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2021.08.31(火) 秋の気配・・・・ 暑さを厳しく感じた夏でした。8月ももう終わりです。暦は進んで明日から9月、旧暦の異名は「長月」、昼間の時間が短くなり、その分夜が長くなるから「長月」?
一日たりとも欠かすことがない早朝ウォーキング、平爺は夜明けの時間は格別気になりません。景色も、そして足元もよく見えるに越したことはありませんが、暗くても気にしません。なれています。 ◆果樹園の道、田畑の農道、静まり返った民家の並ぶ細道・・・コウロギの鳴き声に耳を澄ませ、なるべく足音を立てないように・・・それでもピタッと鳴き声が止むのは・・・地面に伝わるかすかな振動・・・? ススキが穂を出しました。アキノキリソウの黄色い花も咲き始めました。足音もなく秋は始まりました。
たとえば最近目にした寺田寅彦のことば 「健康な人は病気になる心配があるが 病人は回復する楽しみがある」 平爺流に解釈すると「人間にとって病も大切なもの、それをどう生かすかということ」ということでしょうか・・・
パラリンピックが盛り上がっているようです。障害にめげず頑張る姿には感動しかありません。平爺も直腸ガンで人口肛門になってから、フルマラソン・登山など、健常者と同様に取り組んできました。言い換えれば、それを出来ない理由にしたくなかった・・・ちょっときざ過ぎるかな。 告知を受けたときの、うちのめされた記憶も年々遠くなり、今は身障者であることを意識することはほとんどありません。困難があっても、人間というのは何とか乗り切っていけるもの・・・・思っている以上にしぶといもののようです。 「登山ブーム」ということばが流行したのは昔の話。時は過ぎ、人々の考え方・生き方も多種多様化の道をたどり、求めるものは人それぞれ。まさに「多様化」の時代になりました。平爺の時代は、さしずめ「登山ブーム」の時代だったと云えるかも・・・?若者たちが憑かれたように山に向かいました。
マイカーも普及していないその時代、週末の新宿・上野駅のホームは、信州・上越方面へ向かう夜行列車は登山客でいっぱい。若者たちは大混雑の中、ようやく乗り込んだ車内も睡眠をとることもままならない。それでも憑かれたように山へ向かいました。今となっては懐かしくもありバイタリティもありました。 ◆ところで、あなたの住んでいる都道府県で、標高がいちばん高い山の名前を言えますか?ちなみに日本一高い富士山は、山梨・静岡両県の最高峰。平爺の地元信州は「穂高岳3190m」、東京都は雲取山2017mです。自慢するつもりはありませんが、全都道府県の最高峰はすべて登頂済みです。 秋の気配はどこに・・・・この季節としては蒸し暑い。例年ならルンルン気分でウォーキングに出るところ。真昼よりましですが手放しで快適と言うにはほど遠い。それでも、一日たりとして休まないウォーキングは年寄りの一徹の意地? 最近1週間(8/21~27日)のウォーキング 辛うじて2時間の線を維持していますが、加齢を意識せざるを得ないことも事実です。たかが2時間ほどのウォーキング、何ごとかあらん?そんな強気もそろそろ返上の時を向かえているようです。
◆同じ2時間でも、以前のようなランニングと今のウォーキングでは、その質が月とスッポンほどの違い。遊びの延長のようなものだと云うことはよくわかっています・・・が、劣化の急落は止めようがありません。
2時間ウォーキングがいつまで持つか、心もとない昨今。
