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2020.09.30(木)秋色

上半期も今日で終わり、一日ごとに秋色がはっきりしてきました。

秋の七草・フジバナマ?

「日が短くなる」・・・その表現をあらためて考えたことはありませんが、説明しようとすると???

◆残暑がきびしく、いつまでも暑いとき「早く秋が来ないかな~」と思ってしまいますが、その秋も忘れずにやってきました。
ウォーキングには最適の季節、日の出も遅くなり、家を出るときは星がまたたいています。

◆話しは変わりますが「日が長くなる・日が短くなる」という言葉をよく使います。秋は特に感じる季節のような気がします。
   前者は昼間の明るい時間が長くなる
   後者はその逆で昼間の時間が短くなる
「日脚が短かくなる・日脚が延びる」という表現もあります。

この間まで朝4時前にウォーキングに出ると薄明が兆ていたのに、今は5時に家を出ても首からブラ下げる小さい懐中電灯が頼りです。

気温的には今がウォーキングに最適、身も心も軽く爽やかな気分で歩いています。時間はほぼ2時間、一滴の汗もかきません。このウォーキングで頭も体もすっキり目覚めて一日のスタートです。

2020.10.29(水)秋へ向かって駆け足・・・秋冷?

黎明の妙高山 冠雪はこれから

目が覚めると体温・脈拍、脈飛び、血圧を計ってからウォーキング・・・このパターンは365日ほぼ変わりません。
今の季節、スタートは概ね430分。陽の長い時期と違って、外はまだ真っ暗。歩きなれたいくつかのルート、暗くても心配はありません。

◆涼しい秋がこないかな~~待ち焦がれていましたが、これからは寒さの気になる季節です。
昨朝の温度計は16℃、秋冷というにはまだ少し早いものの、暑い暑いと言っているうちに季節の方は迷うことなく秋を連れてきます。

◆半袖Tシャツだと歩き始めはやや寒く感じられるものの、早足で歩けばすぐに温かくなってきます

いつもどおり2時間ほど歩いてくると、次はカミさんが大事にしている花壇や鉢植えの水やり、それとスズメちゃんのエサは忘れません。

◆さわやかな秋を待っていたのに、ウォーキングに最適の季節が過ぎるのは束の間、寒い冬が待ちかまえています。

2021.09.28(
)  自家製栗おこわ

当地近郊に栗の栽培が盛んな地区あり、古くから栗を材料にした和菓子の老舗店などもあります。

◆平爺の生まれ育った田舎は栗の栽培はありませんでしたが、子供のころには裏山で野生の栗の実拾いをした記憶があります。
◆当地は栗が容易に手に入る土地がら、懐かしさもあってここ何年かは農協直売所で生の栗を購入、自宅でクリオコワを炊いて楽しんでいます。特に美味しいとは思いませんが、子供の頃、栗拾いをした記憶が懐かしく蘇ります。

◆ここ何年か、秋には栗おこわを炊くのが慣例。
栗おこわとは無縁で育ったカミさんに代わり、皮むきからすべての作業は平爺。包丁を受け付けないような固いあら皮を、指を切らないよう気をつけて剥くのがひと仕事。

モチ米で炊きますが、炊きあがったときの淡く香ばしい香り、噛んだときのホクホク感、子供だったあの頃の記憶が蘇ります。

その昔、栗は米などの不足を補う貴重な食べ物、必要に迫られてのクリご飯という側面もあったと思います。先夜の平爺宅は、タイムスリップした夕食でした。

(鬼皮剥き、渋皮剥きなど面倒な作業は平爺の役割・・・念のため書き添えます)

2021.09.27(
) 「ケチ」は美徳・・・


暑さ寒さも彼岸まで・・・なのに今年は真夏並の暑さでした。

初秋 早暁・長閑(のどか)な朝

昨朝、ウォーキングの出がけに寒暖計を見ると16℃。猛暑とはサヨナラできそうですが、寒い冬を歓迎と言うわけにもいきません。地球温暖化問題などオテントウさまの方は人間のことなんかかかわり知らぬこと・・・ですよね。
未明のウォーキングは、例年ならこの時期それなりの服装で出かけるのに今年は真夏と変わらず。

世界的にも地球温暖化は大きな問題らしいが、四季の変化も変わっていくのでしょうか。そのうち冬はなくなってしまう・・・まさかネ。50年前、100年前のご先祖さまは思いも及ばなかったことでしょう。

温暖化防止のため身の回りで少しでも役にたつことを・・・・たとえぱマイカー利用の自粛や、生活用品の使い捨て見直し、家庭の省エネや生活用品の再利用ets.・・・身の回りにはできることがいろいろありそうです。
昔、子供たちのスリ切れた衣服を暗い電灯の下で夜なべ仕事にツギをあて、ボロボロになるまで使っていた亡き母を思い出します。
今は徒歩10数分のところでもマイカー・・・ゴミ収集日には使えそうなものがいっぱい・・・。世の中変わってしまいました。豊かさ便利さが、本当の幸せにつながるのであればいいのですが。いつかその反動が・・・・

