、引っ越し荷物と一緒に長野まで持ってきた思い入れのある牡丹です。今は大きな株に育ち、毎年絢爛豪華に?咲いています。

◆ボタンの花は自己主張が強すぎるきらいはありますが、思い入れは強く、大切に管理しています。
「今年も頑張って咲いてくれたな~ありがとう」とこころで感謝。

ちなみに花言葉を調べてみました。「美人のシンボル」 「思いやり」 「恥じらい」 などのほかに 
                 
「王者の風格」 「恥じらい」 「人見知り」 「誠実」


2020.05.08() -2- 満月

   
 5/7 am4:15  5/7  pm.8:42

 昨日は満月。空を仰ぎ見た方も多かったかもしれません。

 7日早暁-am4:15  西方の山へ端に沈む赤い満月

 7日宵ー-pm8:42  東方の山の稜線から昇る銀色の満月


 月に気づかず、GWの余韻に浸っていたかたも多いかも?




2020.05.08(金
)  白い花の咲くころ

ここ北信濃はリンゴ栽培が盛んなところで、今が花の季節です。千曲川の氾濫で泥に埋まった畑も多いとは言え、水害を免れたリンゴの木には清楚な花が健気に咲いています。ウォーキングの途次、その白く清らかな花を見ていると、半世紀以上前に岡本淳郎が歌っていた「白い花の咲くころ」を思い出しました。平爺若かりしころに、飲み会などで得意げに歌った思い出の歌です。「平爺にはふさわしくない歌詞」という声が聞こえてきそうですが、そんな声は無視ー(笑)ー

♪白い花の咲くころ♪・・・(昭和25年NHKラジオ歌謡)    

  1.白い花が咲いてた ふるさとの遠い夢の日
     さよならと言ったら 黙ってうつむいてたお下げ髪
     悲しかったあの時の あの白い花だよ
  2.白い雲が浮いてた ふるさとの高いあの峰
     さよならと言ったら こだまがさようならと呼んでいた
     淋しかったあの時の あの白い雲だよ
  3.白い月が泣いてた ふるさとの丘の木立に
     さよならと言ったら 涙の瞳でじっと見つめてた
     悲しかったあの時の  あの白い月だよ
    

ついでにもう一曲。美空ひばりの『りんご追分』

♪リンゴの花びらが風に散ったよな 月夜に 月夜にそっと
   ♪津軽娘はないたとさ つらい別れをないたとさ
   ♪リンゴの花びらが 風に散ったよな

このほかにも並木路子の歌った「♪赤いリンゴに唇よせて・・・」とか、ロシア民謡のカチューシャ「♪リンゴの花ほころび 川面に霞たち・・・」、三橋美智也の「♪りんご村から」、童謡の「♪リンゴのひとりごと(私は真っ赤なリンゴです・・・・)etc
小さな声で口ずさみながら清楚な花の道を、2時間10分のウォーキングはとても良い気分でした。

2020.05.07(
) コロナで「転りっぱなし」? 意味不明?
 

  新型コロンて何?教えて・・・
      田んぼの用水路にて

コロナに邪魔された今年のGW。例年なら行きも帰りもUターン客や観光客でパンクしそうな高速道や列車のニュースがないのが淋しい? コロナのおかげで?スーイスイ・・・。自宅周辺を見わたしても帰省したらしい自動車がほとんどとまっていない。

◆ここ信州も、何ケ月か前までは観光関連業者が手ぐすねひいて遠方からの来客に期待していたはずだっただろうに・・・・。
テレビでは、長野県知事が連日コロナ感染防止のメッセージ「県内外の出入りをひかえるよにお願いします」と訴えていました。

北アルプスや八ヶ岳周辺の山小屋からも「来ないでくれ・・・」という声、例年賑わう軽井沢も開店休業、松本城・善光寺などの目玉スポットも入場停止措置などの対応で人影はなし。観光に依るところが大きい信州にとっては大誤算の大打撃。この穴埋めはさぞや大変なことと推察します。
長野県知事のメッセージには、県民としても泣けてきます。自然豊かで人情にあつい信州に、案じることなく来てもらえる日が一日も早いことをこい願っています。

2020.05.06()  今年も「クマガイソウ」が咲きました

 
 

