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2020 年 6月

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2020.06.30() 断捨離=泣いて馬謖を斬る

始めての入賞 サイズ40号
北信(長野県北部)美術展に出品
ひところ「断捨離」という言葉が流行語のように蔓延しました。新聞、テレビ、週刊誌・・・盛んに取り上げられ、時代の寵児のようでした。 

「断捨離」でスタートした平爺の令和2年、あっという間に半年が過ぎてしまいましたが断捨離はまだ終わりません。
平爺にとって悩まして断捨離は、自作の水彩画作品です。才もない素人の下手な絵、保管の意味なしとして、数年前に作品の多くを廃棄処分しました。それでも未練を断ち切れずに残っている絵が、まだかなりあります。平爺にとっては大作の範疇に入る50号(123cm×104c)が、まだたくさん残っていました。サイズが大きくて一般家庭で飾るには不向きです。今も残っているのは、日本水彩展入選、地元長野の絵画展入賞作品など、それぞれ思い入れの強い絵など20点ほど。
 

金銭的価値があるほどの作品なら、もらい手もあるかもしれませんが、所詮はど素人の趣味の絵。
そろそろ断捨離の決心をしなくてはなりません。
軽く「断捨離」と言っても、未練や思いが交錯するつらい作業ですが、昨日はその選別作業でした。

2020.06.29(
) 「おでかけパスポート
 

お出かけパスポート

2020年も半分終わり。惰性のように何となく暮らしていると、日時の感覚まであいまいになってきます。

 そういえば、運転免許を返納してから4か月余り。あのとき1000円分が入った「おでかけパスポート」をもらったのに、まだ一度も使っていません。使えるのは長野電鉄バスだけかな~?料金は確か半額になるというように聞いた気がします。 このパスポートを提示すると料金が割安になるということですが、その仕組みもわかりません。目下宝?の持ち腐れ・・・宝と言えるほどのものではありませんが(笑) 
どこの自治体でも、このような制度はあるのでしょうか?

使うとしたらホラの通勤? 残念ながらボラ往復に使えるバス路線はありません。カードはいまだに真新しいまま。
電車通勤は片道320、1回ボラ訪問すると往復640円。月に8回~10回の往復。けっこうな出費です。
(私鉄駅から施設までは徒歩40分)

細かいことをいうのはやめます。好きで通っているのですからネ。

2020.06.28(
) PC悪戦苦闘の一日

千曲川の夜明け

月末が近づくと、このよもやま日記の翌月分のページ作成の準備です。

慣れているつもり、眼をつむっててもチョイチョイチョイ・・・とできるはずが、7月分の作業にとりかかると何故かいつものようにスムーズにいかない。どうしてだろう・・・? いよいよ平爺も年貢の納めどき・・・? かなりのショックです。

 すべてこれまでと同じ手順でやっているのに何が悪いのか・・・わけがわからん・・・
朝食後からかかりっぱなしで取り組んだがダメ。昼寝のあと再度ねじり鉢巻き、気合を入れて悪戦苦闘。何とかなったような気がしますが・・・・時計はすでに午後3時20分。

28日の日記をupしてみます。果たして正常に作動してくれるかどうか・・・だめならメンテナンス業者に依頼するより仕方ありません。平爺には、もうPCは無理なのかな~  トホホホ・・・・

2020.6.27(
)
 魑魅魍魎=ちみもうりょう

庭の片すみで

「魑魅魍魎」とは「人に害を与える化け物の総称。また、私欲のために悪だくみをする者のたとえで、「魑魅」は山林の気から生じる山の化け物。「魍魎」は山川の気から生じる水の化け物。

◆昨日のよもやま日記に、次のような一文を載せました。日本国憲法前文の冒頭・・・日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し・・・以下略「正当に選挙された国会における代表者・・・」と定められています。きわめて重い規定だと思います。不正の手段を用いて選出された議員のいる国会は、正当な国会とは言えないとも解釈できます。総選挙のやり直しがあっても不思議でない事態だと思います。
それにても、これだけ正々堂々?と法を破り、平然としていられる議員も少ないのではないのでは?このような候補者をかつぐ選挙区有権者のレベルさえ疑問視され兼ねない事態のような気がします。選挙区の皆さんは「適格性に劣るこんな候補者をかついでしまった・・・・あるいは投票してしまった」と忸怩たる思いを抱き、連日の新聞・テレビの報道を、ニガムシを噛みつぶした思いで見ているのではと推測します。
無学無能、資産もない平爺ゆえに、このような魑魅魍魎が跋扈するような状況に腹の虫がおさまりません。

2020.06.26() ミニ菜園  

菜園収穫?

