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2021.07.31() コロナ弾の爆裂?

「爆発的」・・・何とも物騒で、これ以上の形容詞は思いつかないような迫力のある言葉です。それが禍々しいコロナの危機的状況を表す言葉として使われているのです。

安寧を祈って夜明けの参詣

この地球はコロナに席捲されてしまうのではないか・・・そんな恐怖すら感じます。とりわけ日本の文化・経済・人口密度・・・日本の核である東京が風邪をひけば日本中が風邪を引いてしまう、その東京圏のコロナ蔓延の恐ろしさは目を覆いたくなる・・・そんな恐怖を感じる報道。

その渦中で五輪は何食わぬかのような行われています。テレビなどのメディアを席捲し、多くの国民が夢中になっている。そもそも、為政者は国を挙げての「コロナとの闘い」と「オリンピックり両立」を真面目に信じていたのでしょうか?

いつになるかわかりませんが、国民の多くが案じ、危惧を抱いていた状況を無視して強行した責任を、時の為政者にとってもらわなくてはならない・・・そんな思いの人も多いのではないでしょうか。平爺は「五輪関連報道なんか見るのも聞くのもイヤ・・・」そんな心境でいます。ただしアスリートには何の罪もありません。純粋な気持ちで応援したかっというのも真情です。


2021,07.30(
) 平爺の嘆き?

 このところの政治を眺めて?いると「日本は大丈夫・・・・?」
人ごとのような言い方で申し訳ありませんが、そんな危惧を拭えません。与党は権力の座を死守するのに精いっぱい、国民の方を見ているとは到底思えない。非力な野党は烏合の衆で犬の遠吠え。
コロナ禍は深刻の度を増すばかり。政治圧力がかかっているかどうかは知りませんが、テレビはオリンピック報道を隠れミノに使って政治の監視役を果たしてるようには見えません。多くの国民が日本選手k
活躍に一喜一憂、興奮。コロナのことなんかそっちのけ・・・どこか遠くの国の話?

そのコロナはますま猛り狂い感染者は増加の一途。五輪に隠れて深刻さが伝わってこない。日本丸はどこへ進もうとしているのか、一市民として不安は拭えません。

かつて民主党代表だった小沢一郎の言葉をふと思い出し、web検索してみました。

田園地帯に静かに佇む小寺

「よく言われることだが、国民のレベル以上の政治家は生まれない。選挙民が政治家に対して地元への利益誘導や安直な見直ししか期待しなければ、その程度の政治家しか選ばれない。しかし、そのような短絡的な損得だけで国会議員を選べば、最後に損するのは自分たち国民である。残念ながら、まだ日本は民主主義が本当の意味で成熟しているとは言いがたい。そのことは知名度の高いタレント候補が与党・野党を問わず、いまだにもてはやされていることでも分かる」

くせのある政治家と言う印象もありますが、このことば、一国民として味わいなおしてみるのも良いかと思います。
  出典・・http://aquazone.blog52.fc2.com/blog-entry-272.html

2021.07.29() コロナ鎮静が待たれる

東京五輪はそれなりに盛り上がり、日本選手の活躍がテレビ・新聞など報道も賑やかです。
昨朝の朝日新聞朝刊のトップ記事は三段抜きで「東京感染最多2848人 首都3県緊急事態要請へ」の活字が躍っていました。東京都の新規感染者はピークだった17日の2520人を大きく上回る数字とのこと。
私たち素人でも、ただならぬ異常領域に踏み込んでしまったのを感じます。

ナロナ禍  曙光はいつ?

記者団が「感染拡大による五輪への影響」ついて質問すると、菅首相は「車の制限やテレワークなど人流は減少している。心配はない」と断言した・・・という何とも緊迫感に乏しい対応。この総理を信じていてほんとうに私たちは大丈夫なのだろうか?

◆五輪がスタートする前なら「中止」とか「延期」などの手も打てたはず。為政者・国民が一つになって、五輪につぎ込んだエネルギーを蔓延防止に注げば、今より良い結果を導けたかもしれないと思いますが・・・どうでしょう?

さらに拡大・蔓延が進むことがあれば、国民に対してどのように弁明するのでょう。今まさにこのとき、「国難」「崖っぷち」を救えるような「政治屋」ではない「政治家」の出現が待たれる思いです。五輪を強行した愚が今さら残念至極に思えてなりません。政府としては、国民が五輪に気をとられていていてくれたらありがたいかも?

2021.07.28() 昨日の答え

昨日の漢字問題(二画の漢字)の解答  半分できたら合格

十 七 丁 又 乃 九 了   

人 入 八 几 刀 力 匕 卜

広辞苑には、上記の漢字が載っています。いくつできましたか・・・。
10字できたら優秀?。やさしそうで結構難しかったと思います。

平爺と同年代の年寄りはパソコンもなくすべて手書きで育ちました、イヤでも漢字を覚えなくてはなりません。おかげさまで多少は漢字が書けるようになったのだと思います。

自分で言うのもどうかと思いますが、若いころは漢字の書き取りは得意の方だったと思います・・・でもそれは大昔のこと、今は何でもPC、漢字も櫛の歯が抜けるように頭から次々と消えていって、今は少ししか残っていません。

2021.07.27(
) 頭の体操で暑気払い?