広辞苑で「残暑」を牽くと、「立秋後の暑さ」「秋になってなお残る暑さ」 ◆目が覚めるのは判で押したように3時半。自然に目が覚めます。前夜準備しておいた「よもやま日記」にざっと目を通した上でアップロード。 4時過ぎに365日無休のウォーキングスタート。早朝はほとんど暑さは感じませんが、2時間ほど歩いて帰宅するころには、背中から汗が流れています。帰宅してストレッチ体操を約10分、カミさんが丹精している鉢植えの花と家庭菜園の水やり、可愛い?スズメへのエサやり・・・・火・金・土の週3回のゴミ出し。そのあとシャワーで汗を流して一息つきます。ほとんど変わることのない朝の光景です。
よもやま日記のネタを探しに苦労することがしばしば。
ふと目についたのは放置状態の小箱。中味は古銭ということは承知していましたが、何年振りかでフタを開けてみると昔の紙幣や硬貨。今は廃止されて通貨としての値打ちはゼロ。その中の一つに「百円紙幣=板垣退助」・・・(1974年8月26日に廃止され、今は貨幣としての価値はゼロ)
◆なぜ使えなくなる百円紙幣を79枚も持っていたのか? ◆追記・・・このほかに記念硬貨もいくつか・・・ このところ。晴れた夜がほとんどないような気がします。お月様とも長のご無沙汰・・・
22日は真ん丸お月様だったはず。月の出は19時46分、入りは6時32分。早朝ウォーキングの時刻には、西の山へ落ちていく月を見られたはず、残念ながら曇り空でした。平爺にとって、これから冬にかけてが月が格別美しく感じる季節、月はウォーキングの友です。 たかがウォーキング、されどウォーキング・・・・。寒中もさることながら、早朝とは言え夏のウォーキングも暑さには閉口。それでも一日たりとも休まにないのは単なる年寄りの意地?今年も3分の二が過ぎてしまいまたが休んだ日はなし。あと4ケ月頑張らなくては。平爺が目下チャレンジできるのはウォーキングだけ。 座右の銘は「継続=つづける」 年甲斐もない強がりと言われないように、90才まであと5年、休日なしのウォーキングを続けたい・・・目指すものが無くなってきた平爺の断末魔の声?
深刻度がさらに進むコロナ、パラ大会はほんとうに大丈夫でしょうか。
「オリンピック」の語源は、五輪発祥の地であるギリシャのオリンピアというのは知っていますが、「パラリンピック」は? ◆五輪とパラの運営母体は別? 先日、目にした新聞記事で疑問が。 今年も3分の二ほど過ぎました。雨が降っても、雪が降っても、風が吹いても、一日も休まないウォーキング。80 才台の中ばを迎えたこの歳でも、夜明けを待ちこがれるように身も軽くルンルン気分でスタート・・・・でも時には多少の抵抗を感じることもなきにしもあらず?
お月様を仰ぎながらのウォーキングもいいもの。夜が開けて風景や野の花に癒され、眠気も吹き飛びます。
日本人の男子平均寿命が81.64才という数字を見せられると、あと半年で85才の誕生日を迎える平爺には、何となく身につまされます(笑) ちなみに女性は87.74才で世界一の長寿。平爺とは4才しか違わない我が家のカミさんは、たくさんの友達を有し、毎日忙しそうに生き生きと人生を楽しんでいます。ひまを持て余している平爺とは月とスッポンほどの大差、あと20年も30年も軽くもちそうに見えます。ウォーキングしか能がなく、線香の火がかろうじて灯っている平爺とは大違い。
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人世の定年を控えた爺さんには泣けてきます・・・終着駅を前に何がいちばんかと云えば「亭主よりカミさんの方が元気なこと」 当然のことながら「男は勝手すぎる」と非難されるでしょうネ。
遅ればせながら、お盆にちなんだ話題。 重い墓石の下へはゆかぬ 縁ある人々の こころの中が 私のすみか