以前、好意で借りていた150㎡ほどの畑。場所は千曲川河川敷。自宅から徒歩30分余り。ウォーキングと思えば苦になりませんでしたが、ナス・キュウリなど、毎日収穫に通うのはそれなりに大変。収穫の多いときは重いのがこたえました。お借りして数年、千曲川の増水で畑の水没と言うアクシデントもあったりしてお返ししました。
昨秋の大規模洪水被害に遭った場所の近くです、あの畑はどうなっただろう・・・ウォーキングがてら行ってみました。リンゴ園や畑が広がっていたときの面影は片鱗もなく、あたり一面は洪水で全滅状態。借りていた畑がどこか、目印になるものは何一つなく、見当もつきませんでした。 

◆今は家庭菜園で細々と・・・ナス・キュウリ・ピーマン・ミニトマト、ゴーヤ、モロヘイア、シシトウ、オクラのほかに、ちょっとした添えに役立つアオヂソ、パセリ、セロリなどを育てています。10日ほど前からナス・キョウリ・ゴーヤが収穫できるようになりました。二人世帯には十分な量です。

ままごと程度の栽培ですが、手の届くところにあるというのは実に便利なものです。


2020.06.25(
) 追想二題

623日は沖縄慰霊の日、忘れていましたがテレビを見て思い出しました。
 74年前の6月7日、沖縄における戦闘は米軍の圧倒的火力の前になすすべもなく、日本軍は組織的戦闘不能状態に陥って戦闘は終結。3カ月に及ぶ沖縄戦の犠牲者は日米合わせて20万人とも言われ、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとのことです。そして4年にわたる太平洋戦争は、日本の無条件降伏受諾をもって終結しました。日本国民はもちろん、とりわけ沖縄県民の戦争への忌避意識の強いことはよくわかります。
敗戦後、憲法で「2度と戦争はしない」と誓い合いました。参考までに日本国
憲法の前文の一部をを末尾に記します。

平爺が生きている間に・・・と思っていて、いまだ実現できていないのが沖縄の平和記念公園「平和の礎(いしじ)」にお参りすることです。

◆昨日のウォーキングの途中で慰霊式典のことを耳にして立ち止まり、南の空に手を合わせ「私たちはもう戦争はぜったいにしません、安らかにお眠りください」と黙祷を捧げました。
「今年は何としても沖縄平和記念公園を訪ねよう」と、妻と話し合っています。 

岩木山1625m 1989.6.25登頂 52才 

31年前の624日は美空ひばりの命日。51才という若さでした 。生まれ年は平爺と同じ。存命なら83才。亡くなったその日、ひばりのヒットソング「リンゴ追分」の舞台となった津軽平野の百名山「岩木山」へ登るべく、津軽の温泉宿に宿泊していました。翌日、岩木山へ登頂、誰もいない山頂で「♪リンゴ追分」を歌ったのを思い出しています。

  ♪リンゴの花びらが 風に散ったよな
  ♪月夜に 月夜に そっと ええ
  ♪つがる娘はないたとさ つらい別れを ないたとさ
  ♪リンゴの花びらが 風に散ったよな

日本国憲法前文の冒頭・・・日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの 子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢 を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意 し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する (以下省略)


2020.06.24(
)  3ケ月ぶり

梅雨の晴れ間

新型コロナの関係で、4月以降中断していた認知症介護施設へのボラは、3ケ月ぶり復活。利用者のお年寄りたちは、平爺の顔を覚えているか不安だったのですが、時が止まっていたような以前と同じ雰囲気でボラが出来ました。


施設の責任者から電話がかかってきたのは数日前、「ボランティアの規制が外れました・・・ぜひまた来てほしいとのおことばに、喜び勇んでの訪問というわけです。お手年寄りの中には、「いつも来るおじいさんが来ないネー」という声もあるとか、片足を棺桶に突っ込んだような平爺を待っていてくれる人がいる・・・こんな嬉しいことはありません。

復活初日は、何の問題もなく、以前と同じ雰囲気で利用者のお年寄りたちは、平爺に接してくれました。顔も忘れられていたら・・・・そんな心配は無用でした。
オープニングはいつもものように「故郷」の歌から、一寸法師、浦島太郎、金太郎・・・などを歌ううちに、以前の雰囲気になりました。尻とり遊びをしたりしていると、あっという間の1
時間でした。


◆規制に縛られ、家族さえ以前のような訪問が制限されるという厳しい状況、平爺も生きがい?を失っていました()


2020.06.23(
) ウォーキング

 

昨日の朝焼けは、山の稜線が火事と見まがうような不気味さでした。

◆寒中のウォーキングは寒さに震えながら「さ~ひとガンバリ歩いてくるか・・・」気合がいりました。
夏の暑さも楽ではありませんが、早朝の暑さは知れたもの。「いい歳をして無理するからだよ・・・」なんて揶揄されない程度に夏を乗り切ることにしています。

その「無理」という線が、正直なところはっきりとはわかりません。たかが歩きですから息が上がり、心臓がバクバクしない程度に、この夏も無休で乗り切るつもりです。

◆自分では歳相応、健康維持に叶った適度な歩き方だと思っていても、その線ははっきりとはわかりません。久しぶりに自分の歩きを計測してみました。
  ⦿歩幅・・・・・約78cm・・・(1㎞を約1290歩)
  ⦿速さ・・・・・1㎞ 約11分--(2時間で約11㎞)
ほぼ毎日、11㎞ほど歩いていることになります。2回合せて2時間と言う日も、何日かあります。

◆健康ウォーキングに無理は禁物、わかっていますが、体力・持久力、気力の老化は否めず。老化防止に少しでも役立てば思って歩いていますが、現在の負荷が適切かどうかはわかりません。この程度ならと思ってつづけています

ちなみにwebを検索すると、国の推奨する健康的なウォーキング量は一週間で7時間半、1日あたり約65となっていました。平爺はちょっとオーバーワーク気味かな~


2019.06.22(
) 夏至(げし)

