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2021 年 3月
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2021.03.31(水) 「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」 当地では去る29日に桜開花の発表がありました。
◆日本三大桜 ◆桜三名所 ・世の中は 3日見ぬまの 桜かな 大島蓼太―江戸時代の俳人 辞書で「花木」を牽くと「美しい花の咲く木・花樹」とそっけない。 ◆夜明けが早くなりました。寒くもなし暑くもなし、ウォーキングに最適な季節。ただし・・・脚力の劣化はどうしようもありません。
◆民家の庭や、田舎道の土手や、公園や、小川のほとりや、人の手の入らない野原など・・・様々な花が賑やかに咲いています。残念ながら名前を指呼できる花は少ない。名前がわかったら、もっと楽しいウォーキングになるでしょうね。 ◆暖かな地方では、桜はもう散り急いでいるころかもしれません。当地は蕾が開こうか、もう少し待とうか・・・様子をうかがっている感じです。 善光寺平を囲繞する山々も、高い山は別として雪は消えました。春の気配が日に日に濃くなっています。夜明けも早くなり、気温も氷点下の朝は少なくなりウォーキングがいちばん気持ちいいときです。
今宵は満月、晴れるかな~ 俳句や和歌には月を詠んだ名句・名歌はたくさんありますが、百人一首には
百人一首と聴けば、つい亡き母を思いだします。その母は、学校に通えたのは6年間だけ、当時それは珍しくもなく普通だったとか。ところが不思議なことに百人一首は全部暗記していました。遊び道具一つなく育った百姓の子、嫁入り道具と一緒に百人一首を持たせてくれたと話していたことを、今も覚えています。母にとっては宝物、よほど自慢だったのでしょう。その影響か、平爺もいくつかは暗記しました。 ●天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも ●ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる ●ひむがしの 野にかぎろひの立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ 名月の句 ●名月を 取ってくれろと 泣く子かな (一茶) ●名月や 池をめぐりて 夜もすがら (芭蕉) 古来、月は人の心を打つ力があった?。 見ることもなく放りっぱなしだったペーパーを、何気なく目を通してみるとこれがなかなか面白い。ペーパーの標題は「いろは心得帳」、「い」から「す」まで47首、目を通すとユーモアがきいた傑作もあり、なかなかのもの。 独り占めはもったいない、著作権には抵触しないと思いますので、気の向いたときに少しづつ紹介させていただきます。老人にとっは面白いと同時にそこはかとない哀感のただようところがまた良し。 【いつみても にこにこ顔で 愛想よく】 2021.03.27(土) 先生と呼ばれるほどの・・・
認知症介護施設のボランティア。相手は認知症のご老人とは言え、好き嫌いやイヤなこと、ウレシイことなどの感情は失っていませんし、きちんとした会話もできます。 施設に入られてから半年ほどになるAおばあちゃん。認知症とは思えないような気配り、ときには他の人をたしなめることさえあります。 はじめて「先生」と云われたとき、平爺は目をパチクリ、「先生はやめてください」とも言えず、ありがたく?受け止めています。素直に受け止めるのも「やさしさ」? そのおばあちゃんが来てから、このグループのボラがとてもやりやすくなりました。 35年前、若き?47歳、ひどい下血から直腸がんが見つかり直腸全摘、人口肛門に。 その後、フルマラソン、日本百名山踏破もなしとげ、日本中の登った山の数は約2500座。諸々の感謝をこめての四国遍路1200㎞の巡礼も単独で結願。人口肛門という身体障碍者ではありますが、健常者にも負けない気持ちを持ち続けてきたつもりです。仕事も普通にしてきました
◆昨朝、目を覚ましてウォーキングに・・・出かける前にトイレでオシッコ・・・何だか様子がおかしい。パンツの中をのぞくと・・・・何だこりゃ~、大便があふれ出しているではないか・排泄された大便を受溜めるバウチという装具はいっときも離せない。そのパウチの接着材が劣化のために皮膚に密着せずに隙間ができてそこから漏れてしまった。 人口肛門を造設の当初、不慣れもあって失敗は日常茶飯事でしたが、今回は久々の失敗、人口肛門のハンディを再認識した朝でした。
何をするでもなく、毎日毎日が特急列車のように過ぎていきます。ここ2年、3年はことさらそんな気がします。あと〇年生きたとしても、たぶんあっという間に違いない。でも、もし時間があっとしたら何をしたいか…?思いつきません。この歳にして今さら面倒なことに首を突っ込む気力もないし、余命を大切にしなくては・・・という気もなく時間だけは淡々と過ぎていきます。 体力面では同年配と比べていくらか勝っている方かもしれない。しかし大事なのは「気力」。やり残したことはもうないなと大口をたたくつもりはないし、惰性のようにまた、明日も明後日も過ぎていくのでしょうネ・・? 介護施設へのボラも、やりがいはあるものの、正直なところ少し負担感を感じることもあります。理由は片道50分の徒歩、近ごろは少し重く感じます。体力・気力の低下のせいもあるでしょう。こんなジジイの顔でも喜んで迎えてくれるのを張り合いに「もう少し・・・」という気持ちに変わりはないのですが。
春の彼岸も過ぎ、「日脚」が長くなってきました。 日中の気温が10 ℃を上回る日も珍しくなくなりました。日脚とともに、日ざしも柔らかで「ああ、春が来たな~」 ◆12月上旬の日没16時31分、今は18時02分。来訪するスズメのエサやりも、それに合わせて遅くしています。そのスズメ、来訪数がまたまた増えています・・・エサ代が大変(笑) ◆陽が高くなるにつれて縁側に届いていたお日様も、一日一日と引いていき、今は縁側に届きません。
蛇足ながら「日脚」とは・・・日が出てから沈むまでの時間の長さ。昼間の時間とのことらしい?