夜明けのヒマワリ畑

暑気払いに頭の体操に挑んでみてください。ますます暑くなってしまったら謝ります()

漢字の画数・・・憂鬱の「鬱」は、画数の多い漢字の一つですが29画です。普通、使うことのない漢字で33画なんていうのもあります。

ところで、画数のいちばん小さい漢字は一画の「一」、「乙」の二つだけ。

◆暑気払いに2画の漢字を出来るだけたくさん思い出してみてください。たとえば「十」=「じゅう」・・・。
挑戦目標は10文字です。意外に難しいですよ()
 一分間で10文字思い出せたら国語博士です?

2021.07.26() 先の見えないコロナと五輪

東京五輪が始まりました。批判的な気持ちを吐露してき立場もあり、興味が湧きません。半世紀前の東京五輪、あのときは仕事をサボッてでもラジオやテレビにかじりついていたものでした。

昨朝4時16分のお月さま

◆あの東北大津波の直後、五輪誘致への疑問の声が多かったのを思い出します。
そして本番の今、コロナという世界規模の厄災。ついていなと言えばその通り。そんな時だからこそオリンピックで元気を・・・それも一つの理屈かもしれませんが、率直なところ、その気持ちに乗ることができません。


『復興五輪』の声などなかったかのように本番突入。被災地の多くの方々は、どんな気持ちでこの五輪を見ているでしょうか

平爺は、どうしてもこのオリンピックに気持ちが乗りません。

一方、
コロナ禍の方は鎮静はおろか、さらに深刻さを増しているかに見えます。この五輪は、歴史に何を残すのでしょうか?お月様もよく見ていてください・・・

2021.07.25(
) 元気をもらった朝

暑さで頭がボウッ~としていて、日記のネタが浮かばない。

収穫までもう少し・・。リンゴ

◆昨朝、夜明け4時前に義務とも言えるウォーキングスタート。この時間、暑いと云っても一日のうちではいちばんぎよい時間帯です。

いつものとおり足取りも軽く・・・?と言うのは何年か前までの話しで今は鼻歌気分とはいきません。目標は最低1時間半、目途は2時間。とりとめもないことを考えてみたり、日の出の風景に見入ったり・・・。

◆昨朝は、自宅まであと30分と言う果樹園の道。出会ったお爺さんiに
「おはようございます」と挨拶。ウォーキングで出会った人に挨拶をするのが平爺の流儀。「朝早くからご精が出ますネ」と声をかけると、元気な声が返ってきて5分ほど立ち話。歳は90才、毎朝4時には果樹園に出て手入れをするのが日課とか。年令には見えないお元気な姿。リンゴ畑が〇反歩、桃が〇反歩、栗が一丁歩・・・その年でご自分で手入れ・管理をしている由。お遊びの平爺のウォーキングなど吹けば飛ぶようなものです。

「体は動かさなくちゃ~いかん」の言葉はけだし同感、また出会ったら話を聞かせてもらいたいものです。年齢には到底見えないお元気さ、話し方もてきぱき・・・。元気を戴いたウォーキングの朝でした。

2021.07.24(
) 猛暑・混乱の東京五輪

暑いですネ~。暑くなければ夏ではない・・・仕方ないか(笑)

このよもやま日記をご覧くださっている皆さま、猛暑お見舞い申し上げま。今年の暑さは格別。「さわやか信州」の看板を下ろさなくては・・・。

暑さというと、中東ドバイが飛びぬけていると聞いた記憶がありますが、日本の夏もそれに負けないらしい・・・外国はアメリカ、カナダ、スイス、イタリアしか行ったことがありませんが、いずれも真夏以外の季節の旅行社ツアー、日本と比較することはできません。

それにしても暑いですネ。頭から湯気がたちそう(笑)

半世紀以上前、さわやか信州の田舎から就職で上京、独身寮へ入りましたが、ケタちがいの暑さに死にそう?冷房設備もなくつらかったのを思いだします。これくらいの暑さ、どう
と言うほどのことはない・・・(笑)

日本の不快な暑さは世界でも知られているとか。、なぜオリンピックを暑い暑い夏のさ中にしたのでしょう?なれない暑さと戦うアスリートたちを想うと、何だか罪の意識を感じてしまいそうです。加えてコロナというおまけつき。日本の印象が悪くならないことを祈りつつ、アスリートたちが無事母国へ帰国されるよう祈ります。