昨日は二十四節季の「夏至}、一年のうち昼間の時間が最も長い日。ついでに「父の日」・・・・おじいちゃんの日もあればいのに・・・・。

「二十四節季」の読みは「にじゅうせっき」。「にじょうよんせっき」と読みたくなりますが、正しくは「にじゅう」と読むそうです。「夏至」は読み違えることはないと思いますが難しい読みかたです。
昼間の時間がいちばん短いのは「冬至」・・・これは「とうじ」以外には読みようがありません。

暑さの本番はこれからですが、昼間の時間の方はこれから一日一日と短くなっていくわけです。考えてみれば一年なんて過ぎるのは早いものです。

一茶らしい夏の句がないかと思って探してみました。
   ■ 短か夜を よろこぶとし()と 成りにけり
   短夜を 嬉しがりけり 隠居村

 

睡眠時間が短くなる年寄りは、夜の明けるのが待ち遠しい・・・・身をもってわかる気がします。
平爺は布団に入るのが歳を増すごとに早くなり、今は9時ころ。それから眠気がくるまで読書。目がショボショボしてきたら睡眠体制。翌朝3時ころには目が覚めます。それから「よもやま日記」をアップローどしたり、朝刊の大きな見出しだけ目を通したりして、薄明の4時少し前にウォーキングへ出発。これがこの季節のパターンです。


千曲川畔のウォーキングで、狐によく出会います。昨日も単独の個体と遭遇、間合いは数十メートルほど、“あのジジイは心配ない”という顔をして、じっと様子を見ていて、距離が縮まるとその分だけ離れます。狐は単独行動の動物なんでしょうか。2匹のこともありますが、たいていは一匹。鳴き声は「コンコン・・・」とは似ても似つかぬ声。ネコの鳴ぎ声に似ているような気もします。

■昨日は父の日-売れ筋上位は ①ビール ②日本酒 ③ウナギ ④スイーツ ⑤おつまみ・・・だとか


2020.06.21(日) 昨日の日記のつづき

清 廉 潔 癖

メディアが一斉に報じた代議士河井夫妻のご粗末さ、空いた口がふさがりません。

「地に落ちる」という言葉がありますが、まさにその見本のような事件。おしどり代議士も珍しいが、加えて旦那の方は法務大臣の椅子にも座したことのある、安倍総理お気に入りの大物? きっと出世競争の頂点に立ったような気分を味わい、浮かれていたにちがいない。そして相棒の妻の方は「私の旦那は法務大臣で偉いんだから・・・」とふんぞり返っていたのではと想像してしまう。

■この言葉が頭に浮かびました。
「ブルータス お前もか・・・」
これはシーザーが暗殺されるとき、刺客の中に信頼していたブルータスの姿を見て発した言葉。信頼を裏切られた無念さかぎにじみ出ています。
不正な金を受け取った面々は決して裏切るようなことはないと信じていたにちがいない。世の中そう甘くはないですよ。

「地に落ちる・・・」
盛んであった評判や権威などが衰え廃れるという意味。不正な金を喜んで受け取ったバカなやつらは、決して口を割らない・・・そう信じていたに違いない。何と浅はかなご仁か・・・根はウブで正直者なのかもしれない?法務大臣に椅子に座った威厳も、今や罪を問われるただの人以下・・・・?

裏切られた国民はどうしたらいいの・・・・?


2020.06.20(
) 「地に落ちる」

清廉なホタルブクロ

野に咲くホタルブクロの爽やかな花を目にすると「梅雨だな~」という実感が・・・・

◆国会の閉幕を待つようにして、河井議員夫妻の公職選挙違反がらみの逮捕。新聞・ニュースショーなどのメディアが大々的に報道、情けない事態。政治家全体が「恥も外聞もないのが政治家」と思われかねない破廉恥な事件だと思います。
「政治と金」の問題は、果てしもなく永遠につづくのか・・・まさに懲りない面々、一般市民だったらお天道様に顔向けもできない破廉恥な行為。

先日「組織と魚は頭から腐る」という俚諺のことを書きました。河井事件もまさにそれ・・・。安部政治の断末魔の声を聴いている気がします。

政治資金問題が明るみに出て、夫の河井法相は法務大臣を辞任。後任の森まさこ法務大臣も黒川事件で辞表を提出しようとしたが、任命権者の遺留で継投となったとか・・・。日本の政治は、これからどうなっていくのでしょうか?

腐臭がますますひどくなるこの国の政治。いっそのこと全政党を解体、ガラガラポンで日本政治を一から建て直せないものでしょうか。

このような三文芝居を見せられる国民はたまったものではありません。

2020.06.19() 脳ドッグ

こころ和む

今日は市民病院で「脳血管MRI検査」を受けてきます。平爺がどうして脳の検査をしなくてはならないの? 本人には異常行動があるという自覚はありませんし、一年前の「硬膜下血腫」はその後大事に至らず、普通の生活を送っています。
何かウヤムヤのうちに、カミさんに決められてしまったという感じかな?

