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2021.07.31(日) コロナ弾の爆裂? 「爆発的」・・・何とも物騒で、これ以上の形容詞は思いつかないような迫力のある言葉です。それが禍々しいコロナの危機的状況を表す言葉として使われているのです。
この地球はコロナに席捲されてしまうのではないか・・・そんな恐怖すら感じます。 その渦中で五輪は何食わぬかのような行われています。テレビなどのメディアを席捲し、多くの国民が夢中になっている。そもそも、為政者は国を挙げての「コロナとの闘い」と「オリンピックり両立」を真面目に信じていたのでしょうか? いつになるかわかりませんが、国民の多くが案じ、危惧を抱いていた状況を無視して強行した責任を、時の為政者にとってもらわなくてはならない・・・そんな思いの人も多いのではないでしょうか。平爺は「五輪関連報道なんか見るのも聞くのもイヤ・・・」そんな心境でいます。
かつて民主党代表だった小沢一郎の言葉をふと思い出し、web検索してみました。
「よく言われることだが、国民のレベル以上の政治家は生まれない。選挙民が政治家に対して地元への利益誘導や安直な見直ししか期待しなければ、その程度の政治家しか選ばれない。しかし、そのような短絡的な損得だけで国会議員を選べば、最後に損するのは自分たち国民である。残念ながら、まだ日本は民主主義が本当の意味で成熟しているとは言いがたい。そのことは知名度の高いタレント候補が与党・野党を問わず、いまだにもてはやされていることでも分かる」 東京五輪はそれなりに盛り上がり、日本選手の活躍がテレビ・新聞など報道も賑やかです。
記者団が「感染拡大による五輪への影響」ついて質問すると、菅首相は「車の制限やテレワークなど人流は減少している。心配はない」と断言した・・・という ◆五輪がスタートする前なら「中止」とか「延期」などの手も打てたはず。為政者・国民が一つになって、五輪につぎ込んだエネルギーを蔓延防止に注げば、今より良い結果を導けたかもしれないと思いますが・・・どうでしょう? さらに拡大・蔓延が進むことがあれば、国民に対してどのように弁明するのでょう。今まさにこのとき、「国難」「崖っぷち」を救えるような「政治屋」ではない「政治家」の出現が待たれる思いです。五輪を強行した愚が今さら残念至極に思えてなりません。政府としては、国民が五輪に気をとられていていてくれたらありがたいかも?
昨日の漢字問題(二画の漢字)の解答 十 七 丁 又 乃 九 了 二 人 入 八 几 刀 力 匕 卜 広辞苑には、上記の漢字が載っています。いくつできましたか・・・。 平爺と同年代の年寄りはパソコンもなくすべて手書きで育ちました、イヤでも漢字を覚えなくてはなりません。おかげさまで多少は漢字が書けるようになったのだと思います。 自分で言うのもどうかと思いますが、若いころは漢字の書き取りは得意の方だったと思います・・・でもそれは大昔のこと、今は何でもPC、漢字も櫛の歯が抜けるように頭から次々と消えていって、今は少ししか残っていません。
暑気払いに頭の体操に挑んでみてください。ますます暑くなってしまったら謝ります(笑) 漢字の画数・・・憂鬱の「鬱」は、画数の多い漢字の一つですが29画です。普通、使うことのない漢字で33画なんていうのもあります。 ところで、画数のいちばん小さい漢字は一画の「一」、「乙」の二つだけ。 ◆暑気払いに2画の漢字を出来るだけたくさん思い出してみてください。たとえば「十」=「じゅう」・・・。 東京五輪が始まりました。批判的な気持ちを吐露してき立場もあり、興味が湧きません。半世紀前の東京五輪、あのときは仕事をサボッてでもラジオやテレビにかじりついていたものでした。
◆あの東北大津波の直後、五輪誘致への疑問の声が多かったのを思い出します。 暑さで頭がボウッ~としていて、日記のネタが浮かばない。
◆昨朝、夜明け4時前に義務とも言えるウォーキングスタート。この時間、暑いと云っても一日のうちではいちばん凌ぎよい時間帯です。 いつものとおり足取りも軽く・・・?と言うのは何年か前までの話しで今は鼻歌気分とはいきません。目標は最低1時間半、目途は2時間。とりとめもないことを考えてみたり、日の出の風景に見入ったり・・・。 「体は動かさなくちゃ~いかん」の言葉はけだし同感、また出会ったら話を聞かせてもらいたいものです。年齢には到底見えないお元気さ、話し方もてきぱき・・・。元気を戴いたウォーキングの朝でした。