2021,07.23(
) 「いじめ 」と「鍛える」はちがう

メディアが一斉に報じ、全国津々浦々に知れ渡った東京五輪に関係した某氏の陰湿なイジメ・・・今や罵声の嵐にさらされているかに見えます。

「いじめ」は、漢字で書くと<虐め>または<苛め>、精神的、身体的な苦痛を与える行為、あるいはハラスメントと云われる行為で、人格にも(もと)る最低の行為。実は目の届かないところで、イジメ行為は無数に存在しているような気がします。今回の暴露が、恥ずべき行為として社会的制裁を受けることに、抑止力として大賛成です。

 夏の朝に似合う花

◆サラリーマン現役の頃のある職場のシーンが思い出されます。
それは、上司の机の前に直立させ、ネチネチと責めあげ、非をあげつらい、1時間でも2時間でも、人格を無視した罵詈雑言がつづく。その内容は私たち同僚にはすべて聞こえてきます。耳にする我々のほうがいたたまれない・・・・まさにイジメ以外の何ものでもない・・・、早くやめてくれ~~耳をふさぎたくなる思いで仕事も手につかず、叱責を受ける当の本人と同じ思いで、人格を否定する罵声が終わるのを待っていました。 力関係を武器弱い者に徹底的に刃を向け、いじめることでストレスを発散している・・そうとしか見えませんでした。「この上司は絶対に良い死に方はできない・・・きっと報いはある」と恨みながら、第三者の私たちも耐えていました。

今回のイジメ報道に接して、そんな昔がよみがえりました。今でも、優越的な地位を利用した不合理なことが、目に見えないところで繰り返されている。世の中、何十年経っても変わらない悪は、綿々として続いている。情けない。

2021.07.22(
) 4連休

花の名前は・・・カラスウリ?

いったいどうなるのか・・・? 東京のコロナはますます勢いづいている様子、東京五輪は最後まで出来るのか・・・・もう何が起きても「判断が甘かった」という言い逃れはできない。

どうみても国中あげてのお祭り気分にはほど遠い東京五輪。コロナ感染の拡大に「予定通り開催なんてウソでしょう・・・」それが偽らざる国民の目ではなかっただろうか。蔓延していた春先、一歩も引く様子を見せることなく突っ走ってきたあげくが今の現実。予定通り進まなかったら誰が責任をとるのでしょうか・・?

■毎日が日曜日の平爺、うっかりしていましたが今日から4連休。何の祝日?・・・東京五輪だから・・・? Webでカレンダーを見ると

  22-海の日 23―スポーツの日 23-土曜日 24-日曜日

「招からざる東京五輪?」がいよいよスタート・・・それで連休かと勘違いしていました()
五輪開催について、国民の半数以上が「今やるべきではない・・・」という調査結果もあるようです。どうしてこうなったのでしょうか。始まってしまえばすべてを忘れてしまうバカな国民、何もかも忘れて夢中になるさ?毎日が休日の平爺には関係のない4連休です()


今日は二十四節の大暑(たいしょ)一年中でもっとも気温の高い季節・・・わかっちゃいても、つい暑い暑いと口から出てしまいます。

2021.07.21() 東海の小島の磯の・・・

「夏」と言うと暑い、プール、川遊び、アイスキャンデー、花火・・・などいろいろあります。脈絡もなくウォーキングの途中でふと浮かんだのは啄木の歌

「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」

あまりにも有名な歌。未熟な少年の心でも、心揺さぶられるような感動があり、脳裏に焼き付きました。

◆和歌の「東海」とは何処だろう。静岡から名古屋あたり? 平爺の脳裏には北海道が浮かんできます。愛知。静岡あたりだと雰囲気が明るすぎる。北のはての方が、寂しさがびったりという気がするのです。


ネットで「東海」を調べると、「本州中央部に位置し太平洋に面する地域。一般的には愛知県、岐阜県、三重県、静岡県の4県・・・云々。

「東海地方というときは、本州中央部に位置し太平洋に面する地域、すなわち愛知県、三重県、静岡県をさすのだとか・・・。

◆さて、「東海の小島」はどこの島か? 歌からは推測できませんが、具体的な場所は分からない方が良さそうです。

【追記】海なし県に生まれ育った平爺が、初めて海を目にしたのは中学3年の修学旅行、紀伊半島の二見ケ浦でした。波のしぶきをなめて「ほんとうだ・・・ショッパイ」と感動したのを思い出します。

2021.07.20(
) 政治家は一度口にしたら取り消せない?

経済再生相の問題発言以来、政治家のレベルの低さにうんざり・・・。余韻は簡単におさまりそうにありません。
民主党を中心とした小沢一郎政権が実現したものの、不慣れ、力不足などもあってか、長続きできずに再び政権は自民党に逆戻り。細川内閣などもありましたが、本筋の変化はないまま。
「何かあってもどうせ国民は自民党から離れっこない・・・」そんな驕り、甘さによる自信過剰が低レベルからの脱却を阻んでいるか見えます。つまり国民の政治レヘルの甘さ?