◆先だって、善光寺のマンション型納骨堂を見学、妻ともどもすっかり気に入りました。大小ありますが、小は30Cm×40cmほど。それぞれ扉がつき、墓参の時は扉を開いて焼香もできます。 ◆19年前、ここ長野を終の棲家として選び、骨を埋めるつもりで引っ越して来ました。残された最後の仕事は夫婦の納骨場所探し、選んだのが善光寺が管理する大きな納骨堂で、重苦しい墓石もありません。近々正式に申し込むつもりです。 納骨堂の眼下に広がるのは善光寺平。北信濃の山並みも見渡せます。平爺が生前にやるべき最後の仕事。妻も気にいっています。
夜が明け始めたばかりの時刻、いつもと少し違うリンゴ園の中を歩いていると、ふと目に留まった奇妙な物体。うす暗くて遠目には分かりにくかったが、近づいてみると赤錆びた鉄の造作物は「井戸」でした。地下水をくみ上げるときに使う井戸、「柄」はなくなり、地中から立ち上った鉄パイプの上に井戸の本体が乗っている・・・奇妙なオブジェの芸術作品のような感じでした。 もちろん使用不能の廃品?だと思いますが、往時、日照りのときに汗を流し、手こぎで地下から水を汲み上げ散水、リンゴの木を守っていた様子が目に浮かびます。 何となく惰性で歩いているだけですが、ちょっとだけルートを変えみると、また新しい出会いがあるもの、気ままなウォーキングですが、たまには得をしたような出会いもあります。 ◆大雨で水に浸かっていたリンゴ園も、昨朝はに水は引いていつもの長閑なリンゴ園風景に変わっていました。
テレビ・新聞などを見ているとコロナ感染の深刻化ばかりが伝わってきて気持ちも暗くなる昨今です。テレビや新聞から「コロナ」が消えるのはいつのことか・・? 東京五輪を控えた6月か7月ころ、「8月半ばにはコロナの感染拡大はさらに深刻化、山場を迎える可能性がある・・・」そんな報道があった記憶があります。まさに的中、この先どうなるのか・・・不安はさらに深刻化への様相・・・そんな気がしてきます。五輪を賛美するだけでなく、コロナ下の中での五輪強行が本当によかったのかどうか、時間を置いた今、改めて検証してみる必要があるような気がします。
◆形の上では五輪は成功したかに見えても、実は大きな問題・課題を残したのでないか。平空爺はそんな気がします。報道で知る限り、胸を張って「大成功の東京五輪」とは到底言う気にはなれません。五輪はコロナの恐怖から目を逸らしただけ・・・と言ったら国賊呼ばわりされるかもしれませんが、偽らざる平爺の心情です。 コロナ感染拡大にストップどころか、政府の取り組みに対し、真剣度が私たち国民には伝わって来ませせん。「この政権でコロナから国民は救われるのだろうか」そんな疑念が頭をよぎります。 ◆率直な印象は、コロナに取り組む政治の姿勢か感じられない・・・そんな不安です。
平爺がよく見るテレビはワイドショー、政治に関連した切れ味鋭い番組が特に好きです。 ◆逆に、テレビなどで外国人が日本語ペラペラ、就中漢字の読み書きまでしているのを見ると、たたただスゴイの一言。 アメリカでは幼児でも英語でペラペラしゃべっているとか・・・すごいな~逆立ちしても日本がアメリカには追いつけないはずだ(笑) 休刊無しの「よもやま日記」ですが、本日はお盆休みとさせていただきます
♪ 生きているから歌うんだ ♪手のひらを太陽に すかしてみれば ニョロニョロ、ヌルヌル「見るだけで気持ち悪い」と冷たい目で見られ、嫌われ者のミミズ。漢字で書くと「蚯蚓」・・・到底読めませんネ。 ◆早暁、ウォーキングコースの一つに、ミミズ街道と呼びたいほどミミズがゾロゾロ・・・というところがあります。平爺は小さいころから手に取って遊んだりしていたためか、触ったりすることに何の抵抗もありません。 ◆左右青草の茂る幅4メートルほどの舗装された道。農耕車や軽トラがたまに通るだけ。足の踏み場に困るほどミミズがニョロニョロ・・・大きいのは20cm以上、丸々と太ったスローモーションの動きを立ち止まって観察? ◆日が昇れば遮るもののない炎天下、たちまち干上がって乾燥?どうしてノココノ草むらから這い出し、灼熱の炎天下に身を晒すのか? 簡単にカラスなどの餌食になってしまうだろうに・・・。ミミズの気持ちはわかりません。人にはイヤがられミミズでも何だか可哀そう。 コロナのドハッチリを受け、孫たちの顔を見る楽しみを奪われたおじいちゃん・おばあちゃちんはさぞや多かろうと思います。我が家も同じです。 仏壇もなく、年寄り夫婦二人だけのお盆、出かけるあてなく昨日とまったく同じ時間が過ぎていきます。ふと頭に浮かんだのは 生まれるときも一人、死ぬときも一人