群馬県高崎市から新潟県上越市に至る国道18号が我が家の近くを通っています。交通量か多く恒常的に混みあう路線です。ここ長野市へ引っ越してきたとき(20年ほど前)18号線のバイパス計画により用地買収が進められている最中でした。町内でも買収対象となる家が何軒かありました。 ●バイパス工事が進み、いよいよ運用は近いようです。沿線付近の住民にバイパスの披露として一日だけ徒歩通行が許されるとの報に、妻と一緒に歩いてきました。平爺は早朝ウォーキングで、工事時間外にこっそり何回か歩いていました。 ふり替えると、平爺がここへ越してたから20年、人生でいちばん長く住んだ土地になりました。新路線の本格的運用により、騒音被害などが生じないことを願っています。
テレビでは桜開花の便りが頻繁。当地では目下梅の花が盛りと言う感じです。花の蜜がお目あてか、梅の小枝に野鳥の姿をときどき見かけます。 梅と聴けば当然のように頭に浮かぶのが菅原道真の歌 「東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて春な忘れそ」 延喜元年(901)、菅原道真が政敵の策謀にはめられ、はるかな九州に落ちのびるとき、その旅立ちにのぞんで詠んだのがこの歌とか。
当地の 日の出は5時50分 日の入りは18時00分
ウォーキングのスタートは5時20分。冬は暗闇の中のスタートでしたが、今は足元が見えるほどの明るさ。寒さも緩んでウォーキングには最適な季節です。昨日のウォーキングは1時間45分。この間、出会った人はゼロ。平爺のために道があるようなもの(笑)
ウソではありません、本当です。昨日、カミさんに引っ張られて認知症専門医の受診・・・。なんたる屈辱・・・忘れっぽくなったりすることは認めますが、「認知症」という疑いをかけられるのはまだちょっと・・・。 カミさんに引っ張られ、専門医院で長谷川式検査を受診。結果は早急に対処が必要ではない・・・当たり前!!
長かった北信濃の冬も終わりに近づき、梅、そしてフクジュソウなど春の花を目にするようになりました。昨秋から始まった足底腱膜炎の激痛もおさまり、案じられたウォーキングは一日も休まずに続けています。
◆「柳」には二つの思い入れがあります。小・中学生のころ校舎の正門脇にあった大きな柳の木。そのわきには薪を背負ったおなじみの二宮金次郎の像。もう一つは石川啄木の歌。なぜか脳裏に焼き付いています。 「やはらかに 柳あおめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」 広辞苑で「老人」を牽くと <年とった人> <年寄り>
わざわざ広辞苑を牽くまでもない話しです。自分でも「歳をとったなー」と実感することがますます多くなりました。自分で思うより以上に、人様の目には「あのシジイ」と写っていることでしょう。 ◆ところで「年寄り」とは何歳からを言うの・・・? 平均寿命が延びた今、「65才以上を老人」とすると世の中老人だらけ(笑) 現に65歳を過ぎて働いてる人は多いらしい。働きもせず、年金だけで食べてる平爺のような「老人」は肩身が狭い。せめて老人介護施設へのボラはもう少し頑張るつもり。
3ケ月前に診療予約してある病院へ。 イライラしていた初老のおじさん「外来をすっぽかして手術でもやってるのか・・・何のための予約だ・・・」ありったけの大声で怒鳴り始めました。心情としては平爺も同様、こころで拍手。 予約時間を2時間も過ぎている。遅れている説明もなし。血液採取だけは終わっていたので、その分だけを支払い、後ろ足で砂を蹴散らす心情で帰ってきました。
昨日は、山友Мさんのお誘いを受け、早春の山裾の温もりに、命の洗濯をさせてもらいました。 ◆Мさんを「親友」と呼んでは失礼かもしれませんが、価値観・社会観も共通するところが多く、かれこれ20年以上のお付き合い。
2021.03.15(月) 懐かしき歌 以前のよもやま日記にも書いたと思いますが、ユーキャンから購入した「映像で綴る美しき日本の歌 愛唱名曲紀行 こころの風景」というCD8巻の歌集。懐かしい歌が126曲収納されています。