平爺が小学生のとき、子供の足で片道2時間近くかかる田舎道を、毎日学校まで通っていた女の子がいたのを思いだしました。

2021.09.26(
) 秋桜=コスモス

昨朝の気温・・・早朝、ウォーキングに出るときに寒暖計を見ると16度。歩いても汗をかかない最適の気候。夜明け前の4時20分、1時間50分のスタートでした。

歩いていて目をひくのはコスモスの花。平爺も好きな花です。民家の庭先、田のあぜ、公園緑地、用水路の水辺、鉄道線路際・・・いたるところで目につきます。いかにも親しまれる大衆の花と言う感じです。漢字で書けば「秋桜」、山口百恵の歌った「コスモス」は平爺の大好きな歌です。笑われちゃうかな~? でも好きなものは好き、仕方ありません() この歌を聞くとジーンときます。

 ♪薄紅の秋桜が 秋の日の 何気ない陽溜まりで揺れている
    この頃涙もろくなった母が 庭先に一つせきをする 

   ♪縁側でアルパムを開いては 私の幼い日の思い出を
      何度も同じ話くりかえす ひとりごとみたいに小さな声で

     ♪こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさがしみてくる
       あしたとつぐ私に 苦労はしても笑い話に時が変えるよ
                                 心配らいないと笑った

       ♪あれこれと思い出をたどったら いつの日も一人ではなかったと
                          今さらながら我儘な私に唇かんでいます

          ♪明日の荷造りに手を借りて しばらくは楽しげにいたけれど
                       突然涙こぼし元気でと 何度も何度も繰り返す母

             ♪ありがとうのことば かみしげながら 生きて見ます私なりに
                      こんな小春日和の穏やかな日は
                        もう少しあなたのこどもでいさせてください


(NHKラジオ深夜便で、久しぶりに聞きました)

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聞いていると泣けてきます。私の妻も、その母も、当時はそんな思いだったのでしょうか。
いずれあの世の義母に再会したら、「娘があなたの嫁にしてもらってよかった・・・」と言わるようにしなくては。出来るかな~

恥ずかしながら、ちょっとキザを承知でみなさんが知らない平爺の一片を吐露してしまいました()

2021.09.25() 彼岸と「墓」

善光寺平を見下ろす高台

お彼岸はいつからいつまで・・・同じことをまた聞くの?

知っているつもりでも何となくあやふやで曖昧な記憶・・・年寄りはボケかかっていても、こうしたことはよく知っているもので・・・逆説的に云えば、平爺は曖昧な記憶しかないと云うことはボケが始まっていないと考えてもいいのかな~?

Webでもう一度確認してみました。今年のお彼岸は92026日。中日は23日でした。

ウォーキングルートには昔風の墓地が何か所かあります。普段は石塔が並んでいるだけの殺風景な墓地、子供の頃は度胸だめしの舞台でした。
お盆、お彼岸の時期は花や供物でいつもの殺風景な雰囲気とは少しちがいます。夜明けのウォーキングでは人影はありませんが、昼間は墓参の人々でにぎわうでしょう。

彼岸や墓地のことを日記に書くようになったのは明日は我が身・・・無意識のうちに心境の変化を来たしているのかもしれません(笑)
墓地と言えば、3年ほど前から私たち夫婦の納骨場所をあれこれ検討してきましたが、お彼岸に合せてようやく善光寺の納骨堂に決め、正式に申し込んできました。それなりの費用はかかりますが、これも旅立ち前の大切な終活の一つ、懸案がひとつ解決できてほっとました。

2021.09.24(
) 『確乎不抜』

早朝ウォーキングのコースを変えて歩いてみました。とある神社の掲示板に確乎不抜」なることば・・・カッコフバツと読むのだと思いますがお初にお目にかかった言葉です。字面から何となく伝わってくるものがありますが、説明せよと云われても???

◆心がしっかりと定まっており、どっしりとしていてものに動じないという意味らしい。出典は『易経―乾卦』の「確乎其不レ可レ抜、潜竜也」とのことです?