暑いですネ~。暑くなければ夏ではない・・・仕方ないか(笑) このよもやま日記をご覧くださっている皆さま、猛暑お見舞い申し上げま。今年の暑さは格別。 暑さというと、中東ドバイが飛びぬけていると聞いた記憶がありますが、日本の夏もそれに負けないらしい・・・外国はアメリカ、カナダ、スイス、イタリアしか行ったことがありませんが、いずれも真夏以外の季節の旅行社ツアー、日本と比較することはできません。 日本の不快な暑さは世界でも知られているとか。、なぜオリンピックを暑い暑い夏のさ中にしたのでしょう?なれない暑さと戦うアスリートたちを想うと、何だか罪の意識を感じてしまいそうです。加えてコロナというおまけつき。
メディアが一斉に報じ、全国津々浦々に知れ渡った東京五輪に関係した某氏の陰湿なイジメ・・・今や罵声の嵐にさらされているかに見えます。 「いじめ」は、漢字で書くと<虐め>または<苛め>、精神的、身体的な苦痛を与える行為、あるいはハラスメントと云われる行為で、人格にも悖る最低の行為。実は目の届かないところで、イジメ行為は無数に存在しているような気がします。今回の暴露が、恥ずべき行為として社会的制裁を受けることに、抑止力として大賛成です。
◆サラリーマン現役の頃のある職場のシーンが思い出されます。 今回のイジメ報道に接して、そんな昔がよみがえりました。今でも、優越的な地位を利用した不合理なことが、目に見えないところで繰り返されている。世の中、何十年経っても変わらない悪は、綿々として続いている。情けない。
いったいどうなるのか・・・? 東京のコロナはますます勢いづいている様子、東京五輪は最後まで出来るのか・・・・もう何が起きても「判断が甘かった」という言い逃れはできない。
■毎日が日曜日の平爺、うっかりしていましたが今日から4連休。何の祝日?・・・東京五輪だから・・・? Webでカレンダーを見ると 22日-海の日 23日―スポーツの日 23日-土曜日 24日-日曜日 「招からざる東京五輪?」がいよいよスタート・・・それで連休かと勘違いしていました(笑) 2021.07.21(水) 東海の小島の磯の・・・ 「夏」と言うと暑い、プール、川遊び、アイスキャンデー、花火・・・などいろいろあります。
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」 ◆さて、「東海の小島」はどこの島か? 歌からは推測できませんが、具体的な場所は分からない方が良さそうです。 経済再生相の問題発言以来、政治家のレベルの低さにうんざり・・・。余韻は簡単におさまりそうにありません。
●「日本の国、まさに天皇を中心にしている神の国」 時の総理
国民のレベル以上の政治は育たない・・・この言葉を思い出します 経済再生相の問題発言以来、政治家に対する不信感というのか、レベルの低さと言うのか、余韻は簡単に収まりそうにもありません。 ◆ほんの一時、民主党を中心とした小沢一郎政権が実現したものの、不慣れ、力不足などもあってか、長続きできず、再び政権は自民党に逆戻り、今もって政権が変わる様子は見えません。「何かあっても国民は自民党から離れっこない・・・」、そんな驕りが自信過剰となり、レベルの低い問題発言を連発させているのかもしれません。つまり緊張感のない甘さ? 「長期政権は腐敗する」とか「権力は腐敗する」という言葉があります。昨今の政治を見ていると、この言葉がいきいきとして伝わってきます。
「失言」では済まされない過去の珍発言 ●「日本の国は、まさに天皇を中心にしている神の国」 森喜朗総理 政治家のレベルは国民のレベルに連動するとも言われます。以下の読みは麻生流、総理大臣の時? 「詳細」→ 「ようさい」 「頻繁」→ 「はんざつ」
毎日発表されるコロナ感染者数、減ってきましたが当県(長野)は、一日に二人だけと言う日もあります。
近いうちに施設の責任者と相談するつもりです。4ケ月のブランクで、お年寄りたちは平爺のことはすっかり忘れているかももしれない。
◆週2回のボラ訪問が、老いゆく平爺には日々の暮らしの大きなアクセントになっていたことは間違いなし、引退を考えるのはやはり淋しい・・・。
2回目の新型コロナ予報防接種から10日あまりが過ぎしまたが、
◆それより、さまざまな危惧を押し切って開催に突き進んだ東京五輪、テレビや新聞を見ていると、やはり開催強行は軽率だったのでは・・・と思わざるを得ません。すでに幕は切って落とされ、もう何が起きても後戻りはきかないでしょう。 振り返れば、危惧する声を押し切り、民意も確かめずに大津波の混乱の最中、独断専行のように東京誘致に走った時の総理安倍さんは今どのような心境でしょうか? ここまで来たら進むしかありませんが、後世においてどのような評価を受けるのか・・・そして口火を切った安倍元総理はどのように総括するのか・・?