過去の問題発言をwebから拾ってみました。

「長期政権は腐敗する」とか「権力は腐敗する」という言葉がありますが、昨今の政治がそれ・・・?

以下は物議をかもした政治家の問題発言をWEBから拾ってみました。

真夏のシンボル

●「日本の国、まさに天皇を中心にしている神の国」 時の総理
●「集団レイプする人はまだ元気があるからいい」自民行革本部長
●「女性は子供を産む機械」厚労相
●「金がねえなら結婚しない方がいい」麻生
●「まだ東北でよかった」「復興以上に議員が大事」 時の復興相
●「セクハラ罪という罪はない」 麻生
●「集団レイプする人はまだ元気があるからいい」総務長官

国民のレベル以上の政治は育たない・・・この言葉を思い出します





2021.07.19(
) 政治家は一度口にした言葉は取り消しがきかない

経済再生相の問題発言以来、政治家に対する不信感というのか、レベルの低さと言うのか、余韻は簡単に収まりそうにもありません。

◆ほんの一時、民主党を中心とした小沢一郎政権が実現したものの、不慣れ、力不足などもあってか、長続きできず、再び政権は自民党に逆戻り、今もって政権が変わる様子は見えません。「何かあっても国民は自民党から離れっこない・・・」、そんな驕りが自信過剰となり、レベルの低い問題発言を連発させているのかもしれません。つまり緊張感のない甘さ?

「長期政権は腐敗する」とか「権力は腐敗する」という言葉があります。昨今の政治を見ていると、この言葉がいきいきとして伝わってきます。

ほんとうの明けは?

「失言では済まされない過去の珍発言
           けだし一流の名言です? webより引用

●「日本の国は、まさに天皇を中心にしている神の国」 森喜朗総理
●「集団レイプする人はまだ元気があるからいい」自民行革推進本部長
●「女性は子供を産む機械」自民厚労相
●「金がねえなら結婚しない方がいい」麻生太郎
●「まだ東北でよかった」  当時の復興相・・・東北大津波
●「復興以上に議員が大事」 当時の復興相
●「セクハラ罪という罪はない」 時の麻生財務相
●「集団レイプする人はまだ元気があるからいい」 時の総務庁長官

政治家のレベルは国民のレベルに連動するとも言われます。以下の読みは麻生流、総理大臣の時?

  「詳細」→ 「ようさい」    「頻繁」→ 「はんざつ」 
   
「未曾有」 →「みぞゆう」  「踏襲」→「ふしゅう」
これを知ったとき日本国民としての自信が揺らぎましたが、逆に自信がわいてきた・・・?

2021.07.18(
) コロナ予防接種・・2回目終了

昨日は38℃ ヤケドしそう !

毎日発表されるコロナ感染者数、減ってきましたが当県(長野)は、一日に二人だけと言う日もあります。
先だって予防接種の2回目が終わりました。これでもう心配はいらないのかな~。太鼓判を押してもらったということで、認知症介護施設のボラ再開を考えようと思っています・・・と言っても、このボラは停年85才と自分で決めていたので残りはあと半年、来年の2月には身を引くつもりでした。退け際はきれいに・・・それがかねてからの平爺の思い。

近いうちに施設の責任者と相談するつもりです。4ケ月のブランクで、お年寄りたちは平爺のことはすっかり忘れているかももしれない。
「変な爺さんが来た・・・」という顔が目に浮かびます。それは覚悟の上。

◆週2回のボラ訪問が、老いゆく平爺には日々の暮らしの大きなアクセントになっていたことは間違いなし、引退を考えるのはやはり淋しい・・・。

2021.07.17(
) 大丈夫? 五輪

湧き上がる暗雲

2回目の新型コロナ予報防接種から10日あまりが過ぎしまたが、 疲労感、頭痛、腫れ、筋肉痛、下痢、発熱・・・副作用はまったくありませんでした。もともと鈍感な平爺ですから当然?

◆それより、さまざまな危惧を押し切って開催に突き進んだ東京五輪、テレビや新聞を見ていると、やはり開催強行は軽率だったのでは・・・と思わざるを得ません。すでに幕は切って落とされ、もう何が起きても後戻りはきかないでしょう。

振り返れば、危惧する声を押し切り、民意も確かめずに大津波の混乱の最中、独断専行のように東京誘致に走った時の総理安倍さんは今どのような心境でしょうか?「はじめよければすべて良し」という俚諺がありますが、その逆もまた真なり。

ここまで来たら進むしかありませんが、後世においてどのような評価を受けるのか・・・そして口火を切った安倍元総理はどのように総括するのか・・?この度の東京五輪には神のご加護はなかったようです。

無観客の中ではアスリートも力を出し切れないかもしれない。気の毒な大会となってしまいました。


2021.07.16()  老人・いろは心得帳(NO-4)