このことばは『一遍上人語録』に収められている言葉とのこと。 歳をとり、終着駅が一歩づつ近づいてくるとこんなことばに関心がわくものです。 コロナの関係もありますし、暗転免許証がくなったこともあって、今年の盆も、両親先祖の眠る墓に詣でることもせず、孫たちの顔を見ることもなく、老妻と二人、テレビを共にただ静かに時を送っています。 九州地方から始まった猛烈な豪雨は居座り、事態はさらに厳ししくなっているとのこと。ただいま3時49分、ラジオが現地(九州地方)の容易ならざる様子を放送中です。予報ではここ信州も線状降水帯による大雨警報が出ています。被害の小さいことを願うばかりです。
な不思議な漢字だらけ。 小豆 明日 海女 硫黄 田舎 息吹 乳母 理屈で覚えるのは無理、それでもちゃんと記憶している。不思議に思いませんか。
今日からお盆、墓参りなどをかねて帰省を計画していた方も多いと思いますが、今年はコロナの関係で諦めざるをえなかった方もまた多いと想像します。混んだ夜行列車に乗りこみ、数時間ほどかけて親元へ帰った日が思い出されます。 ◆朝日新聞の「声欄」にこんな投稿が載っていました。無断転載はいけないことと知りながら、朝日を購読していない方にも読んでほしいと願い、その全文を転載させていたただきます。 (2021.8.12朝刊) **************************** 楽しみだった帰省 諦めた理由は ************************************
この短文の中に、複雑な心情とともに、みんなが忘れかけている良心・ルールを守る大切さを再認識させられる力を感じました。
昨日の日記で、山の思い出を書きはじめると、元気だったころの登山のあれこれが走馬灯のように脳裏を去来、よく歌った山の歌を思い出しました。中でも懐かしいのは「山男の歌」 記憶能力の劣る平爺が、何十年たっても何とか最初のところだけは忘れていませんでした。不思議ですネ? それだけ登山にのめりこんでいたということ? *******************************
平爺が山登りにのめりこんでいくきっかけは、直腸がんの手術後、絶望のどん底?に突き落とされ、悶々としていたとき、ふと思いついて妻と大菩薩嶺へ登ったのがきっかけ。登山へのめりこんでいくのはあっと言う間でした。黙々と根性で歩く登山が性に合っていたのかもしれません これまでに登った山の数は、北端は北海道利尻山、南端は沖縄県石垣島の於茂登岳。約2400座。ほとんど単独行です。「平爺の人生は山とあった」と言っても過言ではありません。 今は山の思い出にしがみついて生きています(笑) 老いた平爺には最近の«国民の祭日»がいつだったか戸惑うこともしばじしば。
今年は8月8日が山の日、昔はありませんでした。交代で夏休みをとり、夏のレジャーや帰省を楽しんでいたものです。 登った山なら、資料がなくてもアプローチからルートまで、歩いた記憶はかなり明瞭に記憶しているはずが、近頃は自分の脚で登った山が正確に思い出せません。 ◆登山記録を紐解いてみると、
猛威拡大の最中、東京五輪は何とか終了。延期または中止を支持し、冷めた目で見ていた平爺。