10年以上前、友人から株分けしてもらったクマガイソウは、一輪、二輪と徐々に増えてきて今年は何と19輪もの花が咲きました。
秋が深まるころ、里山で腐りかけた落葉をかき集めてきて、ふとん代わりに厚く敷いてやるのと、直射日光のあたらない木陰を選んで植えてあります。肥料は一切なし、夏は潅水を忘れないようにするだけ。

クマガイソウは絶滅危惧種、野生の姿を見ることは難しくなっている由。クマガイ群馬県熊谷市と縁があるのでしょうか。群生地として今でも残っているのは全国で3ヶ所(福島2ヶ所、山梨1ヶ所)のみのようです。
絢爛として人目をひくような花ではありませんが、今は手厚い保護を受ける貴重な植物、我が家との相性がよかったのか、元気に増えてきました。

◆調べてみると、ラン科アツモリソウ属の植物でユニークな花の形が独特。ここに住んでいる限りは、大切に保護していくつもりです。来年も再来年も花の数が増えるのを楽しみにして・・・・。

<追記> クマガイソウ花言葉・・・書きたくなかったのですが 
     ●気まぐれな美人   ●見かけだおし


2020.05.05() こどもの日

◆今日はこどもの日。書く場合は「子供の日」ではなく「こどもの日」、この方がこどもらしい感じがします。

庭のモクレン

妻の「口癖」の一つが「コドモじゃないんだから・・・」
いくら出来の悪い亭主でも面と向かって言うか・・・。ウォーキングに出るとき「あの帽子どこへ置いたかな~」・・・間髪を入れず「どこへでも放り出すからわからなくなっちゃうのよ~・・・決まったところに置かないからよ!! もうこどもじゃなんいだから~ッ」

こども料金は施設ごとに設定されていて、原則として小学生以下の子供、法律で決められているわけではないようですネ。

報道などで、こどもの数が年々減る傾向にあることは周知のとおり。
昭和57(1982)から37年連続して減少傾向に歯止めがかかからないようです。唯一東京都だけが増加・・・理由は?
社会が子供を育てやすい環境に変わり、親がその気にならなければ減少に歯止めがかからないのではないかとの説も。  今となってみれば、太平洋戦争終結後のべビーブームが懐かしいが、その年代が老人側に立つようになって子供減少に歯止めがきかない。皮肉な話しですね~。

蛇足ながら、人口比でこどもの割合が最も高いのは沖縄県、最も低いのは秋田県とのこと。

◆子供が増えて増えて心配になった戦後「産児制限」という言葉があったのが信じられない・・・でも本当の話。
子供の減少ストップ、みんなガバレ!!


2020.05.04(
) カエル=

「蛙」はなぜ虫偏なんだろう・・・・? ほかにも
   
・にじ   ・へび   ・たこ   ・はまぐり   ・まむし  ・・・・

◆一昨日(5/2)、陽気は真夏へ一足飛びの大ジャンプ。最高気温32度と聞いただけでも、もう『降参』。でも冬が恋しいとは思わないところが良いところ()庭のモクレンやツバキの花も暑そうです。

◆ふと気づくと、庭のサツキの下で何かが動いた・・・目を凝らしたが正体が分からない。確かに何かがいたはず。メガネをかけなおしてサツキの下あたりを見ていると・・・あっ動いた。何とそれは平爺の親指の爪ほどのアオガエル。目を凝らして見ているともう一つ動く物体・・・これは灰色の地味なカエルで、大きさはほぼ同じ。カメラをもっと近づけて・・・と思ったら奥の方へピョンと逃げこんでしまいました。田んぼなどでよく見かけるカエルで、10円硬貨をひと回り大きくしたほど、とても可愛いが、鳴き声は低温で結構大きい。

そういえば、数日前の夕方、庭からカエルのなき声らしきものが聞こえた。まさか水気もないところにカエルがいるはずはない・・・、ところが2匹もいたとは。エサになるような虫でもいるのかな~。それとも水の溜まった蹲(つくばい)があるからか?。居心地が良かったらどうぞ長居をして「カエルの合唱」でも聞かせてください。

 ♪カエルの歌が 聞こえてくるよ  ♪げげげげ げげげげ くわっくわっくわ


2020.05.03(
) 祝祭日・家庭菜園

庭の片隅
ミニトマト2本・ナス2本・ピーマン2本
年寄り二人には余るほど出来るはず?