◆「確たる信念」というのがこれにあたるのかな~? 言葉を変えれば「ぶれない堅固さ」ということになめのか。

PCで検索すると
  
意志や精神などがしっかりとしていて動じないさま
  
また、固く定まって変えることができないさま

平爺に欠けているところ・・・ときにはこの言葉を思い出すことにします。

2021.09.23(
)  帰ってきた可愛いペット アマガエル

平爺宅には二つのペットがいます。それは スズメアマガエル

大きさは3cmほど

◆スズメには朝と夕、庭のエサ台などにクズ米を撒きます。スズメは時間正確iに屋根や木の枝にとまって今か今かと待っています。それはそれは賑やかで可愛いい。しかし用心深さは想像以上、エサを撒いて平爺が家の中に入らないと決して降りてきません。何の武器も敏捷さも持ち合わせないださいスズメは、並外れた用心深さだけが武器、平爺を嫌っているわけではありません(笑)
田んぼの稲穂が稔ったこの時期、エサさには困らないと思います。冬が近づき寒くなってくると、例年通りに庭に集まるスズメの数も増え、いっそう賑やかになることでしょう。 

◆半年ぶりに黄緑色のアマガエルちゃんを庭の芝生で見かけました。お久しぶりだネ~・・・。暑い夏をどこで過ごしていたのか、無事で帰ってきたのが何よりうれしい。手のひらに載せて感触を確かめたあと、植栽の陰にそっと置きました。これから栄養をとって冬眠の準備に入るのでしょう。来年の春、また元気に逢いましょう。

2021.09.22() 仲秋の名月

「仲秋の名月」・・・なんとなく耳障り良い言葉。例年どおり、ウォーキングの途中でススキをとってきて飾りました。

◆夜明けの時刻、好天に恵まれ西方の山の端に沈む真ん丸お月様=中秋の名月を写真におさめようとしましたが、沈む瞬間はあって言う間・・・カメラで遠近を操作している間に山の端に沈んでしまいました。のんびりと動いているような気がしますがこうしてみると、けっこうな速さで動いていることがわかります。

中秋の名月とは、旧暦の815日の夜に見える月のことで満月とは限らないとのことです。
今年は21()の午前855分ごろに満月となり、中秋の名月と満月の日付が一致するらしいが8年ぶりとのこと・・・その時刻には夜が明けてしまい、
目にすることは無理?。

2022年、2023年も中秋の名月と満月の日付が一致するようですが、その次は7年後になるとのこと。平爺も何とか2023年まで見られる可能性がありますが、多分それが最後となるでしょう。あと2回、冥途の土産にしっかりと見ることが出来れば・・・・

2021.09.21() 3連休

   稔の秋
  お彼岸でも休むわけにはいきません

昨日、自転車を漕ぎ、国道脇の歩道を走ると、自動車が長蛇の列、気の毒なほど車列は進まない様子。そう、3連休だったのを忘れていました。
コロナ感染防止のために遠出はなるべく控えるように・・・と言われても、先祖の墓参り、久しぶりの親子兄弟などの顔合わせの貴重な機会、わかっちゃいるけど・・・ですよネ。平爺だって現役サラリーマンの頃は同じでした。帰郷する人の気持ちはよくわかります。

現役を離れてから早20余年、車の渋滞を目にすると遠い昔が思い出されます。
両親が黄泉の国に旅だってから何年になるだろうか・・・生家に顔を出す機会もさらに遠くなってしまいました。渋滞の道を、通常の23倍の時間をかけて帰省した往時が懐かしくさえあります。





2021.09.20(
) お彼岸

「秋分の日」を中日として前後3日間、合わせて7日間を「お彼岸」と言うようです。その真ん中、つまり23日が「中日」ということでいいのかな~?彼岸は正確に「しがん」と読むようです。

今日はそのお彼岸の入りになります。お盆と同様、先祖の墓に詣でる日でもありますが、生家の墓地は遠いため、運転免許を返納してからは墓参も滞りがち。
平爺と妻の母親の遺影は、和室の床の間にあります。
彼岸に合わせて、毎年庭に咲くヒガンバナを遺影の前に飾りました。
このヒガンバナ、いつのころからか、勝手に芽を出し、毎年花を咲かせてくれます。

◆「彼岸」とはサンスクリット語で「パーラミター」、音写すると「波羅蜜多(はらみった)」から来たものといわれ、悟りの世界、いわゆる「あの世」の意味とのこと。

般若心経 「摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時・・・」

9年前、四国遍路で暗記したこの276文字、布団に入り眠る前に毎晩空で唱えています。
欲にまみれ煩悩と迷いのこの世を「此岸(しがん)」というようです。此岸の者が極楽浄土ともいえる悟りの世界、彼岸へ到達するために「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の修行を行っていたのが彼岸の期間だったそうです。


2021,09.19(
) 加齢が身にしみる・・・・

3連休とは気付きませでした。明日は敬老の日。つづいて23日は秋分の日。平爺は毎日が休日。昨日は野菜用プランターの土を整理したり、芝刈りをしたりで半日作業。大汗をかき「疲れた~」と吐息。

 
 すっきりした庭は気持ちいい・・・

暦どおりにしか休めなかった現役時代の平爺は、連休は宝物のような価値。遠方の山へ登りに行きました。東京を深夜に出て東北方面とか北陸方面ときには関西へ。マイカーを飛ばして出かけたのを懐かしく思い出します。
その登山も、体力・気力の低下で年々疎遠となり、今は「連休・・・あ、そう・・・」とい素っ気ない。振り返ればあのころの平爺は心身とも充実していたな~。今は別人イヤ廃人? 歳をとるというのはそういうことなんですね。

「根性」の切れ端も残っていない。風雨、積雪、暑さ関係なく365日、一日も途切れず続いているウォーキングだけが往時の名残?登山に比べたら今はグータラ三昧の毎日ですが、それさえいつまで続くか?・・・。「つづける」がモットーの平爺、これからの残された人生をどうする・・・・?