無観客の中ではアスリートも力を出し切れないかもしれない。気の毒な大会となってしまいました。
2ケ月もサボってしまいましたが、今日は「へ」と「と」です。 ◆「へ」-へたなりに 趣味を生かして コツコツと 孤独に陥りがちな高齢者、とりわけ人付き合いが苦手な平爺、歳を重ねるごとに孤独老人の色が濃くなります。以前は登山、マラソン、水彩画など、趣味を通じてのお付き合いがありましたが、80の大台に乗ってからは趣味の仲間も遠のき、ますます一人ボッチ、カミさんと少し話をするくらい。ボケない方がおかしい(笑) ◆思えば60才台中半を過ぎてから、奈良から現在地へ移住。新入りが腹を割って一からおつきあいを始めるのも難しいし面倒・・・無為に時だけが流れ、親しい交流も生まれないまま、歳だけは先を急いでいます。まさに本物の老いボレ?と化しています。 ◆片やカミさんの特技は友だち作り。電話はかかってくる、今日はランチと出かけていく、スポーツジムに脳トレ・・・朝から晩まで一日中家に居ることはほめったになし。老後を最大限に謳歌、楽しんでいます。逆立ちしてもかないません。
新聞・テレビで大きく取り上げられた経済再生相の発言」問題。 監督官庁にめっぽう弱い金融機関も、この一件だけは素直に「はい、かしこまりました」とは言えなかったようです。政治の貧困をさらけれだしたというほかはない今回のご粗末三文芝居。高級官僚とはこの程度のものか・・・そう思われた方も多いかもしれません。もちろん、声には出さないものの見識・意欲のある正統派の官僚だって数多いるはずですが。
『人間の 願い事の正体を 照らし出すのが 如来の願いである』 一見どうということもない平易な言葉に見えますが、きっと奥は深く、自分のことしか考えない欲にかられた凡人には、遠い遥かな境地なのかもしれません。 ふと、自分映す鏡のつもりで読み返してみると、つい欲にかられる恥ずかしい自分に気がついてしまいます。自己嫌悪・・・そんな体験はいくつもあるのが普通かもしれません。 人の鑑になるようなことは到底無理なことですが、せめて迷惑をかけたり、イヤな思いをさせたりしないように気使いができえたらと思います
「雷様が鳴れば梅雨が明ける」子供のころから耳にしてきた言葉です。科学的な根拠は別にして、経験則から昔の人が目途にしていたのでしょうか。 熱海、鳥取・島根、鹿児島・熊本・・・破壊的な降雨。テレビの画面でも目を覆いたくなるすごさでした。「線状降水帯」という言葉もはじめて知りました。
東京五輪・・・いじわるをしているかのように、コロナの勢いはやまず、追い打ちをかけるように伊豆熱海の土石流、それでも足りないとばかりに鳥取・島根、さらに九州南部を襲った豪雨。非科学的なことは言いたくないが、天の神の逆鱗に触れてしまったのか? ◆水害もさることながら、東京五輪はいったいどうするのでしょう。五輪を強行すればコロナなんか吹っ飛ぶさ・・・と思っているのでしょうか。コロナの蔓延を危惧した国民の「延期または中止」という声には耳をふさぎ「やっとしまえばバカに国民はついてくる」・・・か? 開催ありきで進めてきた結果が、開会間際になってますます混乱・・・。国外の選手を日本はどう迎え入れるのか、安全を保証してあげられるのでしょうか?
