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2021 年 5月
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2021.05.31(月) 爽やかな皐月から鬱陶しい雨の季節へ
睦月・如月・弥生・卯月・皐月・水無月
暑くもなし寒くもなし、気持ち良く過ごした五月も終わり。明日から水無月・・・梅雨で水があっても水無月とは・・・? 降水日がいちばん多いのは秋田県で177日、いちばん少ないのは山梨県の82日となっていました。ずいぶん違うものですね。雨が嫌いな人は山梨県への移住がお勧めです(笑) 追記・・、東京の降水日は106日で県別の平均あたり。単純に計算すれば3日か4日に一度は雨が降っている勘定になりますネ。 我が家のペット・・・カミさんのことではありませんから誤解なきよう(笑)
◆貧乏住まいの我が家のどこが気に入ったのか、朝夕欠かさず通ってきくるスズメちゃんたち。その数十羽? エサをねだるかのように、庭は大賑わいとなります。でも家人にはなつきません。 エサ台や庭石の上にエサを撒き、屋内に入ったとたん、一斉に飛び降りてきます。
以前、ネコがスズメを狙っているのを見て、防衛のために有刺鉄線を隣家との境いのブロック塀に張り巡らしました。結構気を使っているのですよ(笑)
当地は田植えの時期。水が張られた田んぼにはカエルや水中昆虫などが動き始めます。 春はカラスにとっても子育ての季節、命をかけた苛烈な日々なんでしょうネ。まさに容赦は許されない生存競争、そこにはルールも情もなく強いものしか生き残れない過酷な現実しかないのだと思います
◆立ち止まってカラスの様子を見ていると、とても複雑な気持ちになります。まさに「弱肉強食」の厳しさ。人間世界だってそのような一面のあることは否定できません。。
うららな春を喜びながら、人間も含めた自然界の厳しさを感じさせる1シーンでした。
多くの人がコロナ接種の予約確保に翻弄させられているようだ・・・電話はつながらない、ネット予約はPCに馴染の薄い年寄りにはままならない。
●付き合いの広いカミさんは、友だち関係から情報集め。
おかげさまでコロナに関しては、平爺自身は小指一つ動かすことなく接種を受けられることになりました。それにしても、国民にこのような負担を強いることは役所の怠慢、計画的に割り当てるようなことが出来ないものなんでしょうかネ。国民はいいように振り回されている・・・そう思いませんか?
皆既月食を楽しみにしていた昨夜。三脚も用意して準備万端整え、手ぐすね引いて待機していたのに無情な雲、月食の片鱗も見ることがかないませんでした。
次の皆既月食は1年半後の来年11月8日とのと。それまでおあずけです。
今日の日記は皆既月食の写真をと思っていたので、ほかに用意がありません。本日はお休みとさせていただき、これからウォーキングに出かけます。ただいまの時刻は4時20分。
ラジオを聞きながら千曲川河畔を歩いていると、「森の宝石・・・ハムシ」の話。虫嫌いの人は多いかと思いますが、「宝石」と云われれば見てみたくなるのが人情ではないでしょうか・・・帰宅後、ハムシをネット検索すると確かに華麗な美しさ。虫嫌いの人でも触ってみたくなりそうです。
▼ウォーキングをしていると、木立から美しい野鳥の囀り。平爺の耳には「ブッポウソウ・・・」と聞こえましたが・・・帰宅後、さえずりの記憶を手だてにネット検索したがブッポウソウと決めつけることはできませんでした。
●今夜は3年ぶりの皆既日食。時刻は午後8時過ぎ。今年「最も大きく見えるスーパームーン」だそうです。楽しみです。晴れますように。
昨朝のウォーキングは、千曲川の流れに沿った岸辺の道。人の気配はまったくなし。運が良ければキツネに出会うこともあります。 夜明け、上流に向かって足を運ぶ。背丈越鬱蒼とした葦の茂みから、賑やか過ぎるほどのな野鳥の囀り。しばし足を止めて耳を傾ける。目を凝らすも姿の片鱗も確認できない。表現しにくいが「ギヨギョギヨギョ・・・」というような濁った声で、決して美声とは言えません。何羽が競って囀っているような気がします。 人影もないさびしい道、自動車のエンジン音もない静寂な千曲川河畔を一人黙々と歩いてると、何だか別世界にとり残されたような錯覚を覚えますが、早起きは三文の得・平爺にとっては至福の時間です。