日の傾いた夕べのひととき、CDに耳を傾けることが多い。構える必要もなく、ただ何となく聴き入り、遠慮がちな声で一緒に歌うことも・・・飽きることがありません。・・・あの音痴の平爺が? 今の子供たちは、このような古き時代の歌を口ずさむことがあるのでしょうか。 第一巻の曲目は以下の16曲。おぼえているでしょうか・・・・
①早春賦 ②美しき天然 ③荒城の月 ④埴生の宿 ⑤故郷の廃家 ⑥花(春のうららの) 84才の平爺、歌詞があれば何とか全部歌うことができます。
昨朝のウォーキングは小雨降る夜明け前の暗い道、傘をさして55分でした。
◆そういえば「啓蟄=けいちつ」はいつだった? 二十四節季カレンダーを見ると2月18日、とおに過ぎていました。土中で冬越しをしていた虫たちが出てくる時期。我が家の庭のどこかに冬眠していると思われる小さなカエル。今年も姿を見せてくれるかな~。
皆勤を続ける無休の早朝ウォーキング、春の気配を肌で感じるようになってきました。寺や神社境内などの木々も芽吹き始めています。 ◆脚は「第二の心臓」とも言われますが、故障してあらためてその言葉を噛みしめています。山歩きが実現できれば2019年10月以来、17ケ月ぶりのハイキングとなります。登山中毒にかかっていたころを想うと信じられない?
昨日はいつも通りのメガネで新聞を読みPCのモニターを見ていたのに、一夜明けた今日は新聞の文字がボヤッとして読めない。PCのモニターも見にくい。一晩で老眼が一足飛びに悪化することってあるのでしょうか・・・・ ◆昔から「ハマラメ」という言葉がありますが、それを思い出しました。
夜明けがだいぶ早くなりました。それとは関係なく時間が来ると目が覚めます。目が覚めれば時計を見ることもなく布団から出ます。毎日ほぼ同時刻。体に染みついているのだといます。4時半から5時の間です。 購入してから1年が過ぎた電動自転車、毎日1回は乗ることにしていますが、当初の思いとはほど遠く、実用として役に立っているとは言い難いのが現実。大人の玩具?これから暖かくなってきたら、もう少し乗り回したいと思っていますが・・・・。
●アメリカ軍にとっては赤子の首を絞めるようなもの。日本の空を自由自在に飛び回り、ヒロシマ・ナガサキへと標的は移り、あの悲惨な原爆投下へ。ここにいたって軍部はようやく無条件降伏受託を決意。 追記・・・太平洋戦争で死亡した日本人は 軍属230万人、一般人80万人とも言われるようですが、正確には数えられないということのようです。
平爺夫婦が終の棲家として選んだのは南北に長い長野県の北部、嬉しくないはずはありません。南北で気質も違いますが、「住めば都」住み慣れれば同化していくものだと思います。 生まれ落ちてから18才まで過ごした南信州、その後は勤務先の関係で東京―松本ー大阪―奈良―長野―東京と旅ガラス人生。定年退職後は奈良に残したマイホームへ。そして最後に落ち着いたのは65才のとき長野市へ転居、今に至ります。
午後から、今日2度目のウォーキング。ポカボカと降り注ぐ陽ざしは実に気持ちいい。 田中の野道には、敷き詰めたように競って咲く小さな可憐な花 “オオイヌフグリ” 直径1cmほどの可憐な花に似合わない名前を持っています。その名前の由来は「種の形が雄(オス)犬のフグリ(陰嚢)に似ている」からとか。それを知ってからは人前で「フグリ」と呼ぶのにちょっと抵抗感が・・・(笑) 一面に咲いているオオイヌフグリの群落の中に、紛れ込んだように咲くもう一つの黄色花は・・・webで調べてみると「ベルクランサス」というらしい。 柔らかな日ざしの中を1時間弱の気持ち良い午後のウォーキング・・・散歩でした。
平爺が 最初に加齢を自覚したのは「眼」でした。45才を過ぎたころだったと思います。メガネを使いはじめたのはそのころです。<希望する企業に就職できたのは「眼」が良かったから>。それ以外に誇れるものは一つもありませんでした(笑) ◆齢八十路の半ばにさしかかり、とみに視力が劣化、どこまで落ちるのか底が見えず。加えて物忘れが目立つようになり、ときにはチンプンカンのことを平気で口走ることさえ・・・かなり危なくなってきたのは間違いありません。 ◆そもそも視力劣化のスタートは、50年ほど前にケガで網膜剥離、それが今になって悪さをしているのかもしれません。若いころ職場の先輩から「お前よくここに入社できたな~」とからかわれると「僕、視力だけは人に負けないから・・・・」頭は悪いが目だけは自信がありますと大見栄を切っていたものです。
