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2021 年 1月
前月へ 翌月へ 『がん・人工肛門からの出発』トップヘ 『山岳巡礼』トップへ 2021.01.31(日) 頭が変なウォーカー 「一月居ぬ、二月逃げる、三月去る」
何となく過ごしているうちに、気が付けば一月も今日でおしまい。
ふと、こんな寒い中を何で無理して歩かなくてはならないの・・・・自問自答しても答えはありません。寒くて、暗くて、見る風景も野の花もなく、ただ黙々と歩くだけ。何年も続けてきたから今日もまた歩く・・・ほかに説明がつかない。あいつ頭が少しおかしいのじゃないの・・・ ? 言われてみれば自分でもそんな気がします。
季節の良いときにはすれちがウオーカーもありますが、この寒さに加えて未明の暗い道、「変人」でもない限り出会う人もいない。「鈍」の平爺がどうして何年も続けていられるのでしょうか・・・自分でも不思議です。
昨日は整形外科へ。医師と面談、リハビリの方は今日で終わりにしましょう・・・3月にもう一度診せてもらった上で通院は終わりにしますということです。ヤレヤレ・・・。
自分でも痛みのピークは過ぎたことがわかります。リハビリだけなら通院しなくても自分で出来ます。以後は自宅でのリハビリ、医師の診察は3月12日に経過を確認するとのことです。
いっときは “痛みがなくなったら、どんなにか楽だろな~“と思いましたが、喉もと過ぎれば・・・用心用心、過信にお灸をすえられたと思っています。 ◆間もなく満84歳、何とか介助なしの余生が送れたら・・・願っても、もっと厳しい現実が待っているかも・・・イヤなことを考える歳になりました。 昨日のことです。・・・ “明日は整形外科の予約日、遅刻しないように行かなくては・・・予約は10時20分”
予約日まで間違えるようになっちゃったらもうおしまい? 平爺のポケも終盤戦・・・ここに極まれりの感があります。ヒゲも剃り、用意万端整えたのにネ。
◆もの忘れが多くなった、面倒くさいことはやりたくない・・・典型的な老化現象?
カカトの激痛、ガマンできずに整形外科に罹ったのは去る12月24日。その後毎週1回通院してリハビリを受け、ネットで調べたストレッチにも取り組んで1ケ月余が経過。いっときは痛みが軽くなり、これで回復するか・・・と思ったのは甘かったようです。いまだ日によってはかなりの痛みがあります。
平爺の座右の銘は「つづける」
◆年が変ったこの一月、足底筋膜炎を逃げ口上に、1日だけサボってしまいました。加えて一日平均が「1時間20分」というご粗末な実績。理由は意欲の低下とこれまた足底筋膜炎、仕方がないか・・・。 ◆3ケ月前からの足底筋膜炎による強い痛み、それに「加齢」も手伝って、かつてのような気力が湧きません。言葉を変えれば、何をするのも面倒・・・年寄り病(笑)
最近、「今日は何曜日だったかな・・・」ちょっと考えないと頭に浮かばないことがあります。以前はそんなことは滅多になかったのに・・・。 当の本人はこれまでと変わったという認識はありませんが、言われているうちに「オレもいよいよ××症か・・・」とその気になってきました。
昨朝、今冬いちばんの積雪・・・と思って張り切って?起きたのに。
夜明け前、窓越しに外を見ると、何と雪のかけらもない、雨が降っているではないか。1月寒中のさなかに「雨」・・・これにはびっくり。やっぱり地球温暖かが気象を狂わせている?・・・・そうとしか思えません。とは言え老いた平爺にとっては、「雨の予想が雪になっていた」というショックより何倍もありがたい。
◆冬季、殺風景な我が家の庭をにぎやかにしてくれるスズメ、エサ探しにいちばん難儀の時だと思います。購入した砕け米(くだけまい)を待って、100羽以上のスズメが集合、木の枝などにひしめき、今か今かと待っています。エサを撒き、家の中に戻るのを見定めていっせいにエサめがけて突進、しばし混乱状態。 ◆平爺がエサをくれる人と分かっていても、家の中に戻るまでは降りてきません。そこが気に入らない(笑)少しは感謝の態度も見せてよ・・・(笑)・・・遊ばせてもらっているのは平爺の方、仕方ないか(笑)
1902年(明治35年)の今日、青森県「八甲田山」における雪中行軍訓練で、兵士210名が猛吹雪の中で立ち往生、遭難した日です。日本にはまだスキーはなく、過酷な雪中行軍についての何たるかもを知らない時代。まさに目くら滅法、訓練と称して歩兵たちは豪雪地帯の八甲田山へと突入したものの、猛吹雪の中でルートを失い、寒さ・空腹・疲労が重なって遭難、199名が凍死という惨事を招いた。精神論だけが優先し、その気になれば何事もやり通せる・・・それが軍人精神とされていた時代のことです。 登山に凝っていた平爺は、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』でその悲惨な遭難を知りました。 ◆高山ではありませんが、足跡一つない雪上の冬季登山で方向を見失い緊張したことを思い出しました。