一昨日は4時にウォーキングスタート。雨の心配はなし。ルンルン気分。いつもと同様、爽やか気分で脚を運ぶ。ウォーキングに最適な季節。歩くコースはその時の気分次第。 頭の中の地図を頼りに見当をつけていたが、次第に方角が怪しく・・・そろそろ我が家の方角に見当をつけて進まないと・・・。ところが我が家がどっちの方角か頭の中は壊れたコンバス・・・? そのうち目印になりそうなものが目に入るだろう・・・遠くを見すえながら呑気に歩いていたが・・・厚い雲で日の出の方向も判然とせず方角があやふや。次第にあせってくる。 方角の見当のつく構築物が目な入らないか・・・四囲を見まわしながら脚を運んでいると、いつの間にか雑草の生い茂る川辺、草を分けて歩いいると目に入ったのは記憶にある鉄製の高いフェンス・・・ああよかった。無事帰宅することができました。気疲れした3時間余のウォーキングでした。 平爺が生まれ育った信州は、よくお茶を飲む県だと聞いた覚えがあります。三度の食事のあとは普通として、朝起きるとまずお茶、午前のお茶、午後のお茶、夕食が済んで寝る前にまたお茶。一日に何回お茶を飲んでいるのか・・・・茶葉はその都度は変えていなかった、つまり出がらしのお茶? ラジオが今日は八十八夜と教えてくれました。八十八夜と聞けば自動的に「茶摘み」の歌が
◆かつて「茶」は葬儀のお返し品の定番。あとに残らない(消えものと言うそうです)お茶が好まれてきたようです。それと、お茶は好みに左右されず誰でも使えるし、保存もきく・・・。そのお茶が香典返しに使われることが少なくなってきた・・・コーヒーなど競合品が増えてきた影響もあるとか・・・。
◆日本のお茶文化も、次第に忘れられていくのかな~。我が家のカミさんはお茶が好き、平爺はけっこう飲まされています(笑)
◆普段はどこにひそんでいるのかわからない我が家のカエルちゃん・・・広くもない庭ですが、居心地と安全を求めて気に入った場所を転々と移動しているらしい。 ♪かえるの合唱♪
昨日の日記で、考えていただいた言葉は
春・・・立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨
早朝ウォーキングの楽しみは草花だけではありません。ときには夜明けを待ちかねたシラサギが置き物のように微動だにせずに獲物を待つ姿も。 「食べれる」「見れる」という「ら抜き言葉」を使う人の割合は年々増え続け、それが多数派となったとのことです。
「ら抜き」とは関係ありませんが、次の言葉はどのように変わったでしょうか。 ズボン 背広 板の間 写真機 アベック スポーツ選手
久しぶりにウォーキングの現況を測ってみました。 平坦道1㎞・11分10秒 1108歩 歩幅約90cm 時速約5㎞
1時間半ほど歩いたとろで、国道のキロメートル標識を使って測定。4年ほど前と大きな変化はないようですが、一方ノーミソの方は日進月歩?で老化進行、「記憶力」の低下は目を覆うばかり。いわゆる「もの忘れ」です。計る物差しがないので正確にはわかりませんが、とにかく忘れる、覚えられない・・・脚と物忘れ、どっちの方が大事なんでしょうか? ◆前月(4月)の月間ウォーキング時間は51時間。3年ほど前と比べると3~4時間ほど少なくなっていますが誤差の範囲内と自分では納得? 以前と変わっていないつもりですが問題は「質」です。大幅に衰えていることを認めざるをえません。
『 五月雨を あつめて早し 最上川 』 芭蕉 ◆今年の梅雨入り情報・・・甲信=東京・神奈川・千葉・埼玉・群馬・栃木・茨城・山梨・長野の梅雨入りは発表していないが、東海地方までは16日梅雨入りが発っしられたようです。 田植え、野菜の植え付け・・・農家にとってはいちばん水の欲しい時期、雨は歓迎ですが、どうかほどほどにとお願い。これからしばらくウォーキングに傘は手放せません。気が重い・・・が休みません。 当分気が重いが、雨のウォーキングを根性でしのがなくては・・・。
