癌、人工肛門のコーナー
(62) 限りあるいのちを

『命には限りがある』、それを強く意識するようになった。
とにかくこのままではいけない。何かをしなければ。
このままでいたら、自分の存在すら周囲から忘れられてしまいそうな恐怖に襲われていた。
もし残り少ないにしても、その間に何かを残しておきたい。自分の生きた証になるようなものが欲しい。 このままで死ぬのは無念だ。

残りが少ないから「何をやっても同じこと」ということではない。なおのこと大切に生きなければいけない。密度濃く生きなければいけない。
私の気持ちが変っていった。意識革命だった。

いたずらに命の長らえを望むより、それが体にとって負担があっても、あるいはその結果命を縮めることになっても、今出来ることをやりたい。 大事に大事に、望む生き方もしないまま半年、1年長く生きられとしてもそれは私の本意ではない。 その分短くなったとしても、質の伴った生き方を選びたい。

私の置かれた状況は「長さ」にこだわる時期ではない。いかに充実してその日まで生きるかだ。
穂高岳に登れたことによる自信、頂に立ったときの爽快感、達成感はフルマラソン完走の感激を彷彿させ尾を引いていた。
日本百名山を目標にできないだろうか。
人工肛門のハンデイと余命を考えれば、勤務の傍ら、全国に散在する百名山を登り切ることは到底不可能だろう。それにもかかわらず日本百名山への思いが、漠然とではあるが広がりつつあった。

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