2021.09.18(
) 「稔るほど を垂れる 稲穂かな」

稔りの秋


一歩一歩秋が進みます。昨朝未明、ウォーキングの出がけに寒暖計を見ると16℃、防寒衣が欲しいほどではありません。明けそめた薄明の道に踏み出します。山の端がわずかに明るくなり始める時刻です。
Tシャツ1枚で少し寒く感じますが、しばらく歩くと体は温まって快適感、今頃がウォーキングにはいちばんよい気候です。
これから秋は深まっていきます。冬を迎えても休日なしで今年も続けられるといいのですが・・・
◆黄金に稔った稲穂が重そうに首を垂れ、風にそよいでいます。
「稔るほど を垂れる 稲穂かな」・・・どこかの政治屋に贈りたい。

小学校から始まって政治の世界まで、何もかも競いあいの時代。「余裕」は「悪」だろうか、あるいは
「ぜいたく」だろうか・・・平爺の時代はまだまだよかった・・・と後世に伝えられるだろうか・・・。
子供も大人も
「余裕」と言うものがなくなりつつある昨今、「稔るほど 頭を垂れる 稲穂かな」の俚言も、もはや死語? 現役のサラリーマンはもとより、入試競争の子供にも心の余裕などナシ?

平爺は、「余生坂」という坂道を、出来るだけ美しいものに目をやり、腹を立てないようトボトボと歩いて行きたい。
ふと宮澤賢治の「雨にも負けず・・・・」が頭に浮かんできました。

2021,09.17(
) 老い

八十年以上も酷使?してきた頭や足や手・・・老いが進んでつまずくのは足ばかりではなくノーミソも同様です。

失敗や後悔、そしてもの忘れ・・・生まれつき脳の働きが良くない方だが、今となっては回復は無理?
ウォーキングをしながら「明日のよもやま日記のはネタはこれに・・・・・」 帰宅するころにはすっかり頭から消えている始末。紙とペンはウォーキングの必携品、その紙を忘れていたり・・・どうしようもない老いぼれになりました。
 

あと何年持つかわからいないが、あまり深刻に考えず、石ころにつまずいて転ばぬよう。そして日記のネタを考えるのに気を取られてノイローゼにならぬよう? ひと足ひと足確かめながら慌てずにゆっくり歩て行こうと思っています。

◆歳をとるということは、これまで気づかなかったものがとても新鮮に感じることでもあるようです。山の端を染める美しい朝焼け、毎朝目にしている風にそよぐススキの穂、ふんわり浮かぶ綿雲・・・日々新鮮な風情を感じます・・・・何回目にしても良いものは良い、初対面のように目をひきます。あと何年見られるかわからいな景色や花・・・同じものでもこの歳になって始めて感動を覚えるものもあります。

2021.09.16(木) 男は顏・・・?

進む秋色

「男は顔じゃない・・・」 この言葉を知ったのは確か社会人になりたてのころ。実は、平青年は自分の「顏」に大きいコンプレックスを抱いていました。これは本当ですヨ。嫁さんになってくれる女性なんかいない・・・恥ずかしいがそう思っていた時期もありました。
それでも神のお導きか、出会いがあって女性との初の交際を経験、28歳で結婚、子供を二人授かり、そして危ない局面も何とか乗り切って今にいたっています。

「およそ女性の気を惹くような顔」にはほど遠いという自意識。ウソも隠しもなく本当のことです。そんな劣等感を抱きながらも、何とか二人そろって無事に老境を迎えています。
どうしてこのようなことを書く気になったのか? Webで偶然「男は顔じゃない」というフレーズを目にしたからです。

理屈は抜きにして、確かに初対面の印象は大切。初対面で真っ先に目に入るのは相手の顏・就中眼。その第一印象は確かに大事だと思いますが、実は大事なのは「顔じゃないよ心だよ」・・・社会人となって最初に配属された職場の先輩に、自分の顏についてのコンプレックスを吐露したとき、こんなことばをかけてくれたのを思い出します。それが「男は顔じゃない心だ」・・・その先輩は30才そこそこで病に遭って天国へ旅立ってしまいました。その先輩のことをふと思い出します。もし天国で再会できたら「嫁になってくれた女性がいたよ・・・子供も二人授かったよ・・・定年まで勤めたよ・・・
」と報告しなくては。

2021.09.15(
) 空しい三文芝居?

切り株に寄生した毒キノコ?