寺院門前の掲示板、今月のことばは 『親の夢 つぎつぎ消して 子は育つ』 ぐさりとくるような響きですが、まさにその通り・・・親の無償の献身と愛があって育ってきたことに異議はありません。昨日の我が子虐待とは真逆です。 深読みするより、川柳でも読むような気楽さの方が “なるほど” と納得できます。深い深~い蘊蓄あふれる言葉としてしみこみます。
新聞の社会面大活字は「餓死五歳 水だけで10日間 日常的に虐待か」
事件は昨年4月のこと。5歳の男の子が10日連続で水しか与えられなかった・・・云々。
人間ほど残忍な動物はいない・そんなことばもあります。
たった5歳の子供です。いちばん可愛く、誰からも愛されるはずの幼子。この子は暴力よりもっと残忍な仕打ちで、ジリジリと体力を消耗させられ、あの世へ行ってしまったのでしょう。日に日に弱っていく子を見て、何も感じなかったのでしょうか?可哀そうで可哀そうでなりません。涙があふれてきます。地獄にもとる虐待を受けるためにだけ生まれてきたというのでしょうか。 確定申告書・・・半月以上かかってやっと税務署へ提出してきました。 手をつけてから何と半月以上経過。平爺万一のとき・例えば認知症発症を想定、今のうちにカミさんに税務署申告の手続きをレクチャーしておかなくては・・・年金以外には収入もなく、申告すれば身体障碍者としての税金還付が受けられるので、停年退職後は恒例行事として毎年平爺が申告書を作製、提出してきました。
◆平爺の加齢が加速、先行きも不透明、いまのうちに申告の仕方をカミさんにも教えておこう・・・そう思って手を付けたのが2月半ば。平爺は身体障碍者(人工肛門)として税率が軽減されています。手続きをすると年金から天引きされた税金の一部が還付されます。そのために毎年行っている還付申請の手つづきです。平爺もノーミソがひとかけらづつ消失していく昨今、今のうちに申告の仕方をカミさんにも教えておかなくては。そう思ってのレクチャー。 昨年までは国税庁のHPを使い、数字をチョイチョイと入れれば出来上がったのに、今年はそれがうまくいかない。認知症が主因?思考錯誤して何とか出来上がったのが一昨日。昨日ようやく税務署に提出することができました。今年のうちに申告手法をカミさんに伝えられてよかった。来年はもう教えることが無理かもしれませんから。 2~3泊の旅行費用を賄える程度の還付が受けられそうです。平爺の手による申告は、これが最後かも・・・ちょっとさびしい!!!
80を超えたお年寄りたち、今さらひな祭ではないかと思いますが、定番の「ひな祭」をみんなで歌ってきました。 昨日は桃の節句とはかけ離れた陽気。霏々として雪の降る中を駅から45分余の歩きは、とても長く感じました。
月齢カレンダーを見ると「満月は2月27日」
見た目には2月27日から翌月初の明け方まで満月という感じ。明け方の満月を楽しめるのも早朝ウォーキングを励行しているおかげ。仮に、月を眺めるだけの早起きなら、少々つらいかもしれません。 この時期は田んぼの水は抜かれているのが普通ですが、なぜか水が張られた田が1枚。西に傾いた真ん丸の月が水面に写っていました。うっとりするような景色にしばし足を止めて見入りました。まさに「早起きは三文の得」です。こうしたことがあるから早朝ウォーキングはやめられません(笑) 足底腱膜炎の痛みも軽くなり五体満足、以前のペースでウォーキング出来る状態に戻りました。良い春になりそうです。
下らない疑問・・・2月はどうして28日なのでしょう? ◆ところで日課のウォーキング。今年も休日なしで続けていますが以前の状態には戻っていません。 サボリこそなかったものの、月間ウォーキング時間は激減 昨年1月 65時間35分→今年1月 44時間50分 これでも頑張ったつもり? サボったという認識はないが愕然とするほど減少。言い訳になりますが「足底筋膜炎」の激痛を押しての結果です。自分ではガンバッたつもり。その痛みもようやく軽くなり、回復の兆しが見えてきました。 |
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