寺院門前の今月のことば 人間はすぐれた意識を持つことによって 平爺には難しすぎて理解困難・・・。「宗教は哲学だ」と聞いた覚えがありますがまさに哲学、平爺のレベルでは歯が立ちません。関心がありましたら「真宗大谷派 福浄寺」のサイトをお読みになってみてください。サイトには、教員として部活動指導中に事故で首から 下がマヒ。辛うじて動く口を使って詩画を描くようになった敬服する星野富弘さんの生き方が綴られています。 ************************* 星野さんのことばの中でも特に強く記憶に残っているのは ◆星野富弘カレンダー5月の詩画には下記のことばが。悟りのようなものを感じます。 久しぶりの青空です 名もない空 はい 19% いいえ 81%
昨春の同様のアンケートでは反対が64%。1年後の今回は8割が「いいえ」という結果。権威ある一流新聞社の調査、偏見なく現状を正確にとらえていると思います。踊っているのは五輪族と時の政権だけか? 昨年のコロナ旋風の初期、五輪1年延期ではなくコロナ鎮静化を確認したうえで日程を再検討・・・そんな知恵が浮かばなかったのでしょうか。
憲法記念日の去る5月3日のよまやま日記・・・二つ用意していたのですが、一つは日記に載せないままになっていました。遅ればせながら追記させていただきます。
◆朝日新聞地方版(信州)に『9条の碑 山寺がこめた非戦』という記事が載っていました。志賀高原への入口となる中野市の山寺境内(谷巌寺)に「戦争放棄」と「憲法九条の全文」が刻まれた2メートルの碑が立っているとのこと。平爺の住まう長野市に隣接しながら、まったく知りませんでした。空爆を受けたこともない山間の村人による奇特な建立、それにはに理由が。 新聞に掲載された「疎開児童の碑」の記事には、両手で涙をふく少女の像が。アジサイの咲く頃、妻と訪れたいと思っています。 「に」・・・にわ(庭)いっぱい 草花植えて 世話をして 「ほ」・・・ほどほどに 食べて休んで よく眠れ
平爺の日常と、ほぼオーバーラップしている気もしますが・・・?
睡眠時間は、夜間おおよそ6時間、昼寝は毎日1時間前後。 ◆月間ウォーキングは概ね50時間余。以前に比べると10時間ほど少なくなりましたが、ケガ、入院などの特殊なケースは別として、365日ウォーキングを休んだことはありません。(日記を遡ってみると72才まではランニング・ジョギングでした。根性があったな~(笑)
読み方はどちらが正しい? 平爺は信州生まれの信州育ち。小さいときから「いく」で育ってきました。 でも「お爺ちゃんが家を出たまま行方がわからない」 ●どっちでも日常生活に支障はないのに気になる・・・それが年寄りの特性? ネット検索すると、どちらかが間違っているわけではないようです。標準語的なものもなさそう。つまり両方とも正しい? 司馬遼太郎の『街道を行く』は「ゆく」、NHKの「行く年来る年」はいく? ゆく?
禍々しいコロナ蔓延のおかげで、認知症介護施設のボランティアを自主的に中断してから1 「満85才(来年2月)を機に、そろそろボラ辞退の潮時・・・個人的にはその思いが固かったのですが、復帰の環境が整うことなく終るかもしれません。 仲間のように慕って下さったお年寄りたちに、さようならも言わずに去ってしまうのは心残りです。せめて「サヨウナラ、いつまでもお元気で・・・」くらいは言ってお別れしたい。 平爺も老いに向かってまっしぐら、何とかあと一回だけでも訪問してサヨウナラを云っておきたい~・・・そんなそことを思うこのごろです。 何となく手持無沙汰・・・ボケッとしているとき漢字に挑戦。出来るだけたくさん書いてみる。書くのは「い」という漢字。
移・伊・医・意・居・慰・・・・ 1分間で何字思い浮かぶか。おヒマでしたら自己採点でやってみてください。けっこう面白いですよ。歳をとると、こんなことでもしないと頭を使う場面がありません。時間つぶしにはもってこい?これは平爺が発明したお遊び・・・? たくさん書こうしてとして力が入ると逆に結果は悪くなる? ちなみに平爺が「い」という漢字を1分間で何字書けるか?深呼吸してスタート・・・。書けた漢字は前記の7つだけ。100点満点とすれば50点にもいかない~・・・? 漢字を知らなのではなく、頭の回転が鈍くなっている証? 鉛筆を持ってチラシの裏でも利用すれは簡単にできます。ときどきやってみようと思います。老化防止に少しは役立つことを期待して。