アメリカがパリ協定脱退表明をしたのはトランプ前大統領。世界ナンバー1のエネルギー消費国の脱退はパリ協定の存続にも大打撃だったと思います。 ところで『パリ協定?』・・・何だったかな~・・・・? ネットで検索すると 文明の進歩とともに、化石燃料の大量消費時代へ、そして放置できないほどに地球の温暖化と汚染は進み、気象変動をもたらし、未曾有の大災害が世界各地で発生するようになりました。 ◆突飛もない発想のヤンチャなトランプ前大統領から、冷静なバイデン大統領に変わって、アメリカも品格ある国に戻ることを期待したいと思います。
年明けは、「初春」とか「新春」とかの言葉が目につきます。実感としては冬の真っ最中。今月1日から21日までの長野市最低気温は下記のとおり。数値はすべてマイナス。 1.5 3.5 4.5 5.5 5.3 3.0 1.2 3.5 5.0 4.8 6.0 3.9 1.6 1.1
3.9 2.9 1.9 0.8 4.0 5.0 7.0 「温暖化」をネット検索してみて驚きました。
昨日は「大寒」でした。昨朝につづいて今朝も-8℃の冷え込み。 NHKが全国18歳以上を対象に聞き取りをした結果は、 誘致決定時の総理安倍氏が旗を振り、東北大震災被害で日本中が青ざめていたさなか、疑義を押しのけて誘致した東京五輪、最初からケチがついていた・・・平爺はそのように感じています。 「すでに東京五輪中止は決まったに等しい」という情報も流れているとか?
今朝6時30分 気温-7.5度。今冬最低 ブルブルブル・・・・ 少女は家族に見守られて静かに旅立った。 著作権侵害になりますから、これ以上詳しく転記することはできません。切ないというのか、心が揺さぶれるというのか・・・読むのがつらくなって涙がとまりませんでした。 ◆記事のタイトルは 17才 最初で最後の晴れ姿 3度目の再発 成人祝いの記念写真 前撮
護憲や平和を訴える論客として知られる半藤さんが、去る1日に亡くなったとの報道。 以下はウィキペディア参照 太平洋戦争A級戦犯合祀には批判的で、近年は護憲活動を積極的に行っており、「憲法9条を守るのではなく育てる」のが持論。
司馬遼太郎氏とは『文藝春秋』編集者時代からの親交。 ************************** ◆日本近代史観では「40年史観」を提唱。明治以降の日本は40年ごとに興廃を繰り返しており、明治政府樹立から40年後の日露戦争で軍事大国化。その40年後は世界大戦で大敗。さらに40年後にはバブル経済の絶頂期・・・ ◆平爺は、半藤さんに共感する点も多く、これまでも関心がありました。10何年か前、半藤氏監修の「太平洋戦争」というビディオ10巻の頒布を広告で知って購入、あらためて太平洋戦争の何たるかを知ることができました。
ここ長野県内もコロナ感染が油断ならぬ状況にあるようです。
他県に比べて爆発的といえるほどの発生状況ではないようですが、ここ1週間の感染件数は以下のようになっています。 67 41 68 73 51 35 51、 ウォーキングのときも、自転車で買い物にでるときも、介護施設のボラのときも、マスクだけは決して忘れません。
その介護施設へのボラは万が一平爺から施設のお年寄りに感染させるようなことがあったら一大事。先週から訪問を自粛しています。 早く元通りの日常に戻ってほしいものです。
「藪入り」・・・死語となっているかもしれません。
昔、貧農の子弟たちは、小さなうちから親元を離れ、商家などへ奉公に出されました。親元へ帰れるのは年に2回だけ。1月15日と8月15日です。 年に2回、父母のいる家に帰れることがどんなにか待ち遠しかったことと思います。 ◆奉公先すべてが鬼か蛇のような血も涙もないような酷いところではなかったと思いますが、そうした事例も少なくなかったのだと思います。 平爺も、小さかったころ「親のいうことも聞けねえなら、奉公に出すぞ・・・」と怖がらせたにあったことがありました。
このところ、ウォーキングに力が入りません・・・力とは「気力」
前月から週一度のサイクルで整形外科通いが続いています。これと言う決定打になるような治療法がないみたい? 行くたびにリハビリ担当者が代わり、治療法なども変わって何だか頼りない・・・。 この先も
筋肉、神経系統などに痛みを負って生きていくなんていうことになりませんように・・・信心の薄い平爺ですが。つい手を合わせたくなります。
◆早朝ウォーキングは、速さを抑えた上に、時間も従前の半分ほど。老化が一気に進んだりしないか・・・それも気がかり。
◆マラソン、ウォーキング、登山・・・どれだけ脚を酷使してきたか。使うほどよくなるのは頭=脳だけで、足は別物か・・・?