9月もあっという間に半分が過ぎました。八十路も中半にさしかかると、ことさらに日にちの過ぎるのを早く感じます。

昨朝4時30分、ウォーキングの出がけに寒暖計をのぞくと16℃。この秋一番の涼しさ・・・寒いと云いたいほどの朝。ウォーキング用のシャツも長袖に変えました。寒暖を繰り返しながら秋は急ぎ足で進んでいきます。庭の芝刈りをしたり、伸びすぎた庭木の枝を剪定したり、冬への準備も欠かせません。

剪定など手入れが面倒な庭木ですが、その作業を出来る環境を喜ぶべきかもしれません。そこそこの庭を持つ田舎暮らしの特権と思うことにしています。冬の来るのは早い、寒くなる前に剪定を済ませなくては・・・。
隣家は空き家、手入れもされず放置された庭はジャングルもどき。連絡手段もなく迷惑をガマンしています。
世の中、似たようなケースがたさくんあるかもしれません。

◆国民の手の届かないところで代議士先生たちは大騒ぎ。次期総裁選び劇・・・そんなこと知ったこっちゃいない。遠い星の国の三文芝居」と眺めています。


2021.09.14(
火) 初秋の山散歩・・・・

ヤマリンドウ

2年ぶりの山歩き・・・というより山散歩。
山友Мさんと長野・群馬県境の山を逍遥するつもりで出かけました。
当初予定のプランは自動車通行止めなどがあって急遽目的変更。結局盛りを迎えたミヤマリンドウの花や、北信濃の山々の連峰、遠望する北・南アルプスの連嶺などの展望を楽しんだりしただけ。
結局歩いた時間は1時間に満たず、消化不良の山歩きになってしまいました。
花季の盛りを迎えた今が盛りのミヤマリンドウの花が、ガッカリした気持ちを救ってくれたのが何よりでした。

登りの時間は30分そこそこで派風岳(約2000m)山頂。・・・・登山から遠ざかり、脚も弱くなってきた平爺にはちょうど良かったかな?
いつもと変わらぬ気さくなМさんと、旧交が温められたのが何よりの収穫の山歩きでした。
12月には忘年登山を約して短い一日を終わりました。





2021.09.13(
) 今日のよもやま日記はお休みします

山友Мさんからのお誘いを受け、今日は長野・群馬県境の山へ軽いハイキング。 2年ぶりの山歩きです。ウォーキングを一日も欠かさないとは云え、ちゃんと歩けるといいのですが・・・・。2回も登ったことのある山ですが、何となく緊張?

転んでケガをしないよう気をつけて登ってきます

2021.09.12(
) 老化が止まらない


秋を実感したかと思うと夏に逆戻り、季節も進もうか戻ろうか・・・迷っているようです。
暑くもなし寒くもなし、ウォーキングには最適、ここで季節がとまってくれたら・・・(笑)

  2:15 2:10 1:40 2:10 1:55 1;10 2:10 1:30 2:00 1:30
   1:30 1:20 1:40 1:35 1:20 1:45 1:25 1:30 1;15 1:40

数日前のカマキりとは別の固体、
気が荒く?羽を広げ鎌を振り上げ
平爺を威嚇 すごいヤツです

この数字は8月下旬から9月上旬、20日間のウォーキング時間です。休日はなし。最低2時間をノルマに続けてきましたが、加齢にともなって体力はもとより、気力も低下。自ら課した2時間のノルマが達成できない日も目立つようになりました。
風雨風雪は関係なし
、そして「休み無し」を何とか続けたいのでが・・・・ノルマ達成が難しくなってきました。体力より「気力」の問題です。
これから迎える冬の寒さ、あと半年で85才、気力も体力も曲がり角。イヤでもそれを実感させられているこのごろです。

追記・・・購入してから1年半になる自転車。用事がなくても毎日30分以上漕ぐことにしています。運動神経、バランス訓練には相応の効果があるような気がします。
気力をたて直してもう少しウォーキングをガンばってみます。





2021.09.11(
) 為替=かわせ

蒸気機関車?

ウォーキングの途中、 あれっ?蒸気機関車・・・あんなとろこに線路はなかったはず・・・畑で何かを燃やしている煙でした。

◆テレビや新聞には「為替」または「為替レート」と言う言葉がよく出てきます。読み方は「カワセ」・どうして「カワセ」と読むのか不思議。テレビや新聞などにも頻繁に出てくるので何となく読めていますが、普通なら「為替」を「かわせ」と読むのは困難、読めなくてあたり前。「為替」を広辞苑で牽いてみると読むのに苦労するほどの記述。冒頭だけ転記すると

◆①取りかわすこと・ひきかえ・交換 ②遠隔の地にある者が、貸借の決済に際して正金を送付する労費・不便・危険などを免れるため手形・小切手・証書によって送金を処理する方法。・・・解説はまだ延々とつづきます。普通の人は読んでも多分チンブンカンプン?