桃の収穫期

2ケ月もサボってしまいましたが、今日は「へ」と「と」です。

「へ」-へたなりに 趣味を生かして コツコツと
 ◆「と」-ともだちを 多くつくって 睦まじく

孤独に陥りがちな高齢者、とりわけ人付き合いが苦手な平爺、歳を重ねるごとに孤独老人の色が濃くなります。以前は登山、マラソン、水彩画など、趣味を通じてのお付き合いがありましたが、80の大台に乗ってからは趣味の仲間も遠のき、ますます一人ボッチ、カミさんと少し話をするくらい。ボケない方がおかしい()

◆思えば60才台中半を過ぎてから、奈良から現在地へ移住。新入りが腹を割って一からおつきあいを始めるのも難しいし面倒・・・無為に時だけが流れ、親しい交流も生まれないまま、歳だけは先を急いでいます。まさに本物の老いボレ?と化しています。

◆片やカミさんの特技は友だち作り。電話はかかってくる、今日はランチと出かけていく、スポーツジムに脳トレ・・・朝から晩まで一日中家に居ることはほめったになし。老後を最大限に謳歌、楽しんでいます。逆立ちしてもかないません。


2021.07.15(
) 官僚は政権の小間使いではない・・・

とかく人間社会と言うのは?

新聞・テレビで大きく取り上げられた経済再生相の発言」問題。
政府の酒類取り扱い圧縮に協力しない飲食店などに、金融機関を通して働きかけさせる・・・つまりプレッシャーをかけるという経済再生相の発言に、匙を投げかけられた銀行や与野党から戸惑いや反発の声が一斉に広がった。マスコミも「行き過ぎだ」との批判の嵐。金融機関がなぜ監視役を押しつけられなければいけないのか・・・反発の嵐。
つまり政治家や官僚には力がないから「助けて~」というみっともない投げかけととられても仕方ない。中央官庁の人材はエリート中のエリートのはず。頭が良いだけではだめと言うことを世にさらけ出した田舎芝居と言うところか?

監督官庁にめっぽう弱い金融機関も、この一件だけは素直に「はい、かしこまりました」とは言えなかったようです。政治の貧困をさらけれだしたというほかはない今回のご粗末三文芝居。高級官僚とはこの程度のものか・・・そう思われた方も多いかもしれません。もちろん、声には出さないものの見識・意欲のある正統派の官僚だって数多いるはずですが。

2021..07 .14(水) 今月のことば

   『人間の 願い事の正体を           

     照らし出すのが 如来の願いである』

一見どうということもない平易な言葉に見えますが、きっと奥は深く、自分のことしか考えない欲にかられた凡人には、遠い遥かな境地なのかもしれません。

ふと、自分映す鏡のつもりで読み返してみると、つい欲にかられる恥ずかしい自分に気がついてしまいます。自己嫌悪・・・そんな体験はいくつもあるのが普通かもしれません。

人の鑑になるようなことは到底無理なことですが、せめて迷惑をかけたり、イヤな思いをさせたりしないように気使いができえたらと思います

2021.07.13(
) 梅雨あけ近し・・・?

 昨朝の朝焼け・・・
  朝焼けは天気の崩れる前兆というが

「雷様が鳴れば梅雨が明ける」子供のころから耳にしてきた言葉です。科学的な根拠は別にして、経験則から昔の人が目途にしていたのでしょうか。
一昨日、昼寝をしていると家が揺れるような雷鳴。つづいて屋根に小石でもたたきつけたような激しい音・・・長くは続かず去っていきました。

熱海、鳥取・島根、鹿児島・熊本・・・破壊的な降雨。テレビの画面でも目を覆いたくなるすごさでした。「線状降水帯」という言葉もはじめて知りました。幸いなことに、ここ北信濃では今のところ梅雨らしいまとまった雨はありません。それでも田んぼが水不足で困っているという声は聞きません。ありがたいことです。

それにしても文明がいくら進歩しても人力では如何ともしがたい自然の力。おごらず、なめることなく、臆病で、謙虚でいることが大切だと再認識しています。

2021.07.12(
)  どこへ向かうか 東京五輪

 立てば芍薬座れば牡丹
   歩く姿は百合の花

東京五輪・・・いじわるをしているかのように、コロナの勢いはやまず、追い打ちをかけるように伊豆熱海の土石流、それでも足りないとばかりに鳥取・島根、さらに九州南部を襲った豪雨。非科学的なことは言いたくないが、天の神の逆鱗に触れてしまったのか?

◆水害もさることながら、東京五輪はいったいどうするのでしょう。五輪を強行すればコロナなんか吹っ飛ぶさ・・・と思っているのでしょうか。コロナの蔓延を危惧した国民の「延期または中止という声には耳をふさぎ「やっとしまえばバカに国民はついてくる」・・・か?

開催ありきで進めてきた結果が、開会間際になってますます混乱・・・。国外の選手を日本はどう迎え入れるのか、安全を保証してあげられるのでしょうか?