子供のころ、1月15日は「小正月」と言っていました。元旦の正月に対しての呼び方です。この日は餅をつき、養蚕農家は繭玉(まゆだま)飾りを作っていたのを覚えています。そのころ養蚕が盛んで、繭がたくさんとれるようにと願って、繭玉を神棚に飾り、供えていました。
1月15は元旦に次ぎ2度目の正月で、餅つきの風習がありました。 大正月には門松を飾りますが、小正月には餅花(もちばな)を作って飾りました。母の生家が稲作・養蚕農家だったので、繭玉のことも記憶に残っています。 餅花(もちばな)とは・・・養蚕と田畑の豊作を願い、餅を繭型に丸めたダンゴを、木の枝にたくさん刺し、いろとりどりの飾りを取り付けたものです。
昨日、ラジオを聞きながら日課のウォーキングをしていると「コロナ対応に翻弄されているときに、東京オリンピックは実施か、中止か、あるいは延期か・・・・?」というアンケートの結果を伝えていました。 先だって、五輪・パラ組織委員会会長は年頭あいさつで「淡々と準備を進める」と見栄をきっているテレビ映像を見た記憶があります。 振り返ってみると、10年前、原発を巻き込んだ東北大震災のときに、東京誘致を決めた安部政権のありかたに大きな疑問が投げかけられたことを思いだします。
新潟・北陸方面は記録的な降雪で大混乱とのこと。 ◆脳ミソとともに体力の低下は覆うべくもなく、雪かき作業に負担を感じるようになってきました。 ◆隣組は9軒ですが、そのうち高齢者のみの世帯が7軒。それぞれ老骨を鞭打って自宅前の除雪を行っています。 過ぎ去ったことを悔やみ 来たらぬ未来に 憧れて 今を忘れて 生きる私 生きている、その一瞬一瞬こそが大切・・ということでしょうか。
加齢にともない寒さへの耐久力が落ちてきたのを感じます。
昨朝未明の気温は-6℃。今朝も-6℃。5時半から新雪を踏んでウォーキング30分と雪かき30分。皮膚がこわばるような寒さ。昨年まではこの程度の寒さは当たり前と思い、ウォーキングに出かけていたのですが・・・・。この1年で、体力も精神力も大きくダウン。 冬至の日の出は 6:55 日の入は 16:34 世界のリーダーと言えば、やはりUSAアメリカ合衆国でしょうね。そのリーダー格が、大統領選以来つづくゴタゴタ騒ぎはいったい何でしょう? ときには世界の警察とも言われ、畏敬と尊敬を集めてきた姿はどこへ消え去ったのか?はたまた斜陽の始まり・・・・? 「月満つれば則ち虧く(つきみつればすなわち欠く)」という、高校の頃に習った俚言を思い出しました。 一方中国は『時ぞ来たり』とほくそえんでいるのかもしれません? ◆4年前でしたか、トランプが大統領就任早々、世界の首脳のトップ?を切って米国フロリダに飛び、畏敬の念を示した安倍前総理の家僕のような姿が、あらためて目に浮かびます。 「アメリカがクシャミをすれば世界が風邪を引く」という言葉がかつてありました。アメリカが世界の警察として、これからも世界平和にその力を発揮できるのでしょうか。虎視眈々とトップの座を狙っているのは中国?
昨日は一日中冷え込みが厳しい日でした。 早朝、表に出てみると路面は粉を撒いた程度の乾いた雪が薄く積もっている。このような朝はひとしお寒い。夜明けの温度計は-5℃、日中の最高は-2℃の真冬日。ストーブから離れられない一日でした。
◆年明けからウォーキングは日中に変えました・・・が、負担を感じるようなことは朝の早いうちに済ませてしまった方が気が楽。さて・・・今日は午前中にするか午後にするか、決心?がつきかねる。 平爺の座右の銘「つづける」・・・加齢に負けてしまったのが悔やまれますが、また元に戻すには以前に増して精神を鍛えなおさなくては・・・それもたぶん無理? 今年のウォーキング、どうなるかな~。当面、朝食後の午前中で続けて見ます。
昨日門松を外しました。「松の内」が終わったということです。 ◆ところで松の内とは ◆今年の正月から、特に理由のある方以外は年賀状をひかえさせていただきました。先方様に対して、年の暮れのせわしない時期に、お手数をかけしたくないという思いもありますが、平爺自身も楽な年末を過ごせる一挙両得・・・断捨離と言うと素っ気ないですが・・・。 ◆厚生労働省が発表した2019年の平均寿命は男性81.41歳。平爺はあと1ケ月で満85歳・・・ヤッター!