◆平爺が長年勤務したのは金融機関、「為替」と言う語はあたり前の言葉。円を外貨に交換するとか、海外へ送金するとか、商品代金決済に為替手形を渡すとか・・・。また、購入代金を相手の取引銀行に振込むのも為替。海外旅行に際して外貨に両替するのも為替、円貨と米ドルの価値を比べるのは為替相場。

商品などの購入・仕入れ代金決済は・・・・現金、銀行口座振込、約束手形・為替手形・・・ETC. 為替手形のことは説明が長くなるので省略します。一般の国民が為替らしきものに接するのは海外旅行の際の外貨両替。そのときの相場で1ドルが100円のときもあれば110円のときも。海外旅行で用意する小遣いくらいではたいした差にならないと思いますが・・・知っていて損はないと思います。新聞には主要各国の為替レートが毎日載っています。

2021.09.10(
) つづける


「つづける」というのは平爺の座右の銘。登山もそうでしたた、マラソンもそうでした、水彩画もそうでした・・・。

   我が家のアイドルは
        今も元気に通ってきます

夜明けがドンドン遅くなlってきました。気温も秋らしくなりました。日課のウォーキングスタートも季節に合わせて1時間ほど遅くなり5時ころ。それでもまだ夜の続きで、外はまっ暗。
自分でも感心しますが、365一日たりとも休むことのないウォーキング。まさにバカの一つ覚え? 歩いて来ないと一日が始まりません。人に迷惑をかけるわけではないし、勝手にやらせてもらっています。

加齢が進み、気になるのは寒さ。加えて積雪や路面凍結の転倒=大ケガ・・・この冬から明るくなってからのスタートにしようかと思案しています。ただし何十年もつづいてきた習慣、その体内時計が簡単に変えられかどうか?
この冬もカミさんからせめて明るくなってからにしてよのセリフを何回聞かされることか?

平爺にとって何よりの健康法、出来なくなったら先はもうない・・・さぞ淋しいだろうな~ 
ただいま5、どんりと雲った空、星は見えません。これから2時間ほど歩いてきます。

2021.09.09(
) 国民そっちのけの権力闘争?

菅総理の投げ出し表明で政界はテンヤワンヤ。テレビ・新聞もこの話題ばかり。
「どこか遠いところてコップの水をかきまわしているような・・・」というのが平爺の率直な感想。

夜明け・・・2021.09.07

◆国家国民のために腐った政治を変えようではないか・・・そんな様子は微塵も伝わってこない。まさに単なる権力闘争。菅総理が身を引くというのなら、解散・総選挙で国民の意を確かめればいいだけの話。自民党の中で、国民そっちのけ、自民党と言うスリバチの中だけで蜂の巣をつついているだけ?

◆政治の主役は国民。その政治を権力闘争の具としてしか使ってこなかった政治屋。日本の政治レベルはこれほど次元が低いのか・・・一国民としてそう想わざるをえません。

総選挙があります。我々も政治と言うものを、もう一度立ち止まって見つめなおすことも必要かと思います。政治は変わらなくては
・・・この騒動を目にしていると、つくづくそう思います。
「国民の政治意識以上の政治は育たない」誰の言葉か知りませんが、この言葉がまた頭に浮かびます。


敢えて云わせてもらえば、政権交代のない政治なんて「民主主義国家」の正常な姿ではない。

2021.09.08(
) 秋の七草

こかれらの季節、野道を歩くと花も入れ替わって秋の花に変わっていきます。これもウォーキングの楽しみの一つ。寒さから解放される春の花とはひと味ちがった風情です。名も知らない花ばかりですが、ただひたすら足を運ぶだけのウォーキング、花は癒しを与えてくれます。

 ススキ(=オバナ)
(穂がでたばかり?)

◆春の七草はゴロがよくて覚えやすいのですが、秋の七草は平爺のノ―ミソではちょっと覚えにくい。

春―セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベら・ホトケノザ・スズナ・スズシロ これぞ春の七草。
(野菜の少ない冬場、野菜代わりになる食用植物―春の七草はお粥に。秋の七草は風情、目で楽しむ?)

◆秋の七草の由来は諸説あるようです。万葉集に出てくる歌が元になっているという説も。山上憶良が万葉集で詠んだ「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花」が由来らしい。

秋の七草の覚え方・・・
①「はすきーなおふくろ」または ②「おすきなふくは」

 ① ハギ ススキ キキョウ ナデシコ オオミナエシ フフジバカマ ク=クズ
 ② オミナエシ ススキ キキョウ ナデシコ フジバカマ クズ ハギ
秋の七草を諳んじてみましたが六つしか思い出せませんでした。

2021.09.07(
) 秋


月が変わって1週間、秋の気配が少しづつ濃くなっていきます
。夜明けが遅くなり、気温もだいぶ下がってきました。ウォーキングのスタートは少し遅くして4時30分前後。気温は17度~18度、シャキッとするような肌寒さを感じます。大きく手を振り、歩幅も大き目に。目標は1時間30分~2時間。夏とちがって汗ば出ません。
目覚し時計に頼らなくても、時間になると自然に目が覚め、寝すごすことはまずありません。体内時計が働くのか? いつのまにかそういう体になってしまったようです?