◆東京五輪を捨てても、「国民をコロナから守るためにあらゆる手段と犠牲はおしまない」くらいの度量を政府は見せてほしかった。
思い返せば、東北地方大津波・原子炉破壊・放射能汚染・・・混乱の中で東京五輪を誘致した時の安倍内閣への批判がよみがえります。俗っぽく言えば多くの国民が「お呼びではない東京五輪誘致」でした。


2010.07.11(
) 今日もまたおキツネさん(その3)


キツネの話しが3日も続けば食傷もいいところですよネ・・・すみません

キツネというと「ずるい」、「だます」など、どっちかと言えば好きにはなれない印象。実際は賢くもないし飼ってもなつかず、飼育しづらい動物とか。言葉を変えると「可愛くない」ということになるでしょうか・・・さだめし平爺?
昔、西洋では狡猾なところから悪魔や魔女の類と見なされていたとのこと。わかりやすく言えば「欲張りでずる賢しこくて可愛げがない」・・かなり手厳しい評価。

◆ウォーキングの折、ときどき出会っていると世間の評価?は別として、何となく「お前も朝早くから精が出るネ・・・お互いにガバロー」とねぎらってあげたい親近感が湧いていきます。言ってみれば早起き平爺と気が合うお友達?
陰気でずる賢いと決めつけずに温かい優しい目で見てあげてください(笑)

キツネは動物園でもあま見かけないし、ウォーキングで出会うまでは目にすることはほとんどなかった。。ウォーキングで目するようになってから何となく「仲間?」という親近感がうまれ・・・(笑)

「キツネの嫁入り」 この意味はご存知でしょうか。
   日が照っているのに、急に雨がぱらつくこと。日照り雨
   夜、山野で狐火が連なり、嫁入り行列のちょうちんのように見える ・・・
これだけの説明ではなんのことかわかりません(笑)

2021.07.10(土) 狐=キツネ (その2)

キツネと言えばお稲荷さん・・・普通はそんな連想でしょうか。お稲荷様ってどんな神様でしょうか?

昨日の写真とはとはまったく
 違う場所で出会った個体です
 

◆私たちにとって身近に感じる神様はキツネがご神体の「お稲荷様」、その数は全国に8万社もあるとか。ところが7割の人がお稲荷様のことは知らないらしい?実は平爺も同様です。
何と、ご神体はキツネではない???

◆お稲荷様は昔から稲作・農業の神様。今は衣食住・家内安全・商売繁盛、厄除など生活全般にご利益ありとして生活密着型の神様。

◆さて、稲荷神社とキツネの関係は? そもそもキツネは神様の使いとして神聖なる動物とされてきた。農作業が始まる春、おキツネ様は里に降りてきて、収穫が終わるとまた山へ戻っていく。それで農耕を見守る守り神のように考えられた云々・・・つまりご神体ではなく神の使い?

お稲荷様は五穀豊穣の守り神として農耕民族の信仰を得てきたということでしょうか。何となく納得できた気もします() つまりキツネは神の使い・・・ご神体ではないことがわかり、これまで同様に気軽に付き合うことにします(笑)、

三大稲荷・・・一般的には伏見・豊川・笠間稲荷をさすらしいが、笠間は行ったことがありません。

2021.07.09(金) 狐=キツネ (そのⅠ)

平爺の主なウォーキングコースは千曲川の堰堤か河川敷。歩いていてときどき目にするのは鳥類は別としてキツネです。姿は見えねどよく通る声で鳴くのを耳にします。

 用心深いきつね?ずるかしこいキツネ?
にらめっこはこっちが負けます

◆ところで「なく」の漢字はいろいろあります。Webで調べると
  【泣く】声をたてず、涙を流してなく
  【鳴く】鳥・獣などの鳴き声
  【啼く】次々と声を出し続けてなく
  【哭く】大声をあげてなく・・・(慟哭)
日本語では、泣くと哭くを区別しない、つまりキツネの場合はどっちでも間違いではないらしい。

キツネの鳴き声はよく耳にしますが姿を見るのはまれ。キツネからはよく見えるらしく、仲間に警戒を発しているのかもしれません。写真におさめるにはよほど運がよくないと撮れません。先日、警戒の目で平爺を睨めつけていた姿を運よくバチリ・・・。ただし距離は50m以上、三脚なしのズームアップですから写真としては最低。それでもカメラにおさめることができて満足。
泣き声は「コンコン子狐」とはまったく違って、「キヨ~」というか「キユ~ン」というのか、言葉では表現できないよく通る高い声です。

キツネと言えば「ずる賢い」とか「だます」など、マイナスイメージが先立ちます。鋭い目で見られていると何だか不思議な気分になり、「よおオハヨウと声かけしたくなるような親近感も感じられます。

