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2022 年 1月
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ついこのあいだ新しい年を迎えたと思ったら、あっという間に1月も終わりです。加齢とともにますます月日の早さは加速? お~い・・・少しスピードをゆるめてくれよ~(笑) 寒中とは言え身を切る寒さと雪には閉口・・・昔はもう少し寒さに強かったのにな~? ◆ヤケに冷えるからウォーキングは中止・・・という勇気があればいいのですが根が臆病者の平爺は「エイッ・・行くか・・・」と気合を入れて寒空の下へ。気合を入れないと一歩が踏み出せません。歳をとりました。 凍った道のウォーキングは、85才のジジイがやることじゃない・・・そんな声も聞こえてきそう。たかがウォーキング、始めるよりやめる勇気の方が難しい。そんな心境のこのごろです。今月も休まず続けることができました。
朝ごはんを食べ、早朝ウォーキングへ。 何となく昼飯を食べ、1時間近く昼寝をして、晩酌つきの夕食を何となくとり、何となくテレビをみたりしてから布団に入って眠気がくるまで何となく寝ながら読書。飽きもせず同じパターンの繰りかえし。よくも飽きないもの、我ながら感心します(笑) ◆認知症介護施設へのボランティアは、続けるか身を引くか?年令も考え、あれこれ悩んできましたが決心がつきまた。どのように伝えたらよいか、あれこれと苦慮中です、素直に気力低下を理解してもらうのがいちばんというのが結論。 エンピツを舐めなめ、理解してもらえるように辞退届を考えているところです。 ♪山の淋しい湖に 一人来たのも 悲しい心 平爺は今でもよく覚えています。南の戦地、泥沼を這うような惨状に追いやられた日本兵は、美人歌手を夢に描き、この歌を歌ってしばしの安寧を得たのかもしれません。 追い詰められた兵士が歌った替え歌は、 ♪昨日生まれた豚の子が 蜂に刺されて名誉の戦死
♪豚の遺骨はいつ帰る 四月八日の朝帰る ♪豚の母さん 悲しかろ ♪昨日生れたタコの子が タマに当たって名誉の戦死 ♪タコの遺骨はいつ帰る 骨がないから帰れない ♪タコの母さん 悲しかろ 高峰三枝子「湖畔の宿」は榛名湖畔がモデルとかで今も覚えています。 暦は「寒中」の真っ只中、早朝ウォーキングの寒さも身にしみます。頭をよぎるのは一茶の句
凍てつく寒さに首をすくめ、スッテンコロりを用心しながら一歩一歩足を運ぶウォーキングですが、考えようによってはそれなりの風流? ◆介護施設のボランティアで毎週4時間余の歩行を稼いでいたのを、早朝ウォーキングだけで埋めるのは簡単ではありません。 時節がら、雪かきをしたりテレビでスキー場の様子などを目にすると、ふと思い出します。
我流とは言え、数を重ねればそこそこには滑れるようにるもの・・・転倒で手首を骨折、その左手クスリ指はいまだに軽い後遺症が残ったままですが、子供たちはそれなりに上達、平爺とは別次元でスキーを楽しんでいます。 息子たちは親父とは別次元のスキーを謳歌するようになり、上達していきました。スキー道具を処分してから10数年になるでしょうか。雪掻きをしながら、ふと当時を思い出しました。 新型コロナ・オミクロン株の猛威は収まりそうもない? テレビも新聞もその猛威報道を伝えない日がありません。大都会とは無関係な地方都市も例外ではなく、感染者数は日々記録更新 うかつに買い物にも出られないような雰囲気。
関心をもって報道を見ていますが、当地もラチ外ではないようです。2月から復帰を考えいた認知症介護施設へのボラもどうしたらよいか? 月が変われば満85才。できたら2月の誕生日まではと願っていましたがそれも怪しい。10 ◆信頼を寄せて受け入れてくれた認知症のお年寄りたち、何かと気を使ってくださった施設の職員の方々・・・。 10人の仲間でスタートしたボラ。一年を経ずして平爺一人になってしまいました。平爺流の道を拓き、精いっぱい取り組み、体験をさせていただけたことで悔いのない10余年でした。 昨日のウォーキング1時間5分+1時間25分 雪片づけ30分 2022.01.25(火) 郷土力士の優勝 信州木曽出身の力士が優勝・・ ここ信濃は相撲と縁遠い土地がらと思っていました。
◆その昔、相撲史に残る信州出身の力士に「雷電」がいたという話を聞いたことがあります。それ以外に信州出身で名を残した力士は知りません。 郷土の力士が優勝して嬉しくないはずはありません。信州にも相撲取りがいるんだぞ~(笑) 早暁、-10℃と言う日が2日、3日とつづくとうんざり。加えて85才を目前にした老体には、これまでとは感じ方も大違い。 何かにつけて「歳・・年齢・・・若くはないんだから・・・」
気力で補えるのもそろそろ限界か・・・人っ子一人あわない夜明けの道、頬を射すような冷気、遊びごろではもちません。昼間のウォーキングに変える時期に来ているかな~?