半分は本気で「半世紀近く連れ添った爺さんも、いよいよ認知症の領域へ足を突っ込んだ」とカミさんは信じているようです。

忘れっぽくなったり、一度で理解できなくて同じことを聞きなおすことが多くなったり、今日やろうと思っていたことが何だったか思い出せなかったり・・・・確かに脳の老化は認めますが、40歳代、50歳代と比べるのはちょっと可哀そうな気もします。
このよもやま日記に目を通して下さっている方々は「この爺さん、云うことが支離滅裂・・・普通じゃない」と思っている方が多いとしたら・・・事態は深刻です。

そう言えば、運転免許更新のときの記憶力テスト。硬膜下血腫の直後とは言え、これまでほぼ満点が普通だったのにギリギリのセーフで愕然としたっけな~。



2020.06.18(
) 「大河の一滴」五木寛之-再読

◆本を自分で購入して読めるようになったのは社会人となり、給料がもらえるようになってから。
中・高校生のころはもっぱら町の公民館で借りていました。

返本の帰りにはまた新しい本を借りて帰る。図書館とは縁が切れませんでした。忘れられないのは「夏目漱石全集」・・・中学生には難解の部分も多かったと思いますが、活字に飢えていることもあってむさぼるように読みました。目立つオレンジ色装丁の漱石全集。Webに写真がないかと思って検索するとありました。懐かしいな~。

◆もう一つの思い出は中里介山著の「大菩薩峠」、これも同じ図書館での借り出し。版は少し小さ目ですが、ページ数はずっしりするほど分厚く、おまけに41巻という一大長編。読み終われば次の巻、また次の巻・・・果てしなく続くような大長編を読んだあのころが思い出されます。

懐かしい漱石全集

◆今も寝る前に本を読まないと寝つけません。
最近の新聞広告か何かで・・・「大河の一滴-著者五木寛之」が、初刊の平成10年以来読み続けられ、今も読者が増えているとのこと。

二度と読むことのない小説や、時事関係の本はほとんど読み捨てですが、平成10(1998)版の大河の一滴は処分せず書棚に残っていました。心を打つものがあったのだと思います。
年年歳歳目先が変わっていく昨今、初刊から20年以上、読者の関心が衰えないのは、それなりに今に通じる内容と言うことだと思います。読み直してみましたが、確かに今に通じるものが多く、関心の高さが理解できました。心を打つところへ付けた付箋が10カ所ありました。


2020.06.17(水) 14日の日記訂正

614日の日記で「スマホ」に関してとんでもないことを書いてしまいました。
平爺の新しいケータイは「ガラケイ」だそうです。カミさんから大目玉!!

日記を読んだ妻が「とんでもない大間違いよ・・・あれは以前と同じガラケイですよ」
えっ?それじゃ~どうしてケータイが新しくなったの?・・・・
妻曰く、私()のケータイをドコモからauのスマホに変えたので、平爺のケータイもauのガラケイに変更。そのために機種が新しくなっただけのこと。

とにかくケータイのことは何にもわからない平爺、日々目先が変化していく今の世の中、年寄りが生きていくのは大変でございます(笑)

2020.06.17() 今月のことば

月替わりで更新される寺院門前の「今日のことば」。更新は月替わり早々であったり、時には月半ば過ぎのことも・・・和尚さんの気分次第?―()
今月も月替わり10日ころまでは未更新でしたが、何日か前にようやく更新を確認。

  命あるものの 命だけが
  
  命あるものの 命を養うことができる

う~ん・・・難解です。平爺の脳みそでは何と翻訳したらよいやら・・・犬が星を見るようなものです。
これまでも難解な言葉はありましたが、今回はWeb検索してもヒットしません。お手上げです。平爺には遠く及ばない深淵な教訓が込められているのでしょうね。「世の中、わからいことがあるか面白いんだよ・・・」、それにしても平爺にはわからないことが多すぎ()

2020.06.16() 足は第二の脳・・・認知症予防

爽やかな夜明け 戸隠連峰

今年もあっという間に折り返しが近づいています。

物忘れが多くなったことは自覚していますが、バカの一つ覚えのようにウォーキングだけは忘れません。元旦から今日まで、欠かした日は一日もありません。毎日記録をとっているのも、自らにプレッシャーを懸けんがため。信念を曲げないための小道具というところです。




夜明けの遅い時期は暗い道をただ黙々と・・・今は4時前から薄明が兆し、清々しい風景を見ながらのウォーキング。暑くもなし寒くもなし、贅沢なルンルンタイムです。

昨年のウォーキング記録を見てみると、年間724時間 1ケ月平均60時間でした。

今年も半年が過ぎようしていますが 1月-66 2月―60 3月-72 4月-65 5月-71時間
とうことで月間60時間。もうしばらくは続けるつもりでいます。

欠かさず毎日続けることにプレッシャーもストレスも感じません。日々の生活の一部・・・めりはりのない生活の中では欠かせないアクセント。すっきりした気分で一日がスタートできるし、平爺の健康法でもあります。やはりいっぷう変わった老いぼれかな~。目標は、今のペースで85才まで続けること。

2020.06.15(月) 夜明け

このよもやま日記でよく使うネタ・・・飽きもせず早朝(未明)ウォーキングに関係しことの繰り返し。お読みくださる方々は「またウォーキングか~・・・」と辟易しているお顔が目に浮かびます。