2021.07.08(
) 災害列島日本

昨朝…穏やかな水田

暦を見ると今日は二十四節気の一つ「小暑」となっていました。Webによると「暑気に入り梅雨のあけるころ」とのこと。ちなみに722日は大暑(たいしょ)で暑さが極まるころ」ということです。

今のところうだるような暑さは感じていませんが、本ものの暑さは梅雨の開けたあとと覚悟しています。暑さに弱い平爺は暑いのだけは大嫌い()

◆これからも悲惨な自然災害が続くのかもしれませんが、人智の及ぶ限りは回避、就中人命の犠牲だけは防ぐよう最大限努力を続けなくては・・・。
一方伊豆の豪快?な土石流。お気の毒で言葉もありません。あらためて「災害列島日本」という言葉が頭に浮かびます。台風・洪水・土砂崩れ・噴火・大雪寒波・・・小さな列島の宿命、用心も備えも大切ですが自然・天然現象は如何ともしがたい?


ここ長野は、今のところ梅雨という感じはなく、千曲川の流れも穏やかです。

2021.07.07(
)・・・七夕とお星さま
  

赤石岳(3120m) 33年前

ささの葉さらさら のきばにゆれる
♪お星さまきらきら きんぎん砂子
  
  ♪五色の短冊 わたしがかいた
  ♪お星さまきらきら 空から見てる

今日は七夕。織姫と彦星が年に一度逢える日。子供のころは「たなばたさま」と言っていました。大きなサトイモの葉についた露を集めて墨をすり、色紙に「七夕」とか「お星さま」とか、子供らしい願いごとなどを書き、竹に取り付けて飾り、七夕が終わると短かく切って天竜川の支流に流しました。

33年前、南アルプス南部を単独縦走(悪沢岳~赤石岳~聖岳)したとき、「百間洞山の家」という小屋に宿泊。夜になると明かり一つない墨を流したような真っ暗闇、無数の星がまたたいていたのを思い出します。織姫・彦星はもちろん、天の川もきれいに見えました。まさにダイヤモンドを撒き散らしたような星々。生涯でこれ以上に美しい星空を見たことはありません。

今は、夜になっても町は明る過ぎて星を見ることさえ難しい・・・・「古き良き時代」と言ったらバカにされるかな? 33年過ぎてもあの星空は目に焼き付いたままです。

そのときの山行記録はこちら→http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub1018.htm

(追記・・子供の頃、七夕様は8月7日だったような気がします?)

2021.07.06()神社・仏閣

しっとりとした寺院の境内

日課のウォーキング、生活圏を―歩離れて少し遠くまで足を延ばすこともあります。ときには3時間近いことも。老いを一層意識する昨今、それも一つの刺激かと思います・・・人様は、「あの老いぼれ大丈夫かな~?と思っているかもしれません。

ウォーキングでいつも気になるのは、神社・寺院の数の多さ。広い境内・天を突くような巨木。あれだけのものを維持管理するにはかなりの労力・費用がかかるだろうなあ・・・と思うのは平爺の貧乏根性?観光客の訪れるような名刹ならまだしも、地元民だけで支えるような小寺。小社はさぞ大変だろうな~、無関係の平爺が心配することでもありませんが気になります()

平爺夫婦も84才と80才。そろそろ旅立ちの準備をしておかなくては・・・。檀家になるというより、遺骨を引き取ってくれるところを考えおかなくては・・・いっ時、あっちこっちの墓地を見て歩きましたが、それも飽きてしまい今は「何とかなるさ・・・

◆先だって、子供の頃いばん身近に感じていた従妹が亡くなりました。「死」は他人事ではないことを自覚。残された者に負担をかけないよう・・・」これが終活の最後の課題と考える昨今です。

◆コロナ感染予防接種2回目が昨日終了。これで大丈夫と思っていいのでしょうネ?


2021.07.05(
) 「自分の住むところに限って」・・・? 

ブラウン管に映し出された熱海の土石流には肝をつぶしました。まるでSF映画と錯覚しそうなすさまじさでした。

◆「災害日本」、「天災日本」・・・よく聞くことば。でも自分のこととしては受け止めない・・・。

「天災は忘れたころにやってくる」という俚諺もあります。昭和35年、歴史に残るほどの大型伊勢湾台風のあと、山梨県側から単独入山、七面山のピークを踏んで静岡県側の梅ケ島温泉へ下山したときのことを思い出します。強風による倒木でルートも不明確、もちろん登山の知識もゼロ同然。今振り返ると、よくも無事に下山できものです。

話は変わって、日本で震度5以上の地震が最も多いのは東京?高層ビルのひしめく東京都が・・・? ただし台風による水害は50年以上ないとのことでバランスが取れているのか()

一方平爺の住む長野県は・・・古くは江戸時代の浅間山大噴火や巨大な善光寺地震、近くは御岳山噴火や千曲川の氾濫・・・「自分の住むところに限って」は通用しないことを肝に銘じなくては。 そしてもうひとつの先人の教え「災害は忘れたころにやってくる」

2021.07.04(
)  半夏生=ハンゲショウ

 

怪しい夜明け

ハンゲショウ・・・何のこと?? カタカナ書きということは何かの名前か外国語か・・・? Web検索すると、白い清楚な気品を感じさせる花がヒット。

ドクダミ科で花は半分白くお化粧しているように見える・・・夏至から11日目の72日ころから七夕までの5日間、昼間の時間がいちばん長くなるこの時期を「夏生―ゲショウ」ーというとのこと。これで半夏生の説明になっているのかどうか・・・?