神社境内  倒れかけ、地を這うような巨木・ゴツゴツした樹皮は絵に出てくる恐竜の肌そのもの?

◆これから夜明けがさらに遅くなり、寒さも加わります。日の出まで待てば少し暖かくなるのに、目が覚めたらとにかくウォーキングに出発。夏も冬も変わりません。積雪や路面凍結のときは転倒=大ケガが怖いので少し明るくなるまで待つこともあります。
融通のきかない平爺です(笑)

ほかのことにはものぐさなの、なぜかウォーキングだけは決まった時刻に行動を起こさないと気が済まない・・・変な性分?この冬もカミさんから「せめて明るくなってからにして・・・」のセリフを何回も聞くことになりそうです。

平爺にとって「この朝のセレモニーが元気な何よりの証」それがなくなったら先はもう短い・・・?」
ちなみにに昨朝のウォーキングは「am4:15~6:20」でした。



2021.09.06(
) 
 蟷螂・螳螂・鎌切

読めますか・・・もちろん平爺には読めませんでしたが カマキリです

◆縁側の網戸に張りつくようにとまっている昆虫。身動きもせずにじっとしている様子は標本のよう。独特のその形態はひと目でカマキリとわかります。明るいグリーンの固体で、草むらにいれば同色で気付きません。エサになる昆虫が迷い込んでくるのを待っていたのかもしれません。

◆子供の頃からカマキリは遊び道具、カミついたりするがそれほど痛くはありません。エサの昆虫をとらえる鋸の歯のような前足はけっこう力があります。触るのは何十年ぶリだろうか、幼き日の感触がよみがえりました。

人差し指と親指で、軽く首をつまんで網戸から離そうとすると、かなりの力で抵抗?踏ん張ります。その感触が子供の頃を懐かしく思い出させてくれました。カミさんに「持ってみるか? かわいいゾ・・・」と差し出すと、気絶しそうな声で「ヤメテーっ」

カマキリの感触を久々に味わってから庭へ放してあげました。
カエルが出たり、コウロギの合唱があったり・・・でも山の中のポツンと一軒家ではありませんよ。乗降客もそこそこに多い私鉄駅まで徒歩3分ほどの住宅地です。


2021.09.05(
) 自家製野菜プランターの片付け

冬支度というにはお大げさですが、キュウリ、ゴーヤの棚を片付けました。老夫婦二人では食べきれないほどの収穫。手をかけた自家野菜の味はスーパーの品とは段違いのちがい? 我が子がどこの子より可愛いのと同じ心理なんでしょうね() それもおしまい、ちょっぴり寂しい。また来年、家庭菜園を楽しむことにします。

ゴーヤ棚の隙間から眺めていた外の風景もよく見えるようになり、飛んでくるスズメの可愛い様子も丸見え・・・エサやりは早朝ウォーキングから帰宅したときと、夕方は陽が沈む1時間ほど前。スズメはそれを承知していて、その時刻になると集まってきて、あっという間に平らげてしまいます。

◆稲作農家にとってスズメは大敵。実りの秋の今ごろは、襲来?するスズメを黙って見過ごすわけにはいかない害鳥。ネットで覆ったり、でかい威嚇音を鳴らしたり、竹竿の先に鷹を模したタコ()を泳がせて威嚇応戦。
楽しそうにエサを与えている様子はいかにも爺さん・・・考えないことにします()

◆庭に飛んでくるスズメに罪はない。夕刻に集まってくるスズメちゃんは我が家のペットです。

2021.09.04(
) 富弘カレンダー ・・・「秋」

オリパラ番組が連日放送されています。不自由な体でどうしてあんなことが出来るのだろう・・・?  ただただ驚くばかり。その気になれば人はまさかと思うことをやってのけるのかもしれない。でも平爺には及びもつかない別世界・・・遠くから手品でも見るように見入るばかりです。

◆「星野富弘」さんが頭に浮かびます。教師として体育指導中の大ケガで生涯寝たきりの体になってしまいました。まだ若き独身のときです。失望の中で絵画と詩に光明を見つけ立ち上がったすごい方。
毎年発行される富弘カレンダーを、平爺は長年購入させていただいています。口に筆を咥えて描いた絵と飾り気のない短詩です。

今月(910)のカレンダーは紅葉の絵に次のような詩が添えられています。
 
   