5月第二日曜日、今日は「カーネーションの日」。 Web検索すると
◆平爺の母親は2004年94歳、カミさんの母親は2007年96歳で鬼籍の人となりカーネーションを贈ることはできません。
コロナの出口見えず・・・さらに厳しさは増す様相?。報道からも気の休まる情報は伝わってきません。 そんな状況下、茶番のような聖火リレー。痛々しいというのか滑稽と言うべきか、アリバイ造りのような聖火リレーや札幌テストマラソン。五輪族はまだ本気でヤル気でいるのでしょうか。コロナの先行きも、国民にはまるっきりわからないどころか、コロナ不安は増すばかり。 ◆日弁連会長宇都宮健司さんの「東京五輪の開催中止を求める」とのオンライン署名の呼びかけには、たった2日で2万人、その後もすごい勢いで増えているらしい。 ◆政府は、五輪で国民の目を政治から逸らす道具として五輪を利用しているのではないか・・・そんな疑義もいだきます。五輪強行への疑問はますます強まるばかり。ただ、アスリートの方々には、すくいになるような言葉も見つかりません。
◆ヒマな平爺。バカの一つ覚えのようにウォーキングを続けています。単調なことを飽きもせずやれるのはバカだから?・・・でも、そのおかげで珍しい出会いも。 ◆一週間ほど前、夜が明けてきたものの人々の活動にはまだ早い。小さな用水路の脇にグニャグニャしたヒモ状の物体、見ると蛇の死骸。8の字の書き損ないのように横たわっている。まっすぐに延ばせば150~200cmはありそう。長さの割には細い? 持っていた傘の先でつつくと、緩慢な動作で少し動いた!!
びっくり仰天・・・。自動車の通る道ではないから轢かれたわけではない。ちょっと冷えた朝だったので体の自由を失ったのかもしれない。傘の先でそっと草むらへ移動してあげましたが、ヘビはさぞかしびっくりしたことでしょう。 車に轢かれて死んだヘビは何回か目にしましたが、弱って死にそうなヘビは始めて。気温が上がれば生気を取り戻すと思います。ヘビだって地球に生きる仲間、やさしい気持ちで接してあげなくては・・・?
昨朝も日課のウォーキングは4時30分スタート。雨上がりのしっとりした朝。山の稜線は暁がきざしている。最高の気分で脚運びもなめらか。早起きの農家が畠仕事にとりかかつている姿も。 千曲川にほど近い果樹園の道を歩いていると、川辺の木立から「ホーホケキョ」 歯切れの良い透き通った鳴き声。春もたけなわ、夏が近づいてきたな~そんな感慨が浮かびます。 歩きながらふと「今の平爺からウォーキングを取り上げたら何が残るのだろう・・・」などと変なことを考えながら歩いていました。登山から脚を洗い、今は夢中になるものもありません。日々の暮らしがダラケないためのアクセントがウォーキング?寒くても暑くても、雪が降っても雨が降っても、休もうと思ったことは一度もありません。健康はありがたい・・・・。
昨日は端午の節句。男の児がいる家では「鯉のぼり」、歳寄りは菖蒲湯。
◆どこかに菖蒲が生えていないかなと思って、水田地帯の水路沿いなどを選んでのウォーキング。どこにでも生えていそうに思えて以外に見つからない。
正直なところ、「スイセン、アヤメ、ショウブ」 区別がつきません。漢字だと 昼間、樹高6mほどの針葉樹を剪定、かなり汗をかいたこともあり、気持ち良い菖蒲湯を味わいました。
◆当家の付近一帯は昔から菖蒲が群生自生していた土地柄とのことですが、自生はあまり見かけません。 読みは「ウマヅラ」 いつ書いたのか、よもやま日記ネタメモに「馬面」の走り書き。書いた動機を思い出せません。
これを読むと何だか身につまされます(笑) 人間にあてはめたら平爺のような不細工な面相、絶対に彼女ができないタイプ? それにしても何とひどい造語でしょう。造語の主を探し出してギロチンにかけちゃいたい。 ◆コロナ旋風真っ只中でのGWも今日で終わり。GW中に何か一つくらい・・・と思って、庭の一画に夏もの野菜のナス・キュウリ・ミニトマトの苗を2本づつ植えました。老夫婦二人では食べきれないほど収穫出来るはず。 GWも今日で終わり、平爺は明日もあさっても・・ずっとGWですみません。 「花ドロボーは罪にならない・・・」というようですが、他人の物を盗んだらやはりドロボーですよネ。