429日から始まったGW、現役をリタイアした平爺には、ことさらに「休日」と言う概念はなくなっいますが、あらためてカレンダーを確認すると
  4/29()昭和の日  5/3()憲法記念日
  5/4() みどりの日  5/5()こどもの日
  
5/6(振替休日)
憲法記念日とこどもの日は、サラリーマン現役のころと変わりありませんが、429は天皇誕生日から緑の日となったような記憶がありますが・・・違うかな~。くるくる変わると平爺はついていけません。

◆祝祭日には関係なく、昨日は家庭菜園用野菜の植え付け。庭の空きスペースとプランターに植える程度の作業。それでもけっこう汗をかきました。植えたのは
  キュウリ、ゴーヤ、ミニトマト、長ナス、ピーマン、モロヘイア、パセリ、レタス

年寄り夫婦二人の食卓には、これでけっこう間に合います。ミニトマトやゴーヤは食べきれないほどですが、この程度の菜園では家計の足しにはなりませんが、レジャーの延長線というところです。

2020,05.02(
) 快適ウォーキングの季節

日が長くなりました。長野市の日の出時刻は
  1月上旬 7:00   51 4:54
真冬、6時過ぎにウォーキングに出るころ、まだ外は真っ暗闇。凍った足元に注意しながら歩いていたのに、今は4時半前には「あさぼらけ」、外灯のない道でも心配はありません。

千曲川堰堤から  am5:19

3時半ころ、習慣のように目が覚めます。寝る前に準備しておいた「よもやま日記」をアップロードして、4時半前後にはウォーキングに出発。スタートが早くなった分、歩く時間も自然と長くなります。このところ2時間余が定番・・・すがすがしい早暁の大気を胸いっぱいに吸い込み、刻々と明るさを増す風景を見ながら足を運ぶと、時間の過ぎるのがとても早く感じます。
ちなみに今年のウォーキング月別時間は
 1 66時間  2 60時間  3 72時間 4 66時間
12時間を目途にしていますが、気候もよく、花や風景など目を楽しめるものはいくらでもあって、ただ歩くだけの単調な運動ながら、まったく退屈は感じません。早起きが少しつらく感じるときもありますが、歩き終わったあとの爽快感は最高!!  飽きることはありません。

◆早朝ウォーキングを楽しんでみませんか。お勧めします。(認知症予防にも効果あり)  ふと頭に浮かぶのは「あと何年、早暁ウォーキングが続けられるか・・・」ということ。


2020.05.01() メーデー

5月1日はメーデーの日?  何のこと・・・・昨今、存在感が失われたような気がします。

ネットで確認すると「始まりは188651日、シカゴで、11214時間勤務が当たり前だった労働環境の改善を求めて労働者がゼネスト、8時間労働の実現を要求したことに由来・・・ 云々

◆平爺が社会の荒浪の中へ飛び立ったころ、日本でもメーデーは労働者の祭典として各地で盛大な催しがあり、集まった労働者が気勢をあげたものです。大小まざまな労働組合の旗が何百本も林立、「勢い」がありました。当時、平爺の初任給が8000円ほどの時代。メーデー会場は独身寮から徒歩10数分の明治神宮外苑でした。
主義主張とは関係なく、まさに労働者のお祭り、ストレス癒しの場だったのかもしれません。参加者全員でメーデーの歌を大合唱、万人単位の合唱は迫力満点だったと思います。

千曲川 黎明

おぼろげながら1番だけは何とか覚えています。

 ♪聞け万国の労働者 とどろきわたるメーデーの
  示威者に起る足どりと 未来をつぐるときの声

 ♪汝の部署を放棄せよ 汝の価値に目ざむべし
  全一日の休業は 社会の虚偽をうつものぞ

 ♪永き搾取に悩みたる 無産の民よ決起せよ
  今や二十四時間の 階級戦は来たりたり (以下略)


◆余談ですがメーデーとは別に「安保反対闘争」に参加して、新宿駅東口周辺を強烈なジグザグデモで気勢を上げたのも懐かしい思い出です。主義主張、行動力というより、あり余ったエネルギーのはけ口だったのかもしれません。

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