薄  明

◆早朝を表す言葉でふさわしいのは・・・そのときの気分次第(笑)
  ・の出を待ってスタート  ・東の空が白み始めるころ
 ・白みはじめた暁の時刻に  ・払暁を待って家を出る
 ・夜が明け始めるころに   ・明け方の静けさは良いもの・・
 
【暁】   日の出前、まだ日の差さない薄暗い頃。

【払暁】 まだ日の差さない薄暗い頃。
【明け方】ー夜が明けようとする頃。日の出前。

【黎明】 ハイカラな表現、山行記録にときどき使います。朝早く
     山小屋を出発する時などにはぴったりな感じです。

昨日のウォーキングはam350分スタート、払暁という雰囲気が好きです。日の出まではまだ少し時間があり、東の空がほんのりと明るくなる頃。払暁を広辞苑で牽くと『日の出前または日没後見られる天空のほのかな明かるさ』・・・薄命と間違えて使いませんように()



2020.06.14(
) スマートフォン
 

昨朝、ウォーキングに出かける早朝4時ころからシトシト雨。一日中降りつづいていました。いよいよ梅雨突入。被害が出るような雨はごめんです。

◆100才が珍しくない長寿社会へまっしぐらの長生き時代。認知症への関心も増すばかりです。
「予防は歩くことから・・・」よく聞く言葉です。認知症だけでなく身体機能全般に通じる言葉かと思います。

平爺はケータイをほとんど使いませんが、カミさんがスマフォに変えるということで、平爺のケータイもスマホに変更。83才のじじいが持つには似合いません。スマホって何もの?・・スマホの「ス」も知らないスマフォ音痴。

スマホに変える必要性などなし。電話以外、その他の機能は知らぬまま。知ろうともしません。ウォーキング中に何かあったら、その連絡さえできればそれでOK。
以前は、登山中に万一の事態に遭ったとき、連絡手段として必要でしたが、登山をやめた今、あえて理由をつければウォーキング中にぶっ倒れたりした時の連絡手段だけ?昨年の1月、その事態に遭いました。(身元確認用のメモは必携)

以前のガラケイには歩数計があったものの、腕時計の機能で用はたりていました。スマホにも同じ機能があることをつい先日知りました。

◆写真の数値には基礎となる性別・歩幅・体重・身長のデータが未登録の数値です。
  


2020.06/13() 麦秋
麦  秋

「麦秋」・・・最近は耳にしなくなったような気がしますが、ウイキペディアを見ると

「麦秋(ばくしゅう)とは、麦の穂が実り、収穫期を迎えた初夏の頃の季節のこと。麦が熟し、麦にとっての収穫の「秋」であることから、名づけられた季節。雨が少なく、乾燥した季節ではあるが、すぐ梅雨が始まるので、二毛作の農家にとって麦秋は短い。

関東平野を高崎から東京へ向かう新幹線の車窓から、一面黄金色に広がる麦秋の風景が思い出されます。

◆ウォーキングで千曲川畔を歩いていると、少し奥まった河川敷に麦秋の風景が目にとまりました。河川敷にこんなに広々とした麦畑が広がっているとは気づきませんでした。そして木立の中からは小鳥の囀り・・・実に気持ちいい。写真を撮ったりして、しばらくこの風景を味わいました。

◆今から70年ほど昔、小津安二郎監督、笠智衆・東山千恵子主演の「麦秋」という映画があったのを思い出します。名画中の名画、もう一度見てみたい。この歳になると味わいもきっと違ってくると思います。


2020,06.12(
)  認知症疑惑?

我が家のベット 

我が家のアイドル「カエルちゃん」が10日ぶりの登場。妻が大事にしている鉢植えの葉っぱにちょこんと座っていました。10円硬貨をひと回り大きくしたほどの体形で、庭のあっちこっちを移動しながら生活?しているようです。ときどき体に似合わぬ大きな鳴き声で存在を主張、「生きてるぞ~」なのか、「嫁さんがほしい」というラブコールなのか?身内の愛おしさのようなものを感じます。

◆来週は「脳ドッグ検診」の予約日です。早く言えば「認知症検査」ということです。カミさんが勝手に予約。認知症を疑われるほど問題行動があるとは思えないのだがな~。


もの覚え
が悪くなったのは確かですが、それは歳相応と自己診断?
食事をしたのを忘れてしまうとか、出先から帰宅できなくて困ったとか、買い物に行ったのに何を買うか思い出せないとか・・・懸念されるような不審行動はないつもりだがな~・・・どんな検査をするのかわかりませんが、何かイヤーな感じです。

「よもやま日記」の文章や内容に支離滅裂・これはかなりいかれたジジイの文章・・・そんなお気づきがあるかもしれません。 「あれ・・・、どこへしまったかな~」とか「1年ほど前に引っ越していった隣家の苗字は何だったかな・・・」とか、2年ほど前に読んだ文庫本をまた買ってきたりとか・・・・この程度は年相応ですまされませんか?