テレビで五輪を見たのは北海道で行われた男子マラソンのみ。開会式も閉会式も無視?してきてきましたが、ローカルのフルマラソン大会を何回も走った経験のある平爺、それだけは見てしまいました。料簡の狭いひねくれ者と云われても甘んじて受けます。 ◆五輪という隙をつくようなコロナ感染の急拡大、それは国のコロナ対応にも不満が噴出しているかに見えました。 素人なりにさらなるコロナの大爆発を憂慮。「想定外」と言う逃げは許されないと思いますが・・。。
当地の日の出 6/19 4時20分
早朝ウォーキングは一日も休まず続けていますが、つい先日まではスタートする4時には明るくなっていたのに、今は同じ時刻でもまだ夜の帳は下りたまま、スタートも30分ほど遅くしています。 ウォーキングから帰宅するとストレッチ体操、次はカミさんが大事にしている花植えや、家庭菜園(ナス・キュウリ、ミニトマト、ゴーヤ)の水やり、それが終わるとシャワー・朝食と言うのが毎朝の決まったスケジュール。 そうそう、ズスメちゃんのエサやりも忘れないように・・・。 標題の言葉は広島平和記念公園の碑のことば 妻と訪れたときのの記憶は、今も鮮明に残っています。長崎は新婚旅行で訪れた折りに拝礼させてもらいました。まだこころ残りなのは沖縄県の平和記念公園。平爺は残り時間が少なくなるばかり、加えてコロナ禍・・・80才も中半となった今、願いを果たすことができるかどうか?
◆罪もない一般市民が、原子爆弾と言う悪魔の凶器をもって一瞬に命を絶たれた悪夢の記憶。 ◆戦争ではありませんが、操業中の漁船=第二福竜丸が水爆実験による放射能被害に遭い、乗組員が被爆した悲惨な記憶が脳裏によみがえります。日本こそ世界に先駆けて核兵器廃絶に立たなくてはならない国の筈。 コロナ禍が収まる気配はなさそうに見える中、菅首相のコロナ患者の自宅療養発言が物議をかもしています。ベッド数が足りない、重篤患者以外は自宅療養しろ・・・ともとれるメディアの一斉報道? 総理本人はもちろん、その家族・身内も、国会議員も関係官僚の身内も、すべて同等に扱う・・・その覚悟あっての方針・発言でしょうか。
コロナにおびえ、外出をひかえ、ひたすらガマンを強いられている国民には度重なる追い撃ち。いったい、これから市民の生活はどうなっていくのでしょうか。そもそも国は、国民の命を守り不安を解消するのが最重要任務では・・・。テレビでもいい、総理自らがカメラの前に立って、国民が「それならわかる、協力しよう」と云わせるような血の通った説明をしたらどうでしょうか・・・・。 何を考え、どうしようとしているのか・・・アナウンスが我々にはさっぱり届きません。あの自信なさそうなオドオドした様子を目にしていると、「何という総理をいただいてしまったものか・・・」そんな思いが拭えません。「国民のレベル以上の政治は育たない」…この言葉をあらためて反芻・反省せざるをえません。 追記・・・思い付きではなく、検討に検討を重ね、考え得る施策をすべて熟慮した上でのことなら、国民が納得できるように説明してほしい。
コロナ感染の急増状況に鑑み、東京五輪を予定通り開始するかどうか・・・その民意を問う東京商工リサーチ(6月15日)のアンケート結果 予定通り実施・・35.8% 中止すべき・・34.7% 延期すべき・・28.3% 「予定通り実施を」というのはわずか3分の一しかありませんでした。民意の動向など我知らず、とにかく始めてしまえばこっちのもの・・・そんな受け止め方だったようにも見えました。 ◆平爺はテレビ中継されている五輪観戦はゼロ、新聞やニュースで結果を見るだけ。日本チームの活躍が嬉しくないはずはありませんが「夢中」とはほど遠い心境、単なるニュースとして結果を見るのみです。 片やコロナ感染はますます猛り狂い、終息の「終」の字も感じられないまま、知らぬうちに五輪は終わっていた・・・・そんなことになりそうです。 ふと、誰しもご存知の金子みすずの詩が頭に浮かびました。