強い踵(かかと)の痛みで歩くのが気の重い毎日です。 昨日のボランティアは、往路だけカミさんの運転で送ってもらい、帰りは施設から駅まで自前の脚で50分。それでもボラに行ってくると気持ちが晴れ晴れします。 施設は二つのグループに分かれいます。1ユニット9人づつで2ユニット。グルーブ間で利用者同士の交流はありません。規則で1ユニットが9人までと決められているからです。職員もそれぞれ別々。Aユニットは火曜日、Bユニットは水曜日の訪問です。 ◆自惚れに聞こえるかもしれませんか、お年寄りたちの嬉しそうな顔を目にすると、ついつい力が入って1時間はあっという間に過ぎてしまい、電車の時間に遅れそうになることもしばしば。 昨日は正月にちなんでカルタ遊び。一人ひとり上の句を見て「下の句」をあててもらう・・・「犬も歩けば」・・・その続きを答えてもらいます。「棒にあたる」 2021.01.06(水) ボランティア事始め
平爺の仕事納め?(=認知症介護施設へのボランティア)は12月23日でした。ずいぶん長いこと休んだ気がします。 体力的にも、気力の面でも限界を超えたのか、これまでのように「さあ今年もガンバロー」という気概が湧いてきません。これが「歳」とうものでしょうか? 介護施設利用者のお年寄りたちが、いつもと変わらずニコニコ笑顔で迎えてくれても、平爺がそれに答えられなくなったらおしまい。 1937年生まれの平爺、あと1年1ケ月で満85歳、そこをゴールにしようか・・・そんな思いが脳裏をかすめています。
正月三ケ日も何となく終わり、またいつもと変わらない日常・・・と言っても今年から一つだけ変えたことが。それは、冬季のウォーキングを、これまでの「朝食前」から。「朝食後」に変更。カミさんの命令?を慮ってのことです。 冬季とは日の短かくなる11月半ばから3月半ばまでの4ケ月ほど。ウォーキングの時間をずらしても、就寝時間などは多分従来通り、目の覚めるのは変わらないと思います。新聞に目を通したりしていれば、時間調整?は問題ないと思います。
人様の目には、真っ暗やみの中を高齢爺さんが歩いている姿は、物好き、無謀にしか映らないかもしれません。歩行時間も3~4割は短くしようと思います。ただし一日も欠かさないという目標だけは変えません。 ◆昨日から冬季のウォーキングは、原則朝食後に変更しました。
実業団駅伝や箱根駅伝を見ていただけで三ケ日が過ぎてしまいました。
ブルブル・・・お~寒い、外の寒暖計は-7℃。ウォーキングは昼間にしよう・・・・。 ◆年末年始のテレビ番組は、お笑い・バラエティなど、娯楽ものが多く目につきますが、我が家ではそりような番組などはほとんどバスです。
大晦日、そして元旦、2日続きの雪の朝。 前夜は白歌合戦のテレビ観賞で、夜中まで起きていたのでしょう。近隣の雪かきはゼロ。何十年も紅白を見ていない平爺はいつもの朝と変わりなし。ウォーキングの代わりの雪かきでした。 ◆木の枝などに、エサを待つたくさんのスズメ。雪で地面が覆われ、エサ探しは容易では無かろう。平爺だけお屠蘇をたしなみ、オセチを楽しむのでは正義感に反する。エサ台にいつもの倍ほどのエサを撒き(売り物にならない砕け米)・・・少し離れると待機していたスズメ数十羽が一斉に舞い降りてきました。実にけなげな光景です。 ◆初詣は善光寺へ・・・と思っていましたが、例年大混雑する参拝客の様子からコロナの不安が拭えない。徒歩30数分ほどの天満宮末社に参詣。来春は大学入試を控える孫娘のために祈願してきました。 永年。我が家いちばんのお気に入りカレンダーは、星野富弘さんの描いたカレンダー。絵は2ケ月ごとに変わります。 24歳のとき(1972年)、生徒の体育指導中に過って大ケガ、手足の自由を失って寝たきりに。その後失意から立ち上がり、口に筆を加えて絵を描くようになりました。 星野富弘さんのカレンダーを購入するようになって20年ほどになるでしょうか。
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