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「半夏生」・・・かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年72日頃にあたる。平爺?????明日には忘れています()
この頃の雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。伊豆静岡から関東にかけての太平洋側の豪雨はまさにぴったり「半夏雨」と重なってしまいました。

ハンゲショウの花を確認したい方は下記サイトでどうぞhttps://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_311.htm

2021.07.03(
) 山頭火
 

1週間ほど前、いつもどおりNHKラジオ深夜便を聞きながらの早朝ウォーキング。4時台のテーマは俳人「山頭火」。話しが上手で、つい引き込まれながら脚を運んでいました。誰もがご存知の五七五の型にとらわれない異色の俳人・・・廃人と間違えませんように()

どう見ても素人には俳句には見えない。ただ思いついた言葉を二つか三つ並べただけ? 自由律の俳句?何を表現したいのか、無知な平爺にはさっぱり・・・なのになぜか情感を揺すられる気がするのです。平爺がサラリーマン現役、40 才台のころ、同僚に山頭火フアンがいて、その並外れた異質ぶりを聞いて山頭火を知りました。

 
 栗 の 花

今も頭に残っているのは
 ■ 分けいっても分けいっても 青い山
 ■ うしろすがたのしぐれてゆくか
 ■ まつすぐな道でさみしい   etc. 

これって俳句? 声に出して念仏のように何回か読み返していると、不思議に味が染み出てくる・・・?

◆山頭火晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった。酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」・・(ウイキベデイアより)
形式を無視した自由律の俳句ともいうようです。 

◆蛇足ながら、「いちばん有名な俳句」をネット検索してみました。結果は
  古池や 蛙飛び込む 水の音  芭蕉
これはまさしく俳句です()

2021,07,02() 梅雨  

雨に濡れる野仏

梅雨、大雨に襲われたところもあると云いますが、当地は三日つづきの落雷はあったものの、梅雨らしい降りはありません。今のところシトシト・ジメデメという日はほとんどなく、このまま夏の暑さを迎えるのか・・・喜んだり水不足を案じたり、何ごともほどほどにというのは難しいもの。
昨朝も控えめの小雨に傘をさしてのウォーキング、何となく気持ちがのりません。梅雨らしい降りがないのも心配ですが、ウォーキング爺ちゃんには雨のないのは何より、降ってよし、降らなくてもまたよし・・?

小雨の中、河川敷を歩いてるとキツネが遠くから平爺をじっと注視している・・・表現できませんがキャ~ン・・・キューンかな?仲間に警戒を発しているのだと思います。キツネは雨が降ってもエサ探し、大変です。肉でもぶら下げて行って、「今日はこれを食べて休業にしたら・・・」と言ってあげたい(笑) 
平爺も雨くらいではウォーキングを休むわけにはいきません。
キツネは賢くて警戒心も強く、カメラにおさめるのもなかなか大変です。


2021.07.01() アジサイの寺

以前、この日記で「東京から信州山里の学校へ集団疎開していた子供たちか、〇〇年ぶりに里帰り」という感動の新聞記事を紹介したことがあります。疎開児童を受け入れた寺院が、アジサイ寺としても知られることを知り、妻と訪ねてみました。

1年ほど前だったと思います、東京大空襲を逃れて信州へ集団疎開した児童たちが、50年以上の時を経て疎開地へ里帰りしたという感動の新聞記事を目にしました。その疎開地は長野県北部の山裾の小村で、冬は雪がかなり積もるところです。

疎開児童の宿舎として使われた寺院、谷巌寺はアジサイで知らるとの話を耳にして、疎開児童記念碑の見学も兼ねて行ってきました。民家もない山懐に静かにたたずむ寺院は堂々とした構え、境内には見ごろを迎えたアジサイが迎えてくれました。

雨上がりのしっとりとした雰囲気にマッチして、木立の静寂の中にアジサイが競うように咲いていました。観賞に来ていたのは物静かなおじさん一人だけ。
親元から離された幼子たちが、遠い空の彼方の母や身内をしのびながら寂しさに耐え、一生懸命に生きた日々を想像、そして我が子の無事を祈り、いとおしさに涙した母や祖母の心情・・・今の平和が続くことを念じずにはいらません。
あれこれを脳裏に思い浮かべながら、境内をゆっくり散策してきました。


この先平和について思うとき、この日の寺院を想い出すことと思います。

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