◆零下6~7℃は慣れていても、-10℃となると尻込みしてしまいます。痛いような寒さです。 どこかの路傍で冷たくなっていた・・・なんていうのはみっともない。何ごとも見栄を張らず自然体、分相応に取り組むように方向転換しなくてはならない歳になりました。 ◆3~4年前までは雨が降ろうが雪が積もろうが、凍った道をあたり前のようジョギングしていたのがウソのようです。間もなく85才です。
ここ信州を余生の地と決め、引っ越してきてから約20年。我が人生でいちばん長く住んだのがこの長野市。65才のそのころは雪かきも苦にならずスノーバターという町内有志による雪かき隊に加入、よそさまの居宅の前まで雪掻きに精出しました。年を経て、今は自宅前も心ある方に?お願いしたい気分です。向こう三軒両隣が年寄世帯ばかり、それぞれが自宅の雪かきだけでも精一杯というのが現実です。 「♪犬は喜び庭かけ回り・・・」という気分にほど遠く「はーるよこい は~やくこい・・・」 穢れのない雪景色を眺めながら、本心はひたすら春を待ちます。 この冬をことさら寒く感じるのは・・・加えて降雪量を多く感じるのは平爺の老化が進んだ何よりの証でしょう。
長年の習慣で5時前には目が覚めます。まず外の様子を・・・また雪か・・・。ここでひるんでいては信濃の冬は閉じこもっているしかありません。いつもと変わらず身支度を整え、凍てつくような外へ・・・・・それにしても寒~い。気合を入れて「なにくそ」 一歩を踏み出します。 湿った路面に積もった雪は、ツルツルのアイススケートリング同然。昨朝も足元には細心の注意。雪の下が凍っていると、いつもと同じ歩幅で歩くとたちまち足を取られてスッテンコロリ・・・時間はかかっても一歩一歩慎重に足を運びますが、それにも限界があります。 神経が擦り切れそうな気分で1時間~1時間半ほど歩いてくると、無雪期の倍ほど疲れます。せめて昼間の時間帯にすれば路面の条件がよくなるのはわかっていますが、そのような融通性に欠けるのが平爺の悪いところであり、良いところでもあります(笑) 厳しいウォーキングもあと2ケ月、ガンバラなくちゃ~。
◆1986年1月、用便後にときどき出血が目につき、最初は「痔」だろうと軽く見ていたのが、実は直腸がんとわかって天地がひっくり返るような衝撃。 身体障害を乗り越えてフルマラソンを何回も完走し、登山にのめりこみ、今は欲ぱって生きてきたた自分を褒めています(笑) 正直なところ、ガンを乗り越えてここまで生き延びられるとは思っていませんでした・・・これはウソ偽りのない心境です。 寒中らしい寒さがつづきます。玄関を開けて寒暖計を見るとマイナス8℃、身震いしそうな寒さ。 早朝ウォーキングがいちばんつらく感じる時期。でもさぼるわけにはいかない。 反射神経が鈍くなるばかりの老体、転倒したらどのような大ケガになるかわかりません。それでなくても「年寄りの冷や水」という目で見られているわが身。慎重の上にも慎重をこころがけています。昨朝も転倒直前、手をついて支えることが出来て大事なくすみました。 ふと動揺が頭に浮かんで思わず苦笑 ♪春よ来い 早く来い
寒中とは言え、連日の寒さと雪には閉口します。今朝の寒暖計は-6℃ たかがウォーキング、始めるよりやめる勇気の方がずっと難しい。そんな心境です。
年が変わり、1月もあっという間に半分が過ぎました。ことさらに寒さを感じる冬。 今年はなんとか穏やかな年に・・・コロナの次に控えているのは・・・どこまで行ってもゴールはない? 人は終わりの見えない戦争をいつまでも続けなくてはならない宿命なのか? ◆休業中?の介護施設のボラも復帰できないまま日にちが過ぎていきます。休まず11年続けてきたボラ、きちんとしたケジメをつけずに辞めいしまうのは慙愧に耐えません。では、どのようにしたらよいのか・・・迷っています。