◆6年前ですが、「認知症予防トレーニング士養成講座」に通い、トレーニング士の資格証明書を取得しました。その爺が認知症を疑われ兼ねない視線にさらされています。養成講座でも「歩く」ことが予防に役立つことが強調されました。日課の2時間ウオーキング、過去6年間の記録を紐解いても、休んだのはゼロ。表彰状をもらいたいくらいです。ちなみに昨朝は2時間20分でした。


2020.06.11()   「幸い」、「辛い」 

あわてものは表題を見て、同じ字を二つ並べて何のつもり? 拡大した字をよ~く見てください。

「辛い」-つらい 「幸い」-さいわい

「辛」は上が (なべぶた)、「幸」は土(つち)です。

千曲川畔の道、頭上から長閑なカッコーの澄んだ啼き声。
 ♪静かな湖畔の森の陰から
 ♪もう起きちゃいかがとカッコが啼く

いつ書いたのか記憶はありませんが、日記用のメモに「幸辛」の走り書きが残っていました。違いは上部の横棒が一本あるか無いかだけの違い。この横棒は何の意味?文章なら前後関係で読み間違えはないと思いますが、小さいポイントで一字だけなら違いに気づかないかもしれません。

辛いことと、幸せなこと・・・・意味はまったく逆のようですが、実は紙一重なのかもしれません。平爺はそんな気がします。

◆暇つぶしに、似ている漢字をいくつか並べて見てみました。
   爪・瓜   荻・萩   緑・縁   端・瑞
   萩・荻   昨・咋   券・劵   撒・撤

「爪につめなく瓜につめあり」と覚えたのを思いだしました。


2020.06.10(
) 日が長くなりました

夜明けが早くなり、ウォーキングに出る時間も早くなりました。冬場は5時過ぎに出発してもまだ真っ暗。今は4時前後のスタートですが、すでに夜は明けています。凍った暗い道に比べるとルンルン気分でウォーキング開始。 今日はどのルートにしようか・・・玄関を出て10秒ほど考えてから右か左かを決める。決めてしまえばあとは足の向くまま気の向くまま、勝手に足が動いてくれます。

きりっとした気持ち良い朝

今の日の出時刻は426分 元旦のころは7時。2時間半も朝が早くなっています。人の気配のない暗い道より、景色や草花を見ながら歩く方が脚も軽く進みます。少し欠け始めた月を仰ぐもまた良し。2時間ほど歩いて帰宅するころには、早朝ウォーカーの姿もちらほら見かけます。寒さに背を丸めて歩くより、しっかりと手を振って歩くと「早起きして運動するのはいいな~」という充足感があります。
今年も半分ほど過ぎましたが、おかげさまでウォーキングは一日も休んでいません。最低は50分、最高は3時間45分。

◆平爺のささやかな目標=一日平均2時間以上のウォーキング
 中間集計してみました。

    160日 1日平均2時間15分 ぎりぎり目標クリア
   あと半年もガンバロー!!

2020.06.09() 「魚と組織は頭から腐る」

早暁、肺を洗うような澄み切った大気

テレビだったかな~・。最近こんな言葉を耳に(目に?)しました。
魚と組織は頭から腐る

これはロシアの諺(ことわざ)とか。 テレビかwebで偶然目にしました。魚は頭から腐る・・・組織の腐敗も上層部から下へと広まっていくという意味らしい。いろいろな場面で使えそうな言葉です。

即座に脳裏に浮かぶのは、安倍政権下におけるモリ・カケ・サクラに黒川事件。まさに「魚の頭」を地で行く成り行きです。
ついでに言わせてもらえば・・・トランプ大統領就任に関して真っ先切って現地へ飛んで媚びの安売りをしたのもこの方。今にしてみれば、アクの強い似た者同士、気が合うのもむぺなるかなと納得。あちらさんの方も、コロナ対応や人種差別問題でまさに「頭と組織」が問われているように映ります。

◆企業でも政党組織でも同じこと。長期政権を政治の安定などと喜んでばかりはいられない。モリ・カケ・サクラのころから怪しくなり、黒川問題で腐臭はその極に。昨日の安倍内閣支持率調査を見ても、低下傾向にストップのかかる気配はなさそうです。腐臭をきれいな空気と入れ替えるには国民の意識改革が必要。腐ったにおいも、そろそろきれいな空気と入れ替えてほしいものです。
それにしても胸にストンと落ちる良い言葉だな~

2020.06.08() 姿勢

昨朝 山の端に沈む赤い月

およそ人様から褒められることのない平爺。無理してひとつだけ上げるとすれば若いころから「姿勢が良いネ」と言われていたこと。自分の姿勢は自分では見えませんから褒められると「そうですか・・・」と気のない返事しかできません。 体幹がまっすぐ伸びていらしい。

ところが人生最終局面を迎えて、「姿勢は崩れ、まっすぐ伸びていた背中もだいぶ前かがみに・・・」 遠慮無用のカミさんの言。自分では昔と変っていないつもりだが、かなり年寄りっぽくなってきているのは確からしい。「こうよ・・・」と真似してみせてくれる。ほんまかいな、そんなにひどいの?そういえば身長も2cmほど縮んでいる。姿勢が前かがみになったからだろう。 もう人様に褒められることはなくなってしまった平爺、頭は仕方ないとしてせめて姿勢の良さだけでも保てたらと思っていたのに・・・。背中を丸めて歩いている年寄りを見ただけで自己嫌悪に陥りそう・・・まさにコンプレックス。

80を超えてから、登山からも遠ざかり、体を使うのは一日2時間前後のウォーキングとストレッチ体操だけ。体系は如何ともしがたいが、せめて気持ちだけでも若々しくという思いはまだ少しはあるつもりですが、それも多分身びいきから来る錯覚でしょうね。