◆東京五輪を捨てても、「国民をコロナから守るためにあらゆる手段と犠牲はおしまない」くらいの度量を政府は見せてほしかった。
キツネというと「ずるい」、「だます」など、どっちかと言えば好きにはなれない印象。実際は賢くもないし飼ってもなつかず、飼育しづらい動物とか。言葉を変えると「可愛くない」ということになるでしょうか・・・さだめし平爺? ◆ウォーキングの折、ときどき出会っていると世間の評価?は別として、何となく「お前も朝早くから精が出るネ・・・お互いにガバロー」とねぎらってあげたい親近感が湧いていきます。言ってみれば早起き平爺と気が合うお友達? キツネは動物園でもあま見かけないし、ウォーキングで出会うまでは目にすることはほとんどなかった。。ウォーキングで目するようになってから何となく「仲間?」という親近感がうまれ・・・(笑) 「キツネの嫁入り」 この意味はご存知でしょうか。
キツネと言えばお稲荷さん・・・普通はそんな連想でしょうか。お稲荷様ってどんな神様でしょうか?
◆私たちにとって身近に感じる神様はキツネがご神体の「お稲荷様」、その数は全国に8万社もあるとか。ところが7割の人がお稲荷様のことは知らないらしい?実は平爺も同様です。
◆お稲荷様は昔から稲作・農業の神様。今は衣食住・家内安全・商売繁盛、厄除など生活全般にご利益ありとして生活密着型の神様。 ◆さて、稲荷神社とキツネの関係は? そもそもキツネは神様の使いとして神聖なる動物とされてきた。農作業が始まる春、おキツネ様は里に降りてきて、収穫が終わるとまた山へ戻っていく。それで農耕を見守る守り神のように考えられた云々・・・つまりご神体ではなく神の使い? お稲荷様は五穀豊穣の守り神として農耕民族の信仰を得てきたということでしょうか。何となく納得できた気もします(笑) 2021.07.09(金) 狐=キツネ (そのⅠ) 平爺の主なウォーキングコースは千曲川の堰堤か河川敷。歩いていてときどき目にするのは鳥類は別としてキツネです。姿は見えねどよく通る声で鳴くのを耳にします。
◆ところで「なく」の漢字はいろいろあります。Webで調べると キツネの鳴き声はよく耳にしますが姿を見るのはまれ。キツネからはよく見えるらしく、仲間に警戒を発しているのかもしれません。写真におさめるにはよほど運がよくないと撮れません。先日、警戒の目で平爺を睨めつけていた姿を運よくバチリ・・・。ただし距離は50m以上、三脚なしのズームアップですから写真としては最低。それでもカメラにおさめることができて満足。 キツネと言えば「ずる賢い」とか「だます」など、マイナスイメージが先立ちます。鋭い目で見られていると何だか不思議な気分になり、「よおオハヨウ」と声かけしたくなるような親近感も感じられます。
暦を見ると今日は二十四節気の一つ「小暑」となっていました。Webによると「暑気に入り梅雨のあけるころ」とのこと。ちなみに7月22日は大暑(たいしょ)で暑さが極まるころ」ということです。 今のところうだるような暑さは感じていませんが、本ものの暑さは梅雨の開けたあとと覚悟しています。暑さに弱い平爺は暑いのだけは大嫌い(笑) ◆これからも悲惨な自然災害が続くのかもしれませんが、人智の及ぶ限りは回避、就中人命の犠牲だけは防ぐよう最大限努力を続けなくては・・・。
♪ささの葉さらさら のきばにゆれる 今日は七夕。織姫と彦星が年に一度逢える日。子供のころは「たなばたさま」と言っていました。大きなサトイモの葉についた露を集めて墨をすり、色紙に「七夕」とか「お星さま」とか、子供らしい願いごとなどを書き、竹に取り付けて飾り、七夕が終わると短かく切って天竜川の支流に流しました。 ◆33年前、南アルプス南部を単独縦走(悪沢岳~赤石岳~聖岳)したとき、「百間洞山の家」という小屋に宿泊。夜になると明かり一つない墨を流したような真っ暗闇、無数の星がまたたいていたのを思い出します。織姫・彦星はもちろん、天の川もきれいに見えました。まさにダイヤモンドを撒き散らしたような星々。生涯でこれ以上に美しい星空を見たことはありません。 今は、夜になっても町は明る過ぎて星を見ることさえ難しい・・・・「古き良き時代」と言ったらバカにされるかな? 33年過ぎてもあの星空は目に焼き付いたままです。 そのときの山行記録はこちら→http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub1018.htm