ムダ?・・・自宅前の雪を塀際へかき寄せるのは住民として当然の作業。そのままにしていると、自動車のわだちで圧縮されて固く凍ってしまい、雪は固く凍っなかなか融けてくれません。 お陽さまが出ると塀際に寄せた雪を今度はへ車道へ広げて融雪をはかりります。ひと冬でつまらない作業を何回くりかえすことか・・・。 雪が積もっても寒くても、ウォーキングだけは休みません。平爺が何とか生きている唯一の証。気力だけではどうにもならない日が遠からず来ることは承知しています・・・
当地では「雪かき」とい言いますが「雪投げ」という所もあるようです。「雪投げ」の方が勇ましくて感じが伝わりますネ。昨朝は寝起きから1時間余りの雪かきで軽くひと汗。。 ◆早暁の雪かきが出来るうちはまだいい・・・加齢により出来なくになったらカミさんの手でできるだろうか、心配です。。
テレビのニュースが雪情報を流して。 ニュースになるような積雪ではありませんが、ここ長野市もこの冬いちばんの積雪・・・「♪犬は喜び 庭かけまわる・・・」と喜んではいられません。
寒中と云っても通勤があるわけでもなく、家の中は朝から晩までストーブはつきっぱなし。考えてみればずいぶん贅沢な暮らしをしているものだと思います。一つの炭コタツに家族5人も6人もがしがみついて暖をとっていたあのころをふと思い出します。そのコタツ用の炭は、山で木を切り自家製。 2022.01.12(月) 寒中のウォーキング
寝起き、まず体温・脈拍・血圧・脈飛びを点検してからウォーキングに出る平爺。 ◆早暁のウォーキングが30分ほどしかできなかった日。夕暮れ時に老夫婦肩を並べて1時間ばかりウォーキング。けっこうシッカリと歩いていました。平爺ほどではないが、毎日歩いているだけに、それなりの速さでさまになっています(笑) 平爺も間もなく満85才、妻は81才、追い越される日も近いと思います。 日課のウォーキングから帰宅。一日のタイムスケジュールが平爺とは2~3時間ほどずれているカミさんはまだ目覚めていません。一人で朝ごはんを食べ、昼食のあとは30分~1時間の昼寝。晩酌つきの夕食がすむと適当にテレビを見たりしてから布団に入り、眠気がくるまで寝ながら読書・・・・。
飽きもせず変わり映えしない同じパーターンの繰り返し・・・自分でも「よく飽きないな~」と感心しています。退屈で困ったという感覚の無いのが自分でも不思議? ◆氷点下10℃の寒い中、路面の凍結状況もよくわからない暗い道を、いい歳をしたジジイが背中を丸め、小さなマメ電球を首からぶら下げ、トボトボ歩いている姿。自分では見えませんが、人様の目にはどのように映っているでしょう? 「可哀想なおじいさん・・・さぞや寒かろうに・・・」
「門松・しめ縄・古いお札・・・」などの正月飾りを処分するのがどんど焼き。子供の頃、何と呼んだいたか思い出せませんが、田んぼに集めて焼いたような気がします。呼び方もどんど焼きのほか、どんと焼き、さいと焼き、鬼火焼き・・・などいろいろらしい。 当地長野市は、「火」という危険物に関する行事、子供会の保護者、消防署員などが管理サボートして実施しているようです。どんど焼きで餅を焼いているような子供は見かけませんでした。時代は変わりました。 役目を果たした松飾りや古いお札は慣例にしたがって片付けることができ、正月気分もこれでおしまい、いつもの日常に戻ります。 ◆新年早々からの懸案は、認知症介護施設ボラの対応。手を引くかか継続か・・・? オミクロンの不気味な動き、自分自身の体力・気力・・・。微妙な分岐点で想いは揺れ動いています。