83歳のジジイがピンピン歩いていたら、その方が気持ち悪いかも。歳相応で良し。

2020.06.07()  赤松剪定と老人

剪定後の秋松

庭師と植木屋のちがい・・・庭の赤松剪定を依頼するにあたりネットで調べてみました。庭全体の設計施工をするのは庭師。庭木の剪定だけをするのは植木屋とのこと。

◆今年も赤松の剪定だけは植木屋に依頼。一昨年は胸骨圧迫骨折、そして昨年は硬膜下血腫という憂き目に遭い、植木屋に頼むことにしました。お願いするのは高さ8mほどの赤松だけ。83才の爺には危険過ぎることを自覚、ケガをして笑し者になる前に方針転換、お金には代えられないと思っての決断?

お茶を飲みながら職人さんと取りとめもない会話・・・
「おじさんはお幾つでいすか?」と尋ねると12年生まれの「83だよ・・・」
「あれ、私と同じですネー昨年までは松の剪定も自分でやっていたのですが
・・・」
骨折などのケガなどがあって昨年から植木屋に依頼するようになった経緯を話すと、まだまだ元気そうに見えるがな~」とお世辞?

それにしても高い木の上で、身軽に作業をする様子は、とても83歳の老人には見えませんでした。同年代の老人と比べれば、平爺の身のこなしは身軽の方と自負していましたが、上には上がありました。これから自分のことを「元気な爺さん」呼ばわりするのは控えることにします。

2020.06.06(
) 啼き声の正体が判明

 ピンボケのヨシキリ

いくつもあるウォーキングコースの中でも、お気に入りは千曲川の水辺に沿った車の通らないダートの道。狐の姿を目にしたり、水面に映る日の出に見とれたり、野鳥の囀りに耳を澄ませたり、野の花をカメラに収めたり。気持ちが洗われるような早暁の2時間です。

◆水辺に茂る雑木や、葦の茂みの陰から聞こえてくる野鳥の囀りもまた格別。
ギジギシというような鳴き声、お世辞にも美しい声とは言えず、むしろ雑音のような濁った鳴き声。間近に姿を目にしたことはなく、図鑑で調べることもできずに気になっていましたが、ついにその姿を目にしました。葦の茂みの中から聞こえていたあの野鳥に間違いないと思います。
葦のくきにとまって鳴いている姿。大慌てでシャッターを切ると、サッと茂みに消えてしまいました。鳴き声はやや濁ったギギギ・・というか、ギョギョギョ・・・というか、お世辞にも美しい鳴き声とは言えませんが、帰宅してwebで調べるとどうやらヨシキリのようです。

webでヨシキリの聞きなしを調べると、「ギョギョシイ」、言われてみればそんな鳴き声でした。聞きなしとは鳥の囀りを意味のある人の言葉やフレーズに当て嵌めて憶えやすくしたもの。スズメの「チュンチュン」のようなものです。
レンズを向けると同時に飛び立って写真になりませんでしたが、その姿は目に焼き付けました。

(聞きなしとは、鳥の囀りを意味のある人の言葉やフレーズに当て嵌めて憶えやすくしたものとのことです) 

【追記】葦と書いて「あし」とも「よし」とも読む?
アシは、「悪し」と同じ音になり縁起が悪いので、昔の人が逆の意味の「良し」という音を当てた・・・ほんとう? スルメは「する(ギャンブルで外れる)」を「当たる」に変えて、あたりめとも呼んだりするそうです?


2020.06.05() あの水害がウソのような静かな千曲川

先だってのGW、例年通り庭の片隅を利用して植えた野菜――ナス・ミニトマト・ピーマン・ゴーヤ・キュウリ・・・・など。おかげさまで全部活着してスクスク育っています。中でもキュウリとピーマンが元気がよい。よく見ると小さな実をつけています。10日もすれば食卓にのるかもしれません。ままごとのような家庭菜園ですが、それはそれで毎日様子を確認するのも楽しみの一つ。

◆数年前まで借りていた畑へ、ウォーキングの際に寄り道してみました。昨秋の千曲川堤防決壊で水没、当時の面影はなく、あたり一面流れてきた土砂に埋まっていて、あの畑がどこにあったのか見当もつきません。周囲に広がっていたリンゴ園も全滅、だだっ広く静かな平坦の地は不思議な光景でした。当時、自宅から片道徒歩340分、ウォーキング代わりに歩いてナスやキュウリなどの収穫をしたのがウソのようです。
当時を思い出しながら、火を燃やしていた農家のおばさんと立ち話をしてきました。

千曲川の流れも、あの水害がウソのように静かに流れています。水流が穏やかなのは、田植えの時期にあたり、田に水を張っているためです。
この近くの国道に「ボランティアのみなさんありがとうございしました」という立て看板が・・・ほっとした安らぎを感じました。

2020.06.04(
) 「肘笠雨=ひじかさあめ」

代掻き(しろかき)が終わり、田植えを
待つ田んぼの水面は鏡面のよう(6/4)

よもやま日記のネタとして思いついたことを、走り書きしたメモはたまる一方。何日か過ぎてメモを見ても意味不明…なんてことが多い。加齢にともない次から次へと面白いように忘れていきます・・・(笑)

乱雑な机の上を見かねて、カミさんが散らかっているメモを「いらないなら捨てなさいよ・・・」とバカの一つ覚えのような小言。

●ここ、長野県北部も入梅が間近。「肘笠雨」と書きなぐったメモ・・・・いつ、なぜメモしたのか思い出せない。WEB検索すると読みは「ひじかさあめ」 意味は「にわか雨。肘雨。袖笠雨
にわか雨はわかるとして、肘雨、袖笠雨って何?