花好きの奥方の影響もあってか、早朝ウォーキングで家々の立ち並ぶ道をたどると、庭先にさまざまな花々が誘惑するように咲いています。よく手入れの行き届いた庭や、ときには雑草と競っているような庭。さまざまですがほとんどの庭は手入れが行きとどいています。つい立ち止まって見つめることもしばしぱ。花好きなら、あの花を株分けしてもらえないかな~・・・なんて思うこともあるかもしれませんネ。。
平爺、カミさんが丹精している花の水やりだけは協力していますが、レイアウトや花同士のつり合い、花季との関係などを考えて・・・等、そうした面倒なことは性にあいません。でもきれいに咲いているのを目にすると気持ちが和むのは誰しも同じです。 ◆花泥棒と聞けば、よその花をこっそり持ってきてしまう意味合いが強いですが、実はその逆で、他人の家の庭に勝手に植えて行く行為もあるとか・・・ほんとうかな~?この場合は罪になるかどうか? ■鉢植え、地植え・・・我が家の庭の花は何種類? 気が向いたときに数えてみようかな・・。
貴重な大型連休、日頃ごろ汗を流してお働きの皆さんは、コロナを気にしながらも、ごゆっくりと英気をやしなっておられることと思います。毎日が日曜日の平爺は、何にもせずボケっと過ごすのは後ろめたく、昨日は奥方と一緒に家庭菜園のゴーヤとキュウリの棚を作りました。今年もゴーヤ・キュウリぜめの夏になりそう?(笑) ◆日本が世界に胸を張って誇れるのは戦争放棄を謳った「平和憲法」 今日は憲法記念日、国民お一人お一人が、憲法の片鱗でも思い出す日になれぱ・・・。 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動 ******************************** 現実は? 隔たりは認めざるを得ません。売られたケンカをただ手をこまねいているだけとはいかないのもわかります。軍事力に頼らない平和な世界はいつ来るのでしょうか。Webで「世界の軍事力」を検索してみました。1位~5位は以下のとおり
昨今の世相から、ふと脳裏に浮かんだのは
「人の命は地球より重い」 これは、時の福田総理大臣が、日航機ハイジャック事件で逮捕していた犯人仲間の釈放要求に応じることにしたとき、超法規的措置として釈放という求めに応じたときの総理の苦渋の言葉です。 ◆今、日本はもとより世界中がコロナウイルスの脅威にさらされています。日本各地で医師、看護師・保健所・地方自治体・・コロナ対応に寝る間もない厳しい様子が伝えられています。その最中、東京五輪のために看護師など医療関係者を五輪に集める・・・政府は気でも狂ったのでしょうか。 政府や五輪関係者にはまともな思考を持つ人材がいない? そう思われても仕方ありません。強行実施されても平爺は関連テレビ番組、新聞などは一切見る気はありません。「無視」というささやかな抵抗?
毎日が休日?の身にはGWも無関係。ふと若き昔のひとコマが頭に浮かびました。当時週休は日曜日だけ、 あのころ、国民の祝日は9日。勿論週休一日制ですからまとまった休みはダイヤモンド級の貴重品。 4/29 天皇誕生日 5/3 憲法記念日 5/5 こどもの日 ただし5月1日はメーデーと言うことで休業の会社もかなりありました。現在のGWとは大違いですが、それでも当時のサラリーマンにとっては、この上ない貴重な休日でした。 ◆春浅い3月、故郷を離れ、西も東も分からない勤務地東京へ。 今でいうところのGWを使って故郷へ。仕事が終わるのを待って新宿駅へかけつけ、長蛇の列に並んで中央本線の夜行列車に乗車・・・。蒸気機関車が牽引する7時間ほどの行程だったと思います。 早朝、故郷の駅に到着下車、少しばかりのお土産を大事にかかえてプラットホームに降り立ったとき、「ああ故郷の匂いだな~」・・・胸に迫るような嬉しさがこみ上げてきたのを今も忘れません。 あの父も母も、そして兄弟姉妹6人のうち二人があの世の人となってしまいました。 GWということで、生まれ育った故郷の記憶が、さまざま脳裏をかすめます。 |
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