日課のウォーキング、生活圏を―歩離れて少し遠くまで足を延ばすこともあります。ときには3時間近いことも。老いを一層意識する昨今、それも一つの刺激かと思います・・・人様は、「あの老いぼれ大丈夫かな~?と思っているかもしれません。 ウォーキングでいつも気になるのは、神社・寺院の数の多さ。広い境内・天を突くような巨木。あれだけのものを維持管理するにはかなりの労力・費用がかかるだろうなあ・・・と思うのは平爺の貧乏根性? 平爺夫婦も84才と80才。そろそろ旅立ちの準備をしておかなくては・・・。檀家になるというより、遺骨を引き取ってくれるところを考えおかなくては・・・いっ時、あっちこっちの墓地を見て歩きましたが、それも飽きてしまい今は「何とかなるさ・・・」 ◆先だって、子供の頃いばん身近に感じていた従妹が亡くなりました。 ブラウン管に映し出された熱海の土石流には肝をつぶしました。まるでSF映画と錯覚しそうなすさまじさでした。
◆「災害日本」、「天災日本」・・・よく聞くことば。でも自分のこととしては受け止めない・・・。 「天災は忘れたころにやってくる」という俚諺もあります。昭和35年、歴史に残るほどの大型伊勢湾台風のあと、山梨県側から単独入山、七面山のピークを踏んで静岡県側の梅ケ島温泉へ下山したときのことを思い出します。強風による倒木でルートも不明確、もちろん登山の知識もゼロ同然。今振り返ると、よくも無事に下山できものです。 一方平爺の住む長野県は・・・古くは江戸時代の浅間山大噴火や巨大な善光寺地震、近くは御岳山噴火や千曲川の氾濫・・・「自分の住むところに限って」は通用しないことを肝に銘じなくては。
ハンゲショウ・・・何のこと?? カタカナ書きということは何かの名前か外国語か・・・? Web検索すると、白い清楚な気品を感じさせる花がヒット。
*************************** 「半夏生」・・・かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。平爺?????明日には忘れています(笑) ハンゲショウの花を確認したい方は下記サイトでどうぞ 1週間ほど前、いつもどおりNHKラジオ深夜便を聞きながらの早朝ウォーキング。4時台のテーマは俳人「山頭火」。話しが上手で、つい引き込まれながら脚を運んでいました。誰もがご存知の五七五の型にとらわれない異色の俳人・・・廃人と間違えませんように(笑) どう見ても素人には俳句には見えない。ただ思いついた言葉を二つか三つ並べただけ? 自由律の俳句?何を表現したいのか、無知な平爺にはさっぱり・・・なのになぜか情感を揺すられる気がするのです。
今も頭に残っているのは これって俳句? 声に出して念仏のように何回か読み返していると、不思議に味が染み出てくる・・・? ◆山頭火晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった。酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」・・(ウイキベデイアより) ◆蛇足ながら、「いちばん有名な俳句」をネット検索してみました。結果は
梅雨、大雨に襲われたところもあると云いますが、当地は三日つづきの落雷はあったものの、梅雨らしい降りはありません。今のところシトシト・ジメデメという日はほとんどなく、このまま夏の暑さを迎えるのか・・・喜んだり水不足を案じたり、何ごともほどほどにというのは難しいもの。 小雨の中、河川敷を歩いてるとキツネが遠くから平爺をじっと注視している・・・表現できませんがキャ~ン・・・キューンかな?仲間に警戒を発しているのだと思います。キツネは雨が降ってもエサ探し、大変です。肉でもぶら下げて行って、「今日はこれを食べて休業にしたら・・・」と言ってあげたい(笑)
以前、この日記で「東京から信州山里の学校へ集団疎開していた子供たちか、〇〇年ぶりに里帰り」という感動の新聞記事を紹介したことがあります。疎開児童を受け入れた寺院が、アジサイ寺としても知られることを知り、妻と訪ねてみました。 1年ほど前だったと思います、東京大空襲を逃れて信州へ集団疎開した児童たちが、50年以上の時を経て疎開地へ里帰りしたという感動の新聞記事を目にしました。その疎開地は長野県北部の山裾の小村で、冬は雪がかなり積もるところです。
疎開児童の宿舎として使われた寺院、谷巌寺はアジサイで知らるとの話を耳にして、疎開児童記念碑の見学も兼ねて行ってきました。民家もない山懐に静かにたたずむ寺院は堂々とした構え、境内には見ごろを迎えたアジサイが迎えてくれました。
雨上がりのしっとりとした雰囲気にマッチして、木立の静寂の中にアジサイが競うように咲いていました。 |
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