肘笠雨・・・肘を頭の上にあげて防げるほどの雨
  袖笠雨・・・袖を笠代わりにするほどの雨

こんな言葉を編み出した先人のセンスには敬服。情緒感というべきでしょうか。

長野地方気象台によると、入梅予想は68日ころ。雨中のウォーキングが気になりますが、氷点下10度近い寒さに比べたらどうということはありません。

◆田植えをひかえた米作農家にとって、この時期の雨はまさに「慈雨」。昨朝、田植えを待つ鏡のような水面、映る朝焼けがとてもきれいでした。

2020.06.03(
) ツツジとサツキ

 咲き始めたサツキ

皐月サツキ 躑躅ツツジ
この二つの違いはなかなか分かりにくくて微妙。ツツジってこんな字なんだ~・・・

ツツジより少し遅れて、当地ではこれから皐月の花のシーズンです。ツツジの漢字は複雑で覚えられませんし、植物なのに「足偏」というのも不思議?
手っとり早い区別法は、つつじは開花の方が少し早く、新しい葉が出る前に花が咲くこと。葉を並べてみるとツツジの方が光沢がある。 我が家の庭もツツジの花が終わり、サツキにバトンタッチの最中です。

サツキの花を目にすると、今から40年以上前、サツキ盆栽に凝って、100鉢ほど育てていたころを思い出します。遠く群馬県鹿沼市まで買いに行ったこともあります。サツキは酸性土壌を好む植物、適した土が群馬県鹿沼市近郊でとれるということでサツキの育成が盛んになったようです。

花期が終わると100鉢の盆栽を一鉢づつ花がらを摘み取り、整枝をし、銅の針金で枝を整え、1ケ月ほど土日の休日は朝から晩までかかりきりでした。今は懐かしい思い出です。
その後転勤・転居などですべて譲ってしまい、今は一鉢も残っていません。

2020.06.02() 「さんざめく」

何日か前、ウォーキングをしながらケータイラジオを聴いていると、昔流行った「昴 -すばる」の曲が。
下記は歌詞の中の一部ですが、平爺には意味不明?

♪されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり
   ♪ああ さんざめく 名も無き星たちよ
   ♪せめて鮮やかに その身を終われよ
  ・・・・・・・

さんざめく・・・」? 前後の関係から勝手気ままに解析すると、うるさい程に勝手気ままに光る星というような意味があるのでしょうか。説明を求められても平爺には答えようがなくギブアップ。どのような場面で使うのか?・・・何人か集まった会話の中で、ザワザワと耳にうるさい感じのおしゃべり・・・?
念のため広辞苑を引くと「大勢でにぎやかに声をたてて騒ぐ。元はさざめく らしい。どっちでもいい話をすみません・・・暇なものですから()

こんこんキツネの落とし物=糞?


このところ、気分転換に千曲川の河岸をよく歩きます。なぜかキツネの姿をよく見かけます。想像するに、民家のある付近へ出没、残飯などをあさり、夜明けとともに川岸の巣に戻るのかもしれません。よく目にする落とし物(糞)の主は狐だと思います。人のあまり通らない河岸草むらの道で、狐の姿をかなり見かけます。巣に帰り、胃袋から吐き出して子狐に与えているのかもしれません。人も狐も一生懸命に生きています。
このルートを歩くと、2回か3回は狐の姿も見かけますが、すぱしっこくてカメラが間に合いません。化かされないように気を付けて歩くことにしています。(笑)


2020.06.01(
日)
 蛙(カエル)ちゃん再会
1ケ月ぶりに再会したカエルちゃん

54日のよもやま日記に載せたカエルちゃん・・・その後、より良い環境を求めて移住したのかと思っていました。ところが何と、カエルが怖い妻が大切に手入れしている植木鉢に・・・何とあのときのカエルちゃん。人目を避けて?こんなところに1ケ月近くひっそりと逗留していました。そういえば、ときどきカエルの鳴き声が聞こえたような気もします。

◆植木鉢にいたのは2匹のうちの一匹、もう一匹はよそへ引っ越したようです。たかがカエル、されどカエル・・・平爺宅を気に入り、同じ敷地に住んでいる者同士と思えば、仇やおろそかにはできませんし、我が子のような親近感が。

驚かせないよう注意深く見守ってやらなくては。願わくば良い相棒を見つけ、子カエルをつれて来てくれると、さらにうれしいのですがネ~

◆花の手入れ中に、あやまってカミさんの手に触れようものなら気絶・卒倒は必至。イヤ、気絶するのはカエルの方ではなくてカミさんの方ですから念のため・・・()

(カエルを遊び道具にしていた子供のころを思い出しています)

「蛙」・・・虫ではないのになぜ「虫偏?」・・・蚊・蛇・虹・蛸・・・これも虫偏?


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