【大漁】 浜は祭の 何と暑い夏か・・当地の観光関連業者は『さわか信州へ』というキャッフレーズを使いますが、今年の暑さはこのフレーズも空しい。連日33度とか34度、時には35度と言う日も。救いは、夜間の気温はそれなりに下がって、息苦しくて寝られないということは滅多にありません。
◆早朝ウォーキングのスタートは4時、足元が見える程度に明るくなっています。気温も一日のうち一番低い日の出前、汗をダラダラ流し、暑さに閉口しながらということはありません。早暁の涼しさを楽しみながらのウォーキングと言えそうです。 寒さの厳しい冬とはちがい、大気の透明度は良いとは言えませんが昨朝は北アルプスの連嶺がクリアに見えました。脚を止め、しばし山名を思い起こしながら至極のひとときを楽しめました。白馬岳から五龍、鹿島槍・・・槍ヶ岳、穂高岳・・・ 加齢にともない、登山と言えるほどの山からは遠ざかって3年。曙光に輝く山々を眺めながら、「よく登ったな~」とあらためて感心しながら遠くの山稜を眺めたひと時でした。 深刻なコロナ現況・・・テレビ・新聞などのメディアでご承知の通り、事態に明るさは見えず、深刻さが深まるばかり。それに対する政治の何と形式的で他人事な対応か? 太宰治の「富嶽百景」に出てくる一節「富士には月見草が良く似合う」。
◆野の花の少ないこの時期、千曲川堰堤をウォーキングしていて目につくのは、長く伸びた茎の先に目立つ黄色花は待宵草(マツヨイグサ)でしょうか・・・よく目立ちます。 追記・・・ツキミソウは一度は姿を消してしまい、その後は待宵草を月見草と呼ぶ人が増えた・・・云々。花の少ない真夏、暑さにめげず野に咲く姿は目を惹きつけます。 『宵待ち草』・・・作詞:竹久夢二 ♪待てど暮らせど 来ぬ人を
太宰治の富嶽百景・・・「富士には月見草がよく似合ふ」 千曲川堰堤のウォーキングで目につく黄色の花・・・はたしてマツヨイグサ属の植物か?月見草は一度は姿を消してしまい、その後待宵草を月見草と呼ぶ人が増えたのだとか。ややこしい話をすみません。 2021.08.03(火) 葉月 8月の異称は「葉月」・・・このことば、平爺にはビンときません。
◆「葉」に関係した言葉として頭に浮かぶのは『新緑・若葉・紅葉・枯葉・双葉・病葉』まだほかにもあるかな~?
コロナ蔓延、メディアなどが「爆発的」と表現するようになりました。まさにただごとではない・・これは戦争。そして一方では五輪と言うお祭りは真っ只中。 ◆確か「8月にコロナの山がくる」と予告したメディアや医療関係者の報道があったような気がします。それがズバリあたってしまった。政府のおえら方などの談話は、どことなく白々しくて「どこの国の話をしているの・・・」そう言いたくなるようなじれったさを感じるときもあります。 ◆「人一人の命は 地球より重い」この言葉はさまざまな場面で引用されます。平爺は「人一人の命はオリンピックより重い」と言いたい。政治の最も大切なことは「国民の生命・財産を守ること」政府はその言葉をもう一度噛みしめて対応してもらいたかった。 8月1日というと一茶のこの句が頭に浮かびます。
「八朔―はっさく」とは陰暦八月一日のこと。この日、農家は収穫した作物をお世話になった親戚知人などに贈り、祝った日とのこと。飼い犬の椀にも赤飯を盛ったというほほえましい光景が目に浮かびます。いかにも一茶らしい句。 平爺の生まれ育った村の隣村に、天然記念物?に指定されている鬱蒼とした森に囲まれた神社(諏訪大社の末社)があり、境内の一隅に一茶のこの句碑があります。句碑を知ったのは登山をするようになってからで、神社背後にある里山=霧訪山=きりとうやま(1305m)へ登ったときのことです。 その後、句碑は傷んで判読も難しくなってしまいました。 |
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