   淋しい花の 咲いた木は            

     秋の葉っぱの 美しい木になった

     私もどこかあの木に にてる

     さあ真赤な葉になろう

    私の秋がきたんだ
 

平爺の人口肛門なんか障害のうちには入らない。甘ったれてはいかん。登山やマラソンくらいで威張っていたら笑われる・・・



2021.09.03() 家庭菜園 シーズン仕舞い

一日も欠かさない早朝ウォーキング・・夜明けが遅くなり4半ころのスタート。それでもまだ真っ暗。

昨朝、玄関を出ると霧のようなこまかい雨、冷やっとするような気温。薄手のブーレーカーをまとい、玄関わきの寒暖計を見ると20度すれすれ。一足飛びに秋がやってきました。
つい23日前までは暑さをうらみながらのウォーキングだったのに・・・。季節は一足飛びに進んできました。

 最後の収穫

◆秋色進む中、庭の片すみの家庭菜園は収穫する野菜もほぼ終了。
ナス・ピーマン・ミニトマトは毎朝とれたてを食べることができましたが、これから少しさびしくなります。
苗が悪かったのかキュウリとゴーヤが意外に不作だったのが残念。

野菜が終わると来年に備えて用土の天日干しをしなくてはなりません。殺菌のためです。これも楽しい仕事のうち?
庭の片隅には、勝手に生えてくるミョウガの花、気候のせいか例年より出来が悪かった・・・。
小さな菜園ですが、手入れをすればちゃんと応えてくれます。自家製野菜が食卓を飾ってくれるのも楽しい者、ありがとう・・・・
この日記を綴っていると、庭からカエルの啼き声かきこえてきました。こんな暮らしもいいものです。




2021.09.02(
) 都道府県最高峰・・・(2)

前月29日の日記で「お住まいの都道府県で一番高い山をご存知ですか」という宿題?をお出ししましたが、いかがでしたでしょうか・・・ 下記の数字は「標高m」です。ご自分の県に「そんな山があるの?」なんて云わないでくださいネ(笑)

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   北海道  大雪旭岳 2291  青森岩木山 1625   岩手 岩手山  2038

   宮城     屏風岳  1825   秋田 駒ケ岳 1637   山形 鳥海山  2236
   福島     ヶ岳  2356  茨城  八溝山 1022   栃木 白根山  2578
   東京     雲取山  2017  神奈川 蛭ヶ岳 1673   新潟 小蓮華山 2766
   富山     立山   3015  石川 白山  2702  福井 三ノ峰  2095
   山梨     富士山  3776  長野  奥穂高 3190   岐阜 奥穂高  3190
   静岡     富士山  3776  愛知  茶臼山 1415   三重 大台ヶ原 1695
   滋賀     伊吹山  1377  京都 皆子山  972   奈良 八経ヶ岳 1915
   兵庫     氷ノ山  1510  和歌山 竜神岳 1382   鳥取 大山   1729
   島根     恐羅漢山 1346  岡山 後山  1345  広島 恐羅漢山 1346
   山口     寂地山  1337  徳島 剣山  1955  香川 竜王山  1060
   愛媛     石鎚山  1982  高知  三嶺  1893  福岡 釈迦岳  1230
   佐賀     経ヶ岳  1076  長崎  雲仙岳 1486  熊本 国見岳  1739
   大分     九重山  1791  宮崎  祖母山 1756  鹿児島―屋久島宮之浦岳1936
   沖縄  石垣島於茂登岳526
m

八溝山は「やみぞさん」  恐羅漢山「おそらかんさんざん」 ヶ岳は「ひうちがたけ」
寂地山は「じゃくちさん」 石鎚山
は 「いしづちさん」  と読みます


2021.09.01(
) 秋の入口

長閑な早暁・・・たき火

今年も3分の一が過ぎて去り残すは4ケ月・・・・。あらためて時の流れを実感します。
ことさらに厳しかった残暑も区切りがついて、これからは日一日と本番の秋に向かっていきます・・・。

春夏秋冬のうちで、過ぎ去るのがいちばん早く感じるのは秋かもしれません。人間にたとえれば人生のラストシ-ン、たそがれの年代、つまり平爺の歳ころでしょうか?

ふと思うことがあります。もし人生のしめくくりのときが事前にわかっていたら・・・何を考え何をなすべきか・・・たぶん答えはわからないでしょうネ(笑) 平爺もくだらないことを 想う歳になりました。
敢えて言えば、家族・縁者はもちろん、人様に迷惑をかけないように静かにいかなくては・・・その程度しか思い浮かびません。
明日も明後日も、そのつぎの日も、目が覚めるとPCを起動してよもやま日記をアップロードして、4時間過ぎにカミさんを起こさないように静かに家を出て2時間のウォーキングに。このパターンがいつまで続くでしょうか。

来る日も来る日も判で押したように同じ生活がつづきます。とりわけ介護施設へのポラを中断している今は、刺激もなく、さまに判で押したような変わり映えしない毎日の繰り返しです。

◆感激・感動いうものから遠ざかって久しい昨今、喜怒哀楽に左右されることもなく、平穏に一日が過ぎればそれで良し。人生の秋も深まります。

百人一首
  
寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば
          
 いずこも同じ 秋の夕暮れ

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