どっちでもいいことですが「初春」の意味と読み方? 気になって調べてみました。 ちなみに「立春」は新春(正月)から啓蟄の前日までを言うとか? 年賀状に使う場合ははほとんどが「新春」で、「初春」は少ないようなう気がします。 初春・・・「はつはる」「しょしゅん」のどちらで読むかによって、意味が少し異なるので注意が必要だそうですが、デリケートなところは平爺には難し過ぎる。細かいことは気にしない気にしない。それが平爺流(笑) 昨日、門松を外して正月も終わりました。
正月と言っても訪れてくれる人もなく、出向く相手もいない。 この冬も、何回か雪かきをしましたが、大きな雪だるまを作るほどの雪ではなく「ネコはコタツで丸くなる」を地て行くような静かな毎日。我が家で賑やかなのはエサを目あてに飛んでくるスズメたち。 ◆昨朝の雪かきは、1時間半ほどのウォーキングのあと。平爺一人で20分弱。たかが雪かきされど雪かき・・・それでもやることがあることに感謝しなくては? 今のうちに雪かきを楽しんでおきます?
一人の客も、来宅もなく、何となく今年も1週間が過ぎてしまいました。退屈で仕方ない・・・ということもなく、いつもと変わらぬ速さで一日一日が過ぎ去っていくのが不思議?
早朝ウォーキングで、平爺と同じくらいの歳に見えるお爺さんと、ときどきお会いします。これまでもときとぎお会いして「おようございます」の声かけはしてきましたが、4日ほどぜ前に初めて声をかけしみました。 たったそれだけですが、何となく同好の士という親近感がわきます。 雪を踏み、凍える寒さの中を歩いた達成感・満足感は春や秋のウォーキングとは違った満足感が味わえます。 近頃あまり聞きませんが「寒中」という言葉があります。小寒のはじめから大寒までを「寒中」という由。今年の小寒は1月5日。大寒は1月20日。この期間が「寒中」ということでいいのでしょうか?
◆子供のころ、その時期に学校では「寒中休み」というのがありました。1週間ほどだったような気がします。隙間風の吹き込むうな木造校舎、広い教室に薪を燃料とするだるまストーブが一つだけ。着ている者は粗末な服。寒さに震えながら授業を受けたのを今でも忘れません。 ◆寒さの厳しい早朝ウォーキング、ふと小さかったあのころが頭に浮かびます。おかげで辛抱強い?平爺ができあがりました。 ちなみに1月5日の早朝ウォーキンは、気温-6℃。この程度ならそれほど寒いとは感じませんでした。
昨朝、目が覚めてガラス戸越しに外を見ると、霏々として雪がまっている。かなり積もりそうな降り方・・・ウォーキングなんかやっているときじゃない。まずは雪かき。さらに3時間ほどしてまた雪をかく・・・一日中降り続きそうな気配。風流な雪景色とはほど遠い厳しい現実です。 3ケ日が過ぎれば、朝酒もなくいつもの繰り返しです。 ◆正月も1時間30分前後の早朝ウォーキングだけは手抜きしません。
シンシンと凍(し)みる寒い中、定刻?の5時半ころには、寒さ対策の身支度を整え、路面凍結した道をスタート。気をつけているのに、ちょっとした下り道で、雪の下に隠れていた凍結に足をとられて肩から転倒・・・イテッ~。肩を強打・・・骨折? 強打はしたものの受け身がよかったのか何ごともなくすみまとしたが、イヤーびっくりしました。(骨折してもおかしくないほどの強打でした。新年から「注意せよ」との神のおぼしめしと受け止めました。
昨日の早朝ウォーキング 1時間5分
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明日・明後日(2日・3日)の日記はお休みさせていただきます どうか良いお正月をお過ごしください |
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