癌、人工肛門のコーナー
(61) 私を変えた一言

「命には限りがある」ということ
私がこの時期、もし「登山」と言う生きがいと出会うチャンスを逸していたら、“自然治癒力を高めるための生きがい”をどこに求め、なにを心の支えとしてガン=死の幻影と対決して行くことができたのか心もとない。
きっと腑抜けに成り下がったまま、細々と命をつないでいたのかもしれない。
周りの人たちの温かい庇護の手の中にどっぷりと浸かり、意味のない日々を送っていたとしたら、もはや忌まわしい敵と闘う意欲も消え失せて、肉体の朽ちるに任せていたにちがいない。

どうやら私の肉体は燃焼する対象を探しあて、激しく燃える時を迎えようとしていた。
もっともっと多くのことが、もっと難しいことが出来そうな気がしていた。

日本百名山との出会い
穂高岳登山から帰った直後、「成し遂げた」という心満ちた日々を送っていたとき、新聞の小さな記事に目が止まった。 浩宮殿下(当時)が日本百名山を登っていると言う記事だった。
山へ関心が向いていた時期だったこともあり、始めて目にしたその「日本百名山」というものを知りたくなった。昼休みに職場近くの日比谷図書館へ出かけると、すぐに深田久弥著「日本百名山」を探し出すことができた。
目次の山名を追って行くと、既に私が登ったことのある山が10座ほどあった。 始めて目にする山名が多かったが、だれでも知っている著名な山がいくつもあった。
殿下はこれをすべて登るのだろうか。今までに全部登った人がいるのだろうか。そんな疑問が湧くほど、北海道から九州屋久島まで全国に散らばっていた。
これ以後日本百名山のことが折りに触れ気になりだした。

衝撃の一言
日本百名山を知ってから1ヵ月ほどが過ぎた。
知人の誘いで、少し名の知れたA氏の誕生日の集いに同行した。
A氏の講話の中で遭遇した一言が、私の人生=人生観を決定的に変えることになった。

『人は生まれ落ちた瞬間から“死”というゴールに向かって長い

旅が始まります。1日、1時間、経過した分だけゴールへ

近づきます。それは持ち時間がその分減ったと言うことです。

お金持ちもそうでない人も、地位のある人もない人も、老人も

若者も、健康な人も病める人も、、今日1日が過ぎればすべて

の人は平等に持ち時間が1日少なくなったということです。

命には限りがあります』

正確には覚えていませんが、このような話だったと記憶しています。
改めて言われなくてもごく当然の話ですが、このとき私の体内を電流が突き抜けて行くような衝撃が走りました。
何でもない人は単なる人生訓として「なるほど」で終ったのかもしれない。 でも私は違いました。ガンと闘いながら死と背中合わせというか、向き合って生きていた時です。 大変切実で実感を伴ったものでした。
「死と直面していると言うこの現実、持ち時間は残り少ないと言うこの現実、こうしている間にも持ち時間は刻々と減って行くと言う避けがたい現実」
到底聞き流すことは出来なかった。
人工肛門と言われたとき、ガンとわかったとき、それと同じくらいの強烈な響きだったのを覚えています。
そうです。
『命には限りがある』と言うことです。
(人工肛門のコーナーの最初のページに、副題として“命に限りあることを知る”とつけた理由はここにあります)

私ははっとして自分を見